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「大隈重信」の画像検索結果
「福沢諭吉」の画像検索結果

 東京六大学野球は珍しく立教が優勝した。
全体水準の底上げになる意味で良いことだ。
 早慶戦二戦目に慶応が連勝すれば慶応優勝だったが、優勝がかかっていない早稲田が勝って慶応の優勝を阻んだ。
 一応、慶応には残念なことではあるが、本当のライバルはわざと勝ちを譲ったりしない。
 ライバルを重んじるからこそ、早慶戦を重んじるからこそ優勝がかかっていなくても全力を尽くすのだ。
 本当のライバルは優勝がかかっていないために手を抜いたりしない。
 手を抜く方がライバルに失礼である。


 「福沢先生と我輩は一心同体」(大隈重信)について何が言えるか?

*「(福沢)先生も凡人主義、我輩も凡人主義、意気合投じて交際したのだから、その交際たるや愈々深くなって来た。
 それで我輩も(福沢)先生を訪えば(福沢)先生も宅へ遊びに来る。
 (福沢)先生が来れば妻が酌をして酒を飲ませる。 
 我輩が行けば奥さんなりお嬢さんなりの酌で飲むという次第で、ほとんど親族同士の懇意さになって来た。
 我輩が法令訓令命令を以て国内を治め、政府の力で国を文明に導こうと趣向を凝らすと、(福沢)先生は教育の立場から功利主義を鼓吹して、一生懸命に文明思想の注入に力める。
ー中略ー
 (福沢)先生と我輩とは、活動の方面こそ違え、同一の趣向、合似たる境遇、近似せる主義を以て社会に立ったのである。
ー中略ー
 何時の間にか知らず知らず口調さえ(福沢)先生に似て来る。
 果ては(福沢)先生と我輩とは一心同体にして社会に尽くすべき約束がある如くにさえ感じたのだ。」(大隈重信)

*実際に福沢先生と大隈侯は仲が良かった。

*大隈重信が明治14年政変で下野した時は、犬養・尾崎等多くの慶応義塾出身者も共に下野し、政治スタンス・政治行動も同じだった。

*現行憲法下でも、田中派竹下派の7奉行の殆どが早稲田慶応出身で、助け合い要職を交替に歴任したので、その後早稲田慶応出身の首相が増えた。

*どこの三田会でも稲門会を来賓に呼び、稲門会も三田会を来賓に呼ぶ。

*最近、早稲田大学の某幹部と話したが、早稲田大学は本気で世界的な大学になることを考えているようだ。

*欠点を直すことは進歩向上の最短距離である以上、良きライバルを持つ大学、個人、会社、国は幸せだ。
 良きライバルは親友に劣らないほど進歩向上に貢献する。






☆慶応福沢諭吉と法、早稲田大隈重信と法については他日に待ちたい。