みなさん、こんにちは! 河村です。
8月だからこそ、みなさんに紹介したい歌があります。
《花の街》です。
1947(昭和22)年にNHKの依頼によって江間章子が作詞し、團伊玖磨が曲を付けました。ラジオ番組のテーマソングとなって全国に広まり、現在は中学校の音楽の教科書に掲載されています。希望に満ちた思いを叙情豊かに歌い上げた曲で、今も親しまれています。
(*著作権の観点から、歌詞を掲載しておりません。)
花、というと俳句の世界では桜を指す春の季語であり、歌詞にも「春よ春よ」と書かれているため、ただ美しい景色を描いた春の歌に思えるかもしれません。
この歌は3番まであります。1番や2番は「七色の谷」「風のリボン」「美しい海」と、鮮やかで綺麗な景色が広がり、「春よ春よ」と駆けて行き、踊っている、うきうきとした様子が窺えます。ここまで聴くと非常に明るくて軽やかな歌ですが、一転、3番になると、すみれ色の窓でひとり寂しく泣いていた、と綴られるのです。
江間章子は、何を描いたのでしょうか。
(2023年、筆者撮影。)
この歌が作られる2年前、1945(昭和20)年の8月の日本は、広島と長崎で未曾有の悲劇が起こり、そして終戦を迎えました。
戦争と気象といえば、ノンフィクション作家・柳田邦男による小説『空白の天気図』が有名でしょう。八月六日を経た広島の気象台職員たちやそれを取り巻く人々の記録です。彼らは大災害の中でも、命を懸けて気象観測を続けていました。しかし、戦時中において天気は機密情報のため広く知らせることを禁止されていたことや、情報伝達手段が正常に機能しなくなったことなどから、観測結果や天気予報は届くべき所に届かなかったのです。人々は、今日の天気すら分からないような空白の日々を過ごしていました。
そして1947年、江間章子がいた東京でも復興があまり進まぬ中、NHKのラジオ番組が「夢を与えるような歌をつくってほしい」と頼んで生まれたのが、《花の街》です。
中学校の音楽の教科書には、作詞者の言葉が掲載されています。
「花の街」は、私の幻想の街です。戦争が終わり、平和が訪れた地上は、瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。
復興が進んでいない中で、江間章子が描いたのは、希望であり、祈りでした。
江間は自身の著書で「『泣いていたよ/街の窓で……』という一行も、焼土に佇つ、戦いに敗れた国の庶民の、住む家も、仕事も失った、途方にくれた悲しみの姿を映しているのだと、作者自身、当時を振り返って想う」と述べています。そして、「花の街」は江間が憧れていたエキゾチックな街・神戸で、花はハイビスカスやブーゲンビリアといった、少なくとも終戦直後の東京では到底手に入らない花をイメージしていたようです。歌詞に登場する「春」とは、たんに季節としての春ではなく、悲しみを乗り越えて、命が再び芽吹いて彩りを取り戻すような、そんな先の未来を指していたのでしょう。
終戦から81年。東京でも、花屋に行けば当たり前のようにハイビスカスやブーゲンビリアを手に入れることができます。空白だった街は、今ではすっかり「花の街」になりました。
この街で未来永劫、色とりどりの花が咲くことを祈るばかりです。
(筆者作。ハイビスカス。)
文責:河村満里愛(https://caster.weathermap.co.jp/kawamura-maria)
参考:
江間章子(1987)『〈夏の思い出〉その想いのゆくえ』宝文館出版, pp.21-24.
小原光一他(2024)『中学生の音楽2・3下』教育芸術社, pp.17-18.
柳田邦男(2011)『空白の天気図』文芸春秋.









