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 「勝海舟と西郷隆盛」のイベントに、西郷家と大名島津家の両方の血を引くSさんから誘われ出席した。
(①一般の出席者も多数。約700人。
②Sさんは年上の大事な友人。 時々電話を頂き長時間お話する。 長所も異なるしお互いに敬意を持て良いお付き合いになっている。
 西郷家と大名島津家の両方の資料を多く所有するSさんは西郷隆盛がクリスチャンだと確信を持って言っている。 確かに座右の銘「敬天愛人」も、江戸無血開城も、庄内藩を許したのもクリスチャン的だし、民衆に聖書を教えたのも事実。
③西郷隆盛は征韓論に敗れて下野したと思っている人が多いだろうが、目指す外交は自身の派遣による対話を軸とした『遣韓』であり『征韓』ではない」と解釈するのが日頃の西郷隆盛の生き方にマッチする。)



[勝海舟]

①西郷どんと共に江戸無血開城を成し遂げた。
②福沢諭吉らと共に咸臨丸乗船
(勝海舟が船長とも木村摂津守が船長とも言われる。)
③勝海舟の息子娘は福沢諭吉の息子娘や西郷どん子孫同様クリスチャン。 本人も死の直前信じた。



[西郷どんと福沢諭吉]

西郷隆盛は福沢諭吉を高く評価し、福沢先生も西郷隆盛を高く評価していた。

福澤の著作を愛読した西郷は「目が覚めた」と手紙に書き、薩摩の子弟の慶應義塾入学を奨励したし、「(福沢諭吉の)識見、議論の卓絶せるのを賞賛してやまず」と評し、西郷の設立した私学校の生徒に福沢の著作を読むことを勧めた。

「(廃藩置県)当時吾々同友は三五相会すれば即ち相祝し、新政府の此盛事を見たる上は死するも憾みなしと絶叫したるものなり」福沢)
「新政府の勇気は「西洋事情」どころか、それより一段も二段も先に進んで思い切ったことを断行してアベコベに著述者を驚かす程のことも折々見えるから、ソコデ私も(自分一身の衣食さえ出来れば結構という)大願成就に安んじていられない。 コリャ面白い、此勢いに乗じて更に大に西洋文明の空気を吹き込み、全国の人心を根底から転覆して、絶遠の東洋に一新文明国を開き、・・・」福沢)

「西郷の死は憐れむべし、之を死地に陥れたるものは政府なり」(福沢)
「政府は啻(ただ)に彼れを死地に陥れたるのみに非ず、又従て之を殺したる者と云うべし。西郷は天下の人物なり。福沢)


[西郷どんと大隈重信]

①明治維新を西郷隆盛は初期の最大の立役者・武人として支え、大隈重信は、外務大臣・大蔵大臣・官僚・二度の総理大臣・早稲田大学の創設者・教育者として支えた。

②大隈侯は西郷どんを「人情については極めて厚かった」と評している。

③西郷どんは四民平等実施、大隈侯は凡人主義、福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」で法的感覚も三者共通している。







 Sさんは「(今の日本は変な事件もよく起こるが、西郷どん子孫・島津家子孫として、年輩者として)今の日本に良いものを残したい」と言った。
 確かに明治維新時は、「良きを取り悪しきを捨て」(明治天皇)る進取の精神と伝統のバランスがとても良かったし、西郷どんも「人は己に克つを以て成り、己を愛するを以て敗るる」と言い、エゴを捨て自らの命以上に社会・国家の発展を思う人が多かった。
(実際、西郷どんも命を落としたし、福沢諭吉や大隈重信や勝海舟も命を狙われた。)
 改めて往時を偲び、歴史に学び、身を正して反省改善を図り、良いものを残して行きたい。