2009 エッセイ

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December 30, 2009

町から町へ


はじめに、

前回のクイズの答えです。


その1)「北の宿から」

その2)「上を向いて歩こう」


はい、みなさん正解でしたね。

素晴らしい!


パチパチパチ。



あ、そうだ!

シューベルトの「交響曲第九番(ザ・グレイト)」
の冒頭の2小節は、

『紺碧の空』
でしょうかね、solさん。

高田馬場にある某大学の応援歌…。

……?



とまあ、こんなことをして遊んでいる間に、

今年も残すところ、

あとわずかとなってしまいましたね。


時の経つのは早いものです。


私も、大掃除を残すのみ。

……。



さて、

今年、私はジャミン・ゼブのために、

『町から町へ』
(NOUS VOYAGEONS DE VILLE EN VILLE)

という曲をアレンジしました。


私が敬愛するフランスの作曲家、
ミシェル・ルグランが書いたミュージカル、
『ロシュフォールの恋人たち』
の中に出てくる軽快なナンバーなのですが、

振り返れば、
今年のジャミン・ゼブと私は、
まさに、

そんな一年だったように思います。


そう、

町から町へ…。

……。



12月だけをとってみても、

横須賀、岐阜、船橋、牛久、名古屋、
茅ヶ崎、山形、群馬…。

いやあ、忙しい毎日でしたね。


春先には、
2度の大阪遠征もありましたし、

10月には、
初めて北海道(札幌)にも、
行くことができました。


そして、行く先々で熱烈歓迎。


おかげさまで、

とても充実した一年だったように思います。


♡♡♡



さあ、これで、デヴュー以来、
17都道府県で、
唄うことができたわけですが、

2010年には、
どこまで飛躍できるのでしょうか。

どんな「町から町へ」が、
待ち構えているのでしょうか。

……。



そんな来年のことを考えると、

本当に、ワクワクしてしまいますね。


2年ぶりのニュー・アルバム。

あんな企画やこんな企画。

あんなコンサートやこんなイベント。

……。



もう、やりたいことが、てんこ盛りです。


そして、全国にジャミンの輪を拡げながら、

ジャミンを愛してくださるみなさんと、

今年以上に素晴らしい一年を、

過ごしたいものです。



は〜やくこいこい

おしょうがつ〜。


♪♪♪



ということで、

今年も本当にお世話になりました。


来年も、

素敵なアレンジや企画に、

どんどん精力的に取り組んでいきますからね。


期待していてください。


あ、このブログもね。



そして、2010年がみなさんにとって、

素晴らしい一年になりますように。


よいお年をお迎えください。


See You Next Year!



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 15:31|この記事のURLComments(17)TrackBack(0)

December 27, 2009

亡き王女のためのパヴァーヌ 後編


1987年○月○日。

ラヴェルの死後50年が過ぎ、
その楽曲の著作権は消滅しました。


私は、念願だった、
『亡き王女のためのパヴァーヌ』
のメロディーをサビに使って、
新しい日本語の「ポップ・バラード」を制作。


「いやあ、いい曲が出来たなあ。
 ウッシッシ。」

と一人、ほくそ笑んでいました。



ところが…、

その話を耳にした、
とあるレコード会社の法務の人から、
思わぬ、衝撃の事実を、

知らされたのです。


「シュンちゃん、
 それは危険だなあ…。
 日本とドイツとイタリアの作曲家は、
 あと10年くらいは、
 ラヴェルの曲を使えないはずだよ。
 やめといた方が無難だよ。」


(な、なんで…?)



日本、ドイツ、イタリア…。

……。


この3国に共通することとは、
何なのでしょう…?


日独伊…。

……?



そうか!

この3国は、

第二次世界大戦における、
戦争犯罪国なんですねえ。


何でも、

戦時下において、
連合国側の作家の著作権を保護しなかった、
という理由で、

この3国には、
あと10年近いペナルティーが科せられた、

というのです。



つまり、

アメリカやイギリスの作曲家は、
もう、この曲を、
勝手に使うことができる。


しかし、

日独伊3国の作曲家は、
あと10年待たなければならない。



『亡き王女のためのパヴァーヌ』


なにせ、
あれだけのメロディーですからね。

10年のうちには、
アメリカやイギリスの作曲家が、
ちゃっかり取り入れて、
素敵な曲を作るに決まっている。


すると、
その曲の権利は、
その作曲家のもの。

それを知らないで、
うっかり使用すると、
今度はその作曲家から訴えられる。

……。



戦争の傷跡は、

こんなところにまで及んでいたんですねえ。


もはや、こうしたアイディアは、

日本人の音楽家には、

永遠に不可能であることを、

思い知らされたのでした。

……。



はい、こんなお話でした。

ちょっと暗い結末でしたね。



では最後に、

ちょっと気分直しに、

クイズでもいきましょうか。



その1)

ショパンの『ピアノ協奏曲第一番』

その第一楽章の、
有名な、甘く切ない第二旋律。

これって、
都はるみさんの、あるヒット曲に、
そっくりなんですが、

さて、その曲とは…?



その2)

ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第五番(皇帝)』

その第一楽章の、
雄大な主旋律。

このメロディーから、
装飾音を取り去ると、
坂本九さんの大ヒット曲になってしまいます。

さて、その曲とは…?


考えてみて下さい。



年内、あと一回くらい更新予定です。



(おわり)




前回、

たくさんのコメントをいただいておきながら、
多忙のあまり、
ロクにお返事もできず、

大変失礼致しました。


久しぶりに、
自宅のPCの前で、
楽しく読まさせていただいております。



そうか…、

『4×4(フォー・バイ・フォー)』


「カシオペアvsリー・リトナー・グループ」


そういえば、
あの中でも、
『パヴァーヌ』やってましたね。

よほど好きだったんでしょうね、私…。


でも、すっかり忘れておりました。

アハハハ。


私の場合、
どちらかというと、

成功した話より、
失敗した話のほうが、
よく覚えているんですね。



それから、

私の書いた『New York Life』の中にある、
ガーシュインのフレーズを見抜いた、
TOMATOさん。

お見事です。


『ラプソディ・イン・ブルー』の一節を、
ちょっとだけお借りしました。

あれで、一気にニューヨーク・ムードに、
なれましたね。

偉大なガーシュイン様に乾杯!


あっ、著作権法には、
まったく引っ掛かりませんので、
ご安心下さい。


♪♪♪



さて、今年も残りわずか。


これから、
のんびりと今年を振り返りながら、

今月、あまり出来なかった「忘年会」を、
親しい友人たちと、
楽しみたいと思っています。



飲むぞー。


ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!



(もういいから…)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 14:36|この記事のURLComments(19)TrackBack(0)

December 20, 2009

亡き王女のためのパヴァーヌ 前編


フランス印象派の大作曲家、

ラヴェルの書いた、

『亡き王女のためのパヴァーヌ』

という曲をご存知ですか?



Maurice Ravel(モーリス・ラヴェル)
(1875〜1937)


私の大好きな作曲家の一人ですが、

どちらかというと、
メロディ・メーカーというよりは、
「サウンドの魔術師」ですかね。

緻密で万華鏡のような、
まばゆいばかりのオーケストレーションが、
圧倒的です。


そのラヴェルの、数ある名曲のなかで、

『ラ・ヴァルス』
『ダフニスとクロエ』
『ボレロ』

あたりと並んで、
私のお気に入りの一曲が、

この、

『亡き王女のためのパヴァーヌ』



美しいメロディ。

哀愁感漂うサウンド。

良質の絵画を観ているような品の良さ。



で…、

若き日の私は、

この曲に日本語の詞をつけて、
ヒットさせてやろうと、
秘かに企(たくら)んでおりました。


♪♪♪



楽曲の著作権は、

その作家の死後50年で消滅します。


50年経てば、
権利がフリーになるわけですから、

誰でも勝手に、
その旋律を使うことができる。



有名なクラシックの曲に詞をつけて、
ちゃっかり“自分のモノ”にしてしまった例は、

過去にいくつもあります。


私が少年の頃に日本でも大ヒットした、
ナンシー・シナトラが歌う、
『レモンのキッス』は、

ポンキュエッリという人の書いた、
『時の踊り』という曲です。


女性ジャズ・シンガー、
サラ・ヴォーンが大ヒットさせた、
『ラバーズ・コンチェルト』は、

バッハの『メヌエット』です。


ラテンの名曲で、
日本では、ザ・ピーナッツがヒットさせた、
『情熱の花』は、

ベートーヴェンの、
『エリーゼのために』



今年のジャミン・ゼブのコンサートで、

7月の「品川教会」や、
つい先日の「九段会館」で、
お客のみなさんと一緒に歌った、

ビリー・ジョエルの
『This Night』
のサビの旋律は、

ベートーヴェンの
『ピアノ・ソナタ 第八番「悲愴」』
の第二楽章のメロディに、
詞をつけたものなのです。



すると…、

あの曲の権利は、

今はビリー・ジョエルが持っている。


それを知らないで、

あのメロディを勝手に使うと、

今度は、ビリー・ジョエルから、

莫大な著作権料を請求される。


という、

なんとも摩訶不思議な現象が起きてしまうのです。



つまり、

早くやったもん勝ち。

……。



で、私は、

『亡き王女のためのパヴァーヌ』が、

フリーになるのを待っていました。


ラヴェルが死んだのは、

1937年です。


すると…、

1987年には、

すべてのラヴェルの楽曲が、

フリーになります。


使い放題です。

ウッシッシです。


こうして、

1987年○月○日。


さあ、カウント・ダウンだ。


3、2、1…、



はい、50年が過ぎました。



私はさっそく、

当時、懇意にしていた、
作曲家の上田知華ちゃんと、
作詞家の岩里祐穂ちゃんを呼んで、

この『亡き王女のためのパヴァーヌ』
のメロディをサビにして、
新たに日本語のポップスを作るよう、
依頼をしました。

そして、それを、
伊東ゆかりさんに歌ってもらおうと、
思っていたのです。


数日後、

狙いどおりの素敵な楽曲が出来ました。


そして、

しっかりお金と時間をかけて、
華麗なストリングスまで入れて、
立派なオケも出来上がりました。


(うん。こりゃ売れそうだ。
 ウッシッシ。)



ところが…、


ところが……、


………。



(つづく)




それにしても、

ずいぶん更新が途絶えてしまいました。


いやあ、本当に忙しかったもんで…。


なにせ、

きょう(20日)が、

12月に入って、

“最初のお休み”だったくらいですから…。


ふ〜…。



でも、充実の日々でした。

素晴らしいコンサートも、

新しい出会いも、

いっぱいありました。


来年が、

ますます楽しみになってきました。



さあ、あとひとふんばり。


今週は、

温泉ライブ2連発(山形、群馬)の後、

25日(金)の学芸大「A'TRAIN」で、

今年のピアノの弾き納め。


それを乗り切れば、

ようやく一段落です。


ようし!



ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!



(最近、“オチ”もワン・パターンだな…。)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 23:55|この記事のURLComments(19)TrackBack(0)

December 08, 2009

ノーマン・シモンズ 後編


「ピアノは、

 ノーマン・シモンズ!!」


世界的なジャズ・シンガー『アニタ・オデイ』が、
そう紹介したとき、

私は思わず、

「うそだろう…?」
と、まさに椅子から飛び上がらんばかり。


いやあ、本当に驚きました!

……。



まさか、アニタが、

あのノーマン・シモンズを連れて来ているとは、

まったく知りませんでしたからね。


(この人が、ノーマン・シモンズだったのか。
 どうりで上手い訳だ…。)



Norman Simmons
(ノーマン・シモンズ)


私がジャズを始めた、
大学生のときから、
それこそ何度も何度も聴いた名盤、

『カーメン・マクレエ / イン・パーソン』


その中で、

「これぞ歌伴のお手本」とも言うべき、
いぶし銀のようなプレイを聴かせる、
ノーマン・シモンズのピアノは、

ずっと私のバイブルであり、
心の師匠でもあったのです。



その彼が、

今、私のすぐ目の前で、
演奏している。

手を伸ばせば、
触れるようなところで…。


今まで、レコードでしか知り得(え)なかった、
本物のジャズ・ピアノ。
本物の歌伴(うたばん)。

しかも相手は、
あの世界的なアニタ・オデイ。

これが狂喜せずにいられましょうか。



そして、

アニタには申し訳ないのですが、


それからというものは、
歌はほとんど耳に入らず、

私は、もう食い入るように、
そのピアノ・プレイばかりを、
見続けていたのです。


何しろ「生きたお手本」が、
目の前で演奏しているのですから。


「いやあ、いいコード弾くなあ…。」

「なるほど、そこはそう弾くのか…。」

「おっと、粋な間(あい)の手だなあ…。」

「ううむ、そういう押さえ方もあったか…。」

「こりゃ歌いやすいだろうな、歌手は…。」


とまあ、感心しながら、

鍵盤ばかり見ていた私。


♪♪♪



こうして、

約1時間にも及ぶ、
素晴らしいミニ・ライブは、
あっという間に終了。

私にとっての夢のような時間も、
あっという間に過ぎてしまいました。



ライブが終わると、

アニタの周りには、
ジャズ・ファンのおじさま、おばさまで、
たちどころに黒山の人だかり。

なにせ、大スターですからね。


たくさんの花束や、
思い思いのプレゼントを手にしたアニタは、

満面の笑みで、一人ずつていねいに、
ファン・サービスにつとめておりました。



で、私はというと…、

ノーマン・シモンズの後を、

金魚の糞のように、
付いてまわっていた…。


「なんでも形から入れ」
というのが私の持論ですからね。

「盗める物は、なんでも盗んでやれ」
とばかりに、
まるで背後霊のように、

ピタッと彼のそばから離れない。



そうこうするうちに…、

どこかのタニマチ風のおじさんが、
「ノーマンを連れて、
 ピアノ・バーへ繰り出そう」
と言いだした。

「いいわね、いいわね。」
とばかりに、
3、4人のご婦人も参加の意思表明。


もちろん私も、
「あ、あの、
 ぼ、ぼくも行ってもいいですかあ。」
とおねだりして、
連れてってもらうことになりました。

(ヤッター!)



そして、到着したのが、

永田町は、
自民党会館のすぐそばにある、
ピアノ・バー。

時間は、
深夜の0時を過ぎていたように思います。


そこは、
円形の小さなお店で、

真ん中にグランド・ピアノが、
デーンと置いてあり、
周りにテーブルとソファがいくつかある、
といった、ちょっとリッチな感じのバーでした。


そして、みんなで、

カンパーイ!


ノーマンさんも、
すこぶるご機嫌の様子。

楽しそうに、
お酒を飲みながら、
タニマチやご婦人方と、
会話を楽しんでいましたね。



と、そのうち…、

私の存在に気づいたノーマンさんが、
こんなことを聞いてきました。

「ところで君は、何か楽器はやるの?」


私は、勇気をふりしぼって、
こう答えました。

「え、ええ…、ピアノを少々。
 学生時代はプロをめざしてやってたんですが、
 今は、レコード会社に就職して、
 プロデューサーの卵みたいな仕事を、
 やってるんです。」


すると、ノーマンさん、

「どうだい、一曲、
 聞かせてくれないか。」

ときた。



(ガーン!)

……。



途端に緊張が走った私でしたが、

でも、こんなチャンスは、
そうあるものではありませんからね。

せっかくだから、
何かご指南でもいただければ幸い…。


というわけで私は、

厚かましさを承知の上でピアノに向かい、
一曲演奏を始めました。


当時の私は、

まだ23、4才の青二才。


もう破れかぶれですが、

とにかく一生懸命演奏しました。


ノーマンさんも、

真剣に聴いてくれてるようでした。


♪♪♪



こうして1曲、

なんとか弾き終えました。


もう、緊張で、

汗びっしょりです…。



すると…、


信じられないことが…、

起きたのです。

……。



ノーマンさんが急に立ち上がり、

ニコニコしながらピアノのそばにやって来て、

「どうだ、一緒に演奏しないか。」

と言ってくれたのです。


そして、ピアノの椅子を二人で分け合い、

彼が主に低音部分を受け持って、

連弾が始まりました。



信じられない出来事です。


夢のような出来事です。



こうして、

彼の伴奏で私は、
ブルースを、
自分の力の限り弾く。


すると、ノーマンさんは、

「イエーイ! いいぞ、もっといけ。」

「ダメダメやめちゃ。
 もう1コーラスいこう。」

と、懸命に乗せてくれるのです。


私がソロを終えると、
今度は、彼が低音部でソロを取り始め、
私が上の方で伴奏する。

そのうち、緊張もほぐれ、
私もついノリノリに。

彼も、なんとも楽しそうに、
演奏を続ける。


そして、一曲終わると、

「いやあ、いいねえ君。
 もう一曲やろう。
 あの曲は知ってるかい。
 OK。じゃイントロは僕が弾くから、
 テーマを頼むよ。」


そして、私がソロを取りだすと、

「イエーイ! イエーイ!
 いいぞ、いいぞ、ゴキゲンだぞ。」

と、またまた乗せてくれるのです。



コンサートを終え、

ミニ・ライブを終え、

もう、かなり疲れてるでしょうに、

彼は、私との連弾をやめようとしない。


「もう一曲いこう。」

「よし、今度はあの曲をやろう。」

「イエーイ! もっと続けろ。
 いいぞ、いいソロだぞ!」



こうして、時計の針は、

2時を廻り、

3時を廻り、


私とノーマン・シモンズさんとの連弾は、

約3時間近くにも及び、

終わったときには、

朝を迎えようとしていたのです。


……。




さて、すべての演奏が終わると、

彼は満面の笑みで立ち上がり、

私に握手を求め、

こう言ってくれました。


(これ、自慢話のように聞こえたら、
 ごめんなさい。
 でも、事実なんです…。)


「君のブルースは本物だ。
 最高だ。
 君は、ピアノをやめてはいけない。
 どんな仕事に就(つ)こうが、
 ジャズ・ピアノだけは続けて欲しい。」

「……。」



もちろん、お世辞でしょうが、

でも私にとっては、

涙が出るほど嬉しいお言葉でした。



以来私は、

ジャズ・ピアノと、

ジャズの研究だけは、

細々と続けていたのです。


この、彼のひと言だけを支えに…。



そして、それが、

30年後に、

ジャミン・ゼブのプロジェクトに繋がったことは、

言うまでもありませんね。



ノーマン・シモンズさん♪



私の人生の恩人と言ったら、


言い過ぎでしょうかねえ…。



……。




(おわり)






さあ、怒濤の冬の陣が始まりました。


横須賀、岐阜、

そして、


ジャーン!


九段会館!!



準備万端整いました。

万全のコンディションで臨みたいものです。


熱い盛り上がりをお願いします。


そして九段を、

感動で一杯にしましょう。



やるぞー!


ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!


(まただ…)


……。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 14:22|この記事のURLComments(23)TrackBack(0)

November 30, 2009

ノーマン・シモンズ 中編


私の学生時代から、
「アルファ」に入った頃。
(60年代後半〜70年代)


女性人気ジャズ・ヴォーカルと言えば、
まず、ビリー・ホリデイ(1915ー59)。

それに続くのが、
「四女王」とも言うべき4人の現役。


すなわち、

エラ・フィッツジェラルド
カーメン・マクレエ
サラ・ヴォーン
アニタ・オデイ


これが、自他ともに認める、
人気を兼ね備えた「実力派」の評価でしたね。



この中で、

唯一、白人で、
しかもルックスも抜群で、

まさに「天から二物を与えられた」
とも言うべき幸運の女神が、

『アニタ・オデイ』
というシンガーでした。


A.O.
ANITA O'DAY(1919−2006)


セクシーなハスキー・ヴォイス。

抜群のアドリブ・センスとスイング感。

類いまれなるテクニック。


代表作は、

オスカー・ピーターソン・カルテットと共演した、

『ANITA SINGS THE MOST』
 (アニタ・シングズ・ザ・モースト)

というアルバムでしょうか。


これまた、

私が学生のときから愛聴してきた、
名盤中の名盤です。


Sings the Most


あの、スーパー・テクニックの
オスカー・ピーターソンと、
堂々とわたり合える歌手は、

そうはいませんね。

超快速『S'Wonderful(ス・ワンダフル)』は、
まさに、火を噴くような熱演。


前回ご紹介した、
『Carmen McRae / In Person』は、
現在、かなり入手が困難なようですが、

この、アニタのCDは、
今もなお人気抜群のようですから、
容易に手に入ると思います。


ぜひ、聴いてみて下さい。

胸がスカっとする爽快感があります。



さらには、

ジャズ・ファンの間では、
もはや伝説ともなっている、

『真夏の夜のジャズ』という音楽映画。


そのなかで、

映画『マイ・フェア・レデイ』よろしく、
大きな帽子をかぶり、
スカートを風になびかせながら、
爽快に歌い上げるアニタの、

『Sweet Georgia Brown』
 (スイート・ジョージア・ブラウン)


A.O.2


いやあ、

その格好よさといったらありません!



まさにアイドル。

まさに歌姫。

実力も美貌も富も名声も、
全部手にした“幸運の女神”。


眩(まぶ)しいばかりの歌手人生…。


♪♪♪



そのアニタが、

来日しました。

1975、6年の頃だと思います。



当時私は、
「アルファ」で、レコード・プロデューサー
の道を歩んでいましたが、

とはいえ、
趣味としてのジャズ・ピアノも、
あい変わらず続けていました。

仕事の合間をぬって、
ジャズ・クラブで演奏したり、
ジャム・セッションに参加したり。


そんな私が、
当時いちばん頻繁に通っていたのが、
六本木にあった、
「Ballentine(バレンタイン)」

というお店。



そんな、ある日のこと。


その「Ballentine」に、

なんと…、

あの、アニタ・オデイがやって来て、
「ミニ・ライブをやる!」

という噂を聞いたのです。


私は狂喜しました。



さあ、待ちに待った当日。

私は、懇意にしていただいてた、
マスターのTさんにお願いして、

ピアノ・カウンターの、
ピアニストと鍵盤を真横に見ることのできる、
私にとって、最高の場所を、
陣取ることができました。


そのお店は、

50人も入ればいっぱいの、
本当に小さな、縦長のジャズ・クラブ。

しかし、噂を聞いて駆けつけた、
常連のジャズ・ファンで、
お店はたちどころにいっぱい。

早くも熱気に溢れています。



やがて…、

拍手、歓声がどこからともなく起こり、

あの、アニタ・オデイと、
バックのピアノ・トリオの面々が登場。


私のすぐ真ん前にピアニストが座り、
その後ろにドラムとベース。

そして、その横に、
アニタ・オデイがマイクを持って、
スタンバイしました。


ステージも狭いので、
窮屈そう。

いずれも、
手を伸ばせば、
触ることのできる至近距離です。


……。



まあ、今だったら、

ちょっと考えにくいシチュエーションですね。


「代々木ナル」や「All Of Me Club」
といった小さなジャズ・クラブの、
一番前の席で、

世界的なアーティストの演奏が、
ナマで聴けるようなもんですから。


かつて書いた、
「エロール・ガーナーの思い出」
のときもそうでしたが、

当時の六本木では、
来日した世界的なジャズ・プレイヤーが、

コンサート終了後に、

平気で、
こうしたセッションをやっていたのです。


いい時代でした…。


♪♪♪



さあ、演奏が始まる。


ピアノ・トリオがイントロを始める。

アニタが唄いだす。


間近に見る、世界の演奏。



もうもう、鳥肌もんでした。


私は、よほど興奮していたのでしょう。

なんの曲をやったのか、

まったく記憶にありませんから。

アハハハ。



バックのピアノ・トリオも素晴らしく、

「これが世界か…。」

と、ただただ感心するばかりです。


特に、同じピアノをやる人間にとって、
目の前で繰り広げられている、
黒人ピアニストの演奏は、

まさにお手本のようなジャズであり、
理想的な「歌伴(うたばん)」でした。


アニタの歌もさることながら、

私は、鍵盤と彼の指さばきを、
食い入るように見ていたのです。


(うまいなあ…。)



こうして、2、3曲を、
たちどころに唄い終えると、

アニタは、

やんややんやの歓声の中、
メンバーを紹介。


「じゃ、きょうのバック・メンバーを
 紹介するわね。

 ドラムは○○。イエーイ。
 ベースは△△。イエーイ。

 そして、ピアノは…」



その後にコールされた名前を聞いて、

私はめまいがするような興奮を覚えました。



「ピアノは、


 ノーマン・シモンズ!!」



(つづく)





これ、本当は、

2回で終わるつもりでした。


だから前回、
「前編」ってクレジットしたのですが、

アニタ・オデイの話をしていたら、
いろんなことを思い出してきて、

「中編」などという、
司馬遼太郎氏の小説のようなタイトルに、
なってしまいました。

アハハハ。


ま、次回もお楽しみにということで。

……。



ところで、

金曜日(11/27)の「A'TRAIN」も、
盛り上がりましたねえ。


近くのお店で演奏していた、
ベースの佐藤有介も乱入してきて、
久しぶりに一曲共演しましたよ。

こういうハプニングがあるから、
やめられませんね。


いらして下さったみなさん、

ありがとうございました。

次回は、12/25(金)の予定です。



さあ、明日からは、

しばしピアノを忘れて、

「ジャミン・ゼブ 冬の陣」に集中します。


最高の形で、

2009年を締めくくりたいと思っています。



ガオ〜〜〜〜〜!

(またしても、雄叫び)



……。



SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 10:42|この記事のURLComments(20)TrackBack(0)

November 22, 2009

ノーマン・シモンズ 前編


『ノーマン・シモンズ』
というピアニストを知ってる方は、

かなりの“ジャズ通”ではないでしょうか。


ヒットしたリーダー・アルバムも無いし、
有名なジャズ・ジャイアント達との共演も、

あまり聞いたことがありません。



しかし、何を隠そう、この人は、


稀代の「歌伴(うたばん)」の名手なのです。


(註:歌伴=歌の伴奏)



N.S.
Norman Simmons(1929〜)


私が彼のピアノを最初に聴いたのは、

大学1年生のとき。


かつて『ジャズまくり時代』というお話を、
長々と書いたことがあります。


ジャズがやりたくて、
ジャズ・ピアノが上手くなりたくて、
K大の「名門ジャズ・オーケストラ」に入部。

それから、
卒業までのジャズ三昧の毎日を、
延々と綴(つづ)ったお話なのですが、


その私が、

まさにジャズを始めたばかりの頃。


とある1枚のアルバムを聴いて、

私は大変な感銘を受けました。



そのアルバムとは、


『Carmen McRae / In Person』
 (カーメン・マクレエ / イン・パーソン)

InPerson


女性ジャズ・ヴォーカルの巨匠、
「カーメン・マクレエ」が、
65年にシカゴのジャズ・クラブで録音した、
ライブ盤なのですが、

その冒頭の、
『SUNDAY(サンデイ)』
という曲のイントロを聴いて、

ガ〜〜ン!


なんと小気味よいピアノ・トリオの演奏。

そして、
そんな、粋なトリオをバックに、
豪快にスイングするカーメンこそ、

これぞ、ジャズ・ヴォーカル!

これぞ、ジャズ・ヴォーカルの女王!!


2曲目の『What Kind Of Fool Am I ?』
というバラードでは、
切々と、情感たっぷりに歌い上げ、

続く『A Foggy Day』では、
快速テンポで、
自由奔放なアドリブを混ぜながら、
リスナーに息をする間も与えない。


そして、

このアルバムの白眉とも言える、

『I Left My Heart In San Francisco』
 (思い出のサンフランシスコ)


トニー・ベネットのオリジナルをも、
凌駕するのではないかと思われる、
カーメンの圧倒的なヴォーカルと、

それを支えるピアノ・トリオ…。


♪♪♪



いやあ、

あまりの素晴らしい歌と演奏に、

私は、しばし呆然としてしまいました。


とりわけ、

絶妙なバッキングで、
カーメンを支える「ピアニスト」のプレイは、

私が憧れていた、
まさに、これぞ、


「歌伴(うたばん)のお手本」


……。



それが、

ノーマン・シモンズでした。



それ以来、このアルバムは、

私のバイブルとなってしまいました。


ああ、どのくらい聴いたでしょうか…。



来る日も、来る日も、
このアルバムから聞こえてくる、
カーメンのうねるようなグルーヴに酔いしれ、

ノーマン・シモンズの、
見事なバッキングに、
ただただ感心するばかりの毎日。


(上手いなあ…)



そして、

中本マリさんをはじめとする、
ジャズ・ヴォーカリストのバックで、
ピアノを弾くときは、

この、ノーマンのピアノを思い浮かべながら、

自分なりに、
切磋琢磨していたわけです。


♫♫♫



時は流れて、

私も社会人。


『ジャズまくり時代』でも書いたように、
ジャズ・ピアニストになる夢は捨てて、

アルファという会社で、
「レコード・プロデューサー」
の道を歩み始めていた私でしたが、


そんなある日…、

なんと私は、

このノーマン・シモンズさんと、


運命的な出会いをすることになるのでした。



ああ、


思い出しても胸がときめく…。


……。




(つづく)





今年は、

例年に比べて、

冬の到来が早いような気がしませんか?


寒いのが苦手な私ですから、

もう少し秋を楽しんでいたかったな…。

……。



でも、冬といえば、

まさに「ジャミン・ゼブ」の季節です。


「九段会館」のセット・リストも決まり、

メンバーの猛特訓も始まりました。


まさに『X'mas Fantasy』

のタイトルにふさわしい中身だと思います。


さらには…、


おっと、それ以上言うと、

楽しみが半減するので、

きょうはこのくらいで。


……。



さ、明日は遠征だ。


朝が早いので、

今宵は深酒禁止。


タバコもやめようかな…。


(けっこう、真面目に考えてます。)



ううむ…。


………。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 16:53|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)

November 15, 2009

ジム・ホール


『ジム・ホール』という、

ジャズ・ギタリストがいます。

hall
Jim Hall(1930〜)


ビ・バップの昔から今日まで、
センス抜群のプレイを聞かせる、
白人ジャズ・ギターの大御所ですが、

学生時代、
私が彼の演奏を聞いて、
腰を抜かすほどビックリしたのが、

あの、ビル・エヴァンスと共演した、
有名な2枚のアルバムでした。


そのアルバムとは、

『Undercurrent(アンダーカレント)』

『Intermodulation(インターモデュレーション)』



ロマンチックかつ優雅なプレイで、
今なお絶大な人気を誇る、
名ピアニストのビル・エヴァンスと、

これまた繊細かつ知的なプレイで、
ビル・エヴァンスに真っ向勝負を挑んだ、
ジム・ホールとのデュオは、

まさに、最高の“名人芸”のぶつかり合い。


これぞ、

歴史に残る“名盤中の名盤”といっても、

差し支えないのではないでしょうか。



『Undercurrent』

under

「水面下に浮かぶ女性」という、
美しいモノクロのジャケットも、
話題になりましたが、

まずは1曲目の
「My Funny Valentine」
を聴いてみて下さい。

これぞ、究極のインタープレイ!


圧巻は、
エヴァンスがソロを取っているときの、
ジム・ホールのバッキングですね。

ベースのランニングと、
一拍ごとに目くるめく変化する、
内声の美しいコード・ワークを、
いっぺんにやってしまう。

まさに、
“神業(かみわざ)”とは、
このこと。



『Intermodulation』

inter

このジャケットも好きだなあ。

二人の名人が、
絶妙のインタープレイを繰り広げているサマが、
軽妙に描かれている素敵なイラスト。

ここでも、1曲目の
「I've Got You Under My Skin」から、
いきなり二人の演奏に引き込まれていきます。


選曲がポップなので、

ジャズ初心者の方は、
こっちのアルバムから入ったほうが、
いいかもしれませんね。



ま、なにはともあれ、

この2枚のアルバムを聴くと、

いつも私には、
いろんなシーンが浮かんできます。


まるで、美しい映画を観ているような…。

あるいは、
人生の節目、節目の素敵な出来事が、
目の前に浮かんで来るような…。


本当に、素晴らしいアルバムです。


たった、二人だけで、

こんな感銘を与えられるとは…。



そして、

ともすれば、
ビル・エヴァンスの華麗な名声に、
隠れがちですが、


ジム・ホールという、

こんな凄いギタリストがいたんだなあと、
(おっと、まだ現役でしたね…。)

きっと、おわかりいただけると思います。


みなさんも、

ぜひ聴いてみてください。


♪♪♪




とまあ、普通のブログなら、

これで終わるところでしょうが、


このブログの読者のみなさんは、

そんな“オチ”のない終わり方では、
許してくれそうもありませんね。(笑)



ということで、

最後は、このジム・ホールさんにまつわる、
ちょっとした小話を…。


と言っても、

ご本人には、
なんの関係もありませんが…。



それは、

『夏の6週間』の話から、

何年か経った頃。


あのY田君に代わって、
当時、伊東ゆかりさんのマネージャーをやってた、
K村君から聞いたお話。

あ、またゆかりさんの登場です。

(シ〜〜〜ッ)



ある日のこと。

仕事で福岡に向かう飛行機のなかで、
伊東ゆかりさんは、

あのジャズ・シンガー、中本マリさんと、
バッタリ遭遇。

(中本マリさん。
 そういえば、もう一年になりますね。
 ジャミン・ゼブとの競演。
 私のおねえちゃんのような人。

 何の事だかわからない方は、
 2008エッセイ「中本マリさん」をどうぞ。)



ゆ「あら、マリちゃん、お久しぶり。
  マリちゃんも福岡でお仕事?」

マ「そうなのよ。
  これから福岡で、
  ジム・ホールと一緒に、
  コンサートがあるのよ。
  ゆかりちゃんは?」


ゆ「あたしは、相変わらず、
  ディナー・ショーよ。」

マ「あら、そう。
  ねえ、もし良かったら、
  コンサートが終わったあと、
  一緒にお食事でもどう?」


ゆ「いいわねえ。
  じゃ、仕事が終わったら電話するわ。」

マ「待ってるわー。」


てなことで、

福岡空港に到着後、
二人は別れた。



さて、ディナー・ショーが終わって、
楽屋で化粧を落としながら、

ゆかりさんは、
マネージャーのK村君を呼んで、
こう言いました。


(ちなみに、当時は、
 まだ携帯電話の無い時代。)


ゆ「K村さん、悪いんだけど、
  マリちゃんに電話してみてくれる。
  彼女も、今日、福岡のどこかで、
  コンサートやってるのよ。」

K「わかりました。
  なんという会館でやってるんですか?
  すぐに電話帳で調べますが。」


ゆ「ええと…、
  なんて言ったかな、
  あの会館…、
  ええと…、
  あのホール…、
  なんとか言うホール…、
  なんとかホール…、
  ええと…、
  ……、
  ………、

  そう、思い出したわ!

  ジム・ホールよ!!」



お後(あと)の支度(したく)が、


よろしいようで。



(おわり)





アハハハ。


マリさんも、ゆかりさんも、

立派に「無責任党」で、

やっていけますよねえ。


(シッ、内緒ですよ、内緒…。)


……。




さて、私は、この一週間で、

新しい「クリスマス・ソング」を、

3曲も書きましたよ。


セット・リストを考えるのが楽しみです。


これは、

楽しい12月になると思います。



「ビタミンJ」欠乏症の方も、

いらっしゃるようですが、

もうしばらくのご辛抱です。



というわけで、

めっきり寒くなってきましたが、


みなさん、どうぞ、


ご自愛くださいませ。



(責任ある終わり方)


……。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 00:46|この記事のURLComments(22)TrackBack(0)

November 07, 2009

無責任教育講座 最終回


え〜、私は、

過去2回にわたって、

“無責任”の持つ効用、利点について、

みなさんにお話をしてきました。



一回目は、

「“無責任“を上手に使うことによって、
 苦境や困難から脱することができる」

といういうお話でしたね。



♪とかくこの世は無責任♪

♪そのうちなんとかなるだろう♪


を、呪文のように唱えることによって、

他(ほか)でもない、私自身、
どうしようもない苦境や困難から、
見事に脱出できた経験が、
何度もあるのですから…。


みなさんも、
ぜひ参考にしてみて下さい。



二回目は、

「思わぬクリエイティブな発想が生まれる。」

というお話でした。



私は、アレンジや作曲に煮詰まると、
とにかく自分を、
“無責任”に、“無責任”に、追い込みます。


「ええい、人がなんと言おうと知るか。
 楽しけりゃいいじゃないか。
 やったもん勝ちだー。」

と、開き直ることにしています。


すると…、

大胆なアイディアが生まれ、
煮詰まりが解消され、

思いもよらぬ、
素敵な作品になることが、
まま、あるのです。


ジャンルは違えども、
これも、ぜひ参考にしてみて下さい。



そして、今日は、

“無責任”は、

“人生に潤(うるお)いを与えてくれる”

という観点に立って、


いくつかの事例を挙(あ)げて、

お話してみようと思います。


エヘン。


(と、ここで水を飲む)




さて…、


有名な大手芸能プロダクションの、
K会長という方がいらっしゃいます。

一介のマネージャーから、
叩き上げで大出世。
見事に財をなした、
これまた立志伝中のスゴ腕の大物です。


で、この方の特徴は、
とにかく、
何でもかんでも、

ほめる!


ほめて、ほめて、ほめまくる、ほめちぎる。


部下がデモ・テープを聞いていると、
いつの間にやら、
その背後にスッと現れ、

「いいねえ、それ。」
「あ、それもいいねえ。いいよ、いいよ。」


別の部屋で、
別の部下が出来上がった音を聞いている。

と今度は、そこにも現れ、
ロクに聞きもしないで、

「いやあ、いいねえ。いい。いい。
 いいよ、それ。」


誰かが、音を聞かせに、
会長室に行っても、
それが良かろうが悪かろうが、

「いいねえ。いいよ、いいよ。
 うん、いい、いい。」


と、とにかく、

「いいよ、いいよ。」

のオン・パレード。


(ただし、
 お金をかける必要のない時だけですが…。)



と、このように、

この方の“無責任”も、

相当なハイ・レベルな訳ですが、


でも、部下にしてみれば、
やりがいがありますよね。


人間、
ほめられるのが嫌な人なんて、
いません。

けなされたり、文句を言われたり、
重箱の隅をつつかれたりするより、
ずっとやる気になる。

もっと頑張って、
もっとほめてもらいたくなる。


で、そんな中から、
ついにヒットが生まれる。


その担当者は、
会長に報告に行きます。

「会長、あれ、売れて来ましたよ。」



こんな場合、このK会長。

“それがどうした”、とばかりに、

いつも平然と、

こう言うんだそうです。


「だから、俺は言ったじゃないか。

 “これ、いいよ”って。」


……。




私が社会人になったばかりの、
駆(か)け出しの頃。

ビクター・レコードに、
N取締役という、
音楽業界でも有名な人物がいました。


この方のアダ名は、

『業界のアル・カポネ』


そのスジの方たちとも、
平気でおつきあいをする、
これまたスゴ腕の大物です。



ある日私は、
社長のお使いで、

このカポネのところに、
行くことになりました。


いやあ、
さすがに噂どおり、
ぞ〜っとするような迫力でしたね。


でも、せっかくのチャンスですからね。

私は勇気をふりしぼって、
こんな質問をしてみました。

「あのお…、
 ヒット・シングルというのは、
 どうやったら作れるんですかあ?」


すると、このカポネ、

豪快に笑いながら、
こう言いました。


「ガハハハ、君。
 100枚くらいシングル盤を作るとねえ、
 1枚くらいは当たるんだよ。
 その1枚の利益で、
 残りの99枚の赤字を埋めるのさ。
 ガハハハハ。」


ここまでくると、

“無責任道”も、

もはや、芸術の領域ですかね。


……。




私の努めていた「アルファ・レコード」の、
兄弟会社に、
「アルファ・ミュージック」という、
音楽出版社がありました。


ある日の午後、そこに、
Aというセールスマンが、
飛び込みで入ってきて、

フライパンやら鍋やら圧力釜やら、
のセールスを始めた。


ところが…、

その語り口調が面白いのと、
人柄がなんともホンワカしていたので、

そこの責任者のG氏は、
こう言ったんだそうです。


「おまえ、セールスうまいねえ。
 どうだ、それ全部買ってやる代わりに、
 そんな仕事さっさとやめて、
 うちの社員にならんか。」


すると、このAくん。

「わかりました。」
とばかり、
そのまま、そこに住みついて、

二度と元の会社に、
戻ることはありませんでした。


ま、雇う方も、雇われる方も、

なんとも“無責任”というお話。


……。




これと似たような話が、

私にもありましたね。


あれは、私が、

念願の事務所を構えた、

1985、6年くらいのことでしたか…。



ある日の夕方、
一人の若いセールスマンが、
事務所にやって来ました。

それは、
「相場の先物買い」
とか何とかいう物のセールス。


ま、私は、
そんな物には何の興味もないし、
素人がうっかり手をだしたら、
ひどい目に遭(あ)う。

ということも、
うすうす知ってはいましたが、


その日の夕方が、
メチャメチャ暇だったのと、

その男が、なかなかに愛嬌のある、
面白そうな男だったので、
暇つぶしに、
ちょっと、からかってやろうと思い、

「じゃ、いいよ。
 30分だけ話を聞いてやるよ。」

と、その男を事務所に上げました。



さて、その男は、

鞄の中から、
会社のパンフレットと、
今、その会社がプッシュしているという、
「小豆(あずき)」の相場の先物買い、
に関する資料を取り出し、

一生懸命、
プレゼンテーションを始めたのです。


相変わらず、
興味なんてサラサラ無い私は、

「ふ〜ん、ふ〜ん」
と、真面目に聞いてるフリをしながら、

鼻毛かなんかをぬきながら、
その男の喋ってる様(さま)を、
じっと眺めておりました。


ま、私の“無責任”も、

なかなか隅には置けませんね。

アハハハ。



さあ、その男は、
喋るだけ喋ると、
こう締めくくりました。


男「どうです、社長。
  おわかりいただけましたか?

  一口100万円からですが、
  これは、おいしい話ですよ。
  絶対、儲かりますよ。」



ここで、ようやく私が、
重い口を開けた。


私「絶対、儲かるの?」

男「ええ、絶対です。」


私「100%?」

男「ええ、100%です。
  私にお金があったら、
  絶対投資しますがねえ。」



ここで私は、

さっきから考えていた、
なんとも意地悪な作戦を、
実行に移すことにしました。


私「絶対、儲かるんだね。」

男「間違いありません。
  100%、儲かります。」


私「じゃ、こうしよう。
  100万円を君に貸すから、
  君がやりたまえ。

  それで、儲けは、
  山分けにしようじゃないか。
  君は、出資金ゼロだ。
  こんな、おいしい話はないだろ?

  ただし、万が一失敗したら、
  元金の100万円だけ返してくれればいい。
  利息はいらない。

  でも、100%間違いないんだったら、
  そんな心配することないか。
  アハハハ。」



すると、その男、

ちょっと弱気になって、

男「い、いや、
  絶対ということは、
  な、ないかもしれませんが…。」


さあ、ここぞとばかりに、
私は突っ込む。

私「えっ?
  さっきから君は、何度も、
  これは絶対だ、100%だ、間違いない、
  て、言ってるじゃないか。」



と、その男、

急に返事をしなくなり、

キョロキョロと、
私の事務所を見回し始めた。


ここは、
一応音楽事務所ですからね。

オーディオ・セットやら、
ビデオ・デッキやら、
レコード盤やらCDなんかが、
無造作に置かれてあります。



で、その男、
今度は、こんな質問をしてきたのです。


男「ところで、社長は、
  何のお仕事をしているんですか?」

私「見ての通り、音楽の仕事だよ。」


男「というと?」

私「レコード(CD)を作ったり、
  コンサートのプロデュースをしたり。
  ま、そんな仕事だよ。」



すると男は、
真面目な顔で、こう言ったのです。


男「あのお、社長。
  僕を雇ってくれませんかねえ。」

 
  (……。)



私は、思わず大笑い。

そして、こう言ってやりました。


私「アハハハ。
  君も、相当に無責任だなあ。
  気に入ったよ。

  気に入ったけど、
  残念ながら、君を雇う余裕はないんだな。」



こう言って、
丁重にお帰りいただいた訳ですが、

でも、それは、なかなかに、

爽(さわ)やかな別れでしたよ。


彼も、にこやかな顔をして、
帰って行きましたね。

いい思い出です。


その後の、彼の幸運を、

祈らずにはいられません。


………。




とまあ、

“無責任”は、

かくも人生に素敵な潤いを与えてくれるのです。



このように、“無責任”とは、

粋な遊び心であり、
人生のチャーム・ポイントであり、
豊かな発想の源であり、
人生を楽しくする知的ゲームであり、
苦境や困難から脱出する『武器』でもあるのです。



ただし、初めに申し上げたとおり、

3つの原則を守ることが絶対条件です。

1)人を傷つけない
2)人に迷惑を与えない
3)人に損害を与えない



これをもってしても、

O音楽事務所の、
O社長が、

いかに、“無責任使いの名人”
であったかが、

おわかりいただけたと思います。



でも、この3原則を守らないと、

今度は、みなさんが、

世間から非難を浴びることになりますからね。


“無責任”は、

時に『凶器』にも早変わりするので、

くれぐれもご注意下さい。



というわけで、みなさん。


大いに“無責任”に磨きをかけて、


人生を楽しく過ごそうではありませんか。



ご静聴、


まことに、ありがとうございました。



  パチパチパチ
  パチパチパチ
  パチパチパチ
  パ…チ…パ
  チ…
  パ…?
  ……?
  
  …………??


……………………。




(『無責任教育講座』 おわり)





いやあ、

またしても、大長編になっちゃいました。

アハハ。


というわけで、

もう疲れたので、

今日もエピローグは無しです。


……。




さ、明日は、

新しい「クリスマス・ソング」でも、

書こうっと。


「九段会館」を、

思いっきり楽しくしたいのでね。



では、お休みなさい。


次回は軽めにいきます。



zzz…………。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 23:06|この記事のURLComments(24)TrackBack(0)

November 01, 2009

無責任教育講座 その2


エヘン。

お待たせいたしました。


今日もまた、

「無責任の持つ効用」について、

私なりに、いろいろお話したいと思います。


  (パチパチパチ)

  (よっ、待ってました!)


……。



え〜、前回は、

「“無責任“を上手に使うことによって、
 困難や苦境から脱することができる」

というテーマで、
植木等さんのヒット曲を例にあげ、
お話しましたね。


♪わかっちゃいるけど やめられない♪

♪とかくこの世は無責任♪

♪そのうちなんとかなるだろう♪


素晴らしいですねえ。

(いや、ホント、無責任極まりない…。)



でも…、

こうした、

なんとも“無責任”な唄の持つ“極意”を、
悟(さと)ることができれば、

人は、
絶対前向きに頑張っていけると、
私は今もなお、
確信しております。


間違いなく、
鬱(うつ)病なんかは、
退治できるのではないかと、
思っております。


とかくこの世は、

無責任なんですから。


♡♡♡



さて、

“無責任”には、

もう一つの効用、利点があります。


それは…、

「思わぬクリエイティブな発想が生まれる。」

ということ。


……。



え〜、前回、

みなさんから頂戴した、
たくさんのコメントの中に、

「無責任とは、
 “柔軟”あるいは“臨機応変”
 に近いのでは…。」

というご意見がありました。


これもあるとは思いますが、

私はさらに踏み込んで、

「“無責任”とは、

 無邪気な“遊び心”である。」

と言ってみたいですねえ。



私は常々、

「芸術には“遊び心”が不可欠ではないか」

と、思っております。


一例をあげましょう。


ユニークな作品やピアノ・スタイルで有名な、
セロニアス・モンクのDVDの中に、
こんなシーンがありました。

それは、モンク氏の新曲の、
レコーディング・シーン。


汚い、書きなぐりの譜面を見た、
トランペット奏者が、
モンク氏のところに質問に行きます。

「あの〜、モンクさん。
 この音は、B♭でしょうか?
 それとも、Bでしょうか?」


するとモンク氏。

ぶっきらぼうに、こう答えます。

「どっちでもいい。」



私は、ブラウン管の前で、

大笑いしました。


「アハハハ、無責任だな〜。」



でもね…、

この“無責任”さが、

モンク氏特有の、
強烈な“遊び心”であり、

今だに世界中で愛される、
モンク・ミュージックの原点なのです。


おそらく…、

この曲を初めて聴いた、
“責任感の強い”音楽評論家は、
眉をひそめて、
こう言ったでしょうね。

「これは、理論からかけ離れた、
 デタラメに近い無意味な音だ。
 これ一つをとっても、
 彼が、原始的な、無教養の、
 とるに足らない音楽家であることが解る。
 ビル・エヴァンスの爪の垢(あか)でも、
 煎じて飲むべきだ。」


しかし…、

大衆が熱狂的に支持し始めると、
彼は、途端に手のひらを返して、
こう言うはずです。

「これこそ、
 大都会の喧噪と矛盾、
 あるいは人の世の不条理を、
 見事に表現した音である。
 この音一つをとっても、
 モンクの天才は疑いようがない。」

とね。


しかし当のモンク氏は、

やはり、こう言うでしょうね。


「どっちでもいい。」


アハハハ。


(と、ここで水を飲む)




もうひとつ音楽のお話。


ベートーヴェンの『交響曲第3番“英雄”』

その第一楽章には、
驚くべきサウンドが2カ所、
含まれています。


中学生のとき、

それまで「音楽」の授業で、
バッハやモーツァルトの、
美しい古典音楽ばかりを聞かされ、

ツェルニーのピアノ練習曲や、
ハイドンのピアノ・ソナタを練習していた私は、

この、『英雄交響曲 第一楽章』の、
とある部分に、
打ちのめされました。


それは、276小節目。

強烈な、
「ピャー、ピャー、ピャー〜♪」
という不協和音の全体合奏から、

弦楽器だけが、
「ジャッ、ジャッ、ジャッ〜♪」
と、これまた、
今まで聞いたことのない、
不協和音のサウンドに繋がっていくあたり。


これ、今のジャズ理論だったら、

「Fmaj7/A」ー「B7(♭9)」ー「B7」

と、簡単に説明できますが、
(トップをFとEでぶつけてるところは凄いが…)


あの時代(200年前)では、

聴衆の度胆(どぎも)をぬく
「悪魔の奏でるハーモニー」
のようなもの、
だったに違いありません。


さらに、

147小節目と550小節目には、
ジャズ理論でもなかなか表現できない、
3連打の強烈なハーモニーによる、
全体合奏があります。


強いて言うと、

「Adim(addB♭)」(147小節)

あるいは、
「A♭dim(addE♭)」(550小節)

というコード・ネームに
なるのでしょうか…。

(専門的ですみません)



これ、

ベートーヴェン以前の作曲家はもとより、

彼のそれまでの作品の中にも、
ここまでの強烈な不協和音は、
ありません。

ある種の革命的な、
発想ではなかったでしょうか。


ま、今のジャズ音楽に慣れ親しんだ私たちには、
スリリングで心地よい、
ハーモニーなんですがね。



でも、1804年の初演当時。

この曲のスコアを見た、
ベートーヴェンの先生や仲間は、
こう言ったと思います。

「ベートーヴェン君、
 このサウンドは危険だ。
 悪い事は言わない。
 もっと美しいハーモニーに書き直すべきだ。
 素晴らしい曲なのに、
 なんで、こんな冒険をするんだね?」


それに対して、
偉大な、敬愛なるベートーヴェンは、
こう思ったに違いありません。

「だって、やりたかったんだも〜ん。」


……。



そうなんです!


評論家がなんと言おうと、

理論から逸脱した音であろうと、


作る方からしたら、

「どっちでもいい」

ことであり、


「やりたかったんだも〜ん」

のひと言で、

こと足りるのです。



この“無責任さ”こそ、

偉大な“遊び心”であり、

クリエイティブな創作には、

必要不可欠なことではなかろうか…。


と、私は思うのです。


エヘン。
 

(と、ここで水を飲む)




え〜、私は、

音楽はともかく、

美術に関しては、かなりの音痴であります。



お恥ずかしい話ですが、

ピカソの『ゲルニカ』を、
初めて見たとき、
私はこう思ったのです。

「これ、子供のイタズラ書きかな…?」


ダリや岡本太郎先生の作品も、

最初は笑ってしまいました。

(失礼)



しかし…、

何度も見ているうちに、

私はその中から、
なんとも言えない、
“遊び心”を感じてしまいました。


私に言わせれば、

それらは、
やりたい放題、自由奔放の、
極めて“無責任”な抽象絵画であり、

“遊び心”満載の、
「人がなんと言おうと知るか」式の、
極めて“無責任”な彫刻ではないか、

と…。


だから、偉大なんだとも…。



ですから私は、

これから子供に美術を教える先生方に、

ぜひお願いしたいことがあります。


ピカソの『ゲルニカ』を、
子供たちに見せるとき、

「みんな、この絵を書いたピカソという人は、
 20世紀を代表する、
 偉大な天才画家なんですよ。
 よーく見てごらんなさい。
 この構図。このバランス感覚。
 そして、宇宙的な視点から見た物象表現。
 素晴らしいでしょ。
 これぞ天才にしか描けない作品なんですよ。」

などとは、
指導しないでいただきたいのです。

それが真実でも…。


そうすれば子供たちの中に、

「そうかあ…。
 そう言われてみれば、
 確かに天才だなあ…。
 とても僕(私)たち凡人には、
 描(か)けないよなあ…。」

といった、
あきらめの気持ちが生まれてしまいます。



でも、こう言ってみたらどうでしょう。

「みんな、この絵をどう思う?
 あら、このお馬ちゃんはなあに?
 アハハハ、変なお顔だこと。
 おや、この獣(けもの)は何かしら?
 へたっぴすぎて、なんだかわからないわ。
 それに、この不細工な人の顔はどうよ?

 これが、偉大な芸術って言われてるんですよ。
 オホホホ。

 ねえ、こんな絵だったら、
 みんなにも描けるんじゃない?
 ありのままに描くんじゃなくて、
 心の命ずるままに描けばいいのよ。
 無責任に、遊び心をもって、
 描きたいように描けばいいのよ。」


こんなふうに、

“無責任に”指導してみては、

いかがでしょう。


そうすれば、

子供たちの中から、

次々と偉大な画家やクリエイターが生まれ、


日本にも、

芸術の華が咲き乱れるのではないか、

と、私は思うのですが…。


……。



おや、もう時間だ…。



(つづく)




金曜日(10/30)の「A'TRAIN」も、

盛り上がりましたねえ。


みなさん、

ありがとうございました。

また、来月もね…。



さあ、明日から、

またまた大忙し。

ジャミン漬けの毎日。

がんばりますよー。



ということで、

今回は「オチ」なしのエンディング。


たまには…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 23:02|この記事のURLComments(19)TrackBack(0)

October 26, 2009

無責任教育講座


エヘン。

きょうは、ちょっと真面目な(?)お話です。


題して、


『無責任教育講座』


(パチパチパチ)




え〜、みなさん。


約3ヶ月にもおよぶ、

『夏の6週間』というシリーズを、
ご愛読いただきまして、

まことに、
ありがとうございます。



え〜、私が、

この『夏の6週間』という、
長い長いシリーズを通して、

みなさんにお伝えしたかったことは、


“無責任”とは、
なんと楽しいものであるか。

“無責任”とは、
いかに人生に、
潤(うるおい)いをもたらせてくれるか。

ということでした。


(え〜っ、そうなの…?)



そのために、

O音楽事務所の、
O社長を主役に担(かつ)ぎだして、

長々と、あんな話を、
書いたのですが、

(ん? どこかで、
 くしゃみが聞こえるぞ…?)


きょうは、

さらにそれを掘り下げて、


「“無責任”を上手に使うことによって、
 苦境や困難から脱することができる。

 あるいは、
 思わぬ発想が生まれることがある。」


そんなことをテーマに、

お話してみたいと思います。



ただし、誤解しないで下さい。


ここで言う“無責任”とは、

 「責任をとらない」

 「責任を人に押しつける」

ということではありませんから。


ひと言でいえば、

「無責任の心」

ですね。


「無責任な行動」

をするのではなく、


「無責任の心」

を、どう持つか、

どう上手に使うか、

ということです。


したがって、

私の言う“無責任”には、

以下のような鉄則があるのです。


(1)人を傷つけない
(2)人に迷惑を与えない
(3)人に損害を与えない



これさえ守れれば、

“無責任”は、

大いに、みなさんの、

武器となり得るということです。


エヘン。

(と、ここで水を飲む)



え〜と、

一例をあげましょう。


何度もお話しているように、

私は植木等さんを、

心の師と仰いでおります。



私が少年だった1960年代に、

日本中に大旋風を巻き起こした、

『ハナ肇とクレージー・キャッツ』


そのリード・ヴォーカルであるところの、
植木等さんが、
声高らかに唄った、
数々のヒット曲は、

今もなお私の、
“バイブル”といっても、

過言ではありません。



過去ログにもありますが、

ここでもう一度、
おさらいをしてみましょう。


代表曲は、
こんな唄でしたね。


 ♪スーダラ節♪

  ちょいと一杯のつもりで飲んで
  いつの間にやらハシゴ酒
  気がつきゃホームのベンチでゴロ寝
  これじゃ体にいいわきゃないよ
  わかっちゃいるけど やめられない

♪♪♪


  
この、

「わかっちゃいるけど やめられない」

というフレーズ。


すごいですねえ!


そのときにも書きましたが、

これぞまさに、
人間の「煩悩」を見事に言い表している、
不滅の人生訓であって、

言い換えれば、


これが、

「人間」なんですね。



そして、

いい方に解釈すれば、


この、“開き直り”ともとれる、
フレーズこそが、

いい意味での、
“無責任”を、
ズバリ言い表わしていると、

私は思うのです。


いい意味でね。



つまり、

「人間とは、
 本来“無責任“な生き物なのだ。

 こう悟りきってしまえ。

 すると、
 苦境から脱することが、
 できるかもしれないぞ。

 あるいは、
 思わぬ成功が、
 待っているかもしれないぞ。」


私には、そう聞こえるのです。


ちょっと飛躍し過ぎですか…?



もう一曲、いきましょう。


 ♪無責任一代男♪

  人生で大事なことは
  タイミングに C調に 無責任
  とかくこの世は無責任
  コツコツやる奴ぁ ごくろうさん

♪♪♪

  

「こらっ、
 真面目に働いてる人にむかって、
 コツコツやるやつぁ ごくろうさん
 とは、何事だ!」

と、お叱りを受けそうですが、

ちょっと待って下さい。


私には、こう聞こえるのです。


「真面目にコツコツ働いたって、
 どうせそれは会社や組織のため。

 いらなくなったら、
 ポイっと捨てられちゃうのよ。

 とかくこの世は無責任なのよ。

 だから、そうならないために、
 こっちも“無責任の心”を身につけて、
 うまく立ち回るのよー。

 しっかり自分を育てるのよー。」


とね。



はい、もう一曲。


 ♪だまって俺について来い♪

  ぜにのない奴ぁ 俺んとこへ来い!
  俺もないけど 心配するな
  見ろよ青い空 白い雲
  そのうちなんとかなるだろう 

♪♪♪



まさか、

こんなノー天気な、
無責任な奴についていく人が、
そういるとは思えませんが、

でも、
どうしようもないほどの困難な状況に、
陥(おちい)ったとき、

周りにこんな男がいたら、
救われますよねえ。


そうなんです!


“無責任”は、

ときに人を、

ときに自分を、

救うことがあるんです。


♡♡♡



何度挑戦しても、失敗ばかり。

自分ではいいと思っていても、
なかなかうまくいかない。

夢をあきらめようかな、
と絶望に近い気持ちが生まれる…。


そんな人には、

♪わかっちゃいるけど やめられない♪

をおすすめします。


カント(だったかな?)も言ってますね。

「愚行を固執すれば、
 賢者となるを得ん」


……。



真面目に会社務めをしてきたのに、
突然リストラされてしまう。
真っ暗になってしまう…。


そんな人には、

 ♪とかくこの世は無責任
  コツコツやる奴ぁ ごくろうさん♪

あるいは、

 ♪そのうちなんとかなるだろう♪


と、明るく、
歌いとばしていただきたいもんです。


とかくこの世は、

無責任なんですから。


肩の力がスーっと抜けますよ。


楽天の野村監督も言ってますね。

「世に絶望という言葉はない」


……。



とは言うものの、

私なんか、

まだまだ、道の途中。


O社長に比べれば、

まだまだヒヨコの未熟者です。


しかし…、

この「無責任道」をひた走ろう
という精神だけは、

今だに衰えていません。

ええ、いませんとも。



ところで…、


この“無責任”の、

もうひとつの利点はというと…、

……、



おっと、もう時間だ。


このつづきは、

また次回に。


(おい、いいところでやめんなよー。

 無責任だなあ…。)



(つづく)




さて、

ジャミン・ゼブ。


怒濤の5連発ライブも、

おかげさまで、

なんとか乗り切ることができました。


あらためまして、

暖かい声援や激励をいただいた、
ファンのみなさんや、
スタッフの方々に、

この場をお借りして、

厚く御礼申し上げます。


本当に「色々」ありましたが、

この「色々」は、
必ずや彼らの、
貴重な財産になることでしょう。



さあ、

これから年末にかけては、
さらに怒濤のスケジュールが、
待ち構えています。


でも、きっと、どれも、

楽しいものになるはず。


またご一緒に、

盛り上がりましょう♪



ということで、

本日の最後は、

私の高校の先輩、
今は亡き、
「小森のおばちゃま」の名(?)セリフで、

締めくくりたいと思います。


「このつぎは、

 モア・ベターよ。」


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 01:25|この記事のURLComments(22)TrackBack(0)

October 18, 2009

夏の6週間 フィナーレ


1991年8月10日

レコーディング最終日。


この日も、

カリフォルニアの太陽が燦々と降り注ぐ、
リッツ・カールトン・ホテルの、
豪華なダイニング・ルームで、
優雅な朝食をいただいた私たちは、

そのままスタジオに移動して、

最後の3曲の唄入れを完了。


♪♪♪



こうして、

この伊東ゆかりさんの、
ロス・レコーディングは、

予定していたタイム・スケジュールを、
見事なまでにクリア。

なんのトラブルもなく、
無事に終えることができました。


しかもそれは、

私の予想をはるかに超える、
美しい仕上がり。


(完璧だ…。)



そのアルバムは、

『LOVE AFFAIR』

というタイトルのもと、

この年の冬に発売になりました。


Love Affair



さて…、


最後の唄入れを終えた私は、

「やれやれ」
といった安堵の気分で、
スタジオの裏の倉庫に行き、

待望のタバコを一服。


プカ〜〜〜〜ッ。

(うま〜〜〜〜〜い!!)



やはりスモーカーで、

日頃、タバコ嫌いのゆかりさんのために、
不自由な思いをしている、
マネージャーのY田くんも一緒に、

プホ〜〜〜〜ッ。

………。



と、そこへ…、


なんと、

ゆかりさんが入って来た。


(???)



煙がもうもうと立ちこめる、
雑然とした、うす汚い倉庫、
というか物置に、

あの、


ゆかりさんが…。

……。



私たちは、

慌ててタバコの火を消そうとする。


すると、ゆかりさん、

悠然と左手を振って、

「いいのよ、そのまま吸ってて。」

ときた。


(ん? なんだか今日は変だぞ…?)



そして…、

私のナナメ右の席に座ると、

ニコッと私に微笑みかけ、
静かな口調で、

「終わったわね…。」
と、ポツリ。


その穏(おだ)やかな表情には、

やはり同じように、

ひと仕事終えた満足感が、
漂っていました。


(よかった、よかった。)


♡♡♡



ところがです。


そのあと…、

彼女が発したひと言に、

私は仰天しました!!


いやあ、

私の人生のなかでも、

これほどビックリしたことは、

そんなには、ありませんね。


彼女は、こう言ったのです。


ゆ「宮住さん。  
  タバコ1本ちょうだい?」


 (え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!)



マネージャーのY田くんも、
あまりの驚きに、
椅子から飛び上がる。


ところが、ゆかりさん、平然と、


ゆ「あら、どうしたの?
  そんなに驚いて。

  こう見えてもあたし、
  昔は、一日一箱くらい吸ってたのよ。
  自分で買ってね。

  さ、早く、モタモタしてないで、
  1本ちょうだい!」


  「……。」



私は、

驚きを隠せぬまま、
言われたとおりにタバコを1本差し出し、
ライターで火をつけてあげました。


すると、ゆかりさん…、

熟練のスモーカーよろしく、
人差し指と中指で器用にタバコを挟むと、

深々と吸い込んで、

「ふ〜〜っ」
と、白い煙を吐き出した。


そしてひと言、

「美味(おい)しい…。」


……。



その姿が、

実にサマになっているんですね。


(カッコいいなあ…。)



さあ、狂喜したのは、
Y田くんです。

大急ぎでスタジオから、
ビデオ・カメラを取って来ると、
その、ゆかりさんがタバコを吸う姿を、
必死に撮(と)りまくる。

「日本に帰って、
 事務所のみんなを驚かせるんだー。」



しかし、当のゆかりさんは、

そんなことおかまいなしに、

悠然と吸い続けている。



そんなゆかりさんに、

私はこう聞きました。


み「でも、ゆかりさん。
  タバコの煙や臭い、
  大嫌いなんでしょ?」



すると、ゆかりさん、


ゆ「そうねえ、
  人の吸う煙や臭いは、
  イヤね。

  でも、たまに、
  人からもらって吸うタバコって、
  美味しいのよねえ。
  ウフフ。」

ときた。



(おや? あなたも、
 「無責任党」の仲間入りですか?)


と、言いたい気分の私でしたが、

よくよく考えてみると、

これは納得ですね。



なぜならば…、

その昔、

私が小学生の時、
夢中になって観ていた、
超人気バラエティーTV番組、

『シャボン玉ホリデイ』

のなかで、


私が心の師と仰ぐ植木等さんや、
クレージー・キャッツの面々と、

毎週のように、
“無責任な”コントを演じていたのは、

他ならぬ、この、

「伊東ゆかり」さん、

だったからです。



そして…、

彼女は…、

さらに驚くべきことを、

さらりと言ってのけた。


ああ、忘れもしません、

あのひと言…。


これぞ、

まさに、


“笑撃の(?)クライマックス”



ゆ「ところで、
  宮住さんも物好きねえ。
  あんな曲が好きだなんて…。」

み「ん…? なんの話?」



ゆ「『夏の6週間』よ。
  好きなんでしょ?」

み「だからあ、なんの話をしてんのよ…?」



ゆ「あら、O社長、言ってたわよ。

  “宮住くんが、
  「『夏の6週間』を、どうしてもやりたい。
   絶対このアルバムに入れるべきだ。
   社長、なんとかゆかりさんを、
   説得してくれませんかねえ。」
  て、言うんだよ。
  ゆかり、なんとか彼のために、
  あの曲やってあげてくれないかなあ。”

  てね。


  まあ、別に嫌いな曲じゃないから、
  「いいわよ。」
  って、言ったんだけど、

  でも、宮住さんが、
  あんな曲を好きだなんて、
  ちょっと意外だったわ…。」



  (そ、そういうことだったのか…。)



……。


…………。。




いやあ、O社長。

あなたは偉大です。


あなたの無責任に比べたら、

私なんぞ、

まだまだヒヨコの未熟者です。


いい勉強になりました。



あはは…、


アハハハハ…、


あはははははは…、



( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \




(『夏の6週間』 おわり)





いやあ、

本当に長いシリーズでしたね。


でも、

この、最後の、
“強烈なオチ”を、
より、リアルに感じていただくためには、

O社長やゆかりさんの人物像を、
事細かに書いておく必要があったのです。


そのため、
出会いまでさかのぼった。

とまあ、
こういう訳でした。


ちなみに私はこの時、

事の真相を、
ゆかりさんには知らせず、

O社長の仕組んだ可愛い(?)罠を、
黙って享受することにしました。


なぜか?

そのほうが、
お洒落(しゃれ)だからです。



ま、なにはともあれ、

お疲れさまでした。

……。



さ、今週はライブ・ウィーク。

とくに、
10/19ー21『STB139』は、
最高の盛り上がりになるといいなあ…。

なんといっても、
ジャミン・ゼブの、
2才の誕生日記念ですからね。


なんとか初日にこぎつけた、

演出家の心境。



どきどき…。


ドキドキドキ……。


……………。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 01:28|この記事のURLComments(24)TrackBack(0)

October 10, 2009

夏の6週間 その10


いやあ、今週は慌(あわ)ただしかった。

いろんなことがありました。


さらには、

パニック寸前の仕事量…。



「誰だ、俺をこんなに働かせるヤツは!」

と、言いたいところですが、

その仕掛人は、

私自身なのだから、


こればっかりは、仕方ありませんね。


アハハハ。

(自虐的笑い)



でもね、

忙しいということは、
いいこと。

それだけジャミン・ゼブ号のスピードが、
加速してるってことですから。



ああ、それにしても…、

思い出すのは、


あの、


優雅な、


ロス・アンジェルスの日々…。


……。




『夏の6週間 その10』


「じゃあ、みんなで食事に行こうじゃないか。
 ゆかり、何が食べたい?
 何でもいいぞ。
 和食でも何でもいいぞ。

 宮住くんも、
 好きなもの言ってくれよ。
 和食でも何でもいいからな。

 みんなも、遠慮しないで、
 何でも好きなもの言ってくれよ。

 和食でも何でもいいから。

 和食でも、何でも。」


……。



やっぱり来ましたね、

O社長。


私たちの、イヤ〜な予感は、
見事に的中しました。

これじゃあ、

「和食って言え。」
と、誘導してるようなもんです。



で、ここで、ゆかりさんが、

私たちの気持ちを代弁して、

ピシッと釘をさす。


ゆ「ええ〜〜っ? 和食〜〜??
  社長、ここはロスよ。 

  どうせだったら、
  和食じゃないほうがいいなあ、
  あたし。」


(いいぞ、いいぞ。)



ところが、O社長。

まったく動じる気配もなく、
こう言う。


O「おお、そうか。
  じゃ、和食がダメなら、

  しゃぶしゃぶでも寿司でも、
  何でもいいぞ、俺は。」
 


さあ今度は、私が助け舟。

み「あの〜、社長、
  お言葉ですが…、

  しゃぶしゃぶも寿司も、
  ジャンル的には、
  和食だと思うんですが…。」



しかし、O社長は、
ひるまない。

O「おお、そうか。

  じゃ、しゃぶしゃぶや寿司がダメなら、
  てんぷらはどうだ。
  スキヤキでもいいぞ、俺は。
  鍋でもいいぞ、俺は。

  みんなも、
  何でも好きなもの言ってくれよ。
  ガハハハ。」


……。



もうダメですね。

この人には勝てません。


私たちは、一様に、

あきらめムード。


しかたなく、
ゆかりさんが代表して、


ゆ「もう、何でもよくなっちゃった。

  じゃいい。

  社長におまかせするわ。」



すると、O社長、
ますます上機嫌で、


O「おお、そうか。

  じゃ、みんなが、
  そんなに言うんだったら、

  和食にしよう!」


(言ってないから)




こうして、

私たちが案内されたのは、

「リトル・トーキョー」という地区にある、

とある日本料理屋。



暖簾(のれん)をくぐるやいなや、
O社長。

持ち前の、ドスの効(き)いた大声で、


「女将(おかみ)ーっ。
 約束どおり、
 ゆかりを連れてきたぞー。」

「あら、嬉し〜〜い!」


(なんだ、決めてたんじゃないか…。)



さて、そこは、

わりと大きめなお店で、
あちこちのテーブルにいるのは、

みな、

当たり前だけど、

日本人…。


(あ〜あ、これじゃまるで、
 六本木の居酒屋だ…。)



さっきまでの、
夢のような世界から、

とたんに現実に、
引き戻されたような気分です。


だからイヤだったんです。

和食は。


でも、仕方ありませんね。

この素晴らしい企画の発案者は、
他ならぬ、このO社長ですからね。


ま、一晩くらいは、

おつきあいしましょう。


♡♡♡



さて、ビールがやって来て、

「とりあえず、かんぱ〜い!」


そして、料理が、

次々と運ばれてくる。


もう、この頃になると、
みんなも、
久しぶりの日本の雰囲気を、
満喫しているるようです。


ゆかりさんも、

「あ、これ美味しい。
 すみませ〜ん、
 これ、もうひとつくださ〜い。」


てな具合で、

ニコニコしながら、
いろんな料理に箸をのばしたり、
壁に貼られている“お品書き”を見たり、
会話を楽しんだり。



と、そんなとき、

私の前に座っているO社長が、

そっと私に、耳打ちをした。


「宮住くん、
 『夏の6週間』を、
 聴かせてくれないか。」


そう来るだろうと思い、
私は、用意していたウォークマンを、

社長に渡しました。


社長、
腕を組み、
目を閉じて、

ヘッドフォンから流れて来る、
今日の午後、唄入れを終えたばかりの、

『夏の6週間』に、

じっと耳を傾ける。


♪♪♪



すると…、


社長の目から、


大粒の涙が、


ポロリ、


ポロリ。



そのうち、


鼻まですすりだす…。


…。




いやあ、

本当に、感動してるんですね。


あの豪快な、
とてつもなく大男のO社長が、

人目をはばからず、
感動のあまり、

泣いている…。


それは、ちょっぴり、

異様な光景。



でも…、


「前田憲男さんの素晴らしいアレンジ♪」

「アメリカの一流ミュージシャンの、
 優雅で美しい演奏♪」

「ゆかりさんの、見事な熱唱♪」



そんな、

『夏の6週間』


O社長が、

あれほどまでに、こだわった、

『夏の6週間』



O社長は、

これを、

こんな演奏の『夏の6週間』を、

待っていたんですね。


(よかった、よかった)




ところが…、

その隣で、


そんなことになっている
O社長には目もくれず、

まったくの無視で、


ひたすら、
次から次にやってくる料理に、
舌鼓をうち、

楽しそうに、
スタッフと談笑している、
ゆかりさん。


そんな、二人の、

あまりに対照的な姿が、

滑稽(こっけい)でもあり、

微笑ましくもあり…。



でも、なんか、

ほんわかするような、

素敵な光景でした。



そして、

少女のように、

無邪気に、はしゃぎながら、
食事や会話を、
楽しんでいるゆかりさんを見ながら、


私は心の中で、


そっと、


こう、囁(ささやい)たのです。



「ゆかりさん。

 いいこと、

 してあげましたね。」




(つづく)





ちなみに、

私がO社長におつきあいしたのは、

この一晩だけ。



あとの二日間は、

ロスに住んでいる、
ミュージシャンのシム・インガーを呼び出し、

(過去ログ「シム・インガーとロックン・ロール」
 参照。)

今流行りのレストランを案内させたり、
人気のクラブをハシゴしたり。


夜遅くまで、
「ジス・イズ・アメ〜リカ」
を満喫したのでした。

散財はしましたが、
せっかくの機会ですからね。


夢の世界は、

少しでも長く、

楽しまなくちゃ。


アハハハ。


(その後も、O社長におつきあいした、
 ゆかりさんには、
 本当にお気の毒ですが…。)



さて、

そんな、ロス・レコーディングも、

いよいよ最終日を迎えます。


そして、

この長い長いお話も、

いよいよフィナーレ♪♪



というわけで、


次回は、


衝撃の(???)最終回です。



お見逃しなく…。


……。




(さ、仕事に戻ろう)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 13:54|この記事のURLComments(20)TrackBack(0)

October 03, 2009

夏の6週間 その9


10月に入って、

めっきり涼しくなってきましたね。


なんとなく寂寥感ただよう、
この季節は、
本来、あまり好きではないのですが、

今年はちょっと違います。


10/19-21の、「STB139」ライブにむけて、
ジャミン・ゼブ共々、
燃えに燃えております。


聞くところによると、

残されたチケットは、
19、20日合わせて、
あと10数枚とか。

(あ、まだの方、お急ぎください。)


そして、ようやく最終選曲リストも、

決まりました!


これでもか、これでもかといった、
盛りだくさんの内容です。

期待していて下さい。


♪♪♪



では、きょうも、

しばし現実を離れて、


あの、

眩(まぶ)しい、

カリフォルニアの青空のもとへ、


想いを馳(は)せることにしましょう。




『夏の6週間 その9』


1991年8月8日。

ロス・アンジェルス。


いよいよ、今日から、
ゆかりさんの唄入れです。

私たちは、
ホテル1Fにある、
大きなダイニング・ルームで朝食。


ガラス張りの、
この、ゴージャスなダイニング・ルームからは、
美しいヨット・ハーバーと太平洋が一望でき、

小さな階段を降りると、
プールやジャグージーにも、
行けるようになっている。


行ったことはありませんが、

ニースやリヴィエラの高級リゾート・ホテルも、

こんな感じなんでしょうかねえ。

……。



そんな、

カリフォルニアの太陽が、
燦々(さんさん)と降り注ぐ、
ゴージャスなレストランで、

“華麗な”朝食をいただいた私たちは、

「いざ、出陣。」
とばかり、
スタジオに向かいます。


余談ですが、

スタジオの関係者には、
ゆかりさんの“タバコ嫌い”は、
すでに伝えてありましたので、

ここでも、
スタジオの灰皿はすべて撤去してありました。


そして、喫煙者のためには、
スタジオの奥にある、
倉庫(物置)の中に、

小さなテーブルと椅子を二つ、
用意してくれました。


やはり喫煙者である、
エンジニア氏も、アシスタント君も、
快(こころよ)く協力。

みんな大人ですねえ。



まあ、今や、

どこへ行ってもタバコなど吸うことのできない、
この“禁煙ブーム”の火付け役とも言うべき、

「ロス・アンジェルス」ですが、

この当時は、日本とおなじように、
パカパカ、モクモク、プホ〜、
だったんですね。


昔日の感があります…。


さあ、そんな中、

バッキング・トラックが流れ始める。

いよいよ、唄入れが始まる。


♪♪♪



といってもね、

あっという間に終わっちゃうんです。

ゆかりさんの場合。

抜群の歌唱力ですからね。


一曲につき、3回も唄えば、

もうおしまい。

もう、完璧。


(ちなみに、今回、
 彼女が一番乗り気ではなかった、
 最後の最後にすべりこんだ、
 『夏の6週間』は、
 この初日に、
 さっさと、やってしまいました。)



というわけで、

この日も、

3、4曲を唄い終えて時計を見たら、
まだ、午後の3時。


これじゃあ、夕食までは、
時間がありすぎますわねえ〜、

ということで、
私たちはホテルに戻って、

今度はテニス。


私、テニスの経験は、
そんなにはありませんが、
ま、簡単なラリーくらいは出来るので、

その程度で勘弁してもらって、
ゆかりさまのお相手。

パコーン、パコーん、パコーン、パコーん。

(この、平仮名の“ん”のほうが、私…。)



一時間ばかり、
テニスに興じたあとは、
今度は、大きなスイミング・プールに、
ドボ〜ン。

そして、日光浴。


気をきかせたホテル・マンが、
「ジン・トニック」かなんかを、
運んでくれる。


「Thank You!」

「You're Welcome, Sir!」


(Sirですってよ、Sir…。)


時計を見ると、

まだ夕方の4時半。


この時期の、
カリフォルニアの日没は、
夜の9時くらいですからね。

日本でいえば、
まだ、真昼です。

(くう〜、こりゃ天国だぜ…。)


☀☀☀



「こらっ!
 
 これじゃあ、
 仕事に来てるんだか、
 遊びに来てるんだか、
 
 わからないじゃないかー!!」


と、お叱りを受けそうですが、

ま、こんなことは、

そうそう、あるもんじゃありませんからね。


かたい話は、抜きでいきましょう。

かたい話はね。

アハハ。

(植木等さん流に…。)




さて、そうこうするうちに、

いいぐあいに、
お腹も減ってきたので、

部屋へ戻ってシャワーをし、
支度をして、

ロビーに集合。



と、そこに、

いた…。


到着していた…。

あの男が…。


じゃなかった、あのお方が。



いつものように、

満面の笑みで、
私たちのところに近寄って来た、
O社長。

開口一番、


「やあ、みんな元気そうだなあ。
 どう、ゆかり、調子は?
 どう、宮住くん、順調にいってる?
 そうか、そりゃ良かった。
 ガハハハ。」


そして、意気揚々と、


「じゃあ、みんなで食事に行こうじゃないか。
 ゆかり、何が食べたい?
 何でもいいぞ。
 和食でも何でもいいぞ。

 宮住くんも、
 好きなもの言ってくれよ。
 和食でも何でもいいからな。

 みんなも、遠慮しないで、
 何でも好きなもの言ってくれよ。

 和食でも何でもいいから。
 
 和食でも、何でも。」


 (やっぱり来たな…。)




(つづく)




ところで、

ベーシスト岸くんのブログが、
にぎわってますねえ。

http://yaplog.jp/bass-hitori/archive/427#ct



「彼、エライなあ」
と、感心してしまいました。

みなさんのコメントに、
丁寧にお返事をかくマメさもさることながら、

その内容がしっかりしてるんですよね。


若いのに大したもんだ…。



それに比べると、私なんて…、

行き当たりばったりの、

出たとこ勝負ですからね。


「人生これ、インプロヴィゼーション(即興)」

な〜んて、うそぶきながらね。

アハハハ。



でも、まあ、


それはそれで、いいか。


……。



SHUN MIYAZUMI


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September 27, 2009

夏の6週間 その8


1991年8月3日。

ロス・アンジェルスに到着した私を、
待っていたのは、

それはそれは、
ゴージャスなホテル!


その名も、

『リッツ・カールトン
    /マリーナ・デル・レイ』



ロスで、5ツ星ホテルというと、

『ビヴァリー・ヒルズ・ホテル』
 (イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」
  のモデルになったところ)

『ビヴァリー・ウィルシャー・ホテル』
 (映画「プリティー・ウーマン」
  の舞台になったホテル)


そして、市の中心部、
パサディナにある、
 
『リッツ・カールトン』

あたりが有名なのですが、


その『リッツ・カールトン・ホテル』の、
2番目のホテルとして、

海沿いのヨット・ハーバー
「マリーナ・デル・レイ」に、

つい最近、出来たんだそうです。



とりあえず、
部屋に荷物を置きに行くと、

そこは、広々とした、
贅沢(ぜいたく)なツインの一人使用。


そして、バスルームだけで、
ちょっとしたビジネス・ホテルの、
一部屋分くらいある。

床はもちろん大理石。

(うわあ、ゴージャスだなあ…。)



ベランダに出てみると、

右手には、
太平洋の碧碧とした海が広がり、
おびただしい数のヨットやクルーザーが、
停泊している。

そして真下には、
大きなスイミング・プールに、
ジャグージー。

その向こうには、
何面かのテニス・コートまである。


私にとって、
ロスでのレコーディングは、
これが6回目になるのですが、

こんな豪華なホテルに、
泊めてもらったことは、
一度もありません。


(こりゃ、予算は大丈夫なんだろうか…?)


今回、
ツアー・コーディネーターを頼んだのは、

元カシオペアの事務所にいて、
海外レコーディングの経験が豊富な、
A井くん。


で、私は、ちょっぴり心配になり、

彼の部屋に電話をしてみました。


すると彼曰(いわ)く、

「いや、ちょっとしたコネがありましてね。
 一泊450ドルの部屋が、
 200ドルで借りられたんですよ。
 伊東さんクラスの方を、
 安っぽいホテルにはお泊めできませんからね。
 気に入っていただけましたか?」


私はひとこと、

「でかした!」



夜、ベランダに出て、
爽(さわ)やかな夜風を浴びながら、
美しい月明かりに照らされた、
白いヨットの群れや、

ホテルの照明に、
鮮やかに映し出された、
プールやジャグージーを眺めていると、

寝るのがもったいなくなるような、

そんな感じです。


(こりゃ、ゆかりさんも、
 満足してくれるだろう…。)


そんな、素晴らしい環境のなかで、

いよいよレコーディングの始まりです。


♡♡♡



翌8月4日と5日は、
リズム録(ど)り。

スタジオに行ってみると、
私の予想を上回る、
そうそうたる顔ぶれのミュージシャンが、
勢揃いです。


Grant Geissman:ギター
Larry Steelman:キーボード
Kenny Wild:ベース
Bernie Dresel:ドラムス


有名なフュージョン・バンド
「シー・ウインド(Sea Wind)」
のベーシスト、
ケニー・ワイルドを筆頭に、

いずれも名の知れた、
名手ばかり。


思った通りの素晴らしい演奏でしたね。


2日間で、
難なく10曲を録(と)り終えると、

翌日は待望の、

ストリングス(弦楽器)のダビング。


♪♪♪



それまでの、
私のロス・レコーディングといえば、

ほとんどが、“バンド物”。


渡辺香津美&リー・リトナー・バンド
(『ベナード・アイグナーの思い出』参照)

吉田美奈子&モータウンの強者(つわもの)達
(『犬猿の仲 その2』参照)

三好鉄生&ジェフ・バクスター・バンド
(『ジム・インガーとロックン・ロール』
       &
 『ジェフ・バクスターと牛丼』参照)


そして、

カシオペア。

etc.etc.



したがって、

本場アメリカの、
ストリングスのスタジオ・ミュージシャンが、
どんな演奏をしてくれるのか…。


これは今回、

私が最も期待かつ注目していたところです。

……。



いやあ、やっぱり素晴らしかった♪♪

なんで、こんなに違うんだろう…?


ま、この話をし始めると、

長くなるので、

今回はやめておきますが、


いずれにせよ、

指揮者のスージー片山さんの、
見事な棒さばきのもと、

優雅で、美しいことこの上ない、
ストリングスのサウンドが、

昨日までに録り終えた、
リズム・セクションに、
彩(いろど)りを添えて行く。

(スージーさんは、
 日系アメリカ人の女性チェリスト。
 あの、ジョン・ウィリアムスのもとで、
 スピルバーグの映画音楽にも、
 携わっているんだそうです。)



さらに、翌日は、

シンセサイザーや、
生(なま)のホーン・セクション、
女性コーラスなどで、
サウンドの足りないところを補充すると、

このアルバムのバッキング・トラックは、
たったの4日間で、

私の描いていたイメージを遥かに超える、

素晴らしく美しいものに、
仕上がったのです。

(満足、満足、大満足…。)



こうした、
素晴らしいミュージシャンを集めてくれたのは、

ロス在住の日本人和楽器奏者、
松居和(まつい・かず)さん。
(キーボード奏者、松居慶子さんの旦那さん。)


A井くんといい、
和さんといい、

本当にいい仕事をしてくれましたね。

感謝、感謝です。


ま、うまくいく時というのは、

得てして、こうしたもの。


♡♡♡



さて、

レコーディングは、
毎日、午前中から始めて、
夕方の6時には終了します。


レコーディングを終え、
ホテルにいったん戻った、
私とA井くんは、

ゆかりさんやマネージャーのY田くん、

それに、

今回ジャケット撮影のために同行していた、
スタイリストのS木さん、
ヘア&メイクのA本さんらと合流し、

食事に出かけます。



で…、

私は、

海外に出かけると、


和食はあまり好みません。


なぜか?

もったいないからです。



せっかく海外に来たのだから、

その土地で評判の、
あるいは人気のある、
いろんな物が食べてみたい。


日本に帰れば、
いつでも食べられる和食は、
なるべく避けて通りたい。

これは、

ゆかりさんも同じ意見でした。



さあ、ここでも、
A井くんは大活躍。

松居慶子さんのプロジェクトも手伝っている、
A井くんは、
最近のロス事情に詳しい、詳しい。


「今日は、あそこのイタリアンに行きましょう。」
とか、

「ここの、シーフードは、
 最近評判ですよ。」

てな具合で、

美味(おい)しそうなレストランを、
ちゃんと調べぬいてありました。


そして、それらはみな、

ズバズバ当たっていたのです。


というわけで、

ここでも私たちは毎晩、

美味しい料理に舌鼓をうちながら、

楽しいひとときを過ごすことができました。

(A井くん、またしても、でかした!)



ところが、


ところが…、


明日からは、

あの方が合流することになっている。


そう、

あの、

O社長が…。



不安なものがありませんか…?


「ぜったい、和食しか嫌(いや)だ。」

と言うような予感がしませんか…?



私たちはみな、

イヤ〜な予感を抱いていたのですが…、


その予感は、


やはり、


当たっていました…。


……。



(つづく)




最近の「ソフト・バンク」のCMで、

「スマップ」が携帯電話を耳に当てる仕草で、
踊りながら唄うというのがありますが、
ご存知ですか?


「木村拓哉って、
 やっぱりすごいタレントだなあ…。」

と、感心しながら、
いつも見ているのですが、

あの曲は、
『ロコモーション』という曲なんですね。


あのCMで使われているのは、

1960年代の終わりから、
70年代の初めにかけて大活躍した、
アメリカのハード・ロック・バンド、

「Grand Funk Railroad」
のバージョン。


アメリカで、60年代に、
最初に大ヒットしたのは、
「リトル・エヴァ」
という女の子が唄ったバージョン。


作曲は、あの、大巨匠、
「キャロル・キング」



で、日本でも大ヒットしたのですが…、


と、このときのロスで、私は、

とんだ記憶違いから、

とんでもないことを、

ゆかりさんに言ってしまいました。


 「ゆかりさん、
  『ロコモーション』て曲あったでしょ。
  ♪さあさあダンスのニューモード〜♪
   
  あれ、僕、好きだったなあ、
  子供のときね。
  弘田三枝子さんの…。」


すると、ゆかりさん、

軽蔑したような眼差(まなざ)しで、
バカにしたようなような表情で、
私を見つめながら、

 「失礼ねえ。
  あれ、あたしよ。
  ヒット賞もらったのよー。」


  (……。)



あははは。


口は災いのもと…。


……。



SHUN MIYAZUMI
  

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September 21, 2009

夏の6週間 その7


『夏の6週間』

いったい、どんな曲なのでしょう。


1960〜70年代に大活躍した、
アメリカの女性ポピュラー・シンガー、
「ヴィッキー・カー(Vikki Carr)」が、

泣きながら熱唱して、
話題を呼んだというバラード曲、

なんだそうです。



「ヴィッキー・カー」といえば、

日本では、
『It Must Be Him』という曲が有名で、
私が中学生のときには、
ラジオでよく聴きましたね。

ハスキーで、パンチのある、
歌唱力抜群の美人シンガーです。


そんな彼女の、
“実話にもとづく歌”とも言われているのが、
この、

『夏の6週間』
(原題:Six Weeks Every Summer)



離婚によって裁判所から、
一人娘の親権を奪われた、
ひとりの「女性シンガー」が、

「夏の6週間」と「クリスマス」だけは、
娘に会うことを許される。


そんな哀しい、
母親の心情を歌った曲なのですが、

中間部には、
こんなセリフまであります。


 「あの子と別れて、私はまた向き合うの
  …まぶしいライトと拍手に
  顔はほほえんでも 心は死んでるの
  夏とクリスマスのお休みまでは…
  耳を離れない あの子の呼び声ー
  “ママ ただいま!”
  夏の6週間とクリスマスだけの母親」


そして、歌はこう結びます。

  ♪あの子がこっそり 残していった
   手紙をみつけて 夢中で読むの
   “会えなくてもあたしは ママが大好き”
   幼い言葉が 涙でにじむ

   なんにもいらないわ 毎朝あの子が
   “おはよう ママ!”って
   笑ってくれたら♪

   (日本語詞:山川啓介)



この曲の存在を知ったO社長は、

ゆかりさんに、
この曲をステージで歌わせ、

人知れず、涙ながらに、
感動していたらしいのです。


 (私もなんどかステージで拝見しましたが、
  さすがに、
  ゆかりさんくらいの実力と経験がないと、
  表現できないだろうなあ、
  と思わせるような高いレベルの楽曲ですね。
  それは、熱唱というより、“熱演”…。)



そんな『夏の6週間』を愛してやまない、
O社長は、

今回のアルバムに、
この曲を、
どうしても入れるべきだ、

と強く主張。



まあね、

「一人娘を持つ女性シンガー」
という共通点だけで、

自分勝手に感動してしまうあたりが、

実は、一見豪快にして、
本当はロマンティストの、
O社長たるところなのですが、


でも…、


当のゆかりさんは、

クールなゆかりさんは、

そんな“情”に流されたりはしない。


ゆ「あら社長、
  あの曲はステージで映(は)える曲よ。
  今さらCDで聴く曲じゃないわね。
  はい、却下。」

と、いとも簡単に一蹴してしまった。

……。


しかし、O社長も食い下がる。

O「そうかなあ。
  あれ、お客さんにも評判いいんだよー。
  しかも、ゆかりの『夏の6週間』は、
  まだ一度もレコード化されてないじゃないか。
  今回が、いいチャンスだと思うけどなあ。」


でもゆかりさん、

まったく相手にしない。


ゆ「今回はポップスの曲で行くんでしょ。
  他の曲とのバランスも悪くなるし、
  これはダメね。」

と、一向に受けつけない。


仕方なくO社長、

O「そうかあ、ダメかあ…。」

と、あきらめて退場。


その後ろ姿は、

ちょっぴり寂しそうではありましたが…。

……。



ま、私にしてみれば、

どっちでもいい曲でしたがね。

やっても、やらなくても。


確かにO社長の言うとおり、

この曲を唄う、
ステージでの、
ゆかりさんのパフォーマンスは、

なるほど素晴らしいものではありますが、


他の曲とのバランスを見る限り、

「なんでこの曲がこのアルバムに…?」
という違和感がないとも言えない。


で、私は、この場合は、

ゆかりさんの意思を尊重しようと、

あえて自分の意見は言いませんでした。


♡♡♡



さて、

10曲が出揃いました。


私は、その10曲のリストを眺めながら、

「これは、○○にアレンジ頼もうかなあ…。」
とか、

「これは、あんな感じでやろうかなあ…。」
とか、

サウンドの方針を、
あれこれ考えていました。



と、そんなとき…、


またしても、

O社長から電話が…。


O「宮住くん、お願いがあるんだけど。」

M「なんでしょう。」


O「『夏の6週間』をやるように、
  ゆかりを説得してくれないかなあ。
  俺、ゆかりのアレ聴くと、
  涙が出てくるんだよ。
  ゆかりが唄うあの曲、大好きなんだよ。
  宮住くんが説得してくれたら、
  ゆかりはOKすると思うんだけどなあ…。」


しかし、こればかりは、

「ハイ、わかりました。」
とは、言えません。

私は、丁重にお断りをしました。


M「いや、社長、それはダメですよ。
  今回は彼女の意思も尊重して、
  選曲したんです。

  その彼女が乗り気じゃない曲を、
  やらせることによって、
  せっかくの、
  いい雰囲気が壊れる恐れもありますよ。

  いい曲だとは思いますが、
  強烈なシングル候補という曲ではないし、
  その役目は、
  ちょっと僕には酷ですねえ。」


O「でもさあ、今回はロス・レコーディングだろ。
  アメリカの素晴らしいミュージシャンの演奏で、
  『夏の6週間』を録音するのが、
  俺の夢だったんだよ。
  ねえ、なんとかゆかりを説得してよ。
  ね、お願い。お願い。お願い。」


とまあ、

まるで駄々(だだ)っ子。

……。


しかし、やはり私は、

丁重にお断り。


M「お気持ちはわかりますが、
  やっぱりその役目はどうも…。

  この場合は、
  やはり社長自らおやりになるのが、
  一番だと思いますがね。

  いや、なに、
  社長の情熱をお伝えすれば、
  ゆかりさんも、
  きっとわかってくれると思いますよ。」


O「そうかあ、ダメかあ…。」


と彼は、またしても、

寂しそうに電話を切る。


ま、仕方ありませんね。


……。



ところが、数日後、

O音楽事務所から送られてきた、
最終選曲リストを見て、

ビックリ!


なんと、あの、

『夏の6週間』が、

入っているではありませんか!!



O社長、やりましたね。

ゆかりさんの説得に、
見事成功したんですね。

パチパチパチ。


しかし、一抹の不安もあったので、

私はO社長に電話。


M「社長、やりましたね!
  ゆかりさん、
  “うん”って、言ったんですね。」

O「まあな…。
  大変だったけどな…。」


M「でも、大丈夫でしょうねえ。
  現場で、“やっぱり嫌だ”
  なんて言わないでしょうねえ。」

O「いや、それはないよ。
  ゆかりもプロだからねえ。
  “やる”と言ったら、しっかりやるさ。
  じゃ、しっかり頼むよ。
  いいもの、作ってくれよ。
  俺もあとから行くからさあ。」


「えっ、来んの?」

と、言いかけたが、

これは思いとどまる私。


♡♡♡



さあ、そんなわけで、

その10曲を私は、

私が選んだアレンジャーに振り分ける。


特に今回、

ストリングス(弦楽器)は、
極めて重要だと考えていましたから、

私が、
「弦を書かせたら、日本ではこの人…。」
と、日頃から敬愛していた、
前田憲男さんと倉田信雄くんを中心に、

若手のアレンジャーも、
大胆に起用して、
方針を事細かに説明して、

アレンジを発注。


こうして出来上がったスコア(総譜)を、
細かに検証して、
問題がないことを確認した後、
写譜にまわす。


やがて出来上がったパート譜を、
念のため一部ずつコピー。

その譜面は、

膨大なものになりました。


その膨大な譜面を、
衣服や身の回りの物と一緒に、
ボストン・バッグに詰め込んだ私は、

「よし!」とばかりに、

意気揚々と、


ロス・アンジェルスに向かって、


飛び立ったのでありました。


 
1991年8月3日のことでした。


……。



(つづく)




みなさん、

「シルヴァー・ウィーク」は、
いかがお過ごしですか。

(誰がつけたの、このネーミング…?)


仕事が山積みで、
どこへも行くあてのない私の、
唯一の息抜きは、

このエッセイを書くこと。


きっと、
同じような方もいらっしゃると思い、

きょうは、思いっきり、
長編でいってみました。

まあ、
お茶でも召し上がりながら、
ゆっくり楽しんで下さい。


さあ、このあと舞台は、

ロス・アンジェルスです。


(いっぱし、小説家気取りか、おまえは)



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 21:38|この記事のURLComments(20)TrackBack(0)

September 14, 2009

夏の6週間 その6


イチロー、やりましたね!

9年連続200本安打の、

メジャー新記録!!


これまた、

100年以上にわたって、
誰も達成したことのない、
大記録です。

パチパチパチ。


いったい彼は、
どこまで行くのでしょうか。

どれだけの記録を、
残すのでしょうか。


何度も言うように、
彼の最終安打数を見届けるまでは、
絶対死ねませんね。

ええ、長生きしなくては…。



そんなイチロー選手が、

私が応援していた、
「オリックス・ブルーウェイブ」に、
(前身はあの、阪急ブレーブス)
さほど注目されることもなく、
入団したのが、

1991年のことでした。


きょうは、


まさに、


その頃のお話です。




『夏の6週間 その6』


あれは、

1991年の初夏でしたか…。


ある日、

O社長から、
1本の電話をもらいました。

もちろん、
伊東ゆかりさんの新作に関する話です。


それは…、

「1980年代を中心とした、
 アメリカン・ポップスのヒット曲に、
 日本語の詞をつけて、

 本場ロス・アンジェルスで、
 あちらの一流ミュージシャンを使って、
 レコーディングをする。

 そんなアルバムを、
 『アルファ・レコード』(私の古巣)から、
 発売することになったので、
 よろしくね。」

とまあ、そんな内容でした。



「ロスか…。
 確かに、本場アメリカの、
 素晴らしいミュージシャンのサウンドと、
 彼女のヴォーカルがうまくブレンドしたら、
 エレガントな、
 素敵なアルバムになるだろうな…。」


「うん、これは面白そうだ!」

ということで、

「やりましょう、やりましょう。」
と、私は二つ返事。


特にストリングスのサウンドは、
日本とアメリカでは、
全然レベルが違いますからね。

ま、それだけでも、
私にとっては、
大いに楽しみな企画です。


♪♪♪



そんなわけで、

私たちはさっそく選曲に入りました。


とくに今回、
いつになく積極的だったのが、

ゆかりさんのマネージャーのY田氏。


彼は、
80年代のAOR系のバラードが大好きらしく、

デヴィッド・フォスターやら、
ボズ・スキャグスやら、
バリー・マニロウやら、
カーリー・サイモンやら、

自分のご自慢のライブラリーの中から、
ゆかりさんに合いそうな曲を、
100曲近くもカセットに編集して、
持って来るほどの熱の入れよう。


さらに、私がビックリしたのが、

当のゆかりさん。


普段こうした選曲に関しては、

「おまかせするわ〜。」
てな感じで、

淡々と、飄々(ひょうひょう)と、
クールに、人まかせの方なのですが、

今回ばかりは、
「私も選曲に参加したいなあ。」
ときた。

(珍しいこともあるもんだ…。)



ということで、

ゆかりさんと、Y田氏と、私は、
O音楽事務所の会議室で、
何度も何度もミーティングを重ねる。


Y田「シカゴの○○なんてどうですかねえ。」

ゆ「あれは、絶唱型の歌でしょ。
  あたしには合わないと思うけど。」


み「○○を軽いボサかなんかでやったら、
  面白いかも。」

ゆ「だったら、△△のほうが、
  いいんじゃない?」


Y田「バーバラ(ストレイザンド)なんて、
   どうでしょうねえ。」

ゆ「やーだー。あんなに上手く唄えないわよ。
  それに今回は日本語でしょ。
  ダメ。却下。」


み「一曲くらい、スタンダードもありじゃない?」
  ガーシュインとか。」

ゆ「ガーシュインだったら、○○が好きだわ。」


とまあ、

こんな会話をしながら、
オリジナルの音源を聴きながら、

楽しい選曲会は続く。



それにしても…、

1983年の初仕事から、ここまで、
4、5枚の彼女のアルバムを、
プロデュースしてきた私でしたが、

こんなふうに、
楽しそうに選曲の話をしたり、
音楽の話をするゆかりさんを見たのは、

初めてです。


ま、それだけ彼女も、

この企画を楽しみにしている、

ということでしょうね。



こうして、

何度目かのミーティングで、
ようやく最終的な10曲が決まりそうな、


そんな時、


そんな時…、


またしても現れた…、


あの、O社長が。


……。



いつものように、

カンラカンラと明るい笑顔で、
会議室に入って来た、O社長。

「やあ、みんなやってるねえ。
 ゆかり元気?
 宮住くん、ご苦労さん。
 どうY田、決まった?」


そして、
いつものように、
“軽〜い感じ”で席に着くと、

「どれどれ、選曲リスト見せてよ。」


私は、ほぼ決まった選曲リストを、

社長に渡す。


すると…、

一瞬にして、

O社長の顔が曇った。


そして、

「納得いかない」といった感じで、

こう言ったのです。



「なんだ…?

 『夏の6週間』が、

 入ってないじゃないか。」


……。



(つづく)




ようやく登場しましたね。


『夏の6週間』

……。


そうなんです。

これ、曲のタイトルだったんです♪


というわけで、

この長いシリーズも、

いよいよ第二部に突入です。


それにしても、
どなたかがおっしゃってたように、

確かに最近の私は、
長編小説家にでも、
なったかのような気分…。

アレンジも、
次から次へと大作ばかりだし…。


でもね、

楽しいし、なによりも、

達成感は格別ですからね。


はい、がんばって書きますよ。


ジャミン君たちにも、

がんばってもらいましょう。



ん?


そういえば…、


あっちは、



なにやってんだろう…?



SHUN MIYAZUMI


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September 09, 2009

夏の6週間 その5


ああ、やっと更新できた…。


いや、本当に忙しいのです。


でも、近い将来、
この忙しさは、
ジャミン・ファンのみなさんには、
大いに喜んでもらえる忙しさではないかと、

確信しておるのですが…。

……♪



というわけで、

明日もがんばろうっと。


おっと、その前に、

お待ちかね、


O社長のつづきでしたね…。




『夏の6週間 その5』


伊東ゆかりさんが所属する、
O音楽事務所の社長室には、

ここから生まれた、
いろんなヒット曲のトロフィーの他に、

私の目を引くものがありました。



それは…、


……、


巨人軍(読売ジャイアンツ)に関する、

さまざまな物。


王選手のサイン・ボールや、
長嶋選手のサイン入り色紙。

巨人の優勝ペナントやら、
マスコット人形やら、
V9ナインが勢揃いしたパネル写真やら、

もうもう、
ありとあらゆる「ジャイアンツ・グッズ」が、
飾られているのです。


聞くところによると、
この社長。

1965年〜73年にかけて達成した、
巨人の日本シリーズ9連覇、
(いわゆるV9)

その立役者の一人で、
川上監督の名参謀と言われた、
牧野茂ヘッド・コーチとも、

親交があったらしいのです。


そのせいか、

巨人の応援歌やら、
選手個々のテーマ・ソングなど、

こと巨人の音楽に関する物は、
すべて、このO事務所が制作。


そして、

そのカセット・テープは、
毎年、何十万本も売れて、
けっこうな収益があったそうなのです。


つまり、

巨人こと「読売ジャイアンツ」は、

O事務所の大事なお得意先だったわけです。


そして、この部屋は、

言ってしまえば、

「巨人の巣」

「巨人の巣窟」



しかし私は、

かつて『山田投手と私』でも書いたように、
熱烈な阪急ファン。


阪急にとっての巨人は、

リーグは違えど、
V9時代に、日本シリーズで、
何度も煮え湯を飲まされてきた、

いわば憎(に)っくき好敵手。


ですから私は、
当初からこの事務所では、
「野球の話は一切すまい。」

と、心に決めておりました。


♡♡♡



そんな、1985年のこと。


1985年というと、
真っ先に思い出すのが、
あの、
「御巣鷹山 日航機墜落事故」

本当に痛ましい、
悲しい出来事でしたね。

……。



そして、

もう一つビッグ・ニュースがありました。


それは、

あの、

「阪神タイガース」の優勝!



「巨人のライバル」
「伝統の一戦」
な〜んて言われても、

勝つのはいつも巨人で、

弱〜い阪神は、
なんと21年間も優勝していない…。


その阪神が、

なんと、

優勝したのです!!



もう、大阪は大騒ぎでした。

嬉しさのあまり、
道頓堀から飛び込んで、
一命を落とす若者まで現れる始末。


そして、
私の周りでも、

これまで虐(しいた)げられてきた、
阪神ファンたちは、
一挙に大爆発。


優勝の瞬間、

ちょうど私は、
レコーディング中だったのですが、

周りにいるトラキチたちのために、
そのレコーディングも中断して、
その優勝シーンを、

何度も何度も、
スタジオのロビーのTVで、
見せられることに…。



さて、その翌日。

ちょっと意地悪な私は、
O社長をからかってやろうと、
たいした用もないのに、
事務所を訪れました。

こんなチャンスは、
滅多にありませんからね。


そして、
O社長が現れると、
ちょっぴり皮肉をこめて、
こう言いました。

「社長、阪神が優勝しましたねえ。
 巨人は惜しかったですねえ。
 むふふふ…。」



すると、この社長。

とんでもないことを言ったのです…。


「そうなんだよ、宮住くん。
 阪神が優勝したんだよ。
 いやあ、きのうは嬉しくてね。
 俺は思わず泣いたよ。」

(……?)


私はすぐに反論。

そして、
デスクの後ろに飾られてある、
おびただしい数の巨人グッズを指差して、

「あ、あの、社長、
 なにを言ってるのかわからないんですが…。
 社長は巨人じゃないんですか?」


するとO社長。
悪びれもせず、
ぬけしゃーしゃーと、
こう言った。

「ああ、あれね。
 あれは商売よ。
 なんてったって巨人は人気あるからね。
 ビジネス、ビジネス。
 
 でもね、本当は俺ね、
 大の阪神ファンなの。
 子供の頃から、
 熱烈なトラキチなのよ。

 ああ嬉しいなあ。
 優勝だ、優勝だ。
 アハハハハハ。」

(……。)



私は、このときも、

大きな声で、

こう言いたい衝動に駆られました。


「社長。
 
 やっぱりあんたは、

 相当な“無責任男”ですよ。」


てね…。



(つづく)




はい、きょうのお話も、

内緒です。

アハハハ。


ただし、

一部のゆかりさんファンには、

バレてるという噂も…。


……。



SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 17:57|この記事のURLComments(15)TrackBack(0)

September 01, 2009

夏の6週間 その4


昨夜は私も、遅くまで、

総選挙の開票速報を見てました。

ああ、眠い…。


でも、
予想どおりとはいえ、
すごい結果になりましたね。

ま、いずれにせよ、
一日も早く、
景気が回復することを祈りましょう。


民主党のみなさんには、
「責任ある政治活動」
を、頑張ってもらいたいと、
思います。


そう、責任ね。

無責任はいけませんよ。

無責任は…。


“無責任”は…。


……。




『夏の6週間 その4』


さて、

伊東ゆかりさんが所属する、
O音楽事務所の、
O社長とは、

いったい、
如何(いか)なる人物なのでしょうか。


今日は、それを、
徹底解明してみようと思います。

(もちろん、ご本人の許可など、
 いただいておりませんが、
 どうせインターネットなんぞ
 無縁の人でしょうから、
 ま、大丈夫でしょう…。)



まず、おそろしく大男。

シモンくらいあるのではないか。

恰幅(かっぷく)もよく、
まさに、社長の貫禄十分。

私より、10〜15才くらい年上でしょうから、
食べ盛りの少年時代に、
あの、食糧難の「戦争」を体験しているはず。

なのに、
この育ちっぷりは、
大いに謎…。


それから、

芸能プロダクションの社長というのは、
一般に、強面(こわもて)の、
ヤクザまがいの人が多いのですが、

この社長は、
いたって優しいジェントルマンで、
いつもニコニコ。

物腰も柔らかく、
あまり人に対して、
“怒る”という光景を見たことがない。


ただし、声はデカい。

ちょっと歪(ひず)んだ音色の、
大きな声で部下を呼ぶさまは、
「鐘が割れる」といった表現がピッタリ。

まさに迫力満点。


髪の毛は当時から薄く、
しかもオールバックにして、
ポマードで固めてあるので、
年齢よりも、ずっと老(ふ)けて見える。

しかし、これが一方では、
貫禄につながっているとも言える。


部下の面倒見もよく、
結婚式の仲人(なこうど)を引き受けた回数が、
当時にして、早くも8組。

うち、4組が早々と離婚したそうですが、
本人は、いたってあっけらかんと、
「勝率5割!」
と、高らかに自慢。


小さなことは一切気にしない。
もっと気にしていいことでも、
全然気にしない。

言い換えれば“大物”。

だから血液型は、
絶対O型だろうと、
私はみています。


車も、
「リンカーン」「キャデラック」といった、
バカでかいアメ車が好み。

(ああ、何から何まで大(O)だ…。)



ただし…、

こんな豪快なキャラのくせに、

音楽の趣味は、
いたってデリケート。

甘く切ない調(しら)べの、
「洋楽系ムード・ミュージック」がお好き。

とくに、カントリー、タンゴ、
そして、シャンソンあたりを語らせたら、
結構うるさい。


「ディナー・ショー」というジャンルを、
日本で確立したとも言える、
立志伝中の人物。

当時は、この事務所を通さないと、
ディナー・ショーが成立しないほどでした。


菅原洋一『知りたくないの』
スサーナ『アドロ』
ロス・インディオス『別れても好きな人』

あたりが、

この事務所から生まれた、
この社長の“趣味”を見事に反映した、
代表的ヒット曲でしょうか。

(敬称略)



ちょっぴりお人好しで、
ちょっぴりおっちょこちょいで、
ちょっぴりトンチンカンなところもあって、

それが、たまらない人間臭さを、
かもしだしている。

じつに愛すべきキャラを持った人です。

(でも…、ちょっぴりエッチでもあるので、
 そこは要注意。)



そう、それで思い出しました!

かつて、昭和30〜40年代に大ヒットした、
東宝映画の『社長シリーズ』

あの、最高のコメディー映画の中で、
森繁久彌さんが演じる、
あの「社長」さん。

あんなイメージが、
ぴったりかもしれません。


モーニング娘の、
「ニッポンのシャチョーさんも、
 イェイ、イェイ、イェイ♪」
という唄を初めて耳にしたとき、

私が、真っ先に思い浮かべたのが、
この、O社長のことでした。


人情味があって、
涙もろいところもある。

でも、それでいて、
何度も言うように、

と〜っても“無責任”。


とまあ、こんな人物です。
 

(いいのかな、ここまで書いちゃって。
 ちょっと心配になってきたぞ…。
 ……。
 ま、いいか。アハハ。)


♡♡♡



さて、そんなわけで、

1983年以来、私は、
この事務所の社長室に、
頻繁(ひんぱん)に出入りすることに、
なるのですが、

そこには、

音楽業界の、
どこの会社の社長室にも飾られてあるような、
数々の「ヒット賞」のトロフィーの他に、

もうひとつ、


私の目を引くものがありました。


それは……?



(つづく)




あははは。

駄目ですよ、
O社長に言いつけちゃ。

この後も、
ケッサクなお話が満載なんですから。


そっとみんなで、
楽しみましょうね。

無責任、無責任っと。

……。



さあ、今日から9月。

この夏、
「高校野球」と「世界陸上」で、
多大な時間を使ってしまった私ですが、

そのツケが廻ってきて、

いよいよもって、
大忙しとなりそうです。


でも、これから、
楽しいライブやイベントが、
目白押しですからね。
(追ってインフォメーション)


頑張りがいがあります。

ええ、ありますとも。


めざせ、

責任ある音楽活動!


(やれよ)



SHUN MIYAZUMI



woodymiyazumi at 00:16|この記事のURLComments(20)TrackBack(0)

August 25, 2009

夏の6週間 その3


いやあ、すごかったですねえ。

甲子園の決勝戦。

忘れられない一戦になりました。


あの、9回の、日本文理(新潟)の攻撃は、
なんでしょう!

あの神がかり的な粘りは…。


「人間あきらめちゃダメだ。」

「あきらめなければ、
 あんな素晴らしい感動を与えられるんだ。」

ということを、
あらためて教えられる思いでしたね。


これだから、

高校野球はやめられない…。


というわけで、

今年も全国の球児たちに、

熱い拍手を送りたいと思います。


パチパチパチ。

また来年も、

待ってるよー。




『夏の6週間 その3』


1983年の春。

アルファを退社して、
まだ将来のプランなど、
なにも考えてない私は、

とりあえず、こんな感じで、
伊東ゆかりさんのアルバムの制作に、
携(たずさ)わる事になりました。


その最初のアルバムは、
『Fado』
というタイトルでしたね。

「ふぁど(Fado)」
(阿久悠:作詞 三木たかし:作曲)
というシングル楽曲を中心に据え、

当時の、
ニューミュージック・シーンで活躍する、
作家やミュージシャンを大胆に起用して、
私なりに、
渾身の力をこめて作ったアルバムでしたが、

残念ながら、
往年のようなヒットには至りませんでした。


しかし…、

当のゆかりさんからは、
「とっても気に入ったわー。」
と、お誉めにあずかったのです。

これは、嬉しかった…。


ま、スタート時こそ、
お互いの手のうちがわからないゆえ、

かなり緊迫した、
張りつめた空気の中での、
レコーディングでしたがね。

でも、それも、しだいに、
和気あいあい。

♡♡♡


そして、結局は、

1999年頃までの長きにわたって、
7、8枚のアルバムを、
プロデュースすることになるのですから、

人生というのは、
わからないもんですねえ。


のみならず、

CMや、
テレビ番組のテーマや、
果てはFMのジングルに至るまで、

こと「録音」が絡(から)む仕事は、
いつも私が呼ばれてディレクションをする、
といった関係にまで、
発展するのですから、

いやいや、
人の出会いというものは、
世の中というものは、

本当に不思議…。

(他人事?)



そんな、ゆかりさんから、私は、

仕事を始めるにあたって、
2つの注文を受けました。


ひとつは、

詞は、最低でも録音の3日前に渡すこと。


当時は、
ニューミュージックとやらの、
隆盛時でした。

で、このニューミュージック・シーンの、
アーティストや作家たちは、
とても自由奔放に、
言い換えれば、
とても“わがままに”仕事をする。

録音の直前まで、
詞が出来てこない、
なんてのは日常茶飯事。


でも、ゆかりさんは、
いわゆる歌謡芸能界で育った、
昔気質(かたぎ)の人ですからね。

これが、たまらなく許せないらしい。

実際、そういうことだけで、
唄う興味を失ったプロジェクトも、
多々あったらしいのです。


ま、そりゃそうだ。

これは彼女のほうが正しいです。


だから私は、

忠実にこれを守りました。



もうひとつは、

録音時は、
一切「禁煙」にして欲しい、

ということ。


当時は、
今のような「禁煙」「禁煙」
という時代ではありません。

(ああ、いい時代だった…。)


レコーディング・スタジオもご多分にもれず、

ブースにも、スタジオ内にも、ロビーにも、
どこにでも灰皿が置いてあって、

プロデューサーも、
エンジニアも、アシスタントも、
アレンジャーも、作家も、ミュージシャンも、
レコード会社の人も、事務所のマネージャーも、

もうもう、みんな、
スパスパ、モクモク、
プハ〜ッ、ブホ〜ッ。


で、ゆかりさんは、

これも大嫌い。

煙どころか臭いも大嫌い。


(これ、今では当たり前のことですが、
 当時ここまで主張する人は、
 少なかったですよ。)


でもね、

私は、

これも忠実に守りました。


録音当日は、
朝からスタジオでの喫煙を禁止。
灰皿もすべて撤去。

クリーンな環境で、
彼女の到着を待つ。

スモーカーの私には、
大変キツ〜い注文でしたが…。



ま、そんなこともあって、

その後も頻繁(ひんぱん)に、

お呼びがかかるようになったのでしょうか。


こうして、

伊東ゆかりさんの仕事は、

カシオペアと並んで、
当時の私には、
「レギュラー」とも言うべきものに、
なっていったのです。

実に光栄なことです。



さらには、

伊東ゆかりさんを心から愛する、
O社長の情熱とバックアップも、

フリーになりたての私には、
とてもありがたいものでした。



そう、あのO社長。

忘れてはいけませんね。


あの、一見豪快にしてジェントルマンの、

しかし、実はとっても“無責任な”O社長を。



そういえば、


あんなこともあったなあ…。



(つづく)




ああ、またしても、

もったいぶった終わり方に、
なってしまいましたね。

ご容赦のほどを…。


なんだか最近、
自分で予定しているよりも、
どんどん長くなってしまうのです。

書いてるうちに、
いろんなことを思い出してしまうから、

ですかね。

……。



さ、夏もそろそろ終わり。

「ジャミン・ゼブ 秋の陣」にむけて、

ガンガンいきましょうね。


高校野球終了後に、

さっそく一曲書きましたよ。


で、次はアレで、

その次はアレやって、

そして、アレと、アレは、

どうするかな…。


……。


zzz……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 01:03|この記事のURLComments(25)TrackBack(0)

August 18, 2009

夏の6週間 その2


さて、

そんなわけで、

アルファを退社して間もなく、
伊東ゆかりさんのプロデュースを、
やることになった私。


そんな私に、
O音楽事務所のO社長は、
何編かの詞を見せてくれました。

そして、こう言った。


O「これさあ、
  シングル候補になるように、
  頼んで作ってもらった詞なんだけどさあ、
  宮住くん、どう思うかなあ?」


それは…、

当時の歌謡芸能界にあって、
大ヒットを連発していた、
名声を欲しいままにしていた、

2人の偉大な「巨匠」の書き下ろし。

阿久悠さんと、なかにし礼さん、
の詞でした。


私「どう思うかって、
  こんな大先生たちの詞に、
  なんだかんだ言うことなんて、
  出来ませんよ。
  私のようなヒヨコが。」


すると、この社長、

O「いや、そう言わずに。
  君の率直な意見を聞かせてよ。
  これは、ヒットする詞かどうか、
  誰に曲を発注すればいいのか、
  ま、何でもいいんだなあ。
  いろいろ意見を聞きたいなあ。
  どう、宮住くん? ね、ね?」

と引き下がらない。


私は、仕方なく、
そのお二人の詞を、
じっくりと読ませていただきました。

……。



いやあ、さすがだと思いました。

私のようなヒヨコが見ても、
決して手抜きではない、
力強い作品だとわかる、
素晴らしいものでした。


私がそれを伝えると、
O社長、すごくご満悦。

O「そうか、そうか。
  やっぱりね。
  2人とも、ゆかりには乗ってるからね。
  ガハハハ。」

( ……。)



とは言いつつも、私的には、

どの詞も数カ所だけ、

抵抗のあるフレーズがある…。


しかし、当時の、こんな巨匠たちに、
「書き直して下さい。」
などとは、
とうてい言えません。

ええ、言えませんとも。


ましてや私は、
アルファというアメリカ・ナイズされた会社で、
ニュー・ミュージックとか、
フュージョンといった、
新しい音楽ばかりを、制作してきた男。

いわゆる、歌謡曲の世界では、
門外漢に等しい。
  

ま、お二人とも、
一回や二回は、
それとなくお仕事をさせていただいたことは、
ありましたが、

とても、何かを注文するという雰囲気では、
ありませんでしたね。

それほど、
威厳とプライドをお持ちでしたから。

そのうえ私は、
まだ20代の青二才だったし…。


でも私は、
お言葉に甘えてこう言いました。

私「そうおっしゃるのなら…。
  思うに、このフレーズと、
  このフレーズは、どうでしょうか…。
  私には、ちょっと抵抗があります。
  書き直してもらいたいところですが、
  でも、無理でしょうねえ。
  とても私からは言えませんし…。」


すると、O社長、ますます意気揚々と、

「そんなの、遠慮することはないよ。
 直してもらって良くなるんだったら、
 直してもらおうよ。
 なんなら俺から言ってやろうか。」


「そうですか。それだったら…。
 じゃ、社長にお願いしましょうかねえ。」
と私。


「わかった!」
とばかりに、この社長。

隣室にいる秘書の女性に大声で、
「お〜い、◯◯、
 阿久先生に電話してくれるー。」


しばらくすると、
阿久悠さんから電話が…。

O社長、元気よく受話器を取る。


O「やあ、阿久先生、
  素晴らしい詞をありがとうございました。
  でね、今回、宮住くんに、
  プロデュースをしてもらうんですがね、
  そうそう、あのアルファにいた宮住くんね。
  で、彼が、ちょっと直してもらいたい所が、
  あるらしいんですよ。
  今、私の隣にいますのでね、
  ちょっと代わりますから。」

(;;…。)


そして、ニコニコしながら、

「はい、阿久先生。」
と、私に受話器を渡した。

(なにが「はい、阿久先生」だ。
 話が違うじゃないの。
 もう、無責任だなあ…。)



でも、仕方ないですね。

私は、恐る恐る、

「あ、あの、み、宮住です。
 ご、ごぶさたしております。
 い、いや、いやいや、“気に入らない”なんて、
 め、滅相もない。
 あの、あそこの、あの部分だけ、
 ち、ちょっと、こんな感じで、 
 あわわわわわわわわ……。」

とまあ、
しどろもどろになりながらも、
がんばるしかない。


そして…、

先生の気分を害することなく、
なんとか話を終えると、 

汗びっしょりになった受話器を、
O社長に返しました。


すると、このO社長、
なにごともなかったように、
ぬけしゃーしゃーと、

O「直してくれるって?
  そうだろう、そうだろう。
  だから、俺が言えば、
  大丈夫って言ったんだよ。
  ガハハハ。」

(あのう、お言葉ですが、
 言ったのは私なんですけど。)


でも、なんとか事無きを得ました。



で、私が、
やれやれとばかりに、
額の汗をふいていると、

この社長、

間髪を入れずに、
こんどは、
なかにし礼さんを呼び出した。


しばらくすると、
なかにしさん電話に登場。


O「やあ、礼ちゃん、
  素晴らしい詞をありがとう。
  でね、今回、宮住くんにやってもらうのね。
  そうそう、あのアルファにいた宮住くん。
  で、彼が、ちょっと直してもらいたい所が、
  あるらしいんだ。
  今、隣にいるから、ちょっと代わるね。」

そして、
「はい、礼ちゃん。」
と、受話器を私に。


(ちょっと、あーた、
 またですかー。
 自分で言うんじゃなかったの〜。
 まいったなあ。
 ホント、無責任だなあ…。)


私は、このときも、仕方なく、

「あ、あの、ご、ご無沙汰しています。
 い、いや、“気に入らない”なんて、
 と、とんでもない。
 あの、あそこの、あの部分だけ、
 ち、ちょっと、
 あわわわわわわわわ……。」


そして…、

なんとか話を終えると、 

汗びっしょりになった受話器を、
再び、O社長に返す。


O社長、今回も悪びれもせず、

O「どう、直してくれるって?
  あ、そう。そりゃよかった。
  だから、俺が言えば、
  大丈夫なのよ。
  ガハハハハ。」

(言ってないから…)



でもね、

私はこのとき、

「この仕事は絶対うまく行く。」

と、確信を持ったのです。


なぜならば、

この、O社長の、

“無責任ぶり”はどうでしょう。


私が、幼い頃から敬愛してきた、
“心の師匠”と仰いで来た、
あの『日本一の無責任男』

植木等さんもビックリの、

強烈な、
“無責任ぶり”ではありませんか。


こりゃ、どう考えても、

私との相性は、

いいに決まっている。



「これは、いい仕事になりそうだ…。」



そしてこの感は、


見事に当たっていたのです。


……。



(つづく)




ああ、寝不足だ。

毎晩遅くまで、
(というより朝早くまで)
「世界陸上」を観ているからなのですが…。


そして、昼間は、
「高校野球」と「アレンジ」。

(順序が逆だろ)



それにしても、

ボルト(ジャマイカ)選手。


観ましたか?


100メートルを、

9秒58ですよ。

9秒58!


北京五輪のときも、
仰天しましたが、
いったい、この人は、
何者なんでしょうね。

年始の、
「私の10大ニュース 2008」
にも書きましたが、

この人の祖先には、
「豹」か「チータ」が、
いたんじゃないですかね。


そんなわけで、

200メートルも、リレーも、
見逃すわけには、
いかなくなりました。


ああ、どうしてくれるんだ、

ボルトちゃん。


(ええと、きょうの種目は、
 っと…。)



SHUN MIYAZUMI

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August 12, 2009

夏の6週間


きょうは、

伊東ゆかりさんの話でも、

書こうかな。


許可は貰(もら)ってませんがね。

……。




私が、
10年務めた「アルファ・レコード」
を退社したのが、

1983年の春のこと。


でね…、

今でこそ、
「日本のフリー・プロデューサーの草分け」
なんて言われているようですが、

「フリーになりたくて辞めた」
などという、
カッコいい退社ではありません。

これは…。


レコード会社とはいえ、
好きな音楽の仕事とはいえ、

なんとなく、
“宮仕え”が窮屈になり、
「もっと自由に生きたいなあ」とも思い、

わがままを言って、
辞めさせてもらっただけなのです。


そのときは、

「フリーでやっていこう」なんて、
あるいは、“いける”なんて、
これっぽっちも考えたりは、
しませんでした。

そんな甘い世界ではないことは、
わかっていましたから。


だが、幸いにも、

人気絶頂期にあった、
『カシオペア』の仕事は、
“フリー”の立場で継続できそうだし、

10年務めた退職金も頂いたし、

しばらくは、
なんとか食っていける。


いずれ、どこかに再就職するにせよ、

しばらくは、
のんびりと、
この退職金を食いつぶしながら、
ゆっくり次のプランを考えようかな…。


ま、そんな程度の、

お気楽な発想だったわけです。


子供もいる身でありながら、
なんとも無謀で、
“無責任”な発想ですが、

“無責任”は、
私が心の師と仰ぐ、
植木等さんの教えですからね。

(息子は1982年生まれだから、
 当時まだ1才の赤ん坊。
 そうそう、スティーブと同い年です。)


こればかりは仕方がない。

アハハ。

(アハハじゃない)



こうして、
退社後1ヶ月くらいは、
プ〜ラプラの毎日。

学生時代以来の、
自由な生活を満喫。

そして、
夜は毎晩、六本木のジャズ・クラブで、
酒ばかり飲んでおりました。

アハハハ。

(だから〜、
 アハハハじゃないってば。)



ところが、そんな時、

思いもかけず、
プロデュースの仕事が、
2本も入ってきた。


そのうちの1本が、

あの、

伊東ゆかりさんの仕事だったのです。



伊東ゆかりさん…。


私の少年時代のアイドル…。


ナベプロ(渡辺プロダクション)全盛期、
中尾ミエさん、園まりさんと並んで、
「ナベプロ3人娘」として、
華々しい活躍。

絶大な人気を誇っておりました。


甘く切ない声で歌う、
「コニー・フランシス」や、
カンツォーネの女王、
「ジリオラ・チンクェッティ」
のカヴァー曲は、

まだ小学生だった私の胸を、
それこそ鷲掴み。

『渚のデイト』(Follow The Boys)
『ボーイハント』(Where The Boys Are)
『愛は限りなく』(Dio Come Ti Amo)


(く〜〜! 可愛い〜〜!)

毎日、テレビのブラウン管の前で、
胸をときめかせながら、
観ていたものです。


私の高校、大学時代は、
一転してムード歌謡に変身。

ここでも、

『小指の思い出』
『恋のしずく』
といった、大ヒットを飛ばす。


そして、
80年代に入ると、
「リタ・クーリッジ」のカバー、
AOR系のバラード曲、

『あなたしか見えない』が、
またまた大ヒット。


一人の歌手人生で、

3種類の異なったコンセプトを、
すべてヒットさせてしまうなんて、
そう簡単に出来ることではありませんね。

やはり、
偉大なシンガーと言う他ありません。



そんな憧れの大スター、

伊東ゆかりさんのプロデュースを、

こんな若輩の私が…。

(できるのか…)



私は、

不安と期待が入り交じった気持ちのまま、
彼女の所属事務所である、
大手プロダクション、

「O音楽事務所」の、
O社長を訪ねました。


社長室のソファーで待っていると、
やがて、大柄なO社長が、
満面の笑みで現れた。

そして、
迫力のある低音で、

「やあ、Oです。はじめまして。
 アルファを辞めて、
 フリーになったんだって?
 だったら、ぜひ、
 伊東ゆかりの次のアルバムを、
 プロデュースしてくれませんかねえ。」

「フ、フリーになった…?」



さらに、

「ま、いずれプロデュース印税の、
 契約はするとして、
 これ、とりあえずの報酬ね。」

と言って、ぶ厚い封筒を私に渡す。


それは、

今まで見た事もない、
“キャッシュ”の札束。

(こ、こんなに…。)


アルファ時代の私の給料の、
2ヶ月分でした。


ま、後から冷静に考えたら、
もっと貰ってもよかったのですが、

なにせ、
プ〜ラプラの毎日でしたからね。


私は間髪を入れず、

「や、やります!」
と即答。


そして、

O社長の気が変わらないうちに、
その封筒を、

そそくさと、しまいこんだ。


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



問答無用の交渉劇だ…。

……。



「フリー・プロデューサーの草分け」
と言ってもね、

とどのつまり、

始まりは、
ま、こんな感じだったわけです。


しかし、これが、結局は、

“フリー・ランス”として、
その後の人生を送ってしまう、
きっかけになったわけですから、

いやはや、人生とは、
わからないもんですねえ。

……。



さて、

交渉が成立(?)すると、

O社長は、
何編かの詞を、

私に見せてくれました。


それはね…、


……。



(つづく)




「ふるさと」「帰省」

か…。


そういえば、

そんな季節なんですねえ。


厳密な意味での、
「ふるさと」を持たない私には、
ちょっぴり羨(うらや)ましい、
季節でもあります。

でも、みなさん、

存分に、
楽しい夏休みを、
お過ごし下さいませ。


私も週末には、
親父の墓参りくらいは、
してこようと思っておりますが…。


というわけで私は、

ソーメン食って、

今日も、

「アレンジ」と「高校野球」。



毎年、毎年、


ワン・パターンの夏。


……。



SHUN MIYAZUMI

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August 04, 2009

競馬はロマンだ! 最終回


ジャミン・ゼブ

『品川教会 グローリア・チャペル』

無事終了しました。


おかげさまで、

私の予想をはるかに超えた、
熱い、素晴らしい、意義のある、
“2days”になりました。


熱い声援を送ってくださったみなさん、
声高らかに、
ジャミンと一緒に歌ってくださったみなさん、

本当に、ありがとうございました!


この場をお借りして、

厚く御礼申し上げます。



さあ、私の頭の中は、

早くも10月の『STB139 3days』です。


「あれもやりたい」

「これもやりたい」

「あーんなことも、
 こーんなことも、
 やりたい、やりたい、やりたい。」

「……。」



というわけで、

今日一日は、ゆっくり休んで、

明日からまた、

創作に励みたいと思っております。



そういえば、

去年も8月は、

クリスマス・ソングを書きまくってたなあ…。


汗だくで…。




『競馬はロマンだ! その最終回』


忘れもしません。

1990年の暮れのこと。


私と、
スタッフのY浅ショーちゃんと、
友人のI嬢(あの奇跡の犬、チビ太の飼い主です)
の3人は、

「中山競馬場」にいました。



その日は、

『有馬記念』という、

年度代表馬を決める、
一年の総決算とも言うべき、
大レースがあったからなのですが、


もう一つの目的は、

名馬『オグリキャップ』の、

最後の勇姿を見るためでした。



そう、

『オグリキャップ』


それはそれは、

すごい人気でしたね。

……。



競馬の世界では、

府中、中山とかで開催される
いわゆる「中央競馬」が、
最高の舞台です。


ここに集まってくる馬は、
いわば血統書付きの馬ばかり。

億単位で取引された馬もざら。

族議員の政治家のように、
名門一族の血をひくものなどなど、

ま、エリートが競い合う場所、
といってもいいかと思います。


血統が二流、三流だったり、
とてもレベルに達していないと思われる馬は、
最初から、陽の当たらない、
地方ローカルの競馬場で走るか、

荷役馬、あるいは馬肉としての、
道をたどるのです。


お馬ちゃんの世界も厳しいんですね。



このオグリキャップという馬も、

そうでした。


誰からも注目されず、
ほとんど、タダ同然の値段で取引され、
岐阜の競馬場で、

ひっそりとデビューをしたのです。


芦毛の、
さして美しくもない馬ですし、
血統も大したことはないし、

無理からぬ話ではあります。



ところが…、


いざ走らせてみると…、

これが…、


強い!


どのレースも圧勝につぐ圧勝!!


こうなると、
マスコミも放ってはおきません。

ついには、
鳴り物入りで、
中央競馬界にデビューです。


そして、
エリート揃いの「中央競馬」に来ても、
オグリは連戦連勝!

次第にその人気は、
不動のものとなります。



これと同じような話が、

かつて、
私の学生時代にもありましたね。


そう、

あの、

『ハイセイコー』です。


女性から子供にいたるまで、
絶大な人気を誇り、
ついには『さらばハイセイコー♪』
なる唄まで大ヒット。

あのハイセイコーが、
実はこれと全く同じ、
シチュエーションでした。


そんなオグリを、

マスコミは揃って、
「ハイセイコーの再来」とはやしたて、

判官びいきの日本人は、
雑草がエリートを打ち負かしていく、
その、さっそうとした姿に、

熱狂的な声援を送り続けたのです。


かく言う私も…。


♡♡♡



そのオグリも人の子。

いや、馬の子。(???)


寄る年波には勝てません。


6歳になってからは、
めっきり力が衰える。

秋の『天皇賞』では6着。

前走の『ジャパン・カップ』では、
まったくいいところ無しの、
11着と惨敗。

(このレースも、
 私は「東京競馬場」で、
 しかと見届けております。)


そして、

ついに、

この『有馬記念』を最後に、
引退することになりました。



そんなオグリを応援するために、

最後の勇姿を見るために、

私たちは、
「中山競馬場」まで行ったのですが、


が…、


が……、


その日の私たちは、

絶不調。


特に、私の不調ぶりは、
目を覆うばかり。

どんな馬券を買っても、
すべてが裏目、裏目に出ます。

(やっぱり俺は、
 日曜競馬は不向きなのかなあ…。)



このままでは、

帰りのメシ代もありません。


そんな中、

いよいよ、

メイン・レースの『有馬記念』です。



ここで私はある決断をします。


私は2人に、

「心情的には、
 もちろんオグリに勝たせたいが、
 残念ながらオグリは来ない。
 ここは勝負だ。
 オグリをはずして、
 各々5点ずつ馬連を買おう。
 それならば、どれかは来るし、
 1番人気のオグリをはずせば、
 みな、それなりの高配当だ。
 美味いメシにありつけるぞー。」

と提案しました。


当然ながら、2人とも猛反対です。

特に、Y浅ショーちゃんは、

「何を言ってるんですか!
 日頃から『競馬はロマンだ』
 などと、ほざいてるじゃないですか。
 僕たちは、オグリの応援に来たんじゃ、
 ないんですか〜〜?」

と、喰ってかかる。


しかし私は負けない。

「いや、勝負の世界は厳しいのだ。
 人生とはそういうものなのだ。
 ここは情に流されずに、
 勝負に徹するべきだ。
 2人とも、俺の競馬運は知ってるだろ?
 ま、終わってみれば俺に感謝するさ。
 アハハハ。」



こうして私は、

抵抗する2人を、
なんとか説得して、
“オグリはずし”の馬券を買わせ、

いざ本馬場へ。

(大丈夫だ。俺を信じろ。)



大観衆で、立すいの余地もないスタンド。

そして、場内は早くも、

「オグリ!オグリ!」の大合唱。


でも私は、

心のなかでつぶやきます。


(残念だけど、オグリは来ないさ。
 前走の『ジャパン・カップ』
 を見なかったのか?
 もう全盛期の足はないんだよ。フン。)




さあ、レースが始まった!

となりの人の声すら聞こえないほどの大声援。


そして、


レースは、

思いのほかスロー・ペース。


(ん?
 これならオグリの足でも、
 届くんじゃないの?)

と、イヤな予感が走る。

……。



さあ、最後の直線だ!


おっと、

ここで満を持して、

オグリが追い上げてくる。

(なにっ!?)


騎乗するは名手、武豊!

場内の興奮は、もうもう最高潮。

鼓膜が破れるほどの大声援。


アナウンサーの声も、

もはや絶叫に近い。


「オグリ来た!オグリ来た!
 オグリだ!オグリだ!
 オグリが来た!オグリが来た!
 オグリ!オグリ!オグリ!オグリ!
 オグリキャップの優勝で〜〜〜す!!!」


………。



レースが終わったあとも、
場内では大観衆が、
「オグリ!オグリ!」の大合唱。

愛と感謝をこめて、

「オグリ!オグリ!オグリ!」


♡♡♡



そんな大合唱を背に私は、
うつむき加減で、

足早に場外へ去る…。


2人の、
冷た〜い視線を、
背中に、
痛〜いほど感じながら、

逃げるように、


競馬場を後にする。


……。



(そうだよ。
 競馬はロマンだよ。
 お前は、いつも言ってたじゃないか。)



1990年12月23日。

日曜日。


忘れることのできない一日です。



(おわり)




ああ、やっと終わった…。


長い連載でしたね。

お付き合いいただき、
ありがとうございました。

たくさんのコメントも、
ありがとうございました。


さ、今度は、

何書こうかな…?


なんだか、これも、

アレンジのようになってきましたね。(笑)



SHUN MIYAZUMI

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July 27, 2009

競馬はロマンだ! その8


暑中お見舞い申し上げます。


いや、本当に暑いですねえ。

早くも夏バテ気味の私ですが、
でも夏は、
これからが本番です。


そして、

今週は、いよいよ、
待ちに待った、
ジャミン・ゼブ『品川教会 2days』ライブ♪


メンバーも私も気力充実。

準備万端整いました。

あとは、みなさんの、
熱い声援だけです。


『真夏の夜の饗宴』

大いに盛り上がりましょう!



で、


その前に、


(またか…)




『競馬はロマンだ! その8』


さあ、各馬が最終コーナーを廻って、
直線に入って来た。

ドドドドドドッ!

すごい迫力です。


(おお、4番がトップに立ったぞ。
 5番はどうだ、9番は…?)


場内の興奮は、
もうもう最高潮。

あちこちから、
「来い!来い!」
の掛け声がかかる。


オードリーちゃんじゃないけど、
こっちも負けてはいられません。

「4番逃げろ!
 5番行け!
 9番来い!」

思わず声が出ちゃいますね。

「行け〜〜〜〜〜〜〜!」


♪♪♪



ちなみに私、

馬主席にご招待を受けたり、
指定席に誘われたことも、
何度かあります。

雰囲気はリッチだし、
ちゃんとお弁当は来るし、
ゆったりとした自分の席で、

楽しめるには楽しめるのですが、


でも、私は…、


やっぱり…、


大観衆と一緒になって、
一喜一憂する一般席(立ち見だけど)
のほうが、

断然好き。


なによりも、

そうした、
ガラス張りのVIP席では、
目の前の「ドドドドドッ!」
が味わえません。


あの迫力満点の、

目の前を各馬が、
ドドドッと駆け抜ける、

あのゴール・シーンが、

最高にスリリングなのですから。



そんなことを考えてる間に、

各馬が、

どっとゴールになだれこんだ。


「うお〜〜〜〜〜〜〜!!」


………。



よし、4番が1着だ!

(やっぱり荒れたな。
 2着はなんだ…?)


2着は大混戦で、
写真判定になりました。


5番か9番だと、
私の勝ち。

しかし他の馬が来たら、
一巻の終わりです。

この判定を待つ間が、また、
ハラハラ、ドキドキ。


そして、発表。


4−5だ!!

最終オッズは、

2,800円(28倍)!

(ウッシッシ)



でね、

こういう中穴が来た場合は、
場内のほとんどの人から、

「あ〜あ」

という、
落胆の声が聞こえてきます。


しかし私は、

ウッシッシです。

(だから、土曜日は、
 適当に荒れるって言ったでしょ。)


こんなシーンを、
私の相棒の、
Y浅くんは、

何度も目撃しております。

ウッシッシの現場を。


ま、早い段階で、
こういう馬券を取ると、
その日は余裕を持って遊べますね。


こうして私は、

新しい缶ビールを購入し、

すぐさま次のレースの予想に入る。



いやあ楽しいですなあ、

土曜競馬は。


それにしても、


いいお天気だ。


☀☀☀




とは、言いつつも、

やはり競馬は、

儲かるものではありませんね。


これが結論です。



なぜか…?



馬券配当が少なすぎるからです。

胴元(JRA)が稼ぎ過ぎだと、

私は、思うからです。



たとえば、

4−5という組み合わせが来て、
28倍という馬券を当てたとしましょう。


この場合、
どの競馬新聞にも、
4−5などという組み合わせは、
出ておりません。

4番にも、5番にも、
本命(◎)、対抗(◯)
の印は、
ほとんどありません。


プロの競馬評論家や競馬記者が、
あらゆるデータや血統を研究し、
レース前の練習風景を見、
付けた予想のなかに、

そんな組み合わせは、
存在しないのです。


しかし、

私は、当てた!


何度も言うように、

私は、けっこう当てます。


48倍などという倍率を、
取ったこともありますが、

この場合は、
どっちの馬も、
無印に等しい評価です。


プロが当てられないのを、
私のような素人が当てるのですから、

配当は、
もっとあってもいいのではないか。


私は、いつもそう思います。


だから競馬は、儲からない。


だから、競馬は、

ピクニックなのです。


たま〜に、

お天気のいい日に、

ピクニック気分で楽しむものなのです。


♡♡♡



このシリーズの冒頭でも書いたように、

私にとっての競馬は、

ロマンです。



やはり私は、

投機を対象とした、
「競馬ファン」ではなく、

どちらかというと、
レースそのものを楽しみ、
強い馬やその“勝ち方”に感動する。


言わばロマンとしての、
「競馬」を楽しむタイプではないかと、

思うのです。


かつての“名馬”たちに、
思いを馳せ、
血沸き肉踊る“名レース”を、
いつまでも酒の肴に、
友人たちと大いに飲み明かす。

これが、
この上もなく楽しいのですから。



ああ、そんなこと、

わかっているのに、


わかっているはずなのに…。



なぜ、私は、


あのとき、


あんな決断をしてしまったのだろう…。


……。




次回、痛恨の最終回です。



(つづく)




珍しく、

風邪をひいてしまいました。

トホホ。


金曜日(7/24)の、
「A'TRAIN」ライブでは、
耳が遠くて、
あまり自分の音が聞こえなくて、

いささか、
不本意な演奏になったのではないかと、
心配なのですが…、

でも、あんなにたくさん来ていただいて、
感謝、感謝でございます。



ふだん、ジャミンには、

「体調管理もプロの仕事だよ。」

などと、えらそうなことを言ってる私が…。


いやあ、お恥ずかしい。

来月(8/28)は、

万全でリベンジします。



レンセイにそんなこと話したら、

これまた、

いつもの逆をやられました。


「マ、ソンナヒモ、アリマスヨ。」


……。



(ダメじゃん…)



SHUN MIYAZUMI

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July 19, 2009

競馬はロマンだ! その7


ああ眠い。


深夜の2時半まで、
ゴルフ「全英オープン」(3日目)を、
観ていたのですが、

まず、最初に飛び込んできたのが、
石川遼君、予選落ちのニュース。

(あれ? 初日、あんなに快調に、
 滑り出したのになあ…?)


なんでも、
2日目の後半に、
大崩れしたんだそうです。

スコットランド特有の、
“風”にやられましたね。

ま、何ごとも経験、経験。

若いんだから。

来年のリベンジに期待しましょう。



でも、石川選手の活躍を、
楽しみにしていただけに、
正直、ガッカリ。

(なあんだ。がっかりだなあ。
 じゃ、もう寝ようかな…。)

と思い、
リモコンのスイッチに手を伸ばした、
そのとき!

私の目に映ったのが、

なんと!

トム・ワトソンの勇姿!!


トム・ワトソンといえば、
“7〜80年代”に、華々しい活躍をした、
名選手中の名選手。

(ええ〜? まだやってたの…。)


やってたどころではありません。

59歳にして、
堂々の単独トップ。

ドライバーの飛距離も、
若い選手になんら負けてはおりません。


59歳といえば、

私とほぼ同い年。


驚きました。

もし優勝すれば、
最年長のメジャー獲得記録を、
大幅に更新するんだそうです。


もし優勝すれば、

テニスのウィンブルドンで、

引退したボルグが、もう一度出て来て、

フェデラーを破るようなもんです。



競馬に例(たと)えると、

15歳の馬が、

有馬記念を制するようなもんです。


(また、競馬かよ…。)




『競馬はロマンだ! その7』


いよいよ本馬場に、
レースに出走する各馬が登場です。

そして、
騎手が“ひとムチ”くれると、
各馬一斉に「試走」に入ります。


これ、「返し馬」と言うのですが、

この、「走り出す」一瞬の動き。


これって、結構重要だと思うんです。


前足をキュッとあげて、
素晴らしい瞬発力で、
走り出す馬。

(よしよし。こいつ、
 彼女にいいとこ見せようとしてるな。)


その一方で、

「ああ、嫌だなあ。
 また走んのかよー。
 早くレース終わって、
 A'TRAINで一杯やりたいなあ。」

とでも言いたそうな、
やる気のな〜い馬もいる。


そういう、

やる気のなさそうな馬を、

ここで見分けるのです。



こうして、

自分がこれまでに選んだ、
6頭のうち、

パドックの馬体重チェックで1頭落とし、
この「返し馬」で、
さらに1頭落とす。


もし、絞りきれない場合は、

最後に騎手ですね。


1年に、100勝以上もする、
武豊や横山、福永、
といった名騎手と、

聞いた事も無いような騎手では、
やはり前者のほうが、
来る確率は、

高い!



さ、おさらいをしましょうか。


1)名前がいい。
2)上がり馬である。
3)かつての名馬の血を引いている。
4)馬体重がベストに近い。
5)「返し馬」で、いい動きをしている。
6)名騎手が乗っている。


これらを総合した結果、
私が選んだのは、

4、5、9、10番の4頭。


最終オッズを見てみましょう。

4−5  2,800円(28倍)
4−9  3,600円(36倍)
4−10   4,100円(41倍)
5−9  1,600円(16倍)
5−10   2,200円(22倍)
9−10  5,500円(55倍)


いいですねえ。

新聞に出ている、
土曜日の結果は、
ほぼ、これに近い倍率のものが、
圧倒的に多いのですから。

いい線だと思います。

ま、この中から、
1点落とすとしたら、
9−10の55倍ですかね。

一番、確率が低そうだから。


与えられた、
30分くらいの時間のなかで、
私に出来るのは、
ここまででしょうか。


それでも、

かなりのところまで、
確率を高められたような気がします。

ええ、気がするだけです。


「このどれかが絶対来る!」
と信じて疑わない。

ええ、勝手に信じてるだけです。


しかし、男の子だ。

決めた以上は、

もう迷わない!


♡♡♡



こうして私は、
5種類の組み合わせに、
1,000円ずつ投資。

自動販売機から出て来た馬券に、
「たのむぞー。」
と、そっと声をかけると、

レースを観るために、
スタンドのまん中あたり、
電光掲示板の正面に位置するあたりに陣取る。


さあ、ファンファーレが鳴った♪

各馬がゲートに入る。


スタートだ!!


ドドドドと地鳴りのような響きが、
近づいてくる。

目の前の緑のターフを、
美しく調教された、
鮮やかなサラブレッドたちが、

ものすごいスピードで、
一周目を駆け抜ける。


パカパカパカではありません。

ドドドドドドッ!!

です。

テレビで観るのとはケタ違いの、ド迫力!


そして、目の前の電光掲示板には、
向こう正面に行っても、
その模様が詳しく映し出され、
刻々と変わる順番が表示される。

場内いっぱいに響き渡る、
アナウンサーの声。


(ああ、10番は消えたな。
 おっ、4番と9番はいいところにいるぞ。
 よし、来い!来い!)

内心、ドキドキ、ハラハラの私ですが、
場内はもう熱気につつまれています。


そして、
各馬が最終コーナーを周り、
いよいよ直線に入ってきた。

場内、もうもう騒然。

「○番、来い!」

「○番、なにやってんだよー!」


あちこちから、

興奮したお客さんの声がかかる。



と、ここで思い出すのが、

映画「マイフェアレディ」の一シーン。


貧民街から拾って来た、
汚らしい身なりの、
品のない言葉をわめきちらす、
ひとりの少女。
(オードリー・ヘプバーン)

彼女を見込んだヒギンズ教授は、
正しい英語を教え、
上品な振る舞いを教え、
身なりをきちんとさせ、

一人前のレディとしての教育に、
心血を注ぐ。


やがて、
見違えるような美しいレディに
変身した彼女を、

ヒギンズ教授は、
競馬場に連れて行きます。

美しいドレスで着飾った彼女を…。


イギリスやフランスでは、
競馬は貴族や上流階級の遊びです。

「アスコット競馬場」(ロンドン)

「ロンシャン競馬場」(パリ)


そして教授は、
知り合いの貴族たちに、
彼女を紹介していきます。

すると、
みな彼女の美しさに、
一様にビックリ。


「あ〜ら教授。
 なんて美しいレディなんざましょ。」

「まあ、本当にお綺麗なお嬢さんですこと。」

「きっと、由緒ある名門の、
 お嬢さんなんでしょうねえ。」


上流階級の貴族たちは、
みな、彼女の華麗さをたたえ、
その美しさにため息…。

その度に、
満足げに笑みをうかべる、
ヒギンズ教授。


とまあ、

ここまでは良かった。


そのうち、レースが始まり、

各馬がゴールめざして駆けてくると、

この、オードリー・ヘプバーンちゃん。


思わず、馬券を握りしめ、

「このヤロー、なにやってんだよー。
 早く来いってーの。
 ああ、もたもたしてんじゃねえよー。
 あああ、抜かれちゃうじゃねえか。
 てめえ、来いってえの。おら。
 おら、おら、おら。」

と、ついに本性が…。


すると、

さっきまで、
その美しさを讃えていた、
上流階級や貴族の、
紳士、淑女のおじさま、おばさまたちが、
一斉に彼女の方を見る。

「見るも汚らわしい」
といった、あきれた表情で。

苦虫を噛みつぶしたような表情で。


「あっちゃ〜。」
とばかりに、
顔を真っ赤にしてうつむいたままの、

ヒギンズ教授。


アハハハ。

これ、最高にケッサクのシーンでした。



でもね、


その気持ちわかりますよ。


それが自然ですよ。



ね、オードリーちゃん。



(つづく)




というわけで、

今宵も私は、

テレビの前で、

トム・ワトソンの応援です。


行け、59歳!

負けるな、59歳!

見せろ、熟年パワー!



そういえば、

今週の金曜日(7/24)は、

私もピアノ・ライブだ。


行け、58歳!

負けるな、スポーツ・ピアノ!

見せろ、熟年パワー!


(一緒にするな)



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:04|この記事のURLComments(20)TrackBack(0)

July 13, 2009

競馬はロマンだ! その6


暑いですねえ。

梅雨明け間近、
といったところでしょうか。


さてさて、

ジャミン・ゼブ・ファン・クラブ、
第一回会報を見た、みなさんから、
たくさんの暖かいコメントが、
あっちにも、こっちにも…。

ありがとうございます。。。


とりあえず好評のようなので、
まずは、ひと安心しました。

私のコーナーもね。

(ホッ)


で、メンバーの「赤ちゃん時代」の写真を見て、
まず思ったことは、

「彼らが赤ちゃんのときは、
 もう、カラー写真なんだなあ…。」

ということ。


私なんか、

モノクロですからね。


(あたりまえだ!)




『競馬はロマンだ! その6』


さて…、

まったくの独断と偏見で、
6頭を選び出した私が、

次に向かうところ。


それは、

「パドック」です。


パドックというのは、

相撲でいうところの、
「土俵入り」
というやつでしょうか。

次のレースに出走するお馬ちゃんたちが、
馬丁さんに連れられて、
ゆっくりと、黙々と、
楕円形のグラウンドを、
行進しています。


そして、ここには、
本当に大勢のお客さんがいます。

みな、必死に、
お馬ちゃんの一挙一動に、
注目しています。

ま、お金がかかってますからね。

みなさん、真剣勝負です。



しかし…、

はっきり言って、

私のような素人には、
何を(どこを)見ていいのか、

さっぱり、わかりません。


よく、テレビの競馬中継で、
競馬評論家や記者たちが、
パドックをゆっくりと行進する、
各馬を紹介しながら、

「ああ、この馬は気合いが入っていますねえ。」
とか、

「この馬は、毛づやもいいし、
 順調に仕上がってますねえ。」
とか、

「この馬は、もものあたりも締まっていて、
 しっかり調教が出来たようですねえ。」

などと、おっしゃってますが、

私には、
なんのことだか、
まったく、わかりません。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



私に言わせれば、

いかに土曜日とはいえ、
「中央競馬」を走るような馬なのですから、

どの馬も、
毛づやが美しく、

どの馬も、
しっかり調教の行き届いた、
均整のとれた、
美しい体型をしていて当たり前。


だから、これは、

参考にならない。


さらには、

「パドックで入れ込んでる馬は、
 スタミナ、体力を消耗するので、
 レースではバテてしまう。」

てなことを、
おっしゃってたような気もするのですが、


はたして、

そうでしょうか…?


私は、パドックで、
「イヤイヤ」をしながら、
口から泡を飛ばし、
何人もの馬丁さんや騎手の人が、
必死で押さえこんで、
なんとか出走までこぎ着けた、
超入れ込み馬が、

ぶっちぎりで勝ったのを、
何度か目撃しました。


(この馬は、
 早く彼女に会いに行きたかったんだろうな。
 うんうん…。)



また、こんな話も聞いたことがあります。

「パドックで糞(ふん)をする馬は、
 気合いが入ってないから、
 走らない。」


これも、

本当ですか〜?


とあるレースで、
私が本命と狙った馬が、
なんと、パドックで、
ボタボタと、糞(ふん)をし始めました。


「あ〜あ。こりゃダメだ。」

この話を思い出した私は、
やむなく作戦変更をしました。


でも結果は、この馬が、

6馬身差の圧勝でしたよ。

……。


(スッキリして、体も軽くなるから、
 かえって走るんじゃないの…?)


ま、私は、

その程度の認識。


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



ですから私は、

パドックに行っても、
なんら得るものがない。

な〜んにも、わからないから。


というより、
大勢のお客さんにも、
「あんたらも、
 ちゃんと分って見ているのか。」
と言いたい気分です。

失礼ながら。



私がパドックに行く、

その理由は、

ただ一つです。


それは、

「馬体重」のチェック。



パドックの電光掲示板には、
出走する馬の、

“最終馬体重”が発表されています。


例えば、こうです。

1.シュンサクリュウ 450kg ー20


この場合の、−20
というのは、
“前のレース”より、
20kg減ったということを意味します。


「こりゃ、痩せ過ぎだなあ。
 体調不良で、ロクに食べてないかも…。」

と思われるでしょうが、

でも、そうでしょうか…。



競馬新聞を見てみましょう。

そこには、
出走馬の過去5レースのデータが、
詳しく出ています。


この「シュンサクリュウ」の前走は、
10位と、惨敗でした。

そのときの体重は、
470kgだったわけですね。


ところが、
3戦前のレースでは、
450kgで2位に入っている。

上がりも、ベスト・タイムです。


ということは、

今日の「シュンサクリュウ」は、
450kgという、
“ベスト体重”に戻ったわけです。

むしろ前走が、
太り過ぎだったわけです。
食い過ぎだったのです。
メタボだったのです。


♡♡♡



ところで、

ダービーや有馬記念といった、
ビッグ・レースには、
「前日の前売り投票」
というのがありますね。

あれは、やめたほうがいいです。


一度、友人に、
前日に何枚か馬券を頼んだことがあります。

そのときの私の本命は、
前走で華やかにクラシックを制した、
Yという馬でした。

前売りでも、
圧倒的な1番人気です。


しかし…、

レース当日のパドックの様子を、
テレビで見て、
私は愕然としました。


前走より、
「ー20kg」
だったのです。


前走の“ベスト体重”から、
20kgも痩せている!

この場合は、
明らかに体調不良です。


案の定、この馬は、
早々と圏外に消えました。

……。



ですから、

この“最終馬体重”というのは、
とても重要なのです。

それが、発表されるのが、

この「パドック」なのです。


少なくとも、
「ベスト体重」から、
10kg以上の増減のある馬は、

要注意ですよ。


さあ、こうして、

このパドックで、

私の選んだ6頭から、

さらに1頭が脱落しました。


(あと、もう少しだぞ…)


♡♡♡



さて、

パドックの行進が終わると、
各馬に騎手が乗り、
いよいよ本馬場入場です。

で、私は、

観客席の一番前に、
すばやく移動して、
入場してくるお馬ちゃんたちを待ちます。


すると、

先導の白馬につづき、
各馬が緑のターフに現れる。

一頭一頭、

静かに入場です。


そして、
思い思いに騎手が、
“ひとムチ”くれると、
お馬ちゃんたちは、

「待ってましたー。」

とばかりに、
一斉に駆け出します。


いわゆる「試走」ですね。


この、

「走り出す」一瞬の動き。


これを「返し馬」と言うのですが、


これって、


案外重要な気がするんですよ。



私はね…。



(つづく)




それにしても、

このシリーズは、

いつまで続くのでしょうか。

アハハハ。


でも、
これを書いてるときだけは、
現実を忘れております。

書き終わるや否や、
ぶわ〜っと仕事モードが、

押し寄せて来る。


まるで、

二重人格者のようですよ。


最近の私ったら。


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


(シマムくん、
 流用許したまえ。)


SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:53|この記事のURLComments(18)TrackBack(0)

July 07, 2009

競馬はロマンだ! その5


すっかりご無沙汰してしまいました。

10月の「STB139」
ファン・クラブ先行予約も始まり、
おかげさまで、
なんだか慌ただしい毎日を送っております。


そんな中、

今週後半からは、

NHK-BS「世界映画音楽大全集」(7/16)
および、
月末の品川教会ライブ(7/30、31)に向けて、
本格的なリハーサルが始まります。

ライン・アップもほぼ決まり、
気合い十分のメンバーと私。

(と、思いたい。)


まさに、

「jammin'Zeb 夏の陣 2009」前夜。

嵐の前の静けさといったところでしょうか。


ぶるぶる。

(武者震い)



そんな状況下にあっても、


やっぱり、


お馬ちゃんの話。


……。




『競馬はロマンだ! その5』


競馬は“確率”だ。

これが私のモットーです。


今日は、そんな私の、

オリジナリティーに溢れた(?)、
科学的根拠の全くない、
データなんかくそくらえの、
独断と偏見に満ちた、
恐れを知らない、

独自の、“馬券の買い方”を、

公開したいと思います。



快晴に恵まれた土曜日のお昼頃。

中山(東京)競馬場に着いた私は、
さっそく、
「ケイシュウ」「勝馬」という、
2つの競馬新聞と赤エンピツを購入。

さらに、

缶ビールと、
つまみの“おでん”かなんかを買って、
適当な芝生の上に、
どっこいしょ。

(そよ風が気持ちいいなあ…。)


時計をみると、
次のレースまで、
30分ある。

出走馬は10頭。

さあ、推理だ。


どれどれ、「ケイシュウ」の予想はどうだろう。

1-3 2倍
1-5 3.5倍
1-7 6倍

(そうか、1番が本命なんだな)

一方の「勝馬」はというと、

1-5 3.5倍
5-7 10倍
7-9 13.5倍

(ふむふむ。中穴路線らしく、
 9番という馬が出て来たな。)


前回も言いましたが、
馬番連勝複式
(1、2着の2頭を当てる。
 順序は逆でも可。)
の場合、

10頭立てだと、
その組み合わせは45種類もあります。

その中から、5種類を選び出す。

普通に考えれば、
これは大変な作業です。


でも、

何度も言うように、
土曜日は、
適当に荒れます。

私が調べたところ、
20倍〜50倍というところが、
一番多い。

7〜80%くらいが、
この倍率で飛び込んでくる。


で、私の場合、

これを、
15倍〜60倍くらいに、
範囲を広げて、

競馬新聞に書かれてある予想オッズの、
それ以外の倍率の組み合わせを、
全部捨てるのです。

ええ、バッサリとね。

15倍以下の本命路線、
万馬券を含めて、
60倍以上の高配当のもの、

これらに、
バッサリと赤エンピツでバツを入れる。

(だって、土曜日は、
 来ないんだも〜ん。)



すると、
20種類くらいの組み合わせが消えます。

45ー20=25

つまり、
当初は9分の1だった確率が、
25分の5。

すなわち、5分の1にまで、
縮まりました。



さて、お次は、

2つの新聞がクローズ・アップしている馬。
すなわち、

1、3、5、7、9

に注目です。


このなかで、
本命の1番を、私なら捨てます。

なぜなら、
この馬を基準にした場合、
15倍〜60倍という枠のなかに、
収まらないからです。

(確率が証明してるぞ〜。)


すると残った馬は、

3、5、7、9の4頭。


さらに、ここに、

私ならではの注目馬を探し出す。


競馬新聞が、
まったく期待していない、
無印に近い馬の中から、
2頭を探し出す。


その裏付けは、


1)名前がいい。

  そう、このシリーズの最初にも書いたように、
  オーナーが期待を込めて付けたと思われる、
  素敵な名前の馬はいないか。


2)上がり馬である。

  競馬新聞には、
  各馬の、過去5戦のデータが書いてあります。
  例えば、過去5戦が、古い順に、
  3着、5着、8着、10着、11着、
  となっていても…、
  最後の、上がりのタイムが伸びてる場合は、
  相手が強いレースに挑んだ結果ですから、
  今日のレースの顔ぶれだったら来る事もある。
  逆もまた真なり。


3)有名な、好きだった馬の息子(娘)である。

  競馬の専門家は、 
  「母方の血統を重視せよ」と言います。
  しかし私のような素人は、
  そんなところまで研究する時間はありません。
  しかも、プロが、そうやって研究しても、
  土曜日は荒れに荒れるのですから、
 
  「信用しないも〜ん。」

  この精神が大切です。

  私の場合は、
  かつて活躍した、
  懐かしい名馬の血を引いている、
  それだけで燃えるのです。
  それだけで1票投じたくなります。

  そうです。
  「競馬はロマン」
  なのです。


♡♡♡



ま、このようなことを考えながら、
何気に4番と10番が、
浮かび上がってきたとします。


ここで、

3、4、5、7、9、10

の、6頭に絞られました。


この6頭を組み合わせると、
15種類にまで減ります。

しかも、
どの組み合わせも、
15倍〜60倍の枠に、
きっちり収まっています。


この中から、
さらに5種類に絞り込むのですが、
現時点で、

15分の5。

確率は、3分の1にまで、
縮まりましたね。


ここまでの所要時間、

約10分。

ふ〜。


☆☆☆



よく、テレビの競馬中継を見ていると、
レースとレースの間が、
やたら長く感じますよね。

「おしゃべりはいいから。
 早くレースやってよー。」

「ああ、またCMかよー。」

と、じれったくなるのですが、


実際に競馬場で、
「勝ち馬」予想をしていると、
この、30分くらいのインターバルが、
とても短く感じます。


「ええ、もう締め切り?」

「ちょっと待ってよ、
 まだ決めかねてるよー。」

と、あせることがほとんどです。


でも、この時間が楽しいんだなあ!


芝生の上で、
ビールを飲み、
おでんや焼きそばに箸をのばし、

必死に競馬新聞とニラメッコ。


仕事のことも、
嫌なことも、
悩みごとも、

すべて忘れて没頭できるのです。


いや、

没頭しなかったら、
損をするのですから、
否が応でも、

必死にならざるを得ない。


これが、

「ストレス発散」には、

いいんじゃないでしょうかね。


しかも、

美しい芝。

美しい競走馬。

爽やかなそよ風。


やっぱり競馬は、

お天気がよくないと困りますね。


☀☀☀



さて、このようにして、

私は6頭の馬に印を付けました。


しかし、まだ、その組み合わせは、
15種類もあります。

その中から、
4頭くらいに絞り込まなくてはいけない。

4頭の組み合わせだと、
6種類ですからね。


この場合の私の発想は、

「どの馬が来るんだろう?」

ではなく、


「2着までに来れない馬は、
 どれだろう?
 どの2頭が、来ないんだろう…?」



さあ、そんな私が、


次に向かうのが、


パドック。


……。



(つづく)




これ、

競馬の専門家や、
熱心なファンが読んだら、
怒っちゃいそうな内容ですね。

偉そうだし。

アハハハ。


でも、適当に勝つんだから、

仕方ない。


それにしても、
予想に反して、
随分と、長い連載になってしまいました。

競馬に興味のない方には、
申し訳なく思うのですが…、


ま、こういうことを書いてるということは、


私は、


“平和”だということです。


(だから、どうした。)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 18:09|この記事のURLComments(21)TrackBack(0)

June 28, 2009

競馬はロマンだ! その4


早いもので、

今年も半分が過ぎました。


慌(あわ)ただしかったような気もするし、

じっくり腰を据えて、

いろんなことが出来たような気もするし…。


振り返ってみると、

そんな半年でしたが、


みなさんは如何(いかが)ですか?



でも、よくよく考えてみたら、

2年前の今頃は、
まだ、デビューもしていないんですね、
ジャミン・ゼブは。

ま、みなさんのおかげで、
快調なテンポで走ってる、
のではないでしょうか。

クラシック・ホースのようにね…。


こんな調子で、

後半戦も、

大いにがんばりたいと思います。



では、今日も、

“お馬ちゃん”のお話の、

つづきです。



『競馬はロマンだ! その4』


『宮本武蔵』や『三国志』で知られる、
時代小説の巨匠、吉川英治さんも、

時おり、ピクニック気分で、
競馬を楽しんでいたそうです。


そんな吉川さんは、

競馬場に行くとき、
ズボンの右ポケットに、
30,000円の軍資金を入れて行ったそうです。

そして、
レースに勝った配当のお金は、
必ず左のポケットに入れる。


右ポケットの軍資金が無くなったら、
その日は終わり。

左ポケットの配当金を、
レースにつぎ込む、
ということは一切しない。



私も、同じです。

吉川さんの考え方、
大好きです。


私も、軍資金は30,000円と決めています。

仮に全部負けても、

スッカラカンになっても、


「ああ、楽しかった!
 お天気もよかったし、
 迫力満点のレースも楽しめたし、
 勝てなかったのは残念だけど、
 いい気分転換になった。
 いいピクニックになった。」


と、落ち込まないですむ、
明日からの生活費に困らない、
ギリギリの投資額が、

私にとっては、

このくらいの金額だから。


ま、吉川英治さんの頃の30,000円と、
今の30,000円では、
貨幣価値が、

ずいぶん違いますがね。(笑)



私の友人の一人に、

「100万円ないと、
 競馬はできないよー。」
などと豪語する、
とんでもないギャンブラーがいますが、

そんな人とは、
一緒に遊んではいけません。


「シッ、シッ、あっち行きなさい。」
です。


個人個人によって、
投資できる金額は決まっているのですから、
一日、1,000円でもいいのです。

自分の出来る範囲で、
無理なく遊ぶのがいいのです。

「一攫千金」なんて考えては、
いけないのです。


ましてや、
生活を賭けてやるなんて、
借金してまでやるなんて、

と〜〜〜〜んでもない!!


あくまで、競馬はピクニックです。


そして、実は、

楽しい“頭脳ゲーム”なのですよ。


少なくとも、

私にとってはね…。


♡♡♡



さて、私の場合、

その、30,000円の軍資金を、

1レースに5,000円づつ分けて、
6レースくらい楽しむ。

これをルールとしております。


そして、

レースに勝った配当金は、
全レースが終わって、帰る直前に、
まとめて換金します。


せっかく何レースか勝って、
浮いているのに、
有り金を全部最終レースにつぎ込む、
といった人を、
よく見かけますが、

私には、まったく理解できません。



競馬というのは、

ガチガチの本命が来るレースもあるし、
万馬券がでるような荒れたレースもあるし、
私のような「中穴党」が喜ぶような、
適当なレースもあったりして、

レースごとに内容や質が違うのです。


要は、

「何レース当てるか」というのが楽しい、

“確率”の勝負だと思うのです。


前にも書きましたが、

一日6レースのうち、
2レース当てると、
その日はプラスです。

3レース(半分)当てると、
帰りにみんなで寿司が食えます。


それを、

全部最終レースにつぎ込むなんて…。


私に言わせれば、

その人は、

その日、
最終の1レースしか、
しなかった事になる。


これでは、“確率”が悪すぎます。

ナンセンスです。


もちろん、競馬は「ギャンブル」です。

結局は、
胴元(JRA:日本中央競馬会)が勝つに、
決まってる。


しかし、

せっかく投資する以上、

少しでも、JRAの鼻をあかしてやりたい。
少しでも、JRAからムシリ取ってやりたい。


ええ、せっかく競馬場まで行くんですからね。

そうなったら勝負ですよ。


勝負事は、

勝たなくてはいけません。


そのためには、

より高い“確率”を求める。


これが私のモットーです。


エヘン…。


♤♤♤



そう、確かに、

競馬は「ギャンブル」です。


しかし、“イチかバチか”
ではないと思うのです。

必ず、勝てる法則があるはずなのです。

というより、
“負けない”法則が…。



それは、

“ギャンブル性”を少しでも減らす、

ということではないか、

と、私は思います。


偉そうなことを言っておりますが、
私は、赤字で帰ったという経験は、
2、3回しかありません。

7レース中、
6レースに勝利した経験もあります。
しかも、ほとんどが15倍以上の配当でした。

(うっそ〜〜〜!)


いや、本当に…。


「競馬ど素人」の私ですが、

意外と勝率は高いのですよ。



さて、

私は、競馬場に行くと、
まず、競馬新聞を2種類買います。

「ケイシュウ」と「勝馬」
という二つの新聞を。


そして、私の見たところ、

「ケイシュウ」は本命路線。

「勝馬」は中穴路線です。



例えば、

前回書いたように、

予想オッズが、

1ー3 2倍
1ー5 3.5倍
1ー7 6倍

といったレースがあるとします。

(馬番連勝複式)


本命路線の「ケイシュウ」は、
まさに、
「これで決まり」
です。


そこへいくと、
中穴狙いの「勝馬」は、
いささか違います。


1ー5 3.5倍
を本命として、

5ー7 10倍
7ー9 13.5倍

……。



ううむ…。

これは、、、

じっくり考える必要があるレースですね。


ま、日曜日なら、
そんなに大崩れはしません。

「ケイシュウ」で決まりでしょう。


しかし、土曜日は、

確率からいって、
そんなに固い結果には、
ならないのです。

私が調べたところによると、
土曜日の平均倍率は、
20〜50倍が一番多い。

まず、8割くらいのレースが荒れます。


仮に、このレースが10頭立てとすると、
馬番連勝の組み合わせは、
45種類もあります。

その中から、
5点を選ぶ。

これは至難の技です。


しかも、これを、

20分〜30分で考えなくてはいけない。



では、


どうするか…?



みなさんも、考えてみて下さいね。



(つづく)




ところで、


6/26(金)の学芸大「A'TRAIN」

にお集りのみなさん。

ありがとうございました。


またまた楽しい夜をご一緒できて、

嬉しかったです。


梅雨どきで、

ピアノの調律がいささか悔やまれますが…。



で、この馬を、

じゃなかった、

この場をお借りして、

次回のご案内。


次回は、7/24(金)の変則開催です。


よく考えたら、

最終金曜日(7/31)は、

ジャミン・ゼブ「品川教会」ライブでしたね。



アハハハ。


危ない、危ない。


(たまに、こういうことやるんだなあ…)



SHUN MIYAZUMI

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June 19, 2009

競馬はロマンだ! その3


前回、変なクイズを出したら、

あっという間に、
何人もの方が、
ズバリ、当ててしまいました。


これには、本当に驚きました。

みなさん、すごい!!


こんなクイズでしたね。


膃肭臍(おっとせい)市作
馬鹿(ばか)の勇介
横巾(よこはば)楯之助(たてのすけ)
不了簡綾丸(ふりょうけんあやまる)
文明開化(ぶんめいかいか)
釘貫(くぎぬき)禰次兵衛(ねじべえ)
鬼の臍(へそ)常吉
御手洗(おてあらい)馬之助
兎角是非内(とかくぜひない)
貫透(つらぬきとおる)


これ、何でしょう?



正解は…、


かつて実在した、


お相撲さんの「シコ名」なのです。


(ええ〜〜〜っ!)



いずれも、
江戸時代から明治時代にかけての、
お相撲さんばかり。

今なら、
人権問題になりそうな「シコ名」ですが、

当時は、今よりずっと、
大らかだったのでしょうか。


でも、

こんな「シコ名」を、
親方から与えられるくらいですから、
ほとんど見込みのない力士ばかりでしょうね。

事実、大半が、
序の口、序二段といった、
いわゆる「フンドシかつぎ」の下っ端のまま、
廃業しています。


彼らと同時代の、
歴史に残る大関、横綱と、
比較してみましょうか。


雷電(らいでん)為右衛門
谷風(たにかぜ)梶之助
稲妻(いなづま)雷五郎
陣幕(じんまく)久五郎
鬼面山(きめんざん)谷五郎
梅ヶ谷(うめがたに)藤太郎
常陸山(ひたちやま)谷右衛門
太刀山(たちやま)峰右衛門


どっちが強そうですか?


言うまでもありませんね。(笑)



でも、実際にあったのかな、

対戦…?


雷電(らいでん)ー御手洗(おてあらい)
常陸山(ひたちやま)ー膃肭臍(おっとせい)
稲妻(いなづま)ー鬼の臍(おにのへそ)
太刀山(たちやま)ー馬鹿(ばか)


アハハハ。

私が、「膃肭臍」や「鬼の臍」だったら、

間違いなく逃げますね。

命が惜しいから。



で、

何が言いたいかというと、


新弟子の頃から、
「こいつは見込みがあるな」
とか、
「これは将来有望だな」
といった力士は、

親方も、それなりに立派な名前を、
考えるだろう、
ということなのです。

「大鵬」や「双葉山」は、
それに値する逸材が出るまで、
親方が、ずっと温めていたと言います。



でね。

私は、それは、
競馬にも当てはまるのではないかと、
考えています。


「将来有望だ」
「絶対この馬は一流になれる」

そんな期待をこめた新馬には、

それなりの素敵な名前を、
馬主(オーナー)や調教師は、
付けるのではないでしょうか。


一例をあげると、

『マンハッタンカフェ』


いい名前でしょ。

まだデビューして間もないレースで、
私は迷わず“名前買い”。

はい、見事に1着でした。



それから、

「トキオエクセレント」


ちょうど私が、
ジャニーズ事務所の
「TOKIO(トキオ)」というグループの、
プロデュースをしていた頃、

こんな名前の馬が出走表にあったので、
これも迷わず、
この馬から流して5点買い。

ええ、15倍の配当がつきましたよ。



それから、

『ヤグモワイルド』


私は、目黒区八雲(やぐも)というところに、
住んでいます。

ですから、
人気薄でしたが、
この馬から流してみました。

結果は…、

見事に来て、
なんと48倍の配当!!


ま、これは、まぐれですが。



いずれにしても、
「馬の名前」は、
いろんな意味で重要です。

(と思います)



「いい名前」

「素敵な名前」

「何か心に残る名前」

「強そうな名前」


これらは、

素質があるから、
オーナーが期待をこめて付けたわけであって、
今は走っていないけれども、
いずれ“大バケ”する可能性を秘めてるわけです。


このことは、

よく覚えておいて下さい。


♡♡♡



さて、前回も言いましたが、

私は土曜日の「クズ馬」レースが好きです。


土曜日のレースは、

私のような「中穴党」にはうってつけです。



私は、連勝複式しか買いません。

それも、1レース5点まで。


なぜか?


単勝(1着を当てる)や、
複勝(3着までに入ればいい)では、
配当が少なすぎる。


今流行りの、
3連単(1、2、3着を全部順番どおり当てる)や、
3連複(選んだ3頭が来れば、順番は関係ない)

では、

配当はすごいのですが、
組み合わせが多すぎて、
とても時間内に絞(しぼ)り切れない。

頭が痛くなってくる。



そこへいくと、

連勝複式はいいですね。


選んだ2頭が、

順序は関係なく、

1、2着に来ればいい。

(たとえば、
 1ー2という馬券を買うと、
 2ー1という結果でもOKです。)


配当も、

本命をはずした場合は、

必ず二桁(ケタ)になります。


で、前回も書いたように、土曜日は、

ほとんどが20倍以上の配当になるわけですから、

競馬新聞に書いてある本命は、

まず“来ていない”のです。


たとえば、次のレース。

どの競馬新聞も、

1ー3
1ー5
1ー7

という予想をしていたとします。


で、予想オッズが、

1ー3 2倍
1ー5 3.5倍
1ー7 6倍

としましょう。


一枚1,000円で、
5点買い(5,000円)をしたとすると、
仮に来ても、
1ー3では3,000円の赤字。
1ー5では1,500円の赤字ですね。

1ー7でようやく1,000円の浮き。


せっかく競馬場まで来て、
そんなロマンのない買い方では、
つまらない。

勝っても楽しくない。

最初から赤字とわかってる勝負なんて…。


しかも、確率からいって、
そんなに固い結果には、
ならないのですから、

土曜日は。


ですから私は、

この3枚は“捨て”です。


というより、

本命の「1番」を捨てるところから、

私は推理を始めます。


では、どうやるか…?



それはね…、



むふふふ…。



(つづく)




その昔、

私が学生時代に、

『コレデモカ』

という馬がいたそうです。


ま、そんな名前を付けられるくらいですから、

大して期待されてなかったのでしょう。


ところが、あるレースで、

これが来た。


そのときの実況中継を見ていた先輩が、

熱っぽく話してくれました。


「さあ、直線に入って、
 各馬一斉にムチが入る。
 おっと、ここで、コレデモカが来た。
 コレデモカだ、コレデモカだ。
 コレデモカ、コレデモカ、コレデモカ、
 コレデモカ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」



ホントかなあ…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:32|この記事のURLComments(21)TrackBack(0)

June 12, 2009

競馬はロマンだ! その2


競馬…。


最近は、ちょっとご無沙汰ですが、

4、5年前までは、
年に何回か、
実際に競馬場まで足を運んで、

楽しんでおりました。


一番多いのが、
「中山競馬場」

それから、府中にある、
「東京競馬場」

ね。



さて、前回も書きましたが、

私は、

“投機的な意味合い”
での競馬ファンではなく、

美しい競走馬(サラブレッド)に、
ロマンを感じたり、
レースそのものに熱中するタイプです。


ですから…、

ウィンズで場外馬券を買ったり、
インターネットで買ったり、
ノミ屋や友人に頼んで馬券を買う、

などということは、
しません。


でも、せっかく競馬場に行ったときは、

その日だけは、

自分なりの予想を立てた馬券を購入し、
その馬券を握りしめ、

場内を埋め尽くしている、
多くの競馬ファンと同じように、
手に汗にぎって、レースに興奮し、
大いに歓声を上げる。


これを、年に何回か、

やっておりました。


いやあ、楽しいもんですよ。

未経験の方にも、

ぜひお勧めしたいなあ…。



ということで、

きょうは、そんな私の、

「競馬の楽しみ方」

「当たり馬券の購入法」

を、そっとお教えしようと思います。

(けっこう当たるんですから。これが…。)



まず、

私が実際に競馬場に行くときは、

原則的に、以下のような条件が必要です。



1.「お天気がいいこと」

 私にとって競馬は、“ピクニック”です。

 親しい友人と馬場に行き、
 ビールとつまみを購入して、
 思い思いに芝生に座って、
 競馬新聞とニラメッコしながら、
 予想を立てる。

 この時間もまた、
 競馬を楽しむには重要な要素ですから、

 快晴の、爽(さわ)やかな、
 暖かい日に限られます。

 雨の日や、風の強い日や、寒い日は、
 困るのです。

 いくら予定を組んでいても、
 そんな日は、迷わず中止です。
 
 滅多に行けるわけではないので、
 これは必須条件です。


 
2.「土曜日が空(す)いてるぞー」

 競馬は週末開催です。
 そして、日曜日は、
 賞金額の多い重賞レース(時にはG1)が、
 組まれています。

 したがって、競馬場は大混雑です。
 駐車場を探すのにも一苦労。
 電車やバスも、通勤ラッシュなみ。
 空いてる芝生を探すのも一苦労。

 そして、せっかく予想を立てても、
 販売機が長蛇の列。
 時間切れで馬券が買えない、
 といったこともあります。

 肝心のレースも、
 ものすごい人で身動きが取れず、
 馬場で観ることを断念
 といったケースもありました。

 これじゃ、何のために競馬場まで行ったのか、
 わかりませんね。


 しかし、土曜日は、
 いわゆる「クズ馬レース」がほとんどですから、
 そんなに混んでいない。
 日曜日の7割くらいです。

 これなら、ゆったりと一日楽しめます。



3.「土曜日は、適当に荒れる」

 私は「中穴(ちゅうあな)党」です。
 適当に荒れるレースが好きです。

 なぜか?

 ガチガチの本命が来たときは、
 当たっても、
 大した配当にはなりません。

 勝ったところで、
 大して興奮もしない。

 点数を絞らないと、
 せっかく来ても赤字になることがある。


 一方で、
 いわゆる万馬券のような「大穴狙い」では、
 確率が悪すぎます。
 来たときは、すごいことになりますが、
 まず来ない。
 ええ、来ません。
 
 したがって、
 何百回に一回の興奮のために、
 残りはいつも「タメ息」を繰り返すことになる。

 せっかく、何レースも楽しめるわけですから、
 なるべく多くのレースを当てたいですよね。

 しかも、配当が多ければ多いほど、
 ウハウハです。

 だから私は、「中穴」狙い。


 「中穴」というのは、
 15倍〜50倍くらいの馬券配当です。

 私が競馬場に着くのは、
 だいたいお昼頃。

 するとその日は、
 残りの5、6レースを楽しめることになりますね。

 そのうち、
 この「中穴配当」を、
 2レース当てると、
 その日はプラスです。

 3レース(半分)当てると、
 帰りにみんなで、
 寿司が食えます。


 一日ピクニック気分で楽しんで、
 財布もふくらんで帰るなんて、
 あーた、そりゃ贅沢というもんですよ。

 そして、この土曜日は、
 嬉しいことに、
 “適当に、よく、荒れる”
 のです。

 
 日曜日は、
 重要なレースが多く、
 お客さんも多く、

 したがって、競馬評論家や記者の人たちは、
 たくさんの時間をかけて、
 血統を調査し、馬のコンディションを調べ、
 レース予想をします。

 したがって、
 そんなに大きく崩れることがない。

 しかし、土曜日の研究には、
 それほど多くの時間を割けないのではないか。
 と、私は見ています。


 一度、新聞で、
 前日のレース結果を見てみて下さい。

 明らかに、土曜日のほうが荒れています。

 たとえば、
 (括弧は日曜日としましょう)

 1レース:2,350円(650円)
 2レース:3,720円(370円)
 3レース:14,360円(1,080円)
 4レース:1,240円(900円)
   ……

 (連勝複式の場合)

 といった具合にね。
 

 だから、私は「中穴党」


 でも、推理は大変です。
 点数を絞るのも大変です。
 敢えて本命を外す勇気も必要です。

 しかし、来たときの喜びは、

 格別です。

 ウッシッシです。

♡♡♡♡♡



このように、

当り馬券を推理する。


これも競馬の楽しみなのですが、

私のやり方は、

かなり独断と偏見に満ちています。


なんの科学的根拠もありません。

綿密な調査、研究もしておりません。


競馬の専門家や熱心なファンが聞いたら、

きっとバカにされることでしょう。


でも、当たるんだから仕方ない。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \



では、どうやるか…?


一例を挙げると、

「馬の名前」です。

これ、けっこう重要視します。


「ええっ、そんなの、ただの感じゃないか!?」

ですって…?


いや、あながちそうとも言えないのです。



ちょっと脱線しますが、

クイズです。


膃肭臍(おっとせい)市作
馬鹿(ばか)の勇介
横巾(よこはば)楯之助(たてのすけ)
不了簡綾丸(ふりょうけんあやまる)
文明開化(ぶんめいかいか)
釘貫(くぎぬき)禰次兵衛(ねじべえ)
鬼の臍(へそ)常吉
御手洗(おてあらい)馬之助
兎角是非内(とかくぜひない)
貫透(つらぬきとおる)



あははは。

これ、何だと思いますか?


考えてみて下さい。



(つづく)




たくさんコメント頂いておきながら、

ろくにお返事もできず、

大変失礼致しました。


ま、本当に忙しかったのです。


よくよく考えてみたら、

5/2(土)から、
ほとんど週末は、
家にいることがありませんでした。

その間、
四国旅行や高崎遠征もありましたしね。


「なんか、疲れがとれないなあ…。」

と思っていたら、

そういうことだったんですね。

アハハハ。



この週末は、

一ヶ月半ぶりに、

ようやくお休みがとれました。


心浮き浮きです。


何しようかな。


やっぱ、アレンジかな…?



むふふふ…。

(自虐的笑い)



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:52|この記事のURLComments(27)TrackBack(0)

June 03, 2009

競馬はロマンだ!


みなさん、

競馬はお好きですか?


私…、

けっこう好きです。


ただし、
馬券というものには、
あまり興味がありません。

どちらかというと、
レースそのものを楽しむタイプ。

いわゆる“名馬”と言われている馬に、
すごくロマンを感じてしまうタイプです。


私の人生最初のヒーローは、

『シンザン』という馬。


あれは、中学生の時でしたかね。

戦後初、通算2頭目となる、
クラシック3冠を総なめ。
(皐月賞、ダービー、菊花賞)

古馬になってからも、
「天皇賞」「有馬記念」を制し、
史上初の“5冠馬”となった、
名馬中の名馬です。


19戦15勝 2着4回

その2着は、
すべて大レースのトライアル。
いつも勝つのは、ライバルと言われていた、
『ウメノチカラ』

しかし、本番では、
全部『シンザン』が勝ってしまう。

人間並みの知能を持ってるんじゃないか、
なにもかも解って、
レースをしてるんじゃないか、
と言われたほどのスマートさでした。

Great!


60年代後半。

剛の『アローエクスプレス』
柔の『タニノムーティエ』
の一騎打ちは、
当時の人気横綱、
柏戸と大鵬を思わせるものがありましたね。

『タニノムーティエ』の、
最後方からの追い込みは、
本当にスリリング。

「届くのか、届くのか…。」
とハラハラさせながらも、
最後はキッチリ勝ってしまう。

カッコイイ!


さらに、

2年連続となった、
「有馬記念」における、

『スピードシンボリ』と、
『アカネテンリュウ』の対決。

6、7歳(当時の数え方は7、8歳)
と、競走馬としては老境に入った、
『スピードシンボリ』が、
3、4歳と若さ溢れる『アカネテンリュウ』を、
2年連続で、見事に差し切った。

いやあ、感動しました…。



70年代では、

『トウショウボーイ』と『テンポイント』
の対決に、
興奮させられましたね。

『テンポイント』の悲しい最後には、
みな涙、涙、涙…。


さらには、

♪さらばハイセイコー♪
という歌までヒットした、
公営出身の超人気馬、
『ハイセイコー』に、
国中が沸きに沸いたのです。

「日本ダービー」で、
伏兵『タケホープ』に破れたときの悔しさは、
今も忘れることができません。

(クソッ)



80年代前半では、

なんといっても、
『シンボリルドルフ』の、
圧倒的な強さに、しびれました。


3歳時、史上初の“無敗”のまま、
(のちに『ディープインパクト』も達成)
ムチも入れずに馬なりで、
あっさりと、史上4頭目となる、
クラシック3冠の偉業。

そのまま「有馬記念」では、
前年度、史上3頭目の3冠を達成した、
『ミスターシービー』や、

日本の馬として初めて、
「ジャパン・カップ」を制した
『カツラギエース』といった強豪を、
いとも簡単にしりぞける。


4歳になってからも、
「天皇賞」「ジャパン・カップ」「宝塚記念」
と、まさに敵無しの快進撃。

そして「有馬記念」では、
名馬『シンザン』の産駒、
『ミホシンザン』を、
5馬身離してのぶっちぎり!

(君こそ帝王だ)



まだまだ、いますぞ。


あっと驚く「日本ダービー」逃げ切り。
一人旅とはまさにこのこと、
『カブラヤオー』

貴公子『キタノカチドキ』
大好きでした。

『タニノムーティエ』の弟、
『タニノチカラ』
これも強かったなあ…。

『ハイセイコー』の再来、
国民的アイドルの、
『オグリキャップ』

『シンボリルドルフ』の子、
『トウカイテイオー』

名牝馬『トウメイ』


他にも、

『タケシバオー』
『タイテエム』
『ニホンピロムーティエ』
『スーパークリーク』
『タマモクロス』
『スペシャルウィーク』
『テイエムオペラオー』
『ナリタブライアン』


そして…、

記憶も新しい、


『ディープインパクト』!!


「凱旋門賞」の、
フランスからのナマ中継は、
眠い目をこすりながら、
手に汗にぎって観ておりました。

(無念…。)


この馬も、国内では、
2着が一回だけで、
あとはみな、ぶっちぎりの強さでしたね。

おそれいりました…。



いやあ、それにしても、

みんな素晴らしいですねえ。


私の過去の人生を、

華やかに駆け抜けた、

“思い出の名馬”オンパレード!!


手に汗にぎる、

血沸き肉踊る、

名勝負の数々!!


これらの名馬たちが、

時空を超えて対決したら、

いったい、どの馬が勝つのでしょう…?


『シンザン』と、
『シンボリルドルフ』と、
『ディープインパクト』が、

直接対決したら、

いったい、勝つのは…?


そんな、叶わぬ夢を、

あれこれ空想するのも、

また楽し。

♡♡♡



そうそう。

こんなお話もあります。


大学生のとき。


私と、

このブログにもよく登場する、
中学時代から大親友の小原さんと、

今も私のベースの相棒、
エディ河野こと河野秀夫君は、

ある年の「新馬」の中に、
自分たちの名前の入った3頭の馬を、
偶然見つけました。


その3頭とは、

『シュンサクリュウ』
『オハラテンユウ』
『ヒデオエース』


そして、私たち3人は、

この3頭のうち、どれが一番活躍するか、

という賭けをしました。



結果は…?


『シュンサクリュウ』の圧勝です。


「菊花賞」2着をはじめ、
数々の重賞レースで華々しい活躍。

引退してからも、
颯爽(さっそう)と種牡馬の仲間入り。

まさにエリートそのものの人生、
いや馬生を送ったのでした。

(パチパチパチ)


一方『オハラテンユウ』は、
一応中央競馬で3勝はしたものの、
その後、ローカルの「上山競馬」に移送され、
デブデブの10歳まで走らされ、

最後は「荷役馬」として、
死ぬまで働かされるという、
苦難の、波瀾万丈の人生、
いや馬生を送る。


最も哀れなのは、
『ヒデオエース』で、

中央競馬では1勝も出来ず、
その後公営に格下げになっても1勝も出来ず、
最後は、馬肉…??



というわけでこの賭け、

私の一人勝ちでした。


ワハハハ。

すまんね諸君。


☆☆☆



さて、

そんな私でも、

ごくごくたまに、
実際の競馬場で、
馬券を握りしめ、

全身で「競馬」を楽しむことがあります。


「中山競馬場」


「東京競馬場」



そして…、


けっこう当たるんですよ、


コレが。



というわけで次回は、


そんな私の、


「必殺!勝馬投票券購入法」を、



このブログの読者の方に、


そっと、


お教えしようと思います。



ウシシシ…。



(つづく)




ちょっと更新が、

滞ってしまいました。


あいすみません。



で、何を書こうかな、

と思っていたところ、

またまた「宮廷作曲家シマム♪」くんが、

競馬の話を書いていた。


なんでも、この間の日曜日、

「日本ダービー」(東京競馬場)と、

サッカー「日本ーベルギー」(国立競技場)を、

ナマでハシゴしたようです。



あの人も、


「ほんわか体質」の血統を、


受け継いでいるようだな……。



♡♡♡



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 21:44|この記事のURLComments(16)TrackBack(1)

May 25, 2009

犬猿の仲 その3


このシリーズの最後は、

ジャズ史上最も有名な、

「犬猿の仲(?)セッション」のお話です。


“モダン・ジャズの帝王”
マイルス・デヴィスが、
1954年に発表した不朽の名作。

『Bags' Groove(バグズ・グルーヴ)』


Bags Groove


今日のモダン・ジャズのスタイルを、
決定づけたといってもいい、
歴史的なアルバムなのですが、

このアルバムの、
もうひとつの話題は、

そのモダン・ジャズの創始者とも言うべき、
二人の偉大なプレイヤーの、
“歴史的共演”にあります。


ひとりは、言うまでもなく、

マイルス・デヴィス(Miles Davis)


ま、この人について語りだしたら、
それだけで、
軽く1週間分くらいかかりそうなので、
きょうは、やめておきますが、

一言(ひとこと)で言えば、
「マイルス=モダン・ジャズの歴史」

そう言っても過言ではないほど、
偉大な音楽家であり、革命児であり、
史上最もクールでカッコいい、
名トランペット奏者です。


そして、もうひとりが、

セロニアス・モンク(Thelonious Monk)


「ユニーク」という言葉は、
この人のためにあるのでしょうか。

あまりに風変わりなピアノ・スタイルと、
奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な言動で、
ジャズの歴史のなかでも、
異端児的な扱いを受けてしまいそうですが、

どっこい、さにあらず。


ビ・バップ全盛時代から、
モダン・ジャズの隆盛のために、
彼ほど寄与した音楽家も少ないのです。

『ラウンド・ミッドナイト』をはじめとする、
おびただしい数の、
素晴らしいオリジナル楽曲も、
ジャズを志す若者にとっては、
永遠のバイブルです。


その二人の巨人が共演した珍しいアルバム。

しかも、それが、

今日(こんにち)の、
モダン・ジャズのスタイルを決定づけた、
“歴史的共演”と聞けば、

こりゃ聴かないわけにはいきませんよね。


というわけで、

ジャズを始めたばかりの、
大学1年生の頃。

私はさっそく、
このアルバムを購入しました。


そして、期待をこめて、
レコード盤に針を落とす。
(今では、死語となりつつある表現だ…)

♪♪♪



おおっ!

いきなり、マイルスの、
大都会の夜のしじまに突き刺さるような、
あのクールなトランペットが、
テーマを吹き始める。


それをサポートするのが、

パーシー・ヒース(ベース)
ケニー・クラーク(ドラム)
という、

これまたクールな、

『MJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)』
のリズム隊。

(いいぞ、いいぞ。)


そこに、
これまた『MJQ』のメンバーで、
当代随一のヴィブラフォン奏者、

ミルト・ジャクソン(Milt Jackson)が、

お洒落に、優雅に、
マイルスに絡(から)んでいく。

(く〜〜。いい感じだなあ。)


そして、テーマが終わると、
マイルスがアドリブ・ソロを取り始める。

音色、アイディア、グルーヴ感、
フレーズの多彩さ、テクニック、
ハッとするようなスリリングな展開、

もう、どれをとっても王者の風格。

ご機嫌というしかない、
トランペット・ソロが、
延々(えんえん)と続くのですが、

が…、


が……?


最初から、

セロニアス・モンクのピアノが、

まったく聴こえていないではありませんか。


普通は、

テーマ部分においても、
ソロ部分においても、

ピアノは、しっかりコードを弾いて、
ハーモニーを明確にし、
グルーヴのあるバッキングで、
テーマやソロを支えるのが役目なのですが、

どう聴いても、

ピアノがいない。


録音のバランスが小さいんじゃなくて、


いない…。


それでも、平気のへいで、
ベースとドラムだけで、
相変わらずご機嫌なソロを取る、

マイルス。

♪♪♪♪♪



そうこうしているうちに、

延々と10コーラスにも及ぶ彼のソロが終わり、

今度は、ミルト・ジャクソンのヴァイブが、
ソロを取り始めます。


と、そこに、

プニュ〜ッと、

恐る恐るといった感じで、

ようやくモンクのピアノが現れた。

♪♪♪


なぜか、ここでは、

ミルト・ジャクソンのソロでは、

何ごとも無かったかのように、

軽快なバッキングをするモンク。

(…??)



そして、

ミルトの素晴らしいソロが終わると、

いよいよ、


出ました!


これぞ、ワン・アンド・オンリー。

ユニークな、

モンクのピアノ・ソロが。


マイルスに負けず劣らずの、
火を噴くような内容。

力強いタッチ、独特のフレーズで、
これまた、
延々とアドリブ・ソロを展開。

(これも、ご機嫌だなあ…。)

♪♪♪♪♪



さて、

モンクのソロが終わると、

再びマイルスが登場。


すると…、

またしても…、

モンクが消えた…。


(???)


そして、そのまま、

モンクは、

最後まで登場しませんでした。



このアルバムには、

オリジナルの発売時には未発表だった、
もうひとつのテイクが、
収められているのですが、

やはり、おんなじです。


モンクは、

マイルスが演奏しているときには、

一切ピアノを弾いておりません。


(これじゃ、
 歴史的共演じゃなくて、
  “歴史的別演”ではないか…??)


……。



事の真相は、

後(あと)で知りました。


なんでも、
このセッションの直前、

マイルスとモンクは、
大喧嘩をしたそうなのです。


で…、

マイルスがモンクに、
「俺の吹いてるときはピアノを弾くな。」
と言ったという説もありますし、

モンクが、
マイルスの吹いてるときは、
嫌がらせのように腕を組み、
「絶対弾いてやるもんか。」
と、意地を張ったという説もあります。


いずれにしても、

ケッサクな話ですよね。


アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \。



しかし、録音は、
何ごともないかのように進められる。

他のメンバーや、
録音スタッフのことを思うと、
まことに、ご同情に耐えません。


このアルバムから受ける、

張りつめたような緊張感には、

そうした背景があったわけですね。



そして、

歴史に残る名盤が生まれた!!



いやあ、まいりました。

ここでも、
アメリカという国の底の深さに、

一本取られた感じです。



というか、

実力が際立ってないと、


できない芸当ではありますがね。



いや、いや、


すごい人たちだこと…。



(犬猿の仲 おわり)




幸か不幸か、私には、

「犬猿の仲」とも言うべき、

ライバルというものがおりません。


「自分のライバルは自分自身だ。」

などという大それた考えも、

毛頭ありません。



ま、あまり他人のことが気にならない。


そういう、

「ほんわか体質」に、

生まれてしまったようです。


ジャミン・ゼブはどうなんでしょうね…?



案外、同じ体質のような気も……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 19:21|この記事のURLComments(36)TrackBack(0)

May 18, 2009

犬猿の仲 その2の3


「ワウ・ワウ・ワトソンのバカ、呼んだの、
 まさか君じゃないよね?」


やれやれ…。

今度は、

デヴィッド・T・ウォーカーの番です。


D「 シュンくん。
  ワウ・ワウ・ワトソンの、
  あの、小汚い格好、どう思う?
  ここは、レコーディング・スタジオよ。
  僕たちの神聖な仕事場よ。
  ありゃ、昆虫採集か、釣りの格好ね。
  ま、育ちも悪いし、
  センスのかけらもないやつだから、
  仕方ないといえば、仕方ないか。
  ムフフフ。」
  
  (でも、スリーピースも、どうでしょうか?
   あんた、汗びっしょりですよ。)


さらに…、


D「 それに、あのギターもどうよ。
  ズキュ〜ンだの、ワカチュクだの、
  うるさいだけの、こけおどかしの、
  ハッタリだけの、お下劣な音の品評会。
  ありゃ、ギターじゃなくて、
  効果音よ、効果音。
  ムフフフ。。
  みんな、なんであんなやつを呼ぶのか、
  僕には、まったく理解できないな。」

 
 (と言って、この人も、
  カバンのなかから、
  一枚の名刺を取り出した。)

  
D「 シュンくん。
  ほら、コレ、僕の名刺。
  今度、ロスでセッションするときは、
  真っ先に僕に連絡するといい。
  あんな野蛮人の、イカレポンチじゃなくて、
  もっと、ちゃんとしたギターを、
  紹介してあげるからさ。
  悪い事は言わない。
  ね、ぜひそうするといい。わかるね。
  ムフフフフ。。。」

S「あ、わ、わかりました。」


D「 オッケー。
  じゃ、次のセッションもがんばろう。
  ま、ギターのことなら、この僕に、
  まかせておいてちょうだい。」


と、言うと、
ニコッと笑って立ち上がり、
ウィンクをして、

これまた、
悠然と立ち去った。

 
 (なんだかなあ…。)



私は、ますます不安になりました。

 (こう仲が悪いと、
  いつレコーディングが壊れても、
  おかしくない…。)


しかたなく、私は、

アレンジャー&サウンド・プロデューサーの、
ジーン・ペイジさんに、
事の顛末(てんまつ)を、

報告することにしました。



すると…、

このジーン・ペイジ氏。


笑いながら、

こう言ったのです。



G「いやあ、やっぱり言って来たか。
  アハハハ。
  なあに、心配はいらないよ、シュン。
  あの二人は、いつも、ああなんだから。。
  でね、アメリカのプロデューサーや、
  アレンジャーはみな、
  あの二人が仲の悪い事を、
  ちゃんと知ってるのね。
  だからこそ、、、
  逆にみんな、面白(おもしろ)がって、
  敢(あ)えて、あの二人を、
  一緒に呼ぶんだよ。」

S「というと…?」


G「つまり、こういうこと。。
  一方が「どうだ、この野郎!」
  と、挑発すると、
  もう片方は、
  「やったなー!」とばかりに、
  負けじと、よりパワフルな演奏をする。
  ま、これの繰り返し。」

S「で…?」


G「ところが、
  二人とも、まったくスタイルが違うから、
  サウンド上の喧嘩には、絶対ならない。
  ましてや二人とも、
  超一流の腕前だからね。
  むしろ、、
  ムキになって火花を散らしてくれた方が、
  こっちとしては、
  よりいい、二人の演奏が手に入る。。。
  だからみんな、
  あの二人をセットで使う。
  とまあ、こういうことなんだよ。」

 (す、すごい…。)


アメリカ音楽界の底の深さを、

まざまざと見せつけられた思いでした。



さて、
そんなことを話してる間にも、
スタジオのなかでは、

またまた、激しいバトルが再開。


「テケテケ♪ クインクイン♪」
と、渋いデヴィッド・T。

「ズキュ〜ン!」「ワカチュク!」
と、ド派手なワウ・ワウ。


「キッ」と、
ワウ・ワウを睨(にら)みつける、
デヴィッド・T。

「ワハハ、どうだ、この野郎、まいったか。」
とばかりに、意地悪そうな、
うす笑いをうかべるワウ・ワウ。


しかし…、

ジーン・ペイジ氏の言ったとおり、


二人が火花を散らせば散らすほど、

サウンドは、

ますます熱のこもった、

素晴らしいものになっていくのでした。


♪♪♪♪♪



こうして、

私の心配などなんのその。


二日間にわたるレコーディングは、
何ごともなかったかのように、
無事終了。

私は、次々と帰り支度をする、
ミュージシャンやスタッフに、
感謝を述べ、
一人一人と握手。


と、そこへ…、

ギターを背にしょった、
ワウ・ワウ・ワトソンがやって来た。


W「ヘイ、シュン。
  楽しかったぜ。
  また、やろう。
  ところで、今夜の予定は?」


今宵は、
ジーン・ペイジや吉田美奈子と、
会食の予定があり、

私が、その旨を彼に伝えると、

ワウ・ワウはこう言いました。


W「そいつはいいや。
  ジーンは金持ちだからな。
  しっかり、ご馳走になるといいぜ。」


 (で、ここで周りを気にしながら、
  ちょっと小声になり)


W「でもな。気をつけろよ。
  ヤツは、勘定を人におしつけて、
  トンズラすることが、たまにあるからな。
  なんとか、あいつに払わせるように、
  うまく立ち回るんだぜ。
  じゃあな。」


と、言うと、ニコッと笑い、
ウィンクをして、
陽気に立ち去った。



すると、今度は、

デヴィッド・T・ウォーカーが、

ギターを持って帰るところにバッタリ。


D「ハ〜イ、シュンくん。
  楽しかったよ。
  また、やろうね。
  ところで、今宵のスケジュールは?」


と、同じようなことを聞いてきたので、

私は、同じように伝える。


すると、

デヴィッド・T・ウォーカー、


D「 そりゃいい。
  彼はお金持ちだからね。
  うんと美味しいものを。
  ご馳走になるといい。」


 (で、ここで周りを気にしながら、
  ちょっと小声になり)


D「 でもね、彼はときどき、
  食べるだけ食べると、
  勘定を人におしつけて、
  さっさと消えることがあるからね。
  気をつけるんだよ。
  じゃ、また。」


と、言うと、ニコッと笑い、
ウィンクをして、
これまた、

クールに立ち去った。


 (こういうとこだけは、気が合うんだな、
  このふたり…。)



ま、そんなお話でした。


それにしても、

こんなこと、

日本では考えられませんね。


こと、ポップ・ミュージックに関しては、

やっぱり、すごい国です、

「アメリカ」って国は…。


ケッサクな話ながらも、

大いに学ばせてもらった、

若き日の私でした。



あのとき貰(もら)った、

二人の大物ギタリストの名刺は、


今でも私の、


大切な宝物です。



いろんな意味でね…。



(犬猿の仲 その2 おわり)




先週の四国旅行を、

息子のシマムくんが、

写真満載でレポートしてますので、

気になる方はチェックしてみて下さい。


(右上の、Link(Friends)、
 「宮廷作曲家シマム♪」
 をプチッとクリックすると、
 たどり着けます。)


ほとんど一緒に行動していたので、

私の見て来た景色も、

これと、ほぼ同じです。


おかげで、手間が省(はぶ)けました。(笑)

ありがとう、シマムくん!


ああ…、


また、行きたくなってきた…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 01:00|この記事のURLComments(17)TrackBack(0)

May 12, 2009

犬猿の仲 その2の2


何から何まで正反対の、
ギターの大物二人。

ワウ・ワウ・ワトソンと、

デヴィッド・T・ウォーカー。


動と静。

陽気で明るいワウ・ワウ・ワトソンに、
クールで無口なデヴィッド・T・ウォーカー。

Tシャツにデニムの短パンといった、
ラフな格好のワウ・ワウと、
スリーピースのスーツにネクタイといった、
フォーマルなスタイルのデヴィッド・T。

現代的なサウンド・エフェクトを駆使した、
豪快かつ華麗なプレイのワウ・ワウに対し、
ブルース・フィーリングに溢れた、
クールで、いぶし銀のような渋いサウンドの、
デヴィッド・T・ウォーカー。


いやあ、同じ黒人で、

同じギタリストでありながら、

こうも違うかという、
二人の大物ギタリストが弾くサウンドは、
まさに、これぞ本物の、

R&B(リズム・アンド・ブルース)♪


子供の頃から憧れ、
モータウンやクインシー・ジョーンズなどの、
レコードで慣れ親しんで来た、
これぞ本場の、一流の、

ソウル・ミュージック♪♪


(最高だ〜〜!)


そして、

演奏を終え、
ヘッドフォンをはずし、
コンソール・ルームにやって来て、
プレイ・バックを聴く様(さま)も、

これまた、正反対の、

二人。


全身で体を動かしながら、
「イエ〜イ」「イエ〜イ」と奇声をあげ、
ベースやドラムやキーボード奏者たちと、
ニコニコしながらハイ・タッチを繰り返す、
陽気でうるさいばかりの、
ワウ・ワウ・ワトソン。

その一方で、
部屋の片隅に一人佇(たたず)み、
瞑想でもするかの如く、
目をとじ、腕を組み、
静かにプレイ・バックに耳を傾ける、
デヴィッド・T・ウォーカー。


(いやあ、いいコンビだ。)


♪♪♪



こうして、

あっという間に最初の2曲を、
快調に録り終えると、

ちょっと休憩に入る。


なにはともあれ、
順調に滑り出したので、
ホッと、ひと安心の私は、

ロビーで一服。


プハ〜〜。

♧♧♧



と、そこへ…、

ワウ・ワウ・ワトソンがやって来た。


そして、私に握手を求め、

馴(な)れ馴(な)れしく、

茶目っ気たっぷりに、

話しかけてきた。


W「ヘ〜イ、おれ、ワウ・ワウ。
  え〜と、あんた、名前なんだっけ?」
S「シュン(Shun)です。シュン・ミヤズミ。」

W「おお、そうだった、シュンだ、シュン。
  よろしくな。」
S「いや、こちらこそ。」


(で、ここで周りを気にしながら、
 ちょっと小声になり)


W「ところで、シュン。
  ひとつ質問があるんだけど。」
S「なんでしょう?」


W「デヴィッド・T・ウォーカー呼んだの、
  あんた?」
S「いや、ミュージシャンの選択は、
  ジーン・ペイジさんに、
  全部まかせてあるんだけど…。」


W「ガハハハ。やっぱそうだったか。
  思ったとおりだ。」
S「それが、なにか?」


W「いや、デヴィッド・T・ウォーカーの、
  あの格好見た?
  笑っちゃうだろ。漫画だろ。
  ここは、スタジオだぜ。
  あんな暑苦しいスーツ着て気取ってるけど、
  誰に見せようってのかねえ。
  しかも、全然似合ってないし。アハハハ。」

 (ま、それは同感。
  そして、ワウ・ワウはさらに…。)


W「いつもああなんだぜ、あの男は。
  でも中身は、ただの田舎モンよ。
  キザに振る舞ってるけど、
  あれが、実は軽くて、C調な男なんだぜ。
  気をつけたほうがいいぞ、あいつだけは。
  な、シュン。わかるだろ?」
S「……。」


(そして、カバンのなかから、
 一枚の名刺を取り出して、
 こうも言った。)


W「シュン。コレ、おれの名刺。
  今度、ロスでセッションするときは、
  真っ先に、おれに電話しな。
  あんなキザな、イカサマ野郎なんかより、
  もっといいギター紹介してやっからさ。
  悪いことは言わねえ。
  な、そうしろよ。シュン。」
S「あ、ああ、わ、わかった…。」


W「ようし、じゃあ次のセッションも、
  バッチリ、がんばってくるからな。
  ギターだけは、まかせといてくれよ。」


と言って、ガハハハと豪快に笑い、
ウインクをして、
陽気に立ち去った。
  

(なんだかなあ…。)


私は、ちょっと不安になってきました。

レコーディングは始まったばかりだし、
この後も、明日もあるし、
このまま、何ごともなく、

無事に終わってくれるといいんだけど…。



そんな気持ちのまま私は、
スタジオに戻る。

3曲目が始まる。

しかし、そんな不安をよそに、
ますます演奏は快調です。


エド・グリーンのシャープなドラム。

ゴードン・エドワーズの、
パワフルなベース。

グレッグ・フィリンゲスの、
知的で華麗なキーボード。


そして、なによりも、

デヴィッド・T・ウォーカーの、
ブルース・フィーリング溢れるギターが、
相変わらず、
「これぞ、ファンク!」
というビートをきざんでいる。


そこに、

「ズキュ〜〜〜ン!」
という、ワウ・ワウの、
強烈な、ギター・エフェクト・サウンドが、
情け容赦なく飛び込んでくる。


すると、デヴィッド・T・ウォーカーは、
一瞬「キッ」とワウ・ワウを睨みつける。

しかし、すぐに冷静になり、
譜面を見ながら、
「テケテケ♪ クインクイン♪」
と、渋い、いぶし銀プレイに戻る。


そこに、またしても、ワウ・ワウが、
「ワカチュク!ワカチュク!」
と、挑発する。


そして、そんな、
「ズキュ〜〜ン!」や「ワカチュク!」
が鳴り響いたときの、
ワウ・ワウの顔をふと見ると、

これが…、

デヴィッド・T・ウォーカーを、
バカにしたように見ながら、

「どうだ。この野郎、まいったか。」
とばかりに、
あざ笑っているのです。


(あ〜あ、あんなに挑発しちゃって…。)


私の心配は、

つのる一方ですが、

でも、サウンドはますますご機嫌♪♪


そして、

アレンジのジーン・ペイジも、
他のスタッフも、
ニコニコしながら、
なにごとも無いかのように、
演奏を見守っている…。


なんとも不思議な光景ではありました。


こうして、さらに2曲を録り終えると、
再び休憩。


(やれやれ、まあなんとか、
 うまくいったようだなあ…。)


そして私は、

またしてもロビーで一服。


プホ〜〜。

♧♧♧



と、そこへ…、

今度は、

デヴィッド・T・ウォーカーがやって来た。


いかにも、Gentleman(紳士)。

といった感じを漂わせながら、
ニコッと笑って、
私のソファの隣に座ると、

渋〜い低音で、

こう言った。


D「ハ〜イ、僕は、デヴィッド・T・ウォーカー。
  え〜と、君の名前は、なんだったかな?」
S「シュン(Shun)です。シュン・ミヤズミ。」

D「ああ、そうだったね、ミスター・シュン。
  よろしく。」
S「いや、こ、こちらこそ。」


(で、ここで周りを気にしながら、
 ちょっと小声になり)


D「ところで、シュンくん。
  ひとつ、質問があるんだけど。」
S「なんでしょう?」


D「ワウ・ワウ・ワトソンのバカ、呼んだの、
  まさか君じゃないよね?」


「……。」



(つづく)




四国、行ってきました!

お天気にも恵まれ、

最高の3日間でした。


雄大な屋島の古戦場。

美しい瀬戸内海の島々。


そして、

美味しいうどん、美味しい魚、

酒、酒、酒。

あたたかいおもてなし。

(みなさん、ありがとうございました。)



初めて四国に行った、

息子のシマムくんも、

とても楽しそうでした。

(よかった、よかった。)



きょうは、現実に戻るのが、

なかなか大変でしたね。


というか、


まだ、戻ってないかも…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 19:30|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)

May 06, 2009

犬猿の仲 その2


1978年の初夏。

私は、
アルファ・レコードのディレクターとして、
ロス・アンジェルスを訪れました。

吉田美奈子『愛は思うまま』
というアルバムの、
レコーディングをサポートするためです。


このアルバムのアレンジは、
ジーン・ペイジ(Gene Page)という人に依頼。

モータウンやアトランティックといった、
R&Bやソウル系の老舗レーベルで、
数々のヒット曲を手掛け、
「バリー・ホワイト」や「ラブ・アンリミテッド」
のアレンジでも知られる、
有名なアレンジャー&プロデューサーです。


(どんな、サウンドが出来るんだろう…?)

前日、彼のオフィスで、
入念な打ち合わせを終えた私は、
ワクワクしながら、

レコーディング初日を迎えました。


そのスタジオに、

続々とやってくる、
スタジオ・ミュージシャンは、
私の想像をはるかに超える、

すごい顔ぶれでした。


まず現れたのが、
ドラムのエド・グリーン。

(うわっ、エド・グリーンだ。
 この人、白人だったのか…。)

モータウンを代表する数々のアルバムで、
素晴らしいプレイを聴かせてくれる、
昔から私が大好きだった、
超有名ドラマー。

ジーンさんに紹介された私は、
「ナ、ナイス・トゥ・ミーチュー」
と、かなり興奮気味…。


そしてベースは、
ボブ・サップかと思わせるような大男の、
ゴードン・エドワーズ。

(なぬ、あのゴードン・エドワーズだと!)

この人も、
「スタッフ」や「デオダート」をはじめ、
膨大な数のアルバムにその名を残し、
ジョン・レノンのアルバムにも参加している、
すっごい大物。

「ア、ハ、ハジメマシテ;…。」


さらには、
グレッグ・フィリンゲス。

「スティービー・ワンダー」や、
「クインシー・ジョーンズ」
のアルバムにも参加している、
新進気鋭のキーボード奏者。

(まいったなあ、こりゃ…。)



と、そこへ…、

ギターを持った、
No天気な、
いかにもC調な感じの黒人が現れた。

よれよれのT・シャツに、
デニムの短パン。
昆虫採集にでも行くのかといった格好。

そして、
底抜けにでっかい声で、

「ヘイ、メ〜〜ン!」


これが、なんと、あの、

ワウ・ワウ・ワトソン
(Wah Wah Watson)


(おいおい、ワウ・ワウまで来るのか…。)

「ハービー・ハンコック」や、
「クインシー・ジョーンズ」
のアルバムでも聴かれる、
あの強烈なワウ・ギターが、
目の前で見られるのか…。


そして、もう一人…、

全然違うタイプの、
黒人ギタリストが来た。

こっちは、
チェックの3ピースのスーツに、
ネクタイまで締めて、

およそスタジオ・ミュージシャンとは思えない、
“ダンディ”なスタイル。


と思ってるのは、
たぶん本人だけで、
実は全然、似合っていない。

なんか場違い。

「ぷっ。」
と吹き出しそうな気障(きざ)ったらしさが、
やけに可笑(おか)しい男なのですが、

これが、

これまた、世界的に有名なギタリストの、

デヴィッド・T・ウォーカー
(David T Walker)



まいりました。

一人一人握手をする私も、
さすがに震えがくるような、
大物ばかりです。

(こりゃ、楽しみだな〜。)


そして、

ゾクゾクするような興奮の中、

いよいよセッションが始まる。

♪♪♪♪♪



いやあ、これだ、これだ!!

昔から聴いていた、
本物のR&Bのサウンドだ。

これがモータウン・サウンドだ。
アトランティックだ。

シュプリームスだ。
スティービーだ。
テンプテーションズだ。
フォー・トップスだ。
アレサだ。
マレーナ・ショウだ。


イェ〜〜〜イ!

キャ〜〜〜〜!

ドヒェ〜〜〜!


昔から、
愛聴してきた憧れのサウンドが、

今、私の目の前で、
華やかに繰り広げられている。


私は、

仕事を忘れて、

もう完全にミーハー気分。

(こりゃ、たまらん…。)



特に、印象的だったのが、
ギターの大物二人。

ワウ・ワウ・ワトソンと、

デヴィッド・T・ウォーカー。


この二人。

何から何まで好対照。


格好も正反対なら、
(方や、よれよれのTシャツに短パン。
 方や、3ピースのスーツにネクタイ。)

プレイも好対照です。


私の大好きなデヴィッド・T・ウォーカーは、
いつもの、あの、
渋い、ブルージーなサウンドで、
「テケテケ♪ クインクイン♪」
と、いぶし銀のようなバッキングを展開。

そこへ、
ジェット機の爆音のような、
ワウ・ワウ・ワトソンの、
「ズキュ〜〜〜ン♪」
「ワカチュク♪」
という強烈な間の手が入る。

(ああ、音楽を文章で表現するのは、
 難しい…。)


でも、この、
まったく相容れないかのような、
全然個性の違う二人のギタリストによる、
別次元のサウンドが、

不思議にも、
うまく混ざり合って、

ご機嫌なサウンドを生み出すのです。


そういえば、

この二人が同時に参加したアルバムも、

過去に何枚か聴いたことがあります。


(きっと、ああ見えても、
 実は仲良しなんだろうな。
 だから、ああやって、
 いつも一緒にプレイしてるんだろうな。)


そんな二人の演奏を、

微笑ましくも、
敬意を持って見ていた(聴いていた)
私ですが、

実は、これが、


大違いだったのです。



(つづく)



ありゃりゃ。

面白いところへいく前に、
終わってしまいましたね。

ま、次回をお楽しみに、
ということで…。


さて、GWもそろそろ終わり。

みなさん、
いかがでしたか。

私のGWは、
達成率50%でした。

決算は無事終わりましたが、
アレンジは撃沈しました。

アハハハ。

(やや自虐的)


ま、こういうこともある。

リセットだ、リセット。

気を取り直して、
初夏、夏の陣に向けて、
頑張りましょう。

楽しい企画を、
いっぱい考えてますからね。

乞うご期待です。


週末は四国です。

(親戚の法事)

シマムくんも一緒です。

(彼、初四国。)



お天気だといいなあ。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:53|この記事のURLComments(16)TrackBack(0)

April 29, 2009

犬猿の仲


私が学生時代所属していた、
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」
の2年後輩に、

A野君というギタリストがいます。


1年生で入部してきたときから、
そのテクニックは驚異的なレベルで、
あっさりとレギュラーを獲得。

立派なもんです。


そうだ、思い出した!

かつて『将棋と私』に登場した、
あの、‘将棋の達人’でギタリストの、
愛すべき、F井君。
(覚えてますか…?)

3年生の春、
上級生がいなくなり、
「よし、これで次のレギュラーは俺だ。」
と喜んだF井君を、
奈落の底に突き落としたのが、

この、A野君だったのです。

……。



時は流れて、4年後。

大学を卒業した彼は、
私と同じ系列会社の、
「アルファ・ミュージック」
に就職してきました。

「シュンさん、
 またよろしくお願いします。」
とA野。

「うむ。しっかりやれよ。」
と、先輩面(づら)の私。


そんなある日のこと。

私は、
彼の卒業リサイタルのパンフレットの中に、
こんなページを見つけました。

そこには、
卒業生の個人写真が何枚か掲載されており、
それぞれ下にコメントが記されている。

A野○○
「最近、犬に似てきたリズムの大御所」

……。



そう言えば、

確かに似ている…。

犬に…。


ま、言い換えれば、

‘童顔’ということでしょうね。


当時の彼は、
髪の毛もフサフサで、
(アハハ、すまんA野。)
なかなかのアイドル顔。

それもそのはずで、
中・高校生のときは、
有名な某アイドル事務所に所属。

「F・リーブス」なるグループの、
バック・バンドのギタリストとして、
毎週テレビに出ていたそうですから、
可愛い顔はあたり前。

(最近は、見る影もありませんが…。
 あ、いや、それは私も同じか。)


それにしても、
この表現は言い得て妙です。

その写真の彼は、
まさに、犬顔。

(もしかすると、
 こいつの前世は、
 犬かもしれない…。)


一瞬そう思った私でしたが、

その数日後のこと…。


彼は大きなヘマをやらかしました。

私は、当然、上司として叱る。


私「おい、A野、ガミガミ、グチャグチャ…。」

  (彼は黙っている。)

私「おい、なんとか言ってみろ。◯▲▽★。」

  (彼はなおも黙っている。)

私「黙っていてもわからん。
  言いたいことがあれば、言ってみろ!」

しだいに、私の語気は荒くなる。


すると…、

彼の口から…、

思いもかけぬ言葉が出て来たのです。


「ワン」


人間、
切羽詰まると、
追い詰められると、

思わず本性が出るといいます。

この一言によって、
私の疑問はさらに深まりました。

(やっぱり、こいつの前世は、
 犬かもしれないぞ…。)


このとき私は、
彼にアダ名を授(さず)けました。

それは、

「ポチ」


その当時、
もっともポピュラーだった、
犬の名前です。

もちろん、本人は嫌がりましたが…。



さらに、その数年後のこと。

私たちは、
仕事が終わると、
10人くらいで、
近くの居酒屋に飲みに行きました。

鍋を囲み、料理に舌鼓を打ち、
大いに飲み、大いに語る。

3、4人の女子社員も交えて、
楽しい時間を過ごしておりました。


そのメンバーの中に、

1年くらい前に入って来た、
K田君という男がいた。

この男のアダ名は、

「サル」

(この命名者は、
 私ではありません。)


でも…、

アゴがちょっとしゃくれてて、
確かに言われてみれば、
猿顔。


そのサル、いやK田君が、
ポチ、いやA野君にお酌をしながら、
こう言った。

「ところで、ポチさん。」


その瞬間!

ポチ、いやA野の顔が真っ赤に紅潮し、
サル、いやK田の胸ぐらをつかみ、

「この野郎、おもてに出ろおもてに!!」

サル、いやK田君も、

「なにを〜!(怒)」

と、臨戦態勢。


さあ、大変。

乱闘になりそうだ。


私たち男性は慌てて、
二人の中に割って入り、
二人を引き裂く。

私は、ポチ、いやA野を抱きかかえ、
「A野、やめろ。気を鎮(しず)めろ。」
と、説き伏せる。

すると、ポチ、いやA野は、

「シュンさん、離してくれ。
 俺は前から、こいつが、
 大嫌いだったんだ〜〜〜〜!」

「……。」



そんな、光景を、
心配そうに見守る女子社員。

「二人ともヤメて〜。」
と、涙目の女子社員。


と、思うでしょ?


違うのです。


みんな、下を向いて、
顔を真っ赤にして、
クックッ笑っている。

止めに入っている、
われわれ男性社員の顔もみな、
実はクシャクシャ。

なかには、大声で、
「あはははははは」
と、露骨に笑うやつもいる。


そして、

まあなんとか、
二人の気を鎮め、
酒宴は再開。

そのとき、誰かが、
ボソッと、
こう言ったのが印象的でしたね。


「犬猿の仲とは、
 よく言ったもんだなあ…。」



そのとき私は、

ついに確信に至ったのです。


間違いない。

あいつの前世は、


間違いなく「犬」だ!!



(つづく)



さて、いよいよ、

ゴールデン・ウィーク。


浮き浮きするような季節ですね。

みなさんは、
どんなプランをお持ちなのでしょうか。


海外旅行?
里帰り?
ピクニック?
山登り?
スポーツ観戦?
温泉?
etc.etc.


いやあ、
楽しそうですねえ。

どうぞ有意義なGWを、
お過ごし下さい。



えっ…?

私…?


私は、家に籠(こも)って、
「会社の決算」と「アレンジ」です。

むむむ…。

……。


ま、これも宿命…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 18:06|この記事のURLComments(24)TrackBack(0)

April 20, 2009

グレン・ミラー物語


先日。

「かまくら」というお題で、
私とジャズとの出会いについて、
書きました。

予想以上に、
面白がっていただきました。

なによりです。(笑)


しかし、

よく考えてみると、
それよりずっと前に、
私には、ある映画を通じて、

ジャズとの出会いがあったようです。


ただし当時は、
それが「ジャズという音楽」であるとは、
知りませんでした。

そんな知識もありませんでした。


ただ、
漠(ばく)然と、心地(ここち)よく、
自然にそんな音楽を、

受け入れていただけのことです。

♪♪♪



それは私が、
中学一年生のときですから、

1964年頃のことです。

ある日私は、
所属していたブラス・バンド部の先輩に、
映画に誘われました。


それは、
『ティファニーで朝食を』
『グレン・ミラー物語』
という、

古いアメリカ映画の二本立て。


『ティファニーで朝食を』の方は、
子供の私には何がなんだか、
チンプンカンプン…?

「オードリー・ヘップバーンって、
 綺麗だなあ…。」
くらいの印象しかありませんでしたが、

(あ、、大人になってからは、
 ちゃんと観ましたからね。ちゃんと。。)


『グレン・ミラー物語』には、

ものすごい感動を覚えました。


その後、たて続けに7回も、
映画館に通ったことを、
覚えていますから、

よほど、
気に入ったのでしょう。

……。


そんな、

『グレン・ミラー物語』


Miller


ご覧になった方も多いでしょうから、
ここで敢(あ)えて、
くどくどと内容は書きませんが、

いわゆる「伝記映画」としては、
“歴史に残る傑作”
と言えるのではないでしょうか。


グレン・ミラーと、
ほぼ同時期に活躍した、
「ジャズ・クラリネットの名手」を描いた映画、

『ベニー・グッドマン物語』とは、
大違いです。


この『ベニー・グッドマン物語』は、

ベニー・グッドマン(クラリネット)
テディ・ウィルソン(ピアノ)
ジーン・クルーパ(ドラム)
ライオネル・ハンプトン(ヴァイブ)

といった、伝説の名プレイヤーの、
‘本物の’演奏が観られる(聴ける)という、
素晴らしさはありますが、

「映画という芸術」
「映画というエンターテインメント」

という視点からは、
あまり感銘を受けませんでした。

(私はね。)


しかし、

『グレン・ミラー物語』の方は、

古き良き、
ハリウッド映画の香りがプンプンで、
娯楽映画としても最高。

じつに楽しい。


彼の人生の、
いろんなエピソードが、
ユーモアやペーソスを織り交ぜて、

快適なテンポで、
見事に描かれています。

主役の、
ジェームズ・スチュワートや、
ジューン・アリソンも、

心暖まる名演。

♪♪♪



ところで…、

中学一年生といえば、
私はクラシックに、
どっぷりハマっておりました。

(「レコード買いまくり時代」
  「私のコレクション」参照。)


ところが、

この映画の数々の名シーンのなかには、
(どれも素敵なシーンですが)

特に「クラシック中毒」の私を、
ひどく揺さぶるシーンが、
いくつかあったのです。


その一つは、

グレンが「軍楽隊」の指揮者になって、
若い兵士を前線に送り出すシーン。


なんと彼は、
ジャズのスタイルで演奏を始めるのです。

これが有名な、
♪セントルイス・ブルース・マーチ♪


最初は戸惑いながらも、
しだいに、表情がほぐれていく兵士たち。

苦虫をかみつぶしたような顔の上官。
意外にも、ニコニコ笑いながら見つめる将軍。

(厳粛な行進曲も好きだけど、
 こんな遊び心のあるサウンドも、
 いいなあ。浮き浮きしてくる…。)


それから、

ロンドン郊外での演奏会中に、
突然、ドイツ軍の空襲があるシーン。


観客はみな、逃げ惑うのですが、
グレン・ミラー楽団は、
相変わらず演奏をやめない。

「あ、あぶない!」
と思った時だけ、演奏が止まる。

戦闘機が去ると、
また、そこから演奏が始まる。

この繰り返し。


これが、
曲の中で何度もブレイクがあることで有名な、
♪イン・ザ・ムード♪

(面白い発想だにゃあ…。)


代表作、
♪ムーンライト・セレナーデ♪

誕生のシーンも、

それはそれは印象的でした。


リハーサル中に、
肝心のメロディを吹くトランペッターが、
唇を痛めてしまい、
ひらめきで、クラリネットで代用したら、

思いもよらぬ、
今までに無い新しいサウンドが、
出来上がった。

(なんとも柔軟な対応だわさ…。)



しかし、なによりも、

それまで、

クラシックやポップスしか知らなかった私が、

もっとも驚いたシーン。


それは、

新婚のグレン・ミラー夫妻が、
ハーレムの、
とあるジャズ・クラブに遊びに行くシーン。


そこで演奏していたのは、
あの、ルイ・アームストロング(本人)
のバンド。

ルイは、例のダミ声で、
グレンに、
こう呼びかけます。

「やあ、グレンじゃないか。
 どうだい、一曲、一緒にやらないか。」


すると、グレンは、
店の従業員から、
トロンボーンを受け取り、
ステージに上がって、

一緒に演奏を始めたのです。


「どうして、あんなことが、
 出来るの…???」



それまで、
「譜面」を「忠実」に演奏する、
クラシックやブラス・バンド
の世界しか知らない私にとって、

これは、衝撃でした。


私が、アドリブ(即興演奏)や、
ジャム・セッション、
というものの存在を知るのは、

それから何年も後、

高校三年生の時ですが、

そのときの衝撃と疑問は、
ずっと私の中で、
潜在的に眠っていたのです。

(あんな風に、
 打ち合わせもリハーサルもなしに、
 素敵なアンサンブルができるなんて、
 どうなってるんだろう?
 でも、楽しそう…。)

……。



そして、6年後。

運命的なジャズとの出会い…。


そのとき…、

中学生のときから抱(いだ)き続けていた、

すべての謎が解けたのでした。


そして私は、即興演奏の楽しさに、

のめり込んでいく…。


♪♪♪



私が、音楽をやる上で、

いつも心がけていること。


「遊び心」
「自由な発想」
「柔軟な対応」

そして、
「アドリブ(即興)の面白さ」


ジャズのみならず、

音楽をやる上で不可欠、
かつ、最も重要ではないかと思ってる、
こうした要素は、

この映画によって、
最初に教えられたような、

そんな気がするのです。



それ以来…、


私は人から、
「あなたの一番好きな映画は何ですか?」
と聞かれたら、

真っ先にこの映画をあげるのが、
ずっと習慣になってしまいました。

(2番以降は、そのつど変わるけど、
 この映画だけは、
 いろんな意味で別格です。)


というか、

「好きな…」

なんて言葉じゃ言い足りない。


「人生を決められてしまった…。」

と言った方が、

いいかもしれませんね。



なぜなら、中学生のとき、

この映画を初めて観たときから、

私は心のなかで、


「将来、音楽の仕事で食べていきたい。」

と、かってに決めてしまったのですから…。



どうしてくれる。


え、『グレン・ミラー物語』


え、え、え、


……。



SHUN MIYAZUMI

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April 11, 2009

A' TRAIN


東横線学芸大学の改札を左(西口)に出て、
すぐにUターン。

5メートルくらい、
線路に沿って歩いた左側に、
交番があります。

その角を右に曲がって3軒目。

赤い看板があって、
そこには、
こう書いてあります。

『JAZZ
  A'TRAIN』


A Train 1


中に入ると、
そこは、
18人も入ればいっぱいの、
小さなジャズ・バー。

しかし、右側には、
立派なグランド・ピアノが、
所狭しと、
で〜んと横たわっている。



A Train 3



壁という壁には、
ジャズの名プレイヤーの写真や絵が、
飾られている。



A Train 4



そして、

「黒い帽子、黒いシャツ、黒いズボン」
のマスターが、
今日もヒマそうに、
節煙パイポをくわえている。


マスター
 「いらっはい。」


 「おや、ヒマそうだねえ。」

マスター
 「クーキャナイ ターントゥー」

(注:クーキャとはバンド用語で、
   客(キャク)のこと。
   「Who Can I Turn To」
   (フー・キャナイ・ターン・トゥー)
   という有名なジャズ・スタンダード曲、
   を文字った、くだらない洒落(しゃれ)。
   クーキャ(客)ナイ(無い)。
   つまり、「客がいない」という意味。)


私は、さっさと無視して、
いつものように、
カウンターの左隅に腰掛けて、
麦焼酎のボトルを出してもらい、
麦茶で割ってもらう。

「く〜〜、美味い!」


こうして、
今宵も始まりました。

「エートレ」の夜が。

ここで夜を過ごすのが、
ほとんど日課のようになっている私…。


平日は、ほぼ毎日。

少なくとも、週の半分は行く。

外出をして、
ここへ寄らないで、
まっすぐ家に帰ることは、
まず、ありません。


いわば、私にとっての、

ホーム・グラウンド。

憩いの場。

癒しの場。


「この店が無くなったら、
 私は、どうすればいいんだろう…?」

きっと、困るでしょうねえ。


ま、私にとっては、

それほど貴重な、

そんな、お店です。



A Train 2



さて、

私がこのお店を気に入ってる理由は、

以下のとおり。


1.駅から近い。(10秒くらい)

2.安い。ほんとに。

3.歩いて帰れる。

4.気の合う仲間がいっぱいいる。

5.何よりも、マスターと、
 (Kイチさんとしておきましょう)
 いろんな意味で気が合う。
 ありとあらゆる趣味がおんなじ。
 食い物の趣味も、スポーツの趣味も、
 人物評も、映画の話も、
 くだらないジョークも、駄洒落のタイミングも、
 ピッタシ・カンカンに合う。

6.ジャズ・バーなのに、
 誰もジャズの話をしない。
 くだらないジョークの応酬で、
 いつも笑いがいっぱい。

7.迷惑防止条例に違反するような客は、
 マスターが排撃してくれるので、
 安心して飲める。

8.だから、女の子一人でも、
 安心して来れる。


そして…、

9.ピアノが素晴らしい。
 サウンドがご機嫌。


ま、ざっと、そんな感じでしょうか。



そんな『A'TRAIN』の、

楽しい仲間たち。


その筆頭は、
もちろん、マスターのKイチさん。

B級グルメの帝王。
野球、相撲、サッカー、ボクシングと、
スポーツ何でも好き。

特技は形態模写。

とくに、
かつての麻原彰晃の横山弁護士と、
かつて学大にあった、
とある中華料理店の女将(おかみ)の真似は絶品。
知るもの、抱腹絶倒。

五木ひろしの真似も最高ですが、
なぜか、
私にしか見せません。

独学でマスターした、
ロックン・ロール・ピアノも、
素晴らしい。


そして常連客では…、

まず、

赤ら顔の、
「こいでおしまい」こと、
K出先生。

くだらない、まったく笑えない駄洒落を、
これでもか、これでもかと連発して、
他のお客を疲れさせるのを、
極上の楽しみとしている、
中学校の困った教頭先生。

この人も、毎晩、
まっすぐ家に帰らずに、
学大のあちこちを徘徊しています。

ある晩、道でバッタリ会ったので、
「先生、どこ行くの。もう遅いよ。
 早く帰んなよ。」
と言ったら、

「いや、僕は、アルク(歩く)ハイマーだから。
 アハハハ。」

「……。」


それから、

台湾料理屋の若ママで、
可愛い顔をした女の子のくせに、
酒なんか一滴も飲めないくせに、
キツ〜いジョークをかまし、
カッカッカッと豪快に笑い飛ばす、
Y恵ちゃん。

この人の得意技は、
常連客の声帯模写。
(みなさん、気をつけましょう。)

でも実は、英語、中国語ペラペラの、
超インテリなのです。
映画も、詳しい、詳しい。


さらに、

九州男児で、
スポーツ観戦オタクで、やはり映画通の、
「暴れん坊将軍」こと、
松平健にそっくりな、
謎のデイ・トレーダー、K原君。

この人は、
面白い話をしようとして、
自分だけ結論を知ってるもんだから、
話が途中なのに、
先に、我慢できずに笑い出してしまう。

「マスター、あのね、ほら、あの人、
 実はね、あ、あ、ア、アハハハハハハ。」

周りは、みんなポカ〜ン。

すかさずマスターが、

「おまえの、話は、つまらん!」


有名な大企業、F通にお務めのF野さんは、

いつも、終電間近に、
ニコニコ笑顔でやって来て、
「マスター、ビール下さい。」
と言うなり、

すぐに寝てしまう…。

大海原に漂流する船のごとく、
ゆらゆら、ゆらゆら。

マスターが、
「はい、お待ちどう。」
と、ビールを持って来た頃には、
すでに爆睡状態。

そして、1時間くらい経った頃、
パっと、目を覚まし、
「お勘定して下さい。」
と言って、また笑顔で帰って行く。

「……。」



かつて常連だった人も、
転勤や、引っ越しや、
それぞれの事情で来なくなったりで、

今は、私を含めたこの5人が、
「ウルトラ常連」
といったところでしょうか。


マスターを含め、
くだらないジョークの応酬で、
お互いの「脳細胞」を破壊しあう。

もうもう、お腹が痛くなるほど、
笑いこけてるうちに、
時計を見たら、深夜の2時。

「はい、みんな、もう帰って〜。」
とマスター。

(仕方がない。帰ってやるか…。)


外へ出て、

「じゃ、みんな、またね〜。
 おやすみなさ〜い。」

と言って別れるが、


あくる日も、その次の日も、

結局、おんなじ。


おんなじメンバーで、

“脳細胞破壊合戦”

……。



これに、
「準常連」とも言うべき、
何人かが、

時々加わる。


渋谷の方に引っ越したので、
最近は頻度が落ちましたが、
私の相棒のベーシスト、
エディ河野。

学大で人気抜群のお好み焼き屋、
「キャベツ亭」の従業員、
Kョウ子ちゃん。

精神科医のくせに、
ジャズ・ピアノ抜群のM浪先生。

温厚なジェントルマンで、
ジャズ好き弁護士のK村先生。

(このお二人は、ともに、
 東大出のエリートですが、
 なかなかファンキーなオジサマです。)
 

それから、

私が、「三宿のジョニー・ハートマン」
と命名した、
甘〜いジャズ・ヴォーカルを聴かせる、
三宿の寿司屋のキンちゃんこと、
N口さん。

オーボエでジャズをやる、
珍しいミュージシャンの、
ケロンパ・Tモカちゃん。

ピアノの弾き語りで、
渋いスタンダードを聴かせる、
やり手実業家のJ・A君。
野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ、森進一、
の声色を使い分けて唄う、
「My Romance(マイ・ロマンス)」
は、けっこう笑えますよ。


などなど…、

キリがないのでこの辺にしておきますが、


それはそれは、

「ジャズ・バー」とは名ばかり。

古典落語に出てくるような、
江戸の下町の長屋の井戸端会議、
と言った方が、

ピッタリかもしれません。



そんな『A'TRAIN』が、

本来の、
「ジャズ・バー」「ジャズ・クラブ」

つまり、「ジャズのお店」
に戻る日が、
月に一度だけあります。


それが、月末の最終金曜日の、
私が月に一度だけピアノを弾く、
「ミッドナイト・セッション」

夜の11時くらいに始まり、
最後は、朝の5時まで、
始発電車が動き出すまで、

プロ、アマ入り乱れての、
狂乱のセッションが、
果てしなく続くのです。


こんな楽しいセッションを始めて、

もうかれこれ、

10年になります。



が、しかし、

次回、4/24(金)から、

時間を早めて開催することにしました。


理由のひとつが、

最近、
「A'TRAINに行きたいんだけど、
 そんな時間じゃとても無理。」
という人が増えてきたこと。

ま、そりゃそうですわ。

常識では考えられない、
時間帯ですからね。


さらに、

私の最重要仕事である、
ジャミン・ゼブのライブやイベントが、
翌日にあって、
ほぼ不眠状態で朝早く現場に行く、
といったケースが、
増えてきたこともあります。


でも、なによりも問題なのは、

「寄る年波」

というやつでしょうか。


私もマスターも、
50代後半を迎え、
アラカン(還暦)街道を、
まっしぐらの年令です。

もう、あんまり無茶をやってると、

寿命を縮めることになりかねない。


ま、そんなわけで、

彼とも相談した結果、

次回(4/24)からは、

こんなスケジュールで行くことにしました。


20:00     オープン
21:00〜22:00 一回目
22:30〜23:30 二回目
(終電には充分間に合います)

0:30〜1:30  三回目
(深夜族、ジモティーのために、
 もう一セッション。)

あとは、ダラダラ・セッション。

そして、3時にはお開き。

帰って、即寝。



これから、ジャミンも、

ますます忙しくなるでしょうしね。


健康のことも考えたら、

ま、無難な選択ではないかと…。


どうぞ、ご理解の上、

どしどし遊びに来て下さい。


詳細は、カテゴリー別アーカイブにある、

「ライブのご案内」

をご覧下さい。



きょうは、スペシャル版でした。


明日は完全休養日にします。


「STB139」の反響が良くて、


嬉しいです。



では、おやすみなさい。


zzz……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 23:25|この記事のURLComments(32)TrackBack(0)

April 05, 2009

恋するセゾン


さくら〜♪ さくら〜♪

みなさん、
もう花見は行かれましたか…?


桜の開花とともに、
春の訪れを歓ぶ。

毎年この季節になると、
「日本人に生まれて良かったなあ。」
と、しみじみ思いますね。


とくに今年は、
開花したあと「寒の戻り」があって、
その分、例年より長持ちしてくれたとか。

おそらく、
この週末が、
満開のピークでしょう。

さ、まだの方、
花見に出かけましょう。

ワッショイ、ワッショイ。



しかし…、

その一方で、

満開の桜を見ると、

私には、
ある苦(にが)い想い出が、
よみがえってしまいます。


毎年、

この季節になると、


決まって…。




『恋するセゾン』


今、私の目の前にある、
一枚のシングル盤。

アナログ・プレイヤーの無い、
今の私にとって、
それを聴くことは叶いませんが、

私がプロデュースした中でも、
生涯忘れることのできない、
作品の一つです。

いろんな意味で…。



その曲とは、

松原みき
『恋するセゾン〜色恋来い〜』


090405 Season


松原みきちゃんといえば、
真っ先に浮かぶのが、

『真夜中のドア』
という曲。

70年代の終わりに、
当時流行(はや)り始めていた、
「フュージョン・サウンド」を、
いち早く歌謡曲(J-POP)に取り入れて成功した、
画期的な作品でしたね。


また、

『GU-GU ガンモ』

というアニメの主題歌も、
子供たちから、
圧倒的な支持を得ました。

覚えてらっしゃる方も、
多いのではないでしょうか。



あれは、1985年の年初め。
(だったと思います)

私は、ポニー・キャニオンから、

この、松原みきちゃんの、
プロデュースの依頼を受けました。


85年というと、
私は33才。

アルファを辞めて、
フリーになって間もなくの頃です。

自由奔放に、
のびのびと制作に励んでいた時代です。

しかも、彼女の、
ややハスキーな声と、
パンチのある歌い方は、
とても好きでしたから、

喜んでお引き受けしました。


さらに、この依頼には、
もうひとつ条件がありました。

当時、アルファ・レコードの専属で、
絶頂期を迎えていた、
「カシオペア」のようなサウンドを、
うまく取り入れて欲しい、

ということでした。


それも、おやすいご用です。

さすがに、
カシオペア・サウンドの中核である、
リーダー、野呂一生(ギター)君の器用は、
勘弁してもらいましたが、

キーボードの向谷実君を、
サウンド・プロデューサーに仕立て、
ドラムの神保彰君、
ベースの桜井哲夫君、
らにも参加してもらいながら、

録音は快調に進行。


フレンチ・ポップスの香りを漂わせ、
ヨーロピアン・ムードを狙った、
お洒落で、エレガントなサウンドは、

まさに、私の描いていた、
みきちゃんのイメージにピッタリ。


レコード会社の中には、

「ちょっと、お洒落すぎないか…?」

「サウンドにばかりこだわりすぎて、
 楽曲が難しすぎないか…?」

「今流行りのポップスのサウンドから、
 逸脱していないか…?」


といった、不安の声もあったようですが、
私は一向に気にしない。
初志貫徹。

私には自信がありました。

(なあに、このコンセプトは、
 絶対受けるさ。)


アルバム・タイトルは、
『Lady Bounce』

私の大好きなジャズ・ピアニスト、
エロール・ガーナーが、
フランスの曲ばかりを集めたアルバム、
『パリの印象』の中にあった、

「Paris Bounce」
という曲名を文字る。

こんなとこまで、
フランスかぶれ。


さらに、私の自信をかきたてるもの。

それは…、

強力なシングル・カット曲の存在。


作詞:康珍化
作曲:亀井登志夫

両君の手による、
素晴らしい曲が、
出来つつあったからなのです。


とくに、作詞の康(かん)君とは、
その数年前に、
三好鉄生『涙をふいて』という曲を、
一緒に作った仲でもあり、

しかも、その当時、

『桃色吐息』(高橋真梨子)
『悲しい色やね』(上田正樹)
『君だけに』(少年隊)

といった、ヒット曲を連発。

冴えに冴えていたので、
大いに期待していましたが、

やはり、
狙った通りの、
素晴らしい詞が来ました。



「来い(こい) 来い(こい)
 色恋(いろこい) 来い(こい)
 花が咲く この心に
 来い(こい) 来い(こい)
 色恋(いろこい) 来い(こい)
 ときめき待つ この胸に ♪」

どうです。

鮮やかでしょ。


2コーラス目のサビはこうです。

「来い 来い 色恋来い
 花がまだ 咲いてるまに
 セゾン セゾン 愛しても
 すぐにあせる夢の色 ♪」



曲もポップで、弾(はじ)けてて、
スケールが大きくて、感動があって、
もう、文句無く素晴らしい。

まさに、春にピッタリの唄です。


折しも、
レコーディングは、
桜が満開の頃。

スタジオは、
かつて「カツオくんと私」にも登場した、
桜新町にある、
『スタジオ・ジャイヴ』


桜新町といえば、
その名のとおり、
桜の名所。

スタジオの周りも、
公園も、道という道も、
もうもう、
気も狂わんばかりの桜、桜、桜。


そんな桜をいっぱいに浴びて、
スタジオに入ると、

みきちゃんの、
天真爛漫な歌声が響きわたっている。


M Matsubara 1


洗練された、都会的な、
カシオペアのようなサウンドに乗って。

♪♪♪


そしてアルバムは完成。


M Matsubara 2
     (楽しい打ち上げの写真)


私は、ヒットを確信しました。

満開の桜をバックに、
溌剌(はつらつ)と歌ってる彼女の、
プロモーション・ビデオ、
かなんかを想像しながら、

「これ、化粧品のCMにピッタリだな。
 アハハハ。」

「いや、エアー・フランス航空もいいなあ。
 ウシシシ。」



しかし…、

私は…、

プロデューサーとしてはあるまじき、

致命的なミスを犯していたのです。


通常、作品が完成してから、
発売になるまでは、
約3ヶ月の時間を必要とします。

したがって、
桜が満開のときに完成した、
この曲(アルバム)が発売されたのは、

6月…。


6月といえば梅雨の季節。

毎日、毎日、
鬱陶しい雨、雨、雨。
湿気ムンムン。


こんな曲をかけてくれる、
ラジオ局は、
どこにもありません。

ドラマの主題歌も、
CMも、
季節感が違うとハネられる。

……。



結果は…、

芳(かんば)しくありませんでした。


申し訳ないことをしました…。



数年後に、
このアルバムを、
もう一度聴いたことがあります。

たしかに、

コンセプトやサウンドにこだわりすぎて、
「唄(うた)」
というものを、
おろそかにした感じは受けました。

若気の至りとでもいいましょうか。


あのとき、
周りの何人かから受けた批判も、
今となっては、

甘んじて受けましょう。


しかし、

あの唄だけは、

どうしても、

当てたかった。


『恋するセゾン〜色恋来い〜』

だけは…。

……。



時は流れて、

2004年のある日のこと。


「そういえば、松原みきちゃん。
 ずいぶん会ってないけど、
 元気かなあ。」

と、突然思い出し、
ポニー・キャニオンの友人に、
電話を入れてみたところ、

信じられないような答えが、
帰ってきました。


「彼女、死んだよ。」

「……。」


気丈な彼女は、

誰にも悟られないように、
最後まで明るく振る舞っていたそうですが、
病名は、

「子宮頸癌」


44才という若さでした。


かわいそうに…。



私は、

毎年、
この季節になると、

東横線の中目黒駅を降りて、
目黒川の桜を見にいくのですが、

美しい桜並木を見るたびに、
どうしても、
彼女と、
あの唄を、

思い出してしまいます。


そして、天国のみきちゃんに、

そっと手を合わせ、

心の中で、こう呟(つぶや)くのです。


「みきちゃん、ゴメン。
 ヒット曲を、
 はずしてしまった…。」



もう、許してくれてるかな…。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 03:18|この記事のURLComments(22)TrackBack(0)

March 30, 2009

かまくら


「ジャミン・ゼブ春の陣」

前半戦終了。

ホッ…。


でも、充実の日々でした。

疲れなど、
これっぽっちもありません。


3/26(木)の大阪では、
普段、あまりお目にかかれない、
関西のジャミン・ファンの方々と、
いろんなお話が出来ました。

大阪でも、
ファンミやりますからね。
楽しみにしていて下さい。

待っててやー!



3/28(土)は、
「鎌倉芸術館大ホール」

鎌倉ユネスコ主催の、
チャリティー・コンサート。

世界的なプリマドンナ、
サイ・イエングアンさんとの、
ジョイント。


いやあ、彼女は素晴らしい。
モーツァルトの歌劇『魔笛』の中の、
「夜の女王のアリア」

絶品でした。

超絶技巧。
コロラトゥーラの名にふさわしい、
堂々のソプラノを聴かせて下さいました。

そして、私がアレンジした共演の3曲も、
つつがなく終わり、
暖かい拍手をいただき、

これまた、

ホッ…。



そして、昨日(3/29)は、
「第一回ファン・ミーティング in 東京 二日目」

みなさんの、
楽しそうな、
幸せそうなお顔を見ているうちに、
こっちまで、

ポッカポカ。

♡♡♡


ま、これも、

ホッ、ホッ、ホッ

の一日でしたね。



みなさん、

本当に、ありがとうございました。


後半戦も、

頑張りますよー。


はい。


というわけで、

きょうは、


こんなテーマを選んでみました。




『かまくら』


2009年1月24日。


私は、約40年ぶりに、
鎌倉を訪れました。

「鎌倉ユネスコ」の新年会に、
ジャミン・ゼブとともに、
ご招待を受けたのです。


協会のみなさんの、
暖かいおもてなしを受け、

スタッフの女性の引率で、
「鶴岡八幡宮」を参拝し、

初めて、
大仏様のご尊顔を拝し、
高徳院の広々としたお座敷で、
美しい庭園を眺めながら、
お茶やケーキをいただくという、

それは、それは、

至福の時間を、
過ごさせていただいたのです。


そんな鎌倉は、

相変わらず、

「小京都」の味わい。


伝統を愛する、
昔ながらの街並みは、
40年前と、

何ひとつ、
変わってはいませんでした。


懐かしかったですねえ。


40年前というと、

私は、高校生でした…。



恥ずかしながら、

その頃の私は、
秘(ひそ)かに、
芸大進学を目指しておりました。


そして、

ごく普通の、
都立高校に通っていた私は、
その学校の、
進路指導の先生から、

「芸大に行きたければ、
 芸大の教授に習わなくては、
 合格はおぼつかない。」

と言われ、

鎌倉にお住まいの、
とある「東京芸大教授」の門を叩き、
毎週、レッスンを受けに、
通っていたのです。


毎週日曜日。

世田谷の実家から、
電車とバスを乗り継ぐこと、
2時間。

たった1時間の、
「ピアノと作曲」のレッスンを受けるために…。

そして、また、
2時間かけて、
家に帰る。


雨の日も、
風の日も、
雪の日も、

日曜日になると、
休むことなく、

鎌倉まで通う、

紅顔の美少年。

(……?)



それは、ほぼ2年間にも、
及んだでしょうか。

私にしては珍しく、
よく続いたもんです。


しかし…、

しだいに私の中には、

ある種の疑問が、

沸き起こっていきました。



その日のレッスンで、私は、
ベートーヴェンのソナタを、
弾いていました。

ベートーヴェンの音楽は、
内面に、強烈なリズムを秘めており、
ただ綺麗に、お上品に弾くだけでは、
彼のパッションを表現することは、
できません。

と、私は思っていました。

(今でも思ってますが)


ま、ジャズでいうところの、
「グルーヴ」ですね。

「グルーヴ」を持った音楽です。


ですから、

当然のことながら、
弾いているうちに、
私はノッていく。
体が動いてしまう。

グイグイ、グイグイ。

ルンルン、ルンルン。


そのうち…、

私の右肩は上がったり下がったり。
姿勢は崩れ、
時に唸り、
時に「イエ〜イ」てな声が自然に出たり、

さながら、
キース・ジャレットのような奇態になりながらも、
(もちろん、
 あんなにカッコ良くはありませんが…)

そんな感じで、
夢中になって演奏する私。

(いいぞ、きょうは調子いいぞ。ウシシ)


♪♪♪



すると…、

その芸大教授。

私の肩を思い切り叩き、

怖〜い顔をして、

「君、姿勢がなっとらん。
 やり直し!」

(ちっ、せっかく乗ってたのに、ブツブツ…)



仕方なく、最初からやり直す。


しかし、またノリノリになる。

のけぞり、鍵盤にうずくまり、

肩は動き、腰は浮き、

もうもう、

メチャメチャの姿勢で、

私のベートーヴェンは疾走する。


♪♪♪



すると、またしても、

禅の和尚さんのような、

「喝〜〜!」が飛ぶ。

右肩に痛みを覚える。

 「姿勢がなっとらん!!」

(けっこう、いい演奏だと思うんだけどなあ…?)



ま、最後の方は、

ずっとこんな感じでしたね。


そして、ついに先生から、
厳し〜いお言葉。

「君は、基礎が出来ていないようだね。
 芸大はちょっと無理じゃないのかねえ。」

「……。」



私は落胆。

「俺には、音楽は向いてないのだろうか…。」

「芸大なんて、全くお門違いなんだろうか…。」



そんな、ある日のこと。
 

何気(なにげ)にテレビを見ていたら、

ある女性司会者が、

「次は、○○トリオの皆さんの演奏です。
 曲は、『枯葉』。」


それは、
ジャズのピアノ・トリオの演奏でした。

初めて聴く、
実に新鮮な音楽。

なんと、
浮き浮きするようなミュージック。


♪♪♪



なによりも、

そのピアニストの弾いてる様(さま)が、
まるで、

鏡を見ているようでした。


「アハハハ、この人、
 俺とおんなじじゃないか。」



これが、

私とジャズとの出会い。


時を同じくして、

ビル・エヴァンスやウエス・モンゴメリーとも、

出会う。

体に電流が走る。


私は、すぐに、
その教授に電話をして、
辞める旨を伝えました。

きっぱりと路線変更です。

(俺には、ジャズの方が合ってそうだ…。)


ま、そこから先は、

過去ログ、
「レコード買いまくり時代」〜
「ジャズまくり時代」

をお読み下さいませ。


なにはともあれ、

あれから40年…。

……。



それ以来の鎌倉でした。


そして、一昨日…。


私の書いた、
クラシックとジャズの、
ごちゃ混ぜのようなアレンジを、

世界的ソプラノのサイさんと、
美しいチェリストの水谷川さんと、
わがジャミン・ゼブ君が、

会場いっぱいに、
響かせてくれている…。


感無量でした。



今思えば、

鎌倉こそが、

私にジャズを知らしめてくれた場所、

だったのかもしれません。


彼(彼女)らの演奏を聴きながら、

そんな、遠い、
ちょっぴり苦(にが)い昔に、
思いを馳せていた私でしたが、

おかげさまで、

あれもこれも、

いい想い出になりましたね。



「鎌倉(かまくら)」


また行きたいな…。



「ここ、美味しいんですよ。」

と、美しい女性スタッフお薦めの、


『お汁粉(しるこ)屋』も、



結局行けなかったし…。



SHUN MIYAZUMI

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March 21, 2009

フィニアス・ニューボーンJr.


私が、

若い頃から、

ずっと、不思議に、思っていたこと。


それは…、

「フィニアス・ニューボーンJr.は、

 なぜ売れなかったんだろう…?」



私から言わせれば、

「テクニック凄し!」
「スイング感抜群!」
「アドリブ、超カッコいい!」

と、三拍子揃った、
理想的な、素晴らしい、
“ジャズ・ピアニスト”なのに、

なぜか、


売れなかった…。



残念ながら、

今の若いミュージシャンでも、
その存在を知っているのは、
ごくわずかでしょう。

よほどのジャズ通や、
凄腕コレクターを除いては、
ほとんど「知る者無し」の、

伝説のピアニスト…。


これは、私にとっては、

「世界七大不思議」に入れても、
おかしくない出来事です。

(おおげさな)



ですから、

ここ数日、
このブログに寄せられた、
多くの女性たちからの、

「フィニアス観ました。カッコいい!」
「フィニアスの『Lush Life』しびれました。」
「フィニアス、のけぞりました。」
「フィニアス、いけてますねえ。」

といった、
数々の賛辞の投稿には、

本当に驚きました!


昔から、
数少ない「フォニアス信奉者」
を自認している私にとっては、

この上もなく、
嬉しい出来事でしたが…。


そして、

これによって、

長年にわたる、私の謎が、


ようやく解けました!


「彼は、
 生まれて来るのが、
 早すぎたのだ。」


(単純すぎないか)




<偉大なジャズメンたち・シリーズ>


『フィニアス・ニューボーンJr.』

 Phineas Newborn Jr. (1931-89)

PNJ


バド・パウエルを創始者とする、
いわゆる、
「ビー・バップ系」の名ピアニストで、

『Here Is Phineas』というアルバムで、
颯爽と登場したときは、
まさに、
「バド・パウエルの再来!」

と、騒がれたそうです。


しかし…、

商業的には、
多くの成功をおさめることは、

できませんでした。


同年代にデビューした、

やはり、
同じバド・パウエル系列にある、
他の名ピアニストたちは、

それこそ、各々が、
「ヒット・アルバム」
と言われる作品を持ち、
それを世に認められ、

後世にまで名を残す、
華々しい活躍をしたのに…。


トミー・フラナガン「Overseas」

レッド・ガーランド「Groovin'」

レイ・ブライアント「Golden Earrings」

ウィントン・ケリー「Kelly Blue」

ソニー・クラーク「Cool Struttin'」

ハンプトン・ホーズ「The Trio」

etc.etc.


ま、これらは、

「ジャズ・ピアノのバイブル」とも言うべき、
素晴らしい名盤揃いであることに、

間違いはありませんが、


が、

が…、

(くどい)


フィニアスが世に残した、
いくつかのアルバムが、

これらに劣るとは、

私には、
到底思えません。



そんな、フィニアス・ニューボーン。


不幸にも、

青年時代から、
精神障害で、
入退院を繰り返していたといいますから、

それも、
大いに影響したのでしょう。


加えて、

前述したライバルたちが、
次々と成功をおさめていくのを尻目に、

ちっとも人気が出てこないあせりも、
あったのかもしれません。


なにしろ、
強烈なテクニックの持ち主ですから、

全盛期には、
とあるジャズ・クラブで、
右手を高々と上げて、

「どうだ、俺の上手さを見ろ!」
とばかりに、
左手だけで、
超高速のブルースを、
延々と弾いてのけたそうですが、

こうしたことが、逆に、
みんなの反感を買ったとも、
言われています。


アルバムを発表しても発表しても、

売れない。

人気が出ない…。


そして晩年は、

ご多分にもれず、
彼もまた、
酒びたりとなり、

ついには、

精神障害に加えて、
アルコール中毒でも、
入退院を繰り返す。

……。



私は、

彼が死ぬ直前に発表した、
最後の「ソロ・アルバム」
も聴きましたが、

全盛期を知るものにとっては、
「それはそれは哀れ」
というしかない、
ひどいアルバムでした。


指はもつれ、
ミスタッチは相次ぎ、

「これが、あの、フィニアス…?」

と、思えるほどの、
信じられないような出来…。


最後は、

身も心も、

ボロボロだったのでしょう。


そして、そのまま、

58年の生涯を終えることに。

……。



つくづく、

不運な、

「薄幸の天才」と言わざるをえません。



しかし、

しかし…、

(くどい)


今もなお私は、

彼のピアノ・スタイルを、

心から崇拝しております。


彼の“ジャズ・ピアノ”は、

私の理想とするものであり、

私のなかでは、

永遠のアイドルなのです。


「ビバ、フィニアス!」なのです。



というわけで今日は、

「これからフィニアスを聴いてみよう」

という方のために、


私が推薦する、

3枚のアルバムをご紹介します。

(パチパチパチ)


いずれも、

1950年代後半から、
60年代の初めにかけて、
録音されたもので、

まさに、
フィニアスの絶頂期。

ぜひとも、
多くの方に聴いてもらいたい、
作品ばかりです。


在りし日の、

「フィニアス・ニューボーンJr.」の…。



1.『We Three(ウィー・スリー)』


We 3


 名ドラマー、ロイ・ヘインズの、
 リーダー・アルバムとなっていますが、
 内容はまさに、
 「Phineas Newborn Jr. Trio」
 
 一曲目の『Reflection』から、
 もうもう、あまりのカッコ良さに、
 のけぞります。

 せつないメロディー、
 抜群のアドリブ・センス、
 そして、しだいに、
 マシンガンのような指さばきが炸裂!

 時に豪快に、時に小気味よくスイングする、
 フィニアスの魅力が、
 これ一発で、おわかり頂けると思います。

 『After Hours』
 というスロー・ブルースも最高でした…。


2.『Here Is Phineas
   (ヒア・イズ・フィニアス)』


Here Is P


 ニューヨークは、セントラル・パークの、
 池のほとりに佇む、若きフィニアス。
 この美しいジャケットを眺めながら、
 それこそ、擦り切れるほど聴きました。

 一曲目の『Barbados』という、
 チャーリー・パーカーのブルースから、
 いきなり度肝を抜かれます。

 コロコロと、猫が鍵盤の上で、
 じゃれるような軽快なテーマ。

 「おや、可愛い始まりだなあ。」
 と、思いきや…、
 しだいに、
 彼のスーパー・テクニックが、
 スーパー・インプロヴィゼーションが、
 鍵盤狭しと疾走をはじめ、

 最後は、強烈なブロック・コードが、
 じゅうたん爆撃のように、
 「ダダダダダダダー」
 と襲ってくる。
 
 まいりました…。


3.『A World Of Piano
   (ワールド・オブ・ピアノ)』


A World Of P


 彼のスタイルを一言で言うと、
 「ハードボイルド」

 強烈なテクニックとスイング感で、
 聴く者を圧倒する、
 極めて男性的なピアノなのですが、
 このアルバムには、
 それが、最も顕著に表れています。
 
 豪快かつ爽やかに疾走する、
 スリリングな彼の演奏を、
 聴き終わったあと、

 「スポーツに汗を流した」
 にも似た爽快感が残るのは、
 私だけ…?

 今、とあるブログで話題の、
 「Lush Life」は、このアルバムに、
 収められています。
 
 
♪♪♪♪♪



ああ、それにしても、

人生は非情だなあ。


上手くても駄目なのかなあ…。


いや、彼の場合は、

上手すぎたのかな…?


ああ、また、


解らなくなってきた…。


……。



SHUN MIYAZUMI







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March 16, 2009

ビリー・ストレイホーン その2


一昨日「丸の内オアゾ」で、
ある、ジャミン・ファンの女性から、

「フィニアス・ニューボーンの動画、
 You Tubeで観ましたよ。
 すごいカッコいいですね〜。」

と言われ、ビックリ!


メカ音痴の私は、
まだそれを観ることはできませんが、

この世に、
そんなものが存在するということを知って、
本当に嬉しくなってしまいました。


動いてるフィニアスなんて、

まったく、見たことありませんから…。



「フィニアス・ニューボーンJr.」


およそ“テクニック”ということにかけては、
あの、オスカー・ピーターソンをすら、
凌駕するだろうと思われる、
強烈な、極めて男性的な、

ジャズ・ピアニスト。


若い頃から、
彼の10数枚に及ぶアルバムは、
ほとんど揃えるという、
熱狂的な「フィニアス患者」の私ですが、

彼もまた、
素晴らしい実力を持ちながら、
ついに名声を勝ちとることのできなかった、
悲劇の天才プレイヤーです。

今では、

よほどのジャズ好きのおっさん以外は、
おそらく、誰も知らない存在、
なのではないでしょうか…。


ですから、

前回のエッセイを書いた後、
何人かの女性のコメントの中に、

「フィニアス・ニューボーン」

の名前が出て来たときには、
同様の嬉しさを覚えたものです。

(フィニアスの名前を、
 共有できるなんて…。)


ま、いずれ彼にも、

このコーナーにご登場願わねば、
と思っておりますが、


その前に…、


もう一人の不遇の天才、

「ビリー・ストレイホーン」と、

名曲『Lush Life』のお話の続きを、


「一世一代の恥」とも言うべき、

私の失敗談を交えて、


お話ししておかねば…。


あ〜あ…。




<偉大なジャズメンたち・シリーズ>



『ビリー・ストレイホーン その2』


Billy Strayhornの名曲、

『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』
を、初めて知ったのは、

私が、大学生のときでした。


かつて『ジャズまくり時代』
というエッセイにも書きましたが、

その頃の私は、

六本木や赤坂に、
「ジャズのお勉強」と称して、
毎夜毎夜出没する、

いけな〜い大学生でした。


そんなある日のジャズ・クラブで、
私が師と仰ぐ、
名ピアニストの菅野邦彦さんが、

突如、この曲を弾き始めたのです。


それは、

この世のものとは思われぬほど、
美しいバラード。

そして、
鳥肌が立つような、
官能的な演奏でした。


「く〜〜、俺も、この曲弾きたい。」

さっそく、譜面を手に入れた私は、
身の程知らずにも、

この曲の猛特訓を開始したのです。


が…、

全然、面白くならない。

まったく、サマにならないのです。


「フィニアス・ニューボーンJr.」
のレコードも聴いてみましたが、
全然、あんな雰囲気にならない。

コードも、メロディも、
なに一つ間違ってないのに、

私の弾くそれは、

まったくの別物。

てんでお話にならない代物。


(……。)



私は悟りました。

「これは、未熟な若僧に弾ける曲ではない。
 もっと人生経験を積んで、
 人間的に熟したら、
 もう一度挑戦しよう…。」

そう諦(あきら)めて、
いったんお蔵入り。


そして、25才くらいのとき、
再び挑戦したのですが…、

やっぱり、

つまらない。

(なんだかなあ…。)



さあ、30才になりました。

「そろそろ、上手く弾けるのではないかな。」

そんな、淡い希望のもとに、
再度、この譜面を引っぱりだしたのですが、

またまた、惨敗。

(くそ、この未熟者め…。)



こうして、

「挑戦してはお蔵入り」

を繰り返していた私ですが…、


35才にもなろうかという、

ある日のこと。


久しぶりに、

この曲を弾いてみたところ、

なんか、しっくり行くんですね。


弾いていて、
実に気持ちがいい。

我ながら、
“美しい”と思えるような演奏が、
出来ているような、

そんな気がしたのです。


ゆったりとしたテンポも自由に操れ、
メロディもコードも、
雰囲気も、ダイナミクスも、
思うがままに、

しっくりと演奏出来ている…。

指先と精神が、
ついに一体になった気がしたのです。


「ヤッタ〜、ヤッタ〜、ヤッタ〜!!」

私は、部屋中を飛び跳ねました。

「ついに、この曲をマスターしたぞ。
 ウシシシ。」



そんな頃です。


とある結婚式に参列した私は、

「なにか、
 ピアノを1曲演奏してくれませんか。」

という依頼を受けました。


もちろん、私が選んだのは、

この覚えたての、

『ラッシュ・ライフ』

♪〜〜〜〜〜〜〜♪



ま、満足のいく出来栄えだったでしょうか。

たくさんの拍手をいただき、
意気揚々と、
テーブルに戻る私。


何度も言うようですが、

この曲は、
ドラマチックな展開が何度もあって、
「コンサート効果」も抜群なんですね。


こうした、
晴れやかな席にも、
ピッタリ合うと信じて疑わない私は、

その後も、
こうした結婚式の披露宴で、

何度か、この曲を演奏しました。


調子に乗って。



そんな、ある日のこと…。


やはり、後輩の結婚式に呼ばれた私は、

スピーチとピアノ演奏を、

ダブルで依頼されたのです。


ピアノ演奏は、
『ラッシュ・ライフ』に決めてましたが、

こうした、お固い席で、
「スピーチ」というのは、

どうも苦手な私。


考えがまとまらないのに、
無情にも順番がやってきて、
司会者から紹介を受けた私は、

「ええい、どうなってもいいや。」
とばかりに開き直り、

こんなことを、

ペラペラと喋り始めたのです。


「ええ…、これから弾く曲は、
 『ラッシュ・ライフ』という曲です。
 ラッシュ・アワーのあの‘ラッシュ’ですね。
 慌ただしく殺到するという意味でしょうか。

 ま、これを拡大解釈すると…、

 人生は慌ただしい。
 あっと言う間に終わってしまう。
 たから、一日一日を大事に、
 今このひと時を大切にしましょう。

 そんな教訓があるんですねえ。

 きょうは、新郎新婦のお二人に、
 そんな気持ちと願いを込めて、
 この曲を演奏したいと思います。」
 

そして、演奏…。

♪〜〜〜〜〜〜〜♪



拍手喝采。

参席者のみなさんの笑顔、
感心したようなため息、
笑顔、拍手、笑顔、拍手…。


自分のテーブルに戻っても、

あちこちから賞賛の声は、

鳴り止まぬ。


「いやあ、良かったですよー。
 感動しました。」

「あ、そうですか。それはどうも…。」

と、ポリポリ頭をかく私。


「ほんと、素敵だったわ〜。
 お話も、お上手だこと。」

「いや、まあ、それほどでも、
 あははは。」

と、照れ笑いの私。



と…、

そこへ、

品のよさそうな、

一人の初老の紳士が現れて、


「あなたねえ。
 あれ、全然、意味が違いますよ。
 間違っても、
 おめでたい結婚式で演奏するような曲じゃ、
 ありませんよ。」


こう冷たく言い放って、

立ち去った。


(シラ〜〜〜〜)



でも…、

「もしや」と思い、

家に帰った私は、

すぐに英和辞典を開いてみました。


すると…、


あろうことか私は…、


LとRを間違えていたんですね。


(タラ〜〜〜〜〜)


私が喋ったラッシュ・ライフは、
「Rush Life」

でも、この曲の本当のタイトルは、
「Lush Life」

そして、「Lush」とは、

「飲んだくれ」「酒びたり」「放蕩」


そんな意味だったのです。


(サオマツ…)



「穴があったら入りたい」

とは、このことです。


いやあ、

私のほうこそ、
いい教訓になりました。

いろんな意味で。


もちろん、

結婚式で、この曲を弾いたのは、

このときが最後です。

……。



さて、ビリー・ストレイホーン。

彼の父親は、
飲んだくれの、貧しい工場労働者で、
幼い頃からビリーは、
虐待を受けたと言います。

18才のときの彼は、
そんな父親に皮肉をこめて、
こんな曲を作ったのでしょうか…?


成人してからも、
同性愛が認められなかった時代に、
ホモ・セクシャルという理由で、
世間から迫害を受けたそうです。


また、音楽家になってからも、
結局は、
デューク・エリントンの一書生として、
彼のポケット・マネーで生計をたてるという、
不遇の人生…。


そして、ついに、
彼が望むほどの富と名声を、
得ることはできませんでした。

あれだけの才能を持ちながら…。


そして、

彼自身も、

いつしか、酒とタバコに溺れ、

食道がんで、
51才という短い生涯を終えるのですが、


それは、図(はか)らずも、

18才の時に書いた、

『Lush Life(飲んだくれ人生)』

を、実践してしまうことになりました。



深い曲です。

人生の美しさと哀しさを併(あわ)せ持った、

素晴らしいバラードです。


おそらく、私にとって、

「これで完璧だ!」
などという演奏は、
望むべきもないのでしょうが、

完成しないまでも、
ずっとずっと、
愛し続けていきたい曲であることに、
間違いはありません。


未熟でもいい。

ウィスキーの水割りを飲みながら、

気の合う仲間たちの前で、

いつまでも演奏し続けていきたいなあ、


そう思える曲です。



そんな私も、


また、



『Lush Life』


……。



SHUN MIYAZUMI

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March 11, 2009

ビリー・ストレイホーン


たまには、

真面目に(?)

ジャズの話でもしようかな…。


こう見えても、

一応、音楽屋のブログですからね。


みなさんの「脳細胞」を、

これ以上損傷させるのも忍びないし…。



さてさて、

このブログの左上、

『カテゴリー別アーカイブ』の中に、

‘偉大なジャズメンたち’

というコーナーがありますね。



これは、


「かつて、幸運にも私がお会いしたことがある」

あるいは、

「その人から多大な影響を受けた」


あるいは、

「すごい人なのに、あまり知られていない」

「もっともっと評価されていい」


そんな、私なりの偉大なジャズメンを、
取り上げてみようと、
設けたコーナーなのですが、

きょうは、久しぶりの登場です。


たまには真面目な音楽話もしないと、

いけないと思いまして。


いいのかな…?


いいですよね…?


ね…。




<偉大なジャズメンたち・シリーズ>



『ビリー・ストレイホーン』

Billy Strayhorn(1915-67)


  Billy


デューク・エリントン楽団の、
テーマ・ソングとして、
あまりにも有名な、

『Take The ‘A’ Train』(A列車で行こう)


ジャミン・ゼブも、
結成当初から唄わせていただいてる、

名曲中の名曲ですが、


実はこれ、

デューク・エリントン御大の曲ではなく、

ビリー・ストレイホーン
という作曲家の作品なんですね。



インターネットで調べてみると、

この、

「ビリー・ストレイホーン」という人…。


黄金期のエリントン楽団に、
数々の楽曲を提供した、貴重な作曲家であり、
アレンジャー。

ときには、御大に代わって、
ピアノを弾いたり、
ショーやラジオ番組の音楽監督も務めた、
と言いますから、

エリントンや楽団にとっては、
きわめて重要な人物であったことが、
わかります。


『Chelsea Bridge(チェルシー・ブリッジ)』

という曲も大好きだし、

一説には、

『Satin Doll(サテン・ドール)』
『C-Jam Blues(Cジャム・ブルース)』

といった、有名なエリントン・ナンバーも、

彼の作品と言われています。


しかし…、

今もなお、
「ジャズの歴史」に燦然(さんぜん)と輝く、
デューク・エリントンさんの、
華やかな名声に比べると、

彼のそれは、
ほとんど‘‘無名”に近いもの、
と言わざるを得ません。


なんとなく、

「エリントンの影武者」的な、

不遇な人生を送った、
『孤高の天才』
といった印象を、

ぬぐい去ることができません。



でも…、

私のなかでは、

ビリー・ストレイホーンという存在は、

あの一曲だけで…、


そう、“あの一曲”だけで、

永遠に不滅なのです。



その曲とは、


『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』

……。



なんという味わい深い曲でしょうか…。

静かな佇(たたず)まいの中にも、
人生の、様々な人間模様(もよう)が、
万華鏡のように、
出ては消える…。

美しくも哀しい人間模様が…。


こんなドラマチックな、
スケールの大きなバラードは、

ちょっと類がありません。


ベートーヴェンやブラームスの、
晩年のピアノ曲と比べても、
なんら引けをとらない、

深い感動と美しさにつつまれた、

名曲です。



そんな、

『Lush Life(ラッシュ・ライフ)』


ナット・キング・コールも、
愛唱していたといいますし、

有名な、
ジョニー・ハートマン(Vo.)と、
ジョン・コルトレーン(T.Sax)
が共演したアルバムでも、
聴くことができますので、

興味のある方は、
ぜひ聴いてみて下さい。


そうそう、

私の大好きなピアニスト、
「フィニアス・ニューボーンJr.」も、

『A World Of Piano』

という名盤のなかで、
素晴らしい演奏を聴かせてくれますよ。

これもぜひ!

(これらは、今でも、
 容易に手に入れることができます)



そして…、

僭越(せんえつ)ながら私も、
この曲は、
今でも、好んで演奏しております。

身の程知らずにも…。


ま、とにかく、

最初のヴァースの一音目から、
いきなり、ニューヨークの摩天楼に、
瞬間移動したかのような、

そんな錯覚に、
私は陥(おちい)ります。


そして、

次から次へと襲ってくる、
ドラマチックな展開に、

演奏中、
感動のあまり、
思わず涙が出ることも、

しばしば、あるのです。


テクニックというよりは、
高いレベルの表現力が必要な曲なので、
大変な集中力が必要ですが、

だからこそ、
うまく演奏できたときの快感は、
また格別です。

なんとも言えない、
達成感があります。


いやあ、

すごい楽曲ですわ。



もちろん、こんな、おっかない曲、

「人生の絵巻物」のような、
とんでもない曲。

若い頃は、
まったく弾けませんでした。


メロディもコードも、
わかっていながら、
表現が追いつかない。
全然、サマにならない。

あまりに、人間が未熟で…。


でも…、

こうして年をとればとるほど、
なんとなく、
どんどん“サマ”になってくるような、
そんな気がするから不思議です。

もちろん、

自己満足でしょうがね…。


でも、

驚くべきことに、

ビリー・ストレイホーンが、
この曲を書いたとき、

彼はまだ、

18才。

(……。)



ま、この事実だけでも、

彼が「真の天才」だということが、
わかりますね。


ああ、おっかない、おっかない。



そんなことも知らずに、


その昔私は、

大変な失態を、

演じ続けていたことがあるのですが、


ああ…、


思い出すだけでも、



恥ずかしい…。




(つづく)



これまで平気だったのに、

今年は私も、
「花粉症」の仲間入りでしょうか。


特に、今日はひどかったなあ…。

お目目うるうる真っ赤っか。
くしゃみ連発。
お鼻ぐしゅぐしゅ。

……。



あ、そうだ。

くしゃみで思い出した。


その昔、

「くしゃみ」まで、
バンド用語でやった、

馬鹿なヤツがいました。

(また、その話かよ)



これ、難しいですよ。

あまり、おススメしませんけど。

鼻を痛めそうですから。


こう、やるのです。


「ハ、ハ…、ハ……、ハ………、

 ションハク〜〜〜〜〜〜!」



(おそまつ…)



SHUN MIYAZUMI


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March 03, 2009

バンド用語 その3 最終回


賛否両論うずまく(?)

『バンド用語講座』


いよいよ、今日が、

最終回です。


(ええ、もう終わり〜。)

(ああ、よかった。)


(つまんな〜い。)

(パチパチパチ)



……。




『バンド用語 その3 最終回』


1文字。

たとえば「め(目)」の場合。

どうやるか…?

きょうは、ここから始めましょう。


こう、やるのです。


まず、

「め」を伸ばしてみて下さい。


「め〜〜〜〜〜〜〜え」


すると、
最後の母音が「え」で終わりますよね。

その、「え」の音から逆戻りする。


つまり、

「エーメ」


これでいいのです。


ただし、これは、
そんなに種類がありません。


ひ(火)=「イーヒ」
け(毛)=「エーケ」
ち(血)=「イーチ」
じ(痔)=「イージ」

あたりが、
頻繁(ひんぱん)に、
使われておりましたかね…。

(なんか、汚い)

(ですな)



それから、

ご質問のあった、
「みみ(耳)」
のような場合ですが、

これも、簡単です。


通常、「ミミ」の発音は、
後の「ミ」が上がりますよね。
まず、これを真っ平らにする。
「イントネーション平らの法則」

さらに、二文字の場合は、
間に横棒を一本入れる。
めし(飯)=「シーメ」のように。

この二つの法則を組み合わせて、

「ミーミ」


ただ、それだけのことです。


ま、何でもかんでも、
逆(さか)さまにしないと気がすまない、
ごく一部の、
「バンド用語偏執狂」を除いては、

さすがに、
ここまではやりませんでしたがね。



さて、次に、

「ラッパ」のように、

間に小さい「ッ」が入るものは、
どうやればいいのでしょう。


「パッラ」じゃ、

言いにくいですよね。

なんか、間が抜けてるし、

カッコ悪いし…。


このような場合は、

「つ(ツ)」の促音(そくおん)である、
小文字の「っ(ッ)」を、

大文字の「つ(ツ)」に戻して、

ハッキリと発音するのです。


つまり、

「パツラ」


これで、
言いやすくもなるし、

バカバカしさも倍増します。


まっさお(真っ青)=「サオマツ」
まっくろ(真っ黒)=「クロマツ」
けっこん(結婚)=「コンケツ」
いっぱつ(一発)=「パツイチ」
びっくり(吃驚)=「クリビツ」


そう、こんなのもある。

びっくり仰天!=「クリビツテンギョウ!」


誰が最初に考えたのか、
わかりませんが、

まさに、これなどは、
「バンド用語」の歴史に、
燦然と輝く名作ではないかと、
私は思っています。


あとは、

「サクケツ」=けっさく(傑作)

なんてのも、ケッサクだったなあ。

アハハ。



ん…?

なんだか、
どんどん汚くなってきた気がするので、


もう、このくらいに、

しておきましょう。



いずれにしても、この時代は、

ジャズ・ミュージシャンや、
ライト・ミュージックの仲間が集まると、

毎日毎日が、こんな会話なのでした。


「おい、ケーサ、ミーノしようぜ。」
 (おい、酒飲もうぜ。)

「おれ、ネーカないから、スイヤなとこな。」
 (俺、金無いから、安いとこな。)

「ここのメンラー、けっこうマイウだよ。」
 (ここのラーメン、けっこう美味いよ。)

「ンシュ、ちょっとイーヒかして。」
 (シュン、ちょっと火貸して。)

「ん…? サクイ…。誰かエーヘしただろ。」
 (お下品なので、訳しません。)



私の大学4年間は、

ジャズにまみれると同時に、
こんな、おバカな言語にもまみれる、
4年間だったわけですが…、


毎日毎日、こんな会話をしてるとね、


こんな、嘘のような、

信じられないようなことも、

起きてしまうのです。



ある夏の日の夜のこと…。

そう、あれは、
たしか日曜日でした。


大手町「サンケイ・ホール」での、
ダンス・パーティーの仕事を終えた、
我々ライト・ミュージックの4年生は、
5、6人の徒党を組んで、

銀座の方へ向かって、
歩いておりました。


なにせ、暑いし、
演奏を終わったばかりで、
喉(のど)はカラカラだし、

とにかく私たちは、みんな、

ビールが飲みたかった。



ビールは、バンド用語では、

「ルービ」と言います。


誰かが、こう切り出す。
「ああ、ルービ、飲みたいなあ。」

すると、別の誰かが、
「いいねえ、ルービ、ぐい〜っと。」

そのうちに、みんな、
「どこかに無いの、ルービ飲める店。」

「まったくだ、ルービ、ルービ、ルービ。」

「おーい、ルービ、飲みてえ〜〜〜。」

「ルービ、ルービ、ルービ、ルービ。」



しかし…、

「大手町」はオフィス街ですから、
日曜日は、閑散としている。

人っ子一人いません。


すると、誰かが、

「あった〜〜!!」

と、大声で叫んで、
遠くの方にあるビルのネオン・サインを、
指さした。


私たちは、狂喜しました。

確かにそれは、

まぎれもなく、

屋上に「ビア・ガーデン」があるビルだ。


そう信じて疑わない私たちは、

そのビルのあるところまで、
喜び勇んで、
行ってみたのですが、

相変わらず、その辺りにも、
人っ子一人いません。


しかも、目指したそのビルは、

なんと、


宝石屋。


……?



不審に思った私たちは、

もう一度、
屋上がよく見えるところまで下がって、

よーく、そのネオンを見てみました。


すると…、


そこには…、


こう書いてあったのです。



「ルビー」


……。



信じられないかもしれませんが、

これ、本当の話なのです。



これと、似たような話を、

北杜夫さんの著書、
『どくとるマンボウ青春記』で、
読んだことがあります。


氏は、学生時代、
ドイツの大文豪、
「トーマス・マン」を、
神のように崇拝していました。

『トニオ・クレーゲル』
『ヴェニスに死す』
『魔の山』
etc.etc.


寝ても覚めても、
頭の中は、
トーマス・マンのことでいっぱい。

「トーマス・マン、トーマス・マン、
 トーマス・マン、トーマス・マン、
 トーマス・マン…。」


そんな彼が、

ある日、
とあるレストランの前を通りかかったとき、
思わず、

「ドキッ!」

とした。


なぜ、ドキッとしたのか、
しばらく解らなかったのですが、

やがて、そのお店の看板を、
よーく見ているうちに、
謎が解けました。


その看板には、

こう書いてあったそうです。


「トマト・ソース」



アハハハ。

でも、よ〜くわかります。


私たちの場合も、

毎日毎日、
あんな言葉ばかり使ってたもんだから、

思考回路が、
ウニのようになっていたのでしょうね。

洗脳というのは、おそろしい…。



冒頭にも申し上げました通り、

この「バンド用語」。

今では、ほとんど「死語」です。

今の若いミュージシャンは、
誰も使いません。


ま、そのほうが賢明です。

「JAZZ」そのものが、

なんとなく、
アンダー・グラウンドな感じが、
しますものね。


しかし、この時代は…、

私たちアマチュアのみならず、

プロ(ロープ)の、
先輩ミュージシャンたちも、
みーんな使っておりましたから、

日本全国、
およそジャズ(ズージャ)をやる人間にとっては、
完全に、

「生活の一部」に、なっていたんですね。



愚かな時代と言うべきか…。


微笑(ほほえ)ましい時代と言うべきか…。


あるいは、



無邪気な時代と言うべきか…。



……。



(おわり)




そうだ!

越前jazz殿のご質問に、
お答えするのを忘れておりました。


「がっき(楽器)」は、
この法則でいくと、

「キツガ」

しかし、なんか冴えないですね。


でも、一応、音楽のクラブですから、
無い訳にはいかない。

そこで誰かが、
「キーガでいいんじゃないの。
 みんな、わかるよ。」

ま、こんな感じで、
適当に決まったんじゃないでしょうか。


法則やルールと、
響きの可笑しさやくだらなさが、
矛盾した場合は、

可笑しさ、くだらなさのほうを優先する。

これも、
「バンド用語」の鉄則です。

(やっぱ、いい加減)



それはそうと、


早く越前で、

ジャミンのライブをやりたいものですなあ。


ね、


ハチローさん。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:34|この記事のURLComments(27)TrackBack(0)

February 27, 2009

バンド用語 その2


たとえば…。

今日の夜、
レコーディングがあるので、
スタジオに行くとする。

あるいは、
ジャズ・クラブやナイト・クラブに、
演奏しに出かけたとする。


そんなとき、
私たちの挨拶は、

「おはようございます。」

なんですね。

夜なのに…。


いかにも業界っぽいし、
なんだか、
‘裏社会’に生きてるような感じがして、
個人的には、
あんまり好きではないのですが、

ま、古くからの慣習だから仕方ありません。



ところが、これ…、

アメリカでも同じなんですね。


夜遅く、
ミュージシャンやエンジニアや、
レコーディング・スタッフが、
どやどやとスタジオにやって来る。

すると、みな、
顔を合わせるたびに、

「Good Morning!」

と言うのです。

今日は、始めて会ったのだから、
これでいいんだ、

と、彼らは言ってましたが…。

(なるほど)



戦後間もなく、

アメリカの進駐軍が、
横田を始めとする日本各地の基地に、
やって来ましたね。

そこで夜な夜な繰り広げられる、
本場のジャズのセッションを見る(聴く)、
あるいは勉強するために、

日本のジャズメンたちは、
毎夜毎夜、熱心に、
基地を訪れたそうですが、


おそらく、そのときに、

むこうのジャズメンたちが、
「Good Morning!」
と言ってるのを聞いて、

真似したんじゃないかな…。


「何でも形から入る。」

これ、この世界の鉄則ですからね。


そして、
あの奇妙奇天烈な、
「バンド用語」も、

おそらく、その頃に、
誕生したのではないかと、


私は、推測しているのですが…。




『バンド用語 その2』


はい、お待ちかね。

(待ってないから)


きょうは、この、
「バンド用語」について、
詳しく講義をしてみたいと思います。

みなさん、ペンのご用意を。



まず、数字から行きますかね。


これは、
「ドイツ語の音楽表現を使うのだ」
と、先輩から教わりました。

ハ長調の、C(ド)の音を基調にして、

C(ツェー)=1
D(デー) =2
E(イー) =3
F(エフ) =4
G(ゲー) =5
A(アー) =6
H(ハー) =7

こうやるのだ、と。


ここで注目すべきは、
7の音ですね。

B(ビー)ではなく、
H(ハー)とやるあたりが、
なるほど、ドイツ語っぽい。


では、8はどう言うかというと…、

「オクターブ」の「オク」

かなり苦しいところですが、
8人編成のコンボを、
「オクテット」と言うので、

ま、これは納得。


問題は、次の9です。

これは…、


「ナイン」


「あのお…、先輩…、
 ナインは英語ですよぉー。」

と言いたいところでしたが、
ここも、じっと我慢の子。


じゃあ、10…?

これは、単純に、
1=C(ツェー)に
ジューを足すだけ。

つまり、

「ツェージュー」

(おい、ジューは日本語だろ)


そしてここから上の単位は、

ヒャク、セン、マン、

と、極めて普通に、

日本語。

(……。)


ま、これ以上考えるのが、
面倒くさかったんだろうと、

勝手に解釈。


では、実際にやってみましょうか。

<15,789円>

制限時間は3分です。

……。



はい、答えは、

ツェー(C)マン、ゲー(G)セン、
ハー(H)ヒャク、オクジュー、ナインエン。


出来ましたか?



次は、

言葉を「逆(さか)さま」にします。


3文字の名詞が、
一番やりやすいのですが、

これには一大原則があります。

面白い。
笑いが取れる。
くだらない。


「逆(さか)さま」にしても、面白くないものは、

敢(あ)えてやる必要がない。

面白ければ、
必ずしも、真正直に、
「逆さま」である必要もない。


楽器を例にしてみましょうか。

「ドラム」


これは、存在しません。

なぜか…?


「ムラド」とやっても、
「ラムド」とやっても、

面白くないから。

笑えないから。

こんなものは、
さっさと無視して、
普通に「ドラム」と言います。



え…?

いい加減だなあ、ですって…?


いいんです。

存在そのものが、

いい加減なんですから。



ベース。

これは、「スーベ」です。

簡単ですね。

ギターは、「ターギ」


では、トロンボーンは…?

「ボーントロン」

いえいえ、そんな、
かったるい表現はしません。


もっとシンプルに、

「ボントロ」

これで充分です。



サックスは、

「クーサ」

なぜか、これで通用します。

ただし、
「クッサー(くっさ〜)」とやると、
意味が変わってくるので、
要注意。

「クーサ」です、「クーサ」。


面白いのは「ピアノ」で、

これは、

「ヤノピ」


昔は、「ピヤノ」と言ったのでしょうか…?

アハハハ。

そういえば、大昔、

「会奏演ノヤピ」
というチラシを、
見たような記憶が……。


難しいのは、

「ヴォーカル」


そうです。

4文字以上になると、
ぐっと難易度があがるのです。

それに、これは、
どうやっても面白くならない。


こうした場合は、

ヴォーカル=うた(歌、唄)

と、日本語に置き換えて、

「うた=ターウ」

と、やればよろしい。


イントネーションは、
基本的にはノー・アクセントで、
まっ平(たいら)に、
が原則。

渋谷(しぶや)、B’z(ビーズ)、ZARD(ザード)。

あんな感じをイメージして下さい。



はい、応用編です。


しごと(仕事)=「ゴトシ」

「トゴシ」では、面白くないので、
この場合は、「ゴトシ」を採用です。

トイレ=「イレト」
パンツ=「ツンパ」
でんわ(電話)=「ワデン」
ふめん(譜面)=「メンフ」
バンド=「ドンバ」
はなし(話)=「ナシハ」
めがね(眼鏡)=「ガネメ」


べんじょ(便所)。

これ、我々ライト・ミュージックは、
単純に、「ジョベン」と言ってました。

しかし、ある日、
ライバルである、
W大「ハイ・ソサエティ・オーケストラ」のやつが、

「ヨジンベ」

と言ってるのを聞いて、
明らかに、こっちの方が面白いので、
即、採用。

クリエイティブな発想や、いいものは、
意地を張らないで、
すぐに取り入れる。

この柔軟性。

これが、優れたミュージシャンの鉄則です。

(どこがじゃ)



次に、2文字の場合。


例えば、

「ソロ」


これを、

「ロソ」とやると、

なんか、しまりがない。

落ち着かない。

イカさない。


したがって、この場合は、

「ローソ」と、

後の音の‘母音’を伸ばして言えばいいのです。


めし(飯)=「シーメ」
すし(寿司)=「シース」
はな(鼻)=「ナーハ」
あし(足)=「シーア」
キス=「スーキ」
さけ(酒)=「ケーサ」


ちなみに、

バカは、「カーバ」で、
カバは、「バーカ」

この辺りは、
ちょっと、ややこしい…。



後ろに「ん」が来る言葉も、
かまわずやります。


ペン=「ンペ」
ビン(瓶)=「ンビ」
ほん(本)=「ンホ」


面白ければ、
おかまいなしにやってしまう。

そういえば、私のことを、

「ンシュ」などと呼ぶ、
不遜な先輩も居ましたわ。



それから、形容詞。

これがスラスラ出るようになれば、
かなりの上級者でしょう。


おもい(重い)=「モイオ」
かるい(軽い)=「ルイカ」
きれい(綺麗)=「レイキ」
うまい=「マイウ」
まずい=「ズイマ」
はやい(早い)=「ヤイハ」
おそい(遅い)=「ソイオ」



4文字、5文字の形容詞になると、
さすがに数が限られる。


あぶない=「ナイアブ」
きたない(汚い)=「ナイキタ」
たまらない=「ナイタマラ」
むずかしい(難しい)=「カシムズイ」
くだらない=「ナイクダラ」



こんな、凄腕の先輩がいましたよ。


「きょうの試験は、
 カシムズだったなあ。
 ナイタマラもトコイイ(いいとこ)だぜ。
 ああ、イッタマ、イッタマ。
 (まいった、まいった)」


「バンド用語博物館」があったら、
入れたくなるような、
名言、迷言、珍言、奇言。

ここまで来ると、
もはや、人間国宝級ですな。

(……。)



さらに、別の先輩。

『セドリック』という車が走ってるのを見て、

「おっ、『ドックリセ』が走ってるぞ〜。」


たちまち、周りは、大爆笑。



『どんぐりころころ』
という唄を、

「♪コングリドロドロ、コンブリド〜♪」

と歌ってるやつがいましたが、

この男の「脳細胞」は、
もはや、無きに等しいと考えて、

差し支えありません。



では、

1字の場合。

例えば、「め(目)」


これは、どう表現すればいいのでしょうか。



えっ…?


1字を、どうやって逆さまにするの…?


と、思われるでしょうが、


やるのです。


ちゃんと出来るんですよ。



ウシシ。



(ああ、バカバカしい…。)




(つづく)



さて、これで前回の問題が、

スラスラ解けるはずです。


答え。


「あしたは、仕事があるから、
 おまえら1年生は、
 車3台で、
 楽器をはこぶように。
 とくに、ベースは、きをつけろよ。
 危ないからな。
 タクシー代は、あとではらう。
 譜面のケースは、重いから、
 てわけしたほうがいいな。
 じゃ、よろしく。」


……。



あっ、雪が降ってる。

どうりで寒いと思った。


みなさん、


どうぞお風邪など召しませぬように…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 13:03|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)

February 22, 2009

バンド用語


今日も、いいお天気でしたね。

まさに、春近し。

ルンルン気分。


でも、明日からは、
ちょっと崩れると聞いているので、

今日は、駒沢公園で、
思い切り、汗を流してきました。


年始の公約どおり、
「メタボ解消」に向けて、
努力、邁進してる私ですが、

(成果出てるかなあ…?)

でも、体を動かすということは、
本当に気持ちのいいものです。


そして、もう一つ体にいいもの。

それは、

笑い。


前回私は、

「笑う」という行為は、体にいい。
笑うと、「癌細胞」が減る。
しかし、同時に、
「脳細胞」も減る。

と、書きましたが、


では…、

こんな早い時期から、
こんな、おバカなものに慣れ親しんでいた、
私の「脳細胞」は、

もう、ほとんど、

残ってないのかもしれませんね…。


……。




『バンド用語』


これ、ご存知ですか…?


その昔、

日本のジャズ・ミュージシャンの間で、
大いに流行(はや)ったものなのですが、

今のミュージシャンはあまり使いませんね。


ま、それが賢明でしょう。

実に、くだらないから。

使わない方が身のためです。

バカだと思われますから。


とくに、ジャミン・ゼブは、

絶対ダメです。


ダメだぞ〜!



でも…、

1970年頃…。

私が、大学の音楽サークル、
『K大 ライト・ミュージック・ソサエティ』
に入部した頃は、

まさに、これの全盛でした。


この入部にまつわる話は、

かつて、
『ジャズまくり時代』というエッセイでも、
詳しく書いたことがありますが、

ジャズが上手(うま)くなりたい一心で、
胸ときめかして、
この名門クラブに入部した私は、

とにかく、

その、あまりにレベルの高さに、
いきなり、
奈落の底に突き落とされたのでした。

「こりゃ、えらいところに入ったもんだ…。」



そして…、

さらに、追い打ちをかけるように、

私たち新入生を悩ませたもの。


それが、この、

『バンド用語』でした。



入部して間もない、ある日のこと。

部室にたむろしていた、
私たち新入生のところに、
ある先輩がやってきて、

いきなり、こう言ったのです。


「あしたは、ごとしがあるから、
 おまえらつぇーねんは、
 まるくいーだいで、
 きーがをはこぶように。
 とくに、すーべは、きをつけろよ。
 ないあぶだからな。
 しーたくだいは、あとではらう。
 めんふのすーけは、もいおだから、
 てわけしたほうがいいな。
 じゃ、しくよろ。」

「…?…?…?」
   


これ…?

なんでしょうね…?

この奇妙奇天烈な言語は…?


アフリカの、どこかの国の言葉でしょうか…?

でも、あちこちに日本語も入ってるし…?

……?



私たち新入生は、

お互い顔を見合わせながら、


「ここは、ヤクザの組だったのか…。」

「いや、スパイ養成学校かもしれんぞ…。」

「しっ、聞こえるぞ…。」

「ヒソヒソ、ヒソヒソ…。」


……。



しかし、

その謎は、

まもなく解けました。


言葉を、逆さまに言うのです。

可能な限り。

そう、可能な範囲で…。


ただし、
逆さまにしても面白くないものは、
そのままにしておく。

要は、
面白いか、面白くないか。

ここに、使ってるミュージシャンの、
センスが問われるという。

(アホか)


さらに、数字も、1から順番に、

C(ツェー)、D(デー)、E(イー)、F(エフ)、
G(ゲー)、A(アー)、H(ハー)…、

ドイツ語の音楽表現を使うのです。


C(ド)が1
D(レ)が2

以下…。

ま、ここに、
音楽家としての知性が、
表現されているんだと、

その先輩は言う。

(バカか)



ホント、くだらないですね。


でも、仕方ありません。

「郷に入らば、郷に従え」です。


というわけで、

私たちは、

この「バンド用語」を覚えることが、
急務となりました。


というか覚えないと、
先輩たちの話してる内容が、
さっぱり分からない。

ひとり、置いてきぼりにされる。


このクラブの一員として、
生きていくためには、
否応無しに、

必要な掟(おきて)なのです。



こうして、

不本意ながらも、
私たちはみな、
この不可思議な言語の習得に、

膨大な時間を費やすことを、
余儀なくされたのでした。


コード・ネームや、
スケール理論を覚える前に、

こんな、くだらないことのために、

膨大な時間を…、

……。



でも…、

そのうち…、

使い方も分かってきて、
先輩たちの会話も理解でき、
スラスラ喋れるようになると、

楽しくなってくるから、
不思議ですね。


人前では、あからさまに言えないような、
下品な言葉、
あるいは猥褻な言葉も、
逆さまにすると、

なんとなく可愛い。

(ええ〜〜っ)


大声で喋っていても、
普通の人には分からないので、
これがまた楽しい。

「○○○の、△△て、××だよな。
 ギャハハハハ。」

(最近は、ちょっとバレてきたので、
 要注意…。)



最初は、
「やっぱ、ジャズって、不良の音楽だな。」
と、思っていた私でしたが、

不思議なことに、
バンド用語を使いこなすことによって、

ジャズの演奏も、
上手くなっていくような、
気がしてくるんですね。

ある種の、
マインド・コントロール…?


「ジャズには、不良性が不可欠」
と言われていた頃の、

代表的な産物。


それが、この、

「バンド用語」

だったわけですね。


というわけで、次回は、

このバンド用語の使い方に関して、
不肖、この私が、
詳しく講義をしてみたいと思います。


えっ…?

いらない、そんなもの…?


あら、ちょっと、そこのあなた、

どこ行くの…?


えっ…?


バカバカしくて、付き合ってられない…?



まあまあ、そうおっしゃらずに…。



(つづく)



では、次回のために、

ちょっと予習をしておきましょうか。


冒頭の先輩の発言の中で、
使われていたバンド用語を、
カタカナにしてみましたので、

興味のある方は、
どうぞ、訳してみて下さい。


「あしたは、ゴトシがあるから、
 おまえらCネンは、
 マルクEダイで、
 キーガをはこぶように。
 とくに、スーベは、きをつけろよ。
 ナイアブだからな。
 シータクだいは、あとではらう。
 メンフのスーケは、モイオだから、
 てわけしたほうがいいな。
 じゃ、シクヨロ。」


;;…。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 22:52|この記事のURLComments(18)TrackBack(0)

February 16, 2009

私のコレクション その4 最終回


一昨日からのゼブログ騒動。

いやあ、
ジャミン・ファンのみなさんには、
大変なご心配をおかけしてしまいました。

なかには、
徹夜なさった方も、数多くいらしたようで。

本当に、何とお詫びしていいのやら…。


でも、あれじゃあ、
誤解を招きますよね。

私も、「影の声」なんて、
中途半端なメッセージなんて残さずに、
堂々と実名で“種明かし”をしていれば、

もっと早い時点で、
ここまでの騒ぎにならなかったのに、

と、悔やまれてなりません。


ああ、

本当に、申し訳ありませんでした。

今後の教訓とさせていただきます。

陳謝…。


………。

………………。

……………………………。



ということで、

気をとり直したところで、


きょうも私は、

私の道をゆく。




『私のコレクション その4 最終回』


社会人になって、

ようやく仕事にも慣れ、
結婚もし、
一家を持つようになると、

よせばいいのに、
またまた私の収集癖が、
ムクムクと、

復活してしまいました。


ある日、本屋で買ってきた、
一冊の雑誌。

それは…、

『世界の名酒事典』



それまで、
国産の安ウィスキーしか、
飲んだことのない私にとって、

それはまた、
素晴らしく未知なる、
大人の世界。

外国映画でしか見たことのない、
甘美な、男の世界。


美しいラベルの数々。

世界のブランデー。

世界のモルト・ウィスキー。

高級感溢れる、琥珀色の液体。


毎日、家に帰ると、
そんなグラビアを、
パラパラと眺めては、

うっとりと夢見る私…。


そうこうするうち私は、
ハリウッド映画の一シーンの、
主人公になってしまっている…。


……。


そこは、
ニューヨーク郊外にある、
私の大邸宅。

きょうは、その大邸宅の、
広々としたサロンに、
友人をたくさん集めての、
楽しいホーム・パーティー。

召使いたちが、
美味しそうなカクテルや、
オードブルを、
せっせとお客さまに運んでいる。


そんな中、私は、
世界中から集めた、
おびただしい数の、
お酒のコレクションを、
みんなに自慢げに見せている。

そして、葉巻をくわえ、
最上級のブランデーを片手に、
おもむろに、
グランド・ピアノの前に座り、
ビル・エヴァンスばりの、
美しいバラードを弾きだすと、

私の周りには、
ドレス・アップした美女たちで、
たちどころに、
黒山の人だかり。


そして、ふと鏡を見ると、

私の姿は、

ケーリー・グラントばりの、

これがまあ、いい男…。


……。


ん…?

しだいに眠気が…。

zzz…。


………。



と、ここで、目が覚める。

現実に戻る。

「なあんだ、夢か…。」


そして、

私のそばの小さなテーブルの上には、

相変わらず、
『サントリー・ホワイト』という、
安いウィスキーの空き瓶と、

もはや氷も解けて、
ぬる〜くなったグラスがポツンと、
置かれている…。


でも、目の前には、
買って来たばかりのグラビア雑誌、
『世界の名酒事典』が、

開いたままに…。

……。


このとき、

私は決意しました。

「よーし。今度はこれだ!
 いつしか俺の部屋を、
 世界の名酒で埋め尽くしてみせよう。」


しかし、如何せん、

安月給、新米社会人の私には、
とうていこれは、
叶わぬ夢。


そこで注目したのが、

『ミニ・ボトル』の蒐集。


これなら、
場所もとらないし、
ラベルや中身も本物なんだし、
見た目も可愛い。

それに、これだったら、
私の収入でも、
無理なく集めることが出来る。

「よし、今はこれだ…。」



思い立った私は、
この『ミニ・ボトル』の蒐集を、
始めることにしました。

給料やボーナスを利用して、
次第に集まっていく、
世界の名酒の「ミニ版」

10本、20本と揃っていくうちに、
しだいに部屋は、
なんだか豪華な景観になっていきました。

リッチになったような、
錯覚を覚えるのです。

「ミニ」といえども、
あなどれませんね。



が、しかし…、

これも…、

長続きしませんでした。


なぜか…?


飲んじゃうからです。


(ダメじゃん)



ある日、帰宅した私は、

酒が無いのに気がつきました。


酒屋はもう閉まってるし、
当時は酒の買えるコンビニなんて、
ありません。

「困ったなあ…。」


しかたなく私は、
その『ミニ・ボトル』の中から、
比較的買いやすい一本を取り出し、

「ええい、すぐに補充すれば、
 いいんだから。」

と、封を開け、
氷の入ったグラスにドボドボ。


「く〜、うまい!
 グレン・モーレンジって、
 こんな味だったのか。」

大きなグラスだと、
一本なんてすぐに無くなるので、
今度は別のボトルを一本開ける。

「くわ〜〜、これもうまい!!
 これがヘネシーってやつか。」

さらに、

「どれどれ、これはどんな味なんだろう。
 どっひゃ〜、これもうまいなあ。」

……。



というわけで、

もうだめです。


補充なんてする前に、

あんなに苦心して集めた、
数十本のコレクションは、

たちどころに、
なんの変哲もない、

ただの空き瓶と化してしまいました。

あ〜あ…。



こうして、

このコレクションも、
なんら成立することなく、
あっという間に、

空しい終焉を迎えたのです。

やれやれ…。



繰り返しますが、

やはり私は、
「コレクター」という名の人間には、

ほど遠い性格に生まれてきたようですね。


ということで、
もう止めておきましょう。

どうせ、何も完成しないことが、
わかってるから。

残念ながら…。


でも、こうして思い出してみると、
人生の節々において、
とっても楽しませてもらったことだけは、

確かなようです。

ま、それだけは感謝ですかね。

みんな、ありがとう!



最後に…。

これは「コレクション」と言えるかどうか、
わかりませんが、
そんな私にも、
今だに続いているものが、

ひとつだけありました。


それは…、


漫画『ゴルゴ13(サーティーン)』
の単行本。

(誰だ、笑ったのは)



リイド社から出ている、
カラー表紙の、
豪華な単行本。

その数、なんと、

151巻。

(2009年2月15日現在)


151巻というと、
すごい数ですよ。

床に並べたら、
おそらく20帖くらいのスペースが、
必要になるでしょうね。

聞くところによると、
この最終回は、すでに書かれてあって、
著者、さいとうたかを氏の金庫に、
厳重に保管されているとか…。


というわけで、こうなったら、

私は、さいとうたかを氏より先に、
死ぬわけにはいきません。

ゴルゴの最後と、
イチローの最終安打数を見届けるまでは、

死ねるもんですか。

ええ。



しかし…、

57年も生きてきて、

パーフェクト・コレクションが、

「漫画」だけというのも、


ちょっと寂しい気がしてきましたね…。


さすがに…。



(おわり)



あんな事があったから、

か、どうかはわかりませんが、
昨日のゼブログは、

未曾有のにぎわいでした。

1,200人を超える訪問者数。
10,000を超えるページ・ビュー閲覧数。

いずれも、過去最高の記録です。

ビックリしました。


みなさんに大いに感謝して、

メンバー共々、
ますます気を引き締めて、
頑張らなければ、いけませんね。

はい、頑張ります。

(おおい、聞いたかー)



では、私は、

目標のアレンジも完成したことだし、


きょうは一杯飲むとしますか。


(なんだかんだ言って、
 けっこう飲んでるだろ)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:45|この記事のURLComments(29)TrackBack(0)

February 09, 2009

私のコレクション その3


ああ、人恋しい…。

みなさん、お元気ですか。


この一週間、

私は、ほとんど家に籠(こも)って、
五線譜と格闘しておりました。

ジャミンの新曲が2曲。
3/28の鎌倉での、
コロラトューラ・ソプラノ
サイ・イエングアンさんとの共演曲が1曲。

いやあ、書いた、書いた。


外界との接触といえば、

気晴らしに出かける駒沢公園の景色と、
スタッフのショーちゃんとの、
電話による業務連絡のみ…。


ううむ…。

世の中、どうなっているんでしょう。

日本は、無事ですか…?

(ニュースくらい見ろ)


さらに今週は、あと2曲、
書かねばなりません。

ふ〜…。


しかし、きょうは、ちょっと息抜き…。

楽しい(?)、ブログの更新。


現実を忘れて、

過去の自分にタイム・スリップ。


こういう時間も、


大事、大事…。


(ですよね…?)




『私のコレクション その3』


小学生の私が、
夢中になって集めていた、

「マッチのラベル」

そして、

「切手」


今は、どちらも、
中途半端なまま、

実家の押し入れの中に眠っています…。


しかし、私の蒐集欲は、
飽きることを知りません。

中学に上がった頃からは、

今度は、音楽に目覚めました。


「レコード・コレクター」


これが、次の私の、

目指すところでありました。


が…、


これも、ダメでしたね。


詳しくは、
過去ログにある、
『レコード買いまくり時代』
を、お読みいただけるとわかるのですが、

好きなジャンルが多すぎるのです。



最初はクラシックでした。

中学生の分際で、
生意気にも、
「レコード芸術」などという専門誌を読み、

小遣いは、すべてレコード代に投資。


とにかく、曲をいっぱい知りたいので、
演奏の質や、著名な演奏家などには、
まったく、こだわらない。

これ、無名の演奏家だよ…?
「安いから、買いま〜す。」

水につかったレコード…?
「廉価盤、大歓迎で〜す。」

人のお古…? 傷がついてる…?
「けっこう、けっこう。
 何枚でも下さ〜い。」


てな調子で、
せっせと集めては、

時間があると、
毎日のように聴いておりました。

まさに、クラシック漬け。


しかし…、

中学校の後半からは…、

ビートルズ、モンキーズ、ビーチ・ボーイズ。
シュープリムスやママ・パパに、
ライチャス・ブラザース。
セルメンのボサノバに、ジャクソン5に、
オーティス・レディング。
アズナブールやベコーのシャンソン。
ジリオラ・チンクエッティやミルバのカンツオーネ。
etc.etc.

が然、洋物ポップスにハマる。

クラシックと併行して、
今度は、ポップスのレコードが加わる。

こっちも、せっせと買う。


さらに…、高校に入ると…、

ドアーズ、クリーム、ジミヘン、
BS&Tにシカゴにツェッペリン、
スティービーに、アレサに、バカラックに…、

そして…、ついに…、


ジャズ。


あ〜あ〜〜〜…。



もう、いけません。

この節操のなさは、

コレクターには向きません。


この時点で、

「レコード・コレクター」の道は、

あきらめました。


ビートルズとプレスリーを、
全部揃えていた、
高校1年の同級生のN君。

クラシックひと筋20,000枚の、
東芝EMIのHさん。

ジャズならおまかせ6,000枚の、
凄腕コレクター老人。


ちょっぴり、羨(うらや)ましくもありますが、

仕方ありません。


でも、いい物はいい。

私の場合、
どんなジャンルでも、
無節操に好きになってしまうのですから、

こうなったら、

親を呪(のろ)うしかありません…。


でも、今にして思えば、

この無節操体質こそ、


歓迎すべきもの、

だったのかも、しれませんが…。



さて、

大学に入ると、

今度は、
映画のパンフレット集めに、
夢中になりました。

(まだ、やるか)


この頃の週末は、

きまって、
渋谷、新宿の安い映画館に、
通っておりました。


日比谷のロード・ショーなんて、
高いから、
めったに行きません。

半年も経てば、
渋谷や新宿の映画館に、
降りてくるんですから。

「渋谷文化」
「渋谷全線座」
「東急名画座」
「京王名画座」

100円2本立て。
200円3本立て。

(「全線座」は、雨ザーザーでしたが…。)


いやあ、懐かしい。

おりしも、その時代は、
「アメリカ青春映画」全盛の頃。

私も、青春の頃。

(え…? どうでもいい…?)

まあ、まあ。


でも、いい映画ばかりでしたね。

「明日に向かって撃て」
「マッシュ」
「俺たちに明日はない」
「いちご白書」
「ウッドストック」
「青春の光と影」
「シンシナティ・キッド」
「アメリカン・グラフィティ」
「スティング」
「卒業」
「タクシー・ドライバー」

などなど、などなど…。


そして、そこには、

ロード・ショーで売り残した、
「オリジナル・パンフレット」が、
400円くらいで、
売られているのです。

そのオリジナル・パンフレットを買って、
家に帰ると、
その映画の名シーンを思い出しては、

ひとり、ニヤニヤしたり、

感傷に耽(ふけ)ったり。

(やっぱ、暗いぞ)


そんな、

今となっては懐かしい映画のパンフレットが、

かれこれ、
100冊近くも溜(た)まったでしょうか。



しかし…、

それも…、

ジャズに狂い初め、

社会人になって、
仕事に翻弄(ほんろう)され、

ビデオや衛星放送で、
容易に映画が楽しめるようになると、

自然消滅…。


この、膨大なパンフレットも、

やはり実家の、

押し入れの中…。



こうしてみると、

私は、

終始一貫して、
何かを完璧に揃えるといった、
コレクターズ精神には、

ほど遠い体質なのかも、

しれませんね。



しかし、


私は懲りないのです。


今度は…?



(つづく)



ああ、人恋しい。

お酒飲みた〜い。


でも、我慢です。

明日から、また、

創作の日々です。


書いて、書いて、書きまくるのだー。



ん…?


いかん…。


こんなこと書いたら、

本当に、飲みたくなってしまった。


あ、何支度(したく)してるんだ、

おまえは…。


こら、やめろ。

意志の弱いヤツめ。


おい…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 18:08|この記事のURLComments(36)TrackBack(0)

February 02, 2009

私のコレクション その2


昭和37、8年頃だったでしょうか…。

私は、小学校5、6年生。


ある物の蒐集が、

ちょっとしたブームになりました。


それは、

大人から始まり、
またたく間に、
私たち小学生(特に男子)にも、
‘飛び火’した物なのですが…、

私も、ご多分にもれず、
その蒐集には、
夢中になってしまいました。


ダッコちゃん…?

古過ぎですよ、あーた。


フラフープ…?

それも、ずっと前です。

しかも、あんなもん集めて、
どうすんの…?


プラモデル…?

だからー、私は、手先が、
不器用なんですって…。


さて、それは…、

……、



『私のコレクション その2』


「マッチのラベル」コレクションが、
思いもかけず、
早々と成立不可になってから、

すぐさま、
私を夢中にさせた蒐集。


それは…、


切手でした。



ある日の放課後のこと。

クラスの仲間数人に誘われるがままに、
デパートに行った私は、

そこに…、

思いもかけぬ‘売り場’があることを、
初めて知ったのです。


それは、

「記念切手」の売り場でした。



それまで、

「切手」といえば、

ときどき、
封筒に貼られて家にやって来る、
スタンプが押してある、
額面が10円の、
さして美しくもない、
「通常切手」

(そう、当時は10円でしたね。)

一色刷りの、
なんの変哲もない、
ただの切手。


それしか、知りませんでしたから、

今、目の前の、
ガラスの陳列棚に並んでいる、
色鮮やかな、美しい、
もちろんスタンプなんか押されていない、
「記念切手」の数々を見たときには、

ため息が出るような、

感動を覚えましたね。

(なんだ、これは…。)



「浮世絵シリーズ」
「季節の花シリーズ」
「国立公園シリーズ」
「国定公園シリーズ」
「皇太子ご結婚記念切手」
「北陸トンネル開通記念」
「マナスル登頂記念」
「関門海峡トンネル開通記念」

などなど、などなど…。


その、眩(まばゆ)いばかりの色彩感。

美しいデザインの数々。

(へえ、世の中には、
 こんなものがあったのか…。)



さらに驚いたのは、

額面はみな10円とか5円なのに、

それらの切手には、
40円だの、100円だの、500円だの、
中には数千円といった値段が、

付けられているではありませんか。

(なんで…?)



ところが、
一足先に、その存在を知っていた、
クラスの仲間どもは、

「俺、きょうは、コレとコレ買おうっと。」

「あっ、俺、コレ探してたんだー。
 おねえさん、コレ下さい。」

と、財布の中からお金を出して、
惜しげもなく、
額面よりも、はるかに高い切手を、
買うのです。


そして、こうも言う。

「これ、今は50円だけど、
 半年もすると、
 絶対、(値が)上がるぜー。
 楽しみだなあ。」

「……。」



そうなんですね。

この頃は、
切手が‘投機’の対象になっていて、
持っていると、
自然と値段が上がっていく時代。

それがまた、
大ブームの原因でもありました。


物によっては、

50円に値付けされた切手が、
半年後には100円に上がり、
1年後には300円で、
売買されたりもする。


もっと、すごいのになると…、

「浮世絵シリーズ」の、
『月に雁』や『見返り美人』
といった、もともと数が少なく、
入手困難な切手は、

当時でも、
20,000円から30,000円といった、
信じられない値段がついていましたし、

戦前の「国立公園シリーズ」なども、
一枚5,000円から10,000円はするものが、
ズラリ…。


そして、

切手商が子供に襲われたり、
子供たちの間で、
高価な切手が取引されたり、

しだいに、そのブームは、
社会問題にもなるほど、

エスカレート。

……。


ま、今にして思えば、
大人が始めたにせよ、

小学生にとっては、
あまり歓迎すべきブームでは、
ありませんでしたね。


しかし、私はハマった…。

ええ…、

すっかりハマってしまいました。


通常の切手とちがって、
綺麗なカラーで印刷された切手が、
一枚一枚、
スクラップ・ブックに増えていくのを眺めるのが、

極上の楽しみになりました。



いや、本当に綺麗なんです。

海外の切手と比べても、
日本の切手の方が、
ずっと色彩感が素晴らしい。

当時の日本の印刷技術は、
世界でも、
有数だったのではないでしょうか。


当時、私の小遣いは、

せいぜい、
月に300円から500円、
といったところですが、

お年玉も、
親戚からお小遣いを貰っても、
ほとんどが切手代に消える。

それでも、欲しい切手は、
次から次へと出てくる。

まるで、アリ地獄。

(こんな、気の遠くなるようなコレクションを、
 始めても、いいのだろうか…?)

でも、楽しい。

もう、やめられない。


そんな、毎日でした。


それに加えて、

幼心にも、
自分の財産が増えていく楽しさもある。


毎年更新されるカタログを見ては、

「おお、こんなに上がってるぞー!」

「いっそのこと、売ってやろうかな。」


しだいに増えていく切手と、カタログを、
飽きもせず、
交互に眺める日々。

そんな日々を、送っておりました。



そんなある日…、

またしても、芸術的センスに乏しい、
私の父親が、
部屋にやってきた。


私は、嬉しそうに、
その綺麗な切手の何枚かを見せる。

「おとうさん、見て、見て。」


すると、この父親…、

「おまえ、この切手、いくらで買ったんだ‥?」

(また、そうきたか…。)


私、
「100円だよ。」

父、
「おまえねえ、ここには10円て書いてあるだろ。
 ということは、使うときは、
 10円の価値しかないってことだよ。」

私、
「だから…?」

父、
「だから、10円の価値のものに、
 なんで100円も払うんだよ。
 そんな金があるんだったら、
 参考書でも買ったらどうなんだ。
 ええ…?」

私、
「……。」



これ以上話すのもウザイので、
さっさと、
こんな父親は部屋から追っ払い、

私は、ふたたび、この、
私だけの、
小さな世界に没頭する。

しばし、ウットリと眺める。

(やっぱり、暗かったのか)



さらには…、

いつの日か、
このコレクションが、

莫大な財産となって、
私を狂喜させることを夢見て、

ひとり、ほくそ笑む。

(ウシシシ…)



ところが…、

そうこうするうちに…、

このブームは全国規模になり、
飽和(ほうわ)状態になり、
巷(ちまた)に、物があふれすぎ、

今度は値段が、

どんどん下がって行ったのです。


中には、
買ったときより下がるものも、
いっぱい出て来た。

まるで、何かと似てますかね…?


そして…、

あんなに高いお金を出して買った切手が、
どんどん二束三文の値段になるに従って、

私の熱も、

しだいに、

冷めていったのでした。



悲しいですねえ。

最初は、そんなつもりで、
始めたわけじゃないのに…。


結局は、お金の価値に、

心まで左右される。

……。



「これが、人間の性(さが)というやつか…。」


もちろん、ガキの分際で、
そんな気の利(き)いたセリフを、
吐いたとは思えませんが、

残念ながら、
このコレクションも結局、
中途半端に終わったことだけは、

確かです。



でも…、

たまに実家に戻ると、
当時のスクラップ・ブックを、
開くことがありますが、

やはり、今見ても、

美しいと思いますね。


そして、不思議なことに、

あとから無理して買った、
高価なものより、

少年時代に、
少ないお小遣いの中から苦労して買った、
30円、50円といった、
可愛い値段の「記念切手」のほうが、

私にとっては想い出深く、
ずっとずっと、
美しく思えるのです。

ずっと、尊いものに思えるのです。


いや、

そういうものかもしれませんね。


お金の価値じゃない尊さ…。

……。



今後の教訓としますか。


(遅いかな…。)



(つづく)



ところで、

切手蒐集って、

やってたのは男子ばかり。


クラスで、
嬉しそうに自分のコレクションを見せ合う、
我々、男子の群れを、

実に冷ややかな目で見ておりましたね、

女子…。


なぜでしょう…?

なぜ、女の子は、

興味がなかったのでしょう…?


今頃になって、

不思議な気がしてきました。


ま、


どうでもいいか…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 23:12|この記事のURLComments(19)TrackBack(0)

January 28, 2009

私のコレクション


コレクション。

蒐集。

どんな人でも、
一つや二つは、
経験があるんじゃないでしょうか。


私の周りにも、
そうした「○○蒐集家(コレクター)」というのが、
少なからずいました。

人も羨(うらや)むようなコレクションを、
お持ちの方もいれば、

「あんな物集めて、
 何が面白いのかねえ。」
と、思わせるような、‘不思議な代物’を、
熱心に集めている人もいましたね。



かつて、
『レコード買いまくり時代』
というエッセイにも書きましたが、

特に、私の場合、

小学生の頃から音楽(特にクラシック)に目ざめ、
少ない小遣いを工面しながら、
せっせとレコードをためていくのが楽しみ、
という少年でしたから、

「レコード・コレクター」という名の人には、
人並み以上に、
羨望と憧れの気持ちを持っていたように思います。


たとえば、

高校1年の同級生のN君は、
ビートルズとエルヴィス・プレスリーのアルバムを、
すべて揃えていました。

ビートルズは、まだわかります。
当時まだ現役バリバリで、
その数も7、8枚といったところでしたから。

しかし、プレスリーともなると、
50枚以上はある。

日本では手に入らない、
初期の頃の珍しい物も、
全部持っていましたよ、
この男は…。

高校1年生の分際で、
とても揃えられるコレクションではありませんが、
父親が医者で、
すごいお金持ちのお坊っちゃまでしたからね。

とても羨ましかったのを、
昨日のことのように、
覚えています。


それから、
『私と映画音楽 たんぽぽ』
のときに登場した、
東芝EMIのHさん。

20,000枚以上はあるという、
膨大なクラシックのレコードにも、
仰天しましたね。

特に、大きな蔵のなかに、
所狭しと積み上げられている、
室内音楽のコレクション。

「これだけで、6,000枚。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲集は、
 現在世界で手に入れられるものは、
 全部あると思うよ。」

「……。」
  

さらに、
私がよく行く学芸大のジャズ・バーには、

「ジャズのレコードなら、軽く6,000枚はあるよ。」
という、凄腕のコレクター老人が、
何人かいます。

なかには、

『Star Dust(スター・ダスト)』
という曲が好きで、

「この曲が入ってるアルバムは、
 全種類(400枚くらいあるそうです)持ってるよ。」
という、変な(?)ご老人までいらっしゃる。

やれやれ。


でも、みなさん一様におっしゃるのが、

「こんな物、興味のない人から見れば、
 ただのガラクタなんでしょうね。アハハ。」


ま、言ってしまえば、

コレクションというのが、

そもそも、そういうものなんでしょうね。


しかし、本人にとっては、

人生と、膨大なお金を賭けた、

大切な宝物…。



さて、

前置きが長くなってしまいましたが、

私にも、ある時期、
いろんなコレクションに、
夢中になった経験があります。


しかし、どれ一つとして、
完成したものはありません。

飽きっぽいからでしょうか。

好奇心が旺盛で、
すぐ他のものに目が移るからでしょうか。

あるいは、時の流れで…。


でも、それはそれで、

楽しい思い出ばかり。


きょうは、そんな私の、
コレクションの歴史を、

振り返ってみようと思います。



『私のコレクション』


まず、小学校低学年のとき、
最初に夢中になったのが、

「マッチのラベル」コレクション。


マッチのラベル…?

これって、若い人には、
何のことだかわからないでしょうね。


当時のマッチは、
木の箱で出来ておりました。

そして、
喫茶店、レストラン、バーetc.

ぞれぞれが、
独自に工夫したラベルのマッチを、
作っていました。

いわゆる宣伝の役目も、
はたしていたのでしょう。


そんな、マッチ。

父親が、
バーや喫茶店でもらってきたマッチ箱。

それを箱ごと、水につける。
しばらくすると、糊(のり)がはがれてきて、
綺麗に印刷されたラベルが浮き上がってくる。

このラベルを乾かして、
スクラップ・ブックに貼っていくのです。


これ、
近所のお兄さんがやっていたのですが、

飽きちゃったのか、
どういう理由だったのか、
わかりませんが、
ある日、
「もういらないから、あげるよ。」

「えっ…。」


立派なスクラップ・ブックを、
いただいてしまった…。

ま、せっかく貰(もら)ったんだから、
と、そのまま続きを、
やることにしました。


当時のマッチ箱のデザインは、
なかなかにアイディアがあって、
それはそれは、
楽しいものばかりでした。

淡い街灯の下に佇(たたず)んで、
タバコをふかす、
ハンフリー・ボガートのような、
トレンチ・コートの男のイラスト。

濃い口紅の、
ベティちゃんのような顔の女性のイラスト。

映画のポスターかと思うような、
お洒落なデザイン。

今思いだしても、
レトロな雰囲気が、あちこちに、
漂っていましたね。


「早く大人になって、
 こんなお店で一杯飲みたいなあ…。」

と、思ったかどうかは忘れましたが、

スクラッブ・ブックに整理された、
そうした美しい数々のラベルからは、

まだ見ぬ素敵な(であろう)大人の世界を、
幼心にも、
垣間(かいま)見ることができるのです。

私は、時間があると、
スクラップ・ブックのページを、
パラパラとめくって、

ひとり、ときめきながら、
眺めておりました。

(暗かったのか)



しかし、マッチなどというものは、
所詮大人の持ち物。

子供の私に、
容易に集められるものではありません。

しだいに、その蒐集は、
困難をきわめていきます。


いつしか、私は、
父親にくってかかるようになる…。

「おとうさん、最近いつも同じマッチで、
 つまんないよー。
 もっと、いろんなお店行ってよー。」


もっと、ひどいのになると、

「おとうさん、
 たまには他のバーで飲んだら…?
 ここのマッチ、あんまりイカさないからさあ。」

「おとうさん、最近、行動範囲狭いよ。」


これには母親も、
苦虫をかみつぶしたような表情でしたね。


さらに、
知り合いのおじさんを見つけては、

私、
「おじさん、このマッチちょうだい。」

おじさん、
「でも、まだ新しくて、
 マッチ棒がいっぱい残ってるんだよ。」

私、
「だから、さっさといっぱい吸って、
 早くそのマッチ棒、使っちゃいなよー。
 待っててやるからさあ。」

閉口したおじさんは、
マッチ棒だけ他に移して、
渋々、箱だけを、私にくれる。


当然のことながら…、

ある日、父親から、
猛烈なカミナリが落ちました。

「おまえは、子供のくせに、
 何をやってるんだ〜〜〜!」


しかし、私はやめない。

「ふん、芸術的センスのない男よ。
 このデザインの素晴らしさが、
 わからんかねえ。」


そして、相変わらず、
大人という大人を見つけては、

「おじさん、このマッチちょうだい。」

「おばさん、早く吸っちゃってよー。
 早く最後のマッチ、使い切ってよー。
 待ってるから。」

「;…。」



ところが…、

まったく思いもよらぬ形で、
この蒐集は、
あっというまに終焉を迎えることになります。


マッチの形態が変わるのです。

もっとコンパクトな、
折りたたみ式のものに。

そう、これは今でも主流ですね。

しかも、これは、
水につけてラベルだけをはがす、
というわけにはいかない。

デザインも無味乾燥で、
かつてのような、
アイディアに溢れた、楽しいものではない。


さらに、追い打ちをかけるように…、


100円ライター、

使い捨てライターの普及。

……。



こうして、

このコレクションは、

またたく間に成立不可となってしまいました。


親は、

やれやれと思ったでしょうがね。



このスクラップ・ブックは、
今も実家のどこかに、
眠ってるはずです。

でも、ひとときではありますが、
楽しいコレクションではありました。

いい思い出です。


便利さを優先するがあまり、

こういう風情のあるものが無くなるのは、
さみしい気もしますが、

ま、これも時の流れ。



それから、しばらくして、

小学校高学年になった、

ある日のこと…。


クラスの仲間たちの間で、
あるものが流行(はや)り始めました。

私も、ご多分にもれず、
たちどころに夢中になって、

集め始めたものがあります。


プラモデル…?

あれも流行りましたが、
でも、違います。

手先の不器用な私に、
あれは向きません。


それは…、


何でしょうね…。


(おい、またクイズか。)



(つづく)



きょうは、早起きをして、

時間がたっぷりあったので、

矢継ぎ早やの更新。


それと…、

タバコを誉めるような文章を、
いつまでも載っけておくと、

嫌煙家のみなさんから、
総スカンを喰らう恐れもありますからね。(笑)

逃げ足の速さは、

私の得意ワザです。



それにしても、

ピアノ弾いてないなあ…。


そろそろ、恋しくなってきた…。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 15:47|この記事のURLComments(20)TrackBack(0)

January 11, 2009

私の映画ベストテン 2008


お正月も終わり、

そろそろみなさん、
本格的な始動をされていることでしょうが…、

私はまだ、正月気分です。

ハハハ。


というわけで、
新春企画第二弾。

去年から始めて、
一部に、やや、ほんのちょっとだけ受けた、
この企画。

今年もいってみたいと思います。

ジャーン!


『私の映画ベストテン 2008』



去年、私が観た映画のなかから、
印象に残ったものを、
ランキング形式でお送りします。


ま、おかげさまで昨年は、

仕事が忙しくて、

特に後半にかぎっては、
ほとんど観ることができませんでしたが、

でも、こうして振り返ってみると、
なかなかに心に残る傑作が、
多かったように思います。

10本選ぶのが、大変でしたから。


ただし、
これはあくまで、
「私が去年観た」
ということであって、

「去年封切りされた新作」
というわけではありませんので、
念のため。

「な〜んだ、その映画は、ちと古いよ。」
てのは、なしでお願いしますね。


では、いきましょう。



1.今宵、フィッツジェラルド劇場で
 (A Prairie Home Companion)

 私の敬愛する、
 ロバート・アルトマン監督の遺作。

 昨年観た『ゴスフォード・パーク』
 でもそうでしたが、
 メリル・ストリープを始めとする、
 一流俳優たちの、アドリブによる軽妙な会話。
 華やかなステージと、舞台裏の様々な人間模様。
 そんな、一見収拾のつかないような、
 ごった煮のような内容を、
 最後は、ギューッと一本にまとめてしまう。
 
 「ごっつい手腕」に圧倒されました。
 合掌…。



2.敬愛なるベートーヴェン
 (Copying Beethoven)
 
 “人類が生んだ最高の音楽”
 と、私が公言してはばからない、
 ベートーヴェンの『第九交響曲(合唱)』

 「その初演には、
  耳の聴こえないベートーヴェンを支える、
  一人の美しき女性がいた。」

 こんな、コピーを見せられたら、
 観ない訳にはいきませんよね。
 予想通り、感動、涙、感動、涙…。



3.ボーン・アルティメイタム
 (The Bourne Ultimatum)

 一昨年観たマット・デイモン主演の、
 『ボーン・アイデンティティ』
 『ボーン・スプレマシー』
 の続編。

 これらが、あまりにも素晴らしかったので、
 今回も期待をこめて観たのですが、
 やっぱり、やってくれました!!

 世界を舞台にした、スピード感抜群の、
 超ど級アクション映画。
 アメリカでは、今年早くも第4弾が公開とか。
 く〜、楽しみ…。



4.デジャヴ(Dejavu)

 理屈抜きに楽しめました。
 文句無しの娯楽作品。
 ちょっと現実離れした部分もあるけど、
 テクノロジーの進化は、
 私たちの想像以上かもしれないと、
 空恐ろしくなってしまいましたね。

 デンゼル・ワシントン。
 いいですねえ、大好きな俳優です。
 去年観たなかでは、他にも、
 『トレイニング・デイ』
 『マイ・ボディガード』etc.

 みんな、良かったなあ…。



5.アバウト・ア・ボーイ
 (About A Boy)

 ヒュー・グラント主演の、
 ほのぼのコメディー映画。

 この人も、いい味してますねえ。
 相棒の子役が、
 これまた憎いばかりの快演。
 (この子、『サンキュー・スモーキング』
  にも出てたっけ…。)

 ヒュー・グラントといえば…、
 ドリュー・バリモアと共演した、
 『ラブソングができるまで』
 これも、文句なく、素敵な、
 ラブ・コメディー映画でした。



6.小説家を見つけたら
 (Finding Forrester)
 
 これは、ちょっと古い映画ですかね。
 世を捨てた、偏屈で気難しい老作家と、
 素晴らしい文学の才能を持った少年との、
 心暖まる、感動のストーリー。
 
 かつて、007で、
 ボンド・ガールをブイブイ言わせた、
 ショーン・コネリーですが、
 老いてからも、カッコいいですよねー。

 若かりし頃と、老いてからと、
 まったく違うキャラクターで頂点を極める…。
 ま、エリック・クラプトンと、この人が、
 双璧ですかな。



7.ドレスデン、運命の日(Dresden)

 ナチス・ドイツ軍に決定的な打撃を与えた、
 連合軍による有名な「ドレスデン大爆撃」。
 この歴史的な運命の日に翻弄される、
 人々を描いた戦争映画。

 平和の素晴らしさを再認識する意味もあって、
 話題になった戦争映画は、
 なるべく観るようにしておりますが、
 昨年は、文句無しにこれが一番。

 戦争は、いけませんね。

 絶対に…。



8.タロット・カード殺人事件
 (Scoop)

 最近、私に似てると評判の、
 (あ、私があっちに似てきたのか…。)
 ウディ・アレン監督・出演の最新作。

 エキゾチックなマスクで、
 人気急上昇中の女優、私もお気に入りの、
 スカーレット・ヨハンソンちゃんが、
 こんなコミカルな演技もできるなんて…。

 感心してしまいました。

 ウディ節、健在なり。



9.オール・ザ・キングズメン
 (All The King's Men)

 これ、あんまりヒットしなかったみたい。
 でも、大好きなショーン・ペンが主役なので、
 借りてきて観ました。

 決して悪人じゃないのに、
 知事という権力を手にしてからは、
 好むと好まざるにかかわらず、
 悪とも向き合わなければならない、
 人間の業の深さと悲しさを、
 ショーン・ペンが、見事に演じています。

 いい映画だと、思うけどなあ…?



10.武士の一分

 私、最近の日本映画は、
 まず観ません。

 黒沢監督、伊丹監督が亡くなり、
 渥美清さんの、
 「寅さんシリーズ」も終わり、
 全くといっていいほど、日本映画には、
 興味が無くなってしまったのですが、

 これは、良かった。

 山田洋次監督の演出も、
 いいのでしょうが、
 木村拓哉の演技の素晴らしさには、
 本当に感心してしまいました。

 私、父親の転勤で、幼い頃、
 山形に2年程住んでいたことがあるので、
 わかるのですが、
 東北弁て、あんなに簡単に、
 マスター出来るもんでは、ありませんよ…。
 


はい、もう時間来ました。

今年も、たくさん、いい映画に、

巡り会えますように…。


では、

サヨナラ、

サヨナラ、

サヨナラ…。


(ん? このギャグ、
 前にも使ったことあるか…。)



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 01:13|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)