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 1/10は慶応義塾創立者福沢諭吉の誕生日(1835年)で、早稲田大学創立者大隈重信の逝去日(1922年)で何かと縁が有る。
 福沢諭吉と大隈重信は仲がよく、早稲田と慶応はライバルだが、三田会(慶応義塾の卒業生会)は稲門会(早稲田大学の卒業生会)のメンバーを呼び、稲門会も三田会のメンバーを呼ぶのが普通である。
 優れたライバルは自らの弱点に気付かせてくれたり、モチベーションを大きく上げてくれたりするので、向上するにはライバルは甘ったるい友情に優り大きく貢献する価値有る存在だ。
(同性愛より異性愛の方がノーマルとされるのと類似性が有る)


[福沢諭吉名言集]
福沢諭吉著作~学問のすすめ、西洋事情、文明論之概略、福翁自伝など

 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり。

 日本人も 西洋諸国の人民も同じ天地の間にあって、同じ太陽同じ月・海・空気を共にし、 互いに通じ合う人情を持つ 人民ではないか。

 余った産物は与え、 外国に余っている物産はもらい、教え合い、学び合い、 恥じたり自慢したりせず互いに相手国の便利を考えて その発展を願うべきであろう。

 学問を志した以上、 大いに学問に励むべきだ。
農業に就くなら豪農に、 商業に入るなら 大商人になりたまえ。
 学生は小さな安定に満足してはならない。
粗衣、粗食、寒暑に耐え 米をまき、薪を割り、それでも学問はできるのである。

 人たるものは他人の権利の妨げさえしなければ、自由に行動すべきで、 他人の利害に関係せぬ以上は はたからあれこれ 口を出されるいわれはない。
 好きなところへ行き いたいと思う場所にとどまり遊ぼうと働こうと 寝ていようと それは本人の勝手なのである。
 自由とわがままの違いは 他人を妨げるかどうかである。

 学問の本質は 学問を自分がどう活用できるか にかかっている。
現実社会に 応用できないような学問は 無学と言われても当然である。
あまり人生を重く見ず 捨て身になって 何事も一心になすべし。
 人に貴賎はないが 勉強したかしないか の差は大きい。
賢人と愚人の違いは 学ぶか学ばないかによって 決まるのである。

 古典の「古事記」を 暗記していてもこんにちの米の値段を 知らないのでは、 日常生活の知識すらない男 というほかない。
 中国の古典の 奥義をきわめても商売のやり方を知らず、 取引ひとつできぬようでは、 収支の知識の問屋にすぎない。
 それではめし食べる 辞書であり国のためには無用の長物 国家経済にとっては、 有害な穀潰しと言っていい。

 他人の迷惑にならない 「欲望」は、 すべて善である。
努力は、 「天命」さえも変える。
 やってもみないで、 「事の成否」を疑うな。
自分の力を 発揮できるところに運命は開ける。
 世間の物事は、 進歩しないものはすたれ、退かず努力するものは 必ず前進する。
進みも退くもせずに、 ぐずぐず止まっているものなど あるはずがないのである。

自分の考えだけで、 他人を評価してはならない。

 顔色や容貌を いきいきと明るく見せることは 人間としての 基本的なモラルである。
なぜなら人の顔色は 家の門口のような ものだからである。
 広く人と交際して 自由に付き合うには門をひらき 入口を清潔にし、 客が入りやすく することが大事である。
ところが、本心は 人と交際を深めたいのに 顔色に意を用いず、孔子の格言を信じて ことさら渋い顔つきを示すのは入口にガイコツをぶら下げ 門前に棺桶を 置いているようなものである。
これでは 誰も近づかなくなる。

 理想が高尚でなければ 活動もまた高尚にはならない。
理論と実行とは 寸分の食い違うことなく 一致させねばならない。
 人間の行動には おのずから制約が なくてはならない。
また行動するには 時と場所をわきまえて いなくてはならぬ。
 道徳を説くことが 大切だからと言っても楽しい宴会の最中に 突然説教をはじめたら 笑いものになるのが落ちだ。

 場所柄や時節柄を よくわきまえて 行動を制御するのも 確かな判断力による。
行動だけが活発で 判断力にかけているのは、 舟に舵がないようなものだ。
役に立たぬどころか、害を及ぼすことの方が多い。

善は人のためならず、自分のため

法は「簡にして厳」 であるべきである。



[大隈重信名言集]
大隈重信著作
単著ー東西文明之調和、国議院設立意見、大隈伯演説集、人種問題
選集ー大隈文書
編著ー開国五十年史

諸君は必ず失敗する。

成功があるかもしれませんけど、成功より失敗が多い。


失敗に落胆しなさるな。

失敗に打ち勝たねばならぬ。


1、怒るな

2、愚痴をこぼすな

3、過去を顧みるな

4、望(のぞみ)を将来に置け

5、人のために善をなせ

(「長生五カ条」より)


学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。


しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統(す)ぶる意志の大いなる力がいる

これは勇気である。


人間が生きるのは、社会の利益のために存在するということだ。

ただ生きてるのではつまらない。


道が窮(きわま)ったかのようで他に道があるのは世の常である。


時のある限り、人のある限り、道が窮るという理由はないのである。


わが輩は楽観説である。

人生を重んじて、常に未来に光明を望んで行くのである。


幾多の失敗を重ねたが、しかし恐縮はせぬ。


失敗はわが師なり、失敗はわが大なる進歩の一部なり。








☆法律の早慶戦
、政治の早慶戦、経済の早慶戦、マスコミの早慶戦、科学の早慶戦、凡ゆるスポーツの早慶戦、その他の早慶戦については他日に待ちたい。