2009年10月10日
いきなり!最終回
冷静に考えればこの2年間、私は半分「待機状態」だったのかもしれません。もしかしたらまた日米タイムズで必要とされるときが来るんじゃないか、と。日本での仕事を始めながらも、片足はいつも引いていました。海外へ旅行に行こうと誘われても、渡米のためのお金を残しておきたかったし、中国語を勉強しようかと思っても、英語を忘れるのが怖くて続けられませんでした。
今回、みんなで日米タイムズの終わりを見届け、みんなが次の道へ進んでいくのを見届け、私もようやく自分の縄から解き放たれたような気がします。英語もあまり聞き取れなくなっていたけど、それもいい、と思うようになりました。
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これから日本でやっていくこと。それは、一生懸命仕事して生きていくことです。一生懸命に生きなければ人生は楽しくない。そして同じように、楽しそうに生きている人たちとつながっていきたい。日本でもアメリカでも。
このサイトはどうやら、SF時代のブログのエピローグだったようです。自分でも分からなかったけど。
ということは、このブログの役割もようやく終わるということです。
地に足をつけて生活していくために。
私のお友達の人は、きっとまた私に会えるはずです。お友達でない人は、またいつか会える日まで。
中途半端なブログでしたけど、読んでくださってありがとう!感謝しています。
2009年10月07日
サンノゼいろいろ

でもワインって本当に難しいですね。同じメーカーの白ワインでも、ランクや年が違うとおいしくない(私にとって)。昼は景色のきれいな水辺で、パンとチーズとシチューを買って食べました。
直接会わないと話せない話、というのがあります。つまらなすぎて話せないこと、重すぎて話せないこと…。直接会うことのうれしさを感じる日でした。ウナギさんありがとう!
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後半戦はカルトレインでサンノゼへ大移動。ブログ仲間のまあちゃんちへ2日間お世話になりました。まあちゃんありがとう!


3度も吐いたという壮絶なマラソンレースの後にもかかわらず、かけつけてくれたありすさんありがとう。パートナーさんからのピラフの差し入れもありました。ぴろりんさんの奥さんのあきあきさんにも会えて、本当に楽しかったです。


食後は夜更けのジャグジーで、足湯しながらとりとめのない世間話をしました。
月曜は映画「サロゲート」を見ました。映画館、行きたかったんです。アメリカの雰囲気が味わえるかなと思って。でも来ていたアメリカ人は、多分7人くらい(笑)?平日なのでガラガラでした。


あと、お昼に念願のメキシカン・タコスを食べました。アメリカに来たらぜひ食べておきたいものって、結局こういうファストフードかもしれない。

映画のあとは、オオシ君の家で再び満月撮影会&ピザパーティー!オオシ君ありがとうございました。オオシ君の家はサンノゼのダウンタウンにあります。これがサンノゼの町の灯と満月です。見晴らしがいいですねえ。
手作りピザは、簡単に作れました。日本でも作ろうかな。みんなで作ると楽しいね。
月曜夜中は、漫画「20世紀少年」読破にチャレンジ。午前3時半すぎ、15巻でダウンしました。

火曜はまあちゃんに送ってもらいサンフランシスコ空港へ。そこへ予期せぬ渋滞が。おおー、何だ?

おかげで、「空港で20世紀少年の続きを読もう!」と6冊くらい持って行ったのに、読まないままに搭乗手続きし、まあちゃんと手を振ってお別れしました。
ああ、みんなと日々を全力疾走できて楽しかった!ありがとう!
2009年10月03日
サンフランシスコいろいろ
明日は早いので更新しないでおこうと思ったけど、ちょっとだけ。
私の滞在しているところは元ハウスメイトのパメラの家なのですが、家の近くには中華街のクレメント通りやゴールデンゲートパーク、デ・ヤング美術館、自然博物館のカリフォルニア・アカデミー・オブ・サイエンスがあります。今日はそれらのご近所さんを訪ねて歩きました。
クレメント通りでは「キング・オブ・タイヌードル」のパッタイをテイクアウト。やっぱり評判通りにおいしい!太ったエビとシャキシャキのもやし、ソースのよく絡まった米粉麺。はー、ごちそうさまでした。クレメント通り近くの図書館では、日系教会の牧師さんの旦那さんにも会いました。
ゴールデンゲートパークに行くと、新しくなったアカデミー・オブ・サイエンスに人だかりが。何かと思ったら、私の住むリッチモンド地区の人は2日から4日まで「秋のネイバーフッド・フリー・デー」のため入場無料なのでした。ネイバーフッドとはどうもSF全般をさすようで、地区ごとに無料の日が違います。情報はこちら。
この博物館は水族館と温室と博物館がひとつになったような建物です。水族館には、多分モントレー水族館を意識しているのではと思わせる巨大な水槽がありました。モントレーに比べると、少し水族館への情熱が少ないかなー。水は何となく濁っている気がする。モントレーのように波がないから、仕方ないか。モントレーまで行かなくてもいいのはよいかな。
この博物館のマスコットは白いワニです。染色体異常で生まれたのかなー。自然界は厳しいとはいえ、ここで人生(ワニ生)を終えることを、ワニ君はどう思っているのだろう。ほかの魚たちも同じ運命ですけれど。
続いてデ・ヤング美術館。ツタンカーメン展をしていました。ポスターはあの有名なツタンカーメンの棺。本物が見られるのかな?一般入場料が週末で32ドル(3000円)。時間がなかったので、売店だけ見てきました。
売店の横に何か展示してあると思ったら、売り物の椅子でした。2300ドル(20万円)。うわー、いかにも成金っぽくないですか?それか呪いがかかっていそう(笑)。あ、脇の衛兵みたいなのは、また別の値段がついていたようです。
そのあとパメラとベジタリアンレストランにいって、初の正式なベジフードを食べました。
「そろそろ実家を出ないの?」とパメラ。事務所とマンションの両方の家賃が払えるようになったら出るつもりではいるんですけどねー。できれば大きいマンションを借りて、帰ってきた日本人たちのためのゲストルームをつくりたいと思っています。夢が大きすぎるから、いつまでも実家から出られないのか(笑)。
おおー、書きすぎ。もう寝ます。
2009年10月02日
あと5日
いつも昼御飯を食べていた公園でひと休み。
日米タイムズ事務所退去の投稿はこちらに書きました。
仕事上の訪問先にも行ってきて、これで公式行事は終わり。ばんざーい。
あとは時間を惜しみつつ、洗濯と買い物と散歩を楽しみます。ちょっと更新はとどこおるかもしれませんが、また書きまーす。
2009年09月30日
いつもの出勤日のように
最高の思い出が残っている場所に帰るのは怖い、という感覚を分かっていただけるでしょうか。私はSFへ帰るのが怖いと思っていました。
けれど、会う人はみな変わることなく私を迎えてくれ、私は涙もろいおばあさんのように、何を見聞きしても、胸がいっぱいになるのでした。
2年というのは長くもなく短くもなく、微妙な期間です。さて、SFへ来てから5日が過ぎ、明日はいよいよ日米タイムズ事務所退去の日です。
先人手作りの頑丈な棚を金づちで壊し、古新聞の束をバケツリレーのようにしてトラックへ積み、部屋がどんどん広くなっていきます。
私を受け入れてくれる場所がひとつ、消えてしまうなあ。バーベキューで牛肉100%の濃厚なハンバーガーを食べましたが、これもアメリカでしか味わえないなあと思います。お金で買うことができない、みんなで焼くハンバーガーです。
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この5日間は本当に運良く、いろいろな人に会いました。そして一生懸命アメリカで暮らす人たちを見て、はっとさせられることもありました。私も日本で一生懸命に生きたい。そして再会のときにはお互いの健闘をたたえあって乾杯したいな、と思います。
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次の5日間もいろいろな人に会えます。とても楽しみにしています。
2009年09月27日
SFにつきました
SFにつきました。
インターネットができませんが、私は元気です。
英語はちょっと怖かったけど、もう大分慣れました。
早口言葉、挑戦してくれた方ありがとう!難しいでしょう?
2009年09月25日
ハンカチ持った?
ふくしましょうひしゃしょうしかたんとうだいじん、
ふくしましょうひしゃしょうしかたんとうだいじん、
福島消費者少子化担当大臣!
詰まらず言えましたか?それではSFに向けて出発進行ー!
2009年09月22日
温暖化現象と秋の空

最高気温30度。暑すぎるでしょう?9月も21日になったというのに。

彼岸花も一斉に咲き始めたというのに。え、白いって?そう、うちには白い彼岸花があるのです。
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映画「おくりびと」をテレビで見ました。良かった。亡くなってからでなければ真正面から向き合えない、という関係がある。生きているうちにこうしてあげればよかったという思いを、納棺師の人が丁寧にすくい上げてくれるような気がします。
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旅行準備は第3フェーズの貴重品類へ。ESTAの登録を忘れていることに気づき、登録してたらパスポートを棚に入れっぱなしにしていることに気づき、包むお金もまだ包んでいないことに気づき、…明日へ続く(笑)。
2009年09月19日
消えたアイマスク
旅行準備も第2フェーズに入りました。第2フェーズは着替えと日用品。そこでふと思いました。サンフランシスコでどんな服を着てたっけ…。確か夏でもコートを着ていた私。ホントにそんなに寒かったっけ。
アイマスクが見当たらないので、100円ショップへ調達に行きました。そこでアイマスクを手に取ろうとしたとたん、忘れていた思い出がフラッシュバックしてきました。
な くなったアイマスクを着けている私は、飛行機に乗っていました。そのアイマスクは鼻と目の隙間から光が漏れないように眼の下がピッタリと目張りされるタイ プのものでした。そのアイマスクの下で、私は涙をいっぱいためていて、アイマスクがピッタリしているものだから、流れる涙がアイマスクの中でたまってしま い、「うわー、このままたまったらどうなるのかな」と思っていました。
あれは2年前の、帰国の飛行機だったのだろうか。きっと濡れたアイマスクを洗濯するか何かして、どこかへやってしまったんだなあ。
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今 回のサンフランシスコ行きを決めた時、あれもしたい、これもしたいとすごく思いめぐらせていましたが、今はちょっと落ち着いています。今の仕事を置いて行 かせてもらえることに感謝して、予想より早くSFを再訪できることに感謝して、再会できる人たちに感謝して、予算の許す範囲内で、流れのままに楽しもうと 思います。
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今日は「オーラの泉」の最終回。この番組を楽しみにしていた人々も、次のフェーズへと移らなければいけません。
日米タイムズの人たちも、次のフェーズへ移る。
次のフェーズへ進むたびに、昔の人たちと離れていく。なくなってしまうものもある。それでも前に進むんだということを、自分に言い聞かせるような、そんな旅行になりそうな気もします。
太鼓とピアノのさじかげん
ピアノと太鼓のコンサート、聞いただけなのに、集中しすぎて疲れたのかな。
太鼓というのは迫力があるけれど、なぜか何曲も聴いていると飽きてくる。基本リズムを刻むということが「単調さ」につながるからだろうと思います。あと、基本リズムに頼って変化が乏しくなるとか。でも、今回聞いた山部兄弟の太鼓は違いました。基本リズムの単調さが表に出ないよう、すごいスピードの連打でリズムを「メロディー」につなげていきます。山部兄の紹介画像はこちら。
そして、松本君のピアノ。フルパワーで叩く太鼓と合わせると、ピアノはわき役くらいがちょうどいい「さじ加減」なのかもしれません。ピアノのメロディーラインが前面に出すぎると、それまで「リズム」として聞いていた太鼓も「音階」として聞こえるようになり、当然太鼓は1音しかないので、ピアノと太鼓の音階のずれや、太鼓の音階の単調さがちょっと気になる。
ピアノが主なら太鼓は脇になり、太鼓が主ならピアノが脇になる。あるいは、ピアノと太鼓の主従を巧みに入れ替えて。ピアノが太鼓的になってリズム演奏をすることもあり(するとジャズっぽくなります)。こういう組み合わせをいっぱい見せてくれて、飽きることがありませんでした。
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この日、松本君は太鼓に合わせたものすごいスピード連打のピアノ曲を作曲して披露してくれました。
「自分でもひきこなすのが難しい。自分でひくのだからもっとひきやすい曲にすればいいと思うんだけど、やっぱり表現というのは、自分の能力を最大限振り絞らないと到達できないというレベルのものを求めてしまう。だからピアノ曲を選ぶのでも、すぐひける曲は選びたくない」と松本君。それが芸術家の本質なのですね。自分の能力を常に超えようとするところ、アスリートにも似てますね。山部兄は体格からして筋肉隆々のアスリートです(笑)。
自分の能力を最大限振り絞って見せてくれるアーティストのコンサートは、本当に気持ちがいいものです。ありがとう松本君、山部兄弟と太鼓ユニットの人たち!