2009年09月24日

写真展『da.gasita2009』開催記念トークショー 

ギャラリー―冬青 2009年7月17日 

タカザワケンジ×渡部さとる

da.gasita2009 website

関連インタビュー 
Days Photo Press」渡部さとるインタビュー



★『ザ・ファミリー・オブ・チルドレン』

渡部■今回の写真展の内容については、「Days Photo Press」に浦井美弥さんがとてもいいインタビュー記事を書いてくださったので、今回はいまの写真の現状について、僕の写真とからめつつ話をしたいと思います。

タカザワ■渡部さんにはこれまで何度かインタビューさせていただいているんですが、今日は渡部さんの写真家としての歩みと80年代以降の写真の流れを重ね合わせつつ話を進めていきたいと思っています。まず、渡部さんが写真を始めた頃に影響を受けた写真について聞かせてください。

渡部■最初はカメラに興味があって、撮りはじめてから写真に興味を持つようになりました。高校の図書館に写真に関する本はないかと思って探したら、『ザ・ファミリー・オブ・チルドレン』という写真集があったんです。「ファミリー・オブ・マン」から子供の写真を抜粋した写真集だったんですが、期日が来ると返してまた借りて、とほとんど自分のもののようにして見ていました。当時は写真家の名前も知らないし、英語版だったのでキャプションも読みもしなかったけど、写真はすごくよかった。

タカザワ■「ファミリー・オブ・マン(The Family of Man)」は1950年代の半ばにニューヨーク近代美術館の写真部長だったエドワード・スタイケンが世界中から集めた写真で構成した写真展ですね。世界各国を巡回して大勢の観客を集め、写真集はベストセラーになりました。いま、写真集を見ると、タイトルの通り、ヒューマニズムにあふれていて、「LIFE」などの雑誌が人気を集めていた、フォトジャーナリズム全盛期を彷彿とさせますね。

渡部■初めて「これが写真なんだ」と感じさせてくれたのが『ザ・ファミリー・オブ・チルドレン』でした。週刊誌やカレンダーに使われている写真とは違う「写真」があることを教えてくれた、僕にとっての写真の原体験ですね。『ザ・ファミリー・オブ・チルドレン』を見なかったら写真家になろうとは思わなかったくらい刺激を受けました。50年代の写真ですから、同時代の70年代より前の50年代の写真なんですが。

タカザワ■渡部さんが生まれるよりも10年近く前の写真ですね。渡部さんの写真について考えるうえで、その原体験は大きいと思いますね。最初に写真の歴史の王道に接していた。それもフォトジャーナリズムだということに注目しておきたいですね。

★広告写真の時代とニューカラー

渡部■ところが、大学(日本大学芸術学部写真学科)に入ると、『ザ・ファミリー・オブ・チルドレン』が好きだというと「古い」と否定されるわけです。コンポラさえ古いと言われていた。

タカザワ■入学は何年ですか?

渡部■1980年ですね。

タカザワ■じゃあ、1970年代に流行ったコンポラ写真の盛り上がりも終わっていましたね。その頃、人気があったのはどんな写真家だったんですか?

渡部■日本人では藤原新也。それから、海外の写真家では西海岸からニューカラーの波が来た。それまでの写真は決定的瞬間を小型カメラで捉えるモノクロ写真こそが写真だという考え方が主流だったけど、ニューカラーは茫洋とした風景を大型カメラで撮って、しかもカラー写真。P.G.I.(Photo Gallery International)で展示が開かれたんです。

タカザワ■P.G.I.は日本において写真作品の販売を行うギャラリーの草分けですね。とくにアメリカ写真を日本に紹介してきたから、ニューカラーの展示をやったことは自然な流れだったんでしょう。渡部さんはP.G.I.はその展示を見に行ったんですか?

渡部■行きました。というか、行かされた。大学で先生から見に行け、と言われて。

タカザワ■ニューカラーが日本に上陸したときのことをリアルタイムで体験しているんですね。

渡部■でも、当時はその良さがぜんぜんわからなかった。ジョエル・マイロウィッツの野球グラウンドの写真を見ても、「ヘンな色の写真」くらいの認識しかなかったですよ。「日本で8×10伸ばせるカラーの引き伸ばし機なんてあるのかな」と思うレベルです。

タカザワ■日本ではニューカラーは一般的な知名度を得られませんでしたよね。

渡部■ところが、僕よりも一世代下は影響を受けているんです。

タカザワ■その影響のされ方もそれまでの写真のトレンドとはだいぶ大きなタイムラグがありますよね。
 今日、たまたま、ホンマタカシさんと打ち合わせをしていて、ニューカラーの話が出たんです。ホンマさんは最近『たのしい写真』という写真入門書を出して、ニューカラーについても詳しく書いています。今日、話に出たのは「なぜ、日本ではニューカラーが一般化しなかったのか」という謎です。
 結論だけ言うと、「日本ではニューカラーは広告写真に吸収されたんじゃないか」という仮説に落ち着いたんです。
 ホンマさんは90年代に日本人が「ニューカラー」という言葉を知るきっかけになった写真家だと思うんですけど、渡部さんよりも少し年齢が下で、P.G.I.のニューカラー展には遭遇していない。それより何より、そもそもニューカラーがアメリカで流行していたのは70年代だから、90年代までニューカラーが認識されなかったということは、80年代がまるまる空いてしまっているということになる。ホンマさん自身がどこでニューカラーの写真と出会ったかというと、広告制作会社で参考資料としてマイロウィッツの写真集を複写していたりしたそうなんです。

渡部■その写真をプレゼン資料にして、広告を作っていたんでしょうね。

タカザワ■そうなんです。なるほど、たしかに80年代の広告写真にはニューカラーっぽい写真がたくさんありましたよね。たぶん、日本ではニューカラー=広告写真というイメージが広がって、「写真作家」系の人たちは引いちゃったと思うんですよ。ニューカラー的な写真を撮ったら「広告写真みたい」と言われちゃうわけだから(笑)。それで、80年代の写真家たちはニューカラーをスルーした。そして、広告写真を経由して出てきた90年代作家にニューカラー的な表現が現れてきたんじゃないかという結論になったんです。

渡部■たしかに80年代は広告写真の全盛期でしたね。糸井重里の「おいしい生活」という西武百貨店のコピーが一斉を風靡して、広告で世の中のライフスタイルを変えられると若者たちが思ったし、広告写真は自由な表現ができると同時にお金にもなると思われていた。表現とビジネスの融合が可能だという──いま考えれば幻想に近いけど──少なくとも1985年から90年にかけてはそう思わせるくらい広告表現に力があった。

タカザワ■先ほど名前が出た藤原新也さんも、PARCOで広告写真を撮っていましたからね。しかも、藤原さんに写真を依頼してきたアート・ディレクターは石岡瑛子ですから、錚々たる人たちが広告を作っていた。結局、藤原さんは「FOCUS」に連載していた「東京漂流」でサントリーの広告のパロディを作って連載中止に追い込まれ、その顛末を含めた単行本『東京漂流』がベストセラーになるという変遷は経て「アンチ広告」というスタンスを明確にするわけですけど、少なくとも、藤原新也のようなタイプの人でさえ、一時は巻き込きこんでしまう力が当時の広告にはあったということですね。

★新聞社カメラマンからフリーへ

渡部■日芸(日大芸術学部)でも優秀な人材はみんな広告業界に行ったんですよ。成績が悪いほうになると新聞や雑誌のジャーナリズムへ行くんです(笑)。いまだから言えるけど、僕が入った新聞社には、その年、日芸から受験しに行ったのは僕以外にいなかった。日芸の代表ですから、試験も当然有利ですよね。

タカザワ■それは面白い話ですね。でも、渡部さんが「ファミリー・オブ・チルドレン」に影響を受けて写真を始めたということを考えると、時代遅れと言われたかもしれないけど、ジャーナリズムのほうへ進んだのは必然的だったんじゃないですか。ジャーナリズムへのあこがれは当然、ありましたよね。

渡部■あこがれはありましたね。大学のときに広告カメラマンのアシスタントをやったこともあったんですが、一週間で逃げちゃいました。「これは俺には無理だ」って。

タカザワ■逃げた理由は?

渡部■厳しい、理不尽。それに、「こんな写真撮っていて面白いのかなあ」と思った。就職するときに、まず考えたのは雑誌社の社員カメラマンでした。

タカザワ■自由に撮れそうだってことですね。スタジオよりはロケだし、カメラマンのクレジットも大きいし。

渡部■そう。でも、雑誌はフリーカメラマンを使うことが多くて、社員カメラマンは不定期採用しかしていない。
 それで、新聞社がいいかな、と。それも、朝日、読売には当然、優秀なやつが行きますから、スポーツ新聞は穴場だな、と(笑)。しかもスポーツ新聞のほうが写真が大きいし、楽しそうだ。スポーツを撮るのも好きだったから、これはいい、と思ったんです。ものすごい間違いでしたけど。

タカザワ■入社して厳しい現実を知るわけですね。

渡部■思い知りました(笑)

タカザワ■カルティエ=ブレッソンなんかも、いまは美術館で展示されるような芸術写真家という扱いですけど、撮影していた当時は、フォトジャーナリストとして世界各地へ行って撮影する「仕事」がほとんどですよね。そこで撮った写真が世界中に配信された。でも、カルティエ=ブレッソンらが活躍した写真週刊誌の「LIFE」が休刊したのが1972年ですから、報道と写真の幸福な関係はとうの昔に終わっていた。

渡部■とくに新聞写真の場合、1枚の写真ですべてをすまさなくてはいけないというジレンマはあったし、1日勝負なので、褒められるのも1日、怒られるのも1日。そういうほうが好きな人にはいいと思いますけど、その頃の僕は物足りなさを感じていた。それに、世の中の流れが広告写真全盛になっているのを横目で見ていると、このままでいいのかと思うようになってくる。とくに入社三年目くらいになると、大学の同期の中から雑誌や広告で活躍するの写真家が出てくるんだけど、すごくショックだったのが、彼らがやっていることが理解できなかったこと。なんでこういう写真が撮れるんだろって。

タカザワ■たとえばどんな人のどんな写真ですか?

渡部■大学の同期だった豊浦正明っていうヌードやボンテージを撮る写真家がいるんですけど、大学時代から才能あふれていて、就職はしないでフリーですぐにデビューした。どうやって撮ったのか、なぜ撮ったのかがわからないような写真で、でも魅力がある。このままでは時代に乗り遅れてしまうような気がしましたね。

タカザワ■新聞の写真は決まった形式にのっとって撮られているけど、雑誌や広告では実験的な写真表現が行われていた。

渡部■そうです。入社して三年経った時点で、この繰り返しがこの先30年続くんだってことがはっきりとわかった。だから、会社を辞めるときの迷いは一切なかったですね。

★フリーカメラマンの日々

タカザワ■フリーになってすぐに仕事は来たんですか?

渡部■スキルがまったくない状態でフリーになったわりにはうまくいきましたね。日芸の4年間で勉強したことはほとんど役に立たなかったし、新聞社で3年間の経験は積んだけど、それは現場の経験や、動くものを撮る経験。雑誌や広告の写真とは違うスキルなんです。最初の頃は「動くものが撮れます」と言って売り込みに行っていました。当時はオートフォーカス一眼レフが実用までいっていなかったので、意外と仕事が取れたんです。

タカザワ■若いし、動けるし。

渡部■景気も良かったんで、最初はカーレースやスキーチームのオフィシャルカメラマンの仕事をしたりしていました。35ミリフィルム1本を1万円で何本でも買ってくれるんですよ。

タカザワ■撮影したフィルム単位で買ってくれるんですか?

渡部■発表する権利を含めてすべて買い取りだから。1日15本撮ろうと決めて、3日で45本。いまでは考えられないけど、当時はそういう仕事が成立していた。ピンボケが多かったんで、フィルム1本のうち、使えるのは2〜3カットだと思うけど、それでも買ってくれた。たいへんありがたかった(笑)。

タカザワ■渡部さんはその後、ロケだけじゃなくて、ポートレートやスタジオ撮影の仕事のほうへとシフトしていきますよね。撮影技術を習得するのも大変だったんじゃないですか? 前にお話をうかがったときに、ポスターに写った人の瞳に写ったストロボセットを見てライティングを研究したって聞きましたけど。

渡部■景気がいいから、駆け出しにもスタジオの仕事も回ってくるんですよ。いまみたいにライティングの本は出ていなかったし、現場は秘密主義。僕は師匠もいなかったので、独習するしかなかった。ラフらしきものをスタジオマンと見ながら、こんな感じ、で撮っていました。

タカザワ■何も知らないのに。度胸がありますね(笑)。

渡部■そういう意味では、度胸はいいですね。でも、現像があがるまで眠れませんでしたよ。いちばん嫌だったのが、金曜に現像に出して、土日をはさんで月曜上がり。胃がムカムカして、眠れませんでした。大きな仕事のときは、現像所にテスト現像を出して、上がるまでの2時間、現像所の前をうろうろしていたこともありましたね。いまは、ラクにはなりましたけど、その代わり、そんなにお金にならない商売になってしまった。


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写真展『da.gasita2009』開催記念トークショー その2

★90年代の雑誌のなかの写真

タカザワ■その当時は、自分でこういう写真を撮りたいと思っていたんですか? 最初の写真集は2000年に刊行した『午後の最後の日射―アジアの島へ』ですよね。

渡部■二十代の頃に、ポートレートを専門にやっていこうと自分で決めて、ポートレートの写真展を二回開いたんです。だけど、お金を使って開いて、でも、大きな反響があるわけでもない。写真展ショックみたいな状態になっちゃったんです。
 そんなとき、たまたま、何回か行ったことのあるバリ島に行ってみようと思って。前に行ったときに、『午後の最後の日射』の表紙になった、三人の子供が寄り添う写真が一枚撮れていたんですよ。だから、もういっぺん、撮りに行ってみよう。そうしたら、またいい写真が撮れてしまった(笑)
 80年代中盤から後半にかけてののんびりとしたバリが好きだったんですが、90年代に入ってJALが就航してからは観光地化して以前とはまるで違う島になってしまった。でも、もしかしたら、あの頃のバリのような島がまだどこかにあるかもしれない。そんなことを思いながら南の島を旅して撮影するようになったんです。

タカザワ■写真によって、「あの頃のバリ」を見つけて、表現しようとしたんですね。

渡部■7年間に、年1〜2回のペースでずーっと続けて南の島を旅して写真を撮って、誰に見せるでもなく、プリントだけがたまっていった。だけど、あるとき、これはまとめなくてはいけないという思いが沸いてきて、写真集を作ったんです。

タカザワ■ポートレート写真の写真展だったら、有名人を被写体に入れれば、仕事にも結びつきそうですけど、『午後の最後の日射』はそういう営業的なこととは無関係ですよね。

渡部■南の島をモノクロで、誰から要望されたわけでもない写真を撮っている自分はいったい何だろう? とは思っていました。ふつう、カラーで撮れば、それを雑誌に売り込んだりってこともできますけど。

タカザワ■職業的な営業とは無関係な欲求ってことですよね。作品を作りたいっていう。

渡部■モノクロがやりたい、という気持ちがすごく強かったんです。

タカザワ■仕事はカラーですよね。

渡部■無理やり仕事の半分近くをカラーページなのにモノクロでやっていましたけどね。

タカザワ■雑誌のカラーページで4色分解のモノクロ写真をよく見かけた最後くらいじゃないですか? 90年代に一時期流行りましたよね。

渡部■流行った最初からやっていました。ファッション誌から始まって、一般誌でもいけそうだなと思って。

タカザワ■文藝春秋のスポーツ誌「Number」なんかでも4色分解のモノクロ写真をどんどん載せていたし、「Number」は作家性の強い若手写真家をたくさん起用していましたね。渡部さんも撮影していましたよね。

渡部■当時はポートレートを撮っている若いカメラマンの登竜門的な雑誌でしたね。

タカザワ■雑誌と写真が幸福な関係にあった最後の時代で、一般誌でも冒険的な写真を載せて、読者もそこから写真に興味を持つという入り口にもなっていた。

渡部■無理が利いた時代でしたね。許してもらえた。ギャラよりも経費がかからなければいいよ、くらいの感覚で、コストをあまり考えずに写真が撮れた。楽しかったですね。

★写真集『午後の最後の日射』

タカザワ■かつて写真集の刊行もやっていたmoleというギャラリーがあったんですが、渡部さんはそのmoleから『午後の最後の日射―アジアの島へ』を出しているんですよね。moleはほかに、田村彰英さんや金村修さん、豊原康久さんなどの写真集を出していて、そのなかでは渡部さんはちょっと異質ですよね。

渡部■そうですね。moleはよく知らなかったんです。

タカザワ■なぜ異質かというと、moleの前身のFROGからの刊行物を遡っていくと、大辻清司さんの教え子(高梨豊、島尾伸三ら)と、東京綜合写真専門学校(田村彰英、金村修ら)と、東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ・尾仲浩二、豊原康久ら)、大阪写真専門学校(現・大阪ビジュアルアーツ)という大まかな系譜があって、とくに大辻さんが名付け親になったコンポラの流れを汲んでいる人が多い。実際、moleは『大辻清司の仕事 1946-1999』を出しているし。でも、渡部さんはどの流れにも位置づけられないですよね。渡部さんの大学の先輩の田中長徳さんもmoleから一冊出してますけど、田中さんもまた田村彰英さんたちと同世代でコンポラ作家だったわけで。moleを主宰していた津田基さんが渡部さんの写真のなかにコンポラ的なものを見つけたんじゃないかなというのが僕の勝手な解釈なんですけど。

渡部■moleは自費で写真作家の作品集を世に問う、という場所だったわけです。僕が写真集を出したいと思ったときに、まだものごとをよく知りませんから、仕事をしている出版社に持ち込むわけですよ。でも、けんもほろろ。

タカザワ■その状況は昔も今も変わりませんね。無名の写真作家の写真集は売れないというのが出版界の常識だから。

渡部■編集レベルでOKでも販売会議でダメになるとか。当然ですよね。じゃあ、自分で出そうと。『写真家になる!2 』(CWSレクチャーブックス)とかいう本に、moleのことが書いてあったんです。それまでもmoleには写真展を見に行ったことは何回かあったんですけどね。

タカザワ■ロバート・フランクの展示をやっていましたよね。

渡部■見に行きました。小さいギャラリーだけど、写真集も出版しているんだ、って初めて知った。moleは津田さんという人がやっていたんだけど、自費だけど、自分は一年間に数冊しか写真集は出さない。それを5年かけて売る、とその本のなかで答えていて、「じゃあ、自分もそこで出してもらおう」。それで出して、でも、そのあとすぐにmoleがつぶれちゃって。

タカザワ■でも、在庫を引き取ることができて、その後、渡部さんはWEBなどを通じて完売しましたよね。そういう経験も含めて、たぶん、moleで初めて、渡部さんは写真作家という存在を知ったと言ってもいいんじゃないですか?

渡部■そうですね。目覚めでした。それまでは、90年代の写真集バブルの時期にいろんな人たちが写真集を出したんだけど、それとは違うジャンルがあるということが初めて判った。口当たりのいい写真集がいっぱい出ていて、自分の写真はそういうものとは違うなと思っていたところにmoleがあった。

★カメラや写真について書くこと

タカザワ■僕が渡部さんと知り合ったのも、『午後の最後の日射』がきっかけでした。僕はその頃、「季刊クラシックカメラ」という雑誌の編集に関わっていて、その編集部宛に、渡部さんが写真集を献本してくれた。僕はちょうど『使うローライ』という単行本を作っていて、渡部さんに取材を申し込んだんです。そのときは、カメラマンとして活躍するかたわら、初めての写真集を出した人という感じでしたけど、その後、WEBサイトを始めてコラムを書き始めたことがきっかけで『旅するカメラ』三部作をお書きになったり、2Bという写真ワークショップを始めたりと、どんどん作家活動のほうへとシフトしていった。いまでも、依頼されて撮影する仕事をされていますけど、比重としてはずいぶん作家方向へ重くなっていますね。

渡部■不思議ですね、自分でも。冬青社の高橋社長が面白いことを言っていて、人間には二つのタイプがある。一つは頂上を決めて、山を登るタイプで、もう一つは暗い穴に飛び込むタイプだと(笑)。僕は飛び込んでみようと思うタイプ。

タカザワ■渡部さんのジャーナリストとしての側面も重要だと思います。アルル写真フェスティバルやパリフォトに作品や写真集を持って行って、写真家の立場からレポートしている。僕も同じように写真をめぐるジャーナリズムの仕事をしているので、渡部さんのレポートは写真家ならではの視点があって面白いと思います。

渡部■自分のテクニックを含めて、得た情報のすべてをオープンにするというのが基本的な考え方。隠さない。

タカザワ■今回のトークショーでは、米沢で撮影中の渡部さんを追ったドキュメンタリー(監督:漂流者)まで上映していますからね(笑)。
 今回の展示の話にも少し触れておきたいんですが、米沢を撮ったシリーズを展示するのは今回で3回目ですね。前回のときにもインタビューさせていただいて、今回の展覧会を見て思ったことを少し話したいと思います。前回の展覧会では、渡部さんが写真作家として、自分の故郷を撮った作品をその作品歴のなかに入れておこうという意識があったと思うのですが、今回は、そういう意識を乗り越えたところで自由に撮っている感じがしました。

渡部■今回は一度モノクロ35ミリで撮ってみて、その後、もう一度カラーでも撮って、それもやめようということになって、最終的にモノクロの6×6(ローライ)で撮ったものです。撮影の時に決めていたのは、今回だけではないですが、作品では取材はしない。リサーチをして、ここでこう撮ろうとプランを立てることはしないということです。米沢に関していえば、自分が生まれ育った場所なので、確実に自分のなかに米沢があるから、とくにそういうことは必要なかった。

タカザワ■リサーチして、米沢というところはこういうところですよ、と写真で説明するのはやめようということですね。それはやっぱり、新聞社にいて取材写真を撮っていた反動もありますか?

渡部■それは大きいと思いますね。雑誌の場合だったら、こういうページ構成でこういう写真を撮って、というプランがあって海外にロケに行ったりするんですけど、そういうことは自分の作品ではしたくない。

タカザワ■なるほど。それって、逆に言えば、メディアでの写真の扱い方が予定調和的になりがちだということへのアンチテーゼでもありますね。でも、だからといって、単に個人的な、自分のための写真というわけではない。

渡部■そうですね。ここだけ勝手に切り取って、ということはしないですね。モノがモノとしてはっきりとわかるように写す。それは撮ったあとで気づくんですけどね。
 一般的に言って、いい写真というのは美しい写真だったり、人を幸せにするものだったりするけど、僕はちょっと違う。この前、嫌いな写真家は誰ですか? と聞かれて答えに困ったんだけど、僕は美しいものを美しく撮る写真家はあんまり好きじゃないですね。ネガティブなものからポジティブなものを見つけられる写真家が好きですね。


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写真展『da.gasita2009』開催記念トークショー その3

★写真と現代美術

タカザワ■渡部さんに今日、もう一つ聞こうと思っていたのが、写真と現代美術との関係についてです。渡部さんが写真に興味を持ったのはフォト・ジャーナリズムの流れに位置する作品に触れたことが大きかったと思うし、写真もオーソドックスなスタイルのストレート写真だと思います。そういう経歴を持つ渡部さんにとって、いまの写真と現代美術との密接な関係についてどう思いますか?

渡部■たしかに、写真が現代美術に呑み込まれそうになっている側面はありますね。この一、二年、海外で写真を見る機会が多かったので、写真プリントは大きいほうがいいのかなとか、ネガカラーでカラープリントかなとかは感じていました。
 でも、自分はやっぱりモノクロで撮ろうと決めて、さっきも言いましたけど、昨年はモノクロの35ミリでかっこいい写真を撮ろうと思ったんです。でも、やってみて、ぜんぜんダメだと思いました。頭でっかちに考えてやってもうまくいかないんだと思った。次にやってみたのがカラー。去年一年間はネガカラーで撮ることが多くて、暗室にカラー現像のシステムもあるので、この前の冬に米沢を撮ろうと思ったときは、最初はネガカラーでした。
 ところが、今年のお正月に撮ったものをプリントしているときに、このままだとかなりズレたものになってしまうかもしれないと思い始めました。そのとき、いまなら、米沢でモノクロ写真を撮れるかも知れないっていう感じがちょっとあったので、今年二月から米沢でモノクロ写真を撮るようになったんです。
 二月に行ったのもそうですが、個人的な事情で、米沢へ行かなくてはならなかったから撮影された写真です。米沢を写真で表現しようとか、そういうことではなくて、いま、米沢へ行かなくてはならない事情があるから撮った。米沢へ行かなくてはいけない事情がなかったら、東京で撮っていたかもしれない。いま、自分がいるところを撮るというのが自分のスタンスだから。

タカザワ■巻き込まれ型ですね。

渡部■巻き込まれ型です。自分は主体的なプロジェクト型ではないというのが、だんだんわかってきたので、それに従おうと。

タカザワ■写真の世界的な傾向を現場まで行って見つつ、その経験をもとに、自分はこういうタイプの作家だと自覚していったわけですね。

渡部■ええ。いま、世界がどう動いているかをマーケットとして見られたので、自分がそこを追いかける必要はないとわかった。二次的な情報だけだったら、そのトレンドを追いかけなきゃと思ったかも知れないけど、直接、現地に行って、向こうの人とコンタクトを取ってと、くり返していくうちに、自分のスタイルをいいと言ってくれる人が海外にもいることがわかった。だったら、あえて、自分が現代美術のマーケットのほうへ近づいて行かなくてもいいんだとわかった。

タカザワ■写真家に限らず、表現する人たちにインタビューしていていつも思うんですけど、自分だけのポジションを見つけた人が生き残る。どんな表現の世界でも、その表現には幅があるけど、同じタイプの人は一人で十分。二人はいらない。

渡部■ワークショップでもよく地図を作れって言うんです。自分が世界のどこに存在するかを確認できれば、それでいい。

タカザワ■ところで、今回の展示を見て思ったんですが、渡部さんの写真のなかに北井一夫さんの影響を感じました。北井さんという方も、独特なポジションにいる写真作家です。北井さんが「日本カメラ」で連載しているシリーズ(「ライカで散歩」)なんか見ていると、いまの北井さんも「いるところで撮る」感じがありますよね。

渡部■北井さんが「日本カメラ」で連載しているシリーズには刺激を受けているし、柚を三つだけ撮った写真なんか、すごいなと思いました。その北井さんが、今回展示された作品を買ってくれたんです。それはすごく嬉しかったですね。

タカザワ■どの写真ですか?

渡部■これです。「渡部さんらしい。すごくクリアでいいと思う」と言ってくださって。北井さんが買ってくれるというのは、千の褒め言葉以上に嬉しい。北井さんがいいと言ってくれるということは、世界中にこの写真を見て、いいと言ってくれる人がいるはず。その人たちとつながっていけばいい。現代美術みたいにビッグ・ビジネスにはならないかもしれないけれど。

タカザワ■北井さんも来年はニューヨークで初期の「抵抗」を中心とした展示を行うらしいですね。

渡部■続けていくことで、いつか評価される順番が来るという気がしています。

タカザワ■僕はジャーナリズムの立場から写真と現代美術について関心があって、ここしばらく追っかけているテーマではあるんですが、一つ感じていることは、現代美術的な写真が増えていくことで、逆に、ストレート写真の強さ、写真というメディアの持っている本来的なものの強さをあらためて感じるということです。
 80年代から現代美術と写真は接近しているんですけど、少なくとも日本においては、現代美術サイドからの写真表現は表層的なもので、写真で作品を作り続けて、なおかつ評価され続けている人はほとんどいない。森村泰昌さんほか数えるほどです。たとえば、先日、TAGBOATというアート作品を販売しているWEBサイトで、写真家の柴田敏雄さんにインタビューしたんですが(http://www.tagboat.com/contents/select/vol104_shibata.htm)、東京芸大で美術を学んだ柴田さんでさえ、ストレートな写真を作品として発表したときには、美術サイドからの反応は冷淡だったそうです。実際、80年代の現代美術サイドからの写真へのアプローチは、光学実験的なものや、メディアとしての写真への関心をテーマにしたもので、ストレート写真は対象外だった感がある。でも、時代を経て、いまではストレート写真を現代美術の歴史のなかに組み込むことが自然になってきつつあります。
 時代とともに価値観は変わるし、写真のポジションも変わっていくのは当然ですが、そのなかで、結局、ストレートな写真の魅力をあらためて感じるんです。

渡部■だから、現代美術のトレンドを追いかける必要はまったくないと思うんです。

★ワークショップ2B

タカザワ■もう一つうかがいたいのが、写真教育についてです。渡部さんが主宰されている写真ワークショップ2Bは始めてどれくらいになるんですか?

渡部■もう6年ですね。受講した人が300人以上になります。

タカザワ■「受講できるのは一度だけ。作品講評はしない。教えるのは技術的なことだけ」というルールでやっていますよね。それはなぜなのかあらためてここでうかがっていいですか。

渡部■カメラ雑誌のハウツーと一般の写真の間には大きな乖離があると以前から感じていて、写真雑誌的な見方で写真を論じると説明のつかないことばかりだと思っていました。
 よく山にたとえるんだけど、2Bでは一般道から登山口までは連れて行く。あとはハイキングコースを登っていく人もいれば、険しい北壁を登る人もいるだろう。
 自分の役目は、山とはどういうものかとか、山に登るための基礎知識を与えることだと思った。絞りやシャッタースピードのことを理解できないと、写真は結局はつまらなくなってしまう。

タカザワ■写真を啓蒙する仕事は、かつてはカメラ雑誌のようなメディアがやっていたと思うんですが、その機能が果たせていないということも背景にありますよね。

渡部■70年代までは「アサヒカメラ」や「カメラ毎日」は写真啓蒙の役割を果たしていたと思うんですが、その後はカメラの情報が中心になって、写真とはどういうものかということがわからなくなってきてしまった。

タカザワ■写真のなかの「カメラ」という一部分だけがクローズアップされてしまっている。

渡部■読者が写真全体を理解できないということが起きているということは感じますね。

タカザワ■2Bの受講生やそのOBたちの立場で考えると、教えている渡部さん自身が写真の状況についてリサーチしたり、作品を制作して発表するところまでをリアルタイムで見ていることも有益ですね。写真家という存在の一つの例が身近に見られるわけで。

渡部■大学時代、尊敬されていた先生は作品を制作している先生だったんです。制作の過程が見られることがいちばん勉強になるから。僕自身も写真家として活動していく過程を見てくれる人を増やしているという意識もありますね。

タカザワ■2Bの卒業生たちも個展を開いたり、写真集を出したりして、活躍している方たちも出てきています。先生としては負けられませんね(笑)。

渡部■マイペースでがんばっていきます(笑)。



タカザワケンジ

ライター/編集者/写真家
1968年群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。
編集者として、雑誌「季刊クラシックカメラ」のほか、『ライカな眼』(高梨豊著・毎日コミュニケーションズ)、『使うM型ライカ』(赤城耕一著・双葉社)、『使うハーフサイズカメラ』(飯田鉄著・双葉社)、『使うローライ』(双葉社)などの単行本を手がける。

2000年、オンライン書店ビーケーワンのオープンに参加。安原顯さんとともに「ブックサイト ヤスケン」(-2003年2月)を運営。その後、東雅夫さんをアシストするかたちで「怪奇幻想ブックストア」(2002-04)、「幻妖ブックブログ」(2004−)に関わる。

ライターとしての仕事は、99年、心理カウンセラーに取材した『カウンセラーになろう!』(オーエス出版→インデックス・コミュニケーションズ)を上梓。写真家のインタビューをカメラ雑誌などで、作家のインタビューを文芸誌「パピルス」(幻冬舎)、オンライン書店ビーケーワン、楽天ブックスほかで手がける。2005年から2006年まで集英社の女性誌ポータルサイト「s-woman.net」で、美術展ガイド「東京アート日和」を連載。2007年から「men's non-no」で写真家インタビューの連載「旅々カメラ」、「日本カメラ」で写真家の故・渡辺克巳氏の評伝「流しの写真屋・渡辺克巳」を連載。

2002年からWEB上で写真情報サイトscannersをスタート。

写真家としては2004年には、中島らも対談集『なれずもの』(イースト・プレス)で撮影を担当。以来、インタビュー、ルポで撮影を行う。2007年、写真展「Road and River」を開催。

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2009年09月22日

30期募集は終了しました

ワークショップ30期募集は、すべて定員となりましたので、終了いたします。
次期は、来年1月半ばスタート予定です。


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2009年09月17日

30期の募集について

2Bワークショップ30期の募集について
「午前の部」は締め切りました。
「午後の部」のみ若干名、募集中です。

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2009年09月15日

2Bワークショップ 30期募集中

第30期2Bワークショップ日程

講座は毎週土曜日で、全12回の連続した内容です。
(第1回目の講座は、その後に続く講座の基となる内容なので1回目参加は必須です)
1回目 10月17日(土) 「露出(基礎)について」
2回目 10月24日(土) 「露出の基礎を実践(屋外撮影)」
3回目 10月31日(土) 「暗室作業(屋外撮りのプリント)」
4回目 11月7日(土) 「室内での小物撮影」
5回目 11月14日(土) 暗室作業(小物撮影のプリント)」
6回目 11月21日(土) 「座学/デジタル写真に関して」
7日目 11月28日(土) 「屋外ポートレート撮影実習」
(11時より午前・午後合同)
8回目 12月5日(土) 「暗室作業(ポートレート実習プリント)」
9回目 12月12日(土) 「モノクロプリント実習」(暗室作業)
10回目 12月19日(土) 「カラープリント実習」(暗室作業)
11回目 12月26日(土) 「ビューイング」
12回目 1月9日(土)  「仕上げ(講評)」(11時より午前・午後合同)
 
<時間帯について>
午前の部/午前9時30分〜12時30分  午後の部/午後13時から15時30分
(7回目<11時〜>、12回目<11時〜>は午前・午後合同講座)。
午後・午後の部とも内容は同じです。時間帯は先着順で受付いたします。ただし、参加者全員のバランスを考えて、御希望をうかがった後、こちらで時間を決めさせていただく場合もあります。その際には、再度ご連絡をさせていただきます。
――なお、場合によっては渡部の仕事の都合により休みとなった際には、講座日程が長引くことがあります(随時お知らせ)。

<講座料>
1回につき5250円(消費税込み)。当日受講後の支払いになります。プリント時の印画紙代はいりませんが、フィルムの購入、現像は各自です。
カメラはフィルム仕様のもので、絞りとシャッタースピードをそれぞれ単独に変えられるものが必要です(デジタルカメラは不可)。カメラを購入したい方は第1回目の講座時にアドバスをいたしますので、申し出てください。講座受講中はメールでの質問を受け付けます。カメラの貸し出しも可能です。ご相談ください。

<申し込み時の募集要項>
1住所 2氏名 3連絡先 4所有しているカメラ 5写真歴 
6プリント経験(暗室)の有無 7希望の時間帯

<初回に用意するもの>
カメラ・・・講座では、フィルムを使用するカメラが必要です(デジカメ不可)。持っていない方、あるいは購入を考えている方は、相談に応じます。
初回、カメラは使用しませんが、持参できる方はお持ちください。
今まで撮った写真・・・モノクロ、カラー、サイズ等は一切問いませんので、何枚か見せてください。デジタルで撮ったものでもかまいません。

★正式な申し込みを受け付けたあと、2Bの所在地や地図をお送りします。

お申し込みは、下記まで。
satorw@yahoo.co.jp


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2009年07月06日

ワークショップ29期の募集は終了しました

7月18日スタートの「ワークショップ29期」募集は終了しました。
次回30期の募集は、9月頃の予定です。
workshop2b at 10:55|この記事のURLTrackBack(0)

2009年06月30日

29期 ワークショップ

「午後の部」は締め切ります。
「午前の部」のみ若干名の空きがあります。
workshop2b at 23:20|この記事のURLTrackBack(0)

2009年06月14日

ワークショップ29期募集中

第29期2Bワークショップ日程
講座は毎週土曜日で、全12回の連続した内容です。
(第1回目の講座は、その後に続く講座の基なる内容です)
1回目 7月18日(土) 「露出(基礎)について」
2回目 7月25日(土) 「露出の基礎を実践(屋外撮影)」
3回目 8月1日(土) 「暗室作業(屋外撮りのプリント)」
4回目 8月8日(土)  「室内での小物撮影」
    8月15日(土) 渡部の仕事の都合によりお休み
5回目 8月22日(土)暗室作業(小物撮影のプリント)」
6回目 8月29日(土) 「座学/デジタル写真に関して」
7日目 9月5日(土)「屋外ポートレート撮影実習」11時より午前・午後合同
8回目 9月12(土) 「暗室作業(ポートレート実習プリント)」
9回目 9月19(土)  「モノクロプリント実習」
10回目 9月26日(土) 「ビューイング」(13時より午前・午後合同)
11回目 10月3日(土) 「カラープリント実習」
12回目 10月10日(土) 「仕上げ(講評)」(11時より午前・午後合同)

<時間帯について>
午前の部/午前9時30分〜12時30分   午後の部/午後13時から15時30分
(7回目<11時〜>、10回目<13時〜>、12回目<11時〜>は午前・午後合同講座)。
午後・午後の部とも内容は同じです。
時間帯は先着順で受付いたします。ただし、参加者全員のバランスを考えて、御希望をうかがった後、こちらで時間を決めさせていただく場合もあります。その際には、再度ご連絡をさせていただきます。

<講座料>
1回につき5250円(消費税込み)。当日受講後の支払いになります。プリント時の印画紙代はいりませんが、フィルムの購入、現像は各自です。
カメラはフィルム仕様のもので、絞りとシャッタースピードをそれぞれ単独に変えられるものが必要です(デジタルカメラは不可)。カメラを購入したい方は第1回目の講座時にアドバスをいたしますので、申し出てください。講座受講中はメールでの質問を受け付けます。

<申し込み時の募集要項>
1住所 2氏名 3連絡先 4所有しているカメラ 5写真歴 
6プリント経験(暗室作業)の有無 7希望の時間帯
<初回に用意するもの>
カメラ・・・講座では、フィルムを使用するカメラが必要です(デジカメ不可)。持っていない方、あるいは購入を考えている方は、相談に応じます。
初回、カメラは使用しませんが、持参できる方はお持ちください。
今まで撮った写真・・・モノクロ、カラー、サイズ等は一切問いませんので、何枚か見せてください。デジタルで撮ったものでもかまいません。
★正式な申し込みを受け付けたあと、2Bの所在地や地図をお送りします。
★申し込み先アドレス
satorw@yahoo.co.jp
「ワークショップ29期申し込み」あて

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2009年03月30日

28期募集終了

ワークショップ28期の募集は終了いたしました。時期の募集は7月の予定です。
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