「完全成功報酬制」とか「損はさせない保証」とか

「完全成功報酬」とは

  最近は「完全成功報酬」をうたう法律事務所のHP等をよく見るし、そういう事務所の弁護士を相手にした事件も何度かあった。

 ここで「完全成功報酬」というのは、金銭を得られるなどの「成功」という結果がでたときにのみ弁護士への報酬が発生し、結果が出なければ依頼者の負担はない、という費用体系を指す(内容証明郵便代とか裁判所への手数料など、弁護士への報酬以外の費用負担はあることが多い)。

 つまり、最初に依頼者にかかる費用負担が極めて小さいし、結果が出なければ実費以外の費用負担がないことになる。その限りで「お得」といえるし、結果が出るかどうか分からないのに費用を負担したくないという発想の人は世に少なくないので、それなりにニーズに応じたものともいえる。

 

この「完全成功報酬制」は、かつては否定的に捉えられていた。それは、「弁護士が訴訟の勝敗にとらわれやすくなったり、訴訟の投機化を招きかねない等、弁護士の独立性を揺るがせて冷静な把握と判断が害され、職務の公正さを疑われる結果を招きかねず、濫訴を助長することにもなりかねないので好ましくないという見解が一般的であった」ということらしい(弁護士職務基本規程解説第3版70-71頁)。つまり、結果が出なければお金にならない弁護士にとって、過度に訴訟の勝利に固執して、不正や不当な行為に及びかねない、などという懸念である。

 アメリ成功報酬制曹協会の法律家職務規範規則で、離婚事件と刑事事件で成功報酬制を禁じているのも同様の発想であろう。

 

 では、そういう問題は生じているか。

 結論から言えば、弁護士目線で言えば、これらの完全成功報酬制は、(1)依頼できる分野が限定されている、(2)普通に依頼するよりも高額な報酬になることもある、(3)訴訟まで進めづらい報酬体系になっており「ほどほど」又は低水準の解決で処理されるおそれもある、というデメリットないしリスクがある。

 以下、順番に述べよう。

 

採算の合う分野に限られている

 まず、「完全成功報酬」を採っている弁護士であっても、すべての事件で「完全成功報酬」を採っていることはまずない。

 ネットをみた限りでは、およそ、以下の分野でよく完全成功報酬制を見かける。(かつては過払金請求もよく見たが、今は下火なので省略)

・不倫の慰謝料請求

・残業代請求

・解雇された場合の請求

・交通事故の損害賠償請求

・相続事件(これはそこまで見かけないが時々見る)

 

 いずれの事件の共通点としても、

・お金を請求する側であること

・一定の金銭回収は見込めるケースが多いこと(特に交通事故)

・比較的定型処理も可能であること

・比較的短期間の解決も見込めること

 という点が挙げられる。

 交通事故(人身)で加害者が任意保険に入ってる場合が典型だが、弁護士の力量にかかわらず一定額の金銭回収は保証されているといっていい。

 もちろん、これらの事件でも、不倫事件で不倫相手に収入も財産もないケースなど、回収が見込みづらいケースは個別には存在する。そういうケースでは、依頼を断るか、少なくとも労力をかけない範囲で対応するなどしているのだろう。

 つまり、どんな事件でも完全成功報酬制で依頼できるわけではない、ということである。

 

普通に依頼するよりも高額な報酬になることもある

 もっとも、完全成功報酬制を採ってくれる事件に該当する依頼者にしてみれば、他の事件で完全成功報酬制でなくても関係ない。

 次の問題点は、普通に依頼するよりも高額な報酬になることもある、という点だ。

 完全成功報酬制の場合、成功したときの報酬は、普通に着手金と報酬を払うよりも高くなると思っていい。

 たとえば、完全成功報酬制を採るある事務所の残業代請求事件で労働審判・訴訟の場合、報酬は経済的利益の30%となっている。つまり、残業代を300万円回収できた場合の報酬は90万円となる。

 これに対して、多くの弁護士が用いる日弁連旧報酬基準なら、300万円の場合の着手金・報酬金は計24%なので、72万円となる。

 

 このように、結果が出た場合の報酬自体は、普通に依頼するよりも高くなることが多いと思っていい。

 もっとも、これは、弁護士からすれば「ただ働き」のリスクを背負っているのだから当然といえば当然ではある。

 依頼者にとっても、「結果が出ないときに費用を負担するコスト」を回避しているのだから、結果が出た場合の実入りがその分減るのもやむを得ないともいえる。

 

仕事の質に影響するおそれがある

 やはり、最大の問題は、完全成功報酬制で依頼した場合の仕事の質だろう。

 結論から言うと、()スピード重視で仕事を終わらせようとすることもある、()きちんと訴訟まで争ってくれない、又は争いづらいことが多い、といった問題があるようにうかがわれる。

 弁護士にとってみれば、完全成功報酬なのだから、とにかく仕事が終わらないと1円も入らない。勢い、きっちり争えば100万円くらい回収が見込めても、50万円も回収できればいい、といった発想になるのが必然である。

 

 しかも、こうした完全成功報酬制を採用している事務所では、「最低報酬」とか「固定報酬」を設定していることも珍しくない。

 たとえば、成功報酬は経済的利益の25%としつつ、回収額が80万円未満でも、「最低報酬金」として20万円の報酬になる、といった具合に。こういう報酬体系のもとでどういう仕事になるか、少し想像すれば容易に分かる。

 裁判で争えば100万円の回収が見込めるケースで、請求された相手が「50万円なら今すぐ支払う」と答えてきた場合。弁護士にとっては、50万円でも最低報酬の20万円になり、100万円回収しても25万円で5万円しか増えない。となると、あれこれがんばるより、50万円で応じて済ませたいと考えるのは必然である。

たしかに、ほぼ確実に100万円の回収が見込めても早期解決のために8090万円程度に譲歩することはあり得るが、50万円までというのは譲歩しすぎである。しかし、こうした報酬体系では、さっさと譲歩するほうが弁護士にとっては合理的というほかない。

 

しかも、完全成功報酬制を採っている事務所の費用体系では、「交渉なら報酬は経済的利益の25%、訴訟なら30%」とか、「訴訟になった場合、着手金は不要だが、1回3万円の日当は負担」などと、訴訟にするには、その分弁護士費用も増えるようになっている(労力が増えるので、それ自体は間違いとは言えないが)。

そうなると、弁護士は依頼者に対してこう説明することもできる。「たしかに、相手の提示額は十分とは言えません。訴訟にすればもっと上がる可能性はあります。しかし、訴訟が長引けばその分費用もかかりますし、得られた利益に対する報酬も増えるので、結果的に手元に残るお金としては大きな違いはないことも考えられます。」

こう説明されれば、提示額で応じてしまう依頼者も多いだろう。

 実際、完全成功報酬制を採っている弁護士を相手にしたとき、ごくあっさり低水準で応じてきたので拍子抜けしたものである。

 

 このように、この報酬体系の最大の問題は、依頼者の利益を損なって低水準の解決を招きかねない、という点ではないかと思う。先に述べた、かつて完全成功報酬制が否定的に捉えられていた理由である、過度に訴訟の勝利に固執して不正や不当な行為に及ぶといった事態は全くなく、皮肉なことに、いたってビジネスライクに仕事を処理している感もある。

 

どういう点に注意して手抜きを回避するか

 もとより、完全成功報酬制やそれに類する報酬体系を採る弁護士の全てがおざなりな仕事をしているわけでもない。

前述した問題点を理解すれば、おざなりな仕事をしそうな弁護士を回避する注意点もある程度浮かび上がってくる。

 

 注意すべき点としては、「訴訟を避けようとしないか」「訴訟まで進めて、判決までいった経験があるか。どれくらいあるか。」といったところだ。

 先に述べたように、弁護士にとって、さっさと処理して報酬を得ようと考えると、訴訟というのは時間も労力もかかり、妨げになる。実際、完全成功報酬制の事務所のホームページで掲げられている「解決事例」を見ても、裁判まで、更には判決まで行って解決した事例は非常に乏しいこともある。

 しかし、依頼者によっては、裁判を行ってでもきっちり本来の権利を実現したいと考える人もいるだろう。また、最終的には交渉で解決するとしても、最初から裁判を回避しようと考えると、どうしても妥協的な姿勢になり、相手にも足元を見られ、交渉による解決の水準も低くなる。たとえ依頼した事件自体は裁判までしなくていいと思っていても、弁護士が最初から裁判を回避しようとするようでは、よい結果にならないことも少なくない。

 したがって、場合によっては裁判まで行いたいと述べたときの反応を見たり、あるいは、裁判の取り扱い経験などを率直に尋ねてみたらいい。

 もちろん裁判は依頼者にとってもそれなりの負担ではあるので、そういうことは弁護士も率直に告げるだろうが、明らかに裁判までするのを嫌がるような反応なら考えたほうがいい。場合によっては、交渉だけ依頼した上で、芳しくないと思ったら、どうせ着手金は払っていないのだから、解任してしまうのも1つの対応である。

 

 以上のとおり、完全成功報酬制を完全否定する気はないが、着手金がかからないというメリットだけではなくデメリットとリスクもよく注意したほうがいい。

契約の範囲外のことは義務ではない

 3年近くも前の記事から開いてしまった。

 この間も過去のブログで書いた認識を改めなければならない出来事は、残念ながら、一切なかった。引き続き、気の向いたときに思いつきを書くことにする。

 さて、依頼をされた事件をしていると、その過程で、本来依頼された範囲外のことを頼まれるのは、弁護士にとってよくあることである。国選弁護事件で、一人暮らしの被疑者・被告人から、「家にいる犬の餌やり」を頼まれるなんていうのは、その典型と言っていい(現実にそういうことを頼まれるのは多くないと思うが、よく言われる例である。)。ほかにも、あくまで「離婚請求事件」の依頼を受けただけなのに毎度の面会交流の日時調整に関わったり、荷物の引き取りに関する調整に関わらされたり、というのはよくあるケースである。

 では、弁護士としてそういったことを引き受ける義務があるかといえば、もちろん、ない。
 以前にも述べた通り、弁護士と依頼者の委任契約では、依頼者が弁護士に委任する業務の範囲は「示談折衝」とか「訴訟」とか「調停」とかになる。そのため、契約上、弁護士(受任者)のなすべき業務も、あくまでその範囲内のことについての対応に限られてくる。
 したがって、弁護士としても、あれこれの要求に付き合いきれないと思えば、範囲外のことについての要求は「それは依頼された業務の範囲外」だと言って断っていい。現実に断ることもある。

 もっとも、範囲外のことについての要求を完全に断る弁護士は稀だと思う。なんとなれば、その方が依頼者の満足につながり、良好な関係を築くことができるからである。これまた以前も述べたように、依頼者と良好な関係を築くことは、弁護士にとっては、事件が終わった後も、次の仕事を依頼されるとか他の客を紹介されるなどの良い結果につながり得る。
 したがって、当該依頼者と良好な関係を築く意味がないケースであれば、委任範囲外の要求に応じることに前向きにならないのは当然である。依頼した弁護士が頼み事に応じてくれないなら、そもそもそれが契約の範囲内かどうか、そして、自分が弁護士にとって今後も見返りを与えることができるだけの価値があるか、よく考えてみることだ。

決断できない人たち

 和解交渉で様々な条件を調整するにしても、あるいは、訴訟で和解に応じず判決まで進むことを選択するにしても、さらには判決後に控訴するかどうか選択するにしても、すべては「あり得た他の選択肢」を排除して1つの結論を下すしかない。弁護士に依頼して事件を進めていくのは、依頼者にとっては、こうした決断の積み重ねでもある。
 そして、決断した結果がよかったかどうかは、軽々しく言えることではない。和解すれば50の結果が得られた事件で、100の結果を求めて判決になった結果として全面敗訴した場合ですらそうである。第三者的にみれば「和解した方がよかった」と思えるだろう(当事者もそう思うことが少なくないだろう)が、仮に和解した場合には、「判決なら100の結果が得られたかも知れない」と思い、納得いかないモヤモヤした気持ちを抱えながら過ごしていくことになり、そのストレスによるマイナスの方が大きいかも知れない(金銭的なプラスマイナスと精神的なプラスマイナスの比較は無理なことではあるが、裁判の世界では、精神的苦痛も慰謝料として金銭に換算するのだから、思考の便宜上比較してもいいだろう。)。

 その意味では、いかなる選択をすればいいのかには、「正解」など存在しないことも少なくない。そうである以上、とにかくどこかで何らかの決断をするしかない。
 しかし、こうした決断がなかなかできない人もいる。和解交渉において、とりあえず相手に提示する条件を決めるだけであれこれ悩み、その先も、和解条件の些細な文言にこだわったり、「交渉を続けるかどうか」すら決められなかったり、あるいは、既に進めてきた協議の前提をひっくり返すようなことを言い出したり、いつまでも何も決められない人というのは、しばしば存在する。
 こういう人たちは、どこかに絶対的な「正解」にたどり着ける方法があると考えているように見える。第三者的に見ても「どっちでも大差ない」あるいは「どっちがいいかなんて、分かるわけがない」ことを決断できずに、数日か数週間考えてからでないと決定してくれない(あるいは、それでも決定してくれない。)。もちろん、「どっちがいいかなんて、分かるわけがない」といっても、重大な選択であれば悩んでしまうのはある程度やむを得ない。しかし、これが「どっちでも大差ない」ことであれば、どっちでもいいからさっさと決めてくれ、というのが受任した弁護士の本音だ。

 こういう人たちを見ていて思うのは、決定を先送りにするのは「決定しない」という選択をしていることであり、その間に失われる時間等の損失があることが分かっていない、ということだ。
 たとえば、離婚事件では、細々した条件にこだわるなどで争いを続けるよりも、さっさと離婚して新しい人生を歩んだ方が本人にとってもはるかにマシではないかと思うことも多い。特に、若い人であれば、早く解決させないことで若さも失われて、よい再婚の機会を逃すことにすらなりかねない(もっとも、再婚が手遅れ又は困難と見込まれる状態であれば、たとえば、主婦である妻側にとっては婚姻費用を支払わせ続けるために長引かせる方が合理的ということもある。)。
 あるいは、十年以上もかけて相続争いをしているような人を見ると、争っているうちに自分が相続する側にまわってしまうのではないだろうかと思う。「あの世にお金を持って行けるわけではないですよ」と言いたくなる。
 概して、「決断できない人」は、このような時間を消費するコストを意識していない。人生は一度しかないし、個人差はあるにしても有限の貴重な時間を費やしていることは変わらないはずだが、この種の人たちは時間があっても大して有益に使っていないのだろう。しかし、弁護士にとっては仕事として費やす有限の時間を割かれるのだから、不毛な悩みに付き合わされるのは精神的のみならず経済的にも損失である。
 したがって、相談段階でこういう人だと思えば、弁護士費用を高めに設定するか依頼を断ることもある。

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