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    アンジャッシュ



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     人気ドラマ「おっさんずラブ」(テレビ朝日系)で、異彩を放っているお笑いコンビ・アンジャッシュ児嶋一哉。児嶋は内田理央演じる荒川ちずの兄で居酒屋「わんだほう」の店主・鉄平を演じているのだが、芸達者な役者の中で引けを取らない個性を発揮していると話題になっている。

    「コンビの相方である渡部建も、妊娠中の妻・佐々木希とロッテ『その歯と100年。キシリトール。プロジェクト』でのおそろいの白い衣装を着たCM共演が話題になっていますが、佐々木の立場を守りながら芸人以外の仕事をする渡部と違って、児嶋にはそういった制約がありません。しかも児嶋は役者としての評価が高いんです。

     08年9月公開の映画『トウキョウソナタ』で香川照之と小泉今日子が演じる夫婦の次男が通う小学校の担任教師を演じてその素質を見抜かれてからというもの、およそ1年に1本のペースで映画出演し、ドラマは1年に2~3本は出演しています。前クールでも『もみ消して冬』(日本テレビ系)で癖の強いクリーニング屋を好演し、今回も『生クリームレバ丼』『鯖のヨーグルト煮』など斬新なメニューを続々とくり出す長渕剛風の“ミュージシャン居酒屋店長”を印象的でありながらもくどくならずに演じています。

     そうそうたる役者の中に入ってこれだけ爪痕を残せるのは、やはり児嶋の役者としての資質が豊かだからではないでしょうか」(映画誌ライター)

     ネット上でも「児嶋さんの出番が待ち遠しい」「アンジャッシュという芸人だったことを忘れる役者ぶり」など称賛の声が続出している児嶋。このまま“もっといい役者”に成長してほしいものだ。

    アサジョ


    (出典 news.nicovideo.jp)

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     アンジャッシュ・児嶋一哉は2011年に坪井志津香さんとおよそ15年の交際を経てゴールインした。だが、今は夜の営みがないことを公言しており、子どもはいない。芸人の妻には一般的に苦労が付き物だといわれているが、坪井さんは強靭なハートの持ち主だと言われている。「ノーボトム!」というテクノユニットのボーカリストとして、相当な苦労を重ねてきたからだとエンタメ誌の編集者は言う。

    「『ノーボトム!』とは『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)シリーズで人気を得た『底ぬけAIR-LINE』が中心となって活動した音楽ユニットです。お笑いと音楽を融合させたステージを行っていました。何度かメンバーチェンジを経験しながらもシングル5枚、アルバムを5枚もリリースしています。ライブ活動に力を入れていたため、コアなファンがいました。この初代ボーカルが坪井さん。当時は、SIZUKAを名乗っていました」

     底ぬけAIR-LINEは古坂和仁と小島忍のコンビ。古坂とはすなわち古坂大魔王、ピコ太郎だ。つまり、児嶋の嫁は、世界を股にかけて活動するピコ太郎の元相棒だったというわけだ。

    「結成した翌年の04年には、音楽イベントや対バンに参加しまくって、知名度を高めようと必死だったといいます。マネージャーの車1台にメンバーが相乗りして、北は青森から南は九州まで周ったそうです。おもにライブハウスだったため、収益は微々たるもの。観客よりスタッフのほうが多かったなんてこともあったといいます。当然、赤字続きだったとか」(前出・エンタメ誌編集者)

     アンジャッシュ結成後、坪井さんと児嶋が20代だった頃は食うに困り、くりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)・上田晋也の家で居候している。児嶋は上田に助けられ、嫁はピコ太郎と苦楽をともにした。お笑い界ではある意味“最強の夫婦”と言えるかも!?

    (北村ともこ)

    アサ芸プラス


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     昨年4月に女優の佐々木希と結婚したお笑いコンビ・アンジャッシュの渡部建が、あらぬ不倫疑惑をかけられないように私生活で“徹底ガード”しているという。

     渡部は1月15日、東京都内で開かれた飲食店のパーティーにお忍びで参加したという。

    「食通の渡部はそのパーティーの主催者と知り合いだったそうで、招かれたようです」(週刊誌記者)

     そこで渡部は、2016年のベッキーの不倫騒動に端を発した芸能界の不倫報道ブームに巻き込まれまいとしているのか、かなり警戒していたという。

    「嫌疑をかけられないようにするためか、男性の関係者を連れまわして出席者と談笑していました。女性との2ショット写真すら断る徹底振りでした」(同)

     渡部がパーティー会場に現れたとの情報をキャッチした複数の週刊誌が“偵察”したが、女性を口説く素振りすら見せず、“収穫なし”とあきらめて退散したという。

    「芸人は抜けているのが多いけど、渡部はしたたか。スキャンダルのしっぽを見せないことで知られます。昨今の不倫報道ブームで警戒感がより増し、徹底ガードをしているといわれています。佐々木からも浮気はしないよう懇願されているようで、今のところは忠実に守っているようです。芸人としては“おもしろくない”ですが……」(同)

     その渡部は1月20日、東京都内でグルメ本『アンジャッシュ渡部の大人のための「いい店」選び方の極意』(SB新書)の発売記念イベントに出演。愛妻の2月8日の誕生日について「行く店も、なんとなく決めています」と余裕の表情を浮かべた。待望の第1子には「授かりものなので。授かるのであれば、たくさん欲しい」と願望を口にした。佐々木も売れっ子の女優とはいえど、出産後は休業に入るため、渡部としてもいっそう働かなければいけない。

    「渡部は億ションをローンで購入しています。不倫報道で万一、活動休止に追い込まれたら稼ぎはゼロ。なおさら不倫は厳禁でしょう」(同)

     もっとも、佐々木ほどの美人女優と結婚すれば、浮気の虫がうずくはずもないのかもしれない。
    (文=編集部)

    アンジャッシュの渡部建


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    【【芸人】アンジャッシュ渡部建、私生活が「おもしろくない」理由…】の続きを読む



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    結成25年のアンジャッシュ。児嶋一哉さんが「相方・渡部建」のこと、「先輩・くりぃむしちゅー」のこと、そして危機を救ってくれた恩人のことを語ります。テレビっ子インタビュー、聞き手はてれびのスキマさんです。(全3回/#2#3に続く)

    『ボキャブラ』ブームにギリギリ乗っからせてもらってたコンビ初期

    ―― アンジャッシュさんは『ボキャブラ天国』、『爆笑オンエアバトル』、『エンタの神様』と、90年代、2000年代のお笑いブームを担った番組に出演し続けてこられました。まずは『ボキャブラ天国』の頃を振り返ってみると、どんなことを思い出しますか。

    児嶋 『ボキャブラ』はコンビになってから3年目とかの頃で、僕らはあのブームにギリギリ乗っからせてもらってた印象なんですよ。何の活躍もしてないし。とにかく先輩のすごさを目の当たりにしてただけですね。本当に何もできなかった。

    ―― 先輩のすごさというと、たとえば……。

    児嶋 例えば海砂利水魚さん。今でこそ有田(哲平)さんはインパクトを残すタイプかもしれないけど、大勢の若手芸人の中で目立つコンビではなかったはずなんです。だけど、確実に笑いをとって結果を残している。それがスゲーなと思いましたね。僕らはふわふわとして何もできないまま終わってしまうから、いつも消化不良でした。

    結成前のネプチューンと戦っていた『アーバン寄席』

    ―― 芸人としての駆け出しは、ライブ出演からだったんですよね?

    児嶋 事務所の先輩、ブッチャーブラザーズさんが主催してた『アーバン寄席』っていうのがあるんですけど、それが僕らの初舞台です。新人コーナーがあって、そこで2回優勝したら「1本ネタ」をステージでかけることができた。その1本ネタがその月で一番良かった人には、高信太郎さんが「高信太郎賞」をくれる。

    ―― 漫画家で芸能評論家の高さん。

    児嶋 そうです。受賞者の絵を描いてくれるんですけど、それを目指して頑張ってましたね。くりぃむしちゅー……当時の海砂利水魚とか、ネプチューン結成前の名倉(潤)さんがいたジュンカッツと、堀内(健)さんと原田(泰造)さんのコンビ・フローレンスとかが相手ですから。なかなかのメンバーでしたね。

    ―― 当時は児嶋さんがコントの台本を作られていたんですか。

    児嶋 最初の最初はそうでしたけど、すぐにふたりで作るようになりました。それである程度経ったら作家さんとかも入って。今はもう渡部中心ですよね。

    「すれ違いコントはパクリなんです、完全に(笑)」

    ―― アンジャッシュといえば「すれ違いコント」ですが、生まれたきっかけみたいなものはあるんですか。

    児嶋 ジュンカッツさんが『アーバン寄席』のネタ見せでやったコントです。街の公衆電話がバーッと並んでいる場所でのコントで、電話をしに来た全然関係ないふたりの会話がいつの間にかリンクしちゃうというネタ。無茶苦茶カッコいいし面白い! と思って、僕らでもやり始めたんです。パクリなんです、完全に(笑)。いや、リスペクトだな。ジュンカッツはその後、そういうネタの方向に行かなかったんですけど、僕らはそのネタで勝ち抜きライブ優勝したりして、「この方向じゃね?」って。

    ―― それ以前はどんなネタを書いてたんですか?

    児嶋 さまぁ~ず(当時はバカルディ)さんに憧れて、ボケとツッコミのシンプルなネタをやってたんですけど、なんかいつも60点、65点ぐらいの笑いで。さまぁ~ずさん的なものは、ボケのセンス、ツッコミのパワーがないと成立しないんです。僕らはそこまでの技量がなかった。そこがよくわかってなかった。

    ―― デビュー以来の先輩後輩の関係は、まだ続いているんですか?

    児嶋 特にくりぃむしちゅーのおふたりには昔からお世話になってます。まさに『ボキャブラ』の頃に僕が上田(晋也)さんちに居候させてもらったり、渡部は有田さんにお世話になったりしてたので、より近くで見てた先輩ですね。『ボキャブラ』のネタを一緒に考えたりしてましたもん。

    ―― 『ボキャブラ』はネタの時間が短いじゃないですか。それはフリの長いコントを得意とするアンジャッシュさんにとっては……。

    児嶋 全然別物でしたね。かといって、番組に寄せていくほど割り切れてなかったのかもしれない。

    ―― 90年代に『ボキャブラ』に出演した芸人たちは、大半がライブで一緒にやってきたメンバーだったと思うんですけど、周りの変化をどう見ていましたか。

    児嶋 わかりやすいのは「あいつ車乗り始めたな」とか、「いいとこに引っ越し始めたな」とかいうことですけどね。話に出てくる言葉も変わってきて、「今からどこどこの局で」とか。でも一番大きいのは、表情とかオーラの変化だと思う。上田さんにしても、有田さんにしても、こっちが勝手に感じてただけかもしれないけど、存在感が変わっていく気がしてましたね。

    ナメてかかった『オンエアバトル』

    ―― 2000年代のお笑い番組といえば『オンエアバトル』が大きいと思います。1回目から出られているんですよね。

    児嶋 1回目は出場したんですけど、落ちてオンエアされなかったんですよ。ホント、今思えば生意気なんですけど、結成して6、7年目だし、ライブシーンではかなりのお兄さん的なキャリアだったし、会場では絶対ウケて優勝できるくらいのポジションだったんです。それなのに、なんで後輩たちと番組で競わなきゃなんないのと、ナメてたんですよ。それで様子見ってことで本ネタじゃないショートコントをやったんです。

    ―― なるほど。

    児嶋 そしたら見事に落っこちた。その時オンエアされた後輩に北陽がいたんですよ。はっきり言ってネタの完成度が売りのコンビじゃないでしょ(笑)、なのに北陽に負けたのが、めちゃくちゃショックで。ただ幸運なことに、NHKさんが「アンジャッシュが落ちた」ってことをネタにして、第2回のチャレンジまでを追う特集を組んでくれたんですよ。

    ―― おぉ、それだけの期待があったんですね。

    児嶋 それで次はトップ合格。そこから始まりましたね、僕らの『オンエアバトル』が。『M-1』、『キングオブコント』もそうですけど、ああいう勝ち抜き系番組が始まると、それを区切りに辞めるコンビもいっぱい出てきますけど、僕らもそれぐらいの思いでやってました。

    ネタ自体を直されることに抵抗した『エンタの神様』

    ―― アンジャッシュの知名度が上がったと感じたのは『オンエアバトル』でしたか。

    児嶋 たしかに『オンエアバトル』でチャンピオンになれたのは大きいんですが、知名度が爆発的に高まったなって感じたのは『エンタの神様』です。

    ―― 『エンタ』は『オンエアバトル』の4年後にスタートして、2000年代のお笑いをリードしたもう一つの番組ですよね。日本テレビ・五味一男さんの独特な演出もあって高い視聴率を獲得していましたが、五味さん流の演出に関してはどう思ってましたか。

    児嶋 最初は嫌でしたね。テロップをつけられたり、ネタをこう直してくれと言われたりとか。それまで、ネタ自体を直されるなんてことなんてなかったので。別にダメだったら番組に出さなきゃいい。よかったら出してくださいというのが基本でしたから。だからけっこう、あの頃は戦ってましたね(笑)。

    ―― 五味さんと直接やり合うんですか。

    児嶋 いやいや、基本は担当ディレクターと戦うんです。だから担当のDは板挟みで可哀想なんです(笑)。シャレ半分で渡部が、「ちょっと児嶋、五味さんに言ってこいよ」って言うから、交渉に行ったことありますよ。

    ―― 渡部さんは行かない(笑)。

    「もうちょっと下ネタを入れてくれないかな」

    児嶋 五味さん、和やかな人なので、直接会うと関係は緩まるんです。もちろん、番組と出演芸人をよりいいものにしたいからこそ考えてくれているわけで、話をすれば分かり合える。だからめちゃくちゃ感謝してますよ、五味さんに。変わった注文を受けたことはありますけど。

    ―― どんなことですか?

    児嶋 「もうちょっと下ネタを入れてくれないかな」って言われたことがあるんです。

    ―― へぇー。ゴールデンタイムの番組なのに。

    児嶋 全体を見る人の考え方なんでしょうね。番組全体の構成を見た時に、今回は下ネタがあんまねぇなって思ったんでしょう。でも露骨な下ネタだめじゃないですか。それで僕らなら、すれ違いネタでストレートではない「下ネタ展開」が期待できると。

    ―― 全体のバランス感覚ですね。

    児嶋 五味さんと好対照な人が、藪木(健太郎)さんっていう、今、フジテレビの『ENGEIグランドスラム』とかをやってる人ですね。若手の頃にCSのフジテレビの番組で、エレキコミックとか、アメリカザリガニとかと一緒に仕事をした方なんですけど、藪木さんは一切ネタに口出ししない人。ディレクターは見せ方撮り方のプロ、芸人はネタのプロって、線を引いているんだと思います。

    解散を考え、踏みとどまった結成9年目のある夜

    ―― 1度解散を考えたことがあるそうですが、それって結成してからどれくらいの時期だったんですか。

    児嶋 9年目ぐらいかな。『オンエアバトル』に出てた頃って、『オンバト』以外に仕事がほとんどなかったんです。結構仕事やってきてるのに、全然お金ないし、仕事ないし、借金だらけだし。『バカ爆走!』っていう人力舎のライブが毎月あるんですけど、ここに向けて新ネタを作る。まぁまぁウケた。あぁよかった。でも別の仕事はない、2人とも借金増えてく。それでまた次の月のライブがくるからネタ作る。あぁウケた。その後仕事ない。これ何なんだろうなってだんだんなってきて。ちょっとおかしくなってくるんですよね。ずーっと辛いんですよ。ネタ作りも辛いし。仕事ないのも辛いし。もう、一回離れたくなっちゃったんですね。それで明日ネタ作りで渡部に会う時に、言おうと思って。そう決めて、「解散しようって言おうと思う」って当時同棲してた今の嫁さんに言ったら、「いやちょっともったいないよ。ライブとかでウケてるのに」って。でも、こっちはもう聞く耳持たなくなってたので、嫁さんが、仲が良かった先輩芸人、X-GUNの西尾(季隆)さんに連絡したんですよね。西尾さん、夜中の2時くらいなのに来てくれて。「いやいや、やめたらあかん」「『オンバト』でもすげーウケてるやん。お前らがやめるんやったら、俺らが先にやめなあかんわ」みたいなことまで言ってくださって。あぁ、もう先輩がそこまで言ってくれるんだから、ってとりあえず踏みとどまったんです。

    ―― 次の日は予定通り、ネタの打ち合わせに?

    児嶋 あー、覚えてないですけど、そうでしょうね。前の日にそんなことがあったのに、ネタ作りには行ったんですよね。全然集中できてなかったと思いますよ、たぶん。

    ―― 解散を考えた時って、次に何をしようみたいなことも考えつつだったんですか。

    児嶋 いや何も考えてないです。ただとにかく一回、ここから離れたい。辛い。それだけでしたね。

    「あのタイミングで児嶋がそれを言ってたら、たぶん解散してただろう」

    ―― それを渡部さんが知ることになるのは。

    児嶋 それから何年か経ってからですね。取材だったか、テレビだったかちょっと忘れちゃったんですけど、実はこういうことを考えていたんだってことを話しました。

    ―― それを聞いて渡部さんは何と言いましたか?

    児嶋 「あのタイミングで児嶋がそれを言ってたら、たぶん解散してただろう」と。止める理由はなかったって言ってましたね。

    ―― ちなみにその後、2007年に渡部さんが生放送のラジオ帯番組を持つことになった時はどんな気持ちになりましたか?

    児嶋 ああ、あの時は本当に仕事なかったんで、そりゃ受けるだろうとしか思わなかったな。その分、コンビでの仕事が減るかもしれないから複雑っちゃあ複雑だったけど、コンビの仕事自体もそんなにできてない頃だったし。もちろん焦りもありましたよ。だから正直「よーし、やって来い!」とまでは言わなかったし、かといって「おい、だめだよ!」とも言えないし。

    ―― 解散の危機から15年以上が経って、おふたりの現在の立ち位置を、児嶋さん自身はどういう風に思っていますか?

    児嶋 うーん……、まぁなんかお互いやりたいこととか、コンビとしてのキャラクターがはっきりしてるので、いいと思いますよ。昔は、どっちがボケでどっちがツッコミかわかんない、同じ背格好の、特に何もないふたりだったのに比べれば全然いいですけどね。渡部はしっかりしててグルメで、高校野球詳しくて、嫁さんきれいでとか、なんかあるじゃないですか、ポイントが。僕は真逆で全然メシのこともわかんないけど、色々みんなにいじられたりとか、ポジションが与えられたというか。当然のことなんですけど、やっぱ「知られてる」状態になるまでが本当に大変なんですよね、この世界。解散を考えてた頃には夢にも思わなかったですよ、みなさんにこんなに知っていただけるようになるなんて。

    写真=平松市聖/文藝春秋

    #2 アンジャッシュ児嶋「ヒロミさんに弟子入り志願した思い出」
    http://bunshun.jp/articles/-/7055

    #3 結成25年アンジャッシュ 本人が語る「児嶋だよ!」で見つけた“居場所”
    http://bunshun.jp/articles/-/7057

    こじま・かずや/1972年、東京・八王子市生まれ。人力舎のお笑い養成学校「スクールJCA」の1期生。93年、高校の同級生である渡部建と「アンジャッシュ」を結成。俳優としても活躍し、黒沢清作品『トウキョウソナタ』『散歩する侵略者』、園子温作品『恋の罪』などにも出演。日本プロ麻雀協会第3期プロ試験合格の「プロ雀士」でもある。

    (てれびのスキマ)

    ©平松市聖/文藝春秋


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    【【芸人】アンジャッシュ児嶋が明かす「コンビ解散を決めたあの日の夜」】の続きを読む



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    「アンジャッシュ・児嶋」とは一体何者なのか? 1993年にコンビ結成以来、お笑いブームの中心にあり続けた児嶋一哉さんの、お笑いの原点はどこにあるのか? デビューまでの軌跡をてれびのスキマさんが伺います。(全3回の2回目/#1より続く)

    ジャニーズに履歴書を送ったことがある

    ―― 児嶋さんが子どもの頃、よく見ていたテレビは何ですか。

    児嶋 小学生の頃だと「たのきんトリオ」とかアイドル全盛時代だったんですよ。だから近藤真彦さん、(松田)聖子さん、(中森)明菜ちゃん、キョンキョン(小泉今日子)……。自然と見る番組も『ヤンヤン歌うスタジオ』とか、マッチやトシちゃん(田原俊彦)がコントをやる『カックラキン大放送!!』とか、歌番組だと『ザ・ベストテン』とか『ザ・トップテン』。まあ、アイドルが好きでした。どっかでアイドルになりたいなと思ってたんでしょうね。

    ―― 具体的にアイドルになろうとしたことはあるんですか?

    児嶋 実はジャニーズ事務所に履歴書を送ったことがあるんですよ。中学の時かな。あとは、映画のオーディションとか事務所のオーディションとか、何個か行ってみたりとか。雑誌読んでたら、「原宿でスカウトされた」とかデビューした人が言ってるから、八王子からわざわざ出かけてうろちょろしてみたり。

    ―― 憧れていたアイドルは……。

    児嶋 マッチですね。光GENJIさんとかはたぶん同世代ぐらいで、中学ぐらいの時に観てました。カッコいいなとか、楽しそうだなとか思ってました。でも、完全にマッチです、僕の憧れは。今、マッチさんと同じ美容室に通ってるんですよ。仕事で美容室ロケをしていたら、偶然その店からマッチさんが出て来られるのを目撃したんです。それ以来、通ってます(笑)。

    ―― ドラマは観てましたか。

    児嶋 ドラマはねえ、よく覚えてるのは『熱中時代』とか、『あばれはっちゃく』、『(3年B組)金八先生』。あと『あぶない刑事』を観てましたね。カッコいいなぁと思って。

    『夕ニャン』で、すげーカッコいい人が出てきたな、って

    ―― お笑い番組とかはどうでしたか。

    児嶋 『(オレたち)ひょうきん族』で育ちました。もちろん「ドリフ」は当然観てましたし、それ以前だと欽ちゃんか。欽ちゃんは、月曜日、水曜日、金曜日と番組持ってたんじゃないかな。「視聴率100%男」と言われていた時代ですよね。全部観てました。欽ちゃん、ドリフ、ひょうきん族と来て、その後『夕ニャン(夕やけニャンニャン)』ですね。

    ―― とんねるず。

    児嶋 とんねるずさんには衝撃を受けました。お笑いで、すげーカッコいい人が出てきたな、って。だから『みなさんのおかげです』はずっと好きでした。そして、ダウンタウンさんが登場する。僕にとっては、ここで完全に「お笑い」というものを意識しましたね。それまでは、お笑い芸人って元気出して「ワーッ」「アーッ」って、勢い優先って感じがしてたんですよ。でも、ダウンタウンさんのお笑いを観て、もう全然こっちに媚びてないし、若手っぽい気負いも見せないし、だらっと出てきて爆笑かっさらう。『ごっつ(ええ感じ)』とか『ガキの使い(やあらへんで!)』は夢中で観てましたね。お笑い芸人になりたいって夢を見た最初です。

    ダウンタウンさんの影響で1回みんな「おかしくなる」

    ―― ダウンタウンの影響はやはり大きかったんですね。

    児嶋 一番多感な時期に登場したのがダウンタウンさんでしたから、学校でも真似したりね。僕ら周りみんなそうでしたけど、一回それでおかしくなるんですよね。

    ―― おかしくなる(笑)。

    児嶋 センスいいことをボソッと言う松本さんの芸風なんて、素人が真似できるわけない。それで確実にスベりますよね。浜田さんの影響を受けて「殺すぞ!」みたいな強いツッコミだって、素人が手を出せるものじゃないし。

    高校は共学なのに女の子としゃべった記憶もない

    ―― 児嶋さんは学生時代、どんな人だったんですか。

    児嶋 時期によって全然違うんですよ。小学校はサッカーをやってて、運動神経もまぁまぁ良かったんです。それで足も速いほうでリレーの選手とかになる。それで体も大きかったから、ケンカも強い。そういう奴って、一目置かれるじゃないですか。だからわりとシャイだけど、目立つ存在ではありました。中学校でも2年までは陸上部。勉強も一生懸命、1年ぐらいやってみたんですよ。それでクラスで5番ぐらいになったのかな。でもそれが限界だったんですけどね。バレンタインにも2、3個チョコをもらいましたね。まぁまぁもらえるぐらいにはモテたんです。

    ―― いい学生時代ですね。

    児嶋 でも高校で一変しちゃうんです。あんまり高校に行かずにさぼっちゃって。修学旅行も文化祭も体育祭も1回も顔を出さない、ちょっと気持ち悪いやつになっちゃったんです。共学なのに女の子としゃべった記憶もない。

    ―― 中学では活発だったのに、なんでそんなことになったんですか?

    児嶋 僕の中ではもう芸能界に入ろうと決めてた。だから高校は辞めるつもりで行ってたんです、勝手に。何のあてもないんですけど。だから「文化祭とか体育祭とかではしゃいでるこいつらバカじゃない? クソガキだなぁ」とか、すっごい引いてたんですよ。やなヤツでしょ。でも芸能界目指してるとは表立って言わないんですよ。だから周りからみたら、なんだこいつ気持ち悪いって思われてたと思う。

    ―― 芸能界を目指して素人参加番組に出ようとは思わなかったんですか。

    児嶋 めちゃくちゃ緊張しいだし、シャイだし。そんな勇気はないですね。だから、まあ中途半端な時代ですよ。

    最悪の第一印象でしたね、渡部は

    ―― 相方の渡部さんと出会われたのは、高校時代?

    児嶋 高校2年の時に同じクラスになりました。

    ―― どういう印象でしたか。

    児嶋 最悪の第一印象でしたね。体育の授業が終わって、渡部が横で着替えてたんですよ。その日は『少年ジャンプ』の発売日で、渡部がジャンプ買ってたみたいなんですけど、「俺のジャンプねぇな。あれ? 知らない?」みたいな話してて。そしたら、パッと俺の顔を見て、「お前ジャンプ取ったろ」って。「取ってねーよ」。これが最初の会話なんです。

    ―― いきなり泥棒扱い(笑)。

    児嶋 最悪。あいつは全く覚えてないんですけど。

    ―― 渡部さんはクラスではどのようなポジションだったんですか?

    児嶋 人気者でしたね。見た目もいいし、さわやか。番長の横にいる、賑やかしタイプで、いつもいいポジションにいる感じでしたね。渡部いわく「クラスの1軍」。それで俺が「3軍」なんだそうですよ、俺は認めてないですけど(笑)。

    ―― 渡部さんとは遊ぶような仲じゃなかったんですか?

    児嶋 そうですね。ゲーセン行ったりする仲間はいたんですけど、渡部は違ったな。

    近所のスター・ヒロミさんに弟子入り志願

    ―― 芸人になるために、ヒロミさんに相談されたことがあるそうですね?

    児嶋 高3ぐらいだったかな。人づてでヒロミさんの弟子になりたいと伝えてもらったことがあります。実家同士が近くて、ヒロミさんの妹さんが僕の同級生だったこともあって、親同士も知っていたんです。それで何回かヒロミさんのご実家に通ったりしてたら、「じゃあ1回会いましょう」という風になって。それが19歳……、高校卒業した後ぐらいだと思います。

    ―― ヒロミさんとはどこでお会いになったんですか?

    児嶋 『1or8』という番組の収録現場にお邪魔したんですよ。なんか倉庫みたいなところだったような記憶がありますね。それで空き時間の楽屋に入れてもらって、お話ししたんですよ。ヒロミさんには「俺が弟子なんかとってもしょうがない」って断られたんですけど、そんな話をしてるすぐ横に、飯島直子さんがいたのを覚えてます。

    ―― 当時の児嶋さんにとって、ヒロミさんってどんな存在だったんですか。

    児嶋 近所のスターですから、憧れてました。カッコいいなーって。だって同級生のお兄ちゃんがあのたけしさん、さんまさん、ダウンタウンさん、とんねるずさん、タモリさん……、テレビの向こう側にいるトップスターとお笑いで絡んでるんですよ。わぁ、なんか夢あるなって。だからある意味一番影響を受けてるかもしれないですね。テレビの世界が身近に感じていたのもヒロミさんのおかげだろうと思っています。

    人力舎のお笑い養成所に「補欠合格」

    ―― 現在の事務所、人力舎に所属されるようになったのは、どんなきっかけなんですか?

    児嶋 ヒロミさんにお会いしたときに、当時のマネージャーの方から「うちの事務所でお笑い養成所が始まるらしいから、そこ行ってみたらどうだ」って教えていただいたんです。

    ―― それが人力舎の養成所、スクールJCAなんですね。

    児嶋 締め切りギリギリに履歴書出したんですよ。そうすれば、オーディション番号から、何人くらい受験して、どれくらいの倍率でって事前に把握できるから。そしたら107番だったんですよ。お、意外と受けるんだな、なんて思って会場に行ったら7人しかいないの(笑)。事務所がカッコつけるために、100から番号をつけてたんですよ。うわっなんだ、きたねーって。

    ―― あはは(笑)。

    児嶋 7人中6人合格、1人補欠合格。その補欠合格っていうのが僕。

    ―― え、唯一の補欠合格なんですか!

    児嶋 もう全然目も合わせない、声も小さい、ちょっとヤバいやつって感じだったらしいですよ。でも事務所的には養成所始めたばっかりだったので、当時入校料が60万円だったと思うんですけど、「60万払えるか」って言われて、「払えます」って言ったら、「まぁ、じゃあ補欠合格で」みたいな感じ(笑)。

    ―― その時の審査員はどんな方々だったんですか。

    児嶋 先輩芸人のブッチャーブラザーズさん、亡くなった先代の社長、シティーボーイズさん、B21(スペシャル)のマネージャーさんといった方々だったと思います。

    大竹まことの授業、斉木しげるの授業

    ―― 授業には色んなタレントさんが来たんですか。

    児嶋 そういう風にチラシに書いてたんですけどね。大竹まことさんの顔をドーンって載せた募集チラシだったんですよ。B21の名前もあって。でもB21も来なかったし、大竹さんも1回だけですね。

    ―― 大竹さんの授業、覚えてますか。

    児嶋 えっとね、2時間の授業なんですけど、大竹さん1時間遅刻してきて(笑)。で、特に謝りもなく授業が始まって「好きなタレントと嫌いなタレントをバーッと書いてみ」って言うんですよ。それで1人1人発表する。大竹さんはフンフン聞いて、最後に「こうやって色々好き嫌いあるんだよな、じゃあ」って帰っちゃった。

    ―― えーっ!(笑)

    児嶋 結局、何の授業だったんだっていう(笑)。あ、あと、そこにいないのに斉木(しげる)さんのギャラがいくらなのかを教えてくれましたね。

    ―― ハハハ。その斉木さんの授業はあったんですか?

    児嶋 斉木さんは意外と実践的な授業をしてくれたんですよ。エチュードっぽいことをやったような気がします。でも、考えて見たら講師陣も大変だったと思うんですよ。大阪にはよしもとのNSCがありましたけど、東京にはお笑いの養成所がなかった時代なので。JCAって関東初の養成所なんですよね。だから、お笑い目指している若いのに何を教えたらいいんだって、手探りだったと思う。しかも僕らは「ネタ見せ」するよりもっともっと前の段階だったので、何の基礎もない奴らに教えるのは難しかったんだろうなって。大竹さんの気持ちもわかる気がします、今では(笑)。

    ―― 児嶋さんが渡部さんを誘ってコンビを組むことになりますが、渡部さんはJCA2期生になるんですか?

    児嶋 うちの養成所は2年制だったんですけど、渡部は僕が通い始めて1年経った頃に連れて行ったんですよ。だから2期生扱いになるんだけど、実はこっそり1期生時代から一緒に通っていたんです。社長にも「こいつと組みます」って言っていたし、事務所所属扱いになったのも早かった。だから、あいつはたぶん、養成所のお金もほぼ払わないまま事務所に入ってるんじゃないかな。そんな感じで、2人でアンジャッシュを結成したのが1993年のことですね。

    #1 アンジャッシュ児嶋が明かす「コンビ解散を決めたあの日の夜」
    http://bunshun.jp/articles/-/7054

    #3 結成25年アンジャッシュ 本人が語る「児嶋だよ!」で見つけた“居場所”
    http://bunshun.jp/articles/-/7057

    写真=平松市聖/文藝春秋

    こじま・かずや/1972年、東京・八王子市生まれ。人力舎のお笑い養成学校「スクールJCA」の1期生。93年、高校の同級生である渡部建と「アンジャッシュ」を結成。俳優としても活躍し、黒沢清作品『トウキョウソナタ』『散歩する侵略者』、園子温作品『恋の罪』などにも出演。日本プロ麻雀協会第3期プロ試験合格の「プロ雀士」でもある。

    (てれびのスキマ)

    ©平松市聖/文藝春秋


    (出典 news.nicovideo.jp)

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