GO[dʒi:ou]

- NEWs -

歴史

米公文書が暴いたベトナムの「韓国軍慰安所」

1 :なまはげ87度 ★@\(^o^)/ 2015/03/25(水) 19:39:36.14 ID:???.net
ベトナム戦争当時、サイゴン(現ホーチミン市)に韓国軍の慰安所が存在したことが、アメリカの公文書によって初めて明らかになった。

日韓間に横たわる慰安婦問題に新たな視点を供する歴史的資料を発見したのは、TBSワシントン支局長の山口敬之氏。
山口支局長は2013年9月から、約1年をかけて米国立公文書記録管理局のベトナム戦争に関する膨大な資料を調査。
その中から、サイゴンの米軍司令部が、同じくサイゴンの韓国軍最高司令官・蔡命新(チェ・ミュンシン)将軍に送った「書簡」を発見した。

同書簡は1969年に書かれたもので、主題は韓国兵が関与した経済事件。
その中で、同事件の舞台となったサイゴン市中心部の「The Turkish Bath」(トルコ風呂)について、以下のように記されていた。

「この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)である」

(The Turkish Bath was a Republic of Korea Army Welfare Center for the sole benefit of Korean Troops.)

山口支局長が語る。

「韓国側はこれまで、日本軍の慰安所について国際社会で厳しく糾弾し続けてきました。ベトナム戦争当時、韓国軍の慰安所がサイゴンに存在した事がアメリカの公文書によって明らかになった今、韓国側がこの問題にどう対処していくのかが注目されます」
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4952

依頼:http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1424250397/591



w20150325




















続きを読む

日本軍の残虐な暴行、これでも侵略を否定できるか?=英メディア[03/02]

1 :ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/03/02(月) 17:26:00.54 ID:???.net
安倍晋三首相は先ほど、1995年の「侵略戦争の発動と隣国への抑圧」の罪に関する謝罪の強調を回避することを表明した。
これは遺憾ではあるが、予想外のことではない。
英インデペンデント紙が伝えた。

b05x




















これは民意にもとる決定だ。
世論調査によると、多くの日本国民はアジアでの過去の行いについて、国家が謝罪を行うべきだと考えている。
しかし安倍首相と同じような考えもを持つ人もいる。
彼らはその傲慢なナショナリズムによって盲目的になっており、これほど長年が経過してもこの反省が依然として適切であることを知らないのかもしれない。

第二次大戦中、連合軍の約8万人がシンガポールで日本軍の捕虜となり、ジャワ島の収容所に移された。
筆者の父は、日本軍によってジャワ島で拘束された捕虜で、驚くべき虐待を受けた。
父は最も恐ろしい苦しみを経験した。
父は真っ昼間に太陽の下で縛られたが、コップ一杯の水も与えられなかった。
また頻繁に殴られ、麻酔なしで手術を受けさせられることも頻繁にあった。
一部の捕虜は、無理やり大量の水を飲まされ縛られてから、その姿に喜んだ日本兵に腹部を踏まれた話をした。

これらの収容所を解放した米軍は、地獄絵図を目にした。
彼らを迎えたのは、数千人の骨と皮だけになった男性たちだった。
多くの戦犯は英国に帰国してからも、正常な生活に適応できず死亡した。
生き残った人(筆者の父など)の多くは、心に傷を負ったままだった。

父はキリスト教の信仰を失い、人類全体に対する信頼を失った。
父は帰国後、深刻なうつ病にかかり、恐ろしい悪夢を見た。
これに母は恐怖を覚え、家庭に深刻な暗い影を落とした。
しかし父は自分がかつて見た恐ろしい出来事を語りたがらなかった。

極東の戦争は忘れることのできない戦争と称されることが多いが、長年が経過してもこれについて謝罪する日本人は現れなかった。
一部の日本人は今日に至っても、日本の戦時中の暴行に関する記述を嘘や単なる誇張と信じている。

日本はついに謝罪したが、父にとっては余りにも遅すぎた。
父はその謝罪の一年前にこの世を去った。
捕虜にされ虐待された人々は、永遠に忘れられるべきではない。
日本は歴史を見据え、謝罪を続けるべきだ。
父がまだこの世にいたならば、そう思ったことだろう。

ソース:中国網日本語版 2015年3月2日
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2015-03/02/content_34927776.htm


b01x



















b02x





















b03x



















b04x




























 









続きを読む

戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず 日本がドイツのように謝罪して、中韓はフランスのように赦すのか[1/14] [転載禁止]©2ch.net

1 :ロンメル銭湯兵 ★@転載は禁止 2015/01/14(水) 21:05:57.31 ID:???
By ANDREW BROWNE

b03












(画像:年頭記者会見での安倍首相)

b01x


















 

第2次世界大戦の終戦から70年を迎える今年、「懺悔(ざんげ)のモデル」のドイツのように振る舞うよう日本に求める声が一段と高まる公算が大きい。

ドイツほど深い悔恨を鮮明にした国はかつてない。
史上最も破壊的な戦争のあと、ドイツは苦しみながら自己反省して謝罪した。それが再び平和が脅かされるとの恐怖を沈静化させる一助となった。
安心した欧州は、和解が可能になった。

これとは対照的に、日本が戦争という過去を振り返るとき謝罪していると感じられないことが多い。
これが、日本の軍国主義によって辛酸をなめた中国と韓国との関係が依然としてとげとげしい理由だとされている。
また、尖閣諸島(中国名は釣魚島)をめぐる日中両国の緊張の高まりが武力衝突につながるのではないかとの現実的な懸念にもつながっている。

日本はきっぱりと全面謝罪すべきだとの議論がある。
東アジアの緊張緩和のためだというのだ。
そして東アジア地域の政治家、学者、そして戦争犠牲者のグループの間では、安倍晋三首相が日本の降伏70周年の8月に何を言うかに既に期待が高まっている。

そんな簡単な話ならどんなに良いことか。

だが第一に、日本がこれまで公式の謝罪を出し惜しみしてきたというのは事実ではない。

日本が戦時中の自らの苦しみにひたる傾向があると批判することはできる。
同様に、学校の教科書で戦時中の旧日本軍の残虐行為を過小評価する一方、広く行われた奴隷労働、南京大虐殺、そして旧日本軍のために性奴隷とされた「慰安婦」の強制徴用といった諸事実を公的な立場にある人々が声高に否定していることも批判できる。

しかし日本の指導者たちが謝罪しないと非難することはできない。
この数十年間、彼らは繰り返し謝罪してきたからだ。

例えば1991年、当時の宮沢喜一首相はアジア太平洋で日本が与えた「耐え難い苦しみと悲しみ」に許しを請うた。
また降伏50年目の1995年に当時の村山富市首相は植民地支配と侵略について「痛切な反省の意」を表し、「心からのおわび」を表明した。

(画像:ポーランドのワルシャワ・ゲットー蜂起記念碑の前にひざまずく西独のブラント首相)

b02x
























 












続きを読む

歴史問題、協力妨げず=日本に融和姿勢-韓国外相[10/06]

1 :ロンメル銭湯兵 ★@転載は禁止 2014/10/06(月) 19:26:40.91 ID:???
 【ソウル時事】

韓国の尹炳世外相は6日、有力紙・中央日報などの主催でソウルで開かれた国際会議で演説し、日韓関係について、「慰安婦問題など歴史問題を中心に困難を極めてきた。しかし、こうした状況が北朝鮮核問題への対応や経済、社会、文化面での両国の協力を妨げてはいない」と強調した。

尹外相は「両国は来年、国交正常化50周年を迎え、未来のために新しい出発をする必要性を共有している」と述べ、日本に融和姿勢を示した。
一方で、「日本の政治指導者がドイツの指導者のように過去を清算することを望む」とも語った。

時事ドットコム (2014/10/06-18:49)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201410/2014100600645&g=pol



b11x

























続きを読む

日帝と最も激烈に戦った韓国、サンフランシスコ講和条約に招かれなかったのは日本が反対したから[10/04]

1 :蚯蚓φ ★@転載は禁止 2014/10/04(土) 12:06:15.04 ID:???
「ソ・ジュンソクの現代史の話」<66>韓日協定、四回目広場

根が深い木は容易に風に揺れないものだ。
社会全般の雰囲気は言うまでもなく、いわゆる進歩勢力の中でも軽薄な議論があふれるこの時代に歴史を深く理解することが切実に求められる。
このような考えで「ソ・ジュンソクの現代史の話」を続けている。
ソ・ジュンソク歴史問題研究所理事長は韓国現代史研究を象徴する人物に選ばれる。
毎月、ソ理事長を訪ね韓国現代史に関する考えを聞いて読者と共有しようと思う。
八回目の主題は韓日協定だ。<編集者>
(中略:朴正煕―池田勇人会談など)

プレシアン: 朴正煕(パク・チョンヒ)議長が「私たちの請求権は戦争賠償ではないことを確認する」としたのも論議の的だ。

ソ・ジュンソク:賠償請求権問題についても軍事政権が様々なことを十分考慮したかという問題を考える必要がある。
賠償と関連してサンフランシスコ講和条約がよく言われる。
ところがこの条約を締結する時、フィリピン、インドネシア、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムがみな招待を受けた。
もちろんこれらの国が米国、オランダ、英国、フランスの植民地でありながら日本と戦ったことはある。

それでも、韓国が1910年から1945年まで独立軍活動や独立運動で日帝と戦ったことと、これらの国々が少しの間、戦ったことは比較にならないではないか。
それでも韓国は招待を受けることもできなかった。(中国と北朝鮮も招待されなかった。対日講和条約はこのように日帝侵略の最大被害者であり最も激烈に対立して戦った国々を排除したまま締結された。<編集者>)
このような点を考えなければならない。

もう一つ、賠償と関連して多くの韓国人によく分からない問題がある。
サンフランシスコ講和条約で最も直接的積極的に韓国の参加を防いだのは日本だ。
ところが日本はどういう理由で防いだのか、これをよく知らなければならない。
2001年、日本のテレビ朝日が報道したものだが、その報道によればジョン・フォスター・ダレス米国国務部特別顧問、後に米国国務部長官になる人だが、この人はサンフランシスコ講和条約の草案担当特使だった。
この人の草案には韓国を対日戦勝国と明記していた。
ところがこの人が吉田茂総理に説得され韓国が調印国に参加できなくなった。

吉田茂総理は非常に強く反対した。
吉田茂は韓国が調印国に参加してはならない理由を文書で提示したが、このようになっている。
「韓国は日本と戦争状態になかったため、聨合国の一員と認定できない。」
これはフィリピン、インドネシアなどについても同じように言えることだ。(吉田茂の論理のとおりなら、フィリピン、インドネシアなども韓国と同じように排除すべきだったが、そうはしなかった。<編集者>)
そして韓国の独立軍は日本とずっと戦っていたではないか。
これをどう見るかという問題だったが、日本側はそう主張して韓国の参加を防いだ。

さらに大きな理由はまさにその後に出てくる。
「韓国が調印国になれば韓国人が聨合国と同等な財産請求権と賠償金を主張するだろう。在日韓国人は100万人にもなるが、この人々が証明できない過度な賠償請求をする場合、日本は混乱を避けられない」、こういう話をする。(さらに吉田茂は日本にいる韓国人が大部分、共産主義者と主張した。事実と無関係に米国が拒否感を示す話だ。吉田茂とダレスは1951年4月23日、韓国をサンフランシスコ講和条約から排除するという内容の覚書を締結した。<編集者>)
(中略)

日帝35年支配に対抗しても、賠償を一銭も受けられなかった韓国
プレシアン:日本に35年間踏みにじられたうえ、1951年には日本とアメリカの八百長にまたひどく被害をうけたわけだ。
場合が違うが、1905年の桂-タフト密約(日本は米国のフィリピン支配を、米国は日本の韓国支配を認めるという密約)を思い出させる。

ソ・ジュンソク:韓国と中国は他のどこの国よりも賠償を強く要求できる国だ。
ところがパク・チョンヒ軍事政府はとてもはやく賠償問題をあきらめ、請求権交渉に入ったばかりか、請求権交渉さえすぐに金額問題に入ってしまう。
'良い条件にしてくれれば良い'という姿勢だ。
(後略)

ソース:プレシアン(韓国語) 踏みにじられた韓国、日本・米国八百長にまた当てられた
http://www.pressian.com/news/article.html?no=120624



b02xx





















続きを読む
マーケット
by 株価チャート「ストチャ」
記事検索
プロフィール

world_vip_satellit...

あくせす?
アクセスカウンター
QRコード
QRコード
RSS
  • ライブドアブログ