2012 エッセイ
- 年末のご挨拶
- やまがた その2
- やまがた
- 実りの秋
- 大相撲小研究 その4(最終回)
- 大相撲小研究 その3
- 大相撲小研究 その2
- 大相撲小研究
- つるおか
- 居酒屋「新幹線」
- 信濃の国日記 エピローグ
- 信濃の国日記 その4
- 幻覚!?
- 信濃の国日記 その3
- 信濃の国日記 その2
- 信濃の国日記
- ジャミン・ゼブ『裏・シーズンズ』その3
- 日吉
- ジャミン・ゼブ『裏・シーズンズ』その2
- ジャミン・ゼブ『裏・シーズンズ』その1
- ジャミン・ゼブ『SEASONS』
- STB日記 その4(最終回)
- STB日記 その3
- STB日記 その2
- STB日記
- 年甲斐もなく
- 三寒四温 その3
- 三寒四温 その2
- 三寒四温
- 接待麻雀
- みっともない話ですが…
- ちょこっとニュース
- ついでにマスタリングのお話
- 『Garden』リマスター盤のお知らせ
- 私の映画ベストテン 2011
- 私の10大ニュース 2011
December 31, 2012
年末のご挨拶
みなさん、
今年も大変お世話になりました。
12月28日、岐阜での仕事を最後に、
2012年の活動の全てを、
無事に終えることができました。
ジャミン・ゼブの、
デビュー5周年の年を飾るにふさわしい、
実りの多い、本当に充実した1年だったと思います。
特に関東以外の各地でも、
その活動基盤を大いに拡大できたのが、
何よりの収穫でしたね。
盛岡、仙台、庄内、鶴岡、いわき、福島、
佐野、高崎、長野、金沢、岡崎、名古屋、
岐阜、各務原、京都、三木、広島、宇部、福岡、、、
などなど、
本当にいろんな場所に、
彼らの美しいハーモニーを届けることが出来ました。
来年は、どんな素敵な出会いがあるのでしょうか。
さらに…、
「ア・カペラ」だけのステージや、
シンフォニックなホールでの新しい試み、
また、NHK-TVの全国放送における、
“ジャミン風” 日本の唱歌のご披露や、
長野県の県歌のリ・アレンジ、
岐阜県各務原市のイメージ・ソングの制作、
といった、
今までにはなかったジャパ〜ンな活動も盛りだくさん。
2013年も大いに楽しみなところです。
というわけで、
みんなで年末のご挨拶といきますか。
「みんな、来年もがんばろう!」
「イエ〜イ!!」

あら…?
なんか違うんじゃないの?
マフィアのファミリーじゃないんだから…。
このグループは上品さが売りなんだから…。
はい、もう一回やり直し。
いきますよ〜。
「みんな、来年もがんばろう!」
「イエ〜イ!!!」

ううむ…。
……。。。
ま、何はともあれ、
来年も一層のご支援のほど、
よろしくお願い申し上げます。
2013年がみなさんにとりまして、
素晴らしい年になりますように。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
感謝をこめて…。
SHUN MIYAZUMI
December 23, 2012
やまがた その2
過去に何度も書いて来ましたが、
私は父の仕事の関係で、
幼い頃から “転校生” でした。
なにしろ、幼稚園、小学校、中学校、高校と、
「入学した学校」と「卒業した学校」が全部違うのです。
入った学校をそのまま卒業したのは大学だけ。
これって、
かなり珍しい経歴の持ち主ではないかと思いますねえ。
ま、自慢になるかどうかはわかりませんが…。
……。
そんな私が、
中学3年から高校1年の終わりまでの2年間、
暮らしていたのが「山形市」。
それは生まれて初めて体験する『雪国』。。
私にとって、
いろんな意味で忘れることのできない土地です。
そして私には、
『雪国』に暮らす人の大変さがよくわかるのです。
あれは1966年の3月上旬でしたか…。
今を去ること46年も前のこと…。
上野から特急で5時間半もかかって山形に向かう時も、
福島を過ぎたあたりからはず〜っと雪でした。
「トンネルを抜けたら雪国だった。
夜の底が白くなった。」
まさにあれです。
車中、南国(四国)生まれの母が、
曇りガラスを手でこすっては、
すっかり暗くなった外を眺めながら、
「どこまで行っても雪ですねえ…。」
と切なそうに呟いた光景は、
今も忘れることが出来ませんね。
こうして、朝早く三重県の四日市を発ち、
やっとの思いで到着した夜の山形駅は、
古い木造建築で、
構内を淡く照らす裸電球がぽつり…。
NHK朝の連ドラ「おしん」や「すずらん」
そのままの寂しい光景でした。
こうして私の「雪国」での奮闘が始まりました。
……。
まず、私の住んでいた所は、
奥羽本線沿いにある古い一戸建ての社宅。
そして線路の向こう側は見渡す限りの広大な畑。
遥か遠くに、わらぶきの家や、
昔風の民家がポツリポツリ。
天気のいい日は美しい「月山(がっさん)」
が見える日本風の田園風景。
でも、これでも立派な山形市内なのです。

そこから歩いて約20分。
私が通うことになった山形6中という中学校も、
田んぼの中にポツリと建っておりました。
裏は山。

校内マラソン、駅伝なんかも、
田んぼのあぜ道、山あいの坂道などがコース。
学校はこれまた古い木造の二階建てで、
教室の暖房は石炭ストーブ。
冬はみんな弁当をストーブで暖めます。
それから女の子はスカートではなくズボン。
これも寒いんだから仕方ありませんね。
ま、このように、
東京から北に行ったことのない私にとっては、
なにもかもが初体験…。
……。
さらに困ったことに、
言葉が全然わからない。
したがって、
みんなの輪の中に入っていけません。
転校なんか慣れてるから平気だったのに、
これには正直落ち込みました。
今思うと、
いじめにもあっていたかもしれない…。
けっこう生意気でしたからね。
休み時間、体育館から帰って来たら、
私の教科書やノートが鞄と一緒に、
窓の外の雪の中に、
捨てられていたこともありました。
仕方ない…。
なるべく本来の性格を押し殺して、
目立たないように地味にやっていこう。
私はこう決意しました。
ま、それでも目立ってしまうのが、
私の困ったところではありますが…。
(親を恨むぞ…)
さらに、追い打ちをかけるように、
厳しい受験地獄が待っていました。
(こうなったら勉強するのだ。
勉強しまくって嫌なことを忘れるのだ。)
というわけで、
私の人生の中で、
これほど勉強したことは、
後にも先にもありませんね。
「しもやけ」に悩まされながら、
寒い寒い雪の中を、
自分を奮い立たせて学校に行き、
なんとか懸命にみんなの中に溶け込みながら、
中学3年の1年間を過ごしました。
さて、なんとか希望高に入った高校の1年間は、
バスケット部に入ったものの、
あまりに下手くそなのでボール磨きばかりの毎日。

(最後列のどこかにいるので拡大して探してみて下さい。)
あとは、すきま風がピューピューと入り込む、
旧制中学の古い木造校舎の寒かったことしか、
思い出せません。
だから高校1年の3月、
再び東京の地を踏んだときは、
正直ほっとしました。
……。
それから40年あまり…。
私が山形に来ることはありませんでした。
中学の卒業名簿にも、
私一人だけ「行方不明」となっていたそうで、
クラス会に呼ばれることもありませんでした。
ところが、2005年の冬に、
仕事で山形を訪れることになり、
偶然にもこの時のクラスメートの一人がそれを知り、
なんでも5、6人のクラスメートが、
一席設けるからぜひ来てくれと言うのです。
これを断っては男じゃない。
というわけで、感動に打ち震えながら、
40年ぶりに降り立った山形の地。
ところが…、
あの山形駅が…、
モダンな鉄筋の近代建築に様変わりで、
断じて「おしん」や「すずらん」のそれではない。
(む…。)
さらに…、
私の住んでいた家…。
これも立派な洋風の建物になっている。
(ううむ…。)
そして、線路の反対側の畑と田園風景に至っては…、
これまた立派でモダンな民家が立ち並び、
ここは世田谷か、たまプラーザか、
といった感じの住宅街が果てしなく広がる。
(な、なんだ、これは…。)
かつて奥羽本線は単線で、
線路をまたいで向こう側の畑は、
我が家の犬(ゴンタロー)の散歩に好都合だったのに、
山形新幹線の誕生で複線になり、
おまけに鉄柵で囲われてまたぐことが出来ない。
(……。)
感傷に浸るはずだったのに、
大きな肩透かしの連続でした。
がっかりした私は、
今度は中学校に行ってみることにしました。
ところが…、
これまた近代的な建物に…。
しかも周りは全部近代的な住宅街で、
これまた田んぼなんかどこにもない。
裏山も消え去っていました。
「ここはどこ…? これは何…?」
私が駅伝で走った田んぼのあぜ道は、
どこに行ってしまったのだ…???
仕方なく最後に、わずかな期待を持って、
1年だけ在籍した高校に行ってみました。
あの旧制中学の伝統的な木造校舎だけは、
残っていてくれ…。
……。
ああ、これもダメでした。
これまたヨーロッパ風のモダンな建物になっていて、
当時のことなんかまるで思い出せません。
40年という月日はおそろしい…。
まるで浦島太郎になった心境でした。
ま、当り前といえば当り前なんでしょうが…。
……。
それにしても山形市って、
素敵でモダンな大きな街になってるんですね。
街を歩く若者のファッションも、
飛び交うきれいな標準語も、
東京とちっとも変わらない。
いやあ、私ひとりが老いた、
ということだったのでしょう。
……。
複雑な心境のまま、
懐かしい級友の待つお店に行ってみることにしました。
でもみんな暖かく歓迎してくれました。
風貌は変わっているものの、
話していくうちに、
あの時代にタイム・スリップ。
次第に思い出がよみがえってきました。
料理もおいしかったし、
2軒目のスナックでは、
当時流行ったGS(グループ・サウンズ)の歌を、
みんなで大声で唄いまくってきました。
本当に楽しかった。
思いきって行ってよかった。
というより、
もっと早く行くべきでした。
辛い思い出もあったけど、
ぜ〜んぶ吹き飛んでしまいました。
だから、あの頃の風景は、
私だけの思い出として、
そっと胸にしまっておくことにします。
♡♡♡
最後に、長くなったついでに、
興味深いお話をひとつご披露しましょう。
私は2005年のその時まで、
全く知らなかったのですが、
級友たちから聞かされて、
腰が抜けるほどビックリしたことがあるのです。
あの時…、
私が山形6中の3年2組に転校したちょうど同じ時…、
3年6組に、北海道からやってきた、
もうひとりの転校生の少女がいたんだそうです。
つまりこの年の転校生は私とその子の二人だけ。
その子も私同様、
慣れない言葉や風習にとまどい、
孤独な環境の中で、
望郷からくる寂寥感を味わったんだそうです。
そして一年後、共にこの中学校を卒業。
そして私と同じように、
わずか2年で山形を後にし、
再び北海道に戻ったそうです。
その話を聞いた私は、
東京に戻って来るなり、
押し入れの中に放り込んであるはずの、
この学校の卒業アルバムを探してみました。
失礼ながら私には、
当時のその子の記憶は全くありませんが、
たしかにそこには、
今見てもすぐにそれとわかる子が写っていました。
この少女、
後にシンガー・ソングライターとして大成功。
今でもニュー・ミュージックの女王として、
絶大な人気を誇っています。
彼女が写っている集合写真の右ページには、
中島美雪と書いてありました。
……。
(おわり)
金沢、福島とハードな遠征から帰ってまいりました。
そして、
ようやく2日間の休みがとれ、
久しぶりにこんなものを書いていたら、
今回は大長編になってしまいました。
あいすみませぬ。
あはは…。。。
さて、今週は今年最後の「A'TRAIN」ライブがありますね。
12月27日(木)という変則開催です。
みなさん、お間違えになりませぬように。
さらに「A'TRAIN」のホーム・ページが出来たようです。
http://atrain-jazz.com
Facebookにも連動出来るようなので、
「いいね」や「コメント」で盛り上げて下さいね。
「A’TRAIN」宣伝普及担当委員長より
ん…?
SHUN MIYAZUMI
December 12, 2012
やまがた
この週末は、山形に遠征してまいりました。
東京駅を出発する頃は、
小春日和のようなお天気でしたが、
福島を過ぎ、米沢あたりまで来ると…、
突然の銀世界。

国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。
ん…?
どこかで聞いたようなフレーズだぞ。
……。

そして山形市を通過。
ここは私が中学3年、高校1年の2年間、
暮らしたことのあるところです。
なつかしいです。

まあ、この辺りでは、
こんなことをして遊んでる余裕があったのですが、
次第に内陸の豪雪地帯に入っていくと…、

うわあ、すっげえ雪。
恐いような吹雪で、
新庄から余目に向かう電車も大幅に遅延。
今宵の庄内「響ホール」のコンサートに、
無事にたどり着けるのか心配になってきました。

平然と外の風景を撮影しているように見える、
この男の表情も、
さっきの写真とは大違いなのがわかりますね。

この地方では、
これから長い長い冬が始まるわけですね。
雪国に暮らす人々の大変さを、
あらためて思い知ったわけです。

ま、こんな難行軍の末、
なんとか無事に「響ホール」に到着しました。
今回で3回目となる「響ホール」ですが、
冬の開催は初めてです。

でも、この吹雪の中、
お客さんは来てくれるのでしょうか…。
今度はそれが心配になってきました。
聞くところによると、
新潟からの日本海側ルートは、
強風のため電車が運行しておらず、
残念ながらトンボ帰りで、
新潟から帰京されたファンの方もいらしたとか…。
気の毒なことをしました…。
それでも開演近くになると、
楽しみに待っていてくださった地元のみなさんが、
わんさか押しかけてくださって、
いつものように大盛況のライブになりました。
ああ、良かった…。
お馴染み山形のジャミン・ファンにも、
たくさん会うことができたし、
6月に熱烈大歓迎してくれた、
鶴岡の女子高生もいっぱい来てくれたし、
「先日次男を出産したんですが、
その子に『シモン』という名をつけました。」
という女性から嬉しい声をかけられたりで、
ここ山形にもしっかり足跡を残してきたんだなあ、
と確かな手応えを感じたコンサートになりました。
♪♪♪
終演後は、
いつものようにスタッフのみなさんが、
打ち上げをやって下さったのですが、
こんな大雪なのに、
みなさん平然と車で移動する様には、
本当にビックリしましたね。

ま、なにはともあれ、お疲れさまでした。
みなさんありがとうございました。
♡♡♡
その翌日は、
同じく「響ホール」にて、
『HIBIKI ボイスアンサンブル コンテスト 2012』
が開催されました。
私もジャミンも審査員として参加したのですが、
鳥取、秋田、神奈川、埼玉、山形、鶴岡、
といった各地から20団体近くがエントリー。
いずれも質の高い、
素晴らしい歌声を聞かせていただきました。
みなさんに賞をあげたいくらいで、
審査員というのは荷が重いなあと感じましたね。
こんどは辞退させてください。

そして雪に埋もれた「響ホール」を後にし、

雪で凍った道をいつもの倍近くの1時間半もかけて、

ようやく「新庄駅」に到着。

こんな凍えるような寒さの中、
街頭に立って演説をしている、
衆議院選挙の立候補者の声が、
高らかにこだましておりました。
誰も聞いてないけど…。
北国の政治家のみなさんは、
こんなところまで大変なんだなあ…。
……。

雪国か…。
冒頭にも書きましたが、
私も少年時代の2年間を、
雪深き山形市で過ごしたことがあるのです。
だから雪国の人の気持ちは、
よ〜くわかるのです。
次回はそんなことを回想してみようかな…。
これでも苦労したんですから。
ほんとに…。
……。
(つづく)
いやあ、すっかりご無沙汰してしまいました。
あわただしい毎日を送っているうちに、
気がついたら今年もあとわずかなんですね。
そして、今週末(12/15、16)は、いよいよ、
『ジャミン・ゼブ X'mas Fantasy 2012』
(@日本橋三井ホール)
が開催されますね。
今年最後の東京でのビッグ・ライブです。
疾風怒濤の如く全国を駆け巡ってきた、
わがシマウマ軍団が、
どんな有終の美を飾ってくれるのでしょうか。
どうぞ、楽しみにしていて下さい。
おそらく終演後は、
みなさんの心がポカポカになっていることでしょう。
さらに、12/16(日)の最終日には、
メンバーのみならず、
この日のために、
スタッフ一同も新しくオーダー・メイドした、
ブラック・スーツで、
ご挨拶したいと思っております。
もちろん私も。
あの男も。
あいつも。
キャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!
ん…?
……。
SHUN MIYAZUMI
November 22, 2012
実りの秋
今年は本当にツアーが多いですね。
月初めの岡崎に続いて、
先週は西日本ツアーを観光、
いや敢行してまいりました。
ん…?
その充実したレポは「ZEBLOG」で、
スティーヴ君が書いてくれてますので、
私はそれ以外の秘蔵写真を中心に、
ふりかえってみようと思います。
まずは山口県の宇部市。

山口県でのライブは、
ジャミンにとって初めてでしたが、
私もここを訪れるのは初めてなのです。
そして、ここ宇部市は炭坑の町。
その創始者がこの方らしいですよ。

羽田を出るときは暖かかったのですが、
宇部は真冬なみの寒さでした。
これはホテルの部屋から撮ったものですが、
ね、寒そうでしょ。
北風ピューピューで、
遠く工場の煙も真横に流れていますね。
そして、正面(右側)に見えるのが、
今日のコンサート会場です。
通りにはこんな掲示板も。

初めての場所でライブをやるときは、
いつも期待と不安で胸が高鳴ります。

さて、そのコンサートですが、
暖かく歓迎してくださってるのが、
後ろから見ていてもよくわかりました。
終了後のサイン会でも、
送ったCD(約100枚)がほとんど売れてしまう、
という盛況でした。
みなさん、ありがとうございました。
翌日は、宇部音鑑の人に送ってもらい、
「新山口」から新幹線で広島に移動です。
おや、鉄道マニアのスティーヴ君は、
さっそく電車の入線をパチリしようとしてますね。
うししし、そんな君を撮ってやろ〜っと。

と思ったら、逆にこっちが撮られてました。
(ジャミン・ゼブ「Facebook」参照)
これは「相打ち」といったところでしょうか。
この人に油断は禁物です。
あぶないあぶない…。
さて、そんな広島でのコンサートも、
ジャミン・ゼブには初挑戦。
モリゴン、ユースケ、ジーン、
というおなじみのメンバーも駆けつけてくれて、
熱いライブになりました。

暖かい歓迎。
スタッフのみなさんの心づくしのおもてなし。
そしてここでも、
終了後のサイン即売会は、
パニックのような騒ぎでCDはほぼ完売。
嬉しい誤算が続きます。
(果たして、蕨で販売するCDは残るのだろうか…。)
翌日は昨日とはうってかわって、
いいお天気。
ホテルの部屋の窓からは、
「平和公園」「原爆ドーム」が良く見えます。

「どうだみんな、
せっかくだからちょっと行ってみようじゃないか。
おれ原爆ドームって、
行ったことないしさ。」
「行きましょう、行きましょう。」

そして…、
「原爆ドーム」を目にした途端…。

こ、これは…。

言葉にできないほどの衝撃を受けました。
いまにも涙があふれそうなのを、
必死でこらえながら、
食い入るように見て回りました。
あの日も、今日のように、
雲一つない晴天だったと聞いております。
一瞬にして全てを奪われた多くの人たちの無念を、
戦争の悲惨さを、人間の愚かさを、
この瓦礫の一つ一つは物語っています。

今にも泣き出しそうな顔の私…。

たぶん、この人も…。
これだけは、
人類が残した「負の遺産」として、
永遠に保存して欲しいものです。

さあ、平和の鳩くんたちよ。
これからも平和な世の中のために歌い続けよう!
『Peace On Earth』を高らかに響かせよう!
私は、
何度も何度も心に言い聞かせたのでした。
……。
「さあ、元気を取り戻して、
そろそろお腹がすいてきましたね。
おや、あそこに、
「広島風お好み焼き」の店がありますよ。
行ってみませんか。」
「そうだね、それも私は経験がないからねえ。」

「広島風は中に中華麺やうどんが入るんですよ。」
「へ〜、そりゃボリュームたっぷりだねえ。」

「ね、おいしそうでしょ。」

あんた、レポーターか!?
……。
そんな広島を後にして、
今度は兵庫県の三木市にお邪魔しました。

姫路から車で北に行くこと約1時間。

ここでも大歓迎を受けました。

スタッフのみなさんとの集合お写真。
(この2枚は三木労音様のブログより拝借)
おや…?
いつも見かける関西方面ジャミン・ファンも、
何人かいらっしゃいますねえ。
はい、もっともっと関西でもやりましょうねぇ。
♪♪♪
というわけで、
駆け足で、
西日本ツアーを振り返ってみました。
あちらでもスティーヴ君が書いてるように、
どの会場も、スタッフのみなさんによる、
「手作り」の暖かいコンサートの連続でした。
たくさんの出会いに包まれた、
素晴らしいツアーとなりました。
まさに「実りの秋」になりました。
みなさん、ありがとうございました。
また呼んで下さいね。
最後に、
これは広島コンサートの後、
スタッフのみなさんが開いてくれた、
「交流会」でのひとコマです。

で、最後にリクエストで、
メンバーが立ち上がって、
ア・カペラを1曲ご披露したのですが、
そのとき…、
なぜか…、
ひとりの男が、
猛烈な勢いで笑い始めました。

このピアニスト君は、
いつも、ほんの少しのお酒だけで、
あっという間に昇天してしまうのですが、
この日も「あさりの酒蒸し」を二つ食べただけで、
「珍獣」と化してしまいました。

なにが、そんなに可笑しいのでしょう…?
……???
このツアーで最大かつ唯一の謎です。

森丘さん、
なんであんなに笑ってるんだろう…?
……。
SHUN MIYAZUMI
November 08, 2012
大相撲小研究 その4(最終回)
大相撲のメッカといえば、
なんと言っても「両国国技館」です。
ま、個人的には、
その前にあった「蔵前国技館」の方が、
江戸情緒をかもし出していて好きでしたがね。
……。
あれは1980年代の初めでしたか…。
その「両国国技館」で、
当時プロデュースをしていた、
『カシオペア』というバンドのコンサートを、
開催したことがあります。
で、そのときの楽屋が、
なんと、力士の「支度部屋」。
そこに足を踏み入れた瞬間、
なにもかもが想像をはるかに超える大きさに、
いやあ、ビックリしましたねぇ。
(むむ、これは……?)
東西の力士が出番を待つ「支度部屋」は、
コンクリートで作られた凹型の大きな部屋で、
一番奥が横綱が控える場所です。
私は力士の気分になって、
ちょっと腰をかけてみることにしました。
ところがです。
あははは、
全然足が地面につきません。
まるで子供のように足がぶらんぶらん状態。
でもテレビで見ると、
みなしっかりと地面に足をつけて、
堂々と座っているではありませんか。
(やっぱり相撲取りというのはデカいんだなあ…。)
改めて実感させられたというわけです。
さらに、滅多にないチャンスだから、
この際ちょっと、いろいろ探索してみようかな、
と、長い廊下を歩いていると…、
今度は、大きな畳の部屋を見つけました。
奥に大きなテレビがあって、
紫色の座布団がうず高く積まれている。
どうやら親方衆がここで翌日の取り組みを決めたり、
テレビで観戦する部屋のようです。
で、その「座布団」がまた、
大きいのなんの。
あははははは。
と、思わず笑ってしまうくらいのデカさ。
小柄な女性だったら、
4人くらいが座っても、
まだ余裕があるのではないか、
と、思わせるほどの大きさなのです。
(いやいや、こりゃ想像以上だな…。)
極めつけが、
トイレの「便器」。
ひぇ〜〜〜〜〜〜〜ッ!!
な、な、なんだこの大きさは!!!
実は私…、
そのとき…、
ちょっと大きい方の用を足したかったのですが…、
普通に座ることができません。
ズボッとのめりこんでしまう。
(まいったなあ、こりゃ…。)
悪戦苦闘したあげく、
なんとか用を足すことは出来ましたが、
その方法はご想像におまかせするとして…、
ん…?
ま、いずれにしても、
すべてにおいて、
「ガリバー旅行記・巨人の国」
に来たような気分でしたね。
不思議な体験をさせてもらいました。
……。
それから20数年を経た2007年の5月。
今度は、わがジャミン・ゼブに、
その「両国国技館」の土俵の上で、
「君が代」を歌うという、
名誉ある仕事が舞い込んできました。
モンゴル出身力士のパイオニア、
「旭鷲山(きょくしゅうざん)」関の、
引退断髪式セレモニーでした。
結成からまだ半年とちょっと。
CDデビューも果たしていない彼らにとっては、
とてつもなく大きな仕事です。
しかも土足厳禁の「土俵の上」で、靴を履いて、
赤いマットを敷いてのパフォーマンスというのは、
極めて異例のことだと聞きました。
よくよく私は「相撲」に縁があるのかもしれませんね。
うふふ…。

でも、がんばりました。
当時まだ平均年齢23才の若さでしたが、
臆することなく、
“立派に土俵をつとめました”。
ん…?

場内割れんばかりの拍手歓声。
今思い出しても感動のひとコマです。
……。
さて、最後になりますが、
昨今、大相撲人気にも翳りが出て来たと、
心配する声も聞こえてきます。
その理由は、なんといっても、
日本人力士の衰退と、
モンゴルをはじめとする外国人力士の台頭です。
日本人の幕内優勝は、もう5年も出ていません。
日本人横綱も久しく出ていません。
でも、それも、
致し方のないことと考えるようになりました。
このセレモニーの前に、
ジャミンのメンバー共々、
旭鷲山関にお会いする機会があったのですが、
そのときの彼の発言がそれを物語っています。
メンバーの一人が彼にこんな質問をしました。
「旭鷲山関は、初のモングル出身力士ですが、
さぞやご苦労があったんでしょうね。
言葉もわからないし、厳しい稽古の連続だし、
つらい思いもされたでしょうし、
いじめもあったんじゃないでしょうか?」
それに対して彼は、
平然とこう答えました。
「つらいだって? 苦労だって?
とんでもない。
だって、メシが腹一杯食えるんだよ。
たとえば君たちが子供の頃、
外で目一杯遊んで、お腹ペコペコで家に帰って、
冷蔵庫を開けたら、
何でも食べるものがあっただろ?
でも、僕たちの国は貧しいから、
なんにも食べるものが無いんだよ。
でも相撲の世界に入ったら、
とりあえず腹一杯メシが食える。
一生懸命がんばって強くなったら、
お金もいっぱいもらえる。
つらいことなんかあるもんか。
モンゴルから来た力士は、
みなそう思ってがんばってるよ。
まだまだ来たがってるモンゴルの若者は、
いっぱいいるんだよ。」
(ああ、これじゃ日本人力士は当分勝てないなあ…。)
と、正直思いました。
ハングリー精神が全然違うのです。

このままいくと、
相撲界は外国人ばかりになってしまうのか…。
……。
でも、それでもいいではないか、
と考えるようになってきました。
野球の大リーグも、
最初はアメリカの白人だけで行われていました。
しかし今では、全世界から、
最高の舞台をめざして、
最高の野球選手が集まって、
素晴らしいプレーを見せてくれています。
アメリカが門戸を開放しなかったら、
私たちはイチローやダルビッシュの勇姿を、
あの舞台で見ることは出来なかったのです。
大相撲も大いに世界をめざして、
世界中から愛される、
世界中の力自慢の若者たちが憧れる、
そんなスポーツになればいいのではないでしょうか。
そして日本の若者も頑張って欲しい。
……。
「はっけよーい、のこった、のこった、のこった。」
私はこの「残った、残った」という響きが好きです。
「土俵際でふんばる」
「土俵際で残った」
いかにも日本人ならではの言葉ではありませんか?
大相撲の長い歴史が教えてくれている…。
肝に銘じたいものですね。
うんうん…。
(たまには真面目に終わろう)

ん…?
(「大相撲小研究」 おわり)
いやあ、久しぶりの更新なので、
一気に最後までいこうと思ったら、
こんな長さになってしまいました。
失礼しました。
あははは。
さて現実に戻って、
週末の岡崎ジャズ・ストリート。
3日間ともお天気に恵まれ、
毎回たくさんのお客さんにいらしていただき、
最高の遠征となりました。
ありがとうございました。
その余韻に浸ることなく、
来週は初の西日本ツアーも控え、
クリスマス・コンサートの準備も始まり、
休む間もなく働くおじさんです。
えっ?
あれを忘れてないか、
ですって?
そういえばあれも、
待てよ、あれもやらなくては、
そうそう、あれを忘れるところだった、
ええと、あれはどうなったかな、
あれも、
あれも、
……、、
………、、、
ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!
…….。
Shun Miyazumi
October 23, 2012
大相撲小研究 その3
自慢じゃありませんが私、
歴代横綱を全部スラスラ言えるんですよ。
初代「明石志賀之助」から70代「日馬富士」まで、
ぜ〜んぶソラで言えちゃう。
先日も試してみましたが、
よどむことなくスラスラと言えちゃいました。

これは、7代横綱「稲妻雷五郎」ですな。
江戸は文化・文政の頃に大人気だった強豪横綱。
130勝13敗 勝率.909とは、あっぱれな生涯成績です。

はい、こちらは、
15代横綱「初代・梅ヶ谷藤太郎」ですね。
明治の初期に活躍した大横綱。
雷電には及びませんが、
116勝6敗 勝率.951は、これまた、あっぱれあっぱれ。
えっ?
そんなくだらないこと覚えて、
なんの足しになるんだ、
ですって?
いやいや、あながちそうとも言えないのです。
あれは昭和36年(1961年)の秋でしたか…。
……。
この年私は小学校4年生。
今まで何度も書いてきましたが、
私は小学校4年から中学2年まで、
父の仕事の関係で、
三重県の四日市というところに住んでいました。
その四日市に、
大相撲の巡業がやって来たのです。
学校のグラウンドでの野外開催でしたが、
これが私が初めて体験する相撲観戦でした。
そして父に連れられるまま座ったその場所が、
なんと土俵下の一番前。
いわゆる「砂かぶり」という特等席でした。
その、私の座っている場所のすぐ前には、
呼び出しのリーダー格のおじさんがずっと居て、
進行をつかさどっていました。
当然のことながら私は、
すぐそのおじさんと仲良くなる。
というより、
子供の分際であまりに相撲知識の豊富な私に、
おじさんが興味を持ってくれたというのが、
正しい見方でしょうか。
「いやあ、坊やは何でもよく知ってるねえ。」
「おや、そんなことまで知ってるのかい?
こりゃまいったなあ。あははは。」
「そう、そうなんだよ。
今の決まり手はそれでいいんだよ。
ちゃんと上手を取っていたからねえ。
すごいねえ坊やは。感心だねえ。」
得意満面な私。
こんな会話をしながらも、
取り組みはどんどん進んで、
いよいよ幕内力士が登場。
そして、忘れもしません。
このとき相撲人気を二分していた、
若き新横綱の二人が、
土俵入りを披露したのです。
47代横綱「大鵬」と48代「柏戸」でした。
初めて見るその勇姿に、
私は圧倒されてしまいました。
特に大鵬のピンク色に染まった肌の美しさは、
テレビではまったく想像できていなかったもので、
「ああ、これじゃあ人気が出るのも無理はないなあ。」
と幼心に思ったのでした。
というわけで、
なにもかもが新鮮で興奮状態の私は、
土俵入りが終わって、
幕内力士の取り組みが始まるまでの休憩時間に、
その呼び出しのおじさんをつかまえて、
なまいきにも、
今度はこんなことまでやってしまったのです。
「おじさん、僕、歴代の横綱全部言えるよ。
やってみてあげようか。」
そして、
明石、丸山、綾川、谷風、小野川、阿武松、稲妻……、
……、栃錦、若乃花、朝潮、大鵬、柏戸。
と、当時一番新しい柏戸までの48人を、
スラスラ〜と言ってのけたのです。
おじさんはもうビックリ。
「いやあ、坊やは本当にすごいねえ。
そんなに相撲が好きだなんて、
おじさん、嬉しいなあ。」
そして、
「坊や、あまりに感心だから、
ちょっとご褒美をあげるよ。
待っててね。」
と言って、どこかへ消えた。
そして、しばらくして戻ってきたおじさんは、
「はい、これあげるよ。」
と言って、
なんと!
4枚のサイン入りの色紙をくれたのです。
……。
それは、
時の寵児で人気絶頂、新横綱の二人、
「大鵬」「柏戸」
栃錦引退後、孤軍奮闘で相撲界を支えてきた大横綱、
「初代・若乃花」
そして、未来を嘱望される若手のホープ、
「佐田の山」
(後に50代横綱になるが、このときはまだ関脇)
こんな凄い力士たちのサインを、
もらって来てくれたのです。
私は狂喜しました。
「お、おじさん、ありがとう。
僕大切にするからね。」
そのときの、呼び出し衣装に身を包んだおじさんの、
ニコニコとした笑顔は、
今も忘れることができません。
その後もテレビの相撲中継では、
あのおじさんがいつも映っていました。
なんたって、いつも土俵下にいるんですからね。
私はテレビの画面に向かって、
「あ、おじさんだ。おじさんがいる。
おじさ〜〜〜〜〜ん。」
といつも手を振っていました。
それを見ていた母が、
「あんた、頭がおかしくなったんじゃないの?」
と、怪訝そうにつぶやく。
「あははは、あんたなんかにゃわかるまい。
この僕の偉大さが。
あはははははははははははは。」
……。
そうそう、こんなこともありました。
これは大人になってからの話ですが、
とある居酒屋に飛び込んだときのこと。
その店の壁に、
歴代横綱の名前がズラーッと並んでいたのです。
私は店主にこう聞きました。
「オヤジ、相撲好きなのかい?」
すると店主は、
「ああ好きだねえ。
相撲が始まると仕事が手につかなくてね。」
さあ、ここでも私の自尊心がむくむくと頭をもたげる。
「どうだいオヤジ、
後ろの壁に書いてある歴代横綱、
見ないで全部言ってやろうか。」
そして、ここでも、
明石、丸山、綾川、谷風、小野川……、、、
と、そのときの一番新しい横綱まで、
よどむことなくスラスラと言ってのけたのです。
店主はビックリして、
「いやあ、こりゃ驚いた。
でも嬉しいねえお客さん。
これサービスだ。
やっておくれよ。」
と、「刺し盛り」とビールを1本、
タダで出してくれたのです。
どうです。
つまらないと思えることでも、
なにか一つ特技を持つと、
このような恩恵を授かることもあるのです。
イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクは、
こんな言葉を残しております。
「愚行を固執すれば賢者となるを得ん」
ポール牧さんの「指パッチン」も、
これに類するのでしょうかねえ。
……。
おっと、いけない。
故人に対して失礼極まりない発言でした。
あぶない、あぶない…。
……。
そういえば…、
昭和36年といえば…、
私、この年の春から今年(平成24年)の夏にかけて、
甲子園の春・夏優勝校も全部、
スラスラ〜っと言えるんですよ。
やってみましょうか。
ええと、昭和36年は、
春が「法政二」で夏が「浪商」。
37年は春・夏とも「作新学院」で、
38年の春が「下関商」で…,
夏が…、
……、、、
えっ?
もういい?
はい。
……。
(つづく)
10/16・17・19・20・21の5日間、
「STB139」で繰り広げられた、
『jammin'Zeb / 5th Anniversary』スペシャル・ライブも、
無事、大盛況のうちに幕を閉じることができました。
おかげさまで、
春をさらに上回る観客動員数で、
連日最高の盛り上がりとなりました。
お越し下さったみなさん、
本当にありがとうございました。
5年前に比べ、はるかに成熟した、
『Smile』や『You Raise Me Up』に、
5年間の確かな歩みを感じることができましたね。
素晴らしいメンバーと、
いつも熱心に応援下さる暖かいファンのみなさんと、
これからも素敵な時間を共有できるように、
ますます頑張らなくてはと思う次第であります。
今後とも、よろしくお願い致します。
とはいえ、感傷に浸ってる時間はありませんね。
今週の金曜日は早くも次のコンサート。
(横浜・関内ホール)
そして、週末は岐阜・各務原の遠征が待っています。
というわけで、
とりあえず体がバキバキなので、
今日はマッサージにでも行こうかなと思っています。
年内まだまだ仕事が山積みですからね。
体力勝負になってきましたからね、今年は。
大丈夫かな…。
もつかな年末まで…。
……。
SHUN MIYAZUMI
October 06, 2012
大相撲小研究 その2
江戸時代の大相撲興行を描いた浮世絵。

力士は言うに及ばず、
観客までがみな「チョンまげ」には、
笑えますよねえ。
ま、当たり前の話ですが…。
ちなみに対戦しているのは、
天明、寛政年間の相撲人気を二分した、
四代目横綱の「谷風梶之助」と、
五代目横綱の「小野川喜三郎」
なんだそうです。
(写真は拡大可です)
ところで…、
もうひとつの珍光景は、
この絵のなかに、
女性が一人もいないことです。
不思議ですねえ…。
相撲は今や女性にも大人気。
テレビで見ると、
艶やかに着飾った和服のお姉さまたちが、
いつもいっぱい見受けられるのに、
ここには一人もいません。
何故なんでしょうねえ…。
……??
ま、これには、いろんな説があるようですが、
私は単純にこんなことではないかと考えています。
つまり、
「相撲取りはモテる!」
だから世の男どもがやっかんで、
「行かせない! 見せない!」
ん…?
昔の大相撲は年に2回しか開催されなかったそうです。
しかも一場所がだいたい10日くらい。
したがって当時は、
「一年を20日(はつか)で暮らすいい男」
なんて言われていたそうですね。
しかも強豪で美男力士ときたら、
そりゃあもういろんなお座敷に引っ張りだこ。
おい、ずるいぞ、君たち…。
そして、
一度でも生(ナマ)で相撲観戦をした方なら、
おわかりでしょうが、
相撲取りの肌というのは本当に綺麗なんです。
それも番付が上の方、
体の大きい強豪になればなるほど、
肌も綺麗になっていくんですねえ。
私が直接見た中でも、
大鵬、2代目若乃花、白鵬なんてのは、
男から見てもうっとりするような美しさでした。
背も高く、バランスのとれた体型。
ルックスも良い上に肌が白い。
その白い肌が、
仕切りが近づいてくるうちに、
高揚感からか、次第にピンク色に染まっていく。
そこに、艶やかな紫のまわしなんか締めると、
それはそれは、
浮世絵から出て来たような美しさなのです。
江戸時代に、多くの浮世絵師が描いた絵(版画)が、
歌舞伎役者のそれとともに、
売れに売れたというのもうなずけますね。

ということで、
女性が相撲にハマったら、
たまったもんじゃない。
そう考えた世の男どもが、
なるべく女性には見せないように、
意地悪したんじゃないでしょうか。
……。
ま、真相はどうあれ、堅い話は抜きにして、
そう考えるのもまた楽しいではありませんか。
町人文化が一気に華開いた、
江戸時代中期に思いを馳せる…。
これも相撲という歴史あるスポーツだからこそ出来る、
楽しい空想ですね。
空想といえば、
古今東西、
史上最も強いお相撲さんは誰なんでしょう…?
私は秘かにこの人ではないかと考えています。

大関「雷電為右衛門」(らいでん ためえもん)
江戸は寛政から文化の時代にかけて(1790〜1811)、
無類の強さを誇ったという、
超強豪力士。
当時、日本男性の平均身長が150cm行くか行かないか、
と言われていた時代に、
197cm、170kgというバケ物のような大きさ。
その上に、
浮世絵でもわかるように、
筋肉隆々とした体格で、
生涯の成績が254勝10敗、勝率.962という凄まじさ。
年に2場所あるかないかの時代に、
優勝27回というのは、
ちょっと信じられないような数字ですね。
この雷電だけは、
あまりに危険なので、
使ってはいけない禁じ手がいくつかあったそうです。
「さば折り」
(相手の胴に外側から両手を回して、
ぐっと手許に引くと相手がのけぞってしまう技。
ところが雷電がこれをやると、
相手の背骨が折れてしまって命が危ない。
だからあんただけは禁止。)
「かん抜き」
(相手の両腕を外側から挟み込むようにして力を入れる。
痛いから相手はたまらず土俵を割る。
しかし雷電がこれをやると、
本当に両腕が折れてしまう。
だからこれもあんたは禁止なのよ。)
「張り手」
(雷電が相手の顔を思い切り張り飛ばすと、
相手は土俵の下に吹っ飛んでしまう。
打ち所が悪いとこれも絶命の危険性がある。
だからあんただけは絶対禁止〜〜。)
まだ、他にもあったようですよ。
こんな力士と対戦させられる相手が、
気の毒になってきますよね。
私だったらすぐに自分から転んじゃいますね。
命がいくつあっても足りないから…。
やれやれ…。
もし禁じ手がすべてOKだったら、
10の負けなど無く、
全勝していたんではないでしょうか。
ただし、命を落とした力士が、
何人いたか…。
……。
ちなみにこの雷電さん、
横綱にはなっていません。
最高位は大関のままで、
これまた相撲の歴史の七不思議と言われてるようです。
ま、横綱が番付の「地位」になったのは、
明治時代からで、
江戸時代は単なる名誉職だったそうですから、
強いことは比類ないが、
名誉には値しない人だったのでしょうか。
そういえば、すごい酒豪だったようです。
やはり酒飲みは低く見られるのですかねえ…。
ん…?
樽酒を3つ、
一晩で飲み干したという伝説もあるそうですよ。
本当かなあ〜…。
と言うことは、
お金もしこたま持っているということですね。
強い上にお金持ち。
そりゃ、モテるわ。
ふん…。
……。
(つづく)
野球も面白いですねえ。
今日から、
アメリカ大リーグのポスト・シーズンも始まりました。
ダルビッシュの「テキサス・レンジャーズ」は、
残念ながら負けてしまいましたが、
ヤンキースに移籍したイチローは、
念願かなっての進出です。
これから約1ヶ月。
ワールド・チャンピオン目指して、
熱い、熱い戦いが繰り広げられます。
アレンジや作曲をはじめ、
たくさんの仕事を義務づけられている私には、
非常に危険な季節がやって来ました。
しかも、
秋の肴や酒がこの上もなく美味しい、
とても誘惑の多い、危ない季節の到来です。
どうする宮住…。
大丈夫か宮住…。
ううむ…。
……。。
SHUN MIYAZUMI
September 25, 2012
大相撲小研究
私は大の相撲好きです。
あらゆる格闘技の中で、
一番好きかもしれません。
なによりも勝負が速いのがいいですねえ。
ただし、八百長がないことが大前提ですが…。
というわけで今日は、
相撲が他の格闘技と決定的に違う点、
すなわち相撲のみが持っている魅力とは何か?
素人ながら、ちょっと解明してみたいと思います。
その1)<体重が無差別である>
レスリングもボクシングも柔道も、
みな体重別で争われますね。
しかし相撲だけは無差別です。
これが決定的に面白い。
今場所横綱昇進を決めた日馬富士は、
133kgと、幕内力士の中では最軽量です。
それが自分より100kgも重い相手を、
コロコロ転がしたり、ぶん投げたりする。
これが、たまりませんね。
他の格闘技では見られない面白さです。
その2)<決まり手(技)が豊富である>
相撲の決まり手って、100くらいあるんですよ。
「寄り切り」「突き出し」「押し出し」「つり出し」
「下手投げ」「上手投げ」「引き落とし」「はたき込み」
なんてオーソドックスなものから、
「はりま投げ」「網打ち」「ゆり戻し」「やぐら投げ」
ん…?
果ては、
「かわず掛け」「うつぼづけ」「波枕」「たすきぞり」
なんて、ちょっと想像のつかない変テコなものまで、
ごっそりあるわけです。
まさに「技」の品評会。
これらを磨きに磨くことによって、
「小よく大を制す」相撲の醍醐味が生まれるわけです。
日馬富士のような横綱が生まれる所以(ゆえん)です。
初代・梅ヶ谷(明治)、栃木山(大正)、双葉山(昭和)
といった伝説の名横綱たちも、
決して体は大きくなかったと聞きます。
私が相撲好きになった小学校低学年のときの名横綱、
栃錦と若乃花(初代)もどちらかというと小兵です。
それが、名人芸ともいうべき技の数々を駆使して、
大男をコロコロ転がしてしまう。
あっと驚く逆転劇が演出される。
いやあ、スリリングだこと…。
その3)<引き分け、判定勝ち(負け)がない>
そう、これも重要です。
ボクシングの不可解な判定勝ち(負け)、
に憤慨した経験をお持ちの方も多いと思います。
先日のロンドン・オリンピックの柔道にも、
本当にがっかりしました。
柔道はいつから「採点競技」になったのでしょうか?
しかし、相撲には引き分けなどありません。
決着がつくまで何度でも取り直しです。
微妙な判定もビデオの導入により、
まず間違えることがありません。
ま、ボクシングで、相手が倒れるまでやれ、
というのも酷な話ではありますが、
勝負事というのはやはり決着を見たい。
野球でも、
アメリカの大リーグや日本の高校野球は、
引き分けなどありません。
だから人気が衰えないのです。
私が初めてニューヨークに行ったとき、
深夜の2時にテレビをつけたら、
まだ野球をやっていました。
ニューヨーク・ヤンキースの試合で、
客もほとんどいなくなった延長17回くらいに、
レジー・ジャクソンのホームランで、
ようやく決着がついたのですが、
つくづくアメリカのスケールの大きさを感じましたね。
日本のプロ野球も考えてみてはいかがでしょう…。
そして、
その4)<歴史(伝統)を守っている>
歴史物の好きな私にとって、
こんな魅力的なスポーツはありませんね。
アメリカの大リーグ(野球)だって、
たかだか120〜130年くらいの歴史です。
しかしこの「大相撲興行」は、
現存する最古の番付にして、
「宝暦三年(1753年)」ということですから、
250年以上も続いているというわけです。
アメリカ建国の前から、
まったく同じスタイルで、
なにひとつ変わることなく、
次の世代、次の世代へと伝統が受け継がれている。
これは素晴らしいことではありませんか。
力士のいでたち、行司の衣装、横綱の土俵入り、
いろんな儀式、ルールなどなど、
江戸の昔から、
ほぼ同じスタイルを貫いてきているのです。
変革というのもときには必要でしょうが、
こうした伝統をかたくなに守るという姿勢も、
偉大なことではないか、
と私は思うのです。
で、ちょっとこの写真(画)を見て下さい。
(ぜひ拡大して)

江戸時代を代表する浮世絵師、
勝川春章が描いた当時の相撲風景なのですが、
野外でやっている、
したがって土俵の大屋根を支えるのは4本の柱である、
ということを除けば、
まわしをつけた力士同士のぶつかりあいといい、
今と同じ衣装を身にまとった行司といい、
今となんら変わる事の無い相撲風景ですよね。
しかし…、
初めてこの画を見たとき、
私は何か大きな違和感を感じたのです。
一見、いつも見ているような相撲風景なのに、
「何かが違う…?」
特別な違和感を感じたのです。
「なんだろう、この不思議な違和感は…??」
しばらくの間、
私は、それがどこから来るのかわかりませんでした。
しかし、
何度も、何度も、この画を眺めているうちに、
ようやく謎が解けました。
みなさん、おわかりでしょうか…?
……。
そうなんです!
力士のみならず、
観客もみな、
「チョンまげ」なんですね。
当たり前だと笑わば笑え。
わははは。
ん…?
でもね、
こんなところにも伝統を感じて、
嬉しくなってしまうんですよ、
私って…。
可笑しいですか?
可笑しいですよね。
あはははははははは。
待てよ、
そういえば女性の観客が一人もいないぞ…。
これは何故なんだろう…?
……???
よーし、
次回はこれも解明してやろう。
えっ?
よくそんな時間があるな、
ですって…?
ううむ…、、
……。。。
(つづく)
9月もあわただしく過ぎようとしています。
思えば今月も、
週末は遠征続きでした。
浦和、仙台、盛岡(営業)、佐野(栃木)、
そして名古屋…。
でも、新しい出会いもたくさんあって、
今月も実りの多い1ヶ月と言えそうです。
みなさん、ありがとうございました。
さあ、しばらくは東京に腰を据えて、
いよいよ『STB 139 / 5 Days』の準備です。
新しい衣装も出来上がりました。
成長著しい「2012年版ジャミン・ゼブ」を、
たっぷりとご覧にいれます。
おっと、その前に、
今週の金曜日(9/28)は、
学芸大「A'TRAIN」でしたね。
こっちは、なんら成長を見せない、
いつものスポーツ・ピアノですが、
乗りの良さだけは健在です。
ぜひ遊びにいらして下さい。
それにしても、
急に涼しくなりましたね…。
ハ…、
ハ……、
ハックショ〜〜〜〜〜〜ン!
てなことになりませぬように。
(お前もな)
……。
SHUN MIYAZUMI
September 11, 2012
つるおか
おやおや、
前回の更新からまたもや2週間が経ってしまいました。
今年は遠征が本当に多く、
したがって東京にいる時間が少なくて、
“書く” という作業が、なかなかはかどりませんね。
楽しみにしている方には申し訳ないのですが、
ま、それだけジャミンが忙しいということで、
お許しを願うとして…、
さて今日は、遅まきながら、
6月25−26日の「鶴岡遠征」のレポートです。
えっ?
「また旅の話かよ。
どうせ食ったり飲んだりの話ばかりなんだろ?」
ですって?
いやいや、そんなことはありませんよ。
なにしろこの鶴岡のライブにおける、
女子高生たちの熱狂ぶりといったら、
それはそれは凄まじいものだったのです。
これは、一度はお伝えしておかなくては、
と思ったのです。
6月前半の、
長野北信地区9高校の「芸術鑑賞会」については、
「信濃の国日記」という形でレポートしましたが、
その中で私は、
インターネットによる情報伝達のすごさを、
熱く語らせていただきました。
なにしろ次の学校、次の学校と、
コンサートの回数が進むにつれ、
その歓迎ぶり、熱狂ぶりがエスカレートしていくのです。
そして迎えた、
「鶴岡北高校・山添高校」の合同「音楽鑑賞会」では、
ちょっと信じられないような光景を、
目の当たりにしたのです。
メンバーが登場するや、
もう場内は大歓声、
鳴り止まぬ拍手。
なかなか歌い始めることができずに、
苦笑するメンバー。
そして1曲目「Come On Get Happy」が始まると、
手拍子、キャーという歓声、
もうもう場内大興奮。
大げさではなく、
それはまるで「ビートルズ」の公演を、
見ているようでした。

コンサートが進むにつれ、
その熱狂ぶりはさらにエスカレート。
曲によっては演奏が聞こえなくなるほど。
真ん中あたりに陣取った20人くらいの女子から、
「シモ〜〜〜〜〜〜〜〜ン!」
という掛け声がかかる。
それにシモンが答えると、
「キャーーーーーーーーッ!!」
すると後方の方からは、
「レンセーーーーーーイ!」
レンセイが手を振ると、またまた、
「キャーーーーーーーーッ!!!」
あっちの方から、
「スティーーーーーーーブ!」
「キャーーーーーーーーッ!!」
こっちの方から、
「コージローーーーーー!」
「キャーーーーーーーーッ!!!」
あのね。
みんな、なんか勘違いしてませんか?
これは「ジャミン・ゼブ」というグループですよ。
ジャニーズじゃないんですよ。
と言いたくなるような光景が延々と続いたのです。
しかし、そこは我がジャミン軍団。
コンサートの途中では、
コーラスの分解をしてみせたり、
「Rise」で震災の話に触れたり、
冷静に、いつものように緩急織り交ぜたナンバーを、
次々と披露。
決して浮かれたりせず、
自分たちのペースでコンサートを進めていきました。
コンサートの途中では、
両校の音楽部のみなさんと、
「Believe」という歌を合唱。
これも素敵なひとコマでした。

そして最後は、
熱狂と感動のうちにコンサートを、
終了したのでした。
で…、
コンサート会場を後にするときが、
また凄かった…。
楽屋口に2台タクシーを呼んでもらってたのですが、
メンバーがチラっと姿を見せるや、
「キャーーーーーーーーーーーッ!!!」
すごい数の女子たちに出待ちされていたのです。
私は関係者の人にお願いして、
もっと目立たない場所にタクシーを移動してもらい、
なんとか事故もなく会場を後にすることができました。
ふ〜…。
これもまた「ビートルズ」のようでしたね。
いったい、何がどうなったんでしょう…?
ジャミンの何が変わったんでしょう…?
大げさだと思われる方は、
下のURLをクリックして見て下さい。
ほんの少しだけですが、
そのときの様子を知ることができます。
http://youtu.be/hHHp_LRNM0I
でも、みんなありがとう!
本当に楽しいひとときを過ごすことが出来ました。
12月8日は、再び庄内「響ホール」に行きますよ。
みんな来てね〜。
♡♡♡
最後に、こんなお写真を。

私たちはライブの前日に鶴岡に入り、
「ミョンドン」という、
韓国料理のお店に行きました。
じつはこのお母さん(オモニ)は、
2010年の夏、
ジャミンが初めて庄内地方を訪れて以来、
ずっとジャミンを応援してくれています。
映画村や響ホールでのライブのときには、
美味しいキムチ山盛りのお弁当を、
ごっそり差し入れしてくれたり、
いつも暖かいおもてなしをしてくれるのです。
ということで、
せっかく鶴岡に来たのですから、
ぜひともお母さんの店に行こうということになりました。
お店には予約を入れただけで、
私たちが行くことは知らせてなかったので、
まあ、その驚きぶりといったら。
「いらっしゃいませー。
ん…? えっ…? うそ〜〜〜!
ジャ、ジャ、ジャミン・ゼブじゃないの。
う、うれしい〜〜〜〜〜〜〜!!!」
さあ、あとはもう貸し切り状態。
「みんな、どんどん食べてねえ〜。」

ス「うわあ、美味しそうだなあ〜。」
母「そうよ、若いんだから、
このくらい食べないと。」

シ「いやあ、最高っすね。
来て良かったっすね、社長。」
母「今日はもう店じまい。
お店のお肉全部食べてっていいからね。」

レ「コノニクノオオサハ、ナンデスカ?
シカモ、オイシスギマスネ」
母「ほらレンセイもコージローも、
どんどん食べんのよ。
まだまだお肉はいっぱいあるからね〜。」

ゆ「あ〜あ、やつら、また太っちゃうなぁ〜…。」
でも、このときの肉が、
翌日のエネルギッシュなライブに繋がったことは、
間違いないようですね。
音楽に国境はありません。
政治紛争もここでは無関係です。
みなさん、
鶴岡を訪れた際は、
ぜひこの「ミョンドン」に行ってみて下さい。
ジャミン・ゼブの大きなポスターが、
貼ってありますよー。
それにしても、
美味かったなあ…。
……。
えっ…?
やっぱり最後は食い物の話じゃないか…、
ですって…?
たしかに…。
……。
(おわり)
先日の「埼玉会館」(9/2)も、
仙台・定禅寺ジャズ・フェス(9/8)も、
このときの鶴岡に勝るとも劣らない、
熱狂的な歓迎を受けました。
ま、キャーーーという歓声こそ少なかったですがね。(笑)
本当に今年は、
充実した日々を送らせていただいております。
今週末は初の栃木県(佐野)でのライブ。
お近くの方、ぜひぜひいらして下さい。
(詳しくはjammin'Zeb Web Site、
ゼブログに記載されています)
それにしても、
いったいいつになったらアレンジ再開できるのだ…。
といいながら、
もうこんな時間か…。
今日はサッカー、イラク戦だな。
そろそろ出かけるとするか。
いつもの居酒屋に…。
矛盾した言動は続くよどこまでも…。
……。
SHUN MIYAZUMI
August 28, 2012
居酒屋「新幹線」
みなさん、
残暑お見舞い申し上げます。
なんて言うのも飽き飽きの、
厳しい残暑ですね、今年は。
爽やかな秋風、
いつになったら吹いてくれるのでしょうか。
ふ〜…。。。
そんな暑い暑い夏を、
私たちジャミン・ゼブ一行は東奔西走、
汗だくになりながら駆け巡っておりました。
いやあ忙しい毎日でした。
今月は家で1日しか食事をしておりません。
こんなに長くブログが更新できなかったのも、
初めてかもしれませんね。
というわけで今日は、
この1ヶ月の私たちの奮闘ぶりを、
お写真たっぷりで振り返ってみようと思います。
ゼブログやFacebookから借用のものもありますが、
その写真からも「暑さ」と「熱さ」が、
充分伝わると思いますよ。
まずは7月26日の名古屋。
名古屋駅を出てみたら、
なんと38°の猛烈な暑さ。
しかしライブは、
約3,000人の若い保母さんたちの熱気で、
最高潮の盛り上がり。
仕事を終えてのビールは格別でした。

翌7月27日は岐阜に移動。
「三甲美術館」というところでのライブ。

どうです、暑そうでしょ。
入場を待つお客さんたちも、
汗びっしょりで本当にお気の毒でしたが、
でも熱いライブに最後はご満足の様子でした。
よかった、よかった。
今日もビールが美味しそう…。

さらに翌7月28日は、
京都でのワークショップ。
これがまた暑いのなんの。
なんたって京都ですからね。
で、ライブ終了後、
私とショーちゃんはもう一泊して、
京都の夜を楽しむことにしました。

久しぶりの先斗町(ぽんとちょう)。
いいですねえ、いつも風情があって。
鴨川べりで飲む缶ビールは最高でした。
おっ、なんだかお祭りをやってるぞ。
ショーちゃん、行ってみようよ。

あ、それ、ワッショイ、ワッショイ。
祭りだ、祭りだ。
日本の夏バンザーイ!
この頃になると暑さも忘れて大はしゃぎの、
おじさん二人。
ビールがビールがすすむく〜ん♪
ん…。
翌日は二人で京都見物。

これは三十三間堂。
そして、銀閣寺、南禅寺などを訪れるものの、
あまりの暑さに見物なんか早々とギブ・アップ。
電車を早めに乗変して、
逃げるように京都を後にしたのでした。
もちろん帰りの電車はビール三昧。
8月も暑〜い仕事は続きます。
これは8月3日。
磯子(新杉田)の東芝事業所内での夏祭り。

でも、なんかいいですね。
夏の野外ステージって。
やってる方は大変でしょうが…。
アハハハ。
がんばれ若者よ。
おじさんも缶ビール片手に応援しちゃうからね〜。
(ビ、ビール…?)

お次は8月5日。
「納涼! ア・カペラ祭り」
これ初の試みでしたが、
大好評でした。
「笑いあり、涙あり、笑いすぎて涙あり」
このキャッチ・コピーは今年一番の出来、
と自画自賛。

艶やかな浴衣の女性たちでにぎわうサイン会。
ん? おい、メンバー、
君たちも、いつもよりニヤけてないかぁ〜?

この日もビールは美味かった…。
……。
さあ、まだまだ続くよ暑い夏。
8月12日は「たまプラーザ」での炎天下ライブ。

お盆休み真っ最中で、
人が集まるのか心配したのですが、
なんのその。
ものすごい人だかりで最高の盛り上がり。
よし、今日も大成功だ。
ショーちゃん、ビール飲みに行こうよ〜!

それが終わるとファンミ。
盛りだくさんの内容に、
メンバーは汗だくで取り組む。
私たちスタッフも準備に大わらわ。
でも、8月18、19、25の東京、
23の名古屋と、
今年も最高に楽しいファン・ミーティングとなりました。

そうそう、8月23日、24日は、
ふたたび名古屋・岡崎に遠征でしたね。
これまた暑かった…。
「山ちゃん」の手羽先とビールがたまらな〜い!
そして8月26日「目黒雅叙園」、
「東京バーバーズ・ア・カペラ・ショウ」
のゲスト出演を最後に、
ようやく暑い、長い夏が終わりました。
いやあ大変でした。
大変でしたが、
実り多い、楽しい思い出がいっぱい出来た、
素晴らしい夏でした。
みなさん、ありがとうございました。
ところでね…、
遠征の帰りはいつも、
私とこの男だけは、
新幹線を「居酒屋」にしてしまいます。
ビールとつまみをごっそり買い込み、
新横浜に着くまで二人で飲みっぱなし。

誰が名付けたか「居酒屋・新幹線」
ああ、
あ〜あ、
あ〜〜〜〜〜あ〜〜〜、
……。。。

それにしても今年の夏の、
私のビール消費量は、
過去最高じゃないでしょうかねえ。
いったい何リットル飲んだのかな…。
……。
(おわり)
というわけで、
今年の夏を駆け足で振り返ってみました。(笑)
次回からはまた、
新しい連載を始めようと、
プランを練っているところです。
が、
が…、
本業の創作もたまってるんですよね〜。
……。
もっと時間が欲しいなあ…。
昼寝の時間が多すぎるのかなあ…。
飲みに行く時間を削ればいいのかなあ…。
(おい!)
そうだ、
今週の金曜日(31日)は「A'TRAIN」でしたね。
6週間ぶりのピアノ・ライブ、
みなさん、どうぞいらして下さい。
冷たいビールを片手に、
楽しい夏の思い出話とジャズの一夜。
(またビールかよ…)
えっ…?
……。
SHUN MIYAZUMI
August 11, 2012
信濃の国日記 エピローグ
6月の信濃路ツアーが決まったときから、
私が秘かに「あそこだけはもう一度訪れたい」
と思っていたのがここでした。
そう、長野の『善光寺』。

というのも、
私が初めて「音楽」というもので「遠征」をしたのが、
この長野だったからです。
それは47年も前のこと。
私が中学2年生の時でした。
あれからもう、
半世紀近くの月日が過ぎていったんですねえ。
……。


かつても書いたように、
(『レコード買いまくり時代』)
私は父の仕事の関係で、
小学校の4年生から中学の2年までの5年間を、
三重県の四日市というところで過ごしました。
そして、その中学校で私は、
ブラスバンド部に所属。
なんとクラリネットを吹いておりました。
で、その頃、
この中学校のブラスバンド部は、
出来たてホヤホヤのクラブ。
しかし、学校側はなぜかこのクラブに、
異常なまでの応援体制。
莫大な予算を投入して次々と高価な楽器を購入するなど、
信じられないような力の入れよう。
他のクラブに対しての、あからさまなえこひいきは、
バレー部やテニス部をはじめ多くのクラブから、
猛烈な反感を買っておりました。
しかし担当の音楽の先生は、
そんな反対意見などどこ吹く風で、
毎日、毎日、猛練習を私たちに強(し)いる。
ま、その成果もあってか、
なんとクラブ創設早々にして、
「全国ブラスバンド・コンクール」の三重県大会で、
優勝してしまったのです。
さあ、お次は「東海・北陸大会」。
開催場所は長野市。
私が生まれて初めての「音楽遠征」です。
名古屋まで貸し切りバスで移動。
そして名古屋からは、
夜行列車に乗って早朝長野に着くという、
中学生の子供にしては強行軍の行程でした。
ひょっとすると、
まだ蒸気機関車の時代だったかもしれませんね。
……。
でも、本当に楽しかった…。
「明日は大会なんだから、
みんなしっかり寝るんだぞー。」
と、再三にわたって教師は促しますが、
誰も寝やしません。
みなギャーギャー騒いでうるさいのなんの。
好きな音楽で集まって、一生懸命練習して勝ち取った、
人生初の「遠征」ですからねえ。
修学旅行とはまったく意味が違うのです。
何もかもが初めての体験で興奮しているわけですから、
みな寝られるわけがない。
そうこうするうちに夜が白々と明けてくる。
列車は長野の山間(やまあい)を、
ゆっくりと走っていました。
ああ、あの美しい光景…。
今まで見たこともない山々、大自然…。
今でもはっきりと蘇ります。
身震いがするような感動でした。
……。
さて、長野での我々の宿泊先は、
『善光寺』の山門に続く道沿いにある「宿坊」でした。

まさに、こんな感じの「宿坊」。
うん、もしかすると、
ここだったかもしれない…。

畳の大広間で食べる食事も美味しかったし、
枕投げやトランプも楽しかったし、
なかには女子部員たちの入浴を、
こっそり覗きにいくやつまで現れる始末。
むろん私ではありません。
ま、今にして思えば、
完全にお遊び気分です。
コンクールで演奏するために来た、
なんてことは、すっかり忘れての大騒ぎでしたね。
それが証拠に、
コンクールでは見事にビリでした。
8校中8位の成績でした。
というより、
他の学校の上手さ、レベルの高さに、
本当に驚かされました。
「これでまだ地方大会か…。」
「全国大会になったら、
どんだけレベルが高いんだろ…。」
「そのなかで全国優勝するチームなんて、
ちょっと想像ができないなぁ…。」
そして、私が、
「将来音楽で身を立ててみたい…。」
と秘かに思ったのも、
ちょうどこの頃でしたか…。
……。
あれから47年…。
今ではすっかり初老になった私が、
今度はプロデューサーとして、指導者として、
「ジャミン・ゼブ」の音楽を聴かせるために、
この長野に再び「音楽遠征」することになったのです。
そして長野の高校生たちに、
美しいハーモニーと最高のレベルの音楽を、
楽しんでもらうことができました。
感無量でしたね。
高校生たちの熱狂的な歓迎を見ているうちに、
私のなかに、
「この47年間を、
無駄に過ごしてきたわけじゃないんだな…。」
そんな、ちょっぴり自惚れの気持ちが芽生えたとしても、
許してもらえるんじゃないかなと思える瞬間でした。
……。
それにしても、
この『善光寺』の風格あるたたずまいだけは、
当時と何も変わってはいませんでしたね。

「ね、君もそう思うだろ?」
「もちろんっす。」


ところで…、
知らない人は、
このシリーズを通して登場するこの人物が、
私だと思ってるかもしれませんね。
あははは。
面白いからそういうことにしておきましょう。
アハハハ。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
(『信濃の国日記』 おわり)
『納涼! ア・カペラ祭り』
いかがでしたか?
面白かったでしょ。
「看板に偽りなし」だったでしょ。
『ファン・ミーティング』も期待していて下さい。
最高に楽しいものになるはずですから。
さ、明日は「たまプラーザ」で、
リベンジ・フリーライブだ。
今度こそ頼むぞ天気!
いやあ、それにしても今年の夏は、
盛りだくさんだこと…。
ふう〜…。
……。
SHUN MIYAZUMI
July 22, 2012
信濃の国日記 その4
ここんとこ涼しいですねえ。
真夏にこんな日が続くと、
なんだか得した気分になりますね。
ぽわ〜んとしていた脳みそも、
少しだけ活気が戻って来ました。
というわけで、
1週お休みを頂いた『信濃の国日記』
いよいよ今日からは「長野市」編です。
ま、いつまでも同じ話題というのもなんですから、
少しだけ駆け足でいきましょう。
……。
『信濃の国日記 その4』
6月12日(火)くもり
朝8:36分東京駅発の新幹線「あさま」に乗り込む。
先週と違って、
今週は長野市だけの公演なので、
移動もなく、ずいぶん楽。。
会場の「ホクト文化ホール」は、
かつての「長野県民ホール」が名称を変えたもの。
ドラマー時代に、
何度かここで演奏したことのあるショーちゃんは、
なんだか感慨深いものがあるようだった…。
さあ、そして今回のトップ・バッターは、
長野商業高校のみなさん。
高校野球ファンの私としては、
甲子園にも何度か登場したことのあるこの名前は、
なんだか馴染み深いものがある。
(おっ、あそこに坊主頭の集団がいるぞ…。)
(もしかしてあれは野球部かな…。)
(声かけちゃおうかな…。)
(サインしてもらおうかな…。)

な〜んてこと考えているうちに、
場内が暗くなった。
そして暗いステージに、
メンバーが登場すると…、
と…、
と……、、
会場のあちこちから、
大きな拍手、ピーピー口笛、キャーという掛け声…。
(ん…? これは…、
先週のライブとは全然雰囲気が違うぞ…。)
そして、1曲目の『Come On Get happy』が終わると…、
例の3秒の空白などなく、即座に、
「わーーーーーーーっ」
とすごい歓声が沸いた。
続く『When I Fall In Love』では、
メンバーが促すまでもなく、
会場全体が大きな手拍子。
(す、すごい盛り上がりだ…。)
私は、ますますインターネットの凄さを、
感じざるを得なかった。
彼(彼女)らは、
間違いなくネットで下調べをして来たのだ!
ゼブログにも、Facebookにも、
先週ライブをやった学校の生徒さんたちから、
たくさんの「感動しました」コメントがあったし、
Twitterにも、
数多くのつぶやきがあったし、
You Tubeのカウント数も毎日うなぎ上りではないか!
そうに違いない。
彼(彼女)らは、
絶対にこれらを見て来たのだ。
そして、
「ジャミン・ゼブのライブは楽しい。」
「けっこうイケメンだった。」
「高校生にも絶対受ける。」
こうしたことを、
事前にチェック済みなのではないか。
それが証拠に、
翌13日(水)の「長野工業」「長野吉田高校」
そして最終日、14日(木)の「篠ノ井高校」と、
そのボルテージは上がる一方。
ブログやFBに情報が集まり、
期待が集まり、
「これはいいもんだ」の先入観が生まれ、
彼らが登場したときから、すでに会場中が、
「Welcome(ようこそ)!」の状態になり、
「のらなきゃ損損」の空気が生まれる。

間違いないと思う。
すごい時代だ…。
最後の「篠ノ井高校」に至っては、
ステージ上からメンバーが手を振ると、
もうもうあちこちで大騒ぎ。
「レンセイ、キャーーーーーーーッ!」
「シモン、キャーーーーーーーーッ!」
「スティーブーーーーーーーーーッ!」
「コージロー、こっち向いてーーー!」
そして、今週は、ここ長野市では、男子だけではなく、
ついに女子からも騒がれることになったシモン…。
夕方、駅のそばのコンビニでも、
どこかの女子高生に見つかり、
大騒ぎになったそうだ。
そして最後の「さくら」では、
あちこちでハンカチをにぎりしめ、
涙ぐむ女子高生…。
これはまさに、
ホームの東京でやっているのではないか、、、
そんな錯覚にすら陥ってしまうほどだった。
そして、「長野吉田高校」ライブ後のワークショップでも、
すっかり打ち解けたメンバーとの楽しい交流。

こうして、
2週間にわたって貴重な経験を積んだジャミンの4人は、
高校生の心をがっちり掴むことにも成功し、
その自信に支えられたパフォーマンスは、
月末の鶴岡市で、
さらにすさまじいパワーを発揮することになる。
ま、これもいずれ書いておかねばなるまい…。
……。
で、最後は、やはり蕎麦の話になってしまう。
先週の「中野」「千曲(屋代)」「上田」で、
あんなに美味い蕎麦にありついた私とショーちゃんが、
ここ「長野」にも、
大いなる期待を持って乗り込んだのは、
言うまでもないことだ。
「こんにちはー。」
「いらっしゃーい。」

(ここからの写真は拡大可)
まずは、地元の山菜料理の数々をつまみに一杯。
み「く〜〜〜〜っ、なによショーちゃん、この美味さ。」
ゆ「ほんと、最高っすね。」
み「しかも、みんな安いぜ。いいなあ、長野の人。」
ゆ「東京が高すぎるんじゃないっすか。」
そんな会話を聞いていた店主が、
ニコニコしながらやって来て、
「あんたら東京の人?
だったら今日はこれがおすすめだよ。
これ食べて帰んなきゃ。」
と出して来てくれたのがコレ。
『根曲がり竹の蒸し焼き』

この皮をむいて、
ちょっぴり甘酸っぱい「からし味噌」で食うのだが、

これが、また、
うま、うま、うま、うま、うま〜〜〜〜〜〜〜っ!
み「店主、こりゃ最高だよ。
お酒ジャンジャン持って来て〜!」
ゆ「ジャンジャン持って来て〜!」
み「ん…?」
そして最後は、
「一日限定15食!」という、この店自慢の、
『十割そば』!

み「ん…、ん……、、ん………、、、
もう〜〜〜、長野の人、ずるすぎる〜〜〜〜〜!」
ゆ「いやあ、こりゃ、たまりませんな〜。
これで880円ですか〜、安すぎますね〜。」

おい、
その顔、もう見飽きたんだけど…。
……。
(つづく)
金曜日(7/20)の学芸大「A'TRAIN」も、
おかげさまで楽しい盛り上がりになりました。
前回からたった3週間の変則開催、
そして冷たい雨が降り続く悪天候、
ということで少し心配しましたが、
それでもたくさんの方にお越しいただき、
ありがとうございました。
次回は通常どおり、
最終週の金曜日(8/31)です。
今度は、たっぷり6週間も空いちゃうんですね。
ええと、その間ジャミンの仕事はと…、
1本、2本、3本…、
……、、、
ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!
大丈夫かな…。
体力持ってるかな…。
むむむ…。
………。。。
SHUN MIYAZUMI
July 16, 2012
幻覚!?
暑いです。
暑くてたまらんっす。
ふ〜…。
で、私、早くも夏バテ気味なのか、、、
毎日ボ〜っとしているばかりで、
仕事がなかなか、はかどりません。
体が、脳みそが、思うように働いてくれなくて、、
気持ちばかりがあせって…。
ああ、困ったなあ…。
やっぱり年のせいなのかなぁ…。
……。
そして、
ついに、こんな幻覚(!?)まで見てしまいました。
私が住んでいるのは、
目黒区八雲という閑静な住宅街にあるマンション。
しかも1階の一番奥にあるので、
かなり広い庭もあります。
で、それは先週のある晩のことでした。
私が庭に出て、
タバコを1服ふかしていると、
目の前を、
見た事も無いような獣が、
ス〜ッと通り過ぎたのです。
尻尾がやけに長く、
白くて太い線が真ん中にピューッと走った、
これまた長い鼻を持つ獣…。
私は一瞬タヌキかと思いました。
待てよ、イタチかもしれない…?
ま、いずれにしても、
都会ではまず見ることの出来ない珍獣であることは、
間違いありません。
それは、こんな暗がりの中を悠然と歩いて、

庭の角にあるこんもりとした木陰で止まり、
私と目と目が合った…。

(これは明るいときの同じ場所の写真)
私は思わずこう叫んでしまいました。
「タ、タヌキだ…。タヌキが庭にいる〜っ!」
すると、その声に驚いた珍獣は、
ビックリして大慌てで垣根を飛び越え、
どこかへ消え去ってしまいました。
ところが…、
そのとき居間にいた私の連れ合いは、
なんとも皮肉っぽく、
こうののしったのです。
「アハハハ。
幻覚でも見たんじゃないの。
こんな所にタヌキが出るわけないでしょ。
それは、どっかの家から逃げ出した猫よ。」
私は、ムキになってこう反論する。
「いや、間違いない。
鼻が長くて、太くて白い線が走ってて、
尻尾がやけに長いんだよ。
そんな猫がいるわけないだろ。」
しかし彼女は全然取り合わない。
「ふん。じゃ、ハーフの猫よ。」
「ハ、ハーフの猫…?」
そこへ、
あまりの賑やかさに息子も部屋から出て来る。
「なんだよ、なんだよ、騒がしいねえ〜。」
私はことのいきさつを話しました。
しかし彼もまた、
全然信用してくれません。
「あ〜あ、親父もついにボケたか。
それとも、あまりの暑さに、
幻覚でも見たんじゃないの…?」
違う!
俺は見たのだ!
あれは断じて猫などではない!
でも…、
そういう私も…、
だんだん自信がなくなって来ました。
確かにタヌキにしては鼻や尻尾が長すぎる…。
イタチは、あんなにクリクリお目目ではない…。
ショーちゃんの変装も考えたが、
いくらなんでも小さすぎて無理だ…。
しかし、断じて猫などではない!
するとタヌキと猫のハーフなんだろうか…?
そんなものが存在するのだろうか…??
……???
ということは、
やはりあれは幻覚だったのだろうか…。
ついに私も、ボケに入ったのだろうか…。
……???
で、その翌日のこと…。
連れ合いが一冊の「動物図鑑」を持って来て、
私にこう尋ねました。
「もしかして、昨日見たのって、
これのこと?」
私は思わず興奮して、
「そうだ! そうだ!
これ、これ、これ、これ、これだ〜〜〜ッ!
これに間違いない!
ほら、尻尾も、鼻も、体長も、
俺の言ったとおりじゃないか!!」
すると彼女は、
静かに、ぶっきらぼうに、こう言ったのです。
「ふ〜ん、ハクビシンか…。
見たかったなぁ…。」
ハ、ハクビシン…?
私には初めて聞く名前でした。


そしてその後、
このハクビシンちゃんの消息は、
ついに分からずじまいでした。
それにしても、
なんでそんな珍獣が、
都会の真ん中に現れたのでしょうか…?
そしてそれは、
どこに消えてしまったのでしょうか…?
それとも…、
やっぱりあれは…、
私の幻覚だったのでしょうか…。
……?
(おしまい)
とまあ、そんなお話でした。
というわけで、
あまりの多忙ゆえ、
執筆に多大な時間を要する、
『信濃の国日記』は、
1回お休みさせていただきました。
次回はがんばりますね。
さ、仕事に戻らなくては…。
……。
そうそう、
今週の金曜日(7月20日)は、
私の学芸大「A'TRAIN」ライブがありますよ。
今月の最終金曜日(27日)がジャミンの遠征のため、
変則開催でございます。
どうぞお間違えのなきよう、
暑気払いにお出かけ下さいませ。
えっ?
もっと暑くなるんじゃないの?
ですって…?
いやあ、まあ、
それもまた一興かと…。
……。
SHUN MIYAZUMI
July 08, 2012
信濃の国日記 その3
なんだか急に蒸し暑くなってきましたね。
天気予報図を見ると、
そろそろ梅雨明け、
夏本番、暑さ本番間近といった感じでしょうか…。
……。
そんなとき、
私は、約1ヶ月前の長野のお話を書こうとしております。
でも、あれはまだ、
たった1ヶ月前のことなんですねえ…。
もう随分前の出来事のような気がします。
それほど今年は、次から次へと、
イベントが目白押しということなのでしょうね。
でも、忙しいということはいいこと。
感謝しなくてはいけません…。
というわけで、
この信濃シリーズも、
記憶がまだ新しい間にさっさと書いてしまわないと…。
急げ、急げ。
それ〜〜〜っと。
ん…?
『信濃の国日記 その3』
6月6日(水)晴れ
朝の10時。
今日の1校目は、
「更級(さらしな)農業高等学校」のみなさん。
開演5分前に会場に入ると、
予想どおり男子が多い。
しかし女子もたくさんいた。

そして、みな落ち着いていて、
しっかりした高校生といった感じを受けた。
渋谷のセンター街あたりでチャラチャラしている、
どこぞの都会の高校生とはまったく違う…。
もう立派な社会人といった顔なのだ。
家業が農業をやってる生徒たちが多いんだろうな。
「自分たちが国の礎たる農業を守っていくのだ。」
といった、強い意志を感じる。
うん、いい感じ、いい感じ…。
「みんな、頑張れよー。」
といいたい気分だった。
そこへメンバーが出て来た。
と、これが、予想に反して、
いい反応。
……。
昨日の、初日の2校よりは、
ずっと「Welcome!」な雰囲気なのだ。
曲が終わったあとの、
なんとも不安な3秒の沈黙はあるものの、
明らかに「受けてる」「楽しんでる」のだ。
このとき私は思ったのだった。
この子たちは、
ちゃんとインターネットで下調べをしてきてるな、
と…。
なあに、昨日の2校が受けてなかったわけではない。
それが証拠に、
ゼブログや、Facebookや、twitterには、
たくさんコメントが来ていたではないか。
そして、それらを、
今日の生徒たちも事前に見て来てるに違いない…。
つまりは、
「高校生にも楽しめるライブ」ということを、
すでに確認して来ているのではないか…。
生徒どうしの情報も行き交っていたのだろう…。
「Oh! What A Night」で、
レンセイが客席に降りて来たときも、
昨日よりは、はるかに盛り上がった。
なによりも男子が、
そう、今日もまた男子が、
レンセイのあとを受けて大声で歌ってくれたのだ。

気を良くしたメンバーには、
次第に「いける!」という自信が芽生え、
トークにも冴えが戻り、
午後の「屋代南高等学校」ライブでは、
さらにリラックス・ムードで、
高校生たちの中に溶け込んでいったように思う。
この頃からは、
女子たちもあちこちで手を振ったり、
それに対するメンバーの反応にキャーキャー、
といった、いつもながらの、
和気あいあいのライブになっていったのだった。
そして、終了後の楽屋口には、
サインを求める女子高生が、
はにかみながらも、何人も訪れていた。
……。
ああ、良かった…。
それにしても、
「インターネット時代の子たちなんだなあ」
を、まざまざと実感させられた。
うん、この想像は間違ってないと思う。
なぜならば、
翌週の長野市での後半戦では、
それを裏付けるが如く、
実に凄まじい光景を見せつけられることになるからだ。
……。
ちなみに、
この屋代南高校のライブのあとには、
合唱部のみなさんの依頼もあって、
「コーラス・ワークショップ」も開催した。
人数が少ないので、
みなさんにステージに上がってもらっての、
とても贅沢なひとときだったように思う。
では、みんなで記念撮影といきましょう。
ほら、先生方も、恥ずかしがらないで、
どうぞ、どうぞ、どうぞ、
ほら、ほら、ほら、
パチリ。

そして翌日。
6月7日(木)晴れ
朝の10時半から始まった、
今回5校目となる、
「坂城(さかき)高等学校」のライブで、
北信地区高等学校・芸術鑑賞会の前半戦も、
無事に終了。
ここも、みな大人しかったが、
この頃になると、
私にはもう一抹の不安もなかった。
「ジャミン・ゼブは高校生にも受けるんだ」
という自信に、
一点の曇りもなかったのだ。
「なあに、みな乗り方を知らないだけなんだよ。
ふふふ。」
みたいな…。
それが証拠に、
屋代駅では何人もの女子生徒たちが、
反対側のホームから手を振っていたし、
「あのぉ、一緒に写真撮ってもらっても、
いいですかぁ…。」
という子たちもいたではないか。
ただし、これだけは謎だ…。
私たちが改札を入って、
反対側のホームに向かって歩いているとき、
その坂城高校の男子が4、5人、
ベンチでくっちゃべっていた。
と、そのとき、その中の一人が、
「おっ、シモンだ。
おい、みんな、シモンだぜ。」
と騒ぎだした。
そして、階段を上っているシモンに向かって、
「シモ〜〜〜〜〜〜〜ン!」
と、大声をかけた。
するとシモンがニコッと振り向く。
それを見て彼らは、
「クウ〜、シモン、めっちゃカッケエー!
俺、メッチャ、上がった〜〜〜〜〜〜!!」
……。
なぜだ、
なぜ女子ではなく男子なのだ…。
……??
なぜだ、
なぜ、シモンなのだ…。
……???
この謎は、今もって解明されていない。
……。
最後に、また蕎麦の話を書いておかねばならない。
私たちは屋代からローカル線で上田まで出て、
上田から新幹線で帰京することになっていたのだが、
私とショーちゃんは、時間があったので、
その上田駅の中にある「立ち食いソバ」っぽい店に入り、
このツアー最後の蕎麦を食べた。
で、これが、
またまた、、
うまっ、うまっ、うまっ、うまっ、、、
うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!
たったの400円(くらいだったように思う)ぽっきりの、
東京でも、どこにでもあるような、
カウンターだけの店の蕎麦が、
絶品なのだ。
いやあ、恐れ入ったぜ、長野…。
ね、ショーちゃん。

えっ、
またその写真かい?
そう、たしかに…。
こんなことなら、
毎回撮っておけばよかったかな…。
……。
(つづく)
なんだか昨日、今日と寝てばかりいました。
早くも夏バテでしょうか…。
仕事もどっちゃりあるし、
アレンジもやろうと張り切っていたのですが、
どうにも体が言うことをきかなくて…。
そういえば、
金曜日(7/6)の岡崎も強行軍だったし、
すごく蒸し暑かったですからね。
なんだか最近、
年を感じることが多くなりました。
めっきり…。
いけませんね…。
ブツブツ…。
ボソボソ…。
あ〜あ…。(ナマあくび)
(それが年なんだよ)
……。
(反論できず)
…………。。。
SHUN MIYAZUMI
July 01, 2012
信濃の国日記 その2
今回の信濃路ツアーで、
私たちは、ある特別な依頼を受けていた。
それは、
長野の人なら誰でも知っている「県歌」を、
ジャミン流にアレンジして歌って欲しい、
というものだった。
それが、これ。
『信濃の国』

いやあ、これは難しかった。
今年は、こうした依頼が多いのだが、
その中でもこれは特別の難しさだった。
今までジャミンに書いた中でも、
一番と言ってもいいくらいの難産だった。
なぜならば、
明治時代、日清戦争直後に作られた曲らしく、
詞が文語調で書かれているからだ。
1番はこうだ。
「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
聳(そび)ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
松本伊那佐久善光寺
四つの平(たいら)は肥沃(ひよく)の地
海こそなけれ物さわに 万(よろ)ず足らわぬ事ぞなき」
こんな感じの詞が6番まであるのだが、
とても覚えられないので2番までにしてもらった。
長野の人は、全部スラスラ歌えるのだろうか…?
そして途中には、
ちょっと洋楽っぽいバラードのような部分が加わるのだが、
この詞がまた難しい。
「尋(たず)ねまほしき園原(そのはら)や
旅のやどりの寝覚(ねざめ)の床(とこ)
木曽の桟(かけはし)かけし世も
心してゆけ久米路橋(くめじばし)」
いやあ、これは、とても無理だ。(特にレンセイは…)
もし歌詞を間違えでもしたら大変なことになるので、
ここはラララとバロック調のアレンジで逃げた。
さらには曲が軍歌調ときている。
いつもの、得意のコード・チェンジや、
お洒落リズム・パターンだけでは、
とても逃げ切れそうもない。
これを、どうやってジャミン流にやればいいのだろう…?
……。
しかし、なんとか書いた。
メンバーも必死で覚えた。
何よりも詞を…。
そして、最初のリハーサルで、
私たちがこの曲を演奏すると…、
と…、
地元の照明や音響のスタッフが、
作業を中断して聞き入ってくれて、
最後は、こんなお褒めの言葉を下さった。
「ジャミンがやると、こんなに変わるんですねえ。」
「こんなお洒落な『信濃の国』初めて聞きましたよ。」
「きっと高校生たちも喜ぶと思いますよ。」
ほっ…。
よかった…。
これで、また一つ武器が出来たぞ…。
そう、私たちは、
この高校生ツアーを成功させるために、
あらゆる武器、アイディアを駆使して、
今考えられる限りの最善のセット・リストを組んだのだが、
正直、これも心配の一つだったのだ。
というわけで、
6月5日(火)の初日を迎えることとなった。
清々しい快晴で、
歌にもあるように聳ゆる山々が美しい。
いよいよ朝の10時から、
「中野西高校」の生徒さんを迎えてのライブが始る。
メンバーも私も、
まったく予想のつかないライブだ。
「はたして受けるのか…。」
「みんなが白けて寝ちゃったらどうしよう…。」
「どんどん席を立って帰りだしたらどうしよう…。」
こんな不安な気持ち、プレッシャーは、
デビュー直後のフリー・ライブ以来かもしれないな…。
恐る恐る会場のドアをあけてみると、
この学校はかなり女子が多い。
少し安心した。
みんな、盛り上がってね〜。
でも…、
予想に反して、
静かな立ち上がりだった。
1曲目「Come On Get Happy」が終わると、
いつもは即座に歓声が起きるのだが、
3秒ほどの沈黙のあとに拍手が来る。
どの曲が終わっても、拍手までに、
3秒くらいのタイム・ラグがある。
なんとも不安にさせる沈黙だ。
受けてないのか…、
ただ大人しいだけなのか…、
こうしたライブは初めてなので戸惑っているのか…、
なんともよくわからない…。
……?
でも私は、
「無理もない…。
誰もジャミンを知らないのだから…。」
と自分を励ましながら固唾をのんでライブを見守る。
しかし、終演後にアンコールを要求する、
大きな拍手が鳴り止まなかったので、
ひとまず安心した。
しかし、トークも含めて、
これはまだまだ改善しなくてはならない。
もっともっと良くなるはずだ。
もっともっと高校生の心を揺さぶらなくてはならない。
休憩の間も私たちは真剣に対策会議だ。
そして、1時半から2校目。
「中野立志館高校」のライブが始まる。

ここは男子も多いぞ。
ううむ、強敵だな…。
そして、ここも静かな立ち上がり。
場内が暗くなって、
メンバーが登場しても拍手も起きない。
ううむ…。
手強い…。
ところが…、
何曲目かに驚くべきことが起こった。
最前列に近い左の方の席の、
5人ぐらいの男子生徒から、
一斉に、
「シモ〜〜〜〜〜ン!」
という歓声が上がったのだ。
なぜだ。
なぜ、女子ではなく男子なのだ…。
……?
彼らは終了間際にも、
「シモ〜〜〜〜〜ン!」
と叫んで、手を振っていた。
なぜだ。
なぜシモンなのだ…。
……??
そんな謎を残したまま、
とりあえずこの日のライブは無事終了。
しかし、まだまだ良くなるはずだ…。
もっともっと受けるはずだ…。
このあと、私たちは、
ジャンボ・タクシーに乗り込み、
明日の会場のある千曲市まで1時間かけて移動。
そのタクシーの中でも真剣に対策を練りに練った。

明日の会場「あんずホール」のある千曲市の宿泊ホテルは、
屋代という駅のすぐソバにあった。

ここも山に囲まれた美しいところだ。
ここで食べる蕎麦も間違いなくうまかろう。
私は早くもそんな思いにかられていた。

と、そんなことを言ってる場合ではない。
私たちは少しだけ休憩して、
「あんずホール」に移動して明日のリハーサル。
やれやれ、
なんというハード・スケジュールだろう。
音響や照明のみなさんも大変だなあ…。
そんな時、スティーヴが、
「twitterに中野の生徒さんから、
いっぱい来てますよー。」
と、嬉しいことを言ってくれた。
ショーちゃんはノート・パソコンを見ながら、
「おや、Facebookにもゼブログにも、
コメントがいっぱいですよ。」
と、さらに嬉しい追い打ちをかける。
「受けてたんだ…。」
「ただ、乗り方を知らなかっただけなんだ…。」
ほっ…。
良かった…。
でも、明日はもっと良くするぞ〜。
……。
そして夜の9時に、
この長い長い1日が終わった。
さっそく私とショーちゃんは、
「屋代駅」の近くの小料理屋に飛び込んで、
蕎麦を注文。
で、ここが、また、
うまっ、うまっ、うまっ、
うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!
しかも安い。
昨日の中野もそうだったが、
こんなに美味くて安い蕎麦が毎日食えるなんて、
長野の人が、
うらやまし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!
というわけで、
今宵もこの男は大満足のようだ。

えっ?
前回の写真と同じじゃないか?
いやいや、
この男は満足すると、
いつもこういう顔をするのだから、
問題ないのではなかろうか。
それにしても、
明日も楽しみになってきたな。
(なにが…?)
ん…?
(写真はみな拡大可)
(つづく)
金曜日(6/29)の「A'TRAIN」も、
盛り上がりましたねえ。
なつかしい高校の同級生も来てくれたりで、
とても楽しい時間を過ごすことができました。
みなさん、ありがとうございました。
で、次回(7月)は、
最終週がジャミンのツアーとぶつかるので、
その前の週の金曜日、
7月20日の変則開催となります。
くれぐれも、お間違えなきようにお願いします。
さ、激動の6月も無事に終了。
7月は少しだけ余裕ができたので、
明日からまた新作を書こうかと思っております。
あんまり休んでると、
あの男がうるさいもんでね。
あの蕎麦好きの…、
あの男が…。
……。
SHUN MIYAZUMI
June 23, 2012
信濃の国日記
6月4日(月)晴れ。
今日から信濃路ツアーだ。
ジャミン・ゼブ『長野県北信地区高等学校・芸術鑑賞会』
北信濃にある高校9校の生徒さんたちに、
ジャミン・ゼブのライブを体感してもらおうという、
壮大なスケールのライブ・ツアーで、
今週はその前半戦。
4日間の長旅が今始まろうとしている。
わくわく。
期待で胸がいっぱい。
と言いたいところではあるが、、、
正直、今回は不安要素もいっぱいあった。
まずは先週後半の『SEASONS』リリースにともなう、
名古屋3daysツアーと日吉「藤原洋記念ホール」で、
1時間半のライブを連続5回も敢行したことによる、
メンバーの喉の疲労具合はどうなんだろう…。
なにしろハードだったからなあ…。
そして、たった1日置いて、今度は、
これまた1時間半のライブが5回にワークショップが1回、
という、もっとハードなスケジュールが待ち構えている。
はたしてメンバーの体力と喉は保(も)つのか…。
……。
まだある。
どちらかというと大人向けの音楽で、
しかも英語の曲、洋楽が中心のジャミンの音楽を、
ティーン・エイジャーが楽しんでくれるのだろうか…。
……。
ま、高校生を対象としたライブは、
今までにもなんどかやっていて、
それなりに大盛り上がりしたのだが、
それらはみな “女子校” だった。
ルックスは結構イケてるグループなので、
女子にはある程度受ける自信はあるのだが、
今回はすべて共学校だ…。
中には工業高校や農業高校といった、
あきらかに男子の方が多いであろう高校も含まれている。
ううむ…。
大丈夫か…。
「こんなの聴いてられねえよ。」
と続々と席を立って退場されたらどうしよう…。
ほとんどの男子が、
椅子に足を投げ出してグーグー寝てしまったら、
どうしよう…。。
あまりの退屈さに、
みんなペチャクチャ喋りだして、
とてもライブどころではない雰囲気になったら、
どうするのだ…。。。
しかも全員がジャミン初体験という、
完全アウェーでのコンサートだ。
これが、9回も…。
大丈夫か…。
……。
そんな不安な気持ちのまま、
14:04東京発の長野新幹線、
「あさま」に乗り込んだわけだが、
疲れを知らぬ、元気いっぱいのメンバーや、
ピアノの小林岳五郎君の姿を見たら、
なんだかうまくいきそうな気がしてきた。
若い彼らに取り越し苦労は必要なかろう。
(そうだ、そうだ…。)
長野駅に着くと、
今度は「ながの電鉄」というローカル線に乗り換える。
そのホームに降り立つと、
嬉しなつかしい光景が待っていた。
特急はかつての「小田急ロマンス・カー」、
普通電車は東急東横線の昔の車両だったのだ。

「ああ、まだ現役で頑張っていたんだなあ…。」
老体にムチ打っての頑張りは、
なんだか我が身を見ているような気分だった。
あははは。
ん…?
その特急に揺られること約30分。
到着したのは「信州中野」というところ。
ほとんど新潟に近い北信濃の駅だった。
出迎えのタクシーに乗って、
明日のライブ会場「中野文化会館」に到着すると、
車で駆けつけてくれたドラムの今村健太郎君、
ベースの金森もとい君にも無事再会。
これで全員揃った。
そして今日はリハーサルのみ。
会場に入ると、
たくさんの音響と照明スタッフさんたちが、
準備に追われていた。

当初は、学校の体育館でやるものとばかり思っていたのに、
こんなに立派な、完璧なプロ仕様のステージだとは…。
正直これにもビックリした。
「すごい!
なんというお金のかかったプロジェクトなんだ…。
これは、ますます失敗できないぞ…。」
またまたプレッシャーから、
取り越し苦労が始まってしまう。
(よせ。俺らしくないぞ。)
でも、なんとか無事にリハーサルを終えると、
うまくいけそうな気にもなってきた。
その瞬間、
猛烈な空腹を覚えてきた。
そういえば時計の針はもう夜の8時を過ぎている。
そして私は、
嬉しい現実を思い出したのだった。
「そうだ! 今俺は長野にいるのだ!
長野と言えば、蕎麦のメッカではないか!!!」
長野…。
蕎麦…。。
それは、今を去ること40年近くも前のこと…。。。
大学生だった私は、
所属していた音楽サークル、
「ライト・ミュージック・ソサエティ」や、
仲のいいヴォーカル・グループ「カルア」の仲間たちと、
長野県は中軽井沢の駅前にある、
「かぎもとや」という蕎麦屋に、
ただ単に蕎麦を食うだけのために、
休日を利用して出かけたものだ。
ここで私たちは、
有名人も多数訪れるという、
名物の「もりそば」を、
何枚積み上げるかという競争をしたもんだ。
いくら蕎麦好きの私でも、
6枚食べるのが精一杯だったが、
私の仲間には、
なんと17枚も積み上げたやつがいた。
ま、それほど美味い蕎麦だったのだ。
懐かしいなあ…。
あはは…。
(今でも、17枚というのは異常だと思っているが…。)
そう、それほどまでに私は蕎麦(そば)が好き。
蕎麦、蕎麦、蕎麦、蕎麦、蕎麦、蕎麦、蕎麦がだ〜い好き!
というか麺類だったら何でも好き。
うどんも、きしめんも、ラーメンも、冷やし中華も、
ソーメンも、パスタも、
もうもう、み〜んな大好き!
それに輪をかけるくらい、
ショーちゃんも麺類がだ〜い好き!!!
ということで私とショーちゃんは、
ホテルでチェック・インをすませるや、
大急ぎで近所の小料理屋に飛び込んだ。
黄色い旗に黒く「そば」と書かれた文字に惹かれて…。
若い連中は、
「肉が食いた〜い」と、
なんの変哲もないファミレスに行ったようだが、
私たちはそんな無粋なことはしない。
信州といったら、なにをさておいても蕎麦ではないか。
さて、そんな殺風景な、バイパス沿いにある、
ただの小さな小料理屋の蕎麦。
さほど有名でもなかろう、
そんな普通のお店の蕎麦だったが、
これが…、
これが………、、、
うまっ、うまっ、うまっ、うまっ、うまっ、うまっ、
うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!
それは、
この男の表情からも伺い知ることができよう。

さらに、ここの酒がまた絶品だった。
「長野恐るべし!」の感を強くした。
いい気持ちで杯が進むにつれ、
私にはもはや一点の不安もなくなった。
み「ショーちゃん、さして下調べもしないで、
初日からこんな蕎麦や酒にありつけるなんて、
やはり俺たちはついてるな。」
ゆ「ですな。」
み「これで、このツアーは成功したも同然だな。」
ゆ「そんな単純な話っすか。」
み「そうだよ。
この蕎麦や酒の美味さったらないだろう。」
ゆ「それとライブはどう関係あるんすか。」
み「なにを言ってる、これこそ、
神が俺たちを後押ししてる証拠ではないか。」
ゆ「じゃ、そういうことにしておきますか。」
み「いやいや、そうに決まってるんだ。
もう成功間違いなしなのだ。
あははははは。」
ゆ「……。」
み「ね、ショーちゃん。」
ゆ「………。」
なあに、彼は知っているのだ。
こんな状態になったときの私が、
いかに無敵であるかを。
……。
(つづく)
いやあ、それにしてもこの1ヶ月は、
私にもあまり経験がないくらいの、
凄まじいスケジュールでした。
さすがの私が、
先週は体調に異変を覚えたくらいですから。
体はバキバキ。
お酒も飲みたくないほど疲労困憊。
……。
でも、3日連続のマッサージ通いと、
暴飲暴食を控えたおかげで、
ようやく昨日あたりから普通の体に戻れました。
ふ〜…。
今日は1ヶ月ぶりに家で食事の出来る土曜日です。
で、今日、明日と休養して、
月曜日、火曜日は山形県の鶴岡市に行ってきます。
今度は鶴岡の高校生対象のライブです。
みんな待っててね。
それが終わると、ようやく一段落。
今週の金曜日(29日)の「A'TRAIN」は、
大いに弾けたいと思います。
みなさん、いらして下さいね。
それにしても、
ジャミンの元気なことといったら…。
若いんだなあ…。
……。
SHUN MIYAZUMI
June 11, 2012
ジャミン・ゼブ『裏・シーズンズ』その3
ジャミン・ゼブ『SEASONS』

「裏シリーズ」の最終回です。
一回パスさせていただきましたが、
これも早めに終わらせておかないと、
時期を逸してしまいますからね。
急げ、急げ。
というわけで、
梅雨空を吹き飛ばすかのような、
爽やかなジャミン・サウンドの裏側を、
ちょっと覗いてみることにしましょう。
どれどれ…。
06. I'm A Believer(アイム・ア・ビリーヴァー)
lyrics & music : Neil Diamond
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

この譜面は、
ちょうど真ん中あたり。
フルートの間奏後に登場する、
メンバー4人による、
「超絶技巧スキャット」の導入部分です。
このアレンジ手法を最初に使ったのは、
アルバム『Dream』に収められている、
「New York life」という曲でしたか。
シモン〜スティーヴ〜コージロー〜レンセイが、
まったく違うフレーズを歌いながら積み重なって行く、
というジャミンならではのもので、
題して、
「音のトリプル増毛法」。
ん…?
同じく『Dream』の中に収められている、
「Scarborough Fair」でも、
『Garden』に収録されている、
「町から町へ」でも、
このアレンジ手法を使っております。
ま、本音を言いますとね。
あれ、書くの大変なんです。
クラシックの世界では当たり前の、
フーガ(対位法)てやつの変則版とでも言いましょうか。
書いてくうちにどんどん頭がこんがらがって来る。
どうしてこんなこと始めちゃったんだろう…?
こんな面倒くさいことやめちゃおうかな…。
と、いつも挫折しそうになるのですが、
せっかく途中まで書いたのだから、
頑張って仕上げようと悪戦苦闘…。
……。
そんな涙ぐましい努力の上に完成した部分なのですが、
いとも簡単に歌ってしまう4人を見ていると、
嬉しくもあり、悔しくもあり…。
……。
(くそ、見てろ。
今度はもっと凄いの書いてやるから…。)
と、燃えてしまって、
また罠にはまっていく…。
ま、この繰り返しですかね。
このプロジェクトは。
あははは。
(意味のない笑い)
もうひとつ。
この作品では、
♪バドゥバダバドゥバドゥバドゥバドゥバドゥバ♪
という、
なんとも軽妙なスキャット・フレーズが、
全編を支配しています。
前述したフーガの部分では、
このフレーズがモチーフになっているのですが、
このアイディアは、ワーグナーのオペラ、
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
の2幕の最後に登場する大フーガから頂戴しました。
あれはケッサクでしてね。
中世の吟遊詩人よろしく、
真夜中に、恋慕する彼女の家の窓の下で、
ギターをかき鳴らしながら歌う冴えない男。
そこに、近所のおじさんたちが、
「おい、誰だこんな夜中に歌なんか歌いやがって。
うるさくて眠れないじゃねえか。」
と一人、また一人と出て来る。
そのうちに、
「なに言ってんだ。
お前の声がうるさくて目が覚めたじゃねえか。」
とばかり男同士で喧嘩が始まる。
するとおかみさんたちも出て来て、
「あら、あんた、うちの亭主になにすんのよ。」
とばかり、相手の男の頭をポカリ。
すると、その相手の男のおかみさんも黙っちゃいない。
「ちょっと、あんたこそうちの亭主になにすんのよ。」
とばかり、今度は女同士でも大乱闘。
最後はもうもう、
収拾のつかない大混乱になってしまう。
で、これが、
混声合唱団とオーケストラによる大フーガで、
延々とかき鳴らされという、
ま、ワーグナーならではの、もの凄い音の世界。
まさに、
喧噪と秩序、
混乱と収拾、
といった、
相矛盾するテーマを渾然一体とさせるという、
私の大好きな世界が、
壮大なスケールで展開されているのです。
というわけで私も、
久しぶりにやってしまいました。
もちろんワーグナーさんの壮大なスケールには、
到底及びませんが。
バカバカしさも含めて。
あははは。
(意味のない笑い その2)
ちなみにこれ、
「椅子取りゲーム」には最適ですよ。
この、
♪バドゥバダバドゥバドゥバドゥバドゥバドゥバ♪
が出て来る場面では、
歌とピアノを除いて、
(何箇所フルートは参加)、
ドラムもパーカッションもベースも、
パタッと止まってしまいます。
ここで「キャーッ」と椅子を取って座ってしまう。
どうですか、
面白そうでしょ。
何回も何回も出て来ますから。
えっ?
そんなバカなことやってられるか、
ですって?
確かに…。
07. 世界に一つだけの花
lyrics & music : Noriyuki Makihara
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

このアレンジの完成日は、
2007年2月11日とありました。
ジャミン・ゼブ結成から半年後。
まだレコード会社も決まっていない頃です。
しかし、なぜか今までCD化されませんでした。
と言うより、
入る場所がありませんでしたね。
でも、表の解説にも書いたように、
今回のコンセプトは、
「わかりやすさ」です。
ま、言ってしまえば、
ジャミン・ゼブ・サウンドの入門編。
ならば、この時を置いて、
収録するチャンスはないかもしれない…。
……。
というわけで、
ようやく陽の目をみることができました。
ああ、良かった…。
さて、この曲も、
コードを大幅にいじってみました。
というより、
得意の「コード細分化」です。
A♭ / E♭/G | D♭(9)/F / A♭/E♭ |
ラーラララ ラララ ラーラーラー
D♭maj7 / A♭(9)/C | E♭sus4 / Fm |
ラーラララ ラララ ラーラーラー
イントロから、
1小節を2分割して、
ベースが下降していくという、
原曲には見られないコード進行。
Aメロではこうなります。
A♭ / D♭(9) | E♭(9)/ A♭ |
花屋の店先に並んだ〜
Fm / B♭m7 | B♭7/D / E♭(9)|
いろんな花を見ていた〜
A♭ / D♭(9) | E♭(9)/ C/E |
人それぞれの好みはあるけど〜
Fm / D♭(9) | E♭sus4 / A♭sus4 |
どれもみんな綺麗だね〜
時おりジャズのテンションなんかも散りばめながら、
よりお洒落なサウンドをめざしての、
大胆なコード・チェンジです。
ぜひ原曲と聴き比べてみて下さい。
コードのことはわからなくても、
微妙な音の変化の違いは、
お分かりいただけると思います。
というわけで、
コージローの爽やかな情感に溢れたリードに、
ビロードのようなコーラスが絡んで、
素敵なジャミンの世界がまた一つ出来上がりました。
まさにカヴァーの醍醐味ですね。
余談ですが、
「そうさぼくらは〜」
の後に初めて登場するドラム。
あの、山木秀夫さんの、
「ドデスカデンデン」
の、太鼓のフィル・インのかっこよさったら…。
これも、さすがです。
イエ〜イ!
というわけで、
『SEASONS』
お楽しみいただけてますでしょうか。
このアルバムを引っさげて、
全国各地、
まだジャミンを知らない人たちにむけて、
どんどんライブを展開していきたいですねえ。
相変わらずのご声援のほど、
よろしく、御(おん)願い奉りま〜〜〜〜〜す!
デンデンデンデンデンデンデン♪♪♪
さ、
また、
楽曲探しの旅に出るとするか…。
……。
(おわり)
土曜日(6/9)の「たまプラーザ」は、
雨で中止になってしまいました。
残念無念…。
昨年から延々と続いていた、
奇跡のような「晴れ男たち」伝説も、
ついに途絶えてしまいました。
ガクッ…。
でも、
ライブはなくても、
サイン会と握手会だけでも、
あんなにたくさんの方が来て下さるなんて…。
本当に感激しました。
そして、
お買い上げいただいたCDが、
なんと…、
108枚!
……。
みなさま、ありがとうございました。
これは絶対リベンジですね。
山野楽器さ〜ん、
よろしくお願いしま〜す。
というわけで休む間もなく、
明日(6/12)から3日間、
先週に続いて、
長野に遠征してまいります。
長野の高校生と、
またまた素敵な出会いが楽しみです。
長野の美味しい蕎麦との、
またまた素敵な出会いも楽しみです。
先週は4カ所で食べて、
全部当たりでしたからね。
待っててね〜。
おソバちゃ〜ん。
(違うだろ)
ん…?
SHUN MIYAZUMI
June 03, 2012
日吉
今日も『裏・シーズンズ』を書く予定でしたが、
一回お休みにします。
あれ、すごい時間がかかるもんで…。
……。
なにしろ今週は、水木金と名古屋にいて、
昨日は一日中、
日吉の「藤原洋記念ホール」でお仕事。
しかも明日からはまた長野遠征ということで、
4日間も東京を離れます。
だから今日は、
やっておかなくちゃいけない事がわんさか。。
というわけで、
今日のお題はコレでいくことにしました。
『日吉』

(ジャミン・ゼブのFacebookから無断借用)
正面に見えるのが「体育館」です。
今も「入学式」と「卒業式」は、
ここで行われるのでしょうか。
この大学では、
1、2年生をこの日吉で過ごし、
3年生になると三田に通う、
というのが習わしです。
ということは、
私がここに通っていたのは、
もうかれこれ42、3年も前のことになるんですねえ。
ひえ〜〜〜〜ッ。
……。
で、昨日は久しぶりに、
ちょっとキャンパスを歩いてみました。
というか、
「喫煙所」を探していただけの話ですが…。
いやあ昔日の感がありますねえ。
どの校舎もみな綺麗になってるし、
タバコの吸い殻はおろか、
ゴミひとつ落ちていない。
美しいキャンパスでした。
でも、私らの頃の校舎といえば、
それはそれは「汚い」のひと言。
ちょうど学生運動真っ盛りの頃でしたからね。
どの建物に入っても、
壁には赤や黒のペンキで、
「プロレタリアート革命!」だの、
「安保反対!」だのといった文字が、
ベターッと落書きされている。
中には「殺せ!」だの「粛清!」
などといった物騒な落書きまでありました。
そればかりか、
それに便乗したおバカな学生らによって、
ヌード写真やら、お下劣な落書きやらが、
あちこちの壁に無造作に貼られたり書かれたり。
さらに床には、
食べ物の残りカスの入ったビニール袋やら、
タバコの吸い殻やら、壊れたヘルメットやら、
読み捨ての漫画やエロ本なんかがあちこちに散乱。
いやあもう、汚いのなんのって。
私が所属していた、
「ライト・ミュージック・ソサエティ」の部室なんて、
それはそれはもう、
筆舌に尽くし難い汚さでした。
だから、その頃、
その40年後に、
「喫煙所」を探しにキャンパスを歩くなど、
誰が想像出来たでしょうね。
あの「慶応大学」が、
こんなに綺麗になるなんて、、、
……。
それに比してか、
キャンパスを歩いている学生も、
小綺麗な「喫煙所」にタバコを吸いに来る学生も、
みなお行儀のいい、
良家のご子息、ご令嬢といった感じ…。
私らの頃は、
「上智」「青山学院」といった大学が、
そんな感じで、
「慶応」というのは、
世間の皆さんが考えてるよりは、
ずっと「硬派」だったように思います。
駅の反対側の商店街も、
お洒落なケーキ屋だの、花屋だの、
小粋なレストランだの、
綺麗な街並が続いているのですが、
これも今と昔では大違い。
私らの頃は、
「ミンミン」という汚い中華の店が大人気。
ここの「焼きそば」をつまみにして、
ライトの仲間たちとビールを飲んだものです。
安い「焼き鳥屋」もいくつかあって、
ここも不良学生の溜まり場でしたね。
「おーいオヤジ、お酒お代わりよ〜ん。」
(ん…)
さらに、あちこちに「雀荘」があって、
昼間ここを覗いてみると、
みな授業をさぼって「麻雀」に熱中している。
しかも「雀荘」の中はタバコの煙でモウモウ。
大学1、2年生といえば、
ほとんどが未成年なのにねえ。
大らかな時代と言うべきか…。
さらに日吉には、
大きな「パチンコ屋」が3つあって、
ここも昼間は学生でいっぱいでした。
ちなみに私は、
このパチンコ屋はすべて制覇。
1日で7万円の荒稼ぎをしたこともあります。
(自慢になるのかな…)
「こんな学生に月謝を払ってる親の身にもなってみろ!」
と、声を大にして言いたいですね。
(あれ…?)
そんなわけで、
ま、ちょっとした浦島太郎感覚でした。
まるで別世界にいるような気分でした。
だから、こんなところに長居は禁物です。
だから、早々に「藤原洋記念ホール」に戻って、
「ジャミン・ゼブ /
『SEASONS』リリース・パーティー」だ!
ワッショイ、ワッショイだ!!
ん…?
いやあ本当にたくさんの方に、
ご来場いただきました。
CDもたくさん買っていただきました。
ありがとうございました。
そして、
響きのいいクラシカルなホールということで、
普段はめったにやらないレパートリーも、
披露する事が出来ました。
いやあ、気持ちよかったですねえ。
「オペラ座の怪人メドレー」♪
あのシンフォニックなサウンドを、
ぜひあのホールで響かせてみたかったので、
大満足です。
「Seasons」「オペラ座」といった、
結成初期のナンバーが、
5年の月日を経て、
ようやく陽の目をみるというアプローチも、
いかにもジャミンらしいですかね。
またチャンスがあったら、
やってみるとしましょう。
そのうちツイッターで、
こんな囁きが流行ったりして…。
「ジャミン・ゼブの
『オペラ座の怪人』は、
凄いらしい!」
あはは。
人の作ったコピーを、
勝手に使っちゃあいけませんね。
退散、退散…。
と……。。。
SHUN MIYAZUMI
そうそう、
こんな私の誕生日に寄せられた数々のコメント、
大変嬉しく拝見させていただきました。
本当にありがとうございました。
なにせ遠征やら何やらで多忙を極めており、
お返事を書くのもままならず…。
この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
では明日からの信濃路ツアーでも、
ジャミン旋風を巻き起こしてまいります。
ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!
Shun Miyazumi
May 28, 2012
ジャミン・ゼブ『裏・シーズンズ』その2
ジャミン・ゼブのニュー・アルバム『SEASONS』
発売まであと2日となりました。
わーい、わーい。
ジャミン・ゼブ『SEASONS』

いよいよカウント・ダウンですね。
という訳で今日も、
発売にさきがけて、
「裏」話の登場です。
でも、くどいようですが、
余計な先入観なしに聴きたい方は、
今はじっとがまん…。
アルバムを聴いたあとで、
来て下さいね。
03. Besame Mucho(ベサメ・ムーチョ)
lyrics & music : Consuelo Velazquez
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

昨年9月のファン・ミーティングのことでした。
このときの「目玉企画」として、
私が立案したのが、
「メンバーそれぞれによるカラオケ大会」
いやあ、これ受けましたねえ。
私も、ここまで楽しいものになるとは、
思ってもいませんでした。
メンバー個々の、
「秘めたるエンターテインメント魂」
を、見たような気がしました。
なかでも圧巻は、
スティーヴの『青い山脈』(藤山一郎)と、
シモンの『ベサメ・ムーチョ』でしたかね。
なによりも彼らが、
こんな古い曲を知っていることにビックリでした。
(おい君たち、年ごまかしてないか?)
そして、その時私は、
この『ベサメ・ムーチョ』を、
ぜひレパートリーに加えたいと思ったのです。
そう、ちょうどこんなタイプの曲が欲しかったから。
そろそろ、こんな大人な曲もやってみたかったから。
『青い山脈』は、ちょっとねえ…。
いくら私でも、
これをジャミン風にアレンジするのは、
ちと無理かも…。
……。
ま、「一郎スティーヴ藤山」氏には、
またファンミでご登場願うとして、、、
この曲のアレンジは、
「音使い」という意味では、
さほど難しくはありません。
彼らのレパートリーのなかでも、
簡単な方でしょう。
(今回もスコアの一部を掲載しました。
拡大でも見られます。)
しかし、
「雰囲気」「ムード」「色気」「官能」という点では、
今までジャミンが経験したことのない難しさ、
だったのではないでしょうか。
でも、さすがに半分メキシコの血をひくシモンが、
歌う度にどんどん成長をみせてくれて、
3人をグイグイ引っぱってくれましたね。
その結果、
爽やかさは残しつつ、
今までとは一味違う色っぽいハーモニーも、
なかなかセクシーに決まったように思うのですが、
さあ判定やいかに…。
……?
そして、
ならば負けじと、
バックのおじさん、おにいさんたちも、
それぞれの世代の「色気」で大奮闘。
これぞ、
「男の色気悩殺バトル、時空を超えた大饗宴!」
イエ〜、メ〜ン!!
な〜んちゃって…。
……。
04. Wrap Troubles In Your Dreams(ラップ・トラブルズ・イン・ユア・ドリームズ)
lyrics : Ted Koehler, Billy Moll
music : Harry Barris
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

「表」の解説にも書きましたが、
このアルバムのコンセプトは、
青春という名の「春」と「わかりやすさ」です。
つまり、今までのアルバムのなかで、
とびきりポップなアルバムと言えるのですが、
でもね…。
やはり1曲くらいは、
ジャズ・スタンダード、ジャズ・ハーモニー、
軽快にスイングするナンバーが欲しいではありませんか。
ということで、
私が選んだ曲がコレ。
ただし、いわゆる「モダン・ジャズ」ではなく、
ディズニー・タッチ、ミュージカル・タッチで、
誰にでも楽しめるようにしました。
レンセイの軽妙なリードが光ります。
昔から大好きな曲で、
私もよくライブで演奏します。
詞もいいですねえ。
「Just remember that sunshine
Always follows the rain」
(覚えてて。
太陽はいつも雨の後を追っかけているんだよ。)
というフレーズはいつも、
ほのぼのとした感動を与えてくれます。
そう、今はどん底のどしゃ降りでも、
この雨がやんだら、
またお日様が顔を見せるのだ。
そうだ!
悪いことは続かないんだ。
そう思って、頑張ろうじゃないか。
そうだ、そうだ!!
そんな曲です。
では、元気いっぱいのジャミンの歌で、
今日も癒されましょう!
請求書なんかいっぱい来てたって、
気にしないでいきましょう!
イエ〜〜イ!!
な〜んちゃって…。
……。
05. Serenade(シューベルトのセレナーデ)
lyrics : Ludwig Rellstab
music : Franz Schubert
additional lyrics : Lensei
additional music : Shun Miyazumi
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

これは、さらにさかのぼって、昨年の5月。
ル・テアトル銀座で開催された、
『シューベルトの音楽映画』と、
『ジャミン・ゼブのミニ・コンサート』、
というジョイント企画から生まれた作品です。
「せっかくの企画なんで、
ジャミン流にシューベルトに挑戦しませんか?」
という主催者さんのたってのリクエストで、
書いたのでした。
いやあ、こういう曲をアレンジするのは、
難しいですねえ。
原曲があまりにも有名だし…、
芸術的な評価も高いし…、
だから作者を冒涜してはいけないし…、
かといってジャミンらしさ、新しさは出したいし、
……。。。
でも、なんとか、
うまくいったように思います。
(自己満足でありませんように)
特にこのアルバムの演奏は圧巻だと思います。
スティーヴのリードも力強いし、
重量感あふれるコーラス・ワークも絶品。
今までのジャミンのア・カペラ・ソングの中でも、
秀逸の出来栄えといってもいいのではないでしょうか。
これなら、シューベルトさんも草葉の陰で、
喜んでくれているのではないか…。
勝手にそう思っております。
それにしても、
この企画は面白かったですねえ。
またやりたいな…。
「ショパンとジャミン」
「ラフマニノフとジャミン」
「ブラームスとジャミン」
「マーラーとジャミン」
な〜んちゃって…。
……。
(つづく)
そういえば私…、
あと6時間ほどで…、
もうひとつ…、
年をとるみたいです。
還暦+One
か…。
ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!
……。
ま、そんな私でございますが、
それに先駆けて、
金曜日(5/25)の「A'TRAIN」ライブでは、
本当にたくさんの方に祝っていただきました。
ありがとうございました。
幸い健康には何の問題もないようなので、
来るべき1年も、
熟年オヤジ・パワー全開で頑張りたいと思います。
引き続きのご支援、ご声援、
なにとぞよろしくお願い致します。
では、元気に名古屋ツアー行ってきます。
ガオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!
(いつもより長めに)
SHUN MIYAZUMI
May 21, 2012
ジャミン・ゼブ『裏・シーズンズ』その1
ジャミン・ゼブ6枚目のアルバム『SEASONS』♪
発売まであと10日を切りましたね。
というわけで今日からしばらくは、
ジャミン・ゼブ・ファンにはすっかりお馴染み。
『裏・シーズンズ』を、
お送りしたいと思います。
少々フライング気味ではありますが…。
収録楽曲の知られざる秘話、
制作過程における面白エピソード、
作・編曲の手法やその解明etc.
作品の持つ、もうひとつの顔を紹介しながら、
さらに楽しく鑑賞してもらおう、
という、涙ぐましくも愛ある企画でございます。。。
そんな「裏」シリーズも、
これで何回めになるのでしょうか…。
……。
ただし、前回も言いましたように、
余計な先入観を持つことなく聴きたいという方は、
今は読まずに、CDを先に聴いてから、
このページに戻って来て下さい。
では、さっそくいってみましょう。
ジャミン・ゼブ『裏・シーズンズ』

あ、すみません、
まだ写真は1枚しかもらってないもんで…。
あとは発売日までのお楽しみということで…。
01. Seasons(シーズンズ)
lyrics : MIYAKO
music : Akinori Kumata, Ayumi Ozaki
arrangement : KAOS, Shun Miyazumi & jammin' Zeb

今回からヴォーカル・スコアも少しだけ公開です。
で、この写真はクリックすると拡大されます。
では、ちょっと拡大してみましょうか。
えい。
おや…?
左上に「Men」とだけ書いてありますね。
そうなんです。
これを書いたときには、
まだグループ名も決まってなかったんですね。
スコアの最終ページには、
いつも出来上がった日にちとサインを書くのが、
私の習性なのですが、
そこにはこうも書かれてあります。
「2006/9/6 by Shun Miyazumi」
……。
ジャミン・ゼブにレンセイが加わり、
ようやく4人が揃って初練習したのが、
2006年の8月25日です。
するとこの作品は、
それから間もなく大急ぎで書かれたわけです。
しかし、
今まで発表してこなかった…。
それはなぜだ…。
そして今になって発表する。
それも、
なぜなんだ…?
……??
お答えします。
つまり、こういうことなのです。
ジャミンは当初、
「ジャズ・コーラス・グループ」として、
結成されました。
世界にも通用する、
レベルの高いヴォーカル・グループとして、
大いに研鑽していこうではないか。
これが、そもそもの結成理由です。
したがって最初は、
ジャズのスタンダードからいこう。
スタンダードの名曲や知られざる曲を、
オリジナリティ溢れるアレンジで提供しよう。
難しいジャズ・ハーモニーや、
乗り(グルーヴ)や英語の発音を徹底的に磨こう。
そして、
日本語のオリジナルは、
しばらく、
足場が固まるまで封印しよう。
というわけで、
そんな決意のもと、
最初の3枚はすべて英語の楽曲で固めたわけです。
そうこうするうちに、
5年の月日が経ちました。
……。
今ではレパートリーも格段に増え、
ジャズ以外の楽曲でも、
ジャミンの素晴らしさが認められるようになりました。
「さくら」「好きにならずにいられない」
といった、日本語のカヴァー曲も、
なんら問題なく受け入れられるようになりました。
そればかりか、
フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語、
といった国際色豊かな楽曲も、
続々とレパートリーに加わっている今日この頃。
ならば、
そろそろこの曲を解禁してもいいのかな…。
いわゆる「J-POPの曲」も、
やってみてもいいのかな…。
とまあ、そう思ったわけです。
しかもこの曲は、
「青春ソング」です。
彼らが中年になってからでは、
詞の鮮度が落ちてしまう。
そう、曲もいいけど、
詞が素晴らしいですからねえ。
『Beautiful Smile』でも素敵な詞を提供してくれた、
私が敬愛するMIYAKOちゃんの、
今だにピチピチの鮮度、新鮮丸かじりの詞は、
本当に素敵です。
♪春は優しさ溢れ咲いて
重く淀んだ雨は流れて
目に映るこの現実を
手に入れて微笑(わら)える♪
に始まる、四季(SEASONS)の表現を、
これほどまでに美しく、ポップに描いた詞を、
私はあまり知りません。
紫式部や清少納言が今生きてたら、
「おや、このお人、なかなかやるわいなあ〜。」
と、褒めちぎっちゃうかもしれません。
ううむ…。
ちと古かったか…。
……。
曲は、クマちゃん、岡田(旧姓)あゆみちゃん、
という古くからの、
私の友人クリエイター・コンビ。
「KAOS」というのも、
彼らのペン・ネームです。
MIYAKOちゃん共々、
いずれも関西出身の人たちです。
そして間奏やエンディングの英語詞は、
もちろんレンセイ君。
ジャミンのメンバーのアイディアも、
あちこちに取り入れながらの、
素敵な競作になりました。
みんな、ありがとう!
ちなみに私、
この曲聞くと、
もう一回青春やりたくなります。
試験勉強がなければの話ですが…。
もうちょっと賢かったらの話ですが…。
(ん…?)
あ〜、若かりし頃思い出すなあ〜…。
こんな風に純情だったかなあ〜、俺…。
彼女、元気かなあ〜…。
あの娘も、どうしてんだろうなあ〜…。
♡♡♡♡♡……
(おい)
えっ…???
02.You Can't Hurry Love(恋はあせらず)
lyrics & music : Eddie Holland, Brian Holland, Lamont Dozier
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb

この譜面の左上には、
ちゃんとjammin'Zebと書いてありますねえ。
そして最後のページには、
こう記されておりました。
2009/9/4→2010/6/23 Re-write
普段私は、一度書き上げると、
よほどのことがないかぎり、
書き直すということはしません。
しかし、これは苦労しました。
なにぶん曲がシンプルすぎるからです。
いわゆるAメロが8小節とサビが8小節(×2回)
基本的にはこれの繰り返し。
そして間にちょこっとブリッジのようなものが入る。
ま、60年代のポップスというのは、
みな、このような単純な構成が多いのですが、
こうした曲をジャミンでやる場合には、
もっと聴きごたえのあるように、
現代風にアレンジして、
スケールの大きな作品に仕上げてみたい。
それがジャミン・ゼブの使命ではないか…。
そう思ってやってきました。
が、しかし、これは一筋縄ではいきません。
Aメロとサビのコード進行が、
まったく一緒だからです。
原曲のAメロはこんなコード進行です。
(ちなみにジャミンはFのキーで歌っています)
| F | F | B♭ | F |
Love love to easy my mind〜
| Am | Dm | Gm7 | C7 |
そしてサビが、
| F | F | B♭ | F |
Can't hurry love (no you) just have to wait〜
| Am | Dm | Gm7 | C7 |
ねえ、おわかりでしょ。
歌詞、メロディーこそ違え、
コードの流れはまったく同じなのです。
これをふくらませていくのは、
いかに私といえども至難の業…。
……。
そこで閃いたのが、
やはり当時のモータウンのスーパー・スター、
ジャクソン・ファイヴが歌った、
『I Want You Back(帰っておいでよ)』
のコード進行でした。
「そうだ、あれと合体させてやろう!」
するとこうなりました。
| F / C/E | Dm / F/C | B♭9 / C74 | F |
Love love to easy my mind〜
| Am | Dm |Gm7 / F/A| B♭ / C74 |
ベース・ラインが、
F-E-D-C-B♭(ファ-ミ-レ-ド-シ♭)という風に、
一音ずつ下降していく。
最後の2小節は、
G-A-B♭-C(ソ-ラ-シ♭-ド)
と今度は上昇ラインです。
カッコいいですねえ。
これぞ、まさに現代風モータウン・サウンドです。
さあ、これで思う存分遊べます。
「煮詰まったときは、コード進行を見直せ!」
これが私流、無手勝流アレンジの極意なのです。
メンバー個々のソロ有り。
それに絡むドゥワップ・コーラス有り。
4声ジャズ・ハーモニー有り。
最後の方には、
レンセイのAメロに3人のサビが同時進行という、
ハチャメチャなパートまで登場する始末。
もう何でも有り有りの、
得意の「ブイヤベース・サウンド」の完成です。
ん…?
ただし…、
もうひとつだけ…、
この曲には欠かせないパートがありました。
「シュープリムス」のオリジナル(1966年)でも、
「フィル・コリンズ」のカヴァー(1982年)でも、
あの、イントロの、
「ドッドッドー ドッドッドドー〜」
というモールス信号のようなベースのリズムが、
とても印象的でした。
これを、どこかに入れないわけにはいかない。
ううむ…。
はい、閃きました。
インター部分及びエンディングで、
お祭りの太鼓のような、
ドラムのタムタムの強烈なリズムでやってやろう。
「ドンドンドン ドドンドドドドン〜」
そしてここに、メンバーのユニゾンで、
「No No !」を高らかに連呼してやろうじゃないか。
だから、最後は「No No!」の大合唱。
祭りだ祭りだ、ワッショイ、ワッショイ!
ん…??
というわけで、ようやく完成しました。
なんとも春っぽい曲になりました。
このアルバムに収録できて良かったです。
ライブでも盛り上がりますよー。
では、みなさんもご一緒に、
「No No! No No!〜」
さあ、祭りだ祭りだ!
ワッショイ、ワッショイ!!
ん…???
(つづく)
いやあ、毎日爽やかですねえ。
この季節が1年で一番好きです。
1年のうち、
5月が半分くらいあったらいいのに…。
そして今月は、
ジャミンのライブが少なかったので、
少し休養もできました。
準備万端。
月末からは、
怒濤の「夏の陣」に突入です。
やりますよ〜〜。
と、その前に、
5/25(金)は、
学芸大「A'TRAIN」の私のライブでしたね。
60才最後のライブも、
大いに弾けたいと思ってます。
祭りだ祭りだ!!
ワッショイ、ワッショイ!!!
(もういいから)
……。
SHUN MIYAZUMI
May 14, 2012
ジャミン・ゼブ『SEASONS』
今年、記念すべきデビュー5周年を迎える、
ジャミン・ゼブ通算6枚目のアルバムのご紹介です。
7曲収録のミニ・アルバムですが、
“ミニ” というパッケージでは3枚目になりますね。
もちろん今回も聴きごたえ充分です。
jammin' Zeb 『SEASONS』

最初のミニ・アルバムが、
2008年11月に発表した『Gift』。
お次が、記憶も新しい、
昨年(2011年)6月発売の『Summertime』。
そして、
『Gift』が冬のクリスマス・アルバム、
『Summertime』が夏をイメージしたもの、
となると、
この『SEASONS』は、
「春」ということになるのでしょうか。
それも「青春」という名の「春」。
……。
1年に春夏秋冬があるように、
人生にも「SEASONS」があります。
今まさに人生における「春」を迎えている彼らが、
“いろんな世代” の、“いろんな国” の、青春の歌を、
美しくも力強く歌い上げるポップ・ワールド。
ま、これが一つめのコンセプトです。
1960年代、
すなわち私の青春時代にヒットした曲もあります。
それ以前のアメリカやメキシコの、
有名なスタンダード楽曲もあれば、
19世紀のヨーロッパのラブ・ソングもありますよ。
さらには、最近の日本のヒット曲もあれば、
J-POPスタイルのオリジナル青春ソングまである。
いやまさに、春爛漫の華やかさですね。
♡♡♡
そしてもうひとつのコンセプトは、
「わかりやすさ」でしょうか。
最近いろんなところで、
こんな質問が多くなってきました。
「ジャミン・ゼブのCDが欲しいのですが、
どれから聴いたらいいんでしょうか?」
「ジャズのことはまったくわからないのですが、
そんな私でも楽しめるアルバムはどれですか?」
「音楽はまったくの素人なのですが、
私にもわかるCDってありますか?」
「一般的に有名な曲がたくさん入っているのは、
どのアルバムですか?」
そう、そろそろ、
そんなニーズにもお答えしなくてはいけませんね。
というわけで、
今回選ばれた楽曲のほとんどは、
ジャンルを問わず、
昔から親しまれてきた有名な曲ばかり。
そんなバラエティーにあふれる選曲を、
このプロジェクトのキャッチ・フレーズでもある、
「ジャミン流アレンジ」で、
相変わらず、斬新かつみずみずしく、
蘇(よみがえ)らせております。
6月以降の私は、
「ではまず手始めに、この『SEASONS』から、
お聴ききになってはいかがでしょう。」
胸を張って、こう答えるんじゃないでしょうか。
きっと…。
……。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、
私は今回、
いつになくリラックス・ムードで、
制作することができました。
『Garden』『Summertime』と力作が続いたので、
今回は肩の力を抜いて、
自分も楽しむことにしたのです。
どうだ、私だって、
まだまだ若いんだぞ!
まだまだ「青春」を謳歌してるんだぞ!
そんな感じでね。(笑)
今までのジャミンには無かった世界もあるけれど、
でも、ジャミンはやっぱりジャミンだった。
相変わらずの美しいハーモニーは健在だった。
この5年間の成長を、しかと感じることが出来た。
そんな反応があると嬉しく思います。
みなさんも、それぞれの「春」を、
過去を、今を、
どうぞこのアルバムを聴きながらお楽しみ下さい。
では、いつものように楽曲解説♪♪♪
01. Seasons(シーズンズ)
lyrics : MIYAKO
music : Akinori Kumata, Ayumi Ozaki
arrangement : KAOS, Shun Miyazumi & jammin' Zeb
『Beautiful Smile』につづく、
ジャミン・ゼブ2曲目の日本語オリジナル。
しかも彼らにしては初めてともいえる、
完全な「J- POP・スタイル」の楽曲です。
春夏秋冬をこれほどポップに歌い上げた曲も、
そう無いのではないでしょうか。
いわゆるジャミン本流のサウンドではありませんが、
それでもあちこちにジャミン特有の世界観が、
眩(まぶ)しいほどに散りばめられております。
このくらい素敵な曲だったら、
J-POPだって大歓迎ですよね。
Programming:KAOS
Piano & Keyboards : Shun Miyazumi
02. You Can't Hurry Love(恋はあせらず)
lyrics & music : Eddie Holland, Brian Holland, Lamont Dozier
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb
1966年に「シュープリムス」が放ったヒット曲。
ダイアナ・ロスのキュートな歌唱に、
まだ中学生だった私は、妙にときめいたものです。
1982年にはフィル・コリンズもカヴァーしましたね。
ここでのジャミンのメンバーはみな、
ファンキーなリズムに乗って、
ソロにコーラスにと大忙し。
まったく斬新なアプローチで、
この名曲を自由奔放に歌っております。
コンサート終盤での盛り上がりは、
これはもはやジャミンのオリジナルではないのか…。
そんな錯覚すら覚えます。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani
Sax : Aokki
03. Besame Mucho(ベサメ・ムーチョ)
lyrics & music : Consuelo Velazquez
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb
この曲を書いたのは、
コンスエロ・ベラスケスという、
メキシコの16才の少女です。
16才にしては、
なんと大人びた、おませな曲なんでしょう。(笑)
ならばジャミンがやってもおかしくない。
しかもここには半分メキシコの血をひく、
シモンという若者がいますからね。
いやあ見事に歌ってくれたと思います。
「若さ」と「官能」という、
相反する、矛盾したテーマを、
うまくまとめあげることが出来たのではないでしょうか。
Piano & Keyboards : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani
04. Wrap Your Troubles In Dreams(ラップ・ユア・トラブルズ・イン・ドリームズ)
lyrics : Ted Koehler, Billy Moll
music : Harry Barris
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb
『Besame Mucho』が1940年の作品なら、
これは、さらにさかのぼって1931年に発表された、
アメリカの古いスタンダード。
いかにポップなアルバムとはいえ、
やはりジャズ・ナンバーもないとジャミンではない。
というわけで、数あるジャミンの、
未発表ジャズ・コーラス物レパートリーの中から、
今回選んだのはこれ。
レンセイの軽妙なソロ、
ジャミンならではの優雅なハーモニーに加え、
「覚えてて。
太陽はいつも、雨の後を追っかけているんだよ。」
という素晴らしい詞の世界は、
いつも私を勇気づけてくれます。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani
05. Serenade(シューベルトのセレナーデ)
lyrics : Ludwig Rellstab
music : Franz Schubert
additional lyrics : Lensei
additional music : Shun Miyazumi
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb
時代はさらに、どんどんとさかのぼって、
有名な「シューベルトのセレナーデ」が、
200年近い時空を超えて今蘇る。
彼の最後の歌曲集、
「白鳥の歌」に収められている美しいバラードで、
これを発表した1828年に、
彼は31才という若さでこの世を去ったのです。
シューベルト時代には無かったコードも使いながら、
現代にも充分通用する作品に仕上げることが、
私たちの願いでした。
スティーヴの切なくも力強いソロに、
重厚なハーモニーが絡む、
圧倒的なア・カペラ・ナンバーになりましたね。
06. I'm A Believer アイム・ア・ビリーヴァー(恋にいきよう)
lyrics & music : Neil Diamond
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb
これも私の青春時代の曲です。
作ったのはニール・ダイヤモンドで、
ヒットさせたのは、あのアイドル・グループ、
モンキーズ(The Monkees)。
1966年のことでした。
しかし、こんなシンプルな曲でも、
簡単にやっつけてしまわないのが、
ジャミン・ゼブの真骨頂。
ここでは、ラテンのリズムに、
超絶技巧スキャットを駆使しながら、
原曲の楽しさを、さらに何倍も楽しくさせようと、
渾身の力を振り絞っての挑戦です。
ライブでの盛り上がりも、
考えただけでワクワクしますね。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani
Flute : Akihiro Yoshimoto
07. 世界に一つだけの花
lyrics & music : Noriyuki Makihara
arrangement : Shun Miyazumi & jammin' Zeb
最後はぐっと現代に戻って、
2003年のスマップの大ヒット曲。
まるで、映画『Back To The Future』の、
タイム・スリップ列車に乗って、
「時空を超えた青春の歌探し」の小旅行から、
無事戻って来たような気分ですね。(笑)
コージローのみずみずしいリードに、
ビロードのようなハーモニー。
有名なJ-POPだって、
「ジャミンの手にかかればこうなる」ところを、
ぜひ一人でも多くの方に知ってもらいたいと思います。
Piano : Shun Miyazumi
Bass : Tetsuyuki Kishi
Drums : Hideo Yamaki
Percussion : Ryoichi Kayatani
発売日は5月30日(水)。
あと2週間ほどで、
みなさんのお手元に届きます。
どうぞお楽しみに。
そして、そのリリースを記念したライブが、
6月1日(金)名古屋「ビアンカーラ」
6月2日(土)慶應大学・日吉
「藤原洋記念ホール」
にて、華やかに開催されます。
どうぞ、お誘い合わせの上、
お越し下さい。
こちらも、最高に楽しいものになることでしょう。
くどいようですが、
今年はジャミン・ゼブの記念すべき5周年です。
このアルバム発表から年末までは、
いろんな企画で、ワッショイ、ワッショイ。
この最高に素敵なグループの、
5周年を祝ってやろうと思っています。
どうぞみなさんも、ご一緒にお付き合い下さい。
そして、まだジャミンを知らない方にも、
どんどんこの素晴らしい世界を、
体感してもらいたいものですねえ。
ということで次回からは、
おなじみ「裏・シーズンズ」を書く予定ですが、
いつもにも増して、
豊富な話題をお届けしようと思っております。
こちらも、どうぞお楽しみに。
VIVA!
5th Anniversary, jammin'Zeb!!
では、会場でお会いしましょう。
チャオ!
Produced by
SHUN MIYAZUMI
May 07, 2012
STB日記 その4(最終回)
4月15日(日)晴れ
朝9時半 ホテル・オークラ集合。
えっ、ちょっと待ってくれ…。
「STB 5Days」という、
かつてないハードなスケジュールのさなか、
しかもメンバーの疲れもピークという、
この最終日に、
もう1本仕事を入れたんかね、Y浅くん。
ううむ…。
君は鬼か…。
えっ、○○さんの喜寿のお祝いのゲストだって?
そりゃ仕方ない。
あの方には、本当にお世話になってるからねえ。
というわけで、
この日私は、
スーツを着て行ったのだった。
(え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?)
そう、私がスーツを着るのは、
本当に珍しい。
20代の頃、アルファにいた頃は、
スーツ着用の仕事もずいぶんあって、
そのために何着か持ってはいたのだが、
32才でフリーになってからは、
まず必要なくなったのだ。
そのうち、
どんどん中年太りして、
メタボ化して、
サイズが合わなくなったスーツと、
片っ端からおサラバすることになる。
それでも、
冠婚葬祭には必要なので、
一応、夏用と冬用のブラック・スーツを、
1着ずつ持ってはいるのだが、
これも最近では、
ウエストがまったくもってキツい。
息をするのもひと苦労。
ふ〜…。
食事なんかすると、
下腹が絞めつけられるようで、
これがもう苦しくてたまらない。
したがって、
よほどの事が無い限り、
なんだかんだと言い訳をしながら、
スーツ着用をゴマかしてきたのだけれど、
この日ばかりは、
私服で行く訳にもいかない。
お客さんのリストを見ても、
それはそれはVIPな人たちばかりだからだ。
その上、その後STBがある。
私はこの日、
14時間近くもスーツを着ることになる。
そんな長時間も下腹を絞めつけていると、
腸閉塞かなんかで、
救急車を呼ぶハメになるかもしれない。
ビールを飲むのもひと苦労だろう。
ましてや吉野家なんか、もってのほかだ。
……。
というわけで私は、この日のために、
「ええい!」とばかり大奮発して、
何年かぶりに、
スーツを作ったのだった。
ウェストにたっぷりとゆとりを持たせたスーツを…。
ん…?
その結果、
私は二つのことを再認識したのだった。
スーツの持つ、二つの相反する功罪についてだ。
まず、いいことは、
偉そうに見える。
おニューのスーツを着ると、
当然靴もピカピカの革靴が必要だ。
ちょっと値のはるスーツだったので、
靴も立派のを買ってしまった。
ところが、
革靴は重いし、傷がつきやすいし、
なによりも滑って転びそうになるのが恐い。
したがって、どうしても、
ゆっくりと歩く事になる。
これが人によっては、
堂々として見えるのだろうか。
さぞや貫禄のあるVIPな人なのだろうと、
錯覚を覚えさせられるのだろうか。
準備にあわただしい、
ホテル・オークラ宴会係のスタッフたちの態度が、
普段と全く違うのだ。
ホテルでの営業はたくさんやって来たけれど、
いつもは、宴会係のスタッフたちに、
「なんだろう、このオッサン?」
くらいにしか扱われない私が、
まるでVIPの一人のように、
敬意を持って扱われる。
あはははだ。
「君たち、人を見かけで判断してはいかんよ。」
と言いたい気分だった。
ただし、
そうした、
動きが緩慢になるということは、
この仕事には不向きだということも事実だ。
こうした仕事では、
あくまで我々は裏方なのだから、
場合によってはあっちこっちと、
動き回らなければならない。
悠然とはしていられないのだ。
しかし、
スーツに革靴では、
どうにもならない。
……。
さらに…、
この仕事のあと、
私たちは六本木に移動。
私とY浅ショージは、
「アマンド」で遅い昼食をとった。
もちろん私は「オムライス」。
この「オムライス」を食うのも、
ひと苦労なのだ。
あの真っ赤なケチャップが、
ま新しいスーツやYシャツに飛び散ったら、
それはもう大変ではないか。
だから、
一口一口、慎重に、顔を前に突き出して、
ゆっくりゆっくり食べるもんだから、
おそろしく時間がかかってしまった。
さらに一口食べる度に紙ナプキンで口を拭く。
テーブルの上には、いったい何枚の、
使い捨ての紙ナプキンが散在しただろう。
おそろしく不経済だ。
このように、普段食事なんか、
パッパッとすませるのが慣れている私には、
これは大変な苦労だった。
味もどんなだったか覚えていないし、
普段のように楽しめなかったのが真実だ。
さらに、
楽屋に戻ると、
朝が早かったせいか、着替えを済ませたメンバーが、
思い思いソファーに寝そべって休んでいる。
しかし私は、
このスーツ姿では、
寝そべるわけにもいかない。
普段なら床にだって平気でゴロゴロする私なのに…。
いや、まったくもって、
スーツというのは不便なもんだ、
着替えを持って来れば良かった、
とつくづく思ったのだった。
そうこうするうちに開演が迫って来た。
会場に入ると、
うわ、凄い熱気だ。
さすがに最終日ともなると、
見知ったファンのみなさんの顔、顔、顔。
その顔、顔、顔が、
なにやら珍しい物を見るかのように、
一斉に私を振り向く。
「ちょっと、あれ見て、あれ。」
「ねえねえ、あれって、もしかして…?」
そして、みなさん駆け寄って来て、
記念撮影ラッシュになった。
「すみませーん、一緒に写真撮っていいですかー。」
「こんなオヤジでいいんですかー。」
照れくさいこと、この上もなかったが、
でも悪い気はしなかったな。
こんなにモテるんだったら、
いい気分にさせてもらえるんだったら、
たまにはスーツ着てみようかなと、
真剣に思ったほどだ。
わははは。
待てよ…、
私こそ…、
人を見かけで判断させようとしてないか…?
いかんいかん…。
我に帰ろう…。
……。
そしてライブは、
おかげさまで、
大熱狂のうちに5日間の幕を閉じた。
この経験は、
またひとつ、
彼らを大きく成長させるだろう。
しかし、
私とY浅ショージは、
この日も勝利の美酒に酔うことなく、
5日間の反省会と、
早くも次ぎに向けての作戦会議だ。
日曜日は馴染みのバーがお休みなので、
この日は学芸大の「串揚げや」が舞台。
Y「今日も吉野家行ったんすか?」
M「行くわけないだろ。
こんな新調のスーツ着て、あんなとこ。」
Y「あんなとこ?
それって、ちょっと問題発言っすよ。」
M「だから今日は腹ペコよ。
ちょっとお兄さん、
串揚げじゃんじゃん持って来てよ。」
Y「吉野家へ行かなくても成功した。
ということは、
宮住さんの元担ぎも怪しいもんですね。」
お兄さーん、お酒おかわりー。」
M「それより君、ここ、ちょっと高いから、
あまり飲み過ぎないようにね。」
Y「大丈夫っす。今日は朝まで飲みましょう。」
M「今日は、今日は、ってどういうこと?
君、今週、毎日飲んでたでしょ?」
Y「自分だって、大事なライブの前に、
毎日ビール飲んでたざんしょ。
お兄さーん、もう一杯おかわりー。」
M「あのね、ビールは俺には清涼飲料水だって、
いつも言ってるでしょ。
お兄さん、こっちもおかわりー。」
Y「それはそうと、この串揚げうまいっすね。
お兄さん、もう一杯おかわりね。」
M「だろ、たまにはいいだろ。
こっちもお酒おかわりね。」
Y「いつも来るっすか?」
M「そんなことどっちだっていいだろ。
ここは俺のホームタウンなんだから。
お兄さーん、もう一杯ね。」
Y「また来ますかねー。」
M「さ、そろそろ帰るか。もう遅いからな。」
Y「明日は休みだから、もっと飲むざんす。」
M「すみませーん。お会計してくださーい。」
M「……。」
M「あのさ、君、何杯飲んだ…?」
(「STB日記」おわり)
あははは。
このシリーズはタイトルに偽り有りでしたね。
失礼致しました。
でも、素晴らしい5日間でした。
いらして下さったみなさんに、
改めて御礼申し上げます。
さて、GWも終わりましたね。
後半はお天気にも恵まれ、
さぞやみなさん、
有意義な休日を過ごされたのでしょうね。
私も、最後の2日間は、
ゆっくりさせてもらいました。
衣替えも終了しました。
ウエストが入らなくて、
捨てたパンツが何本もありました。
ん…?
さてさて、
冗談はさておき、
私たちは早くも次ぎに向けて始動しました。
6月の「リリース・パーティー」では、
「STB」とはまったく違うコンセプト、
セット・リストで臨みます。
どうぞふるってご参加下さいませ。
いろんなパッケージを、
TPOに合わせて使い分けるが、、
2012年型ジャミン・ゼブの新境地。
中盤のジャミンも、
目が離せませんよー。
というわけで、
明日は朝早く起きて、
打ち合わせで岐阜に行ってきます。
帰りに名古屋に寄って、
「味噌煮込みうどん」食おうかな…。
ねえ、ショーちゃん、
そんな時間あんの?
(こっちは何も変わらんな…)
ん……???
SHUN MIYAZUMI
April 30, 2012
STB日記 その3
4月11日(水)曇りのち雨
予想…。
順調にスタートした「STB139 / 5Days」の二日目。
でもこの日、私が最も気になっていたのは、
お天気…。
天気予報は夕方から、
「激しい雨、風」
などと報じているからだ。
ジャミン・ゼブが大きなイベントをやるときは、
なにがあっても晴れて欲しいし、
仮に晴天でなくても、
なんとか雨、風だけは避けて欲しいのだ。
ましてや、
「STB 139」の開催日には、
毎日、開場時間近くになると、
250人以上のたくさんのお客さんたちが、
整理券の順番に中庭から道路まで並ぶのだ。
この「入場」のときだけでも、
絶対に悪天候にはなって欲しくない。
でも、今回の天気予報は、
11日(水)と14日(土)が、
雨予想だ。
……。
しかし、私には自信があった。
私たちは一昨年あたりから、
「晴れ男」の異名を取る軍団に変身している。
これは、私のブログでも、
何度も言っていることだ。
事実、昨年の8月、10月のSTB(共に4Days開催)も、
お客さんが傘をさして並ぶ光景は、
一度も見ていない。
ところで…、
常日頃私は、
カバンの中に小さな折りたたみ傘をしのばせている。
いつ、どこで、どんな時間に降り出しても、
心配がないからだ。
そんな私は、今回、
この愛用の傘を、
一度もカバンから出さないで、
この5日間を乗り切ってみせよう。
そう、堅く誓っていたのだ。
どんなに予想が最悪でも、
なんとか乗り切るだろう。
そう信じて疑わなかったのだ。
……。
そんな2日目の4月11日は、
朝からどんよりとした曇り空。
予報では3時頃から本格的に降り出すという。
一度も傘を出さないと決めた私は、
4時集合にもかかわらず、
3時には会場に入っていた。
雨が降り出すであろう前に…。
すると、その直後から、
やはり、ポツリポツリと雨が降り出した。
でも私は、
「やはりな…。濡れずにすんだぞ…。」
くらいにしか思わなかった。
STBのスタッフが、
大きな傘立てのボックスを、
何台も用意し始める。
それでも私は「まずい…」とは思わなかった。
リハーサルが始まったあたりからは、
本格的に降り始めた。
普通の人ならば、
「ああ、ついにジャミンのSTB晴れ伝説も終わったな。」
と思うであろう。
しかし、私は何も心配しなかったのだ。
「なあに、5時半の集合時間から、
みなさんが入場し終わる1時間くらいだけ、
やんでくれればいいのだ。
きっと、そうなるさ…。」
そして、
リハーサルが終わった5時半頃。
やはり…、
雨がやんだ。
……。
カーテンを少しあけて、
窓の外を見ると、
みなさん、傘もささずに、
楽しそうな笑みを浮かべて、
並んでいるではないか。
ほら、見ろ。
思ったとおりだ…。
そして今宵も熱いライブが始まった。
♪♪♪
そして、そのライブの間中は、
天気予想どおり、
激しい雨が降っていた。
しかし、みなさん建物の中だから、
もはや何の影響もない。
さらに、奇跡が起こった。
ライブが終了し、
みなさんが会場を後にする頃には、
またしても雨はやんだのだ!
決意どおり、私はこの日、
一度も傘をカバンから出さなかったのだ。
……。
4月13日の金曜日(3日目)は、
いい天気だった。
しかし、
翌14日(土)は、
またしても雨予想。
しかしだ…。
この日も11日と同じ結果になったのだ…。
……。
夕方から雨という予報なのに、
降り出したのは、
なんとライブが開演してから。
そして、
ライブとサイン会が終わり、
私が帰る23時頃には、
ピタッとやんでいたのだ。
……。
そして、最終日(15日)はピーカン。
どうだ。
私は、当初の決意どおり、
一度も傘をささないまま、
この5日間を乗り切ったのだ。
またしても私たちは、
いや私は、
この私は、
天気予想を覆したのだ。
これは間違いなく、
私こそが「晴れ男」そのものであることを、
証明してみせたのではあるまいか。
……。
そんな11日も、13日も、14日も、
(12日は休息日)
私とY浅ショージは、
彼の終電近くまで、
学芸大のバーで、
毎晩「反省会」につぐ「反省会」。
なんとか最後までライブを成功させるべく、
疲れた体にムチ打って、
激論を交わしていたのだった。
4日目が終わったあとも、
こんな感じだったように思う。
Y「きょうも吉野家行ったんすか?」
M「ああ、行ったよ。それが何か?」
Y「よく飽きないですよね。」
M「飽きてるさ。
でも、この元担ぎがあってこそ、
ライブがうまくいってるんじゃないか。
俺のおかげだとは思わんかね。」
Y「ライブがうまくいってるのは、
私が頑張ってるからっす。」
M「じゃ聞くが、お天気はどうよ。
結局今回も入場時には、
一回も雨にたたられなかったぜ。
俺のおかげだと思わんかね。」
Y「思いませんね。
これも私の日頃の行いがいいからっす。
マスター、おかわり下さい。」
M「ねえ君、そろそろ終電だよ。
そろそろ帰ったらどう?
まだあと1日あるんだぜ。」
Y「大丈夫っす。
マスター、もう一杯下さい。」
M「あのさ、いくら安い店だからって、
ボトルが焼酎だからって、
今週もう何本目よ。
どんどん金がなくなるじゃないのよー。」
Y「先行投資ざんす。
もっと飲ませるざんす。
あ、いけね。もう終電だ。
じゃまた明日。お先に〜〜〜〜〜。」
ドタドタドタドタドタドタ…。
バターン…。
……。
M「ねえマスター、あいつ、何杯飲んだ…?」
(つづく)
金曜日(27日)の「A'TRAIN」も、
盛り上がりましたねえ。
レコーディングが終わった開放感もあってか、
明日からGWという開放感もあってか、
本当に楽しく演奏できました。
新しいお客さんもいっぱい。
みなさん、ありがとうございました。
ただし、翌朝はきつかったです。
早起きしての入間までの遠征。
「ジャミン・ゼブのコーラス講座&ライブ」
ま、楽しかったから途中で眠気飛びましたがね。
なにはともあれ、
次回の「A'TRAIN」は5/25(金)です。
待てよ…、
その翌日は…、
高崎遠征ではないか…。
またしても早起きではないか…。
ねえ、ショージ君、
なにか企(たくら)んでな〜い?
……???
SHUN MIYAZUMI
April 23, 2012
STB日記 その2
4月10日(火) 晴れ
19時30分。
昨年来、STBでは恒例となっている、
2階席からのジャミン・ゼブ登場に、
会場は早くも湧きに湧く。
笑顔、笑顔、笑顔のお客さんたちと、
次々とハイ・タッチをしながら、
ステージに向かって行くメンバーも嬉しそうだ。
なにしろ久しぶりのホームでのライブでもあるし…。
そして今回は、
いきなり新曲からのスタート。
「JUN MEN」が用意してくれた、
お洒落なカジュアル衣装にぴったりの、
いかにも春らしい楽曲、
『Just You,Just Me』で幕を開ける。
この衣装を見せられたとき、
今回のオープニングは、
ぜひこの曲でいこうと閃(ひらめ)いて書いた、
ピチピチの新曲だ。
そして曲が終わり、大歓声の中、
おなじみ『Take The 'A' Train』が、
快調なテンポで奏でられていく。
(うん、いい感じだな)
大きなコンサートのセット・リストを決める場合、
特に神経を使うのが、
オープニング楽曲と2曲目。
これで一気に盛り上げられるかどうかが、
まず最初の勝負なのだ。
それが新曲ともなると、
かなりのプレッシャーがかかるのは当然だが、
まずは快調なスタートのようだ…。
しかし今回は、息を抜くことなく、
最後まで緊張を持続しなくてはならない。
なにしろ、久しぶりの新曲ラッシュだからな。
特に、1st setのラス前に初登場する、
『Bluesette(ブルーゼット)』は、
容易な曲ではない。
音を取るのはさほど難しくはないが、
優雅さのなかにも、
どうドラマチックに力強く展開していくかが勝負の、
スケールの大きなアレンジだからだ。
特に転調してから最後までは、
長い長いクライマックスが延々と続く、
タフなアレンジなのだ。
私にとっては、かなりの自信作なのだが、
この5日間を通して、
彼らがこの曲をどう成長させていくかを、
楽しみに見守っていきたいと思う。
1st setの最後は『I Got Rhythm』。
これは、いつ、どんなステージでも、
大きく崩れたことがない。
いつも「上手いなあ」と感心してしまう。
最高に難しい音の羅列なのになぜだろう…?
私にとってのジャミン七不思議のひとつだ。
さて休憩をはさんで2nd setの始まり。
ここでレンセイが一人で出て来た。
最初は軽妙なトークで笑わせていたが、
「あれ、他の3人はどうしたんだろう?」
と、後ろを振り返ったところをみると、
なにかの手違いだったのだろう。
でも面白かったので、
明日の2部のスタートも、
これでいくことにした。
笑えるアクシデントは、
すぐに拾って使う。
これがこのチームの得意技なのだ。
レンセイ・ビームが炸裂する『Because Of You』
シモンの怪しげな色気が評判の『Besame Mucho』
と続いたあとは、
今ではほとんどSTBでしか演奏しなくなった、
初期のナンバー2曲、
『Lazy Bones』と『How High The Moon』
が、久々に登場だ。
この『Lazy Bones』というア・カペラも、
最高難度の楽曲と思うのだが、
先の『I Got Rhythm』同様、
いつも、感心するような出来栄えだ。
難しい曲ほど出来がいいということは、
どういうことなのだろう…?
私は楽屋でコージローに聞いてみたのだが、
彼にもよくわからないらしい。
ま、それだけ練習が必要だった。
簡単な曲に比べて、
練習量が豊富だったということなんだろうか…。
……。
2部の最高の見せ場は、
今回私が書いた、もう2曲の新曲、
『Moonlight In Vermont』と『I'm A Believer 』
だろうか…。
新曲の初演はいつも緊張する。
こっちがだ。
終わったあとの拍手が少なかったりすると、
「あれ〜、受けなかったのかなあ…。」
と、私にしては珍しく弱気になったりもするのだ。
しかし一喜一憂は禁物だ。
ベートーヴェンだって、
ブラームスだって、
自信を持って初演したものが、
まったく受けなかったことだってあるのだ。
ははは。
(一緒にしてもいいのかな…。)
ちなみに『Moonlight In Vermont』の、
2回目のイントロで、
スティーヴがヴォイス・トロンボーンを奏でる部分。
あれはギャグなのだ。
あそこは笑うところなのだ。
クスクスと笑って欲しかったが、
この日はみなさん真剣に聞いてらした。
ま、初演なんだから当然といえば当然。
明日に期待しよう。
ん…?
そして最後は、お決まり楽曲連続攻撃の盛り上がりで、
この長い長い5Daysの初日も無事終了。
ま、いろいろと問題はあったが、
まずは順調な滑り出しのようにも思う。
……。
しかしだ!
私とY浅ショージだけは、
決して満足してはいけないのだ!!
ということで私たちは、
疲れてはいたが、
この日も二人で「反省会」をすることにした。
時計の針は23時を回っていたが、
私たちは、学芸大のいつものバーで、
彼の終電ギリギリまで、
さまざまな問題点をチェックして、
明日に備えようということになった。
これもSTBの後では、いつものことだ。
私たちに疲れをいたわる時間はないのだ。
そして、それが、
時には意見の食い違いから、
大激論になってしまうことも珍しくはない。
そう、この日も、
こんな大激論が展開されたように思う。
Y「今日も吉野家行ったんすか?」
M「行ったよ。
あそこに行くとライブが成功するからね。
ま、元担ぎさ。それが何か?」
Y「ビールも飲んだんすか?」
M「ああ、飲んだよ。それが何か?」
Y「ずるいっす。抜け駆けはダメざんす。」
M「だって、君は忙しそうだったじゃないか。
とても誘える状態じゃなかったぜ。」
Y「本番前にアルコール入れたら、
微妙なバランスがわからないじゃないですか。
プロデューサーとして、それでいいんっすか?」
M「あははは。
ビールは俺にとっては清涼飲料水だぜ。
それに、お客さんだって何かしら飲んでるんだろ。
同じ状態で聞いてこそ、
お客さんにとって最良のバランスが、
わかるってもんだよ。」
Y「それは詭弁っす。」
M「あのさ、それより君、もう3杯目だろ。
明日もあるんだから、もう帰ったらどうよ?」
Y「余計なお世話っす。
そっちこそ、もう4杯目じゃないっすか。」
M「なにを言うか。俺はまだ2杯目だよ。」
Y「いいえ、さっきトイレいく前は空だったのに、
出て来たらなグラスがいっぱいだったっす。」
M「じゃ、3杯目かな。」
Y「いいえ、4杯目っす。ちゃんと見てるんですから。
マスター、僕もおかわり下さい。」
M「おい、さっき入れたボトルが、
もう半分以上も空じゃないか。
おまえ、飲み過ぎだってばー。」
Y「いいえ、そっちが飲み過ぎざんす。
あれ〜、いけない、そろそろ終電だ。
じゃ、また明日。お先に〜〜〜〜!」
ドタドタドタドタドタドタドタ…。
バターン…。
……。
M「ねえマスター、あいつ、何杯飲んだ…?」
(つづく)
バンザーイ!
昨日レコーディングが無事終了しました。
すべての作業が終了しました。
パチパチパチパチ。
あとは明日のマスタリングを残すのみ。
ま、名人原田さんですからね。
さらに素晴らしくしてくれるでしょう。
ということで、
ようやく、ようやく、ようやく休めます。
まずは金曜日(27日)の「A'TRAIN」ライブですね。
来てくださいね〜〜。
はっちゃけますよ〜〜。
イエーイ!
そして5月連休は遊びますよ〜〜。
イエーイ!
ん…?
待てよ…。
行きつけの店はみな休みだぞ…。
いったい、何して遊べばいいんだろう…?
……???
SHUN MIYAZUMI
April 16, 2012
STB日記
4月10日(火) 晴れ
ジャミン・ゼブ「STB139 / 5days」の初日。
いよいよだな…。
春恒例の「STB139」ライブが始まる…。
しかも今回は、初の “5days” に挑戦だ…。
初日というのは、
期待で胸が高鳴る一方、
いろんな不安要素もたくさんあって、
いつも複雑な思いで迎えるのだが、
今回は特にその思いが強い。
たとえば…、
中1日(12日)の休みがあるとはいえ、
5日間ベスト・コンディションで臨めるのだろうか?
最後まで喉が持つのだろうか?
お客さんに喜んでもらえる、
セット・リストになっているのだろうか?
たくさんある新曲が、
果たして気に入ってもらえるのだろうか?
まだあるぞ…。
お天気はどうなんだろうか?
せっかく桜が満開の時期に「さくら」を演奏するのに、
途中で散ってしまわないだろうか?
演奏中に地震が来たりしないだろうか?
ミサイルが降って来たりしないだろうか?
ダルビッシュは果たして通用するのだろうか?
(ん…?)
心配の種は尽きない。
どうしてもネガティブに考えがちだ。
家にいてもなんだか落ち着かない。
だから私はいつも、
集合時間よりも早く六本木に行く。
そして六本木に着くと私は、
まず交差点の角のある、
「アマンド」の2階に行くことにしている。
「アマンド」といえば、
ピンクの看板の、
ケーキが売りの、
どっちかというと女の子向けの店、
と思われがちだが、
それは偏見というものだ。
1階こそケーキの陳列棚に囲まれて、
小じんまりとしたたたずまいの、
テーブルと椅子がいくつかあるが、
2階は眺めも良く、
たくさんの人が入れる広々としたスペース。
そして、
この広々とした2階が、
すべて「喫煙席」なのだ。
これは今どき珍しい作りだ。
しかもここは、
不思議なことに、
たばこのにおいがしない。
煙もうもうといった光景では断じてない。
よほど換気がいいのだろう。
でも、一応は喫煙席なので、
どちらかというと大人が多い。
若いギャルがケーキをほおばりながら、
キャーキャーおしゃべりをしている、
といったシーンはまず無いので、
たばこ愛好家のおじさんには、
とても居心地のいい空間なのだ。
さらに、もうひとつ、
ここが気に入ってる理由がある。
それは…、
ここの「オムライス」が抜群に美味いからなのだ。
そう、私は「オムライス」が大好き。
しかしながら、
最近のオムライスといえば、
デミグラス・ソースのかかった、
お洒落なものが主流になっている。
でも私は、
昔ながらのケチャップの「オムライス」が好き。
黄色い玉子焼きにすっぽりと包まれて、
ライスがまったく見えない楕円形の「オムライス」に、
ケチャップがたっぷりとかかったのが好みなのだ。
古い人間と笑わば笑え。
わははは。
ま、なにはともあれ、
目まぐるしく様変わりする六本木にあって、
現存する、この六本木の名物ともいえる老舗は、
昔ながらの伝統的な、東京の「オムライス」に、
今だにこだわってくれている。
嬉しいではないか。
ランチ・タイムには、
この「オムライス」に、
サラダとスープと飲み物がついて、
お値段はたったの900円。
嬉しいではないか。
店主のおじさんの心意気に乾杯したい気分だ。
そして重要なのは…、
私がここの「オムライス」を食べた日のライブは、
絶対に成功するということだ。
だから元(げん)を担(かつ)ぐ意味もあって、
STBの初日は、
必ずといっていいほど、
この「オムライス」を食べることにしている。
元を担ぐといえばもう一つ、
リハーサルが終了して、
お客さんがすべて入場されてから、
本番までの間に必ず行く店がある。
それは…、
STBの目と鼻の先にある…、
「牛丼の吉野家」
……。
この「牛丼」を食べた日のライブも、
必ず成功するのだ!
だからこの日も私は、
楽屋に用意された美味しそうな、
まかないイタリアンや弁当には目もくれず、
一人「吉野家」に飛び込むのだ。
涙ぐましいではないか。
会場では、
たくさんのお客さんが、
美味しいパスタやピザに舌鼓を打ち、
楽屋では、
ジャミンやメンバーが、
これまた素敵なまかないのイタリアンを食してるときに、
社長たる、プロデューサーたるこの私は、
「吉野家」の牛丼を食べているのだ。
ただひたすら、
ライブを成功させるために。
くうう〜〜〜…。
……。。。
しかし、
「吉野家の牛丼」をあなどってはいけないのだ。
あの「ドゥービー・ブラザース」の面々も、
「女子十二楽坊」のお姉ちゃんたちも、
日本に来ると「吉野家」「吉野家」と、
大騒ぎをしていたのを覚えている。
これはもはや、
国際的な味なのだ。
胸を張って堂々と食おう。
しかもこれで今日のライブは、
大成功間違いなしなのだから。
……。
で、かつても書いた覚えがあるが、
私流の「吉野家」攻略法を、
あらためて伝授することにしよう。
まずビールを1本と、
「並の牛皿」1枚と、
「おしんこ」を注文する。
そして、
「牛皿」の半分と、
「おしんこ」の半分をつまみにして、
ビールを飲む。
ビールがなくなった頃を見計らって、
「並の牛丼」を注文。
「並の牛丼」というのは、
どうしても最後は牛が少なくなって、
米ばかりが残る。
しかしここで、
さっき半分残しておいた「牛皿」が、
威力を発揮するのだ。
「牛」が不足することなく、
最後まで楽しめる、
とまあ、こういうわけだ。
覚えておいて欲しい。
ところで…、
今何時だろう…?
7時25分だ。
いかんいかん、
あと5分で開演だ。
……。
大急ぎで勘定を済ませ、
STBに戻って会場の扉を開けると…、
うわあ凄い人だ…。
凄い熱気だ…。
……。
今か今かと開演を待ちわびるみなさんの鼓動が、
こっちにまで伝わってくる。
この仕事をやってて良かった。
ジャミンを始めて良かった。
そう思える瞬間だ…。
……。
そして中庭側の緑のカーテンが降ろされる。
場内が暗くなる。
いよいよだな…。
……。
(つづく)
おかげさまで、
「STB 139 / 5Days」も、
つつがなく終了することが出来ました。
総入場者数1,255名。
連日超満員という大盛況でした。
本当にありがとうございました。
お越しいただいたみなさん、
STBスタッフのみなさん、
バックを努めてくれたミュージシャンのみなさんに、
この場をお借りして、
熱く御礼申し上げます。
というわけで、
ここからしばらくは、
私流にこの5日間を振り返ってみようと思います。
ドラマチックな5日間を。
私の視点を通して。
おもしろ可笑しく。
時間の許すかぎり。
……。
えっ?
明日からまたスタジオ…?
ねえ、ショーちゃん、
たまには休もうよ〜。
遊ぼうよ〜。
ねえ、
ねえ…、
ねぇったら〜………、、
………………..。。。
SHUN MIYAZUMI
April 01, 2012
年甲斐もなく
ようやく東京でも桜の開花宣言が出ましたね。
「よっ、待ってました!」
と、年甲斐もなく興奮気味な私。
とはいっても、
まだ蕾(つぼみ)の段階。
満開になるのは週末でしょうか。
それとも来週の「STB 139」のあたりでしょうか。
(おっと、もう来週なのか…。STB…。)
野球シーズンも到来したし、
例年ならば心浮き浮きの季節なのですが、
今年は忙しすぎて、
そんな風流な気持ちにはなれません。
ま、ありがたいことですが…。
というわけで、
先週も私はスタジオで、
5月発売のアルバムの仕上げをせっせとやっておりました。
というより、
これからが佳境です。
いやあ年甲斐もなく、
毎度毎度、アルバムを作るたびに言ってるようですが、
このスタジオ作業というのは、
実に殺伐としておりましてね。
なにしろ、
私とエンジニアの須藤くんとショーちゃんの3人だけで、
譜面とにらめっこしながら、
気の遠くなるような緻密な作業の繰り返し。
毎日10時間以上もこもって…。
そして、毎日の食事は出前の弁当。
晩酌をやるわけにもいかないので、
これがなんとも味気ない。
「あ〜あ、早く終わって遊びに行きたいなあ〜。」
と、やはり年甲斐もなく愚痴が出る…。
でも、これが私の本来の仕事ですから、
40年近くも続けているメイン・ワークですから、
誰に文句を言うわけにもいかない。
言いたいけど。
言ってるし。
年甲斐もないし…。
……。
そして最終(あるいはそれに近い)の電車に乗り、
ちょっとだけ学芸大のジャズ・バーに立ち寄って、
一人寂しくグラスを傾ける。
そんな遅い時間に客はまずいないので、
話し相手はマスターだけ。
なんだか感傷的になっちゃうんですね、これが…。
年甲斐もないか…。
……。
ま、こんな孤独な毎日ですから、
金曜日の「A'TRAIN」ライブは、
本当に楽しゅうございました。
なによりも、久しぶりに、
たくさんの女性にお会いすることが出来ました。
スタジオを一歩出ると、
世の中にはこんなにたくさんの女性がいるんですね。
(あたりまえだろ)
だから、
年甲斐もなく、
やたら張り切っちゃいました。
あはは。
くどいようですが、
なんとも殺伐とした男だけの世界ですからね。
スタジオというのは。
……。
というわけで私、
久しぶりに弾(はじ)けまくったわけですが、
調子に乗りすぎて飲み過ぎました。
最後の方は何も覚えておりません。
何を演奏したのかも覚えていません。
どうやって帰ったかの記憶もありません。
年甲斐もないなあ…。
……。
ま、これも、
引きこもりから来る反動でしょうかね。
笑ってやってください。
年甲斐もないヤツと…。
そんな中、
昨日(3/31)は、
おなじみ名ドラマー山木秀夫さんのダビング・デイ。
あいも変わらず「人間国宝」級のプレイで、
各曲のサウンドが、ググッと華やかになりました。
「ベサメ・ムーチョ」なんて、
涙が出そうになりましたね。
あまりの素晴らしい演奏に…。
年甲斐もなく…。
……。
じつは、この曲を弾こうかどうしようかは、
ずいぶんと悩みました。
もともとラテンは、
私の得意分野ではないし、
しかも最近はほとんどピアノを弾く機会もないので、
若い森丘くんや小林岳五郎くんらのテクニックには、
到底及ばないと思ったからです。
となると、
私にとって唯一自信があるのは、
長年の経験からくるお色気というやつですか。
言い換えれば「官能的」なサウンド。
したがって私は、
渾身の力をふりしぼって、
これでもかと色っぽく演奏したのです。
エロいピアノを心がけたのです。
(こら)
でも、
爽やかなジャミンのヴォーカルに対して、
このエロ・オヤジのようなピアノ・サウンドは、
はたしてマッチしているのだろうか…。
年甲斐もなく、
やりすぎてはいないだろうか…。
……?
ちょっぴり心配でもありました。
年甲斐もなく…。
しかし、
もうひとりのオヤジがやってくれました。
さすがの切れ味はもちろんのこと、
この山木さんのドラムも、
なんとも官能的ではありませんか。
これまた最高にエロエロではありませんか。
(こらこらこら)
いやいや、冗談はともかく、
頼もしいオヤジ仲間が加わってくれたおかげで、
うまくバランスが取れました。
ちょっとした孤独感に陥りそうになっていたのですが、
安心しました。
というわけで、この作品も、
間違いなくいいものになりそうです。
年甲斐もなく興奮しております。
どうぞ楽しみにしていて下さい。
♪♪♪
とは言いつつも、
4月10日から始まる「STB 139」では、
若いプレイヤーたちが、
溌剌とした素晴らしい演奏で、
ジャミンを盛り上げてくれることでしょう。
楽しみです。
楽しみます。
楽しみましょう。
明日からは、
そんなバンドを入れての最終リハーサルです。
燃えております。
リハーサルのない日はレコーディングです。
まだまだ続きます。
でも、がんばります。
本当は遊びたいけど。
毎日飲みたいけど。
やっぱり…、
年甲斐もない…。
か…。
……。
SHUN MIYAZUMI
March 20, 2012
三寒四温 その3
今年は例年より春の訪れが遅い…。
そう感じるのは私だけでしょうか。
そういえば、
こんな話を聞いたことがあります。
このまま「地球温暖化」が進むと、
日本は夏と冬だけになって、
春と秋が極端に短かくなるそうなのです。
困りましたねえ。
なんとか食い止めなければ…。
……。
それに、
いくら「三寒四温」の季節とはいえ、
あまりに “極端” なのも今年の特徴ですかね。
……。
ということで今日は、
再度訪れた、
あまりに極端な「寒暖差」に翻弄された、
あの週のことを、
回想してみようと思います。
<3月5日(月)>
朝から冷たい雨が降っている。
気温もぐっと下がっている。
5°か6°くらいの感じだ。
しかも天気予報を見ると、
明日も「曇り時々雨」で、
一日中太陽は拝めないという、あいにくの天気…。
しかも「強風」という、
最悪のコンディションのようだ。
「こりゃ、残念ながら明日の撮影は中止だな…。」
そう、私はこの日の午前中、
ちょっとした決断を迫られていたのだ。
実は、明日(3/6)は、
プロモーション・ビデオの撮影を、
行うことになっているのだ。
場所は再び八王子「日本工学院」のキャンパス。
一日中屋外でのロケのため、
雨はもちろん強風も困る。
ま、事前にこうしたことも予期して、
3月8日を予備日にしてあるので、
私は即座に、明日の撮影の中止を決断した。
そして撮影クルーをはじめ、
ヘア&メイクなど関係各位に連絡。
あとは3月8日が晴れることを祈るばかりだ…。
そして私は、
次のジャミンのアルバムのために、
六本木までピアノのレコーディングをしに出かけた。
冷たい雨の中を…。
まるで真冬のような寒さの中を…。
<3月6日(火)>
7時に起きて窓の外を見たら、
やはり雨だった。
「やっぱりな…。中止にして正解だった…。」
撮影日が8日(木)に延期になったので、
今日は、同じく八王子「日本工学院」のスタジオで、
歌のレコーディングを行うことにした。
5月に発売予定のアルバムの最後の1曲だ。
しかもこれは、2月29日に大雪で中止になった、
あの日のリベンジということになる。
「ようし、気持ちを切り換えて臨もう…。」
私は意気揚々と出かけた。
ところがだ…。
南武線で立川に向かう途中あたりから、
雨は止み、お日様が差して来たではないか。
八王子に着いた頃には、
気温もぐっと上がり、
ポカポカと春のような天気になったではないか。
風もなく、
撮影には、これ以上望めないほどの好天気ではないか。
なんということだ…。
前日の予報では、
どれを見ても「曇り時々雨」だったではないか…。
ああ、悔しい。
天気予報士の嘘つきめ。
……。
しかし、こうなったら、
あさって(8日)まで、
この天気がもつことを祈るしかないな。
ま、私の日頃の行いを考えれば、
なんとかうまくいくだろう。
……。
<3月7日(水)>
今日も暖かくていい天気。
仙川にある「桐朋女子校」の卒業イベントで、
ジャミン・ゼブがコンサートをやることになっている。
そしてこの日のために、
私は彼女らの応援歌を4声のアカペラでアレンジし、
ジャミンの美しいコーラスで披露したのだ。
このサプライズには、
会場中が湧きに湧いた。
いいコンサートだった。
みんな、卒業おめでとう。
ご褒美に、明日も晴れることを祈っててね。
<3月8日(木)>
運命のPV撮影の日がやって来た。
残念ながら、どんよりとした曇り空だった…。
……。
しかし、今日はどうあっても決行するしかない。
「雨だけは降らないでくれ…。」
祈るような気持ちで朝の6時半に家を出た。
最初の撮影場所は、
「日本工学院」校舎の「屋上」だった。
ところが、
一昨日、昨日とはうって変わったような寒さ。
しかも風が強くて、
凍えるような環境の中での撮影になってしまった。
なんとか予定をクリアできたものの、
「あ〜あ、6日に決行しておけば良かった…。
あんなに暖かくていい天気だったのに…。」
後悔しても始まらないのに、
口から出るのは愚痴ばかり。
……。
ところが、
このとき私は、
あることを思い出したのだ!
去年からジャミンは、
悪天候予想をことごとく覆したのではなかったか…。
7月の津「セントヨゼフ女子学園」も、
雨の予想を覆して快晴だった。
しかも1週間ずれていたら、
再び記録的な大雨で中止になっていたかもしれない。
10月、岡山での野外コンサートも同じように快晴。
しかし、その1週間後の週末はまたしても大雨。
このような奇跡的な大逆転劇は、
あたりまえのことのようになっていたのだ。
9月のファンミに至っては、
2日前まで台風が関東直撃の予想だった。
このときばかりは、
さすがの私も中止を覚悟し、
お店とその場合の対策を検討していたものだ。
しかし、天気予報士の予想は見事に外れ、
前日、台風は大きく左に旋回し、
四国の方までその進路を変えてくれたのだ。
そうなのだ!
ジャミンは、天気予報を変えるのだ。
そうした強運を、いつのまにか身につけていたのだ。
だとしたら、
6日の雨、強風予想も、
恐れることはなかったのだ。
絶対に好転することになっていたのだ。
強行すべきだったのだ。
……。
なのに私は、
天の声に従わなかった。
今日の真冬のような寒さと風の強さは、
天に逆らった私への懲罰なのだ…。
ああ、これで、去年からの強運は、
逃げてしまうのだろうか…。
ま、私の日頃の行いからすれば、
大丈夫とも思うが…。
……。
<3月9日(金)>
今日も真冬のような寒さで雨。
6日、7日の春のような気候はなんだったんだろう…。
そんな中を渋谷の「NHKホール」に向かう。
明日の「大地の恵み 音楽祭」のリハーサルだ。
楽屋に着いて、
元気に練習をしているジャミンを見てホッとした。
あの寒さの中を一日中、
春、夏ものの衣装で撮影に挑んでいた彼らが、
風邪をひいてしまうのではないか…。
こればかりが、気がかりだったからだ。
しかし彼らは元気だった。
天は私を見放さなかったのだ。
私の日頃の行いが報われた思いだった。
<3月10日(土)>
今日も午前中は冷たい雨だった。
NHKホールでのカメラ・リハーサルを終えて、
局内の食堂に行くと、
NHKホール周辺の広場には、
全国各地からの物産展のテントがたくさん見えた。
「そうか、
去年はこのイベントに参加するんだったな…。」
しかし、3月11日の、あの大震災によって、
中止になってしまったのだ。
あれから1年か…。
大変な1年だった。
思いを新たにした。
……。
それにしても、
2月29日の大雪に始まって、
なんと忙しい日々が続いたのだろう。
しかも激しい温度差のなかで…。
でも、そうこうするうちに、
春は確実に近づいているのだろう。
東北にも早く春が来るといいな…。
いろんな意味で…。
……。
(三寒四温 おわり)
今日も寒いですね。
明日(3/21)から甲子園「春のセンバツ」が、
始まろうというのに。
……。
でもまあ、これが最後の「三寒」めでしょう。
来週あたりからは、
各地から「桜開花」の便りがあるんでしょうね。
そして、そして、春といえば、
4月の「STB 139 / 5Days」のセット・リストも、
ほぼ固まって来ました。
年明け早々から、
全国各地で大好評のライブを展開して来たジャミンが、
久しぶりのホームで繰り広げる熱い5日間。
どうぞご期待下さい。
ま新しい衣装もね。
……。
さ、あさって(22日)は金沢遠征です。
お寿司食べれるかな…。
期待してるんだけど…。
(何しに行くんだ!)
ん…。
………。
SHUN MIYAZUMI
March 11, 2012
三寒四温 その2
『夏の思い出』という童謡がありますねえ。
♪夏が来れば思い出す〜遥かな尾瀬〜遠い空♪
では、こんな替え歌はいかがでしょう。
♪雪が降れば思い出す〜あの日の朝〜八王子♪
ん…?
でもまあ、
あの日の大雪は、
とうぶん忘れることはないように思います。
ところが…、
そんな大雪の翌日は…、
これがまあ、びっくり仰天、一転して、
春のようなポカポカ陽気だったのです。
というわけで、
「三寒四温日記」の続編です。
3月1日(木)
今日は朝の5時起きで名古屋遠征だ。
いやあ眠い、眠い…。
しかし、そんなこと言ってはいられない。
5月に発売予定の次のアルバムのジャケット写真撮影を、
成功させなければならないのだ。
しかも、うっかり寝ようものなら、
またしてもスティーヴに寝顔の写真を撮られ、
Facebookに公開されてしまう。
あぶない、あぶない。
……。
そして心配していた天気だが、
昨日の大雪が嘘のような晴天になった。
しかも名古屋に着いた頃は、
コートがいらないくらいの暖かさだった。
屋外での撮影だから、
これは、ラッキーとしか言いようがない。
去年あたりから、
ジャミンは本当に「晴れ男」集団になった。
びっくりするくらいの幸運が続いている。
ワゴン車で迎えに来て下さった「クレール」の小林さんも、
「いやあ晴れて良かったですねえ。
しかもポカポカ陽気で暖かいし。
昨日だったら雨で、しかも寒かったんですよー。
それに明日はまた雨予報だし、
撮影するなら今日しかありませんでしたよ。
ジャミンはついてますねえ。」
と、驚いていた。
そして、名古屋駅から車を飛ばすこと約30分。
名古屋港に面して優雅に建っている、
今日の撮影と、明日のライブでお世話になる、
「クレール・ベイサイド」に到着。
いやあ、
まるでイタリアに来たかのような錯覚すら覚える、
美しい白亜の建物と景観。
そして春のような陽気。
おかげで、
最高のフォト・セッションになった、
と思う。
それにしても、
昨日と今日の温度差は、
どのくらいあるんだろう…?
ここまで極端な「三寒四温」も珍しいな。
……。
撮影終了後は、
明日の中京テレビ「ラッキー・ブランチ!!」
の練習をみっちり。
なにしろ、
「〜ジャミン・ゼブのジャズ・コーラス入門〜」と題した、
まるでジャミンのための特番と言ってもいい、
素晴らしいコーナーが用意されているのだ。
「仰げば尊し〜ジャズ・ヴァージョン〜」
などという変てこな宿題も完成させなければならない。
でも、メンバーはやる気まんまんだ。
私同様「変わった企画」には燃えるのだろうか…。
……。
そして夕方、ここでの仕事をすべて終えて外に出ると、
なんと「飛鳥II」が着岸していた。
懐かしい…。
古くからの友人に会ったような気分だった。
メンバーも大喜びで写真を撮っていた。
クルーの人に会いたいとも言っていた。
なにしろ一昨年は2週間近くも航海したのだから…。
そして飛鳥に別れを告げ、
ホテルまで送ってもらい、ようやくチェック・イン。
ここで、夕食までいったん解散。
メンバーはみな部屋で寝るんだろうな…。
なにしろ朝がめちゃくちゃ早かったから、
無理もないが…。
しかし私とショーちゃんは、
そんな時間はない。
明日のライブのセット・リストを決めたり、
他にもやることがいっぱいあるのだ。
くそ、俺も寝たいぞ。
寝かせろショージ。
ん…。
とそこに、
野球のユニフォームを着た若者が、
どやどやとロビーに入って来た。
なんでも「明治大学」の野球部らしい。
たった今試合を終えたばかりといった感じだ。
野球好きの私は、
プロ野球選手はもとより、
高校生や大学生でも、
有名な学校の野球選手を間近に見ると、
胸がときめく。
思わず「サイン下さい」
と言いそうになったが、
みっともないから、ここは我慢した。
今年のドラフトで指名される選手はいるのだろうか…。
しばらくすると、
部屋に戻って着替えた選手たちが、
ロビー奥にある食堂にどやどやと入って行った。
きっとみんな、
鬼のように食うんだろうな。
「食費が大変だろうな…。」
と、監督の気持ちが痛いほどよくわかる。
わがジャミンの4人も、
食うことにおいては負けてはいないからだ。
そうだ、同情なんかしてる場合ではない。
財布の中身をそっとチェック…。
というわけで、
再集合した私たちは、
やはり今回も「山ちゃん」に行った。
そして予想どおり、
彼らの食欲は、今宵も相変わらず凄いものだった。
「どうしてあんなに食えるんだろう…?」
私とショーちゃんは、
いつも陰でひそひそと、こう話すのだ。
ところで今回、
去年の4月から通算5回目の名古屋遠征となる今回、
私は開眼したのだ。
「山ちゃん」における正しい飲み食いのありかたを。
「山ちゃん」の看板は、
もちろん「手羽先」だ。
しかし、それ以外の食い物も、
けっこういける。
だからメンバーは、
なんでもかんでも、どっちゃり注文する。
まったくポリシーというものを感じない、
ま、量さえあればいいという、
無手勝流の注文の仕方だ。
ただし私も、前回までは「手羽先」を中心に、
いろんな物をつまみながら、
酒を飲んでいた。
そして最後に小ぶりの「きしめん」で仕上げるのだ。
しかし、よくよく考えてみたら、
他のものは東京でも食えるのだ。
しかし「山ちゃん風手羽先」と「きしめん」は、
名古屋にしかない。
したがって私は今回、
他のものには一切箸をつけず、
すべてつまみは「手羽先」でいった。
なんだかんだで、
20本くらいは食べたであろうか。
そして最後は「きしめん」。
これで充分だ。
これこそが最良の「山ちゃん」攻略法なのだ。
もっと早く気づけば良かった…。
さて、その「手羽先」だが、
塩分は、やたら濃い。
コショウも多めだ。
でも、これこそが「美味さ」の秘訣とも言える。
その代わり、どんどん喉が渇くのは仕方がない。
したがってビールが進む。
酒が進む。
するとまた「手羽先」が恋しくなる。
でも塩分が濃いから喉が渇く。
だからビールが進む。
この悪循環こそが、
「手羽先」と「酒」(おもにビール)の、
大量摂取へと繋がっていくのだ。
しかし、こんな悪循環なら大歓迎だ。
この上もない幸せだ。
その代わり私は、つくづく思った。
「山ちゃん」が東京に無くて良かった…。
もしも東京にあったら、
ましてや学芸大になんぞあったら、
毎日「山ちゃん」に通う私は、
塩分の取り過ぎで、
たちまち、
「糖尿病」や「高血圧」に悩まされることになるだろう。
それにしても、
名古屋の人は大丈夫なんだろうか…?
「きしめん」も「味噌煮込みうどん」も、
どちらかというと塩分は濃い。
美味しいものが多いのは大いに結構だが、
名古屋の人は塩分を取り過ぎなのではないだろうか…。
心配だ…。
と言いながらも私は、
早くも次の名古屋遠征を、
次回の「山ちゃん」を楽しみにしている。
ショーちゃん、次はいつかな?
待てよ。。
今日の私は…、
いったい何が言いたいのだろう…、、、
……?
(つづく)
五木ひろしさん、やはり抜群の上手さでしたねえ。
夏川りみさんもサイ・イエングアンさんもさすがでした。
氷川きよしさんファンの凄いパワーにビックリ〜!
ぐわ〜〜〜〜〜〜ん!!!
でも、わがジャミン・ゼブも、
普段やったことのないような曲の数々に大奮闘。
いやあ、
なんとか無事に終えることが出来ました。
応援に駆けつけて下さった、
ジャミン・ファンのみなさん、
ありがとうございました。
昨日(3/10)NHKホールで開催された、
『大地の恵み音楽祭』のお話でした。
3/31(土)10:05〜10:58(NHK総合)に、
オン・エアーだそうです。
やれやれ、これでちょっと一段落ですね。
明日からは、
ようやく4月の「STB139」の準備に取りかかれます。
久しぶりに英語の曲をアレンジできるなんて、
あら嬉し〜〜〜。
なにしろ私、
ここ数週間というもの、
童謡、文部省唱歌、学校の応援歌、古い歌謡曲、
そんなものばかりアレンジしてましたから。
なんだかんだで8曲も…。
ふう〜…。
……。
最後は真面目な話。
今日(3月11日)で丸1年が経ちました。
あの震災から…。
午後の2時46分には、
仕事を中断して、
NHKの「追悼式」に合わせて、
一緒に黙祷をさせていただきました。
生きられることに感謝しつつ…。
あらためて合掌…。
……。
SHUN MIYAZUMI
March 04, 2012
三寒四温
三寒四温(さんかんしおん)。
まさに言い得て妙ですね。
寒い日と暖かい日が交互にやってくるうちに、
いつしか春がやって来るという、
まさにこの季節にぴったりの古くからある諺です。
いやあ日本人は詩人だこと。
待てよ中国かな…?
とはいいつつも、
今週のような寒暖差は、
あまり経験がありませんね。
そんな「今週」を日記形式で振り返ろうと思います。
まずは、あの大雪の日…。
……。
2月29日(水)
「さ、今日はレコーディングだ。
がんばるぞー。」
と、勇んで起きて窓の外を見たら、
なんと大雪だった。
しかも今日は八王子まで行かねばならない。
「日本工学院専門学校」のスタジオを、
お借りすることになっている。
でも、大丈夫か…。
無事に到着できるのか…。
不安な気持ちのまま、
とりあえず武蔵小杉まで行き、
南武線に乗り換えて立川まで行くと、
中央線は大幅にダイヤが乱れているというアナウンス。
そこに30分遅れの特急「かいじ」が来たので、
「しめた!」とばかり、それに飛び乗る。
でも、運悪く車掌に見つかり、
たった10分しか乗っていないのに、
「立川ー八王子」間の特急料金500円を取られる。
見逃してくれればいいのに。
トイレにでも隠れれば良かったかな…。
せこいかも。
八王子駅から「日本工学院専門学校」行きの、
スクール・バスが出ているので、
それに飛び乗ると、コージローがいた。
ほどなくシモンも乗って来る。
そして大幅に遅れてバスが動き出す。
しかし、
大雪のせいで道路は大渋滞。
こんな時、いつも思うのだ。
「一番前の車は何をやっているのだ。
悪いのはお前だぞ。。」
バスは、30分経っても、1時間経っても、
ノロノロ、ノロノロと一向に前に進まない。
もう昼の1時だというのに…。
スタジオは12時から押さえてある。
ああ、どうなるんだろう…。
さらに、
最新兵器「i-phone」を見事に使いこなすシモンが、
「社長、地図を見ると、まだ半分も来てませんぜ。」
と、不吉なことを言う。
普段なら15分くらいの距離なのに…。
「そうだ、ショーちゃんはどうしたんだろう?」
と思い、やつの携帯に電話すると、
「あっしは10時半のバスに乗ったんですが、
まだ着いてませ〜ん。まだバスの中です。
もう2時間半も乗ってま〜す〜。」
絶望だ…。
そうこうするうちに、
猛烈な尿意をもよおしてきた。
そこにショーから電話。
「どうやら今日は3時で休校になるそうです。」
なんだ、それじゃ大変な思いをして行っても、
すぐにトンボ返りじゃないか。
しかも反対車線も大変な渋滞だ。
私は最悪の事態を予想する。
このままあと2時間かけてたどり着いたとしても、
学校はすでに休校で誰一人いない。
駅に戻るバスもない。
すべての交通手段を失った我々は、
寒い、凍えるような学校の軒下で、
翌朝、哀れな凍死体となって発見される。
……。
私は、やむなく今日のレコーディングを中止にする。
とはいうものの、バスを降りて、
ここから雪の中を八王子まで歩いて戻るにも、
これまた大変な行軍が予想される。
まるで雪山で遭難したかのような気分だった。
しかも尿意はますますひどくなる。
「どうすればいいのだ。
助けてくれ〜…。」
そこにシモンが、
またまた「i-phone」を見ながら、
「社長、降りるなら今しかないと思いますよ。
片倉という駅がすぐそばにありますから。」
と、嬉しいことを言ってくれた。
彼が天使に見えた。
大きな天使だが…。
そういえば、
なるほど目の前に高架線路があって、
電車が走っているのが見えた。
私たち3人は、運転手に無理に頼んで降ろしてもらう。
雪の中、高架線に沿って歩くと、
確かに片倉という駅が見えて来た。
「助かった…。」
すぐさまトイレに駆け込むと、
シモンも大慌てでやって来た。
「いやあ、助かりましたねえ。
僕も行きたくてしょうがなかったんですよ。」
なんだ、そういうことだったのか。
自分も切羽詰まっていたんじゃないか…。
それにしても、
同じバスにシモンが乗ってくれていて良かった。
こんなときのシモンやスティーブは、
本当に役に立つ。
メカに強いからだ。
コージローと私だけだったら、
はたしてどんな事態になっていたやら…。
考えただけでも恐ろしい…。
……。
ところが翌日は嘘のような晴天。
しかも17°という、
春のような陽気だったのだ。
まさに三寒シモン。
じゃなくて、
三寒四温…。
だな…。
……。
(つづく)
今年は本当に遠征が多いですねえ。
でも、そのおかげで、
こんな私のブログにも、
中京圏やいわきの方々からも、
コメントをいただくようになって来ました。
ジャミン・ゼブをやっていなかったら、
無かったはずの数々の出会いに感謝、
といったところでしょうか。
嬉しいですね。
ありがとうございます。
そうそう、こんな質問もありましたねえ。
「K.O.さんは私に、
どんな牌を振り込んだのでしょうか?」
遅ればせながら、お答えしますね。
はい、これが「国士無双」という役です。
そして私が待っていたのは、
上にある鳥のような絵柄の、
「イーソー」という牌でした。

もっとも6巡目にはテンパイでしたからね。
彼が不運と言うべきでしょう。
さ、明日はレコーディング・スタジオ。
私のピアノ・デイです。
がんばっていい演奏をして来ます。
だから、もう寝ましょうね。
おやすみなさい。
(早くないか)
……。
SHUN MIYAZUMI
February 26, 2012
接待麻雀
麻雀(マージャン)か…。
もう20年くらいやっておりませんね。
昔は、よくやったもんですが…。
いやあ、このゲームは、
本当によく出来てると思います。
このゲームを考えた人は天才です。
中国人恐るべしです…。
西欧でも、
これに匹敵する内容と密度を持ったゲームは、
トランプの『コントラクト・ブリッジ』くらいしか、
思い浮かびません。
(『セブン・ブリッジ』ではありませんからね。)
で、私、
どっちも得意です。
高校生のときは『コントラクト・ブリッジ』。
大学生のときは『麻雀』。
どちらも夢中になってやっていた時期があります。
ま、競技人口から言えば、
日本では圧倒的に後者でしょうかね。
……。
でも、20年くらい前にきっぱりやめました。
なぜか…?
勝っちゃうからです。
勝っても逃がしてくれないからです。
(そう、私、けっこう強いんです、これ…。)
「おい、勝ち逃げはないだろ。
もう半ちゃん(半荘)いこういこう。
帰しませんよ〜。」
という不良仲間たちの押しに負けて、
結局は徹マン(徹夜麻雀)になる。
そのうち酒が進んで、
どんどん気持ちよくなって、
もう、どうでもよくなって、
バンバン振込みが始まって、
気がつけば、
前半に貯めた貯金を使い果たし、
結局はチャラ。
そして「雀荘」を出て表に出たら、
あ〜ら、お天道様がまぶしい、まぶしい。
いつもそんな感じでした。
いやあ、なんとも空(むな)しい、
時間の無駄遣いですね。
「こんなことをしていたら、
人生すぐに終わってしまうぞ…。」
そう悟った私は、
きっぱりと「麻雀」とおサラバしたのです。
正解だ。
うんうん…。
……。
ですから今日のお話は、
今を去ること30年以上も昔の話です。
私がまだアルファ・レコードにいた20代の頃のある日、
社長の村井邦彦さんから、
こんな命令が下りました。
「シュン、今宵はちょっと『麻雀』をやるので、
仕事を早く片付けて家に来てちょうだい。」
そして彼はこう続ける。
「ただし今日のは『接待麻雀』だからね。
招待するのは「K.O.さん」ね。
知ってるだろ?
だから君は絶対勝っちゃいけないの。
仮に良い手が来ても上がっちゃいけないのよ。
彼に気持ちよく勝たせなきゃいけないんだからね。
だから君が負けても、
君の負け分は後でちゃんと払ってやるから、
心配しなくてもいいからね。」
「な〜んだ、そういうことか…。」
「なんだかつまらないけど、
ま、今日は特に何も無いし、
これも会社の業務だと思って、
おつきあいするとするか…。」
そんなわけで私はその晩、
いそいそと社長宅を訪れたのでした。
さて、
この「K.O.さん」とは、
当時大ヒット曲を連発していた、
有名なシンガー・ソング・ライター。
しかも一方で、
立派な一流銀行にお勤めの、
まさに「二足のわらじ」を見事に履きこなす、
いわば時の寵児でありました。
そして彼が連れて来た相棒は、
彼の大学時代の友人という弁護士さん。
どちらもT大学という日本の最高学府の出身です。
こっちは、
村井さんも私もK大という軟派な私立大学。
しかもどちらも、
「軽音楽部」出身。
ま、普通にやってもあっちが勝つだろうと、
私はいつものように打っておりました。
ところが…、
ある局面まで来たとき…、
私に、とんでもない手がやって来ました。
「国士無双(こくしむそう)」というもので、
無数にある「役(やく)」の中でも、
「役満(やくまん)」と言って、
一生のうちに “何回上がれるか” というくらい、
難しい、最高級の手の一つなのです。
ま、一日のうちにこれを一回でも上がれば、
まずその日の「勝ち」は、
間違いありませんね。
そんな手をテンパってしまった。
あと1枚、狙った牌(はい)が来れば上がりです。
「さあ、どうしよう…。
これを上がってしまったら、絶対勝ってしまう…。
しかし、こんな良い手は滅多に上がれないのだ…。
どうする…。どうする…。」
普段ならこんなとき、
獲物を狙う、
狡猾なオオカミのような心境になって、
他の3人を見下しながら進めていくのですが、
この日ばかりは…、
さあ、どうしたもんでしょうか…、、、
……。
私は悩みに悩む…。
……。
と、そのとき…、
あろうことか、
接待している、当の「K.O.さん」から、
その牌が出てしまった。
わ…、
わたしは…、
思わず…、、
「ロン!」と言って…、、
自分の全ての牌を倒して…、、、
「上がり」を宣言してしまったのです。
さあ、32,000点という凄い点棒が、
K.O.さんから、私の手に入りました。
1番安い「平和(ピンフ)」という手が1,000点ですから、
「麻雀」をやらない方でも、
この手がいかに凄まじいかが、
おわかりいただけると思います。
(あ〜あ、やっちまった…。)
そして、ふと、おそるおそる村井社長の顔を見たら、
その顔面は、
もう鬼のように真っ赤になっており、
怒りで手がぶるぶると震えておりました。
(もしかして俺、クビかな…、、、)
結果、その日は私の一人勝ち。
哀れな「K.O.さん」がビリでした。
その後、
私が、こうした席に呼ばれなくなったのは、
言うまでもありません。
……。
しかし、
あなただったらどうされますか?
「麻雀」において、
「役満」を上がるというのは、
ある種のロマンです。
私も人生において、
何度も上がってはおりません。
「四暗刻(スーアンコ)」
「字一色(ツーイーソー)」
「大三元(ダイサンゲン)」
「小四喜(ショースーシー)」
そんな人生のロマンを、
放棄してもいいのでしょうか?
「ロマン」こそ、
人生において、
もっとも大切なものではないのでしょうか?
「K.O.さん」にしたって、
仮に勝ったとしても、
それが「八百長」だとわかれば、
決して面白くはないはずです。
それでも、
私は間違っていたのでしょうか?
ううむ…。
……。
えっ?
「どっちでもいい」
ですって…?
まあね。
あははは。
そろそろ、こんな物が書きたくなって書いた、
ま、それだけのことです。
では、おやすみなさい。
zzz…。
(おしまい)
前回あんな物を書いたもんですから、
何人もの方から、
「大丈夫ですか?」
とお声をかけていただきました。
おかげさまで、火曜日から3日間、
お酒をやめて大人しくしていた努力が報われてか、
すっかり痛みは消えました。
どうやら骨折、ヒビの類いまでは、
行ってなかったようです。
どうもご心配をおかけしました。
……。
というわけで、
金曜日は久しぶりに、
バンバン飲みながら、
がんがんピアノを弾きました。
いらして下さったみなさん、
ありがとうございました♪
でも、反省しましたよ。
もっと「年」を認識しなくてはね。
そう、若くはないのだから…。
若くはね…。
お酒、
美味しいですけどね…。
くくく…。
……。
SHUN MIYAZUMI
February 22, 2012
みっともない話ですが…
激しくころんでしまいました。
あ痛い…。
……。
あれは一昨日の深夜の出来事。
その日私は、
かつてやったことがないような、
難しいアレンジに取り組んでおりました。
しかも4曲も…。
しかもメドレーで…。
3月のNHK特番スタッフさまからの依頼なのですが、
最初はどうなることかと思いましたね。
考えたこともないような曲ばかりだし…。
どちらかというと苦手なジャンルだし…。
しかし、
ふと妙案を思いつき、
なかなかに面白いものが出来上がったのです。
(と思うのですが…)
ま、なにはともあれ、
やった、やった、やったーーーーー!
というわけで、
今日は自分にご褒美だ。
久しぶりに飲みに行こう。
そうだ、そうだ、そうだ〜〜〜〜〜〜!
私は意気揚々と学芸大に出かける。
なじみの居酒屋で、
気の合った常連のおじさんたちと、
とりとめのない世間話を肴に、
飲んだ、飲んだ、飲んだ〜〜。
そのあと久しぶりに、
これまた大好きな「オールディーズ・バー」で、
飲んだ、飲んだ、飲んだのよ〜〜〜〜〜。
そして深夜の12時。
「明日もやることがいっぱいあるので、
お先にね。」
と席を立ち、
いい調子で駅の方まで歩いているとき、
(おそらく千鳥足)
靴ひもがほどけているのに気がつきました。
私は立ち止まり、
靴ひもを直そうと前かがみになった瞬間…、
体のバランスを失い、
おっと、
おっとっと、
あ、あっ、あ〜〜〜〜〜〜っ、、、
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、、、、、、
ものすごい勢いで、
意志とはうらはらに、
どんどんつんのめっていって、
バタ〜〜〜〜〜ッと倒れてしまいました。
そして、思いっきり胸を強打…。
……。
息も出来ないような痛さでした。
く…、く…、く…………、、、、、
くるしい………。。。
翌朝(昨日)目が覚めると、
状態はさらに悪化。
体を動かすと痛い。
息をしても痛い。
咳なんかするともう最悪。
「もしかして肋骨骨折…?」
……。。。
とりあえず病院に駆け込んだのですが…、
そして、3時間も待たされていたのですが…、
そこに、Y浅ショージ君から緊急電話。
今週の、
もうひとつのNHKの番組で、
さらに2曲のコーラス・アレンジを、
急きょ私がやることになり、
「こりゃ大変だー。」
と、診察を受けるのもあきらめて、
大急ぎでとんぼ返り。
火事場のばか力で、
なんとか書き上げて、
夜メンバーにスコアを渡す。
やれやれ…。
そして私は、再び現実に戻る…。
「ゴホン」
(くう、痛いなあ〜〜…)
「これって、もしも骨折だったら、
絶対安静じゃないか…。
今週のA'TRAINライブはどうなるのだ…。
来週の名古屋遠征はどうなるのだ…。」
もう目の前が真っ暗になりましたね。
……。
で、念のため昨日は禁酒。
咳をするのが嫌なのでタバコも極力吸わず。
「明日起きたらすぐに病院に行こう…。」
と、私にしては珍しく、
落ち込んだまま寝床に入ったわけです。
…….。
コケコッコーーーー♪
(近くに鶏でもいるのか…?)
朝になりました。
おや…、
なんだか痛みが、
ほとんどありませんよ。
「ゴホン」
あら、咳をしても痛くないぞ…。
これはどうやら、
骨折ではなさそうですね。
ほっ…。
というわけで、
病院に行くのはやめにしました。
今週の金曜日(24日)のライブも、
予定通り開催させていただきます。
みなさん安心してお出かけ下さい。
お見舞いは入りませんから。
それにしても、
年はとりたくないもんですなあ…。
あの程度で、
バランスを失ってつんのめるなんて…。
目の前が川じゃなくて良かった…。
後ろから車が来ていなくて良かった…。
みなさんもお気をつけ下さい。
えっ?
そんなバカなことにはならないよ、
ですって…?
確かにねえ…。
ガクッ…。
……。
SHUN MIYAZUMI
February 16, 2012
ちょこっとニュース
みなさん、
ご無沙汰しております。
なにせ、
超多忙な毎日でして…。
ま、それも喜ばしいことかと…。
で、今日は、
ちょこっとだけ、
こんなニュースをお送りします。
今発売中の週刊誌、
「サンデー毎日」誌に、
私の名前が、
ちょこっとだけ出ています。
著名なジャズ・ピアニスト山下洋輔さんが連載している、
「ドファララ門」というコラムで、
私が、このブログにかつて書いた記事が、
引用されているんですねえ。
(62頁あたり)
「渋谷森久さんという人のお話」というものなのですが、
たまたま山下さんも渋谷さんをご存知で、
この記事を書くにあたって、
インターネットで私のブログをヒットした、、、
とまあ、こんなわけでございました。
すごい時代ですねえ。
インターネット時代…。
……。
山下さんとは一面識もないのですが…、
でも、光栄です。。。
こんな私のブログをヒットして下さるなんて…。
く〜〜〜。。。。。。
というわけで、
来週の月曜日あたりまでは、
「本屋さん」「キヨスク」あたりで、
ゲットできるようです。
興味のある方は、
ぜひ、手に取ってご覧下さいね。
さ、明日は船橋でジャミンのコンサートだ!!
「おおい、ショーちゃーん、
駅降りたら、
左行くの? 右行くの?
おおい、、、
おお〜〜〜〜〜〜〜〜〜い、、、、、」
(ホント、ちょこっと…)
ん……?
……。
SHUN MIYAZUMI
February 01, 2012
ついでにマスタリングのお話
みなさん、こんにちは。
ジャミン・ゼブ『Garden』リマスター盤。
おおむね好評のようで、
ホッと安堵の今日この頃でございます。
とは言いつつも、
ファンのみなさんの中には、
「マスタリングってなあに、何のこと?」という方も、
たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
ということで今日は、
この「マスタリング」なるものについて、
少しばかりお話をしてみましょう。
「マスタリング」とは、
レコーディングにおける最終行程の作業です。
プロデューサーとエンジニアが、
「よし、これで完成だ。
歌や楽器のバランスもよし。
リヴァーヴ(エコー)の量もよし。
100点満点の出来栄えだ。」
というところまで作り上げた最終マスター・テープ。
(今の時代はDVDかCD-R)
しかし、これで最後ではないんですねえ。
この段階ではまだ、
CDの生産には至りません。
この最終マスターを、
さらに「マスタリング」しなくてはいけないのです。
そして、この作業には、
その道のプロの力を借りなければなりません。
いわゆる「マスタリング・エンジニア」の力をね。
そして、私が、
「最高のマスタリング・エンジニア」
と信じて疑わないのが、
原田光晴さん。
かつて私は、
1990年代の何年かを、
ソニー・ミュージックの「契約プロデューサー」として、
様々なCD制作をしておりました。
「TOKIO」「宮沢りえ」といった、
アイドル物が多かったんですがね。
で、その頃、
同じくソニー・ミュージックで仕事をしていたのが、
この原田さん。
ま、私とはいわば旧知の間柄です。
お互いを知り尽くしたプロの仲間です。
そして、ジャミン・ゼブに関して言えば、
「旧盤・Garden」「Sweet Sweet Live」「Summertime」
からが、原田さんの仕事になります。
いやあ、彼の手にかかれば、
私と須藤君(エンジニア)の作った完成品が、
さらに30%くらい輝きと迫力を増しちゃうから、
あらまあ不思議…?
どんな魔法を使ってるのかしらん…?
ということで今回も私たちは、
代官山にある、
「JVCマスタリング・センター」
を訪れました。

エレベーターで地下まで降りると…、

ええと、原田さんの部屋はどこだったかな…?
おお、あれは、原田さんの作品群だな。
山下達郎、クレージーケンバンドなんかに混じって、
左下には「Summertime」もあるな…。
うんうん。

あっ、ありました、ありましたよ。
「原田ルーム」

「こんにちは、原田さん。」
「やあ、いらっしゃい、お待ちしておりましたよ。」

「ちょっとこのサウンドを聞いて見て下さい。
中低音が前より豊かになったでしょ。
歌もぐっと前に出て来ましたよね。
これ新兵器なんですよ。あははは。」
「なるほど…。確かに…。」

「ええと、この曲は少しだけレベルを上げるかな…。
よいしょと。
曲間は3秒でいいですかね、宮住さん。」
「そうですね。
ボーナス・トラックの前だけは、
5秒くらい空けましょうか。」
「わかりました。ええいこれで完成だ。」

こうして、
「デジタル・エコライザー」を巧みに使いながら、
私たちのマスター・テープが、
さらに素晴らしいものになりました。
まさに職人芸です。
原田さん、今回もありがとうございました。
やれやれ、
これでようやくCDの大量生産が出来る、
とまあ、こういうわけなんですね。
よかった、よかった。
……。
では、ショーちゃん、
祝杯といこうじゃないか。
「どうだね、今回の出来栄えは。」
「バッチリじゃないっすかね。
さすが原田さんすね。」

おい、そりゃ、俺の帽子じゃないか。
……。
ま、いいか。
今日は許そう。
こうして出来上がりました。
『Garden』リマスター盤。

この撮影は、
「東京工科大学」(日本工学院)八王子キャンパス、
そお借りしてのもの。
「東京ディズニーランド」とほぼ同じ広さという、
広大な、そして美しい自然の中で行われました。
スタッフのみなさまに感謝、感謝でございます。
ところで、ジャミン・ゼブ諸君、
どうだね調子は?
「バッチグーっすよ。あははは。」

ん…?
……。
SHUN MIYAZUMI
January 24, 2012
『Garden』リマスター盤のお知らせ
みなさん、こんにちは。
今日は特別版でございます。
ジャミン・ゼブに関するお知らせです。
ジャミン・ゼブHP(Staff Blog)、
ならびにZEBLOGにも、
ほぼ同じ内容が掲載されますが、
こちらにも…。
「jammin'Zeb(ジャミン・ゼブ)の大傑作『Garden』
強力なリマスター盤として装いも新たに再登場!」



『ガーデン』POCS-1049
発売元:ZEB
販売元:ユニバーサル ミュージック
定価:¥3,150(税抜価格¥3,000)
2010年5月にこのアルバムを発表してからのジャミンは、
歌唱力はもとより、すべてにおいてスケール・アップ。
ステージはさらにエンターテインメント精神にあふれ、
端正なルックスには、
大人の男性の魅力も兼ね備わってきました。
(かな…?)
また同年末より、
東海地方限定ではありますがCMにも出演。
そのタイアップ・ソングとして、
初の日本語オリジナルも提供。
2011年6月には、そのCMソングの「Beautiful Smile」や、
渾身のアレンジ、
「Summertime」「La Mer」「Day Tripper」、
そして東日本大震災によって生まれたオリジナル「Rise」、
これらを含む話題のアルバム『Summertime』をリリース。
その「Rise」は、
NHK総合TVでも再三に渡って取り上げられ、
大きな反響を呼んだことは記憶に新しいところです。
(うんうん)
そんなジャミン・ゼブの最高傑作として呼び声の高い、
アルバム『Garden』を、
未だジャミン・ゼブの音楽に触れたことのない方たちに、
“より完璧なパッケージ”でお届けしたいという願いのもと、
再び制作費がかかるのも厭(いと)わず、
多少の困難や批判をも覚悟の上、
「ええい!」とばかりリニューアルしてしまったのが、
このリマスター盤なのです。
(なるほど)
日本を代表する最高のマスタリング・エンジニア、
原田光晴さんと、
JVCマスタリング・センターが誇る、
最新マスタリング技術によってもたらされたサウンドは、
旧作よりもさらに輝きと重厚さを増し、
熱心なオーディオ・ファンをも、
大いに唸らせる仕上がりになったのではないでしょうか。
(へ〜)
さらにアルバム・ジャケットも一新しました。
有名人気ブランド『JUN MEN』さまご提供による、
ベルベット・スーツや、
ヨーロピアン・センスに溢れるジャケット&パンツ。
これらに身を包んだ、
メンバー4人の美麗写真が満載のブックレットは、
さらに多くの女性たちを魅了することと確信します。
(キャーッ!)
そして今回はボーナス・トラックを用意しました。
デビューして間もない2008年に出演した、
TV朝日『題名のない音楽会』。
そこで披露した岩崎宏美さんの、
「好きにならずにいられない」ジャミン・バージョンは、
その後たくさんの方からCD化を渇望されていました。
今回ついに陽の目をみることとなりました。
これまたNHKでも取り上げられた「さくら」や、
「エヴリシング」「カケラたち」などと並んで、
ジャミン・ワールドにリメイクされたJ-POPカヴァーが、
さらに多くの方たちから評価されると信じております。
(わーい)
このように、
現在考えられる最高のスタッフを駆使して作られた、
最高に贅沢な「リマスター盤」!
1月25日全国一斉発売です。
どうぞ手に取ってご覧下さい。

ただし、
ここでお断りしておかねばならないことがあります。
すでに旧盤『Garden』をお持ちの方に対してです。
(ここ重要です)
「リマスター」すなわち新しいマスタリングといえども、
音楽の本質が大きく変わったわけではありません。
収録曲はボーナス・トラックを除いて全て同じです。
演奏もすべて同じ物です。
また旧作のマスタリングが劣っているわけでもありません。
これも今回と同じく原田さんの手による作品ですから、
悪かろうはずがありません。
どちらにもそれぞれの良さがあって、
オーディオ的見地からみれば、
その違いを楽しんでいただくのも一興かと思います。
強いて言うと、今回のは、
「より中低音が充実した重厚なサウンド。
ヴォーカルも旧作よりぐっと前にでて来た感じ。」
ということになるのでしょうか。
しかしながら、
「オーディオ的な専門分野はどうでもいい。
同じ曲、同じ演奏のものばかりだったら、
たった1曲のために新たに購入するなんて嫌だ。」
こう思われる方もいらっしゃると思い、
そうした方のために、
ボーナス・トラック「好きにならずにいられない」のみ、
各種配信サイトで購入(200円)できるように致しました。
どうぞご利用下さい。
人間は日々進化していくものです。
2010年時点では最良だと思ったものでも、
時を経てみると、
わがままな欲求が次々と首をもたげてきます。
今回「なぜそんなことまでして…」という、
疑問をお持ちの方も多いかと思いますが、
それに対しては、
「だって、そうしたかったから。」
という答えしか浮かばないのもまた事実。
どうぞくれぐれも、
「新譜だと思ったら、前のと同じじゃないか。」
というクレームの無きよう、
お間違えのなきよう、
よろしくお願い申し上げます。
ただし、このように、
ジャケットを変更させての再発売というのも、
この業界では珍しい事ではありません。
逆にそのアーティストが大成功をおさめた場合には、
初版というのは思わぬ価値が生まれる場合も多いのです。
どうぞ旧盤も、変わらずのご愛顧をお願い申し上げます。
(ふ〜…)
ではここで、
あらためて収録曲について、
簡単な解説を加えておきましょう。
01. HOW DEEP IS YOUR LOVE(愛はきらめきの中に)
ビージーズの美しいヒット曲を、
ビロードのようなジャズ・ハーモニーを散りばめながら、
スローボサのリズムに乗せて感動的に歌い上げています。
02. ROUTE 66(ルート66)
豪快なビッグ・バンド・サウンドを彷彿とさせる
コーラス・ワークとグルーヴは、
まさにジャズ・コーラスの醍醐味です。
03. さくら
アンコールでこの曲を演奏すると、
サイン即売会ではいつも長蛇の列。
NHK『歌謡コンサート』『金曜バラエティー』
でも取り上げられました。
今やジャミンを代表するア・カペラ・ソングです。
04. LADY MADONNA(レディ・マドンナ)
あのビートルズの名曲が、こんなに華麗な、
ジャズ・ファンク・ロックに大変身。
この曲が始まるとスタンディング、大盛り上がり。
最近のライブでは定番になりました。
05. ALFIE(アルフィー)
バート・バカラックの名曲も、
ジャミンの手にかかるとこんな風になってしまいます。
“バラード王子”の異名をとるコージローを中心とした、
美しい珠玉の逸品。
06. NOUS VOYAGEONS DE VILLE EN VILLE
(町から町へ)
ミシェル・ルグランの代表的ミュージカル
『ロシュフォールの恋人たち』中の一曲で、
ここではフランス語に初挑戦。
あらゆるコーラス・ワークを駆使した驚異の作品で、
彼らの実力は既に世界的レベルと言っては、
言い過ぎでしょうか。
07. EVERYTHING(エヴリシング)
ご存知MISIAさんの大ヒット曲。
前半が「Singers Unlimited」後半が「TAKE 6」という、
世界の2大コーラス・グループを意識した、
あっと驚く二部構成によるアレンジと歌唱は、
大いに話題を呼んでいます。
08. ORANGE COLORED SKY(オレンジ色の空)
バーバーショップ・スタイルのア・カペラを、
若者らしく実に溌剌と歌い上げています。
さらに磨きのかかったシモンの迫力ある低音にもご注目。
09. THE SUMMER KNOWS(おもいでの夏)
06と同じ、ミシェル・ルグランのオスカー受賞曲。
美しくもせつないバラードが、
スティーブを中心に更に官能的、
かつドラマチックに仕上がっています。
10. SWEET SWEET LOVE
(スウィート・スウィート・ラヴ)
最近メキメキと創作力を上げて来た、
レンセイが書き下ろした初のオリジナル。
R&Bが基調になった楽しいダンス・ナンバーで、
これもライブではいつも熱狂状態ですね。
11. POLKA DOTS AND MOONBEAMS 〜
MOONLIGHT SERENADE
(水玉模様と月光〜ムーンライト・セレナーデ)
古いスタンダード・バラードと、
有名なグレン・ミラー楽団の大ヒット曲を組み合わせた、
いわゆる“お月さまメドレー”。
ジャズ・ワルツでぐいぐいスイングする後半は、
まさに圧巻の仕上がりです。
12. MOONDANCE(ムーンダンス)
もう一曲、月にちなんだタイトルのア・カペラ・ナンバー。
都会的で洗練されたア・カペラ・ワークは、
まさにジャミンの真骨頂といえましょう。
13. カケラたち
若きシンガー・ソングライター、
松倉サオリさんの隠れた名曲を、
ジャミンならではのアレンジで見事に甦らせた大作。
アルバムの最後を飾る、圧倒的な仕上がりです。
14.好きにならずにいられない(ボーナス・トラック)
かつてTV朝日『題名のない音楽会』で大反響を呼んだ、
岩崎宏美さんのヒット曲のカヴァー。
これまたジャズ・ハーモニーを散りばめた、
ジャミンならではの斬新なリメイク。
J-POPの今後のあり方に一石を投じたと言うのは、
大げさでしょうかね。
ファンのみなさま待望のCD化です。
嬉しいことに、
2011年後半からは、
全国各地から出演依頼の絶えないジャミン・ゼブ。
再びこの強力盤をたずさえて、
飛翔していきたいと願っております。
どうぞ今後ともジャミン・ゼブを、
よろしくお願い申し上げます。
Producer
Shun Miyazumi
(あとがき)
とまあ、
こんなわけでございました。
早いところでは、
本日(1/24)にも入手可のようです。
このジャケットを眺めながら聴くと、
また違った印象に聞こえるから不思議 ♪
お楽しみいただければ幸いです。
今年はまだまだビッグなニュースが続きますよ。
お腹こわしてる場合じゃありませんね。
ガォ…。
Shun Miyazumi
January 14, 2012
私の映画ベストテン 2011
この企画も今年で5年目になります。
でも、今年はちょっと迷いました。
やめようかとも思いました。
なぜならば、
3月11日の、あの大震災がもたらした惨状や、
福島原発の恐ろしい事態を見せられたら、
作り物の映画なんて、なんとも現実離れした、
絵空事に思えてきたからなのです。
したがって昨年見た映画(DVD)の大半は、
3月11日以前のものばかりです。
でもね…、
やはり映画を捨てることはできませんでした。
これもまた、
人間の英知と感性が作った、
なんとも贅沢で、人生に潤いをもたらす、
偉大なエンターテインメントだからです。
心から素直に映画を楽しめる生活もまた、
幸せなことなんだなあ…。
逆に改めて再認識させられた、
とまあ、こういうわけです。
ということで、
今年もやることにしました。
ではでは。
『私の映画ベストテン 2011』
1.エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
(La Vie En Rose)
なぜか昨年は、ここ数年気になっていた、
「有名な女性」を主人公にした、
そんな映画をたくさん観た1年でした。
なぜ、そんな心境になったのでしょうかねえ…?
そんな中、この「シャンソンの女王」を描いた映画は、
本当に素晴らしかったです。
マリオン・コティヤール扮するピアフは、
まるで本人が演じてるのではないかと思わせる名演で、
アカデミー賞主演女優賞に輝いたのも当然!
わずか47年の短い人生を哀しくも奔放に生きたピアフ。
過酷なまでの波乱の人生だったからこそ、
今だに世界中を魅了し続ける、
あの歌が生まれたのでしょうか。
だとしたら、あまりにも皮肉…。
そして、この映画を観て初めて知ったのですが、
「エディット・ピアフ」というのは芸名だったんですね。
なんとも印象的な名前だと思っていました。
そんな、偉大な「エディット・ピアフ」を、
かつてタモリは、『タモリII』というアルバムの中で、
こうパロディっていたんですよ。
「エビのピラフ」
(いいのか…)
2.ココ・シャネル
(COCO CHANEL)
お次は、有名な女性デザイナーの伝記映画。
これは2種類あったのですが、
私が選んだのはシャーリー・マクレーンが出ている方。
これもキャスティングが見事だったなあ…。
若き日のココ(バルボラ・ボブローヴァという人)と、
晩年のココを演じるシャーリー・マクレーンの、
イメージが全く狂わないのです。
伝記映画で一番がっかりするのは、
役者の風貌やキャラクターの違いで、
とても同じ人物の人生と思えないキャスティング。
この映画は、それだけでも楽しめました。
そういえば、
「ココ」というのも変わった名前ですね。
これまた、とても印象的な名前です。
だから私、マヒナ・スターズと女性歌手が、
その昔歌っていた曲を思い出しました。
「ココ ココ ココがいいのよ
あなたのそ〜ばが〜♪」
(古すぎ…?)
3.永遠のマリア・カラス
(Callas Forever)
過去の偉大な歌手のなかで、
「一度でいいから生で聴いてみたかった…。」
そう思える一人が、このマリア・カラスさん。
ま、ピアフもそうですがね…。
マリア・カラスと親交の厚かった、
斬新なオペラ演出でも有名な映画監督、
フランコ・ゼフィレッリさんの愛と思い入れが、
伝わってくるような気がします。
もっとも印象的なシーンは、
晩年、かつてのような声が出なくなったカラスが、
往年の彼女を収録したレコード、
蝶々夫人「ある晴れた日に」を聴きながら、
泣き崩れるところ。
でも、それも仕方ないこと。
誰でも年はとるのですから。
それでも彼女は、
神から与えられた素晴らしい声と歌唱力で、
「史上最高のソプラノ・シンガー」の勲章を、
手に入れたではありませんか。
悲観することなんか一つもありません。
私は彼女に、こう言ってやりたかったです。
「カラス なぜ泣くの?」
(もういいから)
4.負けざる者たち
(Invictus)
これも実話をもとにした、
クリント・イーストウッド監督の感動作。
1994年、南アフリカ初の黒人大統領に就任した、
ネルソン・マンデラさんは、
それでもなお、白人と黒人の対立が続く国を、
「スポーツの力で一つにしたい」と考えたんですね。
そして、幾多の困難を乗り越え、
翌1995年、自国南アフリカで開催された、
ラグビー「ワールド・カップ」大会で、
なんと、南アフリカ・チームを優勝に導く。
とまあ、まるでドラマのような本当のお話。
しかし昨年、
わが日本の「なでしこジャパン」も、
女子のサッカー「ワールド・カップ」で優勝しましたね。
震災で落ち込んだ日本に勇気を与えてくれました。
だから人生は、面白いんですね。
5.シービスケット
(Seabiscuit)
これも実際にあったお話。
私、どうやら実話の方が好きみたいですね。
といっても、この主人公はお馬ちゃん。
気性が荒く、とても競走馬にはむかない、
不遇の馬「シービスケット」号を、
限りない愛情と、粘り強い調教で、
ついに一流の競走馬に育てるというお話。
そして、これまた大不況にあえぐ、
1930年代のアメリカに、
夢と希望を与えたというのですから、
今の日本にも望みたいものです。
出よ、第二の「シービスケット」!
「シマウマ」もがんばれ!
(ん…?)

(お前の出番は、終わったんだって!)
6.パリより愛をこめて
(From Paris with Love)
ん? なんか聞いたことがあるようなタイトルだぞ…。
1年前のこの特集では、
同じスタッフが作った、「96時間」という、
超ど級アクション映画をご紹介しましたが、
昨年観たアクション映画のなかでは、
これがダントツに爽快でした。
ジョン・トラボルタが、
メチャメチャ危ない刑事野郎に扮して、
悪党どもを次から次へとぶっ殺すという、
なんとも野蛮なハード・ボイルド・アクション。
この人も年をとるにつれて、
どんどんカッコいいオッサンになっていきますねえ。
憧れちゃうなあ…。
無理だけど…。
7.パブリック・エネミーズ
(Public Enemies)
大恐慌に喘(あえ)ぐ1930年代のアメリカには、
お馬の「シービスケット」号とならぶ、
庶民のヒーローがいたんですねえ。
それが、ジョン・デリンジャー君。
といっても、この人は犯罪者です。
でも、国家の金しか狙わず、
国家権力をあざ笑うような強盗と脱獄を繰り返す、
これまた映画のような人生を送った、
アメリカ版「鼠小僧次郎吉」。。
昨年は、映画のようなお話の映画ばかり…。
わかるような、わからないような…。
……?
ジョニー・デップ君、快演でした。
愛人役のマリオン・コティヤールも、
「これが、あのピアフを演じた人?」
と思えるような名演でした。
8.エル・カンタンテ
(El Cantante)
この映画もずっと探していたんです。
ようやく観ることができました。
伝説のサルサ・シンガー、
エクトル・ラボーの波乱の生涯を描いた音楽映画。
この人も、薬漬けの人生。
おまけに最後はエイズにもかかってしまう。
もう、どうしてみんな、そうバカなんでしょう。
ジミ・ヘンも、ジャニス・ジョプリンも、
ジム・モリソンも、ブライアン・ジョーンズも、
エディット・ピアフも…。。。
ま、そういう時代だったんですかね…。
演じているのは、
これまたサルサ(ラテン・ミュージック)の大スター、
マーク・アンソニー君。
音楽伝記映画というのは、
俳優は口パクで吹き替えシンガーがいるもんですが、
これは、きっと、
マーク・アンソニー自身が歌ってると思います。
格好いいですよ。
歌も抜群です。
憎いぞ。
9.英国王のスピーチ
(King's speech)
ああ、これも実話だ。
英国史上最も気弱な国王(ジョージ6世)が、
「ナチの台頭許さじ」とばかり、
ドイツに対しての宣戦布告と、
国民にむけて奮起を促す歴史的なスピーチを、
涙ぐましい努力の末、成功させるというお話。
でも、いいのかな…。
仮にも一国の王さまを、
こんなコミカル・タッチで描いたりして…。
現エリザベス女王の父上なのにねえ…。
日本だったら、
絶対許可されないでしょうね。
イギリス王室の寛容さを見たような気がします。
ちなみにこれ、
昨年(2011年)のアカデミー賞最優秀作品賞を獲得。
そこまででもないような気もしますが…。
10.スラムドッグ$ミリオネア
(Slumdog Millionaire)
1970年代の後半から80年代にかけて、
私は毎年のように仕事でアメリカに行っておりました。
その度に、驚いたのは、
日本でもヒットしているクイズ番組と全く同じ物が、
アメリカにもあることでした。
これって、日本のテレビ局が真似してたんですねえ。
そして司会役のキャラクターも、
そっくりに真似していたのです。
「クイズ100人に聞きました」の関口宏さんも、
「クイズ$ミリオネア」の、みのもんたさんも、
アメリカのそれと同じような口調、同じような間(ま)。
「なあんだ」って感じでした。
ところが、これはインドにもあったんですね!
とまあ、そんなお話。
ちなみにこれは2009年のアカデミー賞最優秀作品賞。
これは納得です。
そんなわけで、
映画の本数こそ少ない2011年でしたが、
その代わりに私を楽しませてくれたのが、
『オペラ・コレクション』(もうすぐ完結)と、
やはりD社から出た『名探偵ポワロ』シリーズ。
そして『刑事コロンボ』のDVD全巻。
みんな、ありがとう!
でも今年はまた、
映画をいっぱい観るつもりです。
パニック映画はイヤだけど…。
……。
SHUN MIYAZUMI
January 04, 2012
私の10大ニュース 2011
みなさん、
あけましておめでとうございます。
2012年が幕を開けました。

東京は今年も晴天続き。
さぞやみなさん、
穏やかなお正月を過ごされたことと思います。

それにしても、
昨年は、本当に大変な一年でした。
新しい年を、こうして健康で迎えられることを、
何よりも感謝したいと思います。

おっ、出たな。
そうか、今年は辰年なんですね。
わがジャミン・ゼブも、
昇り龍のごとく大いに活躍してもらいたいものです。

そう、辰年ね。
わかってますよ〜。
私の卯(うさぎ)年は去年終わったんですよね〜。
はい、はい…。

おい、わかってるって言ってるだろ!
くどいよ君たち!!

あ、あのね…。
……。。。
というわけで、
どうぞ本年も、変わらずのご支援、ご声援のほど、
よろしくお願い申し上げます。
みなさんにとりましても、
素晴らしい1年になりますように。

では、今年もこの話題からスタートです。
今年で早や6回目を迎えます。
私をとりまく、
なんともバカバカしい、でも心暖まる10大ニュース。
(ん…?)
2011年の私は、どんな1年だったのでしょうか。
ジャーン、早速いってみましょう。
『私の10大ニュース 2011』
1.ノロ・ウィルスの来襲(1月)
あれは1月中旬のこと。
深夜に突如私を襲った強烈な吐き気と下痢。
それはそれは、筆舌に尽くし難い苦しみでした。
聞くところによると、
これぞ、当時巷(ちまた)を騒がせていた、
ノロ・ウィルス(ロタ・ウィルス)という奴のしわざ。
もうもう、一晩中ゲーゲー、ピーピーのありさま。
(すみません、正月早々汚い話題で…。)
で、その2日後、
今度は息子が同じ症状にかかってしまいました。
真夜中、トイレでゲーゲー吐きながら、
彼は私に、こうののしったのです。
「くそー、うつしたなー。」
そう、あれは強烈な感染作用を持っているのです。
でも…、
やはり同居しているもう一人の女性…。
なぜか彼女だけは感染しませんでした。
(なぜだ…?)
2. 膝が痛いよ〜(1〜6月)
ノロ・ウィルスが去ったと思ったら、
その次に私を襲ったのが「膝痛」。
いやあ、これも大変でした。
医者へ行っても、整骨院に通っても、
一進一退を繰り返すばかり。
「普通に歩ける」ことが、
こんなに有難いこととは考えもしませんでした。
で、結局、治療に最大の効果があったのは、
「禁酒」。
だから…、
なんだかんだで、この「膝痛」は、
完治するまで半年もかかってしまいました。(…?)
(ツイストもダメよ〜。)
3. ついに地デジのテレビ買う(2月)
2月末。
ついにあきらめて、
我が家の居間にも地デジのテレビを導入しました。
(強情なY浅ショージん家(ち)は、
7月以降、テレビ無しの生活です。
ぐぁははは、この意地っ張りめ。)
それにしても、今のテレビって薄いんですねえ。
だから42型でも、ちっとも場所を取らない。
そして、きれい…。
と、そこへ、
あの大地震が起きました…。(3月11日)
我が家は3人とも外出中です。
私は真っ先にテレビのことが心配になりました。
(無事だろうか…。倒れて壊れてはいまいか…。)
私とY浅ショージは、
代々木公園から延々歩いて帰って来たのですが、
あのショージめは、
「どうしてもお宅の惨状が見たい。
特に壊れたテレビがね。ウッシッシ。」
と、わざわざ家(うち)に立ち寄ったのでした。
(性格悪いから。)
しかし、我が家は信じられないくらい、
何も被害はありませんでした。
テレビも無事でした。
そのとき、あいつは、こう呟いたのです。
「なあんだ。」
「……。」
4. 帰宅難民になる(3月)
2011年…。
どうしてもこの話題を避けては通れませんね。
3月11日…。
私たちとジャミン・ゼブは、
代々木公園の近くにあるスタジオで、
来るべき『STB 139 4Days』公演に向け、
快調にリハーサルをしておりました。
そこへ、あの大地震。
……。
都内の電車はすべて運転中止です。
仕方なく、私とショーちゃんは、
まず渋谷まで歩きバス停に行ってみる。
が、そこは、人、人、人、人、人…。
しかもバスなんて一向に来る気配もない。
あきらめて、今度は恵比寿まで歩き、
駅前で「用賀」行きのバスを待つ。
このバスは駒沢通りをまっすぐ、
家の前まで行ってくれる便利なバスです。
が、しかし、30分くらい待ったあと、
その前に満員で発車したバスが、
わすか30m先でまったく動けないのを見て、
これも断念。
今度は中目黒まで歩き、
3時間程「焼きトン屋」で一杯飲んで時間つぶす。
というか「東横線」の運転再開を待つ。
しかし、それも叶わず、
私たちは駒沢通りをテクテクと歩く。
ま、同じような人がたくさんいたので、
寂しくはありませんでした。
そして、環七の近くまで来たときに、
親友の小原さんがこの辺に住んでいるのを思い出す。
私たちは、小原さんちに駆け込んだあと、
酒をふるまってもらい、
約2時間、ここで時間をつぶす。
で、このとき私たちは、
この地震がもたらした凄まじい現状を、
初めてテレビを通して知ったのでした…。
結局我が家に着いたのは深夜の1時。
代々木を出てから、
8時間の苦難の行軍だったわけです。
(うそつけ、実質は3時間じゃないか。)
それにしても、膝が少し良い状態だったので、
助かりました…。
……。
あらためまして。
被災者のみなさまに心よりのお見舞いと、
被災地の1日も早い復興を、
心よりお祈り申し上げます。
5. 手羽先三昧(4、7、10、12月)
東日本大震災によって、
予定されていた仕事が次々とキャンセル、
または延期になってしまった2011年前半。
私たちは、
中京地区から再び活動を開始。
CMでもお世話になっている、
「クレール」さんのご協力を得て、
度重なる名古屋ライブを敢行したのでした。
そして、ここで私は、
もうひとつの名古屋名物「手羽先」を知ったのでした。
いやあ、何本食べたかなあ…。
4回の遠征で100本は食べたかなあ…。
あははは。
今年もいっぱい行きますよ〜。
もう決めたも〜ん。
(目的はそっちか…?)
はい、ここで、ちょっと休憩。
お正月ですからねえ。
うぃ〜〜っと。

では後半。
6.ピーター・フォーク死す(6月)
1970年代。
軽妙な演技で日米のお茶の間を楽しませてくれた、
刑事コロンボこと、ピーター・フォークさんが、
お亡くなりになりました。
小池朝雄さんによる吹き替えも楽しかったなあ。
「うちのカミさんがね。」
「よござんすか?」
舞台はロスなのに、なぜか江戸っ子弁だし。
あはは。
で、私、追悼の意味もあって、
Amazonにて、
「刑事コロンボ大全集」ならぬ、
現在発売中のDVDを全て購入したのです。
約50話にも及ぶ傑作ぞろい。
おまけに、すごい安かったです。
ま、この話はいずれまた。
(合掌…)
7. さらに…(10〜12月)
2011年は、
私が高校生の頃から憧れ、敬愛していた方々が、
次々とお亡くなりになりました。
北杜夫さん。
あなたの軽妙なユーモア溢れる文章が大好きでした。
立川談志さん。
あなたは先代古今亭志ん生、三遊亭円生とならぶ、
真の天才でした。
西本幸雄監督。
熱狂的な阪急ファンだった私には、
あなたの勇姿を永遠に忘れることはできません。
ああ、寂しいなあ…。
……。
(合掌…。合掌…。合掌…。)
8. ボルト、世紀のフライング(8月)
昨年、韓国テグで行われた「世界陸上」。
世界中が注目したのは、
男子100メートル決勝に出場する、
驚異的世界記録保持者、史上最強のスプリンター、
ジャマイカのボルト選手。
なにしろ、準決勝までは、
一人だけジョギング状態でしたからね。
それで軽々と10秒を切ってしまう。
真面目に走ったら、
いったいどんな記録が出るのだろう…?
どのくらい他の選手をぶっちぎるのだろう…?
そして…、
その時はやってきた。
位置について…、
用意…、
パーン!
ところが…、
「おっと、ボルトがフライングです!」
「なんと、ボルトが失格です!」
あ〜あ…。
がっかりさせてくれるよなあ、ボルト君。
そんなに慌てなくたって、
ぶっちぎりの優勝は間違いないじゃないか…。
……。
ま、若さが出ましたね。
ということで、
今年の「ロンドン五輪」に期待しましょう。
スプリンターといえば…、
名馬シンボリルドルフも亡くなりましたね。(10月)
(ん…?)
昨年、オルフェーブルが、
史上7頭目の三冠馬に輝きましたが、
私はあなたこそが “史上最強馬” と、
かたくなに信じておりますよ。
(これも合掌だ…。)
9. イチローの記録、ついに途絶える(10月)
私のアイドル、
大リーグ「シアトル・マリナーズ」のイチロー選手。
彼が2001年の渡米以来打ち立てて来た、
数々の偉大な記録がすべて途絶えてしまいました。
11年連続200本安打ならず。
11年連続3割ならず。
11年連続オールスター出場ならず。
11年連続ゴールデン・グラブ賞ならず。
あ〜あ、もったいない…。
……。
限界説もささやかれていますが、
私はそうは思いたくありません。
がんばれイチロー!
もう一度、よみがえれイチロー!
(今年は真面目に応援するからね。)
10.ジャミン、悪天候予想をことごとく覆す
かつて、
「ジャミン・ゼブのライブの日はいつも雨が降る」
「ジャミン・ゼブには雨男がいる」
と、よく言われたものでした。
しかし、
2011年のジャミンは、
そんな悪天候予想を、
ことごとく覆(くつがえ)したのです。
圧巻は、9月のファンミでした。
前々日まで、
台風は関東直撃の予想。
今度ばかりは私もショーちゃんも諦めかけました。
しかし…、
前日になると…、
台風は大きく左に旋回。
四国から中国地方に向けてその進路を変え、
当日の東京はピーカンという奇跡まで起きたのです。
(四国、中国地方のみなさん、ごめんなさい…。)
さあ、お天気までも味方し始めたジャミン。
今年も大いに活躍したいと思います。
なにしろ昨年は、
半分しか活動できませんでしたからね。
1年間フルに活躍できますように…。
ささやかながら今年の私の願いです。
行け〜〜〜! ジャミンガーZ!!
というわけで、
2012年のはじまり、はじまり〜。
最後は、いつものあいつの登場です。

昨年、この「招き猫」ちゃんの名前を募集しました。
おかげさまで、
数名の方から応募がありました。
で、熟慮に熟慮を重ねた結果、
ここに名前が決定しました。
「宮ちゃん」です。
おい、今年も頼むぞ、宮ちゃん!
ではでは、改めまして、
「謹賀新年」。
今年もよろしくお願い申し上げま〜すにゃ〜。
(ん…?)
SHUN MIYAZUMI