2013年07月21日

大江戸爛柯英傑伝 〜Legend of the Go〜 ‐四‐

1640年
名人中村道碩が亡くなって10年、
その間「名人」は空位のままで碁打ち衆のまとめ役を行う人間がいなかった。

そこで幕府が当代の一流棋士を集めて「名人」を決める会議を行った、
これが史上初めて「名人碁所」を決めるために行われた会議、世に言う「碁所詮議」である。
(正確にはこの時代はまだ「碁所」という役職はなく、
取りまとめ役(名人)を決めるために開かれた会議で「碁所詮議」とは後世につけられたもの)

(うんちく:名人碁所 "めいじんごどころ" ⇒ 「名人」は強さを表す。
名人=九段で最も強い碁打ち1名がなれる。「碁所」は碁界を取り仕切る役職名。
「名人」でなければ「碁所」を務めることができないためセットで呼ばれていた。
現代の「名人」はタイトルの一つ。
予選を勝ち抜いてタイトル戦の七番勝負で勝てば「名人」を名乗れる。)


集められたのがこの時代を代表する打ち手3名、
一世安井算哲、二世本因坊算悦、一世井上玄覚因碩だった。
故・名人中村道碩と兄弟弟子であった一世安井算哲が 「オレがやる!」 と自薦するが、
幕府側に「お前に資格なし」と一蹴されてしまう。
中村道碩の下で共に修行した二世本因坊算悦と一世井上玄覚因碩も
お互いに気を使いあったのか、
共に意見を発しなかったため結局この時は名人碁所は決まらずに終わった、


しかし、この後「名人碁所」を巡り、歴史は大きく動き出すこととなる、、、



江戸時代の碁界には家元と呼ばれる制度があった、
もともと碁打ち衆は個人が独立した存在だったが、
本因坊算砂の弟子たちがそれぞれ世襲制を用い、
実子の他、優秀な弟子や養子に名を継がせるようになっていく。
これが家元制度の始まりである。

1662年に碁将棋衆が正式に寺社奉行の管轄下に置かれることになり、
その時期に家元制度も整備され確立されていった。


家元は次の四家ある。
本因坊家 (一世 本因坊算砂)
井上家   (元祖 中村道硯(算砂の弟子)) 
安井家   (一世 安井算哲(算砂の弟子))
林家    (元祖 林利玄(算砂のライバル))


四家に分かれていることで切磋琢磨し、碁のレベルも飛躍的に向上したが、
一方で当時の最高位「名人」をめぐって血なまぐさい争いも起きた。

家元制度が確立され、
囲碁が正式に寺社奉行の管轄になっていく上で取りまとめ役が必要になった、
その位が「碁所」(ごどころ)である。
「名人」でなければ「碁所」を務めることができなかったため、
「名人碁所」と呼ばれることが多い。

「名人碁所」になれば碁界を牛耳ることができた、
免状の発行から、囲碁に関する様々な決め事まで思いのまま、
御城碁(おしろご)も取り仕切ることが出来た。

(うんちく:御城碁 ⇒ 江戸城「黒書院」にて年に一回徳川将軍の御前で打つ碁の事、
ここで活躍することで碁打ちとしての名声を得ることができた
出場できるのは七段(名人に先の手合い)以上の一流の碁打ちのみ、
例外として六段以下でも家元や跡目、もしくは実力が認められた場合など出場できた。)
※当時の段位制度と現代のプロの段位制度は異なる。

これほどの権力を持つことができるので、
名人を決めるときには必ずと言っていいほど争いが起きた、
もちろん暴力で決着をつけるわけではなく、
一番碁が強い者が名人になれるわけだから番碁で争うことになった。
これを「争碁」(そうご)という。

二代目名人中村道硯以降、名人の座を巡って数々の「争碁」が打たれることになる、
その一番最初となったと言われているのがこの2人の対局だ、、、





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2013年02月28日

大江戸爛柯英傑伝 〜Legend of the Go〜 ‐参‐

本因坊算砂亡き後、「名人」を譲られ、算悦(算砂の実子?)の後見を託された中村道碩は、
算悦をしっかりと育て上げ、後に幕府に願い出て本因坊の名を継がせている。
この時代はまだ世襲制が確立されていなかったため、
算砂が亡くなった後算悦が継ぐまで一時本因坊家は中断されていた。

中村道碩の実力は師匠の一世本因坊 算砂より上であったと言われている。

よく打っていたとされる相手は、
●林 利玄 (算砂のライバル)
●一世安井 算哲 (兄弟弟子)
●一世林 門入因碩 (林 利玄の弟子)
などである。
このうち一世 安井算哲とは120局打ったという記録が残っていて、
道碩40番の勝ち越しだったらしい。(80勝40敗)

林 利玄ともよく打っていたらしいが2局しか棋譜が残されていない、
棋譜から察すると道碩の方がかなり実力は上だったようだ。

残念なのは算砂との対局が一局も残されていないこと、
やはり師匠とはあまり打たなかったためと思われる。
この時代を代表する棋士、算砂と道碩。その2人の対局棋譜を並べてみたかった。



算砂、道碩の時代の碁は「自由棋法」が導入されて間もなかったこともあり、
布石がまだまだ研究されておらず、
序盤の打ち方は現代のプロの解説では酷評されている、

この時代の碁では、空き隅には小目に打つことがほとんど、たまに高目や目ハズシも打たれる、
星打ちは、三々が空いていて損とされていたため見ることはない、

黒白問わず、空き隅を残したまま二手目三手目でいきなりケイマにカカり、
カカられたらほぼ確実に低く一間にハサむ。
そのまま戦いが始まり、一隅で始まった戦いが全局的に波及していく、、、 
というパターンが多く打たれていた。

局部にこだわり碁盤の使い方が狭く、プロの解説を見ると「序盤はアマチュアのよう」なんだそうだ、
並べてると、級位者のような俗筋を打ったかと思うとプロでも目を見張る手筋が飛び出したりして、
別人が打ってるんじゃないかと思うこともある。

現代では空き隅に先着することが重視されてるが、
当時は相手にシマられることを極端なまでに嫌っており、
多くは空き隅を残したままカカリに回っている。
「シマられたら終わり」という考え方でもあったのだろうか、、、?


当時の棋士の棋風は、やはり戦いに継ぐ戦いの展開になることが多いので力碁になりやすい。
特に顕著なのは林 利玄、
アマのように部分にこだわり次々に戦いを仕掛けてゴリゴリと石音が鳴るような石運びを展開する。

下手相手だとその戦闘力は強烈だが、一世本因坊算砂や中村道碩など、
上手相手だといなされて、手痛いカウンターパンチをくらうことも多かった。
まぁでも、並べてるとむしろこういう碁が面白かったりするが、、、


棋理に適った布石理論が確立されていくのは、もう少し先の時代、
碁聖と称される四世本因坊道策以降となる。


1630年
算砂が亡くなってから7年後。
道碩は後見を託されていた算悦(20歳)を七段(上手)に進めて本因坊家の名を継がせた、
後見の役目を果たし、肩の荷が下りた道碩は同年8月静かに息を引き取った。

(うんちく:七段(上手)は名人(九段)に「先」の手合い割、
つまり名人である中村道碩にこの時の算悦は「先(黒)」で打ち分けることができる実力ということ)
※当時の段位制度と現代のプロの段位制度は異なる。

道碩の弟子には後に井上家を興すことになる、一世井上 玄覚因碩がいる。
そのため道碩は井上家の元祖とされている。





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2012年02月26日

大江戸爛柯英傑伝 〜Legend of the Go〜 ‐弐‐

1603年 

算砂は江戸開府と同時に家康に招かれ京都より移住する、この時より「本因坊算砂」を名乗る。

(うんちく:「本因坊」とは算砂が住んでいた京都 寂光寺内の塔頭(たっちゅう=住居)の名前)


下の画像は現在の寂光寺。
jyakkouji


記念碑も建てられている。
sansa-h




家康との手合い割は五子だったと言われている、
(当時は名人に四子の実力で初段の免状がもらえた)

棋譜が残っていないため家康の実力は確認できないが、
本当に名人に五子で打てれば現代でいえばアマ六段以上はある。

また秀吉が五子で打っていたから家康も五子になったという説もある、
というかこっちの説のほうが有力。



算砂以前の時代は対局前からいくつか石が置いてある「互先置石制」だったが、
それを現在の「自由棋法」に改革した、
これによって「布石」が生まれ碁というゲームの幅も格段に広がった。
(うんちく:「布石」「定石」は囲碁から生まれた言葉)


この時代は「自由棋法」が導入されて間もなかったこともあり、
石が混んだ局所的な打ち筋は目を見張るものがあるが、
局面が広い序盤などは、現代のプロに比べるとまだまだ棋利に暗く見劣りする。

しかし算砂以降急速に布石の研究が進んでいくことになる。



算砂は将棋でも第一人者。
将棋初代名人大橋宗桂は算砂の弟子のような存在で、
2人の将棋の実力は互角だった。
(ちなみに大橋宗桂の囲碁も算砂と互角だったという説もある・・・)

千利休とも仲がよく、お互いに碁とお茶を教えあったそうだ。


江戸移住後、算砂は太平の世で
中村道硯(井上家元祖、二代目名人)、
安井算哲(安井家一世)など多くの優秀な弟子たちを育てていった。

晩年、死期を悟った算砂は一番弟子である中村道硯に「名人」を譲り、
当時13歳で後の二世本因坊、杉村算悦(算砂の息子?)の後見を託し、
1623年江戸にて静かに息を引きとった。


算砂辞世の句
「碁なりせば 劫なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」

意味:
囲碁ならば、コウを打って生きることもできるのに、現実の死には打つ手もない、、、


算砂は、信長、秀吉、家康にただ仕えただけではなく、
碁が強いというだけでは考えられないほど三者に厚遇されている。
これは碁打ちとしてだけではなく政治家としても一流だったためではないだろうか。

囲碁将棋衆は大名を始め、
時の実力者に召し出されることもあり各国の情報を得る機会も多かった。
そのため碁打ち衆を束ねる算砂は家康の隠し目付けだったという説もある。

もしかしたら家康と碁を打ちながら盤外の戦略についても語り合っていたのかもしれない。

もし彼がいなければ碁がこれほどまで厚遇されておらず、
その発展ももっと遅れていたと思われる、、、

算砂の手腕があったからこそ、
その後数々の天才棋士たちが生まれる土壌が作られたのだろう。

中興の祖算砂亡き後その弟子たちがさらに碁界を盛り上げ、
そして数々の物語を生んでいくことになる、、、





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2012年02月12日

大江戸爛柯英傑伝 〜Legend of the Go〜 ‐壱‐

sansa
 一世本因坊算砂


1559年
初代「名人」となる算砂は京都にて生をうける。

8歳の時に出家し本行院日海と名乗る。

僧としての修行と平行して碁も学び、
師に恵まれたのもあって碁の腕はめきめきと上達していった。

時は戦国の世。
碁は僧や位の高い人たちがたしなんでいた、
庶民は生活するのが精一杯で息抜き程度に碁や将棋に興じるが、
経済的にも時間的にも娯楽や趣味にのめり込む余裕はなかったようだ。

1578年 
20歳の時、碁打ちとしての名声が高まった算砂は、
当時天下取り目前で文字通り「飛ぶ鳥を落とす勢いだった」
織田信長の御前で対局する機会に恵まれる。

算砂の卓越した技に感嘆した信長は、
「名物」からヒントを得て「まことの名人」と賞した。
これを機に算砂は「名人」を名乗るようになる。

(うんちく:あまり知られていないが、
「名人」という言葉は信長がこの時に生み出したもの。
すべての「名人」は囲碁が元になっている)


その数年後、1582年 京都本能寺。
信長の御前で林 利玄(林家元祖)と対局したときに三劫ができ無勝負となった、

「珍しいこともあるものよ」と言いながら算砂と利玄は本能寺を後にした、
その直後、明智光秀が本能寺に奇襲をかけ信長を自害へと追い詰めることとなる、
世に言う「本能寺の変」である。
このことから三劫は不吉の象徴となっている、、、

が、、、

この対局(とされている)の棋譜は何度か並べたけど、
白(算砂)の圧勝になっている。
すべての手順は載ってないが、
仮にその後打ち続けていたとしても三劫ができるような場所はないように思う。

三劫ができたという説は、
話を盛り上げるために後世にて創作されたというのが現在の通説。
ちなみにこの当時の林利玄の棋力は、
依田九段曰く現代の院生よりも下で算砂の敵ではなかったそうだ。


(うんちく:三劫 ⇒ 
・三劫はめったにできないカタチ。
勝敗を決する大きさで絶対に譲れないコウが同時に三つできる事を三劫という、
関連しあっているコウなので、
お互いが譲るわけにいかず順番にコウを取り合って,
延々と同じカタチが続くため必然的に無勝負となる、
テレビである芸人が本能寺前夜の話を取り上げて、
「三劫は不吉の象徴だから現在でも無勝負になる」と言っていたが
それは間違いで、不吉だから無勝負になるわけじゃなくて、
ずっと同じカタチが続くから無勝負になる。
・大勢に影響しない小さなコウが三つできても、
それぞれ適当なところで解消すればいいので三劫とは言わない。
・コウが二つの場合はすぐに取り返すことができないので,
同じカタチを繰り返すことはないため無勝負とはならない。)


乱世の中、算砂は林利玄や他の弟子たちと共に秀吉、家康にも仕え、
碁打ちとして俸給をもらい弟子の育成、碁の発展に勤しむ事となる、
碁の歴史上初めてのプロ誕生である。





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2012年01月29日

大江戸爛柯英傑伝 〜Legend of the Go〜 ‐序‐

12


碁にハマって夢中になるうちに、
碁の歴史にも興味が出てきていろいろと調べたりするようになった、
知れば知るほど碁の歴史はとても面白くさらに碁が好きになっていった。

歴史を知った上で過去の名手達の棋譜を並べると、
その時の情景、雰囲気、感情などを想像でき、
音楽、絵画、映画などを鑑賞するようにその世界に浸ることができる。

現代まで語り継がれる名局はたくさんある、
有名なもので言えば、
本因坊丈和vs赤星因徹「吐血の局」や本因坊秀策vs幻庵因碩「耳赤の局」、
道知「ヨセの妙手の局」、知得「ダメの妙手の局」、秀栄「3子捨ての局」、、、、
他にも数々の争碁や御城碁、時代を代表する棋士たちの番碁など、挙げ始めればきりがない。

こういった過去の名局を自分の手で再現することができるというのは素晴らしいことだと思う。

現代ほど恵まれた環境ではない中で日々厳しい鍛錬を積み、
碁だけに生き、技を磨き続けた数々の打ち手達、
その情熱のこもった一手一手に触れるたびに、感動で体の芯が熱くなる。

彼らは盤上では今でも生き続け、後の世に感動と影響を与え続けている。

「大江戸爛柯英傑伝」(おおえどらんかえいけつでん)では、
そんな碁の歴史、過去の偉人達にスポットを当ててみたいと思う。

これを読んでいるあなたは過去の棋士をどのくらい知っているだろうか?

たとえば秀策ならば「ヒカルの碁」にも登場したので碁を知らない人でも知っている。
道策、丈和、幻庵因碩、秀和、などは囲碁をある程度やっている人ならば聞いたことがあるだろうし、
棋譜も並べたことがあるのではないだろうか?

しかし、彼らがどういった時代に生き、どういった関係だったのか知っている人は少ないだろう。

戦国武将のように歴史の表舞台に登場することはないが、
それに負けず劣らず魅力的な碁打ち達の世界、知れば知るほど碁の魅力にハマるはず。

囲碁がプロ化されて400年。
その歴史の中にはさまざまなドラマがあり、そしてそれぞれの生き様があった、、、
その魅力を少しでも多く伝えることができればと思っている。

それではベールに包まれた碁の歴史を紐解いていこう、、、
近代碁の礎が築かれたのが400年以上前、そう、、、織田信長が天下取りを目指していた時代、
現代に通じる碁の歴史は一世本因坊算砂から始まる、、、






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