2011 エッセイ

【タイトル一覧】
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  • ルネ・シマール その2
  • ルネ・シマール
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  • ルーツ その3
  • ルーツ その2
  • ルーツ
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  • ビル・エヴァンス大研究 その9
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  • ビル・エヴァンス大研究 その4
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  • ビル・エヴァンス大研究 その2
  • ビル・エヴァンス大研究
  • リヒャルト・ワーグナー
  • 手羽先日記(番外編)
  • ジャミン・ゼブ『裏・サマータイム』その3
  • ジャミン・ゼブ『裏・サマータイム』その2
  • ジャミン・ゼブ『裏・サマータイム』その1
  • ジャミン・ゼブ『サマータイム』
  • ゴルフと私 その5 最終回
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  • ゴルフと私
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  • 深町純さんの思い出
  • 私の映画ベストテン 2010
  • 私の10大ニュース 2010

December 31, 2011

ゆく年くる年


大晦日に、

「これだけは絶対観なくちゃ!」

と心に決めている番組…。


それは、

NHK「ゆく年くる年」(23:45〜0:15)。。


特に感慨深いのが「ゆく年」の方ですかね。

子供の頃から、これだけは欠かさず観ています。


全国各地のお寺や神社を中継で結び、
住職たちによる「除夜の鐘」の儀式や、
新年を迎えようとする各地の「今」が映し出される。

日本の風物詩とも言えるこの番組を見ていると、
普段はチャランポランな私も、
なぜか厳粛な気持ちになってしまうのです。


「ゴ〜〜〜ン♪」

「ゴ〜〜〜ン♪」



普段「信心深い」とはほど遠い無神論者の私も、
このときばかりは、

「来年はいい年でありますように!」

な〜んて、
厚かましくもテレビに向かって、
手を合わせたりしちゃうのです。


でも、この一瞬だけ。

0時を過ぎると、すぐに我に帰ります。

あはは。


初詣なんか行かないし、

(寒いから)

お正月らしいことはなんにもしない。

(面倒くさいから)


そして、行きつけの学大のお店が始まる日を、

心待ちに数える…。

(ええと、あと3日、あと2日、あと…)



でもね、

今年はちょっと違う思いがあります。


「来年は!」「来年こそは!!」という前に、

まずは、

「生きてること」「元気で今年を終えられること」

その安堵感のほうが大きいのです。


というわけで、

今年は例年以上に厳粛な気持ちで、

観させていただこうと思っております。


「今」をこうしていられる幸せをかみしめながら…。

……。



みなさん、

今年も1年ありがとうございました。


来たる年も、
みなさんに喜んでいただけるよう、
素敵な音楽作りに精一杯頑張りたいと思います。

2012年版「ジャミン・ワールド」に、
どうぞ、ご期待下さい。


よいお年をお迎え下さい。


感謝…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 11:45|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

December 24, 2011

ルネ・シマール その3(最終回)


1974年の「第三回東京音楽祭」において、

その美しいボーイ・ソプラノで熱唱し、
見事にグランプリを獲得、
一夜にしてアイドル・スターになってしまった、

カナダの美少年ルネ・シマール君。


さあ、この年の後半から、
翌75年にかけてのルネ旋風は、
それはそれは凄いものでしたね。

デビュー曲の『ミドリ色の屋根』を皮切りに、
リリースするシングルやアルバムはみな、
オリコン・チャートの上位にランク。


そして、そのプロモーションのために来日すると、

どこで嗅ぎつけたのか、
宿泊先のホテルや、はたまたアルファのビルの前までも、
小さな女の子たちが大勢待ち受けていて、

さながらビートルズやベイ・シティ・ローラーズの如く、
キャーキャーと大騒ぎ。

「ルネ〜〜」「ルネ〜〜」「ルネ〜〜〜〜」

「……。」



ところが…、

1975年の後半になると、

早くも、その人気に翳(かげ)りが出て来ました。


無理もありません。

常に日本にいるアイドルたちと違って、
彼はカナダに住んでいるのですから。


アイドルというのは、
一度売れたら、テレビやラジオ、
あるいは芸能雑誌や新聞など、
とにかくメディアに出続けなければなりません。

(そう、出続けること)

でないと、すぐに忘れられたり、
次々と現れる他のアイドルに、
その人気を奪われてしまいます。


でも、ルネの場合には、それが不可能です。

日本人アイドルと比べたら絶対的に不利です。


「このままルネは終わってしまうのか…」

アルファ上層部は頭を抱える。

……。


と、そんな時、

素晴らしい企画が舞い込んで来たのです!

♡♡♡



翌1976年には、

カナダのモントリオールで、
オリンピックが開催されます。

その主題歌を、
ルネが歌うことが決まったというのです。


これはナイスな企画ですね。

打つ手がなくなっていたCBSソニーも、
これには大乗り。


で、これは私が担当することになりました。

曲は村井さん自らが書く。


いい曲でしたよ。

「Welcome to Montreal ♪
 Welcome to Montreal ♪ 〜〜」


今でもこの部分だけは口ずさむことができます。

スポーツの祭典にふさわしい、
明るく、力強い感動をもった曲でした。

それにふさわしい荘厳なオケも出来上がりました。


タイトルは『モントリオール賛歌』!!

(だったかな…?)


ま、いずれにしろ、この曲をルネが、
あの張りのある美しい声で歌ったら、
大ヒット間違いなし!

誰もがそう信じて疑いませんでした。



歌入れ録音はカナダで。

そしてこれには、
CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターに、
立ち会ってもらいました。


その数日後、彼女は帰国。

そして、アルファのスタジオで、
「みんなで出来上がった音を聴きましょう。」
ということになりました。

わくわくですねえ。

ワクワクワクワク。

♪♪♪



ところが…、


「ん…? なにこれ…?」

「こ、これ、ルネなの…?」

「これは誰…?」



そうなんです。

スピーカーから流れて来る声は、
およそルネの美声とはかけ離れた、
ダミ声の、しかも全く “少年の声” ではない。

「……???」


すると、金塚さんが、

うつむき加減で、
元気のない声で、
こう言ったのです。


「変声期なんですよ…。」

「……。」



ああ、これでは発売中止もやむをえませんね。

そして、日本における「ルネ・プロジェクト」も、
もはやここまでということになってしまいました。

残念ながら…。

……。


そう、少年にはこれがあったんですね。

私はこの時、
ウィーン少年合唱団を描いた映画、
「青きドナウ」というのを思い出しました。

あそこも、変声期を迎えた少年は、
退団しなければならないんですね。

非情だ…。

ううむ…。

……。



それから7、8年が経ちました。

私がアルファを辞めたのが1984年ですから、
その少し前のことです。


あのルネに、
ナタリーという妹がいて、
これが、風貌といい、声といい、歌唱力といい、

当時のルネにソックリだというのです。


そしてアルファは、

再び『東京音楽祭』を舞台にして、
「夢よもう一度作戦」を展開することになりました。

これも私が担当することに…。


これが、そのときに作ったシングル盤です。

ね、そっくりでしょ、ルネに。

声もそっくりだし、歌もうまかったんですよ。

スキャン 6


しかし残念ながら、

今回はなにも起こりませんでした。

世の中、そんなに甘くはないということでしょうか…。

……。



最後に、そのときのエピソードをひとつ。


ナタリーが来日するとすぐ、
私は彼女をアルファの会議室に呼んで、
ミーティングを持つことにしました。


出席したのは、

村井社長の秘書でフランス語の堪能なE女史、
そして現場でフランス語の通訳をお願いする女性、

それに、ナタリーのマネージャーらしき青年、
そして、ナタリーと私の5人。


ここで私は、

明日からのスケジュール、
レコーディング楽曲、
東京音楽祭での段取りなど、
細部にわたって丁寧に説明をしていきます。

それを、通訳の女性が、
マネージャーらしき青年に伝え、
さらにその青年が、子供のナタリーに、
もっとわかりやすいように説明していく。

とまあ、こんな感じで進められていきました。


そして1時間あまり。

ミーティングもつつがなく終わり、
「さあ、明日からがんばりましょう。」
ということで散会。


そして私は、
そのマネージャーらしき青年と初めて握手。

青いジャンパーを着た、
どちらかというと目立たない地味な感じの青年です。


私は彼に、こう尋ねました。

「ところで、あなた、お名前は…?」


すると彼は、ニコッと笑ってこう答えたのです。


「ルネです。お忘れですか…?」


「……。」



(おわり)




12/22、23「@恵比寿ガーデン・ホール」における、

ジャミン・ゼブ『X'mas Fantasy 2011』
も、つつがなく終えることができました。


メンバーの思い、スタッフの思い、
そして、みなさんの思いがひとつになった、
心暖まる素晴らしいライブだったように思います。

本当にありがとうございました。


さ、明日は、山形の「あつみ温泉」で、
今年最後のライブです。

なんだか今年も大雪みたいですね。

でも、どんな手段を使っても行きますよー。

みなさん待ってて下さいね。


それが終わると、

27日(火)は「A'TRAIN」で、
今年最後の私のピアノ・ライブ。

今月は変則開催ですので、
くれぐれもお間違えのなきように。


気がついたら…、


今年も、あとわずか…、


か…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 16:52|この記事のURLComments(18)TrackBack(0)

December 17, 2011

ルネ・シマール その2


「東京音楽祭」か…。

なつかしいですねえ。


その年の国内外のトップ・アーティストたちが、
東京は『日本武道館』に一堂に集まり、
最も優れた楽曲とパフォーマンスを競うという、

なんとも絢爛豪華で贅沢なイベントでした。


その当時、

「テレビ音楽業界のドン」と畏(おそ)れられていた、
TBSの大プロデューサー渡辺正文さんが提唱し、
1972年に始まった音楽祭で、
その第一回のグランプリは、
雪村いづみさんの歌った「私は泣かない」という曲。

聞くところによると、
これもアルファが絡んでいたそうです。


私がアルファに入社した1974年の第三回からは、
急激にその規模も巨大になり、
世の注目を浴びるようになったようです。


しかも、この年は、
スリー・ディグリーズという大物が、
「天使のささやき」という楽曲でエントリー。

また、特別ゲストに、
フランク・シナトラが参加するということもあって、
外国の音楽メディアもどっちゃり来日。

そして日本からは、
布施明、五木ひろし、ザ・ピーナッツ、
といった人気歌手たちが本戦出場。

いやあ、まさにお祭りムード一色です。


「ドン渡辺の春、ここに来たれり」という感じですかね。

(ここだけの話ですが…、
 この渡辺プロデューサーという人ね…、
 怒るとね…、
 ギョロ〜っと凄い目をひんむいて、
 あたりかまわず大声で恫喝するんです。

 恰幅もよく、
 まるで映画『ゴッド・ファーザー』の、
 ドン・コルレオーネみたい。

 だからアダ名は “ギョロなべ” と裏では囁かれている。
 いやあホント、恐かったですよ、怒らせるとね。

 だけど…、頭は…、ヅラ…。)


わ〜っ、言っちゃった。

どうしよう、どうしよう…。

……。。。


ま、いいか。

どうせ天国までは聞こえまい。

それに私、けっこう可愛がられてたし。

あははは。



というわけで、

この年のグランプリの本命は、
なんといってもスリー・ディグリーズです。

ま、今の言葉でいうところのガチ。

ガチもガチ。
ガチガチの大本命。


だから…、

各レコード会社は、
グランプリは早々にあきらめ、
それに続く金賞、銀賞狙いで、
様々なプロモーションや審査員対策に奔走。

とまあ、そんな感じだったようです。

……。



ところが…、

わがアルファがエントリーした、
カナダの無名の少年ルネ君が、
予想を大幅に覆(くつがえ)して、

なんと、グランプリを獲得してしまった!


そして表彰式で、

フランク・シナトラさんから、
グランプリのトロフィーを渡されると、
その愛らしいお目目からは大粒の涙がポロリ。。。


「わ〜〜〜〜〜〜〜っ。」

またまた場内、割れんばかりの大拍手。


でも、なにはともあれ、
これから私がお世話になる会社にとっては、
最高の結果になったわけですから、

よかった、よかったです。

めでたし、めでたしです。

うんうん。

♡♡♡



というわけで翌朝、

鼻歌なんぞ歌いながらお気楽気分で出社してみると…、


と……、


これが大変なことになっていました。

……。



とにかく、会社中の電話という電話が、

鳴りっぱなしなのです。


そして私より早く出社していた先輩たちが、

汗だくになって電話を取って応対しています。

(何ごとなの…?)


すると総務のS課長が大声で、

「宮住くん、何をモタモタしてるんだ!
 早く君も電話を取ってくれよ。
 もう朝から大変なんだから。」

「……???」



で、仕方なく私も1本の電話を取る。

「はい、アルファ&アソシエイツです。」


すると電話の向こうから、
小学生か、はたまた幼稚園かと思(おぼ)しき、
可愛らしい女の子の声で、

「ルネいますか〜。」

「……。」


私は、仕方なくこう答える。

「ル、ルネはここにはいないんですよ〜。」


すると、その女の子も負けてはいない。

「じゃあ、ルネはどこにいますか〜。」

「……。」


そんな間にも、
デスクの上の電話という電話は鳴りっぱなし。

リ〜ン、リ〜〜ン、リ〜〜〜〜ン、リ〜〜〜〜〜〜ン。

リ〜ン、リ〜〜ン、リ〜〜〜〜ン、リ〜〜〜〜〜〜ン。

リ〜ン、リ〜〜ン、リ〜〜〜〜ン、リ〜〜〜〜〜〜ン。


「あのお、ちょっと待っててね、
 別の電話も鳴りっぱなしだからね。
 はい、アルファ&アソシエイツです。」

と、また別の電話を取ってみると、
これまた女の子の声で、

「あの〜、ルネは今何してますか〜。」

「あのねえ、ルネはここにはいないんですよ。」

「じゃあ、どこにいるんですかあ?」

「……。」



そして、どの社員もみな、

同じような受け答えで苦闘しているのでした。


総務のS課長も、Mさんも、T女史も、
社長秘書のE女史も、
制作のA課長も、N君も、S君も、
ディレクターのAさんも、Kさんも、
録音課のY課長も、Sさんも、K君も、

みんなみんな、

「ルネは、今ここにはいませんよ〜。」
の応対に大わらわ。



そうなんです!

これはもう「パニック」といって差し支えありません!!


なにしろ取る電話、取る電話、みな、

「ルネ」「ルネ」「ルネ」「ルネ」「ルネ」……。


キャ〜〜ッ、助けてくれ〜〜〜。

(だめ)



で、学校が昼休み時間になると、
そのパニックはさらに凄いものになりました。

今のように携帯電話の無い時代ですから、
みんな学校の近くの、
公衆電話からかけてくるんでしょうか…。

「ルネは何が好きですか〜。」

「ルネは今、何食べてますか〜。」

「ルネは今日何時に起きましたか〜。」

「ルネの好きな食べ物はなんですか〜。」

「ルネの好きな番組はなんですか〜。」



あのね!

いい加減にしなさい!


と言いたいところですが、、、

彼女たちに情けは無い。

……。


次から次へと情け容赦なく襲って来る電話の嵐。

(す、すごい…。)



ひどいのになると、

「あの〜、ルネと代わってください。」

「…‥…。」


あのね、

あーた、フランス語しゃべれんの?


そう、カナダといっても、
ルネの住むケベック州はフランス語圏なのです。

もう、この大胆さといったら…。

……。



そんな中、
またしても電話を取ると、

「バカヤロー、お前の会社はどうなってんだー!
 朝から全然電話が繋がらないじゃないか!
 いいかげんにしろ!!!」

「あー、やっと繋がった。
 いったいアルファはどうなってんのよ。
 例の件はどうなってんのよ。えっ。
 ちょっと村井社長に代わりなさい。
 えっ?いない?
 バカヤローーーー!!!!」


たまに、繋がった仕事の相手先からは、

こんなお叱りを受けるありさま。

なにしろ携帯の無い時代ですからねえ。

……。



こうして、

この日のアルファ・スタッフは夜遅くまで、

誰一人まともに仕事をさせてもらえず、

食事にも行けず、


ヘロヘロになるまで、一日中、

少女たちのお相手をさせられたのでした。


あ〜あ…。

……。



もしも、これを読んでる女史のなかで、

あの時、アルファに電話した覚えのある方は、

大いに反省しましょうね。


私たちは、

まるで仕事にならなかったのですからね…。

(ブツブツ…)

……。



というわけで、

大学を卒業して音楽業界に入ったばかりの私は、

このとき…、


“一夜にして生まれるアイドル・スター” の凄まじさを、


嫌(いや)というほど思い知らされたのでした。


ふ〜…。


……。



(つづく)




ああ、やっと更新できました。

事故もあったし…。


でも、おかげさまでこの2週間、
最高に充実した日々を送らせていただきました。

名古屋地区では、
たくさんの新しいお客さんとの出会い。

久しぶりの手羽先ちゃんとの出会い。
(また30本食ったぞ〜。わははは。)


さらに、一昨日、昨日は、
これまた本当に久しぶりに、
関東圏のジャミン・ファンのみなさんに、
お目にかかることが出来ました。

至福のひとときでした。


感謝…。

……。



そして、

いよいよ、

12/22、23日「@恵比寿ガーデン・ホール」

『X'mas Fantasy 2011』が迫ってきましたね。


いろんなことがあった、
いろんなことが “ありすぎた” 2011年を、
最高の形で締めくくりたいと思っています。

ジャミンと私たちスタッフの今年の総決算です。


みなさん、来て下さいね。

感動の一夜(二夜?)をご一緒しましょう!


というわけで今宵は、

久しぶりに吠えたいと思います。

月に向かって…。


ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!


(お前はオオカミか…)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:58|この記事のURLComments(6)TrackBack(0)

December 04, 2011

ルネ・シマール


あれは、1974年の3月だったでしょうか…。


卒業も決まり、
4月からは「アルファ&アソシエイツ」という、
レコード制作会社に就職の決まっていた私は、

これといって刺激的なこともなく、
昼寝をしたり、鼻毛を抜いたりと、

まあ、なんとも退屈な日々を送っておりました。


そんな時、

そのアルファの社長でもあり、

「翼をください」(赤い鳥)や、
「ある日突然」(トワ・エ・モア)など、
数々のヒット曲でも有名な作曲家の村井邦彦さんから、

「ちょっとしたデモ・テープを作るから、
 ピアノを弾いてくんない?」
という電話をもらいました。



呼ばれたのは、

ちょうど卒業コンサートを終えたばかりの、
私が所属していたサークル、
「K大ライト・ミュージック・ソサエティ」の、
レギュラー・リズム・セクションの面々。

ドラムがS君(4年)
ギターがA野君(2年)
(かつて「犬猿の仲」というエッセイにも登場)
ベースは今も私の相棒、エディ河野(4年)
そしてピアノが私(4年)

というメンバーでした。


場所は、芝浦にあった「STUDIO ’A’」

真新しい、とても立派なレコーディング・スタジオで、
新進気鋭のアルファの「ホーム・グラウンド」
とも言うべきスタジオなんだそうです。


ということで、

「ま、他にやることもないし、
 暇つぶしに行ってみるか〜。」

とまあ、お気楽な気分で出かけて行った私。


もちろん、

この後(のち)、このスタジオで、
数々のレコード制作をやることになろうとは、

この時の私は知る由もありません。

……。



さて、スタジオに入った私たちは、
1枚の譜面を渡される。

そこには、こう書いてありました。

『ミドリ色の屋根』
(詞:さいとう大三 曲:村井邦彦)


そして、そこには私たちの他に、
この曲を歌う一人の女性シンガーもいました。

そして、レコーディングが始まる。

♪♪



いやあ、いい曲ですねえ〜。

両親の別離に胸を痛めた、いたいけな少年が、
一生懸命ママを励ますという歌のようです。

「泣かないで〜、僕がそばにいるから〜♪」


私は心をこめて弾く。

なんともいい気分で弾かせてもらう。

ルンルン。


何故ならば、

その時、ヘッドフォンを通して聞こえて来る、
その女性シンガーの声と歌唱力が、
なんとも素晴らしいから。

♪♪♪



で、あとからわかったことですが、

その女性シンガーは、
「赤い鳥」のメンバーで、
後の「ハイ・ファイ・セット」のリード・ヴォーカル、

山本潤子さんでした。

(そりゃうまいわけだ)



さて、レコーディングも順調に終わり、
コントロール・ルームに戻ると、
社長の村井さんが何人かのスタッフに、
きめ細かく指示を与えておりました。

「○○君、すぐにこの音を音楽祭事務局に届けるように。」

「△△さんは、譜面と一緒にカナダに送ってね。」

「□□君は、CBSソニーに連絡するように、頼むよ。」



と、どうやらこれはあくまでデモ・テープで、
実際に歌うのは、

ルネ・シマールという、
10才にも満たないカナダの少年なんだそう…。

そして、6月に行われる、
TBS「東京音楽祭」というビッグ・イベントに、
エントリーするんだそうです。


それにしても…、

デモ・テープごときに、
天下の「赤い鳥」の山本潤子さんを使うなんて、
なんとも凄いファミリーなんだなあ、
アルファって…。


私は、ちょっと身震いがするような思いでした。


(へ〜、俺、こんな会社に入るんだ…?)

……。




その翌月の4月に、私はアルファに入るわけですが、

そのときはまだ小さな原盤制作会社。


ユーミンのデビュー・アルバム「ひこうき雲」も、

まだ全然陽の目を浴びず、
サンプル盤がどっちゃりと、
オフィスに山積みされていましたね。


その後ヒットが繋がって、
「アルファ・レコード」
というレコード会社に昇格するものの、

このときのアルファは、
まさに手作り、手探りで、
新しい音楽作りに励んでおりました。


6月の「東京音楽祭」をめざして作られた、
このルネ(ルネ・シマール)のシングル盤も、

当時アイドルを売るのに絶対的な力を持っていた、
CBSソニー(現ソニー・ミュージック)で、
販売してもらうことになっていました。


スキャン 5

(左上にCBS SONYのロゴ、右下にALFAのロゴ。
 なつかしい…。)


そして、

いよいよ「東京音楽祭」(@日本武道館)が始まります。


駆け出しの私は、
現場には連れて行ってもらえず、
自宅のテレビで応援です。

TBSの放送を食い入るように見ていた私は、
その出演者の顔ぶれの凄さに仰天!


そしてグランプリの大本命は、
スリー・ディグリーズ「天使のささやき」。

カナダの無名の少年ルネなんて、
無印もいいところです。

(こりゃ、小さな敢闘賞あたりが関の山だな…)



が…、


が……、、


が〜〜〜〜〜〜〜〜、、、


(ん?)


このルネ君、

小さい頃から聖歌隊で鍛えた美しいボーイ・ソプラノで、
日本語の歌詞もなんら問題なく、
実に堂々と歌いきったではありませんか。

場内、もう割れんばかりの拍手です。


そして…、

なんと…、

大番狂わせもいいところの…、


グランプリまで取ってしまったのです!!


(へ〜、やったじゃないか〜…)



でもまあ、入社して早々、

これはめでたい出来事ではありませんか。


しかも、そのデモ・テープ制作に、

この私もひと役買っているのだ。

私の将来も明るいかもしれない。

うんうん…。


(ん…?)



そして翌朝、


いつものようにお気楽気分で会社に行った私ですが、



なんと…、


これが…、


大変なことになっていたのです。


……。



(つづく)




テレビといえば、

12/2の生放送、
NHK「〜震災に負けない〜お元気ですか日本列島」
に出演した、わがジャミン・ゼブ。

震災からうまれたオリジナル曲『Rise』を、
これまた見事に歌ってくれましたね。


私は別のスタジオで、
編集の仕事をしていたのですが、
この時だけは作業を中断して、
ワンセグ携帯で見させてもらいました。

NHKスタッフのみなさんの中には、
徹夜であのセットを作って下さったり、
CGの制作をして下さったり、
大変なご苦労があったと聞きました。


「少しでも、被災地のみなさんに、
 喜んでもらいたい。」

そんな、心のこもった、
素晴らしい番組でしたね。

みなさん、ありがとうございました。

……。



それにしても…、

見てる方も緊張しましたわ〜い。


でも、無事に大役がはたせてよかったです…。


だから今日は、

ホッとひと息の休日でした。


昼寝をしたり、鼻毛を抜いたり、

のんびり過ごさせていただきました。

(何年経っても、変わらんのぉ〜)


あ〜あ、

でも、もう終わりか、お休み…。


(何を言うか、これからが佳境だろ12月は!)


おっと、そうか…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:12|この記事のURLComments(26)TrackBack(0)

November 23, 2011

ルーツ その5(最終回)


私の祖祖祖父は、宮住千代吉さんという名前でした。


千代吉(ちよきち)ですって…?

いやあ、あなたも、
けっこう遊び人の名前ですなあ。

あははは。


そう、この人ですよ。

自分の子供に音太郎(おとたろう)なんて、
軟弱な名前をつけた張本人は。

世の中、維新の嵐が吹き荒れている江戸末期に、
まあ、なんてお気楽な名前をつけたもんでしょう。


とすると、この人も…、

小唄や長唄や三味線にうつつをぬかし、
夜な夜な、遊び歩いていたのでしょうか…。
お酒も大好きだったのでしょうか…。


おそらく、そうなんでしょうね。

じゃなきゃ、
音太郎なんて名前をつけたりしないはずです。


ま、あくまで私の想像ですが…。


「あ〜ら、千代さん、ちょっと飲んでかない?
 得意の小唄が聞きたいわ〜。」

「だめよ〜、千代さん、そんなお店に入っちゃ。
 うちで飲んでってよ、うちで。
 三味線も用意してあるわよ〜。うっふん。」

「千代ちゃんたら〜、こっちよ、こっち。
 今日の肴は美味しいわよ〜。
 さ、早く上がって、上がって。」


とまあ、音太郎の時と同じような光景が甦る。

……。


でも、やっぱり、

そんな画(え)しか浮かびません。


多分そうです。

いや、そうに決まってる…。

……。



となると、

この「千代吉」という名前をつけた先代は、

はたして、どんな名だったのでしょうか…。

……?



ところが…、

残念ながらこれ以前の戸籍は、

発見出来なかったそうです。


やれやれです。

逆に私はホッとしました。


さらにさかのぼってみたら、

宮住遊蔵(ゆうぞう)だの、
宮住酔吉(すいきち)だの、

果ては、

宮住飲ン兵衛(のんべえ)
なんてご先祖さまにも遭遇するかもしれなかった…。

ふ〜…。



しかし…、

これで宮住という家系の何たるかが、

おぼろげながら浮かんできましたよ。

……。



さて、このシリーズの冒頭で私は、
「宮住家は元々、源氏の落ち武者なのだ。」
と言ってはばからない、亡き父の話を書きました。

で、もしそれが本当だとすれば、
いや「本当だ」と仮定してみるならば、

私の説はこうなります。


ということで、私は、

遠い遠い平安の時代に思いを馳せてみる…。

……。



平清盛率いる平家に追われた我が先祖の宮住さんは、
瀬戸内海から豊後水道を、命からがら舟で逃げのび、

四国の最西端、
風光明媚で自然の幸に恵まれた、
伊予吉田(愛媛県)という温暖な所にたどり着いた。


その後、

奢(おご)る平家が圧倒的な武力で世を制圧するが、

やがて源頼朝の成人を待って、
全国の源氏は、再び頼朝の号令のもと立ち上がり、
今度は逆に平家を屋島、壇ノ浦に滅ぼしてしまう。


しかし…、

宮住家は立ち上がらなかったのです。

……。


戦(いく)さよりも、
歌舞音曲(かぶおんぎょく)を好み、

酒を愛し、
美味しい肴に舌鼓をうち、

何よりも美しい自然と、
この風光明媚な土地を愛した。


これが、

宮住家のたどった道だったのではないでしょうか。


幸い、伊予(愛媛)という所は、
政治の中心から遠く離れており、
いかなる政変が起きようとも、
あまり影響を受けないですむ土地でもあります。


戦国時代にも立ち上がらず。

天下分け目の関ヶ原もまるで興味なし。

明治維新もどこ吹く風。


「戦さで手柄を立てるより、こっちの方が楽だも〜ん。
 政治なんか興味ないも〜ん。
 お酒の方が楽しいも〜ん。
 美味しいもん好きだも〜ん。」


とまあ、

そんな姿勢を貫いたのではないでしょうか。



そして時は流れて…、

千代吉や音太郎という遊び人(想像)が生まれ、
しかも音太郎は酔っぱらって風呂で溺れ、
新太郎は酒で家を没落させ、
音重がオルガンに鍵をかけ、
父清繁が都々逸(どどいつ)を唸(うな)る…。


いやいや、

なんという人たちなのだ…。


なんと困ったDNAなのでしょう…。


ううむ…。



しかしまた、その一方で、

私の音楽好きやそれなりの能力もまた、
この軟弱な家系の産物だとすれば、

これはこれは、
なんとも皮肉な巡り合わせではありませんか。

……。



でも、よくよく考えてみれば、

音楽の創作や演奏に、

「遊び心」は不可欠です。


そして、私の中にもあるであろうこの「遊び心」が、
千代吉や音太郎、
いや、その先代や、そのまた先代たちから、
脈々と受け継がれてきたとすれば、

これはこれで、
大変有難いDNAと言うべきなのでしょうね。


最近、特にそう思うようになってきました。

……。



おや、もう時間ですか…?


では、そろそろ空想の世界から現実に戻って、
今宵も酒を飲むとしますか。

なんといっても「酒」や「遊び」は、
明日の創作の糧(かて)ですからな。

わっはっは。


では、出かけるとしましょう。


さ、今宵はどこに行こうかな。


あ〜、それ〜、それ〜〜〜〜〜〜〜っと♪


 (「血は争えぬものじゃのぉ…。」)
        ↑
   ご先祖さまたちのつぶやき…。

   Twitter…。
 


えっ…?


何か聞こえました…?


……???



(ルーツ おしまい)





いやあ、こんなことを書いてる間に、

もう11月も終わりなんですねえ。

時の経つのは早いもんです。


そして、今週の金曜日は、

月末恒例「A'TRAIN」ライブではありませんか。


でも、また楽しくなりそうですね。

どうぞお出かけください。

「あ〜、それ〜、それ〜〜〜♪」っと盛り上がりましょう。


(「どんなライブなのじゃ…?
  ワシらも連れてってくれぬか。」)



えっ…?


何か聞こえました…?


……???



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 23:03|この記事のURLComments(17)TrackBack(0)

November 16, 2011

ルーツ その4


私の祖祖父の名前は、宮住音太郎さん。

そう、音太郎(おとたろう)。


プッ。

ずいぶん軟弱な名前だこと。


みなさんは、この名前から、

どんな人物像が浮かぶでしょうか。

……。



私の想像はこうです。


酒好きであることは、
祖父の話や父、そして私や息子をみても、
まず間違いはありますまい。

(いやな家系だな…)

さらには、
小唄や長唄の稽古にうつつをぬかし、
三味線なんかも上手に弾いたかもしれない。

(ま、俗にいう優(やさ)男…)

でもって、
毎晩のように遊興費を持ち出しては、
飲み歩く。

(つまり遊び人…)


「あ〜ら、音さんじゃないの。
 ちょっと寄ってかない?」

「おや、お○○ちゃん。
 そうねえ、じゃちょっと飲んで行くか。」


「ねえねえ、音さんったら、
 そんな店やめて、こっちにいらっしゃいよ〜。
 いつもの上手な小唄を聞かせてちょうだいな。
 ね、音さん。うっふん。」

「お△△ちゃんにそう言われちゃあ、
 しょうがねえなあ。
 じゃ、ちょっくら上がらせてもらうよ。」


「まあ、音ちゃんじゃないの。
 うちに来てよ〜、うちに。
 きょうは美味しい肴があるのよ〜。
 久しぶりに音ちゃんの長唄が聞きたいわ〜。」

「おっ、そりゃ美味そうだな。
 じゃぁ今宵は、お□□ちゃんちにしようかな〜。
 うししし。」


とまあ、どう考えても、

こんな人物像しか浮かびません。


そして気前良くポンポン金を使うので、

そこそこの人気者でもあったことでしょう。

これも、その子孫どもを見れば明らかです。


ん…?



そして、
ここが重要なところなのですが、
小唄、長唄、三味線などの腕前も、

かなりの物だったのではないでしょうか。


おい、音太郎、

さては、けっこうモテたな?

ん…?



ということは、

酒がたたって早死にした祖父の新太郎同様、
この人も、
まともな死に方をしていないのではないか…?

そんな不安が頭をよぎります。


で、私は母に聞いてみることにしました。

「ねえ、お母さん、
 この音太郎って人は、
 どんな死に方をしたんだろうねえ。」

すると、こんな返事が返ってきました。

「なんでも、
 酔っぱらって帰って来て、
 家族がとめるのも聞かずにお風呂に入って、
 心臓麻痺だか脳卒中で死んだらしいわよ。」


やっぱりです。

どうしようもない家系です。


あ〜あ…。

……。



しかし…、

私の音楽好きや、
少しばかりはあるかもしれない音楽的な能力は、
この音太郎さんから受け継いだのではないか…。

……。


このときから私は、

そう信じて疑わなくなりました。


小唄や長唄も音楽には違いない…。

そうでないと、つじつまが合わない…。

……。



そう言えば、
死んだ父も「都々逸(どどいつ)」
とやらだけは滅法好きで、
酔うとよく唸っておりましたが、

子供心にも、
「へえ〜、音程がしっかりしてるなあ…。
 なかなかやるもんだなあ…。」
と感心して聞いていた記憶があります。

これも、祖父ゆずりだったのでしょうか…。



きっと音楽が大好きな人だったのでしょうね。

音太郎さん。


孫に「音重」という名前をつけたのも、

この人だったのではありますまいか。


そもそも…、

「音太郎」などというふざけた名前をつけた、
その先代がいけないわけで、

よくよく考えてみれば、
音太郎さんにはなんの責任もありません。



そんな音太郎さんが生まれたのは、

「万延元年」と戸籍には書いてありました。


万延元年(1860年)というと、
明治維新前夜。

勝海舟や福沢諭吉らが、
咸臨丸に乗ってアメリカを訪れた年です。

国内では維新の嵐が吹き荒れ、
幾多の英雄たちが、
歴史に名を残していった時代です。


土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太。
長州の桂小五郎、高杉晋作、宮部鼎蔵。
薩摩の西郷隆盛(吉之助)、大久保利通。

エトセトラ、エトセトラ…。


みな凛々(りり)しい名前ばかりではありませんか。


そんな激動の時代に生まれた子に、

「音太郎」などという軟弱な名前をつけたのは、

どこのどいつだ!


きっとそいつも、

お気楽な遊び人の名前に違いない。

軟弱な名前に違いない。

(そうだ、そうだ。)



というわけで私は、

おそるおそる、

戸籍をもう1枚めくってみました。


と、そこには、

こう書かれてありました。


宮住音太郎  父:宮住千代吉 母:○○



ち、千代吉(ちよきち)だと…?


(やっぱりな…)


……。



(つづく)




いやあ想像以上に、

凄いものを見せてもらいました。

いろんな意味でね…。

サッカー「日本×北朝鮮」戦(@平壌)。


私は、野球ほどサッカーは詳しくないのですが、

「アウエーで戦うのは難しい」という意味が、

初めてわかりました。


そこへいくと、夜のプロ野球日本シリーズ、

「中日×ソフトバンク」戦は、

平和でしたなあ〜。


今日も白熱した、いいゲームでした。



えっ、

お前は今日一日何をしてたんだ、

ですって…?


たしかに…。


……。。。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 00:30|この記事のURLComments(10)TrackBack(0)

November 09, 2011

ルーツ その3


私は幼稚園の後半と小学校1年生の秋までを、

愛媛県の宇和島という所で暮らしました。


宇和島…。

四国の最西端に位置し、
父の生まれた「伊予吉田」からもほど近い、
温暖な気候に恵まれた城下町です。


そして、宇和島といえば、
私は、なんといっても「ジャコ天」が大好き。

あれは、本当に美味しいですねえ。

ダラ〜〜。

(よだれ)



その宇和島に、
父の2つか3つ年上のお兄さんが住んでいました。

そして、
そのおじさんの名前が、
音重(おとしげ)というのです。


ううむ…。

音重…。


こ、これは…、

英語に直訳すると、
「Harmony」(ハーモニー)ではありませんか。


ひょっとして、
この名前をつけた人物は、
よほどの音楽好きだったのでしょうか…。

あるいは音楽家か…。

……。


私のルーツを探る旅に、

ひと筋の光が見えてきたような気がしてきましたよ。



では、父の父、すなわち私の祖父にあたる人は、

なんという名前なのでしょうか…。


と、これが、

宮住新太郎(しんたろう)というんだそうです。


なにしろ酒が大好きで、
それがたたってか40代の若さで死んでしまう。

おかげで家業は没落、一家は離散。

ために小学校までしか教育を受けられなかった父は、
ずいぶんと、この新太郎さんを、
恨んでいたようです。

(だめじゃないか、新太郎!)


生前の父はよく、こうボヤいておりました。

「新太郎さんは無責任だよ。
 いっぱい子供を作ったくせに、
 あんなに早く逝っちゃうなんてさ。

 だからお母さんのおキクさんも、
 ずいぶんと苦労をしてね。
 戦後間もなく死んでしまったよ。
 これも若かったな…。」

(そうか…。私の祖母はおキクさんというのか…。)



でもね、お父さん。


お言葉ですが、そう言うあなたも、

けっこうな酒好きでしたよ。

あははは。



えっ?

俊介、お前もじゃないか、

ですって…?


そういえば…。

……。
 


待てよ…、

息子のあいつも…、

……。



なんか、いや〜な感じがしてきました。


いや〜なDNAが受け継がれているような気が…。


ううむ…。

……。



ちなみに私の父は、清繁(きよしげ)といいます。

ま、この名前も、

あまり音楽のにおいはしませんね。


すると頼みの綱は、

どうしても音重さんということになる。


そういえば…、

幼稚園のとき、
その音重さんの家に遊びに行くと、
たしか「足踏みオルガン」がありましたね。

1956、7年当時、
「足踏みオルガン」などというものは、
学校の体育館か講堂にあるものであって、
一般家庭ではまずお目にかかれないものでした。


ところが…、

この音重さんという人が、
大変な倹約家。

ま、悪く言えばケチ。


だから、
この「足踏みオルガン」にも鍵をかけていて、
私は弾かせてもらえない。

あげくの果てに、こうです。

「おじさん、1回でいいから弾かせてよー。」

「だめだ。お前が弾くと減るから。」

(そんなもんが減るか!)


そして、その家から、
オルガンの調べが聞こえてきたことは、
一度もありません。

とどのつまり、この音重さんも、
とくに音楽好きというわけでもなかったようです。


では…、

なんで…、

そんな名前がついたのでしょうか…。

……。



そんな疑問を抱いたまま月日は流れる。


そして、1999年の3月に、

私の父は亡くなりました。

80才でした。


あわただしい葬儀の合間を縫って、
母は、父の故郷から、
一通の戸籍謄本を取り寄せました。

役所へ届けるために必要なんだそうです。


そして私はこの時、
宮住家の戸籍を、
初めて見ることになりました。

宮住家の歴史…。

……。



すると…、

ああ、ありました、ありましたよ。


宮住清繁  父:宮住新太郎  母:キク

(これだな、新太郎というのは…。)


そして私は、
おそるおそる、
もう1枚めくってみる。


とそこに…、

あっと驚くような名前が記されておりました。


それは、

新太郎さんのお父さんの名前です。

つまり私の祖祖父の名…。


そう、そこには、

こう書かれてありました。


宮住新太郎  父:宮住音太郎  母:○○



お、音太郎(おとたろう)だと…?


なんだ〜、その名前は〜〜!?


……???



(つづく)




今年の11月は、

例年になく仕事が少ないです。


「もっとライブをやってくださ〜い。」
というファンのお声もたくさん頂戴しますが、

「こっちだってやりたいんですよ〜。」
とお答えするしかありません。


これも震災の影響でしょうね。

クリスマス・イルミネーションの点灯式といった、
派手なセレモニーは自粛しましょう。
そんな空気が流れているのでしょうか。

ま、それも仕方ありません。


こういうときは気持ちを切り換えて創作です。

そしてレコーディングだ。

どんどん楽曲をためていきましょう。


明日のためにね。


そうだ!

そうだ、そうだ!!

そうだ、そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!!!


(やや自虐的か…..)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:37|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)

November 01, 2011

ルーツ その2


私は小さい頃から音楽が大好きでした。

というか、

大好きだったそうです。

ん…?


母親に連れられて「銭湯」に行くと、
「雪の降るまちを」などというマセた歌を、
ガキのくせに、大きな声で歌っていたそうです。

その度に、一緒に湯舟につかっているおばさん達から、
「あら、そんな難しい歌をよく歌えるわねえ。」
とお誉めにあずかって得意になっていたと、
よく母に言われました。


そういえばあれ、
短調と長調が代わりばんこに出て来る、
なかなか難しい曲なんですよね。

(へ〜…、そんな曲歌ってたんだ…。)

ふ〜ん…?



小学校に入ると、

音楽の授業で聞かされた、
ハイドンの「おもちゃの交響曲」というのにハマり、
そのレコードがどうしても欲しくて、

「そんなものはいらん。」
という父親に何度も何度もせがんで、
ついにレコード・プレイヤーとやらを手に入れてしまう。


ピアノ(というか最初は電子オルガン)を習い始めたのは、
小学校の2年生のときです。

そのあたりのいきさつは、
私のプロフィールにも詳しく書いてありますが、
このときも父親は渋々(しぶしぶ)だったような気が…。

……。



中学校に入ると、

「レコード買いまくり時代」というお話にも書いたように、
音楽がないと生きていけないほど夢中になり、
ありとあらゆる音楽をむさぼるように聞きました。

クラシック、ビートルズ、モータウン、ボサノバ、
カンツォーネ、シャンソン、タンゴ、ラテン、
グレン・ミラー、ナット・キング・コール、
歌謡曲、ハナ肇とクレージー・キャッツ…。

もうなんでもあり。

早くも雑食の傾向ありあり。



高校では、

ドアーズ、クリーム、ジミヘン、レッド・ツェッペリン、
といったニュー・ロック、アート・ロックにハマり、

そして最後はジャズに狂う。


だから大学ではジャズまくりの毎日…。


そして社会人になってからも、
音楽プロデューサーという名の下に、
いろんな音楽制作に携わり、

今日に至る。

……。



つまり、

まさに音楽漬けの人生だったわけです。

(まだ終わってないぞ)



だから…、

私はよく、こんな質問をされます。


でも、その度に、

私はこう答えるのです。


「宮住さんのご両親は、さぞや、
 大変な音楽好きでいらっしゃるんでしょうねえ。」

「いいえ。」

「……。」



「宮住さんの家系には、
 きっと優れた音楽家が、
 たくさんいらしたんでしょうねえ。」

「ぜんぜん。」

「……。」



「宮住さんは小さい頃から、
 さぞや素敵な音楽に囲まれて、
 お育ちになったんでしょうねえ。」

「まさか。」

「……。」



そうなんです。


両親はおろか、
親戚中を見渡しても、
およそ音楽好き、音楽に関係のありそうな人は、

皆無といっていい家系なのです。

……。



まずは母方ですが…、

男6人、女4人という大所帯の3女に生まれた母は、
私がピアノを弾いていても、
ステレオに耳を傾けていても、
まったくと言っていいほど無関心…。


そのほとんどが香川県に住んでいる、
おじさん、おばさんの家に行っても、
ステレオやピアノ、オルガンはおろか、

およそ音の出るものに出会ったことがない。


唯一、

母の2つ下の妹の美智子さんというおばさんが、
石原裕次郎が大好きで、
彼のシングル盤を小さなプレイヤーで聴いていた…。

ま、そんなことくらいしか記憶にありません。



すると…、

私の音楽好き、
あるいは少しばかりは持ち合わせているであろう、
音楽的な能力は、

どうしても父方にそのルーツを探すしかありません。



しかし…、

父もまた、

音楽ファンとは言い難い人でした。


というか、

私が音楽の道に進むのを、
終生反対しておりました。


「ピアノなんて女がやるもんだ。」

「男は格闘技だ。剣道をやれ、いや柔道でもいいぞ。」

「音楽でメシが食えるか。」

「音楽なんて聴いてるヒマがあったら、
 勉強しろ、勉強。」


とまあ、小さい頃から、

こんな暴言の数々。



ですから、

父方の兄弟、姉妹にも、

ま、ほとんど期待はできませんね。

(父もまた、男5人、女4人という大所帯の、
 3男と聞きました。
 昔は子だくさんだったんですねえ…。)



となると私は、

突然変異なのか…。


それとも、どこぞから拾われて来た、

孤児なのか…。


(そういえば父は、
 私が悪さをすると、
 よくこう言って私をなじっておりました。

 「お前はどうせ拾って来た子なんだから、
  どこへでも行って、好き勝手に暮らせ。」)



しかし…、

待ってくださいよ…。


私は、

父の2つか3つ上のお兄さんに、

こんな名前の人がいるのを思い出したのです。


そのおじさんは…、

そう、たしか、

こんな名前でした。


宮住 音重。

……。



音重(おとしげ)だと…?


ううむ…。


……。



(つづく)




先日、北杜夫さんがお亡くなりになりました。

私、学生の頃から大ファンでした。


「どくとるマンボウ航海記」

「どくとるマンボウ途中下車」

「どくとるマンボウ青春記」


暗記するほど読みましたね。

あの独特のユーモア・センスが大好きでした。


厳格だったという父、斎藤茂吉から、

あのようなユーモアに溢れた子供が生まれるとは…。


これも反動なのでしょうか。



私の父も厳格で頑固一徹な人でした。

だから私も反動でこんな人間になりました。

あははは。



ん…?


待てよ…?


私の息子は、

なんか私にソックリちゃんですよ。


反動しなかったのでしょうか…?



ううむ…。


わからん…。


……???



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:37|この記事のURLComments(12)TrackBack(0)

October 23, 2011

ルーツ


私はプロ野球観戦が大好き。


かつてこのブログでも、
「山田投手と私」というエッセイを書き、
一部で、ちょこっとだけ盛り上がりましたね。

山田投手といえば、
70年代、阪急ブレーブス黄金時代に大活躍した、
大エース投手、

あの、山田久志投手のことです。

(現在、阪神の次期監督の候補になってるそう…)


というわけで私は、
昔は阪急ブレーブスの大ファンでした。

その後、オリックスに身売りされても、
イチローという不世出の選手が出現したため、
そのままオリックス・ファンとして、
何度も球場に足を運んだのでした。

オリックスのメガホンと小旗を持ってね。

アハハハ。


ま、今となっては懐かしい思い出です。



ただし、そのイチローがメジャーに行ってからは、

特に応援するチームもないので、

今は時々テレビで見るくらいですか…。

……。



で、なんでこんな話を始めたかというと…、

「日本のプロ野球選手には珍しい名前が多いなあ…」

と、思い始めたからなんです。



例えば、
その昔、一世を風靡した、阪神タイガースの掛布選手。

その後も私は、
掛布(かけふ)という名前の人に会ったこともなければ、
新聞やテレビで見たこともありません。

もっと昔には、
景浦(かげうら)、別当(べっとう)など、
阪神には珍しい名前の “強打者” がズラリ。


逆に広島カープには、
珍しい名前の “大投手” がたくさんいましたね。

安仁屋(あにや)、外木場(そとこば)、
そして、北別府(きたべっぷ)。

みな当時は「エース」と呼ばれた大投手ばかり。


私が少年時代の東映フライヤーズ(今の日本ハム)には、
毒島(ぶすじま)なんていう、
変てこな名前のスラッガーもいました。


まだまだいますよー。

衆樹(もろき:阪急)
当銀(とうぎん:阪急)
仰木(おうぎ:西鉄)
玉造(たまつくり:西鉄)
西園寺(さいおんじ:東映)
本屋敷(もとやしき:阪急)
天保(てんぽ:阪急)
才所(さいしょ:巨人)
法元(ほうもと:中日)
源五郎丸(げんごろうまる:阪神)
湯舟(ゆふね:阪神)
音(おと:中日)


最近では、

丸(まる:広島)、梵(そよぎ:広島)

なんて名前も、
ちょっと普通ではお目にかかれませんね。



で、

なぜこんなことを言いだしたかというと、

私の家系も相当に珍しい名前だからです。

……。



まず母方。

このエッセイにも何度か登場した母の故郷は、
四国は香川県にある、庵治(あじ)というところ。

雄大な屋島を仰ぐ、美しい瀬戸内海に面した、
平家の落人村として知られる小さな漁村です。


そして、その実家の姓は、
「兜(かぶと)」というのですから、

ま、屋島の戦いで源氏に敗れて、
命からがら逃げのびた「平家の落ち武者」と考えて、

まず間違いはありますまい。



では父方はどうか…。


「宮住(みやずみ)」という名前も、
かなり珍しいように思えますね。

そんな父の生まれ故郷は、
これまた四国は愛媛県にある、
伊予吉田というところなんだそうです。


「なんだそうです」とはまた、
ずいぶん無責任な言い方で申し訳ないのですが、

父が小学生のときに没落し、
一家離散の憂き目にあったそうなので、
今は存在しないからなのです。


したがって、そのルーツは、
生前の父の話を鵜呑みにするしかないのですが、

こっちはどうやら「源氏の落ち武者」らしい…。


平清盛によって滅ぼされた源氏の落ち武者たちが、
瀬戸内海を西へ西へ、
豊後水道から四国の最西端に逃げ延びた場所が、

宇和島という市の北に位置する、
「伊予みかん」の栽培で有名な、
伊予吉田という小さな村。

……。



少々ややこしくなってきましたが、

わかりやすく言うと、こういうことです。


まず初めに、
平家が源氏を滅ぼす。

源氏の落ち武者たちはあちこちに逃げ散り、
そのひとつが伊予吉田に逃げた父のご先祖の宮住さん。


その後、源頼朝が再び旗を挙げ、
今度は平家を屋島、壇ノ浦に追い込み、
滅ぼしてしまう。

その時、香川県の庵治に逃げ込んだのが、
母の実家の兜さんのご先祖さま。



つまり私のご先祖は、

どっちも「落ち武者」ということになります。


そう私は「落ち武者」同士の末裔。


なんとも寂しい感じがしますなあ。


あははは…。

(力のない笑いだ…)



ということは、

私のルーツはまぎれもなく、

南国四国ということになりますね。


まてよ…、

元々はどっちも京(京都)にいたのかな…?

ううむ…?



ま、どっちでもいいや。

あはは。


いずれにしても、そんな父の実家は、

当然私が生まれた頃には、
もはや存在しておらず、

物心ついても、
転勤の多い父の仕事の関係上、
あちこちに移動するという生活環境でしたから、

残念ながら、私そのものには、
「四国が故郷」という感覚はありません。


父方の先祖の墓参りはおろか、

そんなものが存在するのかすら知りません。

……。



さらに、四国での生活はというと、

松山に1年(幼稚園)
宇和島に1年半(幼稚園〜小学校1年の秋)
徳島に2年半(小学校1年の秋〜3年)

つまりこの5年間しかないわけですから、


「私は四国の出身です」というのも、

なんだか四国に人に申し訳ないような気がします。

……。



とすると…、

一体私はどこから来た…、

何者なんでしょうか…?


さらには、

この音楽大好き人間、

音楽がなければ到底生きていけない人間は、

一体いかなる環境から生まれ育ったのでしょうか…?



ということで、

ここからしばらく私は、


「自分探しの旅」に出ることを決意致しました。



この先いかなる悲しい現実を知らされようと、

どんなアホなご先祖様に遭遇しようと、

決してひるむことなく、


自分を見つめてみようと思い立ったのです。



ちょっぴり恐いけど…。


むむ……。


大丈夫か……。


……。



(つづく)




おかげさまで、

「jammin' Zeb / STB139 4days」

4周年記念ライブも、

大盛況のうちに終えることが出来ました。


本当に、4日間とも大変な盛り上がりで、

いつのまにかジャミンも、

「ああ、こんなにも、
 たくさんの方に愛されるグループになったんだなあ…。」

と、感無量の毎日でございました。


みなさん、ありがとうございました。


♡♡♡



というわけで、休む間もなく、

今週からはいよいよクリスマス・シーズンに向けての、

準備、練習に入ります。


28日(金)には、

さっそく「クリスマス・ツリー点灯イベント」

もありますしね。(イオンモール川口前川)



まてよ…。


その日の夜は、

私の「A'TRAIN」ライブではないか…。


ということは、私は掛け持ち…。


ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜っ。


(といいながらヤル気まんまん)



むふふ。


……。



SHUN MIYAZUMI



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October 16, 2011

ビル・エヴァンス大研究 最終回


あれは、1973年のことだったんですねえ。


1973年というと、私は大学3年生。

かつて「ジャズまくり時代」というお話にも書きましたが、
その頃の私は、
プロのジャズ・ピアニストになりたくて、
夜な夜な六本木や赤坂のジャズ・クラブに入り浸り。

大学などそっちのけで、
ピアノの修行や、演奏活動に明け暮れていた、
不良学生真っ盛り時代。


そんなとき飛び込んできた嬉しいニュース。

あのビル・エヴァンスが初めて来日するというのです。


すぐさまチケットを入手した私は、
芝公園の近くにある「郵便貯金ホール」の最前列に陣取り、
胸躍らせながら彼の登場を待ちました。

幸いにも検問で発見されなかった録音機器を、
カバンの中でそっとセットしながら…。

(良い子のみなさんは真似しちゃいけませんよー。)


「どんな弾き方をするんだろう…?」
 (ドキドキ)

「どんな曲をやってくれるんだろう…?」
 (ワクワク)


そして、場内の明かりが落ち、
司会のアナウンスでメンバーが一人一人登場です。

「ドラム、マーティー・モレル!」
 (パチパチパチ)

「ベース、エディ・ゴメス!」
 (パチパチパチパチパチ)


そして…、

「ピアノ、、、 ビル・エヴァンス!!!」
 (パチパチパチパチパチパチパチパチパチ)



みなさん黒のタキシードに身を包み、
それはそれはクラシックのコンサートのような、
厳粛なムードの中での登場でした。

エヴァンスもまた、
あの「Bill Evans at Town Hall」のジャケット写真の如く、
髪をオール・バックにし、
優雅にピアノの前まで歩いて来て、

ピアノの端に左手を置いて、
丁寧におじぎをする。


そう、ここまでは、
まったくクラシックのコンサートと同じ雰囲気です。

場内みんな固唾をのんで見守っている。

たくさんの女性ファンも緊張の面持ちで、
ステージを見つめています。


そして彼は、
おもむろにピアノに向かい、
静かに両手を鍵盤の上に乗せた…。

……。


と、そのとき、
彼がとったポーズは…、

_AA300_


私は思わず「イエーイ!」と叫んでしまいました。

(やっぱりジャズだ…。)



でも、やっぱり、
エヴァンスはエヴァンスでした。

美しいタッチ。
ロマンチックなフレーズ。
優雅なハーモニー。


レコードでしか知らなかった本物のエヴァンスが、
この夜も素晴らしい演奏を繰り広げたことは、
言うまでもありませんね。

今思い出しても身震いがするほどの感動でした。

♪♪♪



さて、その後の私は、

ジャズ・ピアニストになるのを断念。

アルファというレコード会社に入社し、
ポップスやニュー・ミュージックやフュージョン、
といったレコード制作の道を選ぶことになります。


で、これがまた面白くて、
ついついジャズを忘れがちな毎日だったのですが…、

そんな1980年の9月に、
再びビル・エヴァンスが来日するというニュースを、
知りました。


その頃は結婚もしており、
ときどき家で、
ジャズのレコードをかけていた程度の私だったのですが、

普段あまりジャズには関心を示さない彼女が、
「ビル・エヴァンスだったら行きたい。」
と言うので、

「こりゃ珍しいこともあるもんだ…。」
と、コンサートのチケットを2枚手にして、
来日を楽しみにしていたのです。


ところが…、

その来日を1週間後に控えたある日の新聞を見て、
私は愕然としました…。


「ジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス氏死去。
 享年51才。」

「………。」



長年にわたる飲酒と薬物使用で、

彼の体はボロボロになっていたんだそうです。


最愛の妻だったはずの夫人を捨て、
別の女性と出来てしまったがために起きた、
妻の自殺が原因か…。

最愛の兄の謎の拳銃自殺が原因か…。


彼の友人は、こうも言っています。

「彼の死は、時間をかけたゆるやかな自殺だ。」

「……。」



私のような凡人に、
彼の心の中を推測することは不可能ですが、

ジャズに新風を吹き込み、
あらゆる角度からジャズの可能性を大きく前進させた、
いわば革命児、先駆者、創造主とも言うべき、
彼の私生活は、

実はおそろしく孤独で、
生涯をかけての内面との戦いだったのでしょうか…。


かつての偉大な芸術家たちがそうであったように…。

……。



さ、まだまだ書きたいことはたくさんありますが、

今回はこのへんにしておきましょうか。


最後は彼の遺作ともいうべき、

この上もなく美しいアルバムを聞きながら、

この偉大なピアニストを偲びたいと思います。


なんといっても「秋」は、

エヴァンスを聴くには最高の季節ですからね。



『You Must Believe In Spring』

BelieveInSpring

1. B Minor Waltz
2. You Must Believe In Spring
3. Gary's Theme
4. We Will Meet Again
5. The Peacocks
6. Sometime Ago
7. Theme From M*A*S*H
8. Without A Song
9. Freddie Freeloader
10. All Of You


かつて「トミー・リピューマ」というお話でも、
紹介させていただいたこのアルバムは、

死地に向かうエヴァンスの、
究極の美であり、最後のお別れとも言うべき、
最高の名演ではないでしょうか。


今の彼の魂が安らかならんことを祈って…。


ご愛読ありがとうございました。


……。



(ビル・エヴァンス大研究 おわり)




さあ、今週はいよいよ始まります。

『jammin'Zeb / STB139 4Days』


「ちょっぴり大人で、シックでエレガントな秋の夜」


ううむ…。

大きく出たなあ…。

期待度マックスだなあ…。

責任重大…。

……。



というわけで今回は、

今までのジャミンにはなかった、
さまざまな新しい試みにも恐れず挑戦。

新曲、まさかの曲、おなじみの曲が、
どんな色合いで登場してくるのか…。

わくわく…。

……。



では、みなさん、

STBでお会いしましょうね。


久しぶりに吠えてみようかな…。


ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!


(……。)



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:26|この記事のURLComments(22)TrackBack(0)

October 08, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その9


「ビル・エヴァンス大研究」も、

気がついてみると9回目になるんですねえ。


本当はもっと短い連載のはずだったのですが、
私が最初にジャズの洗礼を受けた人だけあって、
やはり思い入れが強いのでしょうか…。

ついつい長〜いお話になってしまいました。


でもまあ、ここまできたら最後まで行っちゃいましょう。

ジャズに興味の無い方には、
つまらないお話かもしれませんが、
あと少しだけおつきあい下さいませ。



さて、ビル・エヴァンスのサウンドの魅力は、

ひとつには華麗なアドリブ・フレーズ。


そして、それにも増して重要なのが、
考えぬかれたコード・チェンジによって作り出される、
優雅なジャズ・ハーモニーのロマンチックな世界です。

クラシックの名ピアニストたちをも唸らせた、
彼独自のハーモニー感覚は、
古いスタンダード曲に新たな魅力を与え、
再び現代に甦らせたといっても過言ではありません。



一例をあげましょう。

このシリーズの1回目に紹介した、
『Bill Evans at Town Hall』というアルバムの1曲目、

「I Should Care」という曲の最初の部分ですが、
これって、原曲はこんなコード進行です。

 F♯m7(♭5)/ B7 | Em7 / A7  |
    Dm7 / G7  |   C   |


これをエヴァンスは、
こんなふうに変えてしまいました。

  C7(6)/ B7(6) | B♭7(6)/ A7(6)|
  D7(♯9)/ G7(6) |    C(6・9)   |


原曲では4度進行、エヴァンスのは半音進行。

その代わり左手の3和音が、
“4度の形”でスライドしながら下降して行くという、
斬新なアプローチを試みています。

(お近くにピアノのある方は、
 下から「B♭・E・A」つまり「シ♭・ミ・ラ」
 という3和音を押さえてみて下さい。
 これをこの形のまま半音ずつスライドさせるのです。)


こうすることによって、
この古い古いミュージカルのスタンダード曲が、
見事にコンテンポラリーなサウンドに、
生き生きと変身したのです。


エヴァンスは、このように、
モダンなコード・チェンジを加えることによって、
次々とスタンダード曲をより魅力的にしていったのですが、

それは特にバラード曲において、
素晴らしい効果をあげることになりました。



というわけで、

ここからはジャミン・ゼブのお話。



じつは私もジャミン・ゼブのアレンジをするにあたって、

ビル・エヴァンスの「手法」を、
時々参考にさせてもらっています。


例えば、

アルバム『Garden』に収められている、
「Polka Dots And Moonbeams」という曲。


これはエヴァンス自身も演奏しておりますが、
原曲はいたってシンプルです。

F / Dm | Gm7 / C7 |
(A country dance was being held in a garden)

F / Dm | Gm7 / A7 |
(I felt a bump and heard an oh beg your parden)


これをエヴァンス風に変えるとこうなります。

F / Dm7 |B♭ / C7(11) |

Am7 / Dm7 |Gm7 / Em7・A7|


ま、こんなのは序の口。


さらにコードは次第に複雑に変化をし、
最後の部分なんかは、
もう1拍ずつコードが変わる展開。

転調こそしてはおりますが、
ざっとこんな感じです。

G・D/F♯・Em・G/D |
(Now in a cttage built of)

Cmaj7/ C♯7(11)・F♯7|
(ilacs and laughter)

Bm・F♯/A♯・Dm7/A・G7(6) |
(I know the meaning of the)

C(6) / F♯m7(♭5)・B7 |
(words ever after)


そして優雅なクライマックスに突入していく。


どうです。

最初の形と最後のそれは、

もはや全然別の次元にいることが一目瞭然ですね。


しかもメロディーはまったく同じなのに…。

(そう、メロディーはまったく同じなんだ…。)



もちろんこれは、
エヴァンスの完全なコピーではなく、
私自身の創作によるコード・チェンジも、
随所に含まれています。


そんなときでも、まず私が考えることは、

「今のエヴァンスだったら、
 ここをどういう風に変えるかなあ…?」

ということ。



そう、こうしたバラードのアレンジをするときには、

やはりエヴァンスを意識してしまうことは否めませんね。


コードを細かく分解することによって、
また素敵なテンション・ノートを加えることによって、
より緻密で、
よりロマンチックで、

そして、
よりドラマチックな世界が作れるのですから…。


こうしたアプローチは、
エヴァンス大先生によって、
大いに学ばせていただきました。

エヴァンス先生ありがとう!



そしてそのアプローチは、
ジャミン・ゼブのビロードのようなサウンドにも、
実にうまくブレンドするのです。


「都会的」「洗練された」「上品な」「ビロードのような」


ジャミン・サウンドもまた、
こうした表現をされることがままありますが、

よくよく分析してみると、
エヴァンスを意識したコード分解の恩恵と、
言えなくもありませんね。



もちろん、どの曲もというわけではありませんが、
主にバラード曲をアレンジする場合、

例えば、

「Alfie」(『Garden』)
「The Christmas Song」(『Gift』)
「Someone to watch over me」(『Dream』)

などでは、

なんとか「エヴァンスになりきろう」と試みる私…。


「ううむ…。
 ここはエヴァンスだったらどう展開するだろうか…?」

「まてよ、このコードは平凡だな。
 エヴァンスだったらどんなコードを使うだろうか…?」


などと暗中模索…。


そして苦しみ、苦しみ、苦しみぬいて、
そのあげく、
素敵なコード・チェンジや展開が閃いたときの喜びは、

筆舌に尽くし難い喜びが待っています。


「やったー! やったー! 
 これだ、これだ、これだ!
 わーい、わーい、わ〜〜〜〜〜い!」

と部屋中を狂喜乱舞で踊り狂ってる私の姿は、

知らない人が見たら、
相当おかしな人間に思われることでしょうね。


あははは。

知るか。

あはははははははははは。


ん…?



でね…、


かなり手前味噌になりますが、

その最も顕著な例は、

やはり『Garden』に収められている、
「Nuos Voyageons de Ville En Ville」(町から町へ)

という曲でしょうか。



もちろんこれは私の独断で書いたアレンジですが、

今にして思うと、

よくもこんな面倒くさいアレンジをしたもんです。


(あのときのエネルギーはどこから生まれたんだろう…?)



特に、テーマが終わって、
短いピアノのインターバルのあとに延々と繰り広げられる、

「ダダバダ ダダバダ ダダバ 
 ダッダッダッ ダッダッダッ」

ではじまる、
すごい「コーラス・ワークの品評会」のような部分は、

気が狂いそうになりました。

(あ〜あ、なんてもん始めちゃったんだろう…?)



しかしもう、ここまで書いたら後へはひけない。


と、ここにエヴァンスの姿がこつ然と登場する。


「くそ、このあとどう展開するんだ…。
 エヴァンスだったらどう逃げ切るんだ…?」

「ああ煮詰まった。
 エヴァンス先生助けて下さい。
 あなただったら、
 ここはどんなコード進行でいきますか?」

「まてよ、ここはこっちのほうがカッコいいな。
 うん、きっとエヴァンスだったらこうするだろう。
 うん、そうだ、うん、うん…。」


とまあ、こんな感じで、

何かに取り憑かれたように夢中で書き上げたのでした。

ふう〜…。

……。



もっとも、エヴァンスが今生きていてこれを読んだら、

「くくく。君もまだ未熟だね。
 僕だったら、ほら、こういうサウンドを使うね。」

と言われるかもしれませんが、

まあ、それはそれで仕方のないこと。


ますます精進あるのみですがね。

ぽりぽり…。(と頭をかいて逃げよう…)


ん…?


……。




あら、かなり専門的な話になってしまいましたね。


ま、エヴァンス大先生の偉大さを、

少しでもご理解いただければ幸いと思い、

あえて書かせていただきました。


ご容赦…。



もし、ジャス・ピアノを習ってる方や興味のある方で、
これを読んで、
さらに詳しく知りたい方がいたら、

どうぞ月末の「A'TRAIN」ライブにお越し下さい。


時間のある範囲で、
私のわかる範囲で、

レクチャーいたします。




それにしても、

ビル・エヴァンスのピアノが、
一番似合う季節は、

やはり「秋」じゃないでしょうか。



夏の華やかさや喧噪から解き放たれ、

一抹の哀愁と寂寥感が漂う秋。


センチメンタルでメランコリーな彼のピアノ・サウンドが、

なぜか心にしみてくるのは、

私だけでしょうかね…。



そしてジャミンもまた、

10月18日から始まる「STB 139」4Daysにおいて、

そんな秋を思わせる曲をたくさん用意致しました。


ちょっぴり大人で、シックでエレガントな夜を、

うまく演出できたらいいのですが…。

……。



さあ、このシリーズもいよいよ次回が最終回。

これまた有終の美を飾れますでしょうか。


(責任重大だぞ…。)


ううむ…。


……。



(つづく)




先週の土曜日は、
6時に起きて高崎遠征。

翌日曜日は、
やはり6時起きで名古屋。

そして明日(10/9)は、
これまた6時起きで初の岡山、倉敷遠征です。


まさに「町から町へ」を実践している、
わがジャミン軍団。


でも、たくさんの新しい出会いは、
本当に素晴らしいことですね。

幸せを感じながら、
大いに湧かせて来たいと思っております。

がお〜〜〜〜!


そして、美味しい物との出会いもね。


ウッシッシ。


ダラ〜〜〜〜〜。

(よだれ)



2011100314300000


(本日のおまけ。
 今回やっと食べられた名古屋のきしめん。
 美味しかった〜〜〜〜〜〜。)


ダラダラ〜。

(よだれ)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 22:00|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

September 28, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その8


これはあくまで私の推論ですが…、

名だたるクラシックの名ピアニストたちが、
ジャズに興味を持ち、ジャズの演奏に憧れた背景には、

ビル・エヴァンスの存在が、
大きく影響していたのではないか…。

私はそう思っています。



何度も申し上げている通り、

ジャズはアメリカの黒人たちによって作られました。


そして、その花形の楽器といえば、

“サッチモ” ことルイ・アームストロングや、
ディジー・ガレスピー、マイルス・デヴィスに代表される、
トランペット。

チャーリー・パーカーに代表されるアルト・サックス。

コールマン・ホーキンスやソニー・ロリンズに代表される、
テナー・サックス。


つまりは管楽器でした。



しかし、ジャズにおけるピアノの存在といえば…、

リズム・セクションの一人として、
がっちりリズムを支える。

管楽器プレイヤーが演奏しやすいように、
巧みにバッキング(伴奏)をする。

そしてソロが回って来たときだけ、
アドリブによるソロで花を添える。

ま、いわば裏方さんだったわけです。


しかもその多くは、

ファンキーで、
ブルース・フィーリングに溢れた、
黒人ピアニスト。


「イエ〜、メ〜ン♪」
なんて、お下品な言葉を発しながら、
グいグいブルージーにスイングする黒人たちに、
眉をひそめるご婦人も多かったろうと推測しますし、

仮に興味を持ったとしても、
クラシックとは水と油のスタイルですから、
なかなか白人には真似の出来ない音楽だったと思います。

(私は、けっこう得意ですがね。
 この ♪イエ〜、メ〜ン♪ なジャズ。
 アハハハ。)



と、そこに…、

ビル・エヴァンスという白人ピアニストが、

颯爽と登場してきた。


イエ〜、メ〜ン♪

(違うから)



その風貌は、
長身でハンサムでもの静かで、
ナイーブな芸術家の香りを漂わせ、

そのハーモニーは、
ドビュッシーやラヴェルといった、
優雅なフランス近代音楽をも彷彿とさせ、

そのアドリブ・フレーズは、
まるでショパンやラフマニノフのごとく、
甘く流麗で華麗。



キャー、素敵〜。

こんなの弾いてみた〜い。


とまあ、
すべてにわたって、

それまでのジャズ・ピアニスト、
いやジャズ・プレイヤーの概念を、
根本から覆すセンセーショナルなデビューではなかったか。

そしてクラシックしか知らなかった、
若きピアニストたちが憧れてしまう存在ではなかったか。


私はそう思うわけです。



ま、その後、

ハービー・ハンコック、チック・コリア、
そして、キース・ジャレットといった、
新しい感覚のすごいピアニストたちが、
続々と出現するわけで、

そうした音楽を先に体感した若い人たちにとっては、
ビル・エヴァンスの演奏を後から聞くと、
今となっては物足りないかもしれませんが、


「1950年代当時、
 こんなスタイルで演奏していたピアニストは、
 彼を置いて他にはいなかった!」


このことを、もっともっと重要視すべきではないか。


最近エヴァンスを再認識している私は、

声を大にして言いたいですねえ。

(そうだ、そうだ)


ん…?




さて、そんなビル・エヴァンスには、

もうひとつ偉大な功績があります。


それは…、


「ピアノ・トリオという演奏形態を花形にした」

ということです。

(これも世間ではあまり言われておりませんが…。)



前述したように、
ジャズの花型楽器といえば、
あくまで管楽器でした。

そしてジャズという音楽のスタイルは、
簡単なテーマの後、
みんなでアドリブ合戦をする。

つまりインプロヴィゼーションが主であり、
ピアノはあくまでリズム・セクションの一部でした。



しかしエヴァンスが、

ピアノという楽器を主役にしてしまった。


「ピアノ」「ダブルベース」「ドラム」というトリオが、
こんなにも新鮮で、
無限に拡がる音楽空間を作れるということを、
最初に教えてくれたのが、

このビル・エヴァンスではなかったか。


私はそう信じて疑いません。



おや、また長くなっちゃいましたね…。

ま、このお話は次回さらに掘り下げてみるとして、


きょうは最後に、

彼が人生をかけて、もう一つのテーマとして追求した、

「対話」(Conversation)


つまり単なるアドリブ合戦に終わる事のない、
プレイヤー同士による、
深い内面の “インタープレイ” にスポットをあてた、
いくつかの名盤をご紹介してみましょうか。


特徴的なのは、

これまた先程申し上げた、
トランペット、アルト・サックス、テナー・サックス
といった、

ジャズの花型ではない楽器の演奏家ばかりを選んでいる、
ということでしょうか。


題して、

ビル・エヴァンス対話集。



『What's New』( with Jeremy Steig)

_SS500_

1. Straight No Chaser
2. Lover Man
3. What's New
4. Autumn Leaves
5. Time Out For Chris
6. Spartacus Love Theme
7. So What

フルートという楽器は、
ジャズの世界ではあくまでマイナーです。

このジェレミー・スタイグという人も、
このアルバムを聞くまではまったく知りませんでした。

1曲目の「Straight No Chaser」では、
火を噴くようなインタープレイが聞かれます。

ただしこれは「対話」というよりは「激しい討論」。
ときには「ののしり合い」のように感じるのは、
私だけでしょうか。

あはは。




『AFFINITY』(with Toots Thielemans)

_SL500_AA300_

1. I Do It For Your Love
2. Sno' Peas
3. This Is All I Ask
4. The Days Of Wine And Roses
5. Jesus' Last Ballad
6. Tomato Kiss
7. The Other Side Of Midnight (Noelle's Theme)
8. Blue And Green
9. Body & Soul

ジャズ・ハーモニカといえば、
昔も今もこの人が第一人者。

そう、トゥーツ・シールマンスさん。

この「対話」は、
釣りを極めた二人の名人が、
「フナ」なんか釣りながら、
静かに人生を語り合ってるような趣き。

渋いですよね。




『Undercurrent』(with Jim Hall)

_AA300_

1. My Funny Valentine
2. I Hear A Rhapsody
3. Dream Gypsy
4. Romain
5. Skating In Central Park
6. Darn That Dream
7. Stairway To The Stars
8. I'm Getting Sentimental Over You
9. My Funny Valentine (alternate take)
10. Romain (alternate take)

これは2009年の私のエッセイ、
「ジム・ホール」でもご紹介しましたね。

ジム・ホールというギタリストも、
このアルバムを聞くまでは、
私の中では、なんとなく地味な存在でした。

二人の名人によるデュオはまさに人間国宝級。

特に、1曲目「My Funny Valentine」は歴史的名演で、
究極のインタープレイと、
全世界から絶賛されました。




『Intermodulation』(with Jim hall)

_SS500_

1. I've Got You Under My Skin
2. My Man's Gone Now
3. Turn Out The Stars
4. Angel Face
5. Jazz Samba
6. All Across The City

『Undercurrent』というアルバムは、
1曲目を除くとやや静かめで内向的な世界。

そこへいくとこの続編は、
全体的にもっと楽しく明るい「対話集」です。

私的にはこっちのほうが好きかな…。




『Conversations With Myself』

_SS500_

1. 'Round Midnight
2. How About You?
3. Spartacus Love Theme
4. Blue Monk
5. Stella By Starlight
6. Hey, There
7. N.Y.C.'s No Lark
8. Just You, Just Me
9. Bemsha Swing
10. A Sleepin' Bee

おやおや、エヴァンスという人は、
対話をしたい相手が見つからないときは、
自分自身で対話しちゃうんですねえ。

究極のナルちゃんだなあ…。

といっては失礼ですが、
一人多重録音によるピアノという前代未聞の企画も、
難なく芸術的な位置まで高めてしまえるあたりが、
エヴァンスのエヴァンスたるところでしょうか。



秋の夜長に、

いかがでしょう。


ぴったりだと思いますよ。



メランコリ〜〜♪



ん…?



(つづく)




ちょっと間が空いてしまいました。

失礼致しました。

なんとも忙しくて…。

(ひや〜っ…)


10月のSTB、高崎、名古屋、岡山、倉敷。

その準備に忙殺されておりました。

(どどど…)


「工程表」なんか作っちゃって、

6日間食事もそっちのけで作業、作業、作業。

おかげで腰痛復活。

(むむ…)



でもまあ、少し落ち着きました。

(ほっ…)


そんでもって、
今週の金曜日は「A'TRAIN」ライブですね。

これはご褒美かな…。

(むふふ…)



というわけで、

イエ〜、メ〜ン♪ なピアノで、

お待ちしております。

(ん…?)



(私の内なる対話あれこれ集…)



……??



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 13:38|この記事のURLComments(11)TrackBack(0)

September 19, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その7


ジャズやロックを演奏するには、

“リズムが安定していること”

これが必要不可欠条件です。


リズム感の悪い人やリズムの不安定な人は、
ジャズやロックを上手に演奏することは出来ません。

最初にテンポを決めたら、
そのテンポやリズムが揺らぐことなく、
その中で、最大の感情表現をもって、
“グルーヴ(乗り)のある” 演奏を心がけねばなりません。



ところが、クラシックの世界では、
必ずしもそれが最優先とは言えない場合もあるようですね。

リズムやテンポ・キープよりも、
“感情表現の方が優先される”

そんな演奏もよく耳にします。


こういう演奏は、

私には受け入れられません。


せっかく気持ちよく乗っているのに、
急にテンポを崩して、リズムが無くなって、
必要以上に感情表現をして自己陶酔の世界に入る。


そんな時私は、

「あ〜あ、何でそんなことすんだよー、バカバカ。」

と白(しら)けてしまいます…。

……。



これは “感情過多” というものではありますまいか。

“ルール違反” ではないか、とも思ってしまう…。

(作曲家が聞いたら化けて出るぞー。)



さらに、そんな演奏を、評論家の先生が、

「これは素晴らしく新しい解釈だ。」
「なんという豊かな歌心であろうか。」

などと褒め讃えるわけですが、

到底これも私には受け入れられない。



「テンポやリズムを無視して、
 豊かな歌心もクソもあるものか…。」

これが私の持論です。


「君にはクラシック音楽のなんたるかが、
 わかっていない。」

と言われたっていいんです。


気持ちよくないものは気持ちよくないんだから。


いいんだも〜〜ん。


ふん…。




そこへいくと、

前回紹介したピアニストたちは、
「テンポ」「リズム」をしっかりキープした上で、
 ・・・  ・・・  ・・・・・・・
官能的とも言える演奏をしておりますよー。

演奏に、ちゃんと「グルーヴ(乗り)」がありますよー。


ミケランジェリおじさんも。
フランソワのおっちゃんも。
グールドちゃんも。
シフラの兄貴も。

(それにしても、みんなイケメンだなあ…)



だから聴いてて気持ちがいい。


私にはね…。

……。




では、この「グルーヴ(乗り)」のある演奏をするには、

どうすればいいのでしょうか…。


それはですね…、

……、



“裏のビートを感じながら” 演奏すればいいのです。



ん…?

裏のビート…??

……???




やや専門的になりますが、

ちょっとだけ解明してみせましょうか。



ここに、

 ♩ ♩ ♩ ♩ | ♩ ♩ ♩ ♩ | 

こんなリズムの譜面があるとします。


これ、普通の人なら、

 ♩ ♩ ♩ ♩ | ♩ ♩ ♩ ♩ |
 タ タ タ タ   タ タ タ タ

と乗ってしまいがちです。


ところが、それだと、
どうしてもリズムが滑りがちになって、
走ってしまいそうです。

つんのめった、
グルーヴ(乗り)のない演奏になってしまいそう…。



では、どうするか…?


私なら、こう乗ります。


  ♩    ♩    ♩    ♩ | 
タ(ッタ)タ(ッタ)タ(ッタ)タ(ッタ) 〜



この(ッタ)は、譜面には書かれていない音。

つまり「無い」音なんですね。

この世に存在しない「音」。



でもこれが、すなわち、

「裏のビート」なのです。


この「裏のビート」を感じながら演奏することによって、
リズムが安定し、
ご機嫌なグルーヴ(乗り)が生まれてくるのです。


彼らの演奏からは、
この「裏のビート」を感じることが出来る。

つまり「グルーヴ」がある。


だから、

「ああこの人は、ジャズを知ってるな。」

とまあ、こうなるわけです。



そして、彼らに影響を与えた最たるピアニスト、

それが…、

ビル・エヴァンスではなかったか。


私はそう思っております。


なぜかというとですね…、


それはですね…、



えっ…?


もう時間…?


そんな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。。。


……。



(つづく)




ジャミン・ゼブのファンの方に、
ちょっとだけ種明かしをしますとね…、

私がジャミンのためにアレンジした曲の中には、
ビル・エヴァンスを意識したものも、
何曲かあるんですよ。


彼のオリジナルの「Waltz For Debby」は言うに及ばず、

アルバム『Garden』に収められている、
「Alfie」や「Polka Dots And Moonbeams」なども、

エヴァンスの優雅なコード・チェンジを、
かなり参考にさせていただきました。


でも、彼自身は演奏しておりませんが、
最もエヴァンスを意識して書いたのは、

やはり『Garden』の中に入っている、

「Nous Voyageons De Ville En Ville」(町から町へ)

という曲でしょうか。


次回は、そんな曲の解明なども合わせて、

してみようかな…。

♪♪♪



さ、もう暑いの飽きました。

寝苦しくて、毎晩睡眠不足で参りました…。


明日あたりから涼しくなるんですかねえ。


早く来い来い。


「食欲の秋」


(またそれかよ)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:48|この記事のURLComments(13)TrackBack(0)

September 10, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その6


私にはちょいとした特技があります。

(ん…?)


それはですね…、

ジャズの好きな、
あるいはジャズに少なからず興味を持ってるであろう、
クラシックの演奏家を当てることが出来るのです。

演奏を聞いただけでね。

エヘン。


特に、ピアニストに関しては、
絶対的な自信がありますね。

「ああ、この人は絶対ジャズを理解してるな…。」

「この人はジャズをまったく知らないな…。」


絶対と言っていいほどわかるのです。

ええ。



中学生の頃、

クラシック音楽に夢中になり始めていた頃、

私が最初に衝撃を受けたのは、
「ベネデッティ・ミケランジェリ」(1920-1995)
というイタリア人のピアニストでした。


テレビでN響をバックに演奏する、
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を見た私は、

そのメチャメチャ格好いい風貌も手伝って、
大ファンになってしまいました。


「この人、女にモテるだろうな〜…。」


ちょうど思春期の頃でもありましたからね。

真っ先に考えたのはそんなことでしたか。

あはは。

(なあ〜んだ、ルックスかよ。)



いやいや、冗談じゃなく、
この人は映画俳優にしたいくらいのルックスでした。

面倒くさいので写真は掲載しませんが、
興味のある方は調べてみて下さい。


マカロニ・ウェスタンだったら、
リー・バン・クリーフなみの悪役がぴったり。

コッポラの「ゴッド・ファーザー」にも、
出てもらいたかったなあ…。
マフィアの親分なんかの役で。

ホント、かっこいいんだから…。



えっ、

肝心の演奏はどうだったんだよ、

ですって?


そうでした、そうでした。


その演奏は…、

バックハウス、ケンプといった、
ドイツの正統派の巨匠たちの演奏とは一味も二味も違う、

リズムに躍動感があって、華やかで、ロマンティックで、
そしてなによりも、
官能的。


もっとわかりやすく言うと、

エッチ。

(これこれ)



もう一人。

「サンソン・フランソワ」(1924-1970)
というフランス人のピアノも大好きでしたね。

この人も、エッチなおピアノ。

(こら!)


「当代きってのショパン弾き」
と言われていた名手で、

ショパン、ドビュッシーあたりを弾かせると、
もうもう女性はウットリ〜♡


しかも、このオッサンが、
これまたフランス映画にでも出て来そうな、
いい男なんですね。

(くそ、こいつもモテモテだな…。)


「酒豪」と言われるほどの大酒飲みだったそうですが、

そんな人間臭い(酒臭い?)ところも、

私には好感の持てるところ。

(ん…???)




さて、その後の私は、

高校の終わりくらいから、

ビル・エヴァンスの存在を知り、
ジャズに夢中になり始め、
しばらくクラシック音楽とはおさらば状況だったのですが、

ある日ふと、
このミケランジェリとフランソワの存在を、
思い出したのです。


「もしかして、あの二人は、
 ちゃんとジャズを勉強したのではないか…?」


彼らの演奏に共通する、
リズム感、ロマンティック、官能的な響きは、
お堅いクラシックの先生に習っただけでは、
生まれてこないはずだ…。


そして、いろんな本を漁(あさ)っているうちに、
ミケランジェリとフランソワのお弟子さんが、
同時に、こんな証言をしているのを発見したのです。

「うちの先生は、
 もうすぐコンサートだというのに、
 家ではジャズばっかり弾いてるんですよ。
 大丈夫なのかなあ…。」



ほーれ見ろ!

俺は正しかったぞ!!


そのときの私の、
してやったり、得意満面の笑顔を、
思い浮かべてみてください。

アハハハハハハハハハハハハハハ。

(もういいから…)



そして、もう一人、

私が好きなピアニストといえば、

それは、

「グレン・グールド」(1932-1982)でしょうか。


彼の弾く「ゴールドベルク変奏曲」(バッハ)は、
私にはジャズに聞こえますね。

あのうなり声は、
キース・ジャレットみたいだ。

(キースが真似したのか…?)



ニューヨークの美術館に例えると、

「メトロポリタン美術館」では、
オーソドックスなバロック・スタイルが合うのでしょうが、

このグールドのバッハは、
「近代美術館」にこそふさわしい。

そう思うのは私だけでしょうか?


でも、ずいぶんと変わり者だったみたいですね、

グールドちゃん。

数限りない奇行は有名です。


ニューヨークのレコーディング・スタジオに、
待てど暮らせど現れないので、
心配になったマネージャーが、
あちこち探し歩いたら、

ヴィレッジのジャズ・クラブで、
マイルス・デヴィスを聴いていた、

なんてエピソードもあるそうです。


家には、
ビル・エヴァンスのアルバムも何枚かあったそうですね。



「ジュルジュ・シフラ」(1921-1994)
というハンガリーのピアニストも大好き。

リスト「ピアノ協奏曲第一番」「第二番」の、
官能的な演奏の素敵さったらありません。

この人も絶対ジャズ好きと私は睨(にら)んでいます。



「フリードリッヒ・グルダ」(1930-2000)
という、オーストリア生まれのピアニストは、

音楽の都はウィーンに生まれ、
「クラシック以外は音楽じゃない。」
なんて言うようなお堅い人が、
うじゃうじゃいるような環境に育ちながら、

「僕はジャズが大好きー。
 ジャズは最高だー。」

なんて、はしゃいだあげくに、
「グルダ・ジャズ」
なんてアルバムまで作っちゃいましたが…、


彼のジャズはいただけません。

ぜんぜんサマになっていない。

ベートーヴェンのほうがずっと素敵です。


「シュタイン指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」
と一緒に録音した、
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲」全集は秀逸でした。

「第4番」「第5番(皇帝)」は、
今でも時々聞いておりますよ。


でも、ジャズはだめです。

意欲は買いますが…。



ジャズとクラシックを、
どちらも完璧にマスターしてしまったのは、

かの「アンドレ・プレヴィン」さん。
(1929- )


今や押しも押されぬ大指揮者の彼は、

その昔、
小粋にスイングする名ジャズ・ピアニストでした。

女性ジャズ・シンガーの、
ダイナ・ショアやドリス・デイとの共演アルバムは、
今でも高い人気を誇っています。



あれ、話が脱線しそうになりましたね。

……。



ではでは、

ジャズが好きな演奏家と、

そうではない演奏家の違いは、

どこでわかるのか?


次回は、

これをもっと掘り下げてお話しようと思います。



ひとつだけヒントです。


ビル・エヴァンスは、

「1929年生まれ-1980年没」です。


前述したピアニストたちと、

比べてみて下さいね。


(あ〜あ、こんな長いシリーズになるとは…。)


ふう〜…。


……。



(つづく)




楽しい楽しいファンミの余韻に浸る間もなく、

今度は10月の「STB 139」(4days)の準備で、
大忙しの私たち。


たくさんお申し込みいただいた、
チケットの調整作業も大変だし、

新曲のアレンジもしなくちゃいけないし、

メニューも決めなくちゃいけないし、

リハーサルも始まるし、

他にもやることいっぱいあるし、


あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ。。。



外では鈴虫が、

チンチロリ〜ン♪


ちと分裂気味…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:47|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

August 30, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その5


1959年『Kind of Blue』の名盤を最後に、

マイルス・デヴィスとビル・エヴァンスのコラボは、
たったの7ヶ月で幕を閉じることになります。


一説によると、

マイルスを「黒人の英雄」「帝王」「神」と崇拝する、
マイルス・ファン、黒人ジャズ・ファンからの、

相当に強い反発もあったようですね。



その後マイルスは、

ハービー・ハンコック(ピアノ)
ロン・カーター(ベース)
トニー・ウィリアムス(ドラム)

といった、

新しい感覚を持った素晴らしいトリオを手に入れ、
「モダン・ジャズの帝王」の名を欲しいままに、
疾風怒濤のごとく60年代を駆け抜けます。



一方のビル・エヴァンスも、

スコット・ラファロ(Scott LaFaro)という、
稀代の天才ベーシストと出会うことになります。

(もちろん、この人も白人で、
 これも当時では珍しいことでした。
 しかもこれが、なかなかのイケメンくん。)


で、このラファロのベースがまた、

当時の常識をくつがえす驚異のプレイ。


それまでのベースのスタイルというのは、
一拍ずつ「ボン、ボン、ボン、ボン」
と、いわゆる4ビートを刻む、
ウォーキング・ベースが主流です。

つまり、トランペット、サックス、ピアノといった、
他の器楽奏者が演奏しやすくするための、
裏方(うらかた)さんなんですね。


ところが彼は、

おそろしいテクニックをもって、
どっちが主役かわからないような、
8部音符や16部音符といった早いパッセージを駆使して、
他の奏者たちに挑んでいきます。

いわゆる「バカテク」。


当時はどこを探しても、
こんなベースはいませんでした。

まさに、ジャズ・ベースに新たな可能性を示した、
これまた稀代の革命児だったのです。

今日のジャズ・ベースは、
彼の存在なくしては語れませんね。



さあ、このラファロ君を見つけたときのエヴァンスさんは、

おそらく狂喜したでしょうね。



彼の生涯をかけてのテーマは、

「対話」(Conversation)

ではなかったかと、私は思っています。


誰か一人が主役になるのではなく、
常にプレイヤーたちがお互いの内面に向かって、
対話を仕掛けていく。


そんな “インタープレイ” をめざす彼は、
しかるべき相棒がいないときは、
ご丁寧に、

『Conversations With Myself』

なんてアルバムまで作っているんですから。


(3台のピアノを一人で多重録音。
 自分の中で対話をしていくという、
 ナルシストちゃんのエヴァンスならではの実験作。

 でも、これも名盤です。
 そう、エヴァンスには駄作がないんだなあ…。
 これもすごいことです。)



ところが、

これぞ願っていた最高のベーシストが、

いた!


自分のバックで、淡々と4ビートを刻むだけじゃない、

おそるべきテクニックで自分に向かってくる、

驚異の若者が。

……。



そして、

そんなスコット・ラファロを相棒に、

自己のピアノ・トリオの完成をめざして、

「Riverside (リヴァーサイド)」というレーベルに、
素晴らしい4枚のアルバムを残すわけですが…、


なんと、そんな絶頂の61年に…、

相棒のスコット・ラファロが…、

自動車事故で死んでしまう…。

……。


25才という若さでした。

(惜しい…。本当に…。)



ショックのあまり、

ビル・エヴァンスはそれから1年間、

まったくピアノが弾けなくなってしまったそうです。


わかります…。

わかりますよ、エヴァンスさん…。



その4枚のアルバムをご紹介しておきましょう。

いずれもエヴァンスの最高傑作と呼び声の高い作品です。

(ただし、くどいようですが、ビギナーの方は、
 「タウン・ホール」「ウィズ・ストリングス」といった、
 「Verve」時代のものから入ることをお薦めします。)



『PORTRAIT IN JAZZ』

_SS500_

1. Come Rain Or Come Shine
2. Autumn Leaves
3. Autumn Leaves (Mono)
4. Witchcraft
5. When I Fall In Love
6. Peri's Scope
7. What Is This Thing Called Love
8. Spring Is Here
9. Someday My Prince Will Come
10. Blue In Green (take 3)
11. Blue In Green (take 2)


『Explorations』

_SS500_

1. Israel
2. Haunted Heart
3. Beautiful Love (Take 2)
4. Beautiful Love (Take 1)
5. Elsa
6. Nardis
7. How Deep Is The Ocean
8. I Wish I Knew
9. Sweet & Lovely
10. The Boy Next Door


『Waltz for Debby』

_SS500_

1. My Foolish Heart
2. Waltz for Debby (take 2)
3. Detour Ahead (take 2)
4. My Romance (take 1)
5. Some Other Time
6. Milestones
7. Waltz for Debby (take 1)
8. discussing repertoire
9. Detour Ahead (take 1)
10. My Romance (take 2)
11. Porgy (I Loves You, Porgy)


『Sunday at the Village Vanguard』

_SS500_

1. Gloria's Step (Take 2)
2. Gloria's Step [Take 3]
3. My Man's Gone Now
4. Solar
5. Alice in Wonderland [Take 2]
6. Alice in Wonderland [Take 1]
7. All of You [Take 2]
8. All of You [Take 3]
9. Jade Visions [Take 2]
10. Jade Visions (Take 1)


上の2枚はスタジオ録音。

下の2枚はライブ盤です。


いずれもエヴァンスとラファロの、

火を噴くようなインタープレイを聴くことができます。


そして、

このライブ・レコーディングの10日後に、

スコット・ラファロは、

短い生涯を閉じることになるんですねえ。


ああ、


なんてことだ…。


……。



(つづく)




「世界水泳」が終わり、

「夏の甲子園」が終わったら、

今度は、

「世界陸上」ですか…。


いやあ、まいったなあ。

いつになったら創作モードに入れるのだ、

宮ちゃんたら。


あははは。

ふにゃふにゃ。


ふにゃ〜〜〜〜ん。


(ごまかすな!)


ん…?



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 11:19|この記事のURLComments(15)TrackBack(1)

August 24, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その4


Miles Davisの名盤『Kind of Blue』について、

もう少しお話してみようと思います。


このアルバムが発表されたのは1959年です。


それまでの「ビーバップ」スタイルや、
「スタンダード・ジャズ」が物足りなくなった、
“モダン・ジャズの帝王” ことマイルス・デヴィスは、

このアルバムにおいて、
「モード・ジャズ」という新たな理論を開発し、
アドリブの可能性を無限に拡げただけでなく、

黒人が生み出した偉大な芸術であるジャズを、
革新的なコンテンポラリー・ミュージックとして、
さらに強烈にアピールしていくことになります。


その起点にもなったアルバム。


これが歴史的名盤と言われる所以なのですが、

そんな、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックの、
歴史的な意味合いを持つレコーディングのピアニストに、

なぜ白人のビル・エヴァンスが呼ばれたのでしょう…?



私の推論はこうです。

「他にいなかったから」

……。



ご承知のように、

アメリカで黒人が参政権を勝ち取ったのは、
1964年のことです。


まだ50年にも満たないんですねえ…。



その5年前に、

この『kind of Blue』は作られたわけです。

白人ピアニスト、ビル・エヴァンスの参加によって…。


それまでも、
ガーシュインやベニー・グッドマン(クラリネット)ら、
多くの白人が、人種の垣根を越えて、
ジャズの世界で活躍をし始めてはいましたが、

マイルスとなると話は別。


彼こそは、

“黒人の” 偉大なカリスマであり、

英雄であり、

帝王なのですから。



そして、彼の白人嫌いは有名です。

彼は、死ぬ間際まで、
南アフリカのアパルトヘイト(人種差別)政策を、
痛烈に批判していました。

「南アフリカのことを考えるとヘドが出る。」



しかし、

彼はビル・エヴァンスを迎えた。

……。



本当は黒人でいきたかったんでしょうね、

マイルスさん。


それまで彼のバンドで弾いていた、

レッド・ガーランドやウィントン・ケリーといった、
バド・パウエル系、
ビー・バップ・スタイルのピアニストでは、
もはや飽き足らないマイルスは、

必死でピアニストを探したと思いますよ。


新しい感覚の黒人ピアニストをね。

(これぞバッチリ!
 こんなピアノを待っていたのよ!!
 そんな「ハービー・ハンコック」を手にするのは、
 この数年後のこと…。)


しかし、当時は、いなかった。

……。



ま、それほどエヴァンスの感覚は新しかったわけです。


そして、エヴァンスもまた、
帝王マイルスからの誘いは、
ほっぺをつねりたくなるような出来事ではなかったか…、

と、私は思うわけです。

なんたって、相手はジャズのカリスマなんですから。


そして、あの歴史的名盤は生まれた。

……。



これは凄いことです。


人種差別が当たり前、
黒人に選挙権のない時代に、

ジャズの世界では、

「白人は黒人に学び、黒人は白人に学ぶ。」



素晴らしいではありませんか!


音楽の力は、

政治の世界なんかより一足も二足も早く、

人種の壁など取り払っていたのです。


パチパチパチ。



えっ、

今日は真面目すぎてつまんない、

ですって…?



まあ、まあ、

そんな日もあります。


ということで。。。



ま、これからもジャズのお話は、
折にふれ、書くでしょうから、
このくらいのマメ知識も必要ではないかと思い、

あえて書かせていただいた次第であります。



白人のクラシック音楽も、

黒人の作ったジャズも、

いいものはいい。


人種の垣根なんか超えて、

みんな仲良くいこうじゃないの。

(そうだ、そうだ)



だから私、

「jammin' Zeb」(ジャムするシマウマ)

というネーミングは、とても気に入っているんです。


「覚えにくい」
「舌噛みそう」

などという反論もありましたが、

ええい、かまうもんかということで、
採用したわけなんですね。

ワンワン。


ん?

……。




さ、次回は、

その後のエヴァンスが、

どうなっていったかのお話。

……。



えっ、

前回の答えは?

ですって…?



そうでした、そうでした。

レンセイくんアレンジ「Summertime」でしたね。



Miles Davis『Kind of Blue』の1曲目は、
「So What」(それがどしたの?)という曲です。


ビル・エヴァンスのフリーなイントロが終わると、
低音のベースがテーマを弾き始めます。

♪ミ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ド・レ・ラ♪

するとトランペットをリードとした3管が、
♪シーラッ♪と受ける。


レンセイは、ここをオマージュとして使ったのです。


場所はシモンのソロが始まって5小節目。

♪I know that you're gonna be crying♪

すると、他の3人が♪So what?♪と受ける。


はい、この部分でした。


こんな遊びも楽しいですよね。



ちなみに、

このシモンと、
続くスティーヴのソロ・パートの詞やメロディは、
原曲にはありません。

レンセイが新たに書き加えたものです。



がんばりましたね、彼。


なにしろ1年がかりの労作ですからね。


もっと早く仕上げてもいいんだよ、


ね、レンセイ。


……。



(つづく)




8/17、18、20、21

4日間にわたって繰り広げられた、
「jammin'Zeb / STB139 飛び石4Days!」


おかげさまで、
大盛況のうちに終えることができました。


思えば、大震災で延期になってから5ヶ月。

「これが終わらないと、
 新たなスタートが切れない‥。」

「とにかく無事で終わって欲しい…。」


その一念で迎えたライブだっただけに、
ホッとしました。


そして、
みなさんの熱狂ぶりや満面の笑顔を見て、
改めて音楽をやれる喜びを実感した次第でございます。

私は幸せ者です…。


みなさん、

本当にありがとうございました。


♡♡♡



というわけで、

なんか肩の力がスーッと抜けた感じです。


新しい曲のアレンジもしなくちゃ、
とは思うのですが、

なんか、力が抜けちゃって…。


ふにゃふにゃ。


ふにゃ〜〜ん。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 00:56|この記事のURLComments(13)TrackBack(0)

August 15, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その3


あれは、1970年代の終わり頃だったでしょうか。

当時のクラシック界で、
「帝王」と呼ばれ人気を独り占めしていた大指揮者、
ヘルベルト・フォン・カラヤンが、

これまた「世界最高のオーケストラ」の呼び声高い、
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて再来日。


私は毎晩のように、
テレビでその演奏を観て(聴いて)いたのですが、

そこにはドキュメンタリー・タッチで、
楽屋裏も紹介するといったお宝映像も、
ふんだんに盛り込まれておりました。


で、そのなかの一シーンに、
私は思わず大笑い。


インタビュアーの男性が、主(おも)だった楽団員に、
こんな質問をして回っているのです。

「カラヤンは本当に帝王だと思いますか?」


ん?

質問する方も勇気がいりますが、
はたしてみなさん、
ちゃんと答えてくれるのでしょうかねえ。


なんたって「帝王」なんですから。

世界に君臨する最高権力者なんですから、カラヤンさん。

みなさん、へたなこと言えませんよ〜。

あははは。



というわけで、その答えや如何に。

(演奏楽器の記憶は曖昧ですが、お許しを。)



まずは一人の “年輩の” ヴァイオリン奏者。
真面目一徹、厳格そうなおじさん。
そのおじさんは気難しそうな顔をして、こう答える。

「もちろんだとも。
 天才とはああいう人のことを言うんだね。」

(まあ、そう言うだろうな〜。)



さて、インタビュアーは、
今度は “もっと年輩の” チェロ奏者にマイクを向ける。

ま、はっきり言ってしまえば、“おじいちゃん”。
おじいちゃんチェリストは胸を張ってこう言う。

「そう、カラヤンはまさに帝王だよ。
 彼の背中には後光が射しているじゃないか。」

(ま、これも予想の範囲内かな…。)



お次は、ちょっと若めのホルン奏者。

で、この人の答えがケッサク。
私は、こんな答を待っていたのです。

彼はニコニコしながらこう答えました。

「いや、カラヤンは帝王じゃないね。
 帝王とは、ベッケンバウアーのことさ。
 アハハハ。」

(ちなみにベッケンバウアーとは、
 当時世界一と言われていたドイツのサッカー選手。)



そして極めつけは、若いトランペット奏者。

彼はまじめな顔をしてこう言ったのです。


「カラヤンが帝王だって?
 とんでもない。
 真の帝王は、マイルス・デヴィスだよ。
 僕たちは、みなジャズのコンボをいくつか作って、
 練習の合間にジャズを勉強してるんだ。
 いや、マイルスは本当に偉大だ。」

(す、すごい…。)

……。



どうです。

さすが世界最高峰のオーケストラ団員ではありませんか。

粋ですねえ、この遊び心。


ということで、久しぶりにやりますかね。


( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


(ん…?)




はい前置きが長すぎました。


でも、私が何が言いたいかというと、

真に優れたクラシック演奏家の多くは、

しっかりジャズを認めているということなのです。



ま、このあたりのお話は次回にまわすことにして、

さっき話が出たマイルス・デヴィスという人は、
「モダン・ジャズの帝王」
と呼ばれています。


「クール」
「ビー・バップ」
「ハード・バップ」
「モダン・ジャズ」


次々と新しい発想で、
ジャズ界に旋風を巻き起こす、
偉大な革命家とも言える彼が、

50年代の最後には、
こんなアルバムを発表して、
さらに世の中を驚かしてしまいました。


『MILES DAVIS / Kind Of Blue』

_SS500_

1. So What
2. Freddie Freeloader
3. Blue In Green
4. All Blues
5. Flamenco Sketches
6. Flamenco Sketches (Alternate Take)


この歴史的なアルバムでマイルスは、

いわゆる「スタンダード・ジャズ」といった、
コード進行に基づくアドリブという概念を捨て、

「モード・ジャズ」という新たなスタイルを確立。


1960年代を、疾風怒濤のごとく駆け抜けました。



まあ、興味があったら聴いてみて下さい。

特に1曲目の「So What」という曲は、
今ではジャズのバイブル的存在とも言えましょう。


ただし、これは辛口です。

クールです。

甘みを排した男の世界です。

ハードボイルドな大都会の夜です。


ワインよりはドライ・マティーニが合いそう。

水割りよりはストレート・ノー・チェイサー。

(くう〜、きつそう…。)


決してビギナー向きではありませんが…。

……。



さらに、このアルバムには、

もうひとつ、

驚くべきことがあります。


メインのピアノが、

あの、

ビル・エヴァンスだからです。


もちろん他は、

ジョン・コルトレーン、
キャノン・ボール・アダレイ、
ポール・チェンバース、

といった当時を代表する、
凄腕の黒人ミュージシャンばかり。


でも、ピアノはエヴァンス。

……???



マイルス・デヴィスとビル・エヴァンス。

どう見たって水と油ではありませんか。


片や、黒人ジャズの革命家であり黒人のアイドル。

黒人によるコンテンポラリー・ミュージックの推進者。



片や、クラシック音楽をジャズと融合させ、

クラシック至上主義の多くの白人をして、

ジャズに目を向けさせた人物。


「スタンダード」に新しいハーモニーやフレーズで、

みずみずしい息吹を与えたロマンティスト。


どう見たって、

水と油だ…。

……。



実際、ビル・エヴァンスの加入は、
多くの黒人ファン、マイルス・ファンから猛反発を受け、
わずか7ヶ月でエヴァンスは退団したそうですが、

そのわずかな間に生まれたこの作品が、
今や歴史的名盤として、
世界中のジャズ・ファンから愛されている。


なんとも不思議かつ皮肉な現実です。


面白いですねえ。


でも、わかるような気が…、


それはですね……、



えっ、


もう時間?



そんな…、、、


……。



(つづく)




6/12の「ZEBLOG」でレンセイが、
「Musical Jokes」というお話を書きました。

ジャミン・ゼブ・ファンの中には、
読まれた方も多いのではないでしょうか。


その中で彼は、
「Summertime」のアレンジのなかに、
Miles Davisのある楽曲の1部分を、
オマージュとして採用したと言っております。


それは、
この『Kind Of Blue』というアルバムの中にあります。

次回は、その種明かしをしますが、
みなさんも考えてみて下さいね。



さ、今週は待ちに待った「STB139 飛び石4Days!」

熱い、熱い、1週間になりそうですね。


くう〜、


燃える〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 00:48|この記事のURLComments(10)TrackBack(0)

August 03, 2011

ビル・エヴァンス大研究 その2


ビル・エヴァンスという人は、
自分の将来を決めるにあたって、

「クラシックの道に進むべきか…。
 それともジャズをやるべきか…。」

ずいぶん悩んだんだそうです。


私なんか、即決でジャズを選びましたが…。

(一緒にすんな!)


ま、彼の場合は、
クラシックの世界でも十分やっていけるだけの、
技量を持っていたんでしょうね。


しかし、ジャズをやってくれて良かった…。

つくづく思います。

……。




ご承知のように、

ジャズはアメリカの黒人たちによって作られました。


過酷な労働と人種差別に苦しむ黒人たちが、
わずかな余暇に、めいめい楽器を持ち寄って、
日々の苦しさから解放され自由に音楽を楽しむ。

それがそもそもの起源です。


したがって、
当初クラシック至上主義の白人たちからは、
原始的な音楽と蔑(さげす)まれたのでしょうが、

次第にその音楽の素晴らしさは、
白人も認めざるを得ない状況になっていきます。


その最大の功労者は、

ジョージ・ガーシュインでしょうか。


白人の中流家庭に育った彼は、
早くからジャズの素晴らしさを認め、

「ポギーとベス」という、
黒人世界を描いた、黒人だけによるミュージカルを書き、
周囲の猛反対と妨害に敢然と立ち向かい、
ニューヨークの一流劇場で公演することに成功しました。



そして、もう一人の功労者が、

このビル・エヴァンスではないか、、、

私はそう思うわけです。



1950年代の半ばに、
彼が颯爽とジャズ・シーンに登場したとき、

今までのジャズにはなかった、
都会的で洗練された知的なプレイは、
大いに話題になりました。


そして、

「ジャズは不良の音楽」

と、敬遠、軽蔑していた多くのクラシック・ファンからも、
注目されるようになっていくのです。



ジョージ・ガーシュインが初めてパリを訪れたとき、

ラヴェル、シェーンベルグといった、
当時のヨーロッパを代表する大作曲家たちが、
こぞって彼に面会を求めた話はあまりに有名です。

バルトークやリヒャルト・シュトラウス、
ストラヴィンスキーといった大作曲家たちも、
早くからジャズの素晴らしさを認めていました。



そしてビル・エヴァンスの存在もまた、

クラシックを学ぶピアニストたちをも、
“ジャズに目を向けさせる”
大きな原動力になったのでした。



なんたって、

彼らが出現した頃のアメリカは、

まだ、黒人に選挙権のない時代ですからね。


「これジョージ、
 そんな黒人の子と遊んではいけません。
 これ、あんた、あっち行きなさい。シッ、シッ。」

「まあビルったら、嫌ですねえこの子は。
 なんでジャズなみたいな不良な音楽をやってるのざます?
 音楽はクラシックざましょ、クラ〜シックよ。
 さ、早くあなたの素敵な素敵な、
 モーツァルトやショパンを聴かせてちょうだい。」

「……。」


とまあ、そんなひどい時代。



そんな時代に、
いち早くジャズの素晴らしさを認め、

黒人だけのための音楽と思われていたジャズに、
“アカデミック” な要素を加えて、
芸術的な価値を高めていったこの二人の功績は、

国民栄誉賞ならぬ、
世界人類栄誉賞でも差し上げたいくらいの、
快挙なのであります。


この二人がいなかったら、

はたして今のジャズはどうなっていたのか…。


もちろんジャミン・ゼブの音楽も…、、

……。




ん…?

なんだか今日は硬い話になってますねえ。

いけません、いけません。



でもまあ、ビル・エヴァンスの登場は、

そのくらいのセンセーショナルな出来事であった、

と、私は言いたいわけです。


私が史上最大のジャズ・ピアニストと認める、
あの、キース・ジャレットでさえ、

ビル・エヴァンスがいなかったら、
果たしてあのスタイルを築きあげられたかどうか…。

……。



というわけで、今日はここまでにしておきますね。


最後は、

こんなアルバムをご紹介しようかな。


私の大好きなシンガー、トニー・ベネットと、
ビル・エヴァンスが、
二人だけで奏でる、極上の大人の世界。

最高にお酒が美味しくなる1枚です。


『Together Again/Tony Bennett & Bill Evans』

_SL500_AA300_

1. The Bad and The Beautiful
2. Lucky To Be Me
3. Make Someone Happy
4. You're Nearer
5. A Child Is Born
6. The Two Lonely People
7. You Don't Know What Love Is
8. Maybe September
9. Lonely Girl
10. You Must Believe In Spring


どうです。

この、粋な男二人の名人芸。

(し、し、渋いかも…。)


ただし…、

このアルバムには欠陥があります。


あまりの心地よさに、

すぐに眠くなってしまうことです。


では、おやすみなさい。


zzz……。



(寝るな、仕事だろ!)


……。。。



(つづく)




遅ればせながら、

7/29(金)学芸大「A'TRAIN」にお越しのみなさん。

ありがとうございました。


ラモーナ(ロペス)も久しぶりに乱入してきて、

大人の歌をたっぷりと聴かせてくれましたね。

最高に楽しい夜でした。



さて、

今週は、なんだかんだ、

ジャミンの仕事で忙しくしております。


先週は「世界水泳」に夢中になりすぎて、

創作がおろそかになりましたからね。


週末からは、

遅れを取り戻さねば…。



えっ?

週末からは「高校野球」が始まるぞ、

ですって?



むむむ…、


それは困った…、


……。。。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 10:12|この記事のURLComments(13)TrackBack(0)

July 26, 2011

ビル・エヴァンス大研究


ビル・エヴァンスを聴いてジャズのファンになった。

こんな方、けっこう多いのではないでしょうか。


特に、クラシック愛好家や、
クラシックのピアノしか知らなかった人には、
新鮮な驚きでしょうね。

かく言う私もそうでしたから。


高校2年の時、
クラスの音楽仲間に薦められて買った、
「ビル・エヴァンス」という名の、
一人の白人ジャズ・ピアニストのベスト・アルバム。

その1曲目に入っている、
「Beautiful Love」という曲に針を下ろしたときの衝撃を、
今だに忘れることはできませんね。

ガーーーーーーーン!

(こ、これは、いったい…?)



それまで愛聴していた、
ショパン、シューマン、リスト、ラフマニノフといった、
ロマン派のピアノ曲の “優雅な香り” を残しつつ、

でも、そうしたクラシック音楽とはまったく違う世界。


「これが即興なの?」と思えるような美しいフレーズを、
次から次へと奏(かな)でながら、
小気味よくスイングしていくそのスタイルは、

それまで私が描いていた、
「ジャズ」「ジャズ・ピアノ」という概念を、
根底から覆(くつがえ)してしまいました。

(レ、レベル高いぞ…。)



はい、これで私の運命は決まってしまいましたね。


ま、これは、かつて、

「レコード買いまくり時代」
「ジャズまくり時代」

(ともに、〜2005エッセイ)

というお話にも詳しく書いておきましたので、
興味のある方はご覧になって下さい。



というわけで、

ここからしばらくは、

私なりにこのビル・エヴァンスの魅力について、

いろいろ解明してみようかと思います。


例によって、

かなりの独断と偏見ではありますが…。

……。



さて、

ビル・エヴァンスの音楽を形容する言葉をざっと拾うと、

こんな感じになるのでしょうか。


「優雅」「お洒落」「リリカル」「洗練」「都会的」

(これ、何かと重なりますかしらん。。。)


でも私には、

「ロマンティック」という言葉が一番ハマりますね。



ま、今でこそ、
世界中のあらゆるピアニストがその影響下のもとに、
彼の音楽を継承しながら様々なスタイルで、
演奏をしておりますが、

ジャズといえば黒人、
ブルース、ファンキー、豪快なグルーヴを売りにしていた、
当時(1950〜60年代)にあっては、
まさにワン・アンド・オンリーな世界だったわけです。


そのサウンドの謎は追々解明するとして、

まずはこのアルバムを聴いてみて下さい。


『Bill Evans at Town Hall』

_SS500_

1. I Should Care
2. Spring Is Here
3. Who Can I Turn To
4. Make Someone Happy
5. Solo-In Memory Of His Father
6. Beautiful Love
7. My Foolish Heart
8. One For Helen (Previously Unreleased)


これは、1966年ニューヨークでのライブ盤ですが、
まず私が驚いたのが、このジャケット写真。

これ、知らない人が見たら、
「クラシック」のジャケットと思うんじゃないでしょうか。

知的な香りがプンプン。


ビル・エヴァンスの代表作といえば、
早逝の天才ベーシスト、スコット・ラファロとの、
火を噴くようなインタープレイが聴ける、
「Riverside」レーベルに残された4枚のアルバム。

とりわけ、
『Portrait In Jazz」と『Explorations』
を挙げる方が多いですし、
私も否定はしません。


でも、

ジャズ・ビギナーの方にはこちらの方がいいのではないか。

私はそう思っています。


「Beautiful love」や「I Should Care」
といったスイング・ナンバーの小気味よさ。

「Spring Is Here」や「My Foolish Heart」
といった美しいバラードにおける優雅なハーモニー。

そして、このレコーディングの前に亡くなった、
彼の父、ハリー・エヴァンスを偲んで弾いた、
13分にも及ぶ美しいソロ・ピアノは、
今聴いても圧巻です。



もう1枚。

『BILL EVANS WITH SYMPHONY ORCHESTRA』

_SS500_

1. Granadas
2. Valse
3. Prelude
4. Time Remembered
5. Pavane
6. Elegia (Elegy)
7. My Bells
8. Blue Interlude


名アレンジャー、クラウス・オガーマン率いる、
シンフォニー・オーケストラと、
ビル・エヴァンス率いるジャズ・トリオの競演。

「1.Granadas」では、
オーケストラ奏でるクラシカルな世界から、
一転してジャズの世界に移行する瞬間、
その瞬間のスリルがたまりません。


そして、「2.Valse」というバラードの美しいこと。

原曲はバッハだそうですが、
彼のインプロビゼーション(即興演奏)の素晴らしさ、
豊かな歌心、リリカルなタッチ。

もう、何度聴いたかわかりませんね、これは。


雨の日のパリの路地裏。
ふと見上げると、ジャンヌ・モローのような美女が、
雨露がしたたり落ちる窓越しにこちらを見ている。

私には、そんなイメージでしたかね。

キャーーー、ロマンティックすぎる〜〜〜〜〜〜〜!



そしてもう1枚。

この2枚で、ビル・エヴァンス・ワールドに馴染んだら、

お次はこれかな。


『BILL EVANS At The Montreux Jazz Festival』

_SS500_

1. Spoken Introduction
2. One For Helen
3. A Sleepin' Bee
4. Mother Of Earl
5. Nardis
6. Quiet Now
7. I Loves You, Porgy
8. The Touch Of Your Lips
9. Embraceable You
10. Someday My Prince Will Come
11. Walkin' Up


これも1968年の録音。

スイスの「モントリュー・ジャズ・フェスティバル」
でのライブ・レコーディングです。


このあたりから彼の相棒となる、
名ベーシスト「エディ・ゴメス」とのインタープレイが、
見事に炸裂しております。

(エディ河野ではありませんよ。ゴメスです、ゴメス。)


とりわけ「7.I Love You, Porgy」の美しいソロは抜群です。

このガーシュインの名曲で、
これ以上の演奏を私は知りませんね。

♪♪♪



そんなわけで、

「ジャズ・ピアノを聴いてみたいんですが。」

「ビル・エヴァンスって、たくさんCDがありすぎて…。
 何から聴いたらいいんでしょうか。」


そんな質問を受けたら、

私は、まずこの3枚をお薦めすることにしています。

特にクラシック・ファンにはね。



さあ、あなたも、

素敵なビル・エヴァンスのリリカルな世界に、

身を委(ゆだ)ねてみて下さい。


美味しいハーブ・ティーや、

最高級ワインでも召し上がりながら。


えっ?

私?


私は麦焼酎の麦茶割りですけど…。


……。



(つづく)




ああ、お酒飲みた〜い。

(がまんだ)


遊びた〜い。

(がまん、がまん)


毎日、譜面ばっかり書いてるの飽きたよー。

(それが仕事だろ)


でも、今週の金曜日は「A'TRAIN」ライブだよ。

(それは許す)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 11:13|この記事のURLComments(13)TrackBack(0)

July 19, 2011

リヒャルト・ワーグナー


時々、こんなことを考えることがあります。

「歴史上、
 最もたくさんの音譜を書いた作曲家は誰か?」


(え〜っ、くだらな〜い)

(ま、そうおっしゃらずに…)



ジャズの世界で言えば、
まずデューク・エリントンでしょうね。

偉大なバンド・リーダーであり、
作・編曲家の彼が生涯にレコーディングした楽曲は、
4,000曲とも言われております。


仮に1曲3分として、12,000分。
つまり200時間分の譜面を書いたことになる。

ビッグ・バンドのスコアは、
通常17段。

(トランペット4、トロンボーン4、サックス5、
 ピアノ(上下2段)、ベース1、ドラム1)


一小節が17段の譜面を4,000曲…。

こ、これは、
生涯に1,000曲以上の作品を残した、
あのJ.S.バッハよりも上ではなかろうか…。

……?



ところが、そこはジャズ。

17人のプレイヤーが全員揃って、
3分間も演奏する訳ではありません。


一曲の内には、必ずソロ・パートというのがあって、
その部分はコード・ネームで書かれてあります。

つまり、C7とかF7とかね…。


そのコード・スケールにもとづいて、
いろんなプレイヤーがアド・リブのソロをやる。

だから、こうしたパートでは、
音譜、すなわち「お玉じゃくし」はゼロなのです。



ビッグバンド・ジャズの面白さは、
お玉じゃくしでビッシリ書かれた合奏のパートと、
個々のプレイヤーがアド・リブをする自由なパート、

その組み合わせの妙にあるんですね。



となると、

最初の疑問に戻って、

やはりこれはクラシックの大作曲家のなかに、

存在するのではないか。

……。



で、私が、おそらくこの人ではないかと、

白羽の矢を立てたのが、

ジャーン!

RichardWagner

(RICHRAD WAGNER:1813〜1883)



つまり、こういうことです。

ここで話題になっているのは、
あくまで音譜(音符、お玉じゃくし)の数ですから、
曲数は関係ない。


したがって、
音譜をたくさん必要とされる、
大管弦楽もの、あるいはオペラ、

こうしたものをたくさん書いた人のほうが、
断然有利になるわけです。


例えばバッハの有名な「ブランデンブルグ協奏曲」。

1小節は平均すると4〜6段くらい。

全6曲から成り立っていますが、
ま、所要時間は90分といったところでしょう。


マーラーの交響曲1曲分ですが、

一小節が20段も30段もある、
彼の巨大交響曲に比べると、

う〜ん、どうでしょう(長嶋風)。。。

おそらくその音譜の数は、
1楽章分くらいになっちゃうんじゃないでしょうか。

(くどいようですが、誤解のなきように。
 ここでは内容、曲の善し悪しも、
 まったく関係ありませんので。)


おびただしい数の歌曲を残したシューベルトや、
膨大な交響曲とはいえシンプルな編成のハイドンや、
上下2段のピアノ曲が圧倒的なショパンも、

ここでは対象になりませんね。



となると、

やはりここは、

生涯を大編成の長大なオペラ創作に燃えた、

ワーグナーということになるのでしょうか。


オペラの数からいえば、
ヴェルディのほうが圧倒的に多いのですが、
彼の歌伴奏はいたってシンプルです。


しかしワーグナーは、
常に大編成のオーケストラが、
鳴り響いている。


そして驚異的なのは、その演奏時間の長さ。


「トリスタンとイゾルデ」
「ニュルンベルグのマイスタージンガー」
「ワルキューレ」
「パルジファル」

みな、4時間以上の超大作です。


初期の作品である、
「リエンチ」や
「さまよえるオランダ人」も、
初演当時は6時間を超える上演時間だったそうです。


ま、どの作品からも、
聞こえてくる音譜の数が半端じゃない。


おそらく「トリスタンとイゾルデ」1曲で、
モーツァルトが生涯に書いた交響曲(42曲)の、
半分くらいの音譜が、
五線紙に埋め尽くされているのではないでしょうか。


しかもその内容の濃さ、

ハーモニーの素晴らしさ、

目くるめくオーケストレーションの華やかさ、

息もつかせぬドラマティックな展開、

。。。



五線紙に音譜を埋めて行く作業の大変さったら…。

面倒くさいことといったら…。


ラヴェルも “泣きながら” 書いたそうですね、

ピアノ協奏曲。

「おれ、なんでこんなことやってんだろう…」てね。


リヒャルト・シュトラウスも、

マーラーも、

すごい音譜の数でしたね。


みなさん、ごくろうさまでした。



でも、ワーグナーって、

なんか超然としてるんですね。


「どうだ、お前ら、こんなもん書けるか。」

「できるもんなら真似してみろ、わははは。」

みたいなね。



きっとヤな奴だったんだろうな…。

ヴィスコンティの映画「ルードウィッヒ」でも、
超ヤな奴だった記憶が…。


でも、認めますよ。

すごい才能と忍耐強さはね。

……。



私なんて、

さっきから、新しい五線紙を前にして、

な〜〜〜んにも書けずに、


鼻毛ばっかり抜いてますもん。



(比較すんなー!)


ん…。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 16:43|この記事のURLComments(9)TrackBack(0)

July 11, 2011

手羽先日記(番外編)


ジャミン・ゼブのニュー・アルバム

『Summertime』!


お楽しみいただいてますでしょうか。


「これを聴いていると、
 嫌いな夏が好きになった。」

「ジャミンと一緒に、
 この夏は元気で過ごせそう。」

そんな声もチラホラ聞こえる今日この頃…。


いやあ、嬉しいです。

頑張った甲斐がありました。



さて、そんな中、

先週私たちは3ヶ月ぶりに、

名古屋に行ってまいりました。



名古屋。


美味しいものがたくさんありますよねえ。

(おい、よだれが出てるぞ、よだれが…)



まずは、

『山本屋の味噌煮込みうどん』


熱々(あつあつ)の土鍋に入った、
独特のコシを持った名品。

私は「かしわ玉子入り一つ半」
というのを好んで注文します。

「一つ半」とは麺が1.5倍。


でも、昔に比べたら麺が少ないような気がします。

昔は、これとビールで大満腹になったのに、
今はちょっと物足りない。

あまり値上げをしているようにも思えないので、
やはり不況のあおりを受けて、
麺の量を減らしているのでしょうか…。

……。


えっ、

お前がメタボになったせいじゃないの、

ですって?


こ、これは、痛いところを責めてきますなあ。

あははは。


ちなみに、この「山本屋味噌煮込みうどん」には、
「山本屋総本家」と「山本屋本店」
この二つの看板を目にすることが出来ます。

私的には、
「山本屋総本家」のほうが、
昔からある正当派のそれではないかと思っております。

名古屋駅「高島屋ビル」の11階だか12階の、
レストラン街にありますので、
新幹線の時間が気になる方はここがおすすめです。



お次は、

『ひつまぶし』


これは、5、6年前に初めて食べました。

要は「うなぎ飯」を3種類の食べ方で楽しむという、
太閤以来の人気商品。

これも美味しいですねえ。


でもね…、

私のような「酒飲み」には、
これはどうもいけません。

だってこれ食べたら、
お腹がいっぱいになって、
お酒なんか飲めなくなってしまうから…。

これで終わってしまうから…。

……。


だから「ランチ」にいいだろうな、
とは思っているのですが…、

毎回昼間は仕事が忙しくて、
とても悠長に「ひつまぶし」を食す、
なんて時間はありません。

だから最近は縁がありませんね。


もっとも、あの4人は、
信じられない胃袋をしているので、
私たちの目を盗んで、
昼だろうが、夜だろうが、

ガンガン食べに行ってるようですが…。

(お〜い、食い過ぎだぞ〜、君たち〜)


「松坂屋本店」のレストラン街がおすすめですよー。



そして、

前回(4月)初めて食べることができた、

『手羽先』!


ひゃっほー!

これぞ最高の酒のつまみ。


「手羽先日記」というお話でも、

さんざん紹介させていただきましたね。


今回も、夜遅くではありましたが、

みんなを誘って行っちゃいました。

ジャーン!

2011070723250000


く〜〜、

壮観だ!


デレデレ、

(よだれ)



ちなみに前回は、
「山ちゃん」という有名なチェーン店に行ったのですが、

今回は、
「風来坊」というお店に挑戦。

これも市内のあちこちに見ることが出来ます。


で、「山ちゃん」が庶民的な居酒屋風なら、
「風来坊」は、やや高級感漂う雰囲気でしたね。


お味は、
「山ちゃん」がピリピリ・スパイシー系で、
「風来坊」がみりん風味の甘め系。

女性には後者のほうがいいのかなあ…。


私は断然「山ちゃん」派です。


えっ、

何しに名古屋に来たんだ、

ですって?


キミ、

顔こわいよ。

2011070723260001



あははははは。


というわけで、

きょうは番外編でした。


東京から遠征してきたファンの方から、

「宮住さん、名古屋の美味しい食べ物屋さんを、
 紹介してくださ〜い。」

そんなリクエストがたくさんあったものですから。


次回のために、

ちょっとアドバイスをさせていただきました。


えっ、

次回!?


ええ、

きっと年内、

まだ何回か行くと思いますから。


行きますとも。


だから、

待っててねー、


ね、手羽先ちゃ〜ん!


(だからぁ、何しに行くんですか〜!?)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:33|この記事のURLComments(17)TrackBack(0)

June 26, 2011

ジャミン・ゼブ『裏・サマータイム』その3


ジ…、

ジャ…、

ジャ、ジャ、ジャ…、

ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ…、


ジャーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!


jammin' Zeb 『Summertime』

Summertime


もういいよ。

くどいから。


まあ、まあ、そうおっしゃらずに。

……。



でも、約束どおり「裏・シリーズ」の最終回です。

今回は発売前に完成させる、
なんて言っちゃいましたからね。

やるときはやる私。

……。



さあ、これで予習は完璧です。

聴いたあとに戻って来ていただければ、
さらに楽しさが増すはずです。

ええ。


では、最後の2曲、いっちゃいましょう。




06. So Many Stars ソー・メニー・スターズ

lyrics : Alan Bergman, Marilyn Bergman
music : Sergio Mendes
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb


この曲は、セルジオ・メンデス&ブラジル66の、
3枚目のアルバムに収録されておりました。

「Like A Lover」「The Look Of Love」と並んで、
私の大好きなナンバーです。


後にこのアルバムのレコード会社「A&M」の副社長、
かつ人気トランペッターで色男、
憎っくきハーブ・アルパートの妻となる名歌手、
ラニー・ホール嬢が、

美しいストリングスをバックに、
なんともセクシーに歌い上げていましたね。


まだ10代だった少年の私には、
まさに「悩殺キック・ヴォーカル」でございました。

くらくらしながら、ときめきながら、
聴いておりました。

は〜〜♡



あれから○○年後。

今度は我がジャミン・ゼブが、
女性たちをとろけさせてみたいもんだと思い、
大胆にもこんな曲に挑んでみました。

(大丈夫か…)


となるとソロは、我が陣営ではこの2人か。

……。


はい、スティーヴ君、レンセイ君、
出番ですよー。

負けじと甘〜く歌ってくださいねー。

(はーい)


ん…?



さらには、ストリングスの代わりに、
ジャミンならではの、
ビロードのようなコーラスが重厚に絡む。

原曲にはないジャズ・ハーモニーを、
あちこちに散りばめたジャミン・ワールド。


オリジナルとはまたガラリと嗜好を変えた、
素敵な素敵な、甘い甘い、夏の夜空を思わせる、
スロー・ボサが出来上がりました。


リゾート地の夜の海辺でハンモック・チェアに揺られ、
カクテル・グラスを傾けながら空を見上げると、
そこは眩(まばゆ)いばかり満天の星、星、星。

☆☆☆


キャーーーーーッ、

ロマンティックすぎる〜〜〜。


(妄想中…)




07. La Mer (Beyond The Sea) ラ・メール(ビヨンド・ザ・シー)

lyrics : Charles Trenet
music : Charles Trenet, Albert Lasry
English lyrics : Jack Lawrence
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb


これは「海」の歌です。

フランス語で「ラ・メール(La Mer)」とは、
英語では「The Sea」という意味です。


シャルル・トレネという人が作ったシャンソンで、
世界中でヒットした名曲中の名曲ですね。

後にアメリカのイケメン・ジャズ・シンガー、
ボビー・ダーリンが英語でカヴァーした、
「Beyond The Sea(ビヨンド・ザ・シー)」。

これもまたアメリカを中心に大ヒットしました。


で、今回私は大胆にも、
この二つのヴァージョンを組み合わせた、
7分半にも及ぶ大作に挑んだわけですが、

その制作が半ば終わったとき、

あの、大震災が起こりました。

……。



かつて私はこのブログで、
「松山商業」というエッセイを、
延々と書き綴ったことがあります。
(2006年エッセイ)


その中でも書きましたが、

私の母の実家は、
瀬戸内海に面する、平家の落人村として知られる、
「庵治(あじ)」という香川県の小さな漁村です。


夏休みになると、両親に連れられて、
この「庵治」のおばあちゃんの所に行くのが、
子供時代の私の最大の楽しみでした。


夕方、家の裏玄関を出ると、

左手には雄大な屋島が大きくそびえ、
目の前には美しい海が夕陽を浴びて、
静かに横たわっている。

豊富な海の幸や塩田で生計をたてる村の人たちは、
みな生き生きとしていて、
そんな美しい自然に恵まれた自分の生まれ育った場所を、
とても誇りにしていました。


舟で出かける釣り、

美しい瀬戸内海の島々、

海水浴、

素潜(すもぐ)りで取るサザエやウニ。


そう、私は子供の頃から、

そんな「海」が大好きだったのです。



しかし、そんな大好きだった「海」が、
突如暴力的な姿に変身して、
多くの命、人生、夢を破壊してしまいました。

テレビから次々と流れて来る悲惨な映像を見て、
私は、心がつぶされそうな思いでした。

……。



それ以来私は、

この曲を、このアルバムに入れることに、

ある種のためらいを感じていました。


しかしメンバーの、

「社長、入れましょうよ。
 これは美しい “音楽” ではないですか。
 完成させましょうよ。」

そんな力強い進言もあって、
結局は収録することに決めたのです。



ピアノの間奏を弾いている間中、

「美しい海」と「海によって破壊された光景」

その二つの映像が私の脳裏に浮かんでは消える。


私は涙でボロボロになりながらも、
心を込めてあのソロを弾きました。

そして、私の愛する海が、
人類に豊かな恵みを与えてくれる海が、
本来の美しい姿のままでいてくれることを、

祈りつつ…。

……。



おや、ちょっと感傷的になってしまいました。

「裏・ラメール」というより「本音・ラメール」ですね、

こりゃ。


いけません、いけません。


これ以上書くのは野暮というものです。



でも、これが私の思い描いていた「海」であり、

ジャミン・ゼブが美しく表現してくれた「海」。


淡々と、厳(おごそ)かに、

そして時に雄大に奏(かな)でられていく「海」を、

お楽しみいただけたらと思います。


そしたら、


楽しいフィナーレが待っていますから…。


♪♪♪



さ、カウント・ダウンだ!



Produced by


SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:55|この記事のURLComments(31)TrackBack(0)

June 22, 2011

ジャミン・ゼブ『裏・サマータイム』その2


ジャーン!

jammin' Zeb 『Summertime』

Summertime


えっ?

もういい?


いやいや、そんなこと言わずに。


この写真見てると、

なんだか楽しくなっちゃいませんか?

ね、

ね、

ね…。


はい、では今日も「裏・シリーズ」のつづき。




03. Rise ライズ

lyrics & music : Lensei
arrangement : Lensei & jammin' Zeb


3月11日。

私たちは代々木公園にある練習スタジオで、
来るべき「STB139 飛び石4Days!」に向かって、
快調にバンド練習をしておりました。

そこへ…、
突然の大地震が…。
……。

そして日本は、
未曾有の国難に陥ってしまいました。


ジャミン・ゼブも、
予定されていたほとんどのスケジュールが、
延期あるいは中止になってしまいました。

福島原発の動向によっては、
このまま音楽活動を続けることができるのだろうか、
といった不安な気持ちで毎日を送っておりました。


そんなジャミンが再び集まって声を出したのは、
3月31日のこと。

オーストラリアに一時帰国していたレンセイが、
1曲のア・カペラ・オリジナルを書いて戻って来たのです。

それがこの『Rise(ライズ)』でした。


We're gonna rise (rise for tomorrow)
We're gonna rise (rise through our sorrow)
After the night has gone we will carry on
A new day's begun,under the Rising Sun.

(僕たちは立ち上がろう 明日のために
 立ち上がろう 苦難を乗り越えて
 夜が過ぎればきっとまた生き続けられる
 新しい日が始まった
 昇りゆく太陽のもとで)


ジャミンのメンバーは、
懸命にこの美しい曲に取り組みました。

そして、
何かが変わった(?)4人の力強いメッセージは、
大きな感動となって、
聴くたびに私の胸を揺さぶります。


今もなお被災地で困難な生活を送っている人の中には、
ジャミン・ゼブのファンも少なからずいらっしゃいます。

今はまだCDを聴くどころではないかもしれません。
コンサートに足を運ぶことも不可能でしょう。

しかし絶対に明るい未来は来ます。

近い将来、みなさんがこのCDを手にすることが出来、
この歌に耳を傾けて下さる日を待っています。


この「under the Rising Sun」とは、
「日の丸(の旗)のもとで」
という意味もあるのですから…。


レンセイ君、すばらしいよ。

間違いなくこれは、君の最高傑作だ!



04. One Note Samba (Samba de uma nota so) ワン・ノート・サンバ

lyrics & music : Antonio Carlos Jobim, Newton Mendonca
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb


これは面白い曲ですねえ。

最初のメロディーが、
♪ソソソソソソソソソソ〜♪

お次は、
♪ドドドドドドドドドド〜♪

まさに「One Note(ワン・ノート)」の看板に偽りなし。


で、書いたときから、

最初のソロはシモンとスティーヴに歌ってもらおう、
しかも「ポルトガル語」で、
と思っておりました。

いやあ想像以上でした。


とくに、ラテン系の血をひくシモンは、
抜群のセンスで歌っちゃいましたね。

今後ブラジル系レパートリーの拡大に、
大きな期待を持たせてくれました。

スティーヴの早口音階メロもさすがです。


2コーラスめはレンセイの小粋なアド・リブ・ソロ。
そして次第にコーラス・ワークが絡んでいきます。


ピアノ間奏後に4声コーラスが勢揃いして、
♪パッパラッパパーヤ♪と歌う、
ちょっと切なくなるような部分は、
原曲にはありません。

いつものように、
私が勝手に書き加えました。

最後のクライマックスをより劇的にするために。

ジョビンさん、ごめんなさい。

あははは。


そして最後は、
美しさに力強さが加わったジャミン・ゼブの、
ビロードのような4声コーラスが、

これでもかこれでもかと、
終盤を盛り上げる、

そんな4部構成になっています。


もうもう、夏にピッタリ。

どこかのリゾート地で聴きたいな〜。



05. Summertime サマータイム

lyrics : DuBose Heyward
music : George Gershwin
including "HIGHER GROUND" lyrics & music by Stevie Wonder
arrangement : Lensei & jammin' Zeb


これは、ジャミン・ゼブにとっては、
大冒険のサウンドです。

デビュー以来一貫して、
「アコースティック」なサウンドに徹して来たジャミンが、
初めて挑むエレクトリックな世界。


コンピューター・プログラミングされたドラム、
シンセ・ムーグ・ベース、
エレクトリック・ピアノ、
シンセ・ブラス・サウンドetc.etc.

どうせやるならここまでやっちゃえ、
ということで、

才人西脇辰弥君の協力を得て、

1970年代のスティーヴィー・ワンダーや、
クインシー・ジョーンズを彷彿とさせるような、
ご機嫌なサウンドが出来上がりました。


ま、これはレンセイ渾身の力作アレンジですね。

なにしろ、これ、
1年ぐらいやってましたから。

遠征の新幹線の中でも、
楽屋でも、
ホテルのロビーでも、

いつもパソコンとにらめっこしながら、
「アー」だの、「ウー」だの、
「イエイ」だの、「ダバダバ」だの、「ガチョーン」だの、
作品の完成に没頭しておりましたね。
(最後のはウソですが)


ということで、

あまりバラすと楽しみがなくなりますから、

あとは聴いてのお楽しみとしておきましょう。


えっ?

ミュージシャン・クレジットに、
山木秀夫さんの名前があるよ。

ですって?


いいところに気がつきました。

コンピューター・ドラムが、
突然、生(ナマ)ドラムに変わる瞬間があります。

そして名手山木さんのドラム・ワークが、
終盤を盛り上げていくのですが、

では、その変わり目はどこでしょう?


探してみて下さいね。



(つづく)




早いもので、

今週の金曜日(24日)は、

学芸大「A'TRAIN」ライブではありませんか。


先月、派手に誕生日(還暦)を祝ってもらってから、

もう1ヶ月も経ったんですねえ。



なんだか、


慌ただしかったなあ…。


リリース時期はいつもこうだけど…。


……。



SHUN MIYAZUMI

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June 19, 2011

ジャミン・ゼブ『裏・サマータイム』その1


はい、今回も登場です。

ジャミン・ゼブ・ファンにはお馴染み、
最新アルバムの「裏シリーズ」。


収録楽曲の知られざる秘話、
制作過程における面白エピソード、
作・編曲の手法やその解明etc.

作品の持つ、もうひとつの顔を紹介しながら、
さらに楽しく鑑賞してもらおう、

という、涙ぐましくも愛ある企画でございます。

……。



でね、

普通これは発売後にやっておりました。


最初は余計な先入観を持つことなく、
聴いていただいた方がいいだろう、
と思っていたからです。


しかし、大震災以来、
とにかく日本は明るい話題が少なすぎます。

だから、せめて、「ジャミン・ワールド」だけは、
明るい話題を持ち続けたい。

楽しい話題は、
出し惜しみすることなく提供し続けたい。


ということで、

今回は発売前に公開することにしました。


ただし、
「余計な先入観を持たないで聴きたい」
と思ってる方もいらっしゃるでしょうから、

そういう方は、今は読まずに、
CDを先に聴いてから、
このページに戻って来て下さいね。

さらに楽しさが倍増するはずですから。


では能書きはこのくらいにして、

さっそくいきましょう。


ジャーン!


jammin' Zeb 『裏・Summertime』

Summertime


あははは。

最初から肩すかしです。


「裏・サマータイム」だから、
ジャケットの裏面が来ると思ったでしょ?

残念でした。

それは発売日までのお楽しみとしましょう。

むふふ。




01. Beautiful Smile ビューティフル・スマイル

lyrics : MIYAKO
music : Shun Miyazumi
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb


この曲の構成はこうです。

まず、ピアノのイントロに始まり、
CMでも使われているサビの部分が、
4声コーラスで高らかに歌われます。

 ♪光り浴び 花は舞い 夢抱(いだ)き
  満ちる愛に 世界は今微笑んでいる♪

そして軽快な16ビートのリズムに乗せて、
本編が始まる。

ゾクゾクするような瞬間です。


これを2回演奏します。
つまり俗にいう1番と2番ですね。

で、普通のJ-POPなら、ここで間奏が来る。

そしてもう一度サビがやって来て、
終わりかフェード・アウト。


しかし、ジャミンのJ-POPは、
そんな簡単な構成では許されない。

しかも初めてリリースする、
日本語オリジナルですからね。


なんかここに、
ジャミンにしか出来ない技を盛り込みたい。

ジャミンならではの素敵な世界を演出したい。

ううむ…。

……。



で、閃(ひらめ)いたのが、

あのインターの部分です。


美しい4声コーラスが奏でる、

In our world×4回
What a world×4回
In your smile×4回
What a smile×4回

あの部分です。


そしてお次は、それをバックに、
レンセイが英語でメロディーをなぞる。


はい、これですっかりジャミン・ワールドに、
なってしまいましたね。

日本語のオリジナルをやる以上、
ここまでやらないと気がすまない。

これ、私のこだわりです。


ちなみに、この詞を書いてくれたMIYAKOちゃんは、
関西在住の、私が敬愛する、
素晴らしい才能を持った女性作詞家。

昨年のクリスマス・コンサートで披露した、
「祈り雪」という曲も彼女の詞です。

ジャミンの世界にピッタリだと思いませんか?


ただし、この英語の部分だけは、
レンセイに書いてもらいました。


若い、素敵な才能が、

この曲に新鮮な息吹を与えてくれました。


みんな、ありがとう!


♪♪♪



さて、エピソードをもう一つ。


この曲を作るにあたって、
私は、とあるオペラの世界観をイメージしました。

というより、
その作品から強烈なインスピレーションを受けた、
と言ったほうがいいかもしれません。


それは、

『ばらの騎士』(リヒアルト・シュトラウス)



このオペラに関しては、
昨年の秋、このブログの中で、
詳しく紹介、褒めちぎっておきましたので、
興味のある方はぜひお読み下さい。


美男の貴公子オクタヴィアンを取り巻く恋愛騒動。
笑いあり涙ありの、万華鏡のような人間模様。
息もつかせない展開と素晴らしいサウンドの世界。


私は、なんとかこのイメージ、世界観、エッセンスを、
この曲に盛り込みたい、

そう願いながら書いたのでした。


うまくいったかどうかはわかりませんが、

自己満足はしております。



そういえば、

最近どなたかが、
「この曲は、薔薇色のイメージがする。」
というコメントをお寄せ下さいました。

(「手羽先日記」の頃だったかな…?)


あれ、ビックリしました。

ドキッとしました。


すごい感性ですね。

ドンピシャでしたね。

脱帽です。



待てよ…、


ということは…、


成功か…、


……。




02. Day Tripper デイ・トリッパー

lyrics & music : John Lennon, Paul McCartney
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb


このビートルズの名曲は、
「恋を抱きしめよう」(We Can Work It Out)
というシングルのB面に入っておりました。

当時にしては斬新なコード・ワークで、
子供ながらにビックリしたのを覚えています。


ちょっと解明してみましょうか。

(ちなみにジャミンはB♭のキーで歌っています)


| B♭7 | B♭7 | B♭7 | B♭7 |  
 Got a good reason〜

| E♭7 | E♭7 | B♭7 | B♭7 |
 Got a good reason〜

とまあ、この前半部分は、
ごく普通のブルース進行です。


ところが、
このあとがすごいのです。

|  C7  |  C7  |  C7  |  C7  |
 Day tripper〜

このB♭7からC7へ2度で移行するモダンな進行は、
当時の他のロック・バンドには聞くことができません。

さらに、

| E♭7 |  D7  |  G7  | F7  |
 So long〜

このあたりは、ジャズ・スタンダードの譜面を、
見ているかのような錯覚を覚えます。


約半世紀も前のロック・バンドで、
こんなモダンなコード進行を思いつくなんて…。

ジョン・レノン、そしてビートルズの偉大さを、
改めて思い知ることができますね。


だから、

こんなにモダンなんだから、

ジャズのハーモニーなんて、
容易にブレンドさせることが出来ちゃうわけです。


というわけで、ここでは、

ロックン・ロール、アフロ、ジャズ、ポップス、
ラテン、R&B、ドゥー・ワップ、グループ・サウンズ、
ダンス・ミュージックにミュージカルの要素まで、

ありとあらゆる音楽を、

ごった煮のように、
ちゃんこ鍋のように、
ブイヤベースのように、

詰め込みました。


もう何でもありって感じですね。

でも、この上もなく楽しい仕上がりです。


誰がどんなパートを、
どんなスタイルで歌っているのかを、
想像しながら聴くのも楽しいですよ。

もっとも、
ライブに来ていただければ、
一目瞭然ですがね。

あはは。


ちなみに私のお気に入りのエンディング。

Day tripper,Day tripper yeah!

が4回繰り返されるのですが、

この部分のコードはこんな風になっています。


B♭7

B♭7(9)

B♭7(6,9,#11)

B♭7 (6,#9,#11)


つまり、次第に複雑で、
危険なジャズ・ハーモニーが加わっていくのです。


う〜ん、スリリング〜だこと。


(またしても自己満足…)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 19:15|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

June 11, 2011

ジャミン・ゼブ『サマータイム』


いやあ、なんとも爽やかなジャケットですね。

とても気に入っています。


今回のキャッチ・フレーズはこうです。

「ジャミン・ゼブ通算5枚目のアルバムは、
 まさに “夏” のイメージが満載。

 ホット&クールな選曲、アレンジで、
 季節色を斬新に打ち出した、
 上質のコンセプト・アルバム。

 まぶしーい1枚です。」


ううむ…。

うまいこと言うなあ…。


ジャーン!!


jammin' Zeb 『Summertime』

Summertime


でも、看板に偽りなしですよ。

これを聴いた誰もが、
もはや「コーラス・グループ」という単純な言葉では、
言い表わせない力強さ、エネルギーを感じることでしょう。


そう、

私から見ても、
この1年の彼らの成長には、
目を見張るものがあります。

特に個々のヴォーカリストとしての力量が、
格段に進歩しました。


したがってこのアルバムでは、
今まで以上に各人の魅力的なソロを、
ふんだんに聴くことができます。

しかも、そんな強力な4人がハモるのですから、
そのコーラス・ワークの美しさと破壊力は、
言うまでもありませんね。


彼らの持ち味とされてきた、
「美しいコーラス」というキャッチを遥かに超えた、

スーパー・ヴォーカリストたちによる
「力強くも極上のハーモニー」へと、
大変身を遂げたことがおわかりいただけると思います。



さらには、

初の日本語オリジナル曲(CMタイアップ)、
大震災に思いを寄せた感動的なア・カペラ・オリジナル、
7分半にも及ぶ大作、
コンピューターやシンセ・サウンドの導入、

など、これまで見られなかった新しい試みにも挑戦。

いずれも見事な成果をあげています。



パッケージこそミニ・アルバムという形態ですが、
7曲で38分という収録時間は、
アナログ時代だったら充分フル・アルバムのヴォリューム。

これで2,100円(税込み)というのは、
なんともお得です。


では、前置きはこのくらいにして、

さっそく楽曲の解説といきますか。



01. Beautiful Smile ビューティフル・スマイル

lyrics : MIYAKO
music : Shun Miyazumi
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

 ジャミンが初めてリリースする日本語オリジナル楽曲で、
 名古屋のブライダル・チェーン「クレール」
 のTV-CMタイアップ・ソング。

 CMでは可愛い子供のカップルと一緒に本人たちも出演。

 中京圏では、
 ケーキの上で楽しそうに歌う姿をご覧になった方も、
 多いと思います。

 あの可愛い絵コンテを見せられたとき、
 すぐにイメージが出来上がりましたね。

 華やかなジャミン・サウンドに、
 さらに磨きがかかりました。


Piano & Keyboards : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani



02. Day Tripper デイ・トリッパー

lyrics & music : John Lennon, Paul McCartney
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

 お馴染み、
 ビートルズの有名なロックン・ロール・ナンバーが、
 
 ジャミンの手にかかると、
 こんなにファンキーで楽しいジャズ8ビートの、
 ダンス・ナンバーに大変身してしまいます。

 個性豊かなソロまわしと、
 チャーミングなコーラス・サウンドに乗せて、
 みなさんもぜひ踊って下さい。


Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani



03. Rise ライズ

lyrics & music : Lensei
arrangement : Lensei & jammin' Zeb

 凄惨な爪痕を残した東日本大震災。
 その惨状に心を痛めたオーストラリア出身のレンセイが、
 心をこめて書き下ろしたオリジナル。

 この上もなく美しい、
 感動的なメッセージに溢れたア・カペラです。

 「僕たちは立ち上がろう 明日のために
  立ち上がろう 苦難を乗り越えて
  夜が過ぎればきっと生き続けられる
  新しい日が始まった
  昇りゆく太陽のもとで」
   
 Under the rising sun.

 このフレーズにはもう一つの意味もあるんですね。

 レンセイ君ありがとう。



04. One Note Samba (Samba de uma nota so) ワン・ノート・サンバ

lyrics & music : Antonio Carlos Jobim, Newton Mendonca
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

 ボサ・ノヴァの創始者、
 アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲。

 前半はシモンとスティーヴがポルトガル語に初挑戦。
 後半はうねるような力強さを加えた、
 4声によるコーラスが延々と続きます。

 貴公子たちによる、
 ビロードのような極上のハーモニーを、
 存分にお楽しみ下さい。


Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani



05. Summertime サマータイム

lyrics : DuBose Heyward
music : George Gershwin
including "HIGHER GROUND" lyrics & music by Stevie Wonder
arrangement : Lensei & jammin' Zeb

 ガーシュインの名曲「Summertime」が、
 あっと驚くコンテンポラリーなサウンドに大変身。

 コンピューター・ドラム、シンセ・ベース、
 ブラス・サウンド、クロマチック・ハーモニカ。
 これらを全部一人でやってのけた、
 西脇辰弥君の才能に拍手。

 70年代のスティービー・ワンダーや、
 クインシー・ジョーンズを彷彿とさせる、
 グルーヴィーなサウンドに乗って、 
 4人のシマウマたちが奔放に駆け回ります。


Keyboards & Chromatic Harmonica : Tatsuya Nishiwaki
Drums : Hideo Yamaki



06. So Many Stars ソー・メニー・スターズ

lyrics : Alan Bergman, Marilyn Bergman
music : Sergio Mendes
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

 今年はセルジオ・メンデスの生誕70年、
 レコード・デビュー50周年なんだそうです。

 それに敬意をはらって、
 こんな曲にトライしてみました。

 スティーヴとレンセイのメロウなソロに、
 重厚なコーラスが絡む、
 まさに夏の夜空を思わせるような、
 甘い甘いスロー・ボサが出来上がりました。


Piano & Keyboards : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani



07. La Mer (Beyond The Sea) ラ・メール(ビヨンド・ザ・シー)

lyrics : Charles Trenet
music : Charles Trenet, Albert Lasry
English lyrics : Jack Lawrence
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

 シャルル・トレネの有名なシャンソン「ラ・メール」と、
 ボビー・ダーリンが英語でカヴァーして大ヒットした、
 「ビヨンド・ザ・シー」。

 この二つのヴァージョンを組み合わせた、
 7分半にも及ぶ超大作。

 ここでもシモンとスティーヴはフランス語に挑戦。
 コージローとレンセイが英語で受けて、
 雄大に、厳かに、淡々と、
 美しい世界が奏でられていきます。

 「人類に大きな恵みを与えてくれる 美しい海よ。
  いつまでも “本来の” 美しい海のままでいておくれ。」

 このサウンドにはそんな願いも込められています。

 そして、あっと驚くフィナーレが…。


Piano : Shun Miyazumi
Keyboards : Tatsuya Nishiwaki
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani



発売日は6月29日(水)です。


なお、1曲目の「Beautiful Smile」は、
ジャミン・ゼブ初の先行配信が実施されます。

詳しくは近々、
彼らのホーム・ページで発表されると思います。

ご注目下さい。



さあ、楽しみですね。


ワクワクします。


こんな7曲がライブで聴ける日ももうすぐ…。



素敵な夏よ、待ってるぞ〜!



Produced by


SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:16|この記事のURLComments(15)TrackBack(0)

June 01, 2011

ゴルフと私 その5 最終回


世に「雨男」あるいは「雨女」という言葉があります。


これって、

どのくらいの科学的根拠があるのでしょう。


むろん私は、信じてはおりません。

世の中、
その人のためだけに動いてるわけではないのですから。


例えば、

ジャミン・ゼブのコージロー君は、
よく「雨男」と言われていますし、
本人もそれを自覚しております。


しかし、果たしてそうでしょうか。


確かに、
活動初期の頃は、
大きなイベントやライブではよく雨が降りました。

彼がMCで、
「本日はお足もとの悪い中…」と始めると、
ドッと笑いが起きたもんです。


でもね、

ジャミン・ゼブがこの3年半の活動のなかで、
雨や天候不良で流したライブは、
たったの2回しかないのです。


約300本はこなしたであろうライブのなかで、

たったの2本です。


これで、コージロー君を「雨男」と呼ぶのは、

いささか酷というものです。


ゆえに私は、

「雨男」あるいは「雨女」などというのは、

やっぱり迷信にすぎないと思うのです。

♡♡♡



ところがここに、

ひょっとすると「雨男」は存在するのではないか…、

と思わざるを得ない人物がいます。


私たちは彼のことを、

「アベちゃん」と呼んでいます。


勤めていた会社をいち早く独立して、
今では立派なグラフィックの会社を経営する、
なかなかのヤリ手ビジネス・マン。

そして、
私がゴルフの手ほどきを最初に受けたのが、
実はこのアベちゃんだったのです。


したがって私は、

このアベちゃんとゴルフ・コースに出ることが最も多く、
おそらくキャリアの30%くらいは、
彼と一緒に回ったのではないでしょうか。


そして、今思うと、

ほとんどが、

雨でした。

☂☂☂



雨の日のゴルフくらいつまらないものはありませんね。


せっかくナイス・ショットしても、
フェア・ウェイに溜まった水につかって、
ボールが止まってしまう。

バンカー(砂場)なんかに入れたら、
砂が水を含んで泥みたいに重くなってしまい、
もう、どうやって出していいかわからない。

本来は美しい自然の景観を味わえるのに、
なんか物悲しい気分になってしまう。



しかし、アベちゃんは平気です。

上手いもんです。

慣れてるから。

……。



彼の「雨男」は業界でも有名です。


一度、とあるレコード会社のゴルフ・コンペに、
一緒に参加したときのことですが、

その日は晴れ予想だったのに、
さあこれから試合開始という時刻になって、
急に雨が降り始めました。

すると主催者の一人がこう言ったのです。

「誰だぁ〜、アベちゃんを誘ったのは〜…!」



「今日は雨だから多分アベちゃんはゴルフだろうな。」
と思って、からかい半分、彼の会社に電話してみると、
秘書の女性が出て案の定、

「今日は一日ゴルフなんですよ。」

(やっぱり)



珍しく関東一帯がピーカンの日に彼がゴルフだと聞き、

「これは珍しい。こんないい天気の日にゴルフなんて、
 生まれて初めてじゃないの…?」

と、お祝いの言葉でも贈ってやろうと携帯に電話すると、

「ところがさあ、今栃木にいるんだけどさあ、
 なんとここの場所だけ、氷(ヒョウ)が降って来てさあ、
 中止になっちゃったのよ。アハハハ。」

(そんなことってあんの…?)




極めつけは、こんなお話です。


ある日、

私たちは千葉の方にゴルフに行くことになっていました。


ところが朝からあいにくの雨。

と、そこにアベちゃんから電話がかかってきました。


「シュンちゃん、悪いけど俺今日パスするわ。
 天気予報も一日雨だしさ。
 これからますます悪くなるらしいしさ。
 じゃ、もう一眠りするから。おやすみー。」



しめた!

残された私たち3人は、
逆に狂喜しました。

(アベちゃんが来ないのなら、
 もしかすると天気が好転するかもしれない…。)


そして私たちは、

1台の車に相乗りをして出発。


すると…、

案の定…、

千葉に近づくにつれ、
雨が小降りになってきたのです。


そして、

目的地のコースまであと30分という所まで来て、
なんと太陽まで顔をのぞかせたではありませんか。

「おいおい、晴れて来たぞ。信じられないよ。
 やっぱアベちゃんは強烈な “雨男” なんだな。
 あははは。」

私たち3人は車の中で高笑いです。



ところが…、

コースまであと5分という所へ来て、

もう間もなく到着という所まで来て、


再び大粒の雨が降り始めた。

……。



そして、

降りしきる大雨の中、

クラブ・ハウスの玄関に車を着けようとしたその時、


ひとりの男が、

ニコニコしながら、

玄関先に立っているのを見つけました。



むろん、アベちゃんです。


そして彼は、

悪びれもせずこう言ったのです。


「やっぱり来ちゃった。

 あははは。」


「……。」




みなさん、


これでも「雨男」というものを、


信じませんか…?


……。



(ゴルフと私 おわり)





ゴルフにとって一番大切な筋肉は、

「背筋」なんだそうです。


友人の作曲家に都志見隆という人がいるのですが、

彼は、体は小さいのに、

おそろしく飛距離が出ます。


一緒に回ってて嫌になるほど、

ボールがよく飛びます。


その秘密を聞いてみると、

彼は学生時代、

「ボート(漕艇)部」にいたんだそうです。


そして、ボートくらい、

「背筋」が必要なスポーツはないんだそうです。



ということは…、


ジャミンの中で、


ゴルフにもっとも向いているのは…、


……。。。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 13:33|この記事のURLComments(12)TrackBack(0)

May 29, 2011

悲しくない60才


はじめに、

5/27(金)の学芸大「A'TRAIN」
にお越し下さったみなさん、

ありがとうございました。


たくさんの方から誕生日を祝っていただき、
本当に「幸せだなあ…」を感じた一日でした。


というわけで、

本日(5/29)、私めは、

無事に60才を迎えることが出来ました。


いわゆる「還暦」というやつですか。


♡♡♡



とは言っても、

なんかまだピンと来ないんですね。


そのライブのときにもお話したのですが…、


「20才を迎えたときは、どうだったんだろう…?」

と、これが、
ほとんど記憶にないんですね。

かつて「ジャズまくり時代」というお話でも書きましたが、
その頃の私は、
ろくに授業など出ない不良大学生で、

毎晩「ジャズ・ピアノの修行」と称して、
六本木界隈のジャズ・クラブで、
演奏ばかりしていましたから…。

成人式に参加した記憶もないし、
お酒やタバコは、
18才の頃からとっくにたしなんでおりましたから、

(こら!)

ま、特にこれという感慨もありませんでした。



「30才になったときは…?」

うん、これは嬉しかったですねえ。

その頃私はアルファ・レコードという会社にいましたが、

20代のときは、
「なめられてはいけない。
 仮にも僕は会社を背負ったプロデューサーなのだ。
 業界の人たちに、ガキだと思われてはいけない。」
と、ずいぶん気負った姿勢でやっておりました。

だから、30才になったときは、
「ようやくこれで大人の仲間入りが出来る。」

そんな喜びでいっぱいでした。



「40才になったときは…?」

ちょっぴり悲しかった…。

なんか、これで青春が終わっちゃう、
みたいな感じでね。



「50才のときは…?」

逆に感謝の気持ちでいっぱいでしたね。

こんな私でも、
周りのみなさんに支えられて、
なんとか50年も生きてこられた…。

私は、その頃出入りしていた、
赤坂や六本木のジャズ・クラブを一人ではしご。

最後は六本木の「All Of Me Club」というお店で、
お店から頂いた誕生日プレゼントのボトルを開けて、
一人しみじみ飲みながら、
感慨にふけっていたのが、

昨日のことのようです…。



そして、

「60才…。」


不思議なことに、

なんとも冷静な自分に驚いています。


そして、

今日一日のやることの多さにうんざりしながら、

でもこれを一つ一つこなさなければ…、
という完全な「仕事モード」で、

還暦を迎えました。



ただひとつ言えることは、

今まで以上に1日1日が大事だということ。


「やり残すことがあってはいけない。
 悔いを残した人生は嫌だ。」


ひと言で言えば、

こんな心境でしょうか。

……。



なにはともあれ、

素敵なメンバー、
素晴らしいスタッフ、
家族や友人、

そして、

ジャミン・ゼブを支えてくださるファンの皆様と、
これからも素敵な時間を共有していきたい、

そんな思いでいっぱいです。



その昔、

「悲しき60才」という歌がヒットしましたが、

私に関していえば、

「悲しくない60才」


はい、こんな感じです。



みなさま、

こんな私でございますが、

どうぞこれからも、


よろしくお願い申し上げます。



感謝…。


……。



SHUN MIYAZUMI



PS:早くも何人もの方から、
  お祝いのコメントを頂戴しました。

  この場をお借りして、
  改めて御礼申し上げます。


  きょうは臨時便でした。


  さ、仕事だ、仕事だ。

  ワッショイ、ワッショイ。

……。


woodymiyazumi at 12:20|この記事のURLComments(15)TrackBack(0)

May 21, 2011

ゴルフと私 その4


ゴルフのスイングで一番大切なことは…、

ボールを打つ瞬間まで、最後まで、

見ることなんです。


ところが…、

これが出来ないんだなあ。

……。



どうしても、

自分の打った方向や球筋が気になって、
ボールを打つ前に前方(の景色)を見てしまうんですね。

これを「ヘッド・アップ」と言うのですが、
これが一番いけない。

これをやっちゃうから、
ちゃんと当たらずに、
ボールが変なところに飛んで行ってしまう。


コースから外れた、
とても打つのが不可能なエリアに落ちると、

OB(アウト・オブ・バウンズ)と言って、
2打罰のペナルティーの上に、
「打ち直し」という最悪の結果になってしまいます。


つまり、
そのホールの最初のショットでこれをやると、
第二打目が四打目になってしまいます。

こうなると「ダブル・ボギー」はおろか、
「トリプル・ボギー」でも、上がれるかどうか…。



もっと最悪のケースは、

「空振り」

……。



そう、ゴルフでは、
「空振り」も1打に数えられます。

しかも、
みんなが見ている前での「空振り」なんぞ、
格好悪いったらありゃしない。             


これ、すべて、

「ヘッド・アップ」のなせる業(わざ)なのです。



そして、もうひとつは、

「飛ばそう」と思って力むことなんですね。


すると、どうしてもスイングが大きくなる。

余計な力が入って、ジャスト・ミートしない。


カキーン。

「いけね、そっちはOBゾーンだ。
 あぶない、あ、あ、あ…、
 あ〜あ…。」


ガキッ。

「ありゃ、ゴロになっちゃった。
 あ、あ、そっちは池だ。おい、止まってくれ。
 あ、あ、あ…、

 (ぽちゃ〜ん)

 あ〜あ…。」


とまあ、こういうことの繰り返しです。


「ヘッド・アップ」をする。
「力む」。


コースへ出ると、
練習場では出ないようなおバカなショットが、
次から次へと姿を現すというわけなんです。

不思議です…。

……。




ところが…、

あれは確か群馬県にある「榛名カントリー・クラブ」
でのゴルフだったと思います。

ま、実力的には私とほぼどっこいの、
大してうまくもない仲間4人でプレイをしたときの事。

……。



その日は、
5メートル先も見えないような、
霧、霧、霧。

ゴルフをやるには、
最悪のコンディションです。


ティー・グラウンドに立つと、
グリーンはおろか、
フェア・ウェイがどこにあるのかもわからない。


そこに、

一人のキャディーのおばさんがやって来ました。

「今日一日、よろしくお願いしま〜す。」



で…、

このキャディーさんが、

すっごいプロなんです。


この辺では、この季節、
こんな霧はよくあるんだそうで、
ちっとも驚いていない。

私がボールをセットして打とうとすると、
キャディーさんは斜め右を指差し、

「はい、宮住さん。
 このホールはグリーンがあっちの方向にあります。
 少し右目に構えて打って下さい。」


そして私は言われた通りに1打目を打った。

カキーン。

ボールは、いい角度で上がったと思ったら、
すぐに霧に隠れて見えなくなってしまいました。


するとキャディーさん、
「はい、ナイス・ショットですよ。
 フェア・ウェイど真ん中です。」

(なんで、わかるの…?)



2番目に打った奴のボールも、
あっというまに消えた。

なのに…、

「あらら、ちょっと右に行き過ぎましたね。
 でも大丈夫。
 バンカーまでは届いてません。」

(だからあ、なんで、わかるのよ…??)



そして、みんな打ち終わると、
フェア・ウェイを歩くのですが、
霧の中の行軍で、
どこに何があるのやらさっぱりわからない。

ところが、
そのキャディーさんは、
4人のボールが落ちているところまで、
迷わず私たちを導いて行ってくれるのです。


「はい、ありましたよ。
 これが宮住さんのボールね。
 グリーンまではあと150ヤードくらいですが、
 打ち上げになっているので、
 ちょっと大きめなクラブがいいですね。
 そうね、宮住さんの体型だったら、
 5番アイアンがいいかしらね。」


ところが、

グリーンなんて、
どこにも見えやしない。

どころか、
あちこちに散らばった仲間すら、
誰がどこにいるのかも、
さっぱりわからない。

一寸先は霧、霧、霧なんですから。


私は、またしても仕方なく、
キャディーさんの言う通りに、
彼女の指差す方に向かって打ちました。

カキーン。

ボールはあっというまに霧に隠れて、
見えなくなってしまいました。


でも、キャディーさんはこう言う。

「はい、ナイス・ショットですよ。
 おそらくグリーンに乗ってますよ。」

「……???」



すると彼女は、大きな声で、

「みなさーん、私が行くまで、
 絶対打っちゃだめですよー。」

と言うと、

今度は、2番目に打つ奴のところへ走り去った。


というより、

すぐに私の視界から消えた。

霧のなかに…。



そして、

「○○さんは、4番アイアンね。
 あっちの方向ですよ。
 ううん、もう少し左に構えて。
 そうそう、それでいいですよ。
 はい、打ちましょう。」

なんて声だけが聞こえる。
二人の姿はちっとも見えない。


カキーン。

「はい、いいですね。
 ちょっと奥目だけれど、
 パターで打てるところに落ちたと思いますよ。」


とまあ、

こんな感じです。


まるで魔法を見ているようでした。



そして霧の中を歩いて行くと、
ようやくグリーンと旗が見えてきました。

そして、

キャディーさんが言ったとおり、
私のボールはピンから10メートルくらいのところに、
ちゃんと乗っていたのです。


2番目の彼のボールも、

3番目に打った彼のボールも、

4番目の彼のも、


みんな、キャディーさんの言ったとおりのところに、

ちゃんとありました。

……。



こうして私たちは、

なんらトラブル・ショットもないまま、
前半の9ホールを終え、

私に関して言えば、
「44」という信じられないハイ・スコアが出たのです。


しかも、

こんな視界ゼロに近い環境のなかで、
一つのボールも無くすことなく、
ホール・アウトしたのです。

これも奇跡です。


他の3人も、

まったく同じことを言っておりました。



つまり、

視界がないから、
景色が見えないから、
ボールを最後まで見るしかない。

「ヘッド・アップ」の仕様がない。


飛んでる距離がわからないから、
「飛ばそう」という力みも生まれてこない。


最良のフォームで、

ゴルフを続けていたと、

まあ、こういうわけです。



しかし…、

な〜んにも面白くありませんでした。

……。




さて、午後になると霧が晴れてきました。

美しい榛名高原が一望に見渡せる。

グリーンもフェア・ウェイもバッチリ見える。


素晴らしい環境の中で、

後半の9ホールが始まりました。



すると…、

私たちのボールは…、


あっちに曲がり、こっちに曲がり、

OBは出るわ、池に落ちるわ、バンカーに吸い込まれるわ、

もうもう、いつものゴルフに逆戻りです。



景色が見たくて「ヘッド・アップ」し、

距離が知りたくて「力」が入り、

それはそれは、散々な結果となりました。


無くしたボールも9個を数えました。


な〜んで…?


……???




でもね。

後半の方が、100倍楽しかったです。


いくらいいスコアが出たって、
飛んだボールが見えないゴルフなんて、
ちっとも面白くありませんよね。


やはりゴルフは、

お天気のいい日にかぎります。


雨の日もいやですねー。


ところが、

私の周りには、
とんでもない「雨男」がいるのです。


次回は、

このシリーズの最終回として、

そんな、強烈な「雨男」のお話でもしましょうか。



ほんと、


すごいですよー、


この「雨男」ったら…。


……。



(つづく)




今日は、こんな写真を引っぱりだしてみました。

今を去ること20年くらい前ですから、

私が40才前後の頃の写真というわけです。


このゴルフ・コースには、
「あなたのフォーム、チェックします。」
という連続写真撮影のサービスがあって、

私は、1,000円くらい払って、
撮ってもらったのですが、

さて、これらの写真を見て、

みなさんは、どう思われるでしょうか。


Scan 3

えっ?

「右手をもう少しかぶせた方がいいんじゃないか。」

ですって?


いや、そうじゃないんだなあ…。

……。


Scan 4

えっ?

「スタンスが狭いから、ひねりも弱い。
 これじゃボールにパワーが出ないんじゃないか。」

ですって?


いや、そうではなくて…。

……。


Scan 2

えっ?

「おへそをもう少し前に突き出す感じ。
 つまり、もう少し背中が反(そ)るような感じの方が、
 飛距離が出るんじゃないか。」

ですって?


いや、そうじゃないんです。

……。



私が見て欲しかったのは…、



髪の毛(の量)なんです。


……。



(拡大可)



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:46|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)

May 16, 2011

ゴルフと私 その3


ゴルフというのは、

実にメンタルなスポーツです。


そして、ゴルフ場というのが、

そうした人間の心理を、

うまく利用して作ってあるんですね。



ゴルフを始める前の私は、

「止まっているボールを打つのが、
 何でそんなに難しいんだろう?」

という疑問を持っていました。


今ならはっきりこう答えますね。

「ゴルフ場は平らじゃないからです。」

と…。



練習場では、
平らなマットの上にボールを置いて打ちます。

だから、ちゃんと練習さえ積めば、
誰でもいい球が打てるようになる。


ところが、ゴルフ場では、
フェアウェイと言えども平らではない。

デコボコです。

そのとき、ボールがどの位置にあるのかで、
次の打ち方やフォームが変わっていくんですね。


右肩上がりの場合はこう。

左肩下がりの場合はこう構えてね。

ラフに入れたらこんなスタンスで打つんだよ。

打ちおろしはこんな感じで。

打ち上げはこうするのよ。

……。



ましてや、

私のようなヘボ・ゴルファーは、
トラブル・ショットとの戦いです。


小山の中腹に突き刺さったボールを、
とんでもない姿勢で打たねばならない…。

崖(がけ)の下に落っこちたボールを、
変な打ち方をするから、
正しい打ち方を知らないから、
さらに傷口を拡げてしまう…。

林の中に入れたボールを、
無理して、わずかな隙間から前に打とうとするから、
木々に当たってキンコンカンと最悪の事態に…。



さらに…、

ここが一番重要なのですが…、


ゴルフというのは、

ある意味「トラウマ」との戦いなんですね。



たとえば、
グリーンまで残り90ヤードの地点まで来たとする。

で、目の前に、
大きな池がある。


すると、通常の人間のなかには、当然ながら、

「池に入れたら大変だ…、絶対池を越えなければ…、」

という、イヤ〜な心理が働くんですね。


緊張が走る。

変な力が入る。


だから、

見事に、

ポチャ〜〜〜ン。


あちゃ〜〜。

……。



ところが、

池さえ無ければ、
心理的圧迫さえ無ければ、

たいていの人は、
難なくグリーンに乗せることができます。



他にも、

崖、

川、

バンカー(砂場)、

などなど、


ゴルフ場には、

そうした人間の心理をあざ笑うような罠が、
あちこちに仕掛けられています。



だから、

前回書いたように、
元アルファのM社長のように、

ゴルフ場に行く回数が多ければ多いほど、
自然と上手くなるんですね。


だから、お金がかかる。

でも、それがゴルフというもの。


「経験こそが上達への道」

……。



冗談じゃな〜〜い。


だから、私はゴルフをやめました。



だって、

好奇心旺盛の私は、
ゴルフだけに夢中になる訳にはいかない。

年に5〜600万もゴルフに投資する余裕なんか無いし、
そんな気もサラサラない。



そして、もう一つの理由は、

朝が早いから。


このお話の冒頭にも書きましたが、

東京に住む人間ならば、
千葉、茨城、静岡、栃木、群馬、
といった所まで足を運ばないと、

ゴルフを楽しむことはできません。


当然、行くのに時間がかかる。

ひどい時は、車で3時間も4時間もかかる。


だから朝早く起きなければいけない。


日頃ジャズ・バーで、
夜遅くまでワイワイ騒いだり、
ピアノを弾いて飲んだくれるのが楽しい私には、

とうてい無理です。

自殺行為です。

……。




そこへいくと、

アメリカはいいですねえ。


ニューヨークなんか、

マンハッタンはハドソン川に沿って走り、
橋を渡ってニュージャージーに出ると、
もう、そこは、

いきなり軽井沢のような景観。


1時間もすれば、
ゴルフ・コースに到着です。

お値段も、
たったの10ドルくらい。


え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?



その代わり、

立派なクラブ・ハウスもなければ、
大風呂もなければ、
キャディーさんもいません。

自分たちでカートを運転して、
さっさと回るのです。


でも、それでいいじゃありませんか。

10ドルなんだから。


「そもそもが、
 広い土地を利用して作ったんだから、
 高いお金は取れない。」

これが、アメリカ人の精神なんだそうです。


うらやましいなあ…。

……。




ちなみに私のスコアですが…、

ま、平均すると、
100〜110くらいでしたかね。
(18ホールで)


え?

「このヘタクソ」ですって?


(うるさいから)




ま、たいていのコースでは、
18ホールで72(パー)というのが基準です。


最上級のアマチュアのことを、
よくシングル・プレイヤーと言いますが、

これは、それに8〜9打を足した、
80前後で回る人のことを言います。


コンペなんかで、
ハンディ・キャップがシングルの人がこれですが、

なあに、
別に尊敬する必要もありません。

お金と時間がいっぱいあっただけの人たちですから。

ふん…。



一般に、「上手いなあ…」と思える人は、
だいたい90くらい。

つまり平均すると、
パー72に18ホール分を足して、
ボギー・ペースということになる。


俗に「教え魔」というのは、
この辺の人たちに多いようです。


ただし、

運動神経の優れた若者のなかには、
ちょっと練習しただけで、
このくらいのスコアを出す人がいますが、

ま、これは大したもんです。

パチパチもんです。



ところが…、

そんな私が…、

「ハーフ44」という驚異的スコアで、
回ったことがありました。



しかも、

5メートル先も見えないような、
濃い、濃い、霧の中で。

これ以下はないというような、
最悪のコンディションの中で…。



そのとき、私は開眼したのです。

「そうかあ、
 ゴルフというのは、
 こういうことだったんだ…。
 うん、うん…。」

……。



さあ、いったい私に、


なにが起こったというのでしょうか…?


……??




(つづく)




最近ゴルフを始めた方、

いっこうに上手くならない方、


次回は必読ですよ。

……。



そういえば、

最近ゴルフをやり始めた息子のシマムくんに、

私は、自分が使っていた、
ゴルフのクラブやバッグなど一式、
惜しげもなく、くれてやりました。


彼は、喜んでそれらを愛車に積んで、
休みの度(たび)に、
練習場に出かけているようですよ。


ほんわか…。


♡♡♡



私はといえば、

毎日スタジオにこもって、
ジャミンのニュー・アルバムの仕上げです。


出前の弁当を食いながら。

「タバコがタバコがすすむく〜ん♪」になりながら。

肩こり、首こり、こ〜りこり。


で、今朝も終了したのは夜中の3時でした。

……。



ね、


だからゴルフは無理なんです。


あたしには。



ふん…。


(やけくそ気味…)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 17:30|この記事のURLComments(4)TrackBack(0)

May 07, 2011

ゴルフと私 その2


最近は、あまり見られなくなりましたね。

なにが?


駅のホームや交差点で、

ゴルフ・スイングの真似をするおじさんたち。

……。



カッコ悪いと悟ったのでしょうか。

それとも景気が悪くなって、
みなさんゴルフどころではなくなったのでしょうか。


「パパ、カッコ悪いから、
 外でゴルフの真似すんの、やめてね。」

と、娘さんに言われたのでしょうか。


「そんなお金あったら、
 少しは家計に回してよね。」

と、奥さんに叱られたのでしょうか。


ま、いずれにせよ、

かつてのような狂躁的な雰囲気は感じませんね。

ニッポン…。



でも、

相変わらず、

石川遼君の出場するトーナメントには、
毎回、2万人近いギャラリーが集まります。


やっぱり、まだまだ、

人気スポーツなのでしょうか。

ゴルフ…。



あれだって、そんなに安くはないんですよ。

プロゴルフ・トーナメント。


あんなの見に行くために高い入場料払うんだったら、
1回コースに行った方がいいのになあ…。

人の見るくらいだったら、
自分でやればいいのに、もったいないなあ…。

所詮アマチュアなんだから…。


私は昔からそう思っておりました。


だって、ゴルフってお金かかるんですから…。

……。




私が夢中になってやってた90年代は、

ちょっとしたゴルフ場で1日プレイすると、
休日で2〜3万円、平日で1万円が相場。


しかも、そうしたゴルフ場は、
千葉、茨城、静岡、栃木、群馬、
といった、東京から離れた場所に多くありますから、
車で行くとしても時間がかかる。

その交通費やガソリン代もバカにならない。


さらには、食事代、飲み物代、

そして、私のようなヘボゴルファーだと、
あっちの池にポチャーン、
あそこの谷底へサヨナラ〜、

と、ボール代もバカにならない。

あれ3個で1,000円くらいするんですから。


というわけで、

一回コースに行ったら、

一体どれくらいお金がかかるのやら…。


ま、他のレジャーに比べたら、

こんな「金食い虫」の遊びは無いわけです。

……。




ところが、

やはりバブルだったんでしょうかねえ。


当時、ちょっとしたコースに、
1ヶ月前に予約を入れたら、
すでに満杯なんてこともザラでした。

安いお得なコースなら、
2、3ヶ月先まで一杯、
なんてことも…。


いったい、どんな国だったのだ…?

どういう時代だったのだ…?

どんだけ景気が良かったのだ…?

……。



こんな “一億総ゴルファー” の国を、

外国人はどう見てたのでしょうか…。

……???



はい、もちろん冷ややかでした。

ま、そんなお話は追々しますが…。



だから、

アマチュアで上手い人というのは、
当然お金持ちということになります。


さらには、自分で時間をコントロールできる人。


私の周り(音楽業界)で言えば、

社長クラスの人、著名な作家、有名なタレント、歌手、
音楽評論家、テレビのプロデューサーetc.


私が昔勤(つと)めていたレコード会社のM社長などは、

週に2、3度はコースに出かけ、
それ以外の日でも、
毎日のように練習場でひたすら打ち込む。


ま、それだけやれば、
誰でも上手くなります。

素質なんか無くても。

ふん…。


もっともこの社長は、

「シュン、ゴルフなんてのはね、
 回数よ、回数。
 回数をかければ、どんなバカだって上手くなるのよ。」

と開き直っておりましたが…。


「それには、金がかかるんだよね。
 僕なんか、1年に5〜600万くらいは、
 ゴルフにつぎ込むからね。
 ま、そんだけつぎ込められるように、
 早くヒットを出して偉くなることだね。
 アハハハ。」

と、自分の下手(へた)を逆手に取って、
変な激励を私に与えておりましたが…。


ふん…。



しかし、

それだけお金がかかっても、

やはりゴルフには魅力があるのでしょう。


私も当時、下手なりに夢中になったわけですから、

よ〜くわかります。



ま、ひと言で言ってしまえば、

「究極の現実逃避」ですかね。


あるいは、

「究極のストレス発散」かな。



あの広々とした大自然の中で、
自分の打った球の行方に熱狂したり落胆したり。

必死でクラブを選択したり、
パットのコースを読んだり。


とにかく、

ゴルフをやってる間だけは、
仕事はおろか、
浮き世の事など一切忘れて集中するのです。

嫌な事、困った事など一切忘れて、
大の男が熱中するのです。



だから、

もしも、あなたのご主人が、

「明日は接待ゴルフなんだよ。
 本当は家で休みたいんだけど、
 会社の命令だからね。
 朝も早いし、億劫なんだけど、
 ま、これも仕事だから仕方ないね。」

と言っていたら、

それはウソです。


それが証拠に、

こそ〜っとご主人の部屋を覗いてみなさい。


まるで遠足の前の日の子供のように、

嬉しそうに、喜々として、
一生懸命、靴やクラブやボールを磨いたり、
しきりに天気予報を気にしたりしているはずですから。



そして、

日焼けして帰宅したご主人が、

「いやあ、きょうは行って良かったよ。
 おかげで、今度の取引は上手くいきそうだよ。
 ほら、ゴルフてのは、
 1日中その人と一緒に回るわけだろ。
 だから話す時間がいっぱいあるんだよ。
 ほんと、接待ゴルフも大切なんだなあと思ったよ。
 あははは。」

と、言ったら、

それも真っ赤なウソです。



ゴルフ場では、

誰一人、仕事の話なんかしません。


接待している方も、されてる方も、

みんな自分のプレイに夢中で、

仕事の事なんか考えたりしません。


人の事なんか一切眼中にありません。


とにかく自分のゴルフに集中です。

ええ、集中、集中。

会社の金を使って…。


ん……。



「あ〜あ、
 なんでスライスするんだよ。
 きのうの練習じゃバッチリだったのに。」

「いけねえ、俺はバンカーだよ。
 しかも目玉だ。
 ありゃ、後ろに出した方がいいかねえ、君。」

「あっ、いけない、そっちはOBだ。
 ファ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ。」

「あ〜あ、今度は左だ…。
 もしかして池ポチャかな、ねえキャディーさん。」

「プッ、ご愁傷様で。
 カキーン。
 おっ、俺、今度はいいぞ。
 こりゃバーディー・チャンスだぞ。
 ウシシシ。」
 


はい、これが実態です。



えっ…?


そんなことバラしたら、

世のご亭主たちを敵にまわすぞ、

ですって…?



かまいません。

私はとっくにゴルフなんかやめましたから。


な〜んにも恐くないも〜ん。

あはは。


今の私は、

女性の味方だも〜〜〜ん。


あはは、


アハハハ、



( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


……。



(つづく)




あ〜、終わった、終わった。


なにが?


決算です。



さ、遊ぶぞー。


えっ…?

明日からスタジオだって…?

しかも毎日…?

……。


(わ、わたしは、いつ遊ぶのだ〜〜…?)



そう、だから、今日の私は、

やっかんでいるのです。


GWをゴルフや海外旅行で満喫した、

世の亭主どもを…。


とまあ、

そういうことにしておいて下さい。

ね。



ということで、


そ〜っと、


退散…。



退散…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:08|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

May 01, 2011

ゴルフと私


ゴルフか…。


10年前にピタッとやめてしまいましたが、
ま、その理由はおいおい述べるとして、

かつては私も、
夢中になってやった時期がありました。


30代の終わりから50代の初めくらいまでにかけて、

だったかな…。


ということは、

一番盛んにやってたのが、
主に1990年代というわけで、

これはまさに、
日本経済のバブルとその崩壊時期にあたります。



面倒くさそうなので、
最初はその気もなかったのですが、

友人に熱心に誘われて始めてみると、
これがなかなか面白い。


難しいけど面白い。

ちっとも上手くならないけど楽しい。

ちょっぴり大人になった感じで誇らしい。

なんか特権階級の遊びみたいで気持ちいい。


なによりも、

あの開放感がたまりませんね。


見渡す限り、緑、緑、緑。

爽やかなそよ風、鳥のささやき。

ソヨソヨ〜、チュンチュン♪


美しい自然の景観に囲まれてプレイをしていると、
この広大な大地は、自分一人のためにあるんだという、
錯覚にすら陥ってしまいます。

登山家が山を征服したときに、
四方八方を見下ろして爽快な気分になるのと同じ快感。


な〜んちゃって、

登山なんて、やったこともありませんが。

……。



そんな90年代のはじめ、

国中がバブル景気に沸きかえっているとき、

(私には何の恩恵もありませんでしたが…)


日本はまさに「ゴルフ・ブーム」でした。



40才以上の男性で、
およそゴルフをやらないやつは、

よほどの変わり者か、貧乏人だと思われて、
相手にもしてもらえなかった。

そんな時代でしたね。


居酒屋でも、焼き鳥屋でも、寿司屋でも、ラーメン屋でも、
スナックでも、バーでも、会社でも、病院の待合室でも、

男が複数人集まると、
もうもうゴルフの話ばかり。


そして、

これは日本だけの現象でしょうが、

みんな、やたらと教えたがるんですね。


自分よりも下手なやつ、
あるいは初心者が周りにいると、
頼んでもいないのに、
その辺のおっちゃんが教えに来る。

みんながよってたかって教え魔に変身。

おせっかいオヤジのオン・パレード。


「ああ、それじゃあダメなんだよ。
 ちょっと構えてごらん。
 ううむ、右手をもうちょっとかぶせて。
 そう、そう、いい感じだよ。」

「あ〜あ、それじゃスライスするに決まってるよ。
 こう、こう、腰をこういうふうにひねってね。
 そう、そう、それ、それ、いい感じだよ。」

「あ〜あ、スタンスがなってないなあ。
 ちょっと僕をみててごらん。
 こう、こう、こう構えてね…。」

「……。」



とまあ、日本中がゴルフの先生だらけ。


そのくせ、
一緒にコースを廻ってみると、
意外と大したことがないんですがね、

これが…、

みんな…。



そして、

もう街中が、

「にわかゴルファー」「すちゃらかゴルファー」

の、オン・パレード。



駅のホームで、電車を待ってる間も惜しんで、

あっちでも、こっちでも、

みんな真剣な表情でスタンス(構え)の研究、
素振りのイメージでフォームのチェック。


雨の日なんか、

傘をクラブに見立てて、駅のホームで、
素振りをやっちゃうオッサンもいたりする。

その水しぶきがパーッと周りに飛び散る。

(もう、人迷惑だなあ…)


その辺の路地で、近所のおっちゃんが、
クラブを持って素振りをしているのに気がつかず、

危うく強打を免れるような目にあったこともあります。

(もう、危ないんだから〜…)



これは、本当の話ですが、

当時、ニューヨークのマンハッタンの交差点で、
信号待ちの間に、
ゴルフのスイングの真似ごとをやってる人を見ると、
間違いなく日本人と思っていい。

アメリカ人の間で話題になっていたそうです。


おい、

恥ずかしいぞ。

日本の男性諸君。

……。



えっ、あなたのご主人もそうでしたか?

あら、あなたのお父さんもそうなの?

おやおや、あなたの彼氏も?


やれやれ…。

……。



えっ、

おまえはどうなんだ、

ですって?



ううむ…、


どうだったかな…、


ええと…、



やってたかも…。


あはは…。


……。。。




(つづく)





遅ればせながら、

4/28(木)の学芸大「A'TRAIN」
にお集りのみなさま、

ありがとうございました。


変則開催なので、
ちょっと心配しておりましたが、
たくさんのお客さんにお越し頂き、

大変楽しゅうございました。


激しくスイングしたわりには、
膝は特に悪化は致しておりません。

治ってもいませんが…。

……。



次回は5/27(金)の開催です。


これは私の「バースデイ・ライブ」

ということになるのでしょうか…。


しかも、

「還暦」というおマケまでついた…。

……。



ギャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 16:45|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

April 24, 2011

手羽先日記 その3


4月8日(金)

久しぶりにぐっすり寝たように思う。

爽やかな目覚めだ。


ところが…、

ホテルの部屋のテレビをつけたら、
またまた生々しい地震のニュースをやっている。


どうやら昨晩遅く、
東北方面で大きな余震があったというのだ。

場所によっては、
震度6強という、かなり強いものだったらしい。


避難所では口々に、
「こんなの余震じゃなーい!
 本震なみの強さじゃないか。」
という怒りの声も聞かれる。

心配な原発も、
一時停電して、
頼みの注水がストップという事態も起こったそうなのだ。

危機はまだ去ってはいないのだ。


やれやれ…。

……。



しかし…、

ここ名古屋では、

何ごとも無い。


「へえ、そんなことがあったの〜?」

てな具合に、

いたって普通の日常なのだ。


きのうのライブが素晴らしく、
再びジャミンと一緒に音楽活動ができる喜びで、
大いに羽目を外しただけに、

「あ〜あ、やっぱり、
 東日本は “まだまだ” なんだなあ…。」
という現実に、

一挙に引き戻されてしまった。

残念ながら…。


そんな目覚めだったのだ…。

……。



それでも気を取り直して、

シャワーをして、
支度をして、
チェック・アウトを済ませ、

「ザ・グランクレール」に向かった。


今日も追加公演という名の、
2回の公演がある。


そして今日の2回は、

3月11日の大震災によって、
パタっとチケットの売れ行きが止まったと聞いていたので、
心配していたのだが、

幸いなことに、
それは杞憂に終わった。


1回目から、
たくさんのお客さんが入場してきて下さった。


初めて見る東海地区のみなさん。

「なんとか来ることが出来ましたわ。」
という、懐かしい関東のファンのみなさん。

「本当は昨日帰る予定だったのだが、
 あんまり良かったので、
 もう一泊しちゃいましたわ。」
という、嬉しい居残り組のみなさん。


そして今日も、

ジャミンは素晴らしいパフォーマンスをしてくれた。


♪♪♪



こうして、

私たちは再び音楽に戻ることが出来たのだ。


なんという幸せであろうか。


こんな素晴らしい環境を与えて下さった、

坂井社長はじめクレールのみなさん。

友人の甚目さん。


そして、

このコンサートにご尽力頂いた全てのスタッフのみなさん。


すべてのみなさんに感謝だ。


この素晴らしい3日間を、

私は一生忘れることはないだろう。


そして、

また来るぞー。


そう、

もう早くも次のライブ企画にむけて、

私たちは動き出しているのだから…。


♡♡♡



それにしても…、

この膝の痛さはどうだろう…。


もちろん、

昨夜「名古屋ケントス」で踊りすぎたせいだ。


しかし、

それが何だというのだ。

……。



そして、

この胸焼けのひどさはなんだろう…。


もちろん、

手羽先を食べ過ぎたせいだ。


この2日間で、

私は30本以上の手羽先を食べたのだ。


しかし、

それが何だというのだ…。

……。




帰りの新幹線の中で、

私とショーちゃんは、

缶ビールでささやかな乾杯をした。


華やかに復活したジャミンの健康と、

これからの活躍を祈念して。



そして私たちは、

3日ぶりに新横浜の駅に降り立った。



ん…?

この暗さはなんだ…?


そうか、

関東では今だ「節電」の真っ最中なのだった。


明るい、明るい、名古屋とは大違いだ…。

……。



しかし、

それが何だというのだ…。


私たちは、

元気に生きているではないか。


困難な日々を送っている東北のみなさんに比べれば、

なんの不満があるというのだ。


そうだ、そうだ。


そうだ、そうだ、そうだ、そうだ。


!!!



そんなことを再認識させてくれた、

名古屋に感謝だ。


また行くぞー。



待ってろ手羽先!



ん…。


……。




(おわり)




これって、
まだ2週間前のことなんですね。

あの日以来、
時間の経過がやけにゆっくりと感じられるのは、
私だけでしょうか。


しかし、

ここで元気を取り戻した私は、
毎日のようにスタジオにこもり、

6/29発売のニュー・アルバム、
「Summertime」の完成にむけて、
全身全霊で取り組んでおります。


そして、

明日(4/25)は、
久しぶりに東京でのジャミン・ライブですね。


「Beautiful Smile in TOKYO」



東京のみなさんにも、
ようやくご披露できるんですね。

あの曲が…。

そして、あの曲も…。

……。



おかげさまで、

チケットも完売したそうです。


大いに盛り上がりましょう。


そして、私たちの思いを、

東北に届けましょう。



膝の痛みは一向にとれませんが、

がんばります。


なあに、膝なんて、

またお酒を抜けば治ります。


酒をやめないから治らないのですが、

それが、

何だというのでしょう。



そうだ、そうだ、そうだ!



ん…?


……。



SHUN MIYAZUMI



(追記)

今週の私のライブ(学芸大 A'TRAIN)は、
4/28(木)の変則開催でーす。

金曜日(4/29)が祝日のため。

お間違えのなきよう、お集まり下さいませ。

膝を使わない特殊テクニックでスイングしてみせますから。

ギャハハハ。

Shun Miyazumi

woodymiyazumi at 21:40|この記事のURLComments(8)TrackBack(0)

April 17, 2011

手羽先日記 その2


4月7日(木)

いよいよ名古屋ライブの初日だ。


なんとなく朝からソワソワ。

久しぶりにジャミンを聞かせられる喜びと、
遠くから遠征してくるであろう、
たくさんのファンのみなさんとの再会に、
胸が躍るような気持ちだ。

なにしろ2月11、12日の「日本橋三越」以来、
ジャミンが公(おおやけ)の場で歌うのは、
本当に久しぶりなのだ。


メンバーとショーちゃんは、
テレビ出演(NHK総合「さらさらサラダ」)のため、
早くに出かけたようだ。

私は直接会場(ザ・グランクレール)に出向き、
PA(音響)や照明、
進行の段取りなどをチェックする役目。


タクシーから、
満開の桜が見えたので、
タクシー運転手の女性に、
「きれいですねえ」と私。

「本当に、きれいですねえ。
 でも今年は名古屋でも花見は自粛なんですよ。」
と、その女性ドライバーは言う。

(へえ、そうなんだ。
 そんな必要ないと思うんだけどなあ…。)



さて、大変綺麗な会場で、
(普段は結婚披露宴が行われている場所)
準備万端整ったお昼の12時頃、

TV出演を終えたジャミンが元気に帰って来た。


なにしろ、
3月11日の震災以降、
明日(8日)の追加公演のチケットの売れ行きが、
パタッと止まってしまったらしいのだ。

これも致し方のないこと。


そのために出演させてもらうことになった番組。

そして、少しでも当日券を売りたいので、
この番組で告知できることを、
大いに期待していたのだが…、


が…、

彼らの登場後、
ファックスがたくさん入って来て、
それをアナウンサーの方が読み上げているうちに、
番組が終了してしまったんだそう。

明日のライブの告知をする前に…。

ありゃりゃ…。

……。


しかし、これも致し方のないこと。

それだけ反響があるというのもまた、
大変に嬉しいことだ。

NHKのみなさんに感謝、感謝。



さて、リハーサルも順調に終わり、
いよいよ14:30の開場が近づいて来た。

驚いたのは、
本当にたくさんのスタッフさんを、
クレールさんが用意して下さったこと。

お客さんに、
万が一にも失礼がないようにと配慮された、
坂井社長以下スタッフのみなさんの心遣いが、
本当にありがたい。


そして開場。

たくさんの東海地区の方に混じって、
一人また一人と、
なつかしい関東のファンのみなさんの顔、顔、顔…。


ああ、嬉しいなあ。

みなさんもそうだろうけど、

こっちもこの日を待ちわびていたのだ。


♪♪♪



そしてライブが始まる。

ジャミンが華やかに2階から登場する。

そして、1曲目「Come On Get Happy」で、
いきなり全開モード。

いつもの興奮が早くも甦る。


How Deep Is Your Love♪

Take The 'A’ Train♪

I Do♪

♪♪♪



この日を待っていたのは、
ジャミンのメンバーも同じだ。

そして彼らは、
震災前よりも素晴らしかったと思う。

「歌いたい」という気持ち、
「伝えたい」という気持ちが、
空回りする事無く、
今までよりも、力強く鳴り響いていたように思う。


そして、この日のクライマックス。

3月のSTB139が流れたため、
この日が初演となってしまった、
「Beautiful Smile」
の演奏が始まった。

♪♪♪



ま、元はと言えば、
この「クレール」さんのCMソングとして、
新たに書き下ろした新曲なわけだから、

よくよく考えたら、
この場所で初演するのが妥当も妥当なわけだ。

このときばかりは、
不思議な運命めいたものを感じたな…。

……。



ところで反響はどうなんだろう…。

ドキドキ…。

……。



うわ、すごい拍手だ。

パチパチパチパチパチパチパチだ。


ああ、良かった。

この時ばかりはホッと胸をなでおろす。


そして、

O Love Will Never Let Me Go♪

で、感動的にコンサートは終わった。

……。



ジャミンをやってて良かった。

音楽を再開出来て良かった。


甚目さんが言うように、

この日一番感動していたのは、

私かもしれない。

……。



2回目のステージも完璧だった。


2011年4月7日という日を、

私は決して忘れることはないだろう。


いや、忘れてはいけないと思う。


♡♡♡




というわけで、

さあ、今日は1日早い打ち上げだ。

みんなで「やまちゃん」へ行って手羽先を食おう。


そうだ、そうだ、

今日も手羽先だ、手羽先だ。

ビールだ、ビールだ。


ん?

……???



いつもは、

翌日もステージがあるときは、
このようにメンバーを誘うことなどない私だが、

今日は特別だ。

ジャミンの再出発のめでたい日だ。


みんな、食おう、食おう。

飲もう、飲もう、飲もう。


ん…?

……???




そして、しこたま飲んで食べた私は、

その勢いのまま、


ショーちゃんを誘って、

「名古屋ケントス」で、

レベルスのオールディーズの演奏と歌に酔いしれ、


ついには我慢できずに、踊り狂ったのだった。


腰をひねり、膝をひねり、

ツイスト、ツイスト、ツイスト、

イエイ、イエイ、イエイ、イエ〜〜〜イ♪


声を張り上げ歌ったのだった。

イエ〜イ、イエ〜イ、イエ〜〜〜〜〜〜〜イ♪

………。




翌朝、

私の膝は最悪の状態に戻っていた…。


せっかく治りかけてたのに…。

……。



しかし、

それを誰が責められよう。


この愚行を、


誰が責められよう…。



そうだ、そうだ、そうだ〜〜〜、


……。




あっ、


痛っ…。


………。




(つづく)





バカな奴と笑ってやってください。

あはははは。

(お前が笑ってどうする)



ところで、

この素晴らしい復活ライブを、
チャリティ・ライブを、
一日でも早く東京でも開催したい、
と思っていたところ、

今月の25日(月)に、
渋谷の「伝承ホール」というところで、
開催できることと相成りました。


みなさん、どうぞお集まり下さい。

私たちは元気ですよー、
ということを証明してみせましょう。


それまでに、

膝は治しておきますから。


ね。



それにしても、


痛い…。



あっ…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 18:34|この記事のURLComments(9)TrackBack(0)

April 09, 2011

手羽先日記


4月6日(水)

暖かい。

東京の桜も、ようやく満開になりつつあるようだ。


そして私も、この日を待っていた。

またジャミン・ゼブの歌声を届けられる…。

♪♪♪



3月11日の「東日本大震災」以来、
大きなライブ、イベントが10本あまり、
ことごとく中止、あるいは延期になってしまい、

唯一残されたのが、
明日からの名古屋ライブ(2Days)だったから…。

我々にとっても再出発なのだ。


さらに、翌7日の朝は、

NHK名古屋放送局の「さらさらサラダ」という、
番組出演も決まっており、
しかも、朝の8時半に集合ということもあって、
我々は前日に乗り込むことにしたのだ。

こんな時期は、
あらゆる不測の事態に備えて、
万全の準備をしておかねばならない。

うんうん…。


新幹線の中で合流したジャミンの連中も、
みな、明るい顔をしていた。
なんとも楽しそうな顔をしていた。

「また歌える」喜びが表情にも伺える。

「名古屋へ行ったら、あれとあれを食うぞ。」
といった、固い決意も読み取れる。

ん…?



そうこうするうちに、
夕方、5時前に名古屋に到着。


その第一印象。

「なんだ、この明るさは…?」


相変わらず駅ビルの人の多さ、
そして活気に溢れたにぎわいは、

この1ヶ月、
天と地がひっくり返るような体験をしてきた、
私たち関東の人間から見れば、
まさに別世界。

……。


そしてなによりも違うのは、
すべての照明に煌煌と照らされた明るさだ。

「明るい…。明るいなあ…。」




さて私たちは、

スティーブのナビによって、
マネージャーのY浅ショージから指定された、
宿泊先のホテルに向かう。


ショーちゃんは、東京で打ち合わせがあるため、
後から合流することになっている。


こんなとき、
1番頼りになるのはスティーブだ。

やつのマシーンは、
どんな地図でもたちどころに目的地を教えてくれる。
しかも彼は、方向感覚もバッチリだ。


むろん私には、Y浅ショージは、
事前に何の情報も地図も送っては来ない。

どこに泊まるのか、
住所はどこか、
何にも知らせてはくれない。


方向音痴の私に送ったところで、
何にも意味をなさないことをよく知っているのだ。

あいつは…。


ただひと言、

「スティーブに付いていけばいいんです。」


それしか教えられてはいない。

……。




地下鉄に乗り、栄というところで降り、
無事にホテルにチェック・インした我々は、
荷物を置いた後、

さっそく近くにある「やまちゃん」という、
有名な「手羽先」のお店に入って腹ごしらえ。


ジャミンの名古屋遠征は何度もあるが、
実は「手羽先」を食うのは、
これが初めての私…。

彼らは何度も食べてるので、
私よりもずっと詳しい…。



で、

その、

手羽先…。



これが、

うま、うま、うま…、


うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!



ということで、

ガンガンおかわり。


ビールが、ビールが、すすむくん♪

「すみませ〜ん、手羽先あと5皿お願いしま〜す!」


そこへ遅れてやって来たショーちゃんも合流。

果てしなく続く、

ビールと手羽先の華麗なる饗宴。


♪♪♪




で、さんざん食べたジャミンの4人は、

「ごちそうさまでした。
 僕たち、ちょっと街を散策してきまーす。」


「ああ、行っといで。
 でも、明日は早いから夜遊びはだめだよ。」

と、私。



しかし、私は知っているのだ。

やつらは、きっと、
「山本屋の味噌煮込みうどん」か、
「ひつまぶし」を、
食いに行くのだ。



いつもそうなのだ。


どんなに高価な「懐石料理」をごちそうになろうと、
フル・コースのフランス料理をいただこうと、

彼らはその後、

必ず「味噌煮込みうどん」を食いに行くのだ。


彼らに質はどうでもいいのだ。

量があればいいのだ。


おい、君たちの胃袋はおかしいぞ。

君たちに、食文化という感覚はないのか。

……。



で、

やはりこの感は当たっていたのだった。


翌朝、私は彼らに聞いてみる。

「もしかして、みんなあの後、
 うどんでも食べに行ったのかい?」


するとコージローは、
満面の笑みでこう答えたのだ。


「もちろんじゃないですか。」


……。




(つづく)




結論から言うと、

名古屋のライブは大成功でした。


と思います。


ジャミンも私も、

再び音楽が出来る喜びで、

感無量の2日間でした。


この日を待ちに待ったお客さんたちの、

なんとも言えない笑顔も忘れられません。

まさに「Beautiful Smile」でしたね。


この企画を推進してくれた、
友人の甚目さんに、

「みんな、幸せそうで良かった。
 ありがとう。」

とお礼を言ったら、

彼はこう言いました。


「シュンちゃんが、一番嬉しそうだったよ。」


「……。」



そうかもしれない…。



幸せだな…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 19:33|この記事のURLComments(15)TrackBack(0)

March 29, 2011

方向音痴は遺伝する その5 最終回


私は自他共に認める方向音痴です。


初めて行く場所には、
どんなに立派な地図をもらっても、
まともに行けたためしがありません。

地図を見ても、
イメージがわかないのです。


右と左の感覚もメチャクチャです。

だから、
ジャミンの連中やY浅ショージからも、
完全に見放されております。


小学校の時には、
完成してない体育館の下に潜り込んで、
迷いに迷ったあげく大けがまでしてしまいました。


大好きな「ロールプレイング・ゲーム」も、
3Dの立体画面になった途端、
どっちへ行っていいやらわからず、
投げ出してしまう有り様。


まったく困った習性です。

いったい誰に似たんでしょうか…。

……。




ところで、ここに、

一人の青年がいます。


聞くところによると、

彼の方向音痴も相当なものらしい…。



ある時期彼は、

ピザの宅配のアルバイトをしておりました。


電話で注文が来ると、
「おおい、○○町の△△さんへ、
 これ届けてくれ。」
と、上司から命令が下る。

「わかりましたー。」
とばかりに彼は、
お店のスクーターに乗って颯爽と出かける。

一枚の地図を持って。



ところが…、

行けども行けども、
目的地に着くことが出来ない。


「あれえ? こっちの道じゃなかったのかなあ?」

で、引き返すと、
今度はまったく予想外の場所に出てしまう。


右と思えば、そりゃ左だよ〜。

あっちと思えば、そりゃこっちだろ〜。


あっちにフラフラ〜。

こっちにフラフラ〜。


ただただ哀れな迷走を繰り返す、

若きピザの配達人。




そう、この青年もまた、

地図を見ても、
まったくイメージがわかないのです。

自分の生まれ育った場所なのに、
ちょっと知らない区域に入ると、
まったくお手上げ状態なのです。

……。



さあ、そのうち、

お店には、苦情の電話がガンガン入る。


ご承知のとおりピザの宅配というのは、

注文を受けて30分以内に届かないと、
「お代はいただきません。」
というのがルールなんですね。


お店は平謝りに謝ったあげくに、
同じ商品を作り直して、
別のアルバイトに届けさせる。

もちろん大損。


そこへ彼が、しょぼ〜んと帰って来る。
「すみません、この地図わかりにくくて…。」

当然、上司からは、
「バカヤロー、なにやってんだー!
 もう一人のあいつは、ちゃっと届けたぞ。」
と、カミナリが落ちる。


そして、

その日の報酬は無し。


その代わり、
届け損なった冷たいピザを与えられて、

「これが今日のお前のギャラだ。
 これでも食ってさっさと帰れ。」

「……。」



そして、このような状況は、

あくる日も、

そのあくる日も、

そのまたあくる日も、


果てしなく続いて行くのです…。



そのうち、そのピザ屋さんは、
念のために代わりの要員を準備したんだそうです。

彼が道に迷って、
「すみません。今○○町に居ると思うんですが、
 どうにもわからなくて〜…。」
と、SOSの電話を店に入れる。


お店は、
すぐさま代わりのバイトに、
「そらー、またあいつが迷ったぞ。
 すぐに行け〜!」

と、応急処置。


なんとか急場をしのぐ。



そして彼のその日のギャラは、

またしても冷たいピザ。

……。



そして1ヶ月が過ぎたある日のこと。

彼はお店からこう言われたそうです。


「おまえ、明日から来なくていいから。」

「……。」



見事にクビです。

新しいバイトが見つかったんでしょうね。


彼はこのときのことを、

こう回想しておりました。

「俺、あの1ヶ月で、
 冷たいピザを、いったい何枚食ったんだろう…?」
 あはははは。」




この青年とは、

言うまでもなく、

私の息子のシマムくんです。



今でこそ彼の愛車には、
最新鋭の強力な「ナビ」が装備され、
なんとか事無きを得ているようですが、

この最新兵器が導入される前は、
我が家から下北沢まで、

なんと、4時間もかかった事があるそうです。


4時間…???


帰りは15分だったそうですが…。

(あたりまえだ)



ある日彼は、

私に、しみじみ、こう言いましたね。


「親父、俺の方向音痴にも困ったもんだよ。
 周りを見ても、そんな人いなさそうなのに、
 いったい俺は、誰に似たんだろうね…?」



そのとき私は、

思わずこう呟(つぶや)いておりました。



「すまん…。」


……。



(方向音痴は遺伝する おわり)




きのう、久しぶりに都心へ出たら、

渋谷も、銀座も、

かつてのにぎわいを取り戻しておりましたね。


日本人、元気でした。

なんだか嬉しくなってしまいました。



というわけで、

私も日常に戻りました。

このブログも通常のスタイルに戻りました。


音楽家は音楽しかできないのだから、

目いっぱい、いい音楽をやるだけ。

ただ、それだけのことです。


明るく、前に向かってやるだけ。

ただ、それだけのことです。


そうだ、そうだ。

(と、自分に言い聞かせる…)


……。



SHUN MIYAZUMI

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March 24, 2011

こんな人たち


みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

悪夢のような3月11日から、
2週間が過ぎようとしています。


大地震、大津波、そして原発事故と、
本当に心休まる日がありません。


そして、日に日に拡大する被害の凄さに戦慄し、

過酷な避難生活をしている方や、
命がけで復旧のために原発で作業されてる方を思うと、
胸が張り裂けそうになります。

心が深く沈んでしまいます。


きっとみなさんもそうなんでしょうね。



そして昨日は、

ついに東京の水道水からも、
乳児の基準値を超える放射性物質が発見。

東京は再び「水パニック」に陥ってしまいました。


福島や関東の野菜や乳製品も汚染されてて大打撃。

計画停電で夜の街も薄暗く、
おまけにもうすぐ4月だというのにこの寒さ。


というわけで、

この2週間、
食事もろくに喉を通らず、

ため息ばかりの毎日です。


春はいつ来るのだ…。


いったい、こんな2011年を、

誰が予想したでしょうか…。

……。




ところが…、

私の周りにはこんな人たちもいるのです。


ひとりは、

33年間一緒に暮らしているあの女性。


彼女は昔から、
部屋がよどんだ空気になるのが大嫌いらしく、
冬でも夏でも、
家中の窓、扉を開けっ放しにして生活します。

エアコンも “絶対” と言っていいほど使いません。


だから我が家は、
冬はえらく寒く、夏はおそろしく暑いのです。

ま、あたりまえのことですが。

……。



さらに、私とはまず会話が無い。

なにか話しかけても、
「うん」「あー」
くらいのお返事しかありません。

たいていは無反応。


ひとり静かに「韓流ドラマ」観たり、
WOWOWの映画を観たり、
新聞読んだり、本読んだり。


冬は寒い寒い居間で。

夏は暑い暑い居間で。


ま、そんなお方です。



そこへ、この大災難。


ちょっとしたことでは動じない彼女も、
さすがに今回ばかりはショックを受け、
心を痛めたようですが、
TVのプログラムが元に戻りはじめた先週末からは、

何ごともないかのような、

普通の生活をしております。



放射性物質が飛んでるかもしれないというのに、
相変わらず窓という窓は開けっ放し。

原発から煙が出て、世の中震撼としているのに、
知らん顔で「韓流ドラマ」。

水道水から放射性物質が発見された今日も、
いつものように水道水で米を炊き、洗濯をする。

洗濯物は平気で庭に干す。

トイレット・ペーパーが無くても、
「手で拭きゃいいのよ」とばかりに、
ちっともあせらない。

もちろん買い占めなんかまるで興味なし。

泰然自若。沈着冷静。私は私。ゴーイング・マイ・ウェイ。



そうそう、

先週の日曜日は夕食を作ってくれました。


ときどき、こうして作ってくれるのですが、

それを私は一人で食う。


TVでニュースを観ながら。


そのときTVは、

「ほうれんそう」から、
基準値を超える放射性物質が発見されたニュースを、
朝から大々的にやっておりました。


「やだねえ。こわいねえ。」

と私。


無反応の彼女。


そのとき、

私が食していたのは、


「ほうれんそう」のおしたしだったのですが…。

……。




もうひとりは、

私の一人息子のシマムくんです。


彼も3月11日は、
私同様、大変な思いをして夜中に帰ってきました。

「ああ、やっと帰れたよー。
 揺れたねえ。こわかったなあ。」


そして翌朝から、
TVで流れる大津波がもたらした惨状にショックを受け、
心を痛め、

「ひどいなあ。かわいそうだなあ。
 ひどすぎるよこの津波は…。」


さらに追い打ちをかけるように起きた、
福島原発の事故に、

「こわいねえ、東京はどうなるんだろ。
 心配だなあ…。」


と、こちらは先述した女性よりは、
素直に感情を表現しておりました。



しかし、

立ち直りは一番早かった。


14日(月)からは、
「行って来ま〜す。」
と、毎日元気よく電車で会社に行っております。


夜は夜で、

「ただいま〜。ああ、腹減った。
 ママ〜、メシ〜。」

「……。」


そして、どんどんひどくなっていく、
福島原発の恐いニュースを見ながら、
平然と、バクバクめしを食う。

(よく、こんなときにメシが食えるよなあ…。
 俺なんか、お茶漬け流し込むくらいしか、
 できないのに…。)



私といえば、

1号機が爆発したら、
「あ、えらいことになった…。」
と怯(おび)え、

2号機から煙が出たら、
「うわあ、大丈夫なのか…。」
心臓がバクバク高鳴り、

3号機の屋根が吹っ飛んだら、
「こ、これは現実なのか、映画であってほしい…。」
と、ずーんと気が重くなり、

4号機の惨状を見て、
「もうだめだ。日本は終わりだ。」
……。



寝ても覚めても、

頭をよぎるのは原発のことばかり。


この2週間、

なにも手がつかず、食欲もなく、

恐怖におののく毎日…。

……。




そして今朝のこと。


追い打ちをかけるように、
東京の水道水から、
乳児の基準値を超える、
高い値の放射性物質が発見され、

世の中は騒然。


しかし、

シマムは、
いつものように長時間シャワーをして、
水道水をグイと飲み、

なにごともないかのように、

元気に仕事に出かけました。



そして、もうひとりの女性は、

吐き捨てるように、

私にこう言ったのです。


「タバコに比べたら、
 放射能入りの水道水のほうが、
 よっぽど体にいいわよ。」


「……。」




私はこんな人たちと暮らしております。



これって、


どうなんでしょうか…。


……。




SHUN MIYAZUMI


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March 06, 2011

方向音痴は遺伝する その4


「ロール・プレイング・ゲーム」

これ、ご存知ですよね…?

(通称RPG。)


ファミコンのゲーム・ソフトを代表する遊びの一つで、

『ドラゴン・クエスト』や『ファイナル・ファンタジー』
のシリーズなどが特に有名です。

女性にはあまり縁がないのかな…?



ま、いずれにせよ、
年齢に関係なく、これにハマった経験のある男子は、
数限りなくいることでしょうね。


かく言う私も、

ファミコン出現当時から、
ずいぶんと夢中になって楽しませてもらいました。



もし、ご存知ない方のために、

ちょこっとだけ解説すると、

……、


「ここは中世の世界なんでしょうか…。

 物語は、とある小さな城下町、
 あるいは名もない山村や漁村から始まります。


 貧しそうな家の小さな部屋で寝ていた「主人公」は、

 (このネーミングは自分で付けられる。
  だから、私の場合は当然 “シュン” がお決まり。)
 
 「シュン、いつまでも寝ていないで起きなさいよ。
  早く起きて、お父さんにお弁当を届けておくれ。」

 みたいな、母親の声で起こされる。


 そして、シュンの長い長い冒険の旅が始まります。


 町に出て、いろんな人の話を聞いてみると、
 どうやらこの世は、
 恐ろしい悪魔に支配されてるらしい。

 善政を布(し)いていた各国の領主や国王が、
 この悪魔の集団に襲われて殺されてしまったり、
 監禁されていたりするという。

 
 そんな暗黒の世界を、
 元の平和な世界に戻すべく立ち上がったシュンは、
 途中で仲間に加わる少年や少女たちと、
 
 いろんな町や城を探し出し、
 いろんな人から情報を聞き出し、
 
 旅の途中に出会う魔物たちをやっつけ、
 その度に経験値や力をアップさせ、
 より協力な武器や防具や魔法を手に入れ、

 最後は、悪魔の王の要塞にたどり着き、
 見事これを打ち破って、
 めでたし、めでたし!」


とまあ、ざっとこんな感じのゲームです。


やっぱり男の子のゲームですかね…。



でもね、

これ、

本当に面白いのです。


『ドラクエIII』が発売になった時は、
社会問題にもなったほどの大騒ぎでしたが、

やってみて自分にも理解できました、

その人気が。

……。



まだ幼稚園だか小学校低学年だった、
うちの子供にせがまれて買ったのが始まりでしたが、

あまりの面白さに、
そのうち、子供そっちのけで私がやりまくる…。


「おお! ついに見つけたぞ!!
 この洞窟を探してたんだ。
 よしよし、ここの宝箱に、
 重要な手がかりがあるはずだ。
 ウッシッシ。」

「よし。金が貯まったぞ。
 これで、あの剣と盾が買えるな。
 今度こそあの城を攻略してやる。
 あははは。」



すると…、

ちっともやらせてもらえない子供が、
泣きながらママのところに駆け込む。

「ママ〜〜〜。パパばっかりやって、
 ちっとも僕にやらせてくれないよ〜〜。
 うえ〜ん。。。」


ママはあきれて私のところへやって来て、

「ちょっとあんた、なにやってんのよー、
 いい年してみっともない。
 やらせてあげなさいよー。」


しかし私は、TVの画面に釘付け。

「ああ、すまん、すまん。
 今、この魔物をやっつけたら代わってあげるからね。
 おっ、なかなか手強いな〜、こいつは。
 ここはベギラゴンの呪文でいくか。
 グオ〜〜〜〜〜ッ、どうだ! まいったかアハハハ。」


てな具合で、なかなか子供にやらせない父親。

……。



でも、仕方ない…。

ここは交代して、しばらくやらせてはみたものの、
まだ小さな子供ですから、
見ていてイライラする。

じれったくて見ていられない。


「あ〜あ、それじゃ勝てないよ。
 その相手には、ラリホーの呪文で眠らせるんだよ。
 ちょっとパパに代わりなさい。
 えい! ラリホ〜〜〜〜!!

 ほらね、勝っただろ。

 おっ、こんなところに宝箱が…。
 おお! これだ、これだ!!
 この地図を探してたんだよ。
 どれどれ。ウシシシ。」

と、またしても父親が占領。


すると…、

「ママ〜〜〜〜〜〜、
 またパパがやらせてくんないよ〜〜〜〜。」

と、子供は、
ふたたびママのところに駆け込む。

……。



うん…、

そんな時代もあったんだなあ〜。

なつかしいなあ〜。


♡♡♡




ところが…、

子供が中学生にもなると立場は逆転。


自力でスイスイ攻略していく子供には、

もはや父親の協力など必要ではありません。


「おっ、新しいドラクエだな。
 ちょっとパパにもやらせてよ。」

おそるおそる子供にたずねると、


「やだよ。そんなにやりたきゃ、
 自分でもう1台買えばいいじゃないか。ふん。」

と、そっけなくあしらわれる私。

……。



仕方なく私は、

自分の部屋に、もう1台ゲーム機器を購入して、

一人で心おきなく、

『ドラクエ』や『FF』に興ずることにしました。

(ルンルン♪)



ところが…、

……、


新作が発表されるにしたがって、
それらは、私にとって、
とうてい力の及ばない、

レベルの高いゲームになっていったのです。


ひと言で言って、

3Dという立体的な画面の登場が、

私を惑わし続けることになったのです。

……。



たとえば…、

ようやくたどり着いた城下町。

ここでジョイスティックを動かすと、
画面が360°回転して、
町の裏っ側から表を見られるような画面になる。

立体的な画面になる。

……。



すると、ここで、

私のたぐい稀(まれ)なる「方向音痴」が、

むくむくと頭をもたげて来ます。


「ん?
 今自分はどこにいるのだ?

 あっちが表玄関だから、
 あの隣の部屋が今はそっちで…、、、

 いや、違うな…。
 表玄関から見てあの階段は右にあったから、
 その部屋は、悪魔の部屋で、
 本当は行ってはいけないのでは…、

 いやいや、待てよ。
 その隣の部屋はなんだ…?
 ええと、さっきは左にあったはずだけど…。

 ああ、わからん、どう行けばいいのだ…??」
 

面倒くさいので、
もう一度360回転して、
元へ戻りたいのですが、

しかし、そうすると、

ここでの重要な情報が手に入らず、
物語は先には進めません。


こうして私は、

幾度となく迷路に迷い込む。

……。



で、ようやく、
死に物狂いで、
その町をクリアして外に出ても、

次なる3Dの立体画面が、

(それは美しい風景満載の立体画面なのですが…)

私を混乱の世界に落とし込む。


「ええと、さっきは左から来たんだから、
 次の町は右のはずだよな。

 待てよ、その時360°回転したんだから、
 左に行くのが正解じゃないかな…。」

なんて左に行ってみたら、

そこは、2日前に攻略済みの地域に逆戻り…。


「ええっ? な〜んで???」

「……???」



行ったり、

来たり、

ようやく進んだと思えば、

じつは、振り出しに戻っていたり…、

……。



こうして、

ある地点からちっとも先に進めず、
したがって、ちっとも攻略できないまま、

「もう、や〜めた。」

と断念したゲーム・ソフトが、
私の部屋には何本か眠っております。


埃(ほこり)をかぶってね…。

……。



あ〜あ…。


「方向音痴」というのは、

こんな面白いゲーム・ソフトからも、

見放されるのか…。


……。



(つづく)




「自分がどこにいるのかわからない…。」

これは深刻な問題ですね。


そういえばこんなこともありました。


80年代のはじめ、

カシオペアのレコーディングで、
ニューヨークに行ったときのことです。


マンハッタンのバーでしこたま飲んだ私は、
それでもまだ飲み足らず、
ベースの桜井哲夫君を誘って、
1台のタクシーを捕まえる。


と、そのとき、

窓の外に見えた5番街の高層ビル群が、
なぜか東京は大手町のオフィス街に見えたのです。


私は、タクシー・ドライバーにこう言ったそうです。

「六本木に行ってちょうだい。」


驚いた運ちゃんが、目をパチクリさせながら、
こう叫んだのは鮮明に覚えております。

「Ro…、Ro…、Roppongi…???」



「自分がどこにいるのかわからない…。」


困った習性ですよね。

……。



えっ?

それは「単なる酔っぱらい」ではないか、

ですって…?



おっと、そうか…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 12:00|この記事のURLComments(35)TrackBack(0)

February 26, 2011

方向音痴は遺伝する その3


あれは私が、

小学校5年か6年生の頃のこと…。


私の通っていた小学校では、

新しい体育館が建設されておりました。



それは「校倉(あぜくら)造り」とでも、
言うのでしょうか。

建物の下が空間になっていて、
そこには、おびただしい数の大きな石が、
無造作に所狭しと置いてある。

そして、その行き着いた先が、
おそらく、ひな壇下になっているのでしょう。



さて、ある日の放課後のこと。

暗くなってきたので、
その日の工事はもう終了していました。


それを見届けた、
私を含むクラスの悪ガキども3、4人は、

この体育館下の石の間をくぐり抜けながら、
誰が最初に「ひな壇下」までたどり着き、
まだ完成していない体育館の内部に入れるか、

そんな競争をすることになりました。

(ようし、負けないぞ〜。)



もちろん「立ち入り禁止」なのは、
みんな百も承知です。


しかし…、

まだ見ぬ新しい体育館の内部を見てみたい好奇心と、

薄暗くなった中で、
迷路のような石と石の間を、
這(は)うように目的地までたどり着くという行動は、

子供の冒険心をくすぐるには、
格好の獲物であったわけです。

(わ〜い、わ〜い。)



そんなわけで、

本や漫画でしか読んだことのない、
洞窟、ダンジョンを征服するかのような、
ワクワクするような喜びを胸に抱きながら、

あたかも、
ジュール・ヴェルヌの小説の主人公や、
アルセーヌ・ルパンにでもなったような気分のまま、

私たちは体育館の下に潜(もぐ)り込んだのでした。



しかし…、

それは…、

思っていたよりもずっと窮屈で…、

いくら子供とはいえ、
屈(かが)んだまま這(は)うように進んで行くのは、
大変困難な道であることがわかりました。

(探検というのは、思ったよりも大変なんだなあ…。)



そのうちに外は、

あっというまに夜になってしまいました。

(あれれ…。)



したがって、

私たちが忍び込んでいる空間も、
もはや真っ暗に近い。


そんな中を、
手探りで石と石の間を、
窮屈な姿勢のままゆっくり進む私たち…。

……。



まあね、

いくら暗いとはいえ、
まっすぐに、まっすぐに進みさえすれば、
そんなに時間がかかるわけもない。


それが証拠に、
10分くらいしてから、
「やったあ! 着いたぞー! 一番乗りだ! 」

という声が遠くの方から聞こえましたから。



「くそ、先を越されたか。」
と、ちょっぴり悔しい思いはしましたが、
私も懸命に前に前に進んで行く。

「このまま、まっすぐ進んで行けば、
 僕ももうすぐゴールだろう…。」



そうこうするうちに、

「わーい、着いたぞー!」

「僕も着いたぞー。
 ということは、宮ちゃんがビリだ。
 あははは。」

という嘲(あざけ)りの声…。

(そう、私はこの頃、
 宮ちゃんと呼ばれていたのでした。)



ところが…、

その声を聞いたとき…、


私はとてつもない不安に襲われたのです。


なぜならば、

それが 、

“遥(はる)か遠くから” 、

聞こえてきたからです。



ということは…、

やつらがゴールした地点からは…、

私はまだまだ遠いところにいる…。

……。



ひょっとすると私は、

まっすぐに進んでいないのかもしれない…。

……。



私はあせる…。

冬だというのに汗がしたたり落ちるのがわかる。

(いかん、早くここから脱出しなくては…。)


おのずと這っているスピードが上がる。

すると、石に頭をゴツン。

(痛っ…。)



とっくにゴールした仲間たちも、

ちょっぴり心配になってきたようで、

「おおい、宮ちゃーん、どこにいるんだ〜。」

と、大きな声で叫んでいる。



その声が「右ナナメ前」から聞こえてきたので、

私はその声のした方へ向きを変え、
またひたすら前に進む。


しかし、進めども進めども、
いっこうにゴールは見えてこない。

そのうち、また石に頭をゴツン。

(あ、まただ。痛いなあ…。)



と、そのとき、
今度は「左の後ろの方」から、

「おおい、宮ちゃ〜ん、大丈夫か〜。」

の声。



ん…?

右ナナメ前に向かってるはずなのに、

なんで左の後ろから声がするのだ…?

……???




ようやく私は、

事の重大さがわかってきました。

(僕は完全に方向を失っているのだ…。)


わすか11、12才の子供が味わう、
生まれて初めての恐怖体験です。


僕はもう、ここから出られないのではないか…?


そんなのいやだ〜〜。

助けてくれ〜〜。

……。



私はもがく。

その度に石に頭をゴツン。


仲間たちの声が、
右から聞こえたから右に行けば、

今度は左の方から聞こえる。

(な〜んで…?)


前から聞こえたから前に進めば、
今度は後ろの方から声が聞こえる。

(な〜〜んで…??)



私は恐怖のあまり、

心臓の鼓動はドキドキ…。

顔からはあぶら汗がしたたり落ちる…。


あせっているから、

その後も、何度も石に頭をゴツン。

(もう、痛いよ〜。ぐしゅん。)



そして、

もがけばもがくほど、

彼らの声とは反対の方へばかり進んで行く私…。


な〜んで…?

な〜〜んで…??


なあ〜〜〜〜〜〜〜んで…???


……。




それからしばらくして、

ようやく私はゴールに到達しました。

ホッ…。


と思ったら、

それは、


スタート地点だったのですが…。

……。




でも、

ようやく外へ出ることができた私のところへ、

心配した仲間たちが駆け寄って来る。


そして、

私を見て、

「あっ、こりゃ大変だ。
 宮ちゃん、顔が血だらけだよ。」

「……。」



そう、

私は石に頭をぶつける度に、

血だらけになっていたのを、

あぶら汗と勘違いしていたのです。



連絡を受けた教師に連れられて、
すぐに病院に担ぎ込まれた私は、

頭を7針も縫う大手術。


そして、

あわててやって来た母親と教師からは、
鼓膜が破れそうな勢いで、

こっぴどく叱られました。



「泣きっ面に蜂」とは、

まさにこのことですね。


あははは。

(自虐的笑い…)




ま、今にして思えば、

これが、

私が「方向音痴」であるがゆえの、

最初の恐怖体験であったわけです。



そして、

「方向音痴」というのは、

かくも痛い思いをすることもあるのです。



あ〜あ…。


な〜んで…?


……。



(つづく)





昨夜の「A'TRAIN」にお越しのみなさん。

ありがとうございました。


ライブも最高に楽しかったのですが、

何よりも10日ぶりの酒が、


美味(うま)かった〜〜〜〜!!



で、今日、

膝がまた悪化してないか、

心配だったのですが…、

……、


大丈夫でした。


順調に回復しておりました。


ホッ、

ホッ、

ホッ…。



でも念のため、

きょうは「ノン・アルコール・ビール」ね。


まだ完全に治ったわけではありませんから。


あと、もう少し…。


もう少し…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 22:20|この記事のURLComments(11)TrackBack(0)

February 19, 2011

方向音痴は遺伝する その2


「方向音痴」が医学的にみて、
病気の一種だとしたら、
私は間違いなく重症患者ではないか、

時々、そう思うことがあります。


なにしろ、左右の感覚が全くでたらめ…。


自分では右だと信じているのに、
実は左だった。

ここは絶対左だと思ったら、
どっこい右だった。

……。



しかも始末が悪いことに、

私は人の後ろを歩くのが嫌いときている。

自分が先頭を切って歩かないと気がすまない。

困った体質です。


だから、ずいぶんと、

いろんな人に迷惑をかけてきました。


と、思う…。

……。



例えば、

みんなで知らない土地を歩くとする。

すると、目の前が分かれ道になっている。


しかし私は、
「たぶんこっちだろう!」
と、迷う事なく一本の道を先頭を切って歩き始める。

他のみんなは、
「そうかなあ…?」と思いつつも、
あまりに私が “自信ありげに” スタスタ歩くもんだから、
不安ながらも渋々付いて来る。


そしたら…、

行き止まり…。

ありゃ〜〜〜〜〜。


こんなこともザラです。

わははは。

(ん…?)



大阪でもありましたね。

地元の友人たちに連れられて「焼肉屋」へ。

「ああ、美味しかった。」
と、勘定を済ませた私は、
「さ、駅に戻ろう。」
と、店を出るや右に出て、勝手に歩き始めました。


すると後ろから、

「宮住さ〜ん、どこ行くんですか〜?
 駅はこっちですよ。反対ですよ〜。
 さっき、こっちから来たでしょ〜。
 もう忘れはったんですか〜。

 しかも、知らない土地で、
 自分からさっさと歩き始めるなんて、
 珍しいお人でんなあ〜。」

と、お声がかかる。


 (……。)




ジャミン・ゼブの4人やY浅ショージは、

既(すで)に、そんな私を熟知しております。


だから、私が勝手に歩き出したりしても、

もはや、絶対に付いて来たりはしません。


初めのうちは、
私が間違った方へ歩き出すと、

「社長、そっちじゃありませんよ。
 こっちですよ。」

とか、

「宮住さん、どこ行くんですか?
 駅はこっちですよ、こっち。」

などと、親切に教えてくれたもんですが、
今では、声すらかけてくれません…。

……。



とくに長年の相棒のY浅ショーちゃんは、
まったくと言っていいほど、
私の方向感覚を信じておりません。

というか、もはや、
バカにしまくっております。


ま、ずいぶん被害を被ったでしょうからね。

わからなくもありません。

わははは。

(ん…?)



しかし…、

私の悪い癖は一向に治らないのです。


ジャミンの仕事が終わっても、

相変わらず私は、

勝手に「こうだ」と決めた道を歩き出す。


ところが…、

どんどん歩いて行くうちに、
周りに誰もいないのにふと気づいた私は、
不安になって後ろを振り返る。


すると…、

あの5人は…、

私に背中を向けたまま…、

知ら〜んぷりで…、

とっとと、向こう(反対側)に向かって、
どんどん、歩いて行くではありませんか…。


なんという、冷たい連中でしょうか。

情けというやつを持ち合わせていないのでしょうか。

……。



あせった私は、

「おおい、待ってくれ〜〜。」

と慌てて走って、やっとのことで追いつく。


ふう、ふう〜…。


とまあ、こんなことも日常茶飯事なわけです。

わははは。

(ん…?)




だから…、

信じられないかもしれませんが…、

私たちの間では、

こんなことも起こりうるのです。



あれは一昨年のことでしたか…。


私とショーちゃんは、
大崎にある、
デザイン事務所を訪れることになっていました。


ところが、先方からもらった地図が、
めちゃくちゃ解りにくい。

しかも駅からは相当距離がありそうだ。

……。


抜群の方向感覚を誇るショーちゃんですら、

「いやあ、こりゃ解りにくいなあ。
 これ、けっこういい加減な地図ですねえ。」

と、しばらく考え込んでしまうような代物。


となると私には、まったくお手上げです。

私一人だったら、

何年かかっても目的地には到着しそうもない…。

……。



しかし、そこはさすがのショーちゃん。

「たぶんこっちでしょう。
 ま、何はともあれ行ってみますか。」

と、歩き出した。


私は金魚の糞のように付いて行くしかない…。


しばらく行くと、

道が左右に分かれていました。


ここでショーちゃんが、
はたと考え込む。

「ううむ…。まいったなあ…。
 これはどっちに行ったらいいんだろう…?
 まったくこの地図は信用できないなあ…。」


「どれ貸してごらん。」

とここで私が、偉そうに、
彼からその地図を取り上げ、
助け舟を出そうとする…。


そのときです!

ショーちゃんが私にこう聞きました。

「そうだ! 宮住さんはどっちだと思いますか?
 右か左か、どっちだと思います?」


私は地図とにらめっこしたあげく、
確信を持った結論に達しました。

「うん、これは右だよ。
 間違いないと思う。」


すると、ショーちゃん。

「じゃ、左ですよ。間違いありません。」

と、さっさと私を置いて左に歩き出したのです。

……???



そしてそれは、

正解だった。

(……。)



さて、そのまま私たちは順調に目的地に近づく。


そうこうするうちに、

またしても道が分かれていました。


ここでもショーちゃんは考え込む。

「ううむ…。これはどっちかなあ…?」


そして、またしても私に聞きました。

「宮住さん、今度はどうでしょうね。
 右か左か、どっちだと思いますか?」


「どれどれ。」

と地図をもらって考えに考えた私は、

「今度は左だな。うん左だ。
 間違いないと思う。」


すると…、

あいつ…、

あのショージのやつ…、

「そうですか。左だと思いますか。
 じゃ、間違いなく右ですよ。
 右に行ってみましょう。」

と、ぬかしやがった。

……。



しかし…、


それは…、

またしても…、

残念ながら…、


大正解だったのです!!



なあ〜んで…?


……???




(つづく)





毎日、頑張って「整骨院」に通っております。

禁酒も早や4日めです。


おかげで、

ほんの少しずつではありますが、

良化しているようです。


ま、例年ヒマな2月で良かったです。

これが12月だったら、

病院なんか行く時間もありませんからね。


禁酒も大丈夫です。

ええ、力強い味方を手にしましたからね。


なんだと思いますか?


それはね、


ジャーン!


ノン・アルコール・ビール!!



「アルコール・ゼロ」ながら、
のどごしと味はビールそのもの。

今までバカにしていましたが、
充分代用品になることが判明。


これで、がんばれます。


なんとか25日(金)までには、

治すぞ〜〜。


ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!


(ちょっと哀れ…)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 16:59|この記事のURLComments(12)TrackBack(0)

February 15, 2011

方向音痴は遺伝する


私は、自他共に認める方向音痴です。


それも、

かなり、

ひどい…。


もしも、「方向音痴の世界選手権」なるものがあったなら、
私は、まず間違いなくメダル圏内でしょうね。


一例をあげるならば、

ジャミン・ゼブの仕事で初めて行く場所には、
一度たりとも、
ちゃんと行けたためしがありません。


事前にもらった地図を何度も確認し、
地図のとおりに歩いているつもりなのに、

絶対と言っていいほど、
違う道を歩いているのです。


な~んで…?


ましてや、
即売用のCDを何十枚も担いで歩く時は、
なおさら悲惨です。

あれ、重いんですから。


地図には「駅から徒歩5分」と書いてあるのに、
私は、20分も30分も、
「富士の樹海」に迷いこんだ哀れな旅人のごとく、
その辺をただただ徘徊するばかりなのです。


困り果てた私は、
少しばかりの怒りを込めて、
ついにマネージャーのY浅ショーちゃんに電話をする。

私「ショーちゃん、あの地図間違ってない?
  全然着かないんだけど…。」

シ「何でですか? あんなにわかりやすいのに。」

私「ふん、どうせ、みんなも迷ってると思うよ。」

シ「いいえ。みんなちゃんと来てますよ。
  レンセイもおんなじ地図を見て、
  ちゃんと来ましたよ。」

私「……。」



なぜだ…?


オーストラリアで育ったレンセイが行けて、

なぜ私だけが行けないのだ…?



こんな事が、

許されていいのだろうか…。

……。



2008年5月の白井市のコンサートのときもそうでした。


私は、確信を持って、
地図が指し示す道をひたすら歩く。

重いCDの入ったバッグを肩に担いで…。


しかし…、

行けども行けども、
目的地のホールは見えてこない。


仕方なく私は、

もう一度逆戻りをして、
その辺のコンビニに立寄り、
地図を見せて、
私の歩いた道が間違ってなかったことの同意を得る、

の、つもりが…、

「ああ、お客さん、
 そりゃ反対ですよ。
 こっち、こっち、
 こっちの道を行くんですよ。
 ほら、地図にもそう書いてあるじゃないですか。」

「……???」



2008年9月の南大沢の時もそうでした。


私は地図に書いてある目印を、
一つ一つ確認しながら歩いて行く。

「ええと、その左にイトー・ヨーカドウがあって、
 よしよし、あった、あった。
 で、そこを左だな。
 よし、この道で間違いあるまい。」


ところが…、

行けども行けども、

どんどん駅から遠ざかるではありませんか。


「駅から徒歩5分」と書いてあるのに、
私は、もう20分近くも歩いている。

……。


私は不安になって、
ついに、その辺を歩いている地元の人に地図を見せ、
聞いてみることにしました。


すると、またしても、

「ああ、そこなら反対ですよ。
 あなた反対側を歩いてますよ。
 あっち、あっち、
 あの道をまっすぐ行くんですよ。」

「……???」



重い重いCDのバッグを担いで、
やっとの思いで到着した私は、
またしてもショーちゃんに皮肉の一つも言いたくなる。

私「ショーちゃん、あの地図わかりにくいよ。
  あれじゃあ、みんな、ちゃんと来れないだろ。」

シ「そうですかねえ。みんな来てますよ。
  レンセイも迷わず時間どおりに来ましたけど。」

私「……。」



2009年11月の飯田橋「NHK肺がん撲滅キャンペーン」

2010年1月横浜にぎわい座「ワークショップ」


どちらも、

駅の反対側をひたすら歩いておりました。



駅で待ち合わせをしているとおぼしき、
何人かのジャミン・ファンの女性たちから、

「あっ、先生、そっちじゃありませんよ。
 会場は逆ですよ。
 こっちに行くんですよ。」

と、教えてもらって、
恥ずかしながら “Uターン” なんてことも、

一度ならず、二度、三度…。



いやいや、

もう、こんなことは、

数えきれないほどあります。



な~んで…?


な~んで、

私だけが、

ちゃんと行けないの…?

……???



そうだ!


私が最近膝(ひざ)に苦痛を覚えるようになったのは、

私が、人よりも余計に歩いているからなのだ。


重い重いCDを担いで、

Y浅ショージよりも、

はるかに長い時間を歩いたからなのだ。



そうだ、そうだ!


おい、ショーちゃん、

どうしてくれる。


これは、立派な職業病ではないか!!!



しかし…、


そう言うと彼は…、


嫌らしい笑みを浮かべながら、


いつも冷たく、こう言い放つのです。



「でも、レンセイはちゃんと来てますよ。」


……。




(つづく)




いやあ、昨夜の東京はすごい大雪でしたね。

みなさん無事に帰れましたか?


私は…、

あぶないところでした。


武蔵小杉の、とある場所で、
ジャミンの次のアルバム用の、
プリ・プロを作っていたのですが、

9時頃、ちょっとタバコを吸いに表に出たら、
もうもうすごい雪ではありませんか。

ショーちゃんの車も、
雪に埋もれて、運転不可能な状況になりつつある。


私たちは大慌てで作業をストップし、
ショーちゃんに駅まで送ってもらい、

東横線に乗り、学芸大で降り、
「TSUTAYA」でDVDを返し、
メシも食わずにタクシーを待つ。

「A'TRAIN」に行きたい気持ちは山々なれど、
ほら、こんな足の状態ですからね。


私の家は、
都立大学駅からは徒歩15分。
学芸大学駅からは徒歩20分。

しかもどちらも登り坂。


今の膝の状態では、

歩くのは絶対不可能です。


「八甲田山雪の行軍」よろしく、

吹雪の中で一命を落とすかもしれません。

……。



必死でした…。


「早くタクシーよ来い…。」

「早く空車よ来い…。」


ひたすら念じたあげく、

ようやく1台捕まえることができました。


ホッ…。



本来なら、

「A'TRAIN」で、

雪見酒と興じたはずなのに…。


悔し~~~~~~~~~い!


ああ、健康な体が恋し~~~い!

……。



えっ?


たまには酒抜き生活もいいんじゃないか、


ですって…?



まあね…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 16:28|この記事のURLComments(12)TrackBack(0)

February 05, 2011

深町純さんの思い出 その3 最終回


『私と映画音楽 火の鳥』(2006年エッセイ)
というお話を覚えてらっしゃいますか。


市川崑監督の実写による映画(手塚治虫・原作)に、
アルファが莫大な投資をし、
あまりのひどい出来栄えに映画は大コケしてしまった…。

そんな顛末のお話でしたね。


でも、音楽は素晴らしかったのです。

深町純さん作曲、
新日本フィル・ハーモニー管弦楽団演奏による、
50分にも及ぶ音楽は、

まさに、
ショスタコーヴィッチのシンフォニーを彷彿とさせる、
雄大な渾身の力作。

改めて彼の才能を見せてもらった感じがしました。


なのに…、

映像の編集に時間がかかりすぎて、
その素晴らしい音楽は、
ほとんど適正に使われることなく、
付け焼き刃程度の扱いでしかなかった…。

怒り狂った深町さんは、
試写会の途中で憤然と席を立つ。

……。


ま、そんな苦々しい思い出話だったのですが、

興味のある方は、
ぜひ今一度読んでみてください。



そのレコーディング時に、
こんな、面白い(?)、エピソードがありましたよ。


快調に進んでいた録音が、
ある場面までやってきたときに、
突然深町さんが、

「ちょっと止めて。今、変な音がしたよ。
 ちょっとチェックしてくれる?」

と、不機嫌な様子でストップをかけた。


「すみません、今のところ、
 もう一度演奏してみて下さい。」

と私が、仕方なく指揮者に要請をする。

もう一度演奏が始まる。


すると…、

やはり同じところで深町さんが、

「ほら、そこだよ。やっぱり変な音がしたよ。
 シュン坊も、聞こえただろ。
 ね、ね、おかしいよ、その音は。
 僕はそんな音書いてないよ。」

と、私にスコア(総譜)を見せて、
どうしても引き下がろうとしない。



時間も迫ってるし、

ま、確かにそこだけは、
ちょっと違和感のあるハーモニーではあるものの、
たった1音だし、一瞬にして通り過ぎるし…、

「別にいいじゃないの、先に行きましょうよ。」
と私は深町さんに妥協を促すのですが…、

やはり芸術家なんですね、彼。


そういう時だけは、

絶対に譲ろうとしません。


あたりまえか…。



で、仕方なくその部分を、
何度も演奏してもらうのですが、
やはり同じ事の繰り返し。

(ううむ…。困った。一体なにが起きてるのだ…?)


そのうち、新日フィルの面々や指揮者も、
しだいに不機嫌になってきてるのが、
手に取るようにわかる。

ううむ…。



そして、

深町さんのご機嫌ナナメは最高潮に達し、

スタジオ中が、いや~な空気に包まれる。


私も、ダダっ子のような “先生” が面倒くさくなって、

ついに、こんなセリフを吐いてしまいました。

「いいじゃないか、書いたと思えば。」



すると…、

深町さん…、


怒ったのなんの。


顔を真っ赤にして、

「き、きみ、な、なんてことを…。
 ぼ、ぼくの芸術に対して、
 し、し、失礼じゃないか。ぶつぶつ…。」



あははは。

自分こそ、普段から、
人に向かって失礼なことを、
ぬけしゃあしゃあと言いまくってるくせに…。

と、可笑しくなって、
もっとからかってやろうかと思ったのですが、

可哀想なのでやめました。



で、仕方なく私は、

その部分のスコアを彼から借りて、
スタジオの中に入り、
各パートの譜面と見比べる作業を始めました。

怒った深町さんは、
プイッと、どこかに消えてしまったので…。

(もう、子供みたいなんだから…。)



おそらく、

第二ヴァイオリンかヴィオラあたりに、
その変な音がありそうだ、
と睨(にら)んだ私は、

入念な検証の結果、
ついに、その謎を発見しました。



なんと…、

ヴィオラの、ある小節で、

確かに、

スコアにはない音が書かれてあったのです。


しかし…、

よ~く見てみると…、

それは…、


書かれたのではなく…、


写譜屋さんがこぼしたインクが、

見事に五線紙の上に、

さも、音のようにポトリと落ちて、

音符のオタマジャクシのような形になっていたのです。


あはは。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

(これ、久しぶりだな)



こんなこともあるんですねえ。


なつかしい思い出です。

……。


♪♪♪




さて、私がアルファを辞めてフリーになったのが、

1983年のこと。


このときの詳しいいきさつは、

『夏の6週間』(2009年エッセイ)
というお話の冒頭で書きました。


それから20年という月日が流れました。


深町さんとのお仕事も、
フリーになってからは、
まったく縁が無くなってしまいました。


とある音楽大学の教授になった、

という噂は聞いておりましたが…。

……。



そんな深町さんと、

7、8年前のこと。


中目黒のトンカツ屋でバッタリ再会しました。


素敵な女性とご一緒でしたね。

うふふ。


そのときの会話。


ふ「おや、シュン坊、お久しぶり。
  ずいぶん老けたねえ。」

(しまった、先に言われたか…)


み「あんただって、髪の毛真っ白になっちゃって…。
  人のこと言えないでしょ。」

ふ「ガハハハハ。」

(相変わらず、余裕だなあ…)


み「そうだ! 今、大学の先生やってんだって?」

ふ「あっ、君は情報が遅いねえ。
  そんなの、もう、とっくにクビになったよ。
  ガハハハハ。」

(何えばってんだろ…?)


み「なんでさ?」

ふ「まいったなあ。
  君は何にも知らないんだなあ。
  ほら、あれで、あれやってて、あれ吸ってて、バレて、
  逮捕されたのさ。
  ガハハハハハ。」

(いつかはそうなると思ってたけど…)


み「また~?」

ふ「「また~?」って、失礼だなあ、相変わらず君は、
  僕は初犯だよ、初犯。
  ガハハハハ。」

(笑ってる場合か…)


み「じゃ、今何やってんの?」

ふ「なあ~んにも…。
  仕事なんか何にもないさ。
  ガハハハハハハ。」

(なんだなんだ、この開き直りは…)


私は思わず、隣の女性に言ってやりました。

み「ねえ、こんな男の、どこがいいんですか…?」


すると深町さん。

ふ「ガハハハハハハ。
  君のような凡人には、わからないんだよ。
  僕という人間の底知れぬ魅力がね。
  ガハハハハハハハハハハハハ。」

み「……。」



とまあ、相変わらずの怪気炎でした。

後ろめたさなんか、

これっぽっちも感じさせませんでした。


良い子のみなさんは、
絶対に真似してはいけないところも、
いっぱいありましたが、

この自信、強気こそが、

良くも悪くも彼の魅力…。


私は、そんな彼が、けっこう好きでしたね。


♫♫♫




そして2年前のこと。


この頃は、

祐天寺で、

ライブ・ハウスのオーナーをやってると聞きました。


そんな深町さんが、

月に一回の学芸大「A'TRAIN」の私のライブに、

突然乱入してきました。


せっかくなので1曲演奏してもらったのですが、

相変わらずの深町タッチでしたね。


決してジャズでもなく、

アドリブをするでもなく、

強烈な打楽器のようなリズムを、

ガンガン弾いてただけの演奏でしたが、


これが、あの深町さんなんですから。


「相変わらずの迫力だなあ…。」

と、懐かしく聴いておりましたね…。

……。




そうこうするうちに、

ふ「さ、そろそろ店に戻ろう。
  シュン坊、楽しかったよ。」

と席を立つ深町さん。


私は、表まで送って行きました。


ふ「シュン坊、ぜひ今度、僕の店にも、
  遊びにおいでよ。」

み「うん。一度行かなくちゃと思ってたんだ。
  近いうちに絶対行くね。」

ふ「ああ、待ってるよ。
  じゃあね。」


そして、握手をして、

サヨナラしたのですが、

いい笑顔をしておりましたね。


そして…、


それが…、


最後になってしまいました…。


……。




湿(しめ)っぽい哀悼の表現を、

彼は嫌うでしょうから、

こんな形で回想してみましたが、


やはり、

寂しいですね…。

……。



もっとも、

当のご本人はあの世で、

先に逝ったギターの大村憲司君らと、

楽しくセッションでもやっているのでしょうか…。


きっと、そうなんだろうな…。


ね、深町さん。

……。



バイバイ…。

Scan

合掌。



(おわり)





ノロ・ウィルスのお次は、

左膝の関節痛で苦しんでおります、私…。


病院で診てもらったら、

年齢からくる、

軟骨の状態の変化がもたらすんだそうです。


病院でもらった「痛み止め」の薬と、

薬局で買った「コンドロイチン」とかいう薬と、

「これも効きますよ」という漢方の薬と、

毎日飲んでるのですが、


一向に良くなりません。


トイレに行くのも一苦労の哀れさです。



あ~あ…。


還暦を前にこの試練…。


……。



そんなのイヤ~~ン。



トホホ…。


しゅん…。


がぉ…。



明日こそ…、


書こ…。


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 20:23|この記事のURLComments(20)TrackBack(0)

January 30, 2011

深町純さんの思い出 その2


1978年という年は、

よくよくアルファにとって意味のある年だったようです。


昨年末、このブログで6回にわたって連載した、
「トミー・リピューマ」というシリーズでは、

この年、新宿紀伊国屋ホールで行われた、
『アルファ・フュージョン・フェスティバル』で、
「フュージョン」という音楽を売り出しにかかる。

その中から、
「YMO」というバンドが世界進出の足がかりを作る。


そんなことを延々とお話しました。

(うんうん…)


「カシオペア」という若いバンドも、
デビューに向けて、
毎日レコーディングに明け暮れておりました。

(そうだった、そうだった…)


そういえば、私が結婚したのもこの年でした。

(関係ないだろ)



ま、ある意味、

アルファが最も輝き始めていたのが、


この1978年だったのかもしれませんね。


♪♪♪




そんな1978年の春、深町純さんは、

アルファから大変な名盤を世に送り出しました。


『On The Move』

4109070516


2009年に、ようやくCDで再発され、
伝説の名盤として、フュージョン・ファンの間では、
大いに話題になっているようですが、

CD化が遅すぎましたね。

でもまあ、けっこうなこと…。

……。



いやあ、

ニューヨークから帰って来たばかりの深町さんから、
このアルバムのラフ・ミックスを聞かされたときは、
本当に驚きました。

スティーヴ・ガッド(ドラム)
ウィル・リー、アンソニー・ジャクソン(ベース)
リチャード・ティー(ピアノ)
ランディ・ブレッカー(トランペット)
マイケル・ブレッカー(テナー・サックス)
デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス)
etc.etc.



キラ星のごときスター・プレイヤーたちの、
素晴らしい演奏にも目を見張らされましたが、

何よりも、
そこに収められた楽曲とアレンジには、
本当に感心してしまいました。


私も当時、ニューヨークには、
毎年のように行っておりましたが、

そんなニューヨークという街の雰囲気を、
これほどまで見事に表現したアルバムを、

私はそれまで知りませんでしたから…。



ケネディ空港に降り立ったときのワクワクするような気分、
マンハッタンの雑踏、おびただしい人種の群れ、
世界最先端のファッション、高級ブランド店、
有名レストラン、バー、ディスコ、車のクラクション、
忙しく街を闊歩するサラリーマンやOL、
夕暮れどきの美しいセントラル・パークetc.

いやあ、実に見事に描ききっています。



決して才能を見くびっていたわけではありませんが、

どちらかというと「過激でエキセントリックな音楽家」
というイメージでしたから、
こんなメロディアスな一面も持っていたのかと、
私は彼を見直してしまいました。


「深町さんて、意外とロマンチックな人だったんですね。
 アハハハ。」

「やっと分かったか、遅いよ君。
 ガハハハハハハ。」

(それを言わなきゃいいのに…)



もっとも最終的には、
硬質で過激なマスタリングをやっちゃったため、
(当時はカッティングと言いましたが…)

高音ばかりが耳につく、Hi(ハイ)上がりの、
ちょっと薄っぺらい仕上がりになってしまった…。

ラフの方が、中低音がふくよかで、
ずっといい音していたと、
私はちょっぴり残念な思いでした…。


だから私は文句を言う。

「なんで、あんなペチャペチャな音にすんのさ。
 せっかくいい音で録れてるのに、もったいない。
 ぶつぶつ…。」


すると深町さん、
それがどうしたとばかりに胸を張って、

「俺の音楽なんだから、
 俺が好きなようにやったっていいだろ。ふん。」

と居直る。

(本当は後悔してるくせに…)



ま、でも、それが深町さんなんですよ。

やっぱり過激派なんですね。


ガハハハ。


♪♪♪




さて、そんな名盤が出来たんだから、

じゃあ、これを日本でもお披露目しようじゃないか、

ということで企画されたのが、


『深町純&ニューヨーク・オールスターズ・ライブ』

_SL500_AA300_


はい。この2枚組も今や伝説となっております。


いやあ、すごいライブでした。

前述したスター・プレイヤーたちが、
4日間にわたって毎夜毎夜繰り広げる、
世界最高レベルの演奏の数々は、

今思い出しても、
鳥肌もんの凄(すさ)まじさでしたね。


このライブ・レコーディングから仕上げまでは、
私が担当しました。



で…、

このライブが行われた会場というのが、

今考えるとケッサクもケッサクなんですよ。


なんと…、

プロレスやボクシングの “メッカ”

『後楽園ホール』だったのです。


ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!

(最終日だけは「郵便貯金ホール」)


楽屋は、
普段はプロレスラーやボクサーたちの控え室…。

あちこちの壁には、
戦いの後の血がべっとり…。

……。



そんな中でのライブ・レコーディング。


ま、この話をはじめたら、
1年中書いてなきゃいけなくなるので、
興味のある方はCDを聞いていただくとして、

その中から一つだけ、
印象的なお話をしておきましょう。


最後の「Love Play」(だったかな…)と言う曲で、

世界最高のドラマー、
スティーヴ・ガッド氏が、
延々と10分以上にも及ぶドラム・ソロを聞かせます。


で、最後の方で、
ものすごいテクニカルな部分が延々と続く。

スネアもハイ・ハットもタムタムもシンバルも、
神業のような音数とスピードで圧倒する。

もうもう十手観音のごとき神業…。


だから当然のように、
客席は興奮につつまれて大拍手、大歓声。

わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?!?



でもね…、

じつはドラマーでもある、
Y浅ショージくんは、
こんな質問をしてきました。

「宮住さん、確かにあのガッドのドラムはすごいけど、
 拍手が起こるほどですかねえ…?
 山木(秀夫)さんや、神保(彰)さんでも、
 あのくらいは楽に叩けると思うんですけど…。」



でしょうね。

あの場にいなくて、
レコードの音だけを聴いていたら、
そうした疑問が起きても不思議ではありません。


でも、私は見たのです。


あのとき、

スティーブ・ガッドは、

右手を高々と上にあげ、


左手だけで、あのソロを叩いていたのです。


……。




そんな、キラ星のようなプレイヤーたちが輝いてた時代。


アルファがますます輝きを増していた時代。



深町純さんにとっても、


一番輝いてた時代かもしれません…。


……。




(つづく)





えっ、もう1月も終わりなんですか…?


ついこの間、

お正月を迎えたばかりだというのに…。

時間が過ぎるの早すぎませんか…?


今、自分が一番言いたいことです。

(これ流行りそうだな…)



いずれにせよ、

社長業や雑務に追われて、

まだ1曲も書いてませんよ…。


年が明けてから。



ううむ…。

いかん…。

あせって来た…。


明日から隠(こも)らないと…。


2月が勝負だな…。


でも、飲みたいしな…。


……。



SHUN MIYAZUMI

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January 23, 2011

深町純さんの思い出


年末のこと。


「ピアノに生きピアノに死す
   ~深町純メモリアル~」(TOKYO FM)

という1時間番組がオン・エアーされました。


昨年末、64才という若さでお亡くなりになった、
作・編曲家でキーボード奏者の、
深町純さんを偲ぶ特集番組でした。

お聞きになった方、いらっしゃいますかね…。


井上陽水、小柳ゆき、森雪之丞、和田アキラといった、
生前彼と親しかった人たちの思い出話を交えながら、
彼の残した数々の作品を聴く、

といった内容の番組だったのですが、

この私にもお声がかかり、
少しだけですが参加して、お話させてもらいました。


なにしろこの私、

年末は、ものすごい忙しさで、
残念ながら、
お葬式に参列することもできませんでしたから…。


「シュン坊、冷たいなあ。ガハハハ。」

と、例によって明るい笑い声と共に、
あの世から、
声が聞こえてくるような気はしていましたが…。

……。



なので今日は、

私なりに、ゆっくり故人を偲んでみようかなと思います。

ラジオではしゃべれないことを中心に。

(ガハハハ)


♪♪♪




さて、そんな深町純さんは、

東京芸術大学作曲科の出身。

(待てよ、中退だったかな…。)



いずれにせよ、

当時、クラシック至上主義の「芸大」から、
こっちの世界(ポップスやジャズ)に来る人は、
本当に珍しく、

よっぽどの変わり者じゃないか、
いや、ひょっとすると落ちこぼれかも、
というのが世間一般の評価でしたかね。


その後、坂本(龍一)君が続き、
今では珍しくも何ともなくなりましたが、

当時では、本当に珍しいことでした。



でも、これが、
新し物好き、変わり者大好きのアルファの目にとまり、

私が入社した1974年あたりには、
新進気鋭の編曲家、キーボード奏者として、
「ガロ」をはじめとする、
いろんなアルファのセッションに参加していました。



で、ケッサクだったのが、

私が入社してまもなくの、
NHKホール「北島三郎コンサート」。


これ、なんと、
アルファ主催だったのです。

そしてアレンジが、
深町純さん。

(なんじゃ、それ…???)



片やニュー・ミュージックの若き旗頭として、
業界に旋風を巻き起こしはじめていたアルファ。

片や泣く子も黙る演歌の大御所。


誰が見ても「水と油」のコンサート。

誰ですか、こんな変てこな企画考えたの…?



で、案の定、

リハーサルはモメにモメる。


そりゃあそうです。

シンセサイザーかなんか持ち込んで、
「函館の女」のバックで、
プニュ~~~ッと変なサウンドをかき鳴らすんだから。


「あのお、その音、耳ざわりで嫌なんですけど。」
と北島さんがクレーム。

「そうだっ!」とばかりに、
怖そうなお兄さんたちが
ドヤドヤっとステージに駆け上がって深町さんを取り囲む。

(あわわわ。。。)



しかし、深町さんは動じない。

「わかりました、わかりました。」
と、すぐに、北島さんが気に入るように軌道修正。


「やれやれ…。」

と、胸をなでおろしたのもつかの間、
次の「加賀の女」では、

バルトークのピアノ・ソナタかなと思わせるような、
難解なピアノ・ソロを奏でた後、
「さあ、これで歌い始めて下さい。」
とばかりに、北島さんに目で合図。


「あのね。そんなイントロじゃ、入れませんよ。
 これは演歌ですよ、演歌。」
と、又しても困った表情の北島さん。

「おい、深町!」
と、すかさず強面(こわもて)のおにいさんたちが、
又しても、ドヤドヤっとステージに。


私はまだ、
何も業界のことなんか知らない青二才でしたが、
プッと吹き出しそうになりました。

「面白い会社だなあ、アルファって…。」



そして、

頼む方も頼む方なら、
受ける方も受ける方です。


演歌なんて聞いたこともないくせに、
よく受けますよね、そんな仕事。

私なら絶対断ります。


私は、心の中では、
もちろん北島さんに同情しておりましたね。


でも、深町さんは超然としている。

「それがどうした…」とばかりに涼しい顔をしている。


「面白そうな人だなあ、深町さんって…。」


これが、

私の深町さんに対しての第一印象…。


♪♪♪




さて、

かつて、
「タモリ戦後日本歌謡史」というお話でも触れましたが、

アルファという会社は、
新しいことにはどん欲で、
とにかく怖いもの知らずの無鉄砲さがありました。


この深町さんも、
言ってしまえば「怖いもの知らず」の典型。

自分に絶対の自信を持っておりましたね。


だから波長が合ったんでしょうね。

アルファと深町さん。


翌1975年にはアーチスト契約までして、
「六喩」というタイトルの、
おっそろしくマニアックなアルバムを作ることになります。



ま、今にして思えば、

これが日本における、最初の、
本格的なフュージョン・アルバムかもしれませんね。


で、その担当ディレクターには私が選ばれました。
新入社員も同然のペーペーの私が…。


ポンタ(村上)、憲司(大村)、小原(礼)、
モツ(浜口茂外也)、村岡健(タケル)さん、

といった、
強者(つわもの)のサムライたちを集めて、

ものすごい過激で、
テクニックの頂上決戦とも言えるようなアルバムを、
平然と作って、
涼しい顔をしておりました。



私は、おそるおそる彼にこう聞いたのを覚えております。

「あのお、深町さん…。
 すごい音楽だとは思いますが…、
 こんな過激でマニアックなアルバム…、
 いったい誰が買うんでしょうねえ…?
 大丈夫ですかねえ…?」



すると彼、タバコを吹かしながら、

平然とこう言ってのけました。


「ガハハハ。
 1枚も売れないかもね。
 ま、俺の音楽を理解出来るやつが、
 そういるとは思えないからね。
 ガハハハハハハハハハハ。」


良くも悪くも、

そんな人でした。



自分に自信があるから、
辛辣なこと、嫌みなことなど、
ズケズケ言ってのける。

(そういえば、顔もどこか「イヤミ」に似てたなあ…。)


でも、私が同じように辛辣なことを言っても、
「ガハハハ」と笑い飛ばして、
全然怒ったりはしないんですね。


やっぱり自信があったんでしょうね。


自信過剰とも言えなくはありませんが…。


その頃の写真です。


恥ずかしいから拡大しないで~~。


Scan 1


……。



(つづく)





いやあ、先週はご心配をかけました。

やはり、
ノロ・ウィルスかロタ・ウィルスに感染したようです。

回復が早かったからロタの方かな…。


お見舞いのコメントも頂戴し、
恐縮でございます。

私もシマムもすっかり元気になって、
仕事を始めておりますので、
どうそご安心を。

(ん? シマムは昨晩帰ってないな…。
 回復早すぎだぞ。)


残念ながらママには感染しませんでした。

(ん??)



そんなわけで、

少し予定が狂いましたが、

明日あたりからモリモリ仕事をしないと…。


おかげさまで3月の「STB 139」4Daysの、
ファン・クラブ先行予約も、
かつてない数のお申し込みをいただきましたし…。

新曲、たくさん書かないとね。


ガオ~~~~~~~~~~ッ。


(新春初吠え)


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 15:38|この記事のURLComments(17)TrackBack(0)

January 14, 2011

私の映画ベストテン 2010


この企画も今年で4年目になります。


が…、

今回はあまり自信がありません。


なぜならば、

去年はあまり映画を観れなかったから。

……。



理由の一つは、
忙しくて、家でじっくり映画を観る、
という時間が持てなかったからです。

もう一つは、
「DVD オペラ・コレクション」鑑賞に、
多くの時間をさいてしまったためです。

なにしろ25本くらい観ましたから。

オペラちゃん。



でもね…、

せっかく始めた企画だし、
本数は少なくても、いい映画はかなりありましたから、

やっぱり、やることにしました。


では、さっそく、いってみましょう。


ジャーン!



『私の映画ベストテン 2010』




1.しあわせの隠れ場所
 (The Blind Side)

  何の予備知識もなく観たのですが、
  なんとも素敵なアメリカン・ドリームでした。

  サンドラ・ブロックが、この作品で、
  アカデミー賞主演女優賞を取ったのは当然。
  彼女の息子役の少年にもあげたいくらい。
  メチャ楽しい奴だよ君は。あはは。

  さらに、最後のタイトル・ロールを見て、
  2度ビックリ!

  これって実話だったんですね。
  素晴らしい…。



2.キャデラック・レコード
 (Cadillac Records)

  これも実話をもとにした音楽映画。
  1950年代に一世を風靡したレコード会社
  「チェス・レコード」の誕生から崩壊までが、
  実に見事に描かれています。

  主演は「戦場のピアニスト」の、
  エイドリアン・ブロディとビヨンセ・ノウルズ。

  マディ・ウォーターズ、リトル・ウォルター、
  エッタ・ジェイムス、チャック・ベリーといった、
  往年の黒人ミュージシャンたちが実名で登場。

  なんておじさん泣かせの映画なんでしょう♪



3.クララ・シューマン愛の協奏曲
 (Clara Schumann)

  今度はクラシック。
  大作曲家シューマンとブラームスに愛された、
  シューマンの妻でピアニストの、
  クララ・シューマンのお話です。

  実話をもとにしたドイツ映画ですが、
  ブラームス役の男優がメチャかっこいい。
  絶対実物よりいいはずです。

  音楽家としては、
  夫より、断然ブラームスの方が上だから、
  きっとクララちゃん、葛藤したでしょうね。

  わかる、わかる、うん、うん…。



4.ビヨンド・the・シー
 (Beyond The Sea)

  ああ、これ探してたんです。
  やっと見つけました!
  これまた実話の音楽映画。

  1950年代にすごい人気を誇りながら、
  37才という若さでこの世を去ってしまった、
  超イケメンのジャズ&ポピュラー・シンガー、
  ボビー・ダーリンの伝記映画。

  ケビン・スペイシーが上手いのなんの。
  これもオスカーもんの演技だと思うけど…。

  いずれにしても昨年は音楽映画の当たり年でした♪



5.天使と悪魔
 (Angels & Demons)

  名優トム・ハンクス主演で一昨年話題になった、
  「ダヴィンチ・コード」の続編ともいうべき映画。
  
  でも私的には、断然こっちのほうが面白かった。

  美しいバチカンの風景もたっぷり見られるし、
  ローマ教会内部の複雑な人間模様も興味深いし、
  スリリングな展開や、
  結末のどんでん返しも唸らせるし…。

  一級品の娯楽映画であることは、
  間違いないのではないでしょうか。



6.サブウェイ123 激突
 (The Taking Of Pelham123)

  娯楽映画といえばこの人。
  私の大好きなデンゼル・ワシントンの新作は、
  ジョン・トラボルタとの激突。

  スリル満点のパニック映画ですが、
  二人の名優が、いや見せる、魅せる。

  デカ(刑事)をやらせても、
  ギャングをやらせても、
  その辺のさえないオッサンをやらせても、
  ホント上手くて感心します、デンゼルさん。

  あの笑顔が、たまらなく好きだなあ…。



7.ザ・バンク/堕ちた偶像
 (The International)

  もう一人、最近お気に入りなのが、
  クライヴ・オーウェン君。

  「ゴスフォード・パーク」
  「ボーン・アイデンティティ」
  「インサイド・マン」

  と、徐々にその存在感を確かなものにし、
  ついに主役級が立派に務まる、
  押しも押されぬ大スターになりましたね。

  これまたスケールの大きな娯楽映画。
  共演のナオミ・ワッツちゃんも綺麗でした。



8.きみがぼくを見つけた日
 (The Time Traveler's Wife)

  これ7月の「飛鳥II」のお船の上で観ました。

  いやあ、いい恋愛映画でした。
  「ゴースト」「ワン・モア・タイム」に通じる、
  いわゆる時空もの。

  自分の意志ではないのに、
  突然タイム・スリップをしてしまう哀れな男と、
  彼が愛してやまない一人の女性。

  喜劇タッチなんだけど、
  ラスト・シーンでは不覚にも涙ポロポロ…。



9.96時間
 (Taken)

  あのリュック・ベッソンが制作、脚本の、
  スーパー・アクション映画。
  主演はブライアン・ミルズ。

  凶悪なアルバニア人の人身売買組織に捕われた、
  愛娘を救出するためにパリに飛び、
  96時間しかない時間の中で、
  懸命に犯人グループを追い詰めていく元CIA工作員。

  でね…、
  この男が、メチャ強いんですよ。
  向かうところ敵無しの格闘家。

  スティーブン・セガールとゴルゴ13と、
  三つどもえの頂上決戦をやらせてみたい…。


 
10.マッチ・ポイント
 (Match Point)

  これ、入れていいのかずいぶん悩みました。

  少し前の映画で、
  ウディ・アレンの監督、
  スカーレット・ヨハンソンの主演と聞けば、
  見ない訳にはいかないのに、
  なんか躊躇しておりました。

  ウディ・アレンの中では、
  「ウディ・アレンの重罪と軽罪」に近い犯罪もの。

  ま、結末を言うと面白くないので、
  このくらいにしておきますが、
  観ても損はないかもしれません…。




とまあ、こんな感じの2010年でございました。


今年は、もっと観たいと思っております。

やっぱり映画って、いいですもん。


でも、忙しそうだしなあ、

今年も。

……。



えっ?

外で飲むのを減らせば楽勝じゃないか、

ですって?



そうなんですけどね…。


それが出来ればいいんですがね…。


それがねえ、


なかなかねえ…、


……。



SHUN MIYAZUMI

woodymiyazumi at 18:18|この記事のURLComments(12)TrackBack(0)

January 04, 2011

私の10大ニュース 2010



  2011Usagi2


みなさん、

明けましておめでとうございます。


昨年も大変お世話になりました。


おかげさまで、

波瀾万丈の2010年、そして怒濤の12月も、

なんとか乗り切ることが出来ました。


この勢いで2011年も、

全国各地にジャミンの歌声を響かせるぞ~、

と、決意も新たに新年を迎えた私めにございます。


どうぞ本年も、

相変わらずのご支援、ご声援のほど、

よろしくお願い申し上げます。


 2011Hatsuyume



さて、今年もこの話題からスタートです。

すっかり恒例になってしまいましたね。

「私の10大ニュース」シリーズ。



2010年の私は、どんな1年だったのでしょうか。


さあ、思い出してみましょう。


ええと…、


(年のせいか、最近もの忘れが激しい…)


2011Usagi




『私の10大ニュース 2010』



1.「ジャミンは大物だ」を再認識(4月)

 私は飛行機が苦手です。

 でも仕事上、年に何回かは乗らなくてはならない。

 で、4月に札幌に遠征したときのこと…。

 北海道は前夜から悪天候で、
 「強風のためひょっとすると引き返す事もあります」
 のアナウンスにも覚悟の上で乗り込んだ私たち。


 案の定北海道上空に入ると、いやあ揺れる揺れる。
 もうすぐ着陸だというのに左右に揺れまくる。

 「あ~あ、あ、あ、あ~~、あ、ふう~…。」
 機内の乗客もみな、あぶら汗タラタラの面持ち。

 私以上に飛行機嫌いのY浅ショーちゃんは、
 もうもう顔面蒼白で、今にも泣きそうな表情。
 私も、神にでも祈りたい心境でじっと手を合わせる。


 ところが…、

 ジャミン・ゼブの4人だけは…、

 「グーグー、zzz、ガオ~~、ムニャムニャ…、」

 (大物だ…)

 「ドスン!」
 なんとか無事に着陸できた衝撃音で、
 何ごともなかったかのように目を覚ましたのでした。

 (大物だ…)



2. 私の競馬は健在だった!(5月)

 2009年、私は「競馬はロマンだ!」というお話を、
 延々と書き綴ったことがあります。

 「ど素人のくせに、私はよく中穴馬券を当てる」
 「そんな私の馬券の買い方のあれこれ」

 などを、えらそうに書き綴ったのを、
 覚えてらっしゃる方も多いと思います。


 それを読んだ何人かの方に誘われて、
 何年ぶりかに「東京競馬場」に出かけた私でしたが、

 いきなりのレースで38.2倍、
 最後のほうでも30.2倍というレースを的中させ、
 あの話がハッタリではないということを、
 見事証明したのでした。

 あははは。


 もっとも相棒のY浅ショーちゃんには、
 「そんなところで運を使ってどうする!」
 と叱られましたが…。

 (ごもっとも)



3. アナログTVとデジタルTVには時差がある(6月)

 昨年最大のスポーツ・イベントといえば、
 なんと言っても「サッカー・ワールド・カップ」ですね。
 日本チームの大活躍、ホント素晴らしかった!

 その日本が決勝トーナメント入りを決めた、
 運命のデンマーク戦でのこと…。
 あれは確か、深夜の3時半がキック・オフでしたか…。

 で、私の家のリビングは、未だアナログ・テレビです。
 でも隣のふすま越しの、息子シマム君の部屋には、
 えらそうに、どでかいデジタル・テレビがあります。


 さて前半、

 本田選手が見事にフリー・キックを決めました。
 「やった~~~~~~!!」
 私は、深夜だというのに、興奮して大声をあげる。

 すると…、5、6秒して…、あっちの部屋から…、
 「おお~! やった~!!」
 と、シマム君の叫び声。
 
 「……?」


 さらにその数分後、今度は遠藤が決めた!
 「やった~~~~~~~~~~~!!!」と私。

 すると、5、6秒して、シマムが、
 「すげえ~~~!」

 「……???」


 私はこのとき知ったのです。
 アナログTVとデジタルTVには時差があるということを。

 ちなみに、遠藤がフリー・キックを決めたとき、
 シマム君のテレビでは、まだ蹴る前だったそうです…。

 (平和だ…)



4. 初めてロシアに降り立つ(7月)

 私の父は若くして満州に渡り、
 牧場を3つも経営するほどの成功を収めたそうです。

 が、終戦直前にソ連軍が突如侵攻してきて、
 すべての財産を没収された上に、
 捕虜として3年も極寒のシベリアに抑留され、
 命からがら裸一貫で帰還したと聞きました。


 そんな父の思い出がいっぱい詰まったロシアの大地に、
 私は初めて降り立ちました。

 「飛鳥II」クルーズの寄港地、
 ペトロパブロフスク・カムチャッキー。

 感無量のものがありましたね。


 レンセイのウォッカ買いに付き合っただけでしたが…。

 (平和ってすばらしい~♫)



5. 興南高校(沖縄)春夏連覇(8月)

 いやあこのチームは素晴らしかった。

 投手力、打力、走力、守備力、ゲーム運びetc.
 どれもが傑出していて、お手本と言ってよく、
 まさに歴代優勝校のなかでも、
 最強チームの一つと言っても過言ではありません。

 なによりも素晴らしいのは、
 昨今の野球留学ブームなんのその、
 すべて地元の子たちで結成されたチームであること。

 そして、プロ野球のドラフトにかかるような、
 傑出した選手は一人もいないのに、
 チーム・ワークとすさまじい練習で勝ち取った優勝、
 これが心を打たれましたね。

 高校野球はこうでなくてはいけない。

 前回(1998年)松坂投手を擁して春夏連覇した、
 横浜高校の名将、渡辺監督をもってして、
 「これほどのチームは見た事がない。」
 と言わしめたのですから。

 いやまったく、同感、同感、うん、うん。

 ……。



はい長くなりそうなので、

ちょっと休憩。

またまたこんなお絵書きちゃん。


2011Fuku



あははは、楽しいなこれ。

ちょっと絵がでかいけど、

ま、いいや、

面白いから。


あははは。



では後半。



6.「池尻」と「池尻大橋」は違うんだぞ(9月)

 あれは9月6日のこと。

 「はこね学生音楽祭」にゲストで招待を受けたジャミン。 
 この時は新宿から小田急バスでの移動でした。

 で、スティーブ、シモン、レンセイは新宿から。
 私とY浅ショージとコージローは、
 「池尻大橋」から乗り込むことになっていました。
 そっちのほうが家から近いから。


 さて私は、地下鉄「池尻大橋」駅を出ると、
 迷う事なく国道246に沿って玉川方面に歩くと、
 おお、そこに、
 「池尻」と書かれた小田急の停留所があった!

 間もなくコージローがやって来て、
 さらにショーちゃんも、
 私たちがいるからここに間違いないだろうと、
 この3人はなんら疑う事なくバスを待っていたのでした。


 しかし…、実は…、
 渋谷寄りに「池尻大橋」という、
 もうひとつの停留所があったのです。

 こっちが正解。

 だから私たちは、そのバスに乗れませんでした。


 さあ大変。

 私たちは学芸大までタクシーを飛ばし、
 東横線で菊名まで行き横浜線で新横浜、
 新横浜から新幹線で小田原、
 小田原から小田急線で箱根湯本、
 そして箱根湯本からタクシーで仙石原、
 という大変な思いをして、
 なんとかリハーサルの途中に間に合うができたのでした。
 
 あ~あ…。

 みなさんも気をつけてくださいね。

 (社長と副社長とリーダーが何やっとる!)



7. タバコ20カートン買い占める(10月)

 10月1日にタバコが値上げになりました。

 シマム君はこれを機に禁煙しました。
 (時々ごく稀に吸ってるようですが…)

 私は、愛煙する「Lark 1 ultra one」を、
 なんと20カートンも買い占めました。
 (60,000円も払って…)

 すると…、
 綺麗に並んだカートンが愛(いと)おしくなり、
 結果的には節煙の効果に至っております。


 でも私は政府に言いたい。

 タバコ税が欲しいのなら「値上げ」は逆効果だよ、と。

 「国民の健康」を気遣うのなら、
 老人介護の問題や福祉対策をなんとかしろ、とね。
 年金問題もね。

 そう思いませんか?



8. チリ炭坑落盤事故の33人無事救出(10月)

 昨年、もっとも感銘を受けたニュースはこれでした。

 でも、私がこの中にいたら、
 間違いなく一命を落としてたでしょうね。
 だから32人になってたはずです。

 なにしろ私は、
 高所恐怖症(だから飛行機嫌い)に加えて、
 とてつもない閉所恐怖症だからです。

 ましてや、真っ暗な、地下600メートルの穴ぐらでしょ。

 考えただけでもゾ~~~ッ。

 イヤ~~~~~~ッ。


 ま、そんなことはともかく、

 一人、また一人と、
 カプセルから引き上げられる度に拍手喝采。
 そして感動で胸が熱くなりましたね。


 このときばかりは、

 「チリよ。今だけは…、彼らが全員救出されるまでは…、
  絶対に地震は来てはならぬ。」

 と、聖者のように呟(つぶや)きながら、
 固唾(かたず)を飲んで見守る私でした。

 二日酔いで「う~ッぷ」とか言いながら。

 ……。



9. 我が家にどろぼうが…(12月)

 記憶に新しいところですが、
 我が家にどろぼうが侵入しようとしました。

 幸い未遂に終わりましたが、
 タイミングがずれていたら、
 いかにキック・ボクシングのジムに通ってるとはいえ、
 私の妻の身の上はどうなったか…、、、

 こえ~~~~~~~~。(シマム風に)


 ですから、もう私の家には、
 金目のものはなにもありません。

 警戒も怠ることなく万全です。

 だから入っても無駄です。

 泥棒のみなさん、おわかりですか。

 無駄なんですよ、ウチに入ったって。

 ええっ、わかってんの?

 ねえ…。

 (誰にむかって書いてるんだ、このブログは!)



10.「ジャミン・ゼブ号」大進撃!

 おかげさまで、2010年もジャミン・ゼブ号は、
 順調に航海を続けることができました。

 とくに7月、
 「飛鳥II」クルーズを終えてからの快進撃は、
 私の目から見ても素晴らしいものがありました。

 迫力も増し、エンターテイメントぶりも急成長、
 たくましさを加えたこの軍団は、
 全国どこへ行っても大喝采を浴びたのでした。


 いったい「飛鳥II」で何があったのでしょう。

 何がそんなに彼らを変えたのでしょう。


 そういえば、

 あの「飛鳥クルーズ」の航海記は、
 マルコメXさんが詳しく綴ってらっしゃいましたね。
 ゼブログで。

 今度マルコメさんに会ったら聞いてみようっと。

 ……。




というわけで、

2011年も始まりました。


今年はどんな年になるのでしょうか。

なんとかいい年にしたいですねえ。


みなさんにとりましても、

素晴らしい1年になりますように。


 
Oshogatsu 2



おっ、

また出たな、

なさけない顔の「招き猫」め。


ここんとこ毎年出てきますね。


でもね…、

この猫ちゃんが登場してから、

調子いいんですよ。


ひょっとすると、

本当に「招き猫」かも…。


だから名前を付けてあげましょう。

大募集~~~~~。


でございます。



ではでは、


今年もよろしくお願い致します。



SHUN MIYAZUMI


woodymiyazumi at 19:53|この記事のURLComments(15)TrackBack(0)