December 2006

December 31, 2006

休日らしい休日

クリスマス休暇のおわった12月27日水曜日、たくさんの労働者が職場へもどるその日わたしはまだ休暇中であった。25、26日のお城の閉館日に自分の週末が2日つづいたため合計、4日間の休暇となった。

それでジムがメンテナンスから再開したきょう、サウナにはいった。ウレシイ!リンゴ齧りながら歩いて施設へむかう。受付で水着を買い、その値段がお買い得だったのでついでに水泳用のゴム帽子とゴーグルまで買ってしまった。いつかきっとコレで泳ぐぞ。

でまずは地下のジムで一寸遣る。20年以上まえに自分が遣っていたとおりのプログラムだ。それ以外考えつかないので、テスコへ行ったときに雑誌類のならんでいるフィットネス関連の雑誌を物色してみるのだがこの国には女性用のフィットネス雑誌がみあたらない。最新情報でも仕入れてみるかと思ったのだが、男性用の雑誌を買う気になれないでいる。

80年代のアメリカ、ミスター‐オリンピアといえばあのアーノルド‐シュワちゃんだ。彼が若々しい肉体でもって口数すくなく初演した映画「バーバリアン」(だったか?)をボーイ‐フレンドと観に行った。しばらく後で台頭してきた女性版初代のミス‐オリンピアは、レイチェル‐マクリーシュだ。我がボーイ‐フレンドがやけに彼女を気にいりわたしに、彼女をよく観ろといったものだ。観れば観るほどレイチェルは素敵なボディをしていた。あのツヤツヤで張りのあるフクラハギ、縦にも横にもよく切れた腹筋。うっとりしたものだ。

水着を着てサウナにはいるというのは一寸いただけないが、サウナは2月に日本を発って韓国のインチョン市内ではいったっきりだから半年以上のご無沙汰だ。それまでどんなに我慢したことかしれない。自宅の内風呂で我慢した。とはいえ、冬の間はバス‐タブの半分ほどしかタンクからは湯が出てくれず電気瞬間湯沸かし器でお湯を足さねばならぬ始末。朝風呂にはいってお城へ出社するとやはり体調がちがっていた。1日中機嫌よく、織っていられる。

サウナのとなりにはスチーム‐バスもあった。40度ほどの低温だが東京の真夏を思わせるその個室へはいるとまた、サウナとはちがった暖かい霧のなかで瞑想にはいった。わたしの聞きちがいでジャクージはなかった。チェッ! ときどき冷たいシャワーで火照ったからだを冷やす、休憩室を兼ねたロッカー室にはテレビも安楽イスもある。でなかなか長時間をその空間で過ごせた。きょうは午後の2時に受付してから出たのが4時半。あ〜、きもちよかった〜。

サウナとスチームが2階で、ジムは地下。そうだエレベーターがあったはずだ、と廊下へ出てから探してみる。あった。ジムのドアすぐまえに停まってくれた。これからはコレをつかおう。そうすれば水着を着たまま1階の受付をとおらず、地下へ移動できるぞ。

プラプラとのんびり帰宅し氷でウィスキー飲む。料理する気のない時は、ポップ‐コーンを造ってポリポリ遣る。もっとお腹がすけば、また階下のキッチンへ降りて野菜丼を造って自室へもって上がる。パソコンのまえに腰掛ける。てな感じできょうという休日はおわった。まったく休日らしい、のんびりと時間を過ごした1日であった。あすは待ちに待ったスコティッシュ‐バレイがあるからグラスゴーへ行かねばならない。

そして本日はもう気がつくと12月30日となる。いつもどおり出勤した。お城の大晦日コンサート&花火の準備作業がすすめられていた。駐車場には他の行事のときとおなじく、簡易トイレが20個ほどとコンサート‐ステージ、グラスゴーにあるホールの「アルマジロ」の赤ちゃんみたいなのが設置された。お城のまえに建っている「Robert the Bruce」の像が「Urinal」と記されたその簡易トイレにむかってまるでオシッコしているような、そんな位置関係になる。日中、スタジオへとつづく芝のうえで花火職人が5、6人、花火の玉を筒に詰める作業をしていた。箱をみると中国製の花火だった。すごいなあ中国の製品、70、80年代の日本製品の勢いではないか。



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December 27, 2006

年末の食べ物

12月クリスマスのライト‐アップが、グラスゴーのジョージ‐スクエアではサンクスギビングと重なるかたちで11月中には準備されていた。気が早いなあ。年末大売り出しなのであろう、みなが競って買い物袋を下げて歩いているデパートのJohn Lewis店内。

わたしははクリスマスとは関係なく暮らしたい(ロースト‐チキンは別)ほうなので、プレゼントを買い漁らなくてもイー。かといって年賀状を書くわけでもなく、何も遣らない。季節の節目として日本のあるいは居住地の行事を遣りたいと思わないタチで、毎日のつづきを遣っていればそれでイーと思っている。季節感のないつまらないヤツと思われるかもしれぬが、ファッション雑誌やテレビその他のメディアに毒されたお手軽な季節感のかもし出し方なぞ遣る部類の人々とは共通点をもたない。彼らのほうをむしろダサイと思っている。ファッション‐メディアに影響された季節感あるオシャレな暮らしなぞ、わたしには縁がない。毎日を走っていればそれでイー。

東京の職場でもクリスマスちかくになると、上司宛にカードが山ほど届いた。そして上司も山ほどのカードを秘書に送らせていた。それを横目で見ながら、ああことしも仕事納めがちかづいたかと思ったものだ。12月中旬にはその作業もすっかりすませてしまい、上司はさっさとクリスマス休暇にはいる。3週間の休暇を彼は、オーストラリアの別荘で過ごすのだ。わたしと秘書だけのこされ年末の仕事納めまで働いた。

クリスマスのプレゼントやカードを送ってよこされるのは、黙って受けとる。拒否する理由もない。クリスマスまえ職場宛に本部の上司から、ミンス‐パイ、カード、チョコレートなどが箱詰めされて届いていた。会社の母体となっている基金のほうからも何かが、届くはずだと直属の上司はいいのこし明日からの、クリスマス休暇にはいっていった。着いたミンス‐パイはマークス&スペンサー製だ。

サービス産業で働いているから年末年始も当然働く。来る客は少ないだろうがお城は開いている。閉まるのはクリスマスとボクシング‐デイのみ。年中休みなしで織られている我々のタペストリーさんもお休み、ということだ。1月1日にオーストラリアから300名様ご来訪という予約がはいっているとか聞く。毎年来るパック‐ツアーだそうだ。真夏からの避暑ということか。

10日ほどまえ、クリスマスのためのミンス‐パイ(テスコ製)を上司が買ってきて事務所で食べた。こういったパイは自家製がいちばん美味いのに、出来合いを食べさせられるのかと一寸残念であったが既製品のまずさを知るという意味で食べてみた。ミンスの詰め物が「deep filled」と記されているにもかかわらず半分くらい空気が詰っていた。がっかりだ。パイ生地も悲しくなるほどのシロモノだった。こんなのをクリスマスが来るまで人々は食べているわけだ。というもの年末の御徒町や札幌の5条市場の賑わいのような生鮮食品が売りだされているわけではなく、デパートやスーパーにパイやケーキが毎日並んでいるだけなのだからクリスマスまでの数週間と当日、同じものを食べるのだろうかこの辺の人たち……。

おもしろいと思ったのは上司の父親が、このまえ職場へ娘の自宅の雨漏り修理のためにやって来たときだ。彼が来る当日、ミンス‐パイを食べたわけだがその前日わたしと上司が暗くなったスタジオをあとにお城の正門へむかう途中、そのパイの食べ方を話していた。そこで彼女が自分の父親はチーズといっしょにミンス‐パイを食べるのよ、おかしいでしょというのでわたしは面白いと思った。そのチーズ「Stilton Cheese」を買ってみようと思った。チーズはすぐに見つかった。ブルー‐チーズのようでありながらラベルにははっきりと「Stilton Cheese」と記されている。

して、当の本人が現れたときわたしは「あなたはミンス‐パイと『Stilton Cheese』をいっしょに食べるのですね?」と訊いてみた。すると彼は嬉しそうに「そうだよ、両方とも温めないで冷たいままでね」と答えるではないか。ますます気にいり、デリで買ってきたミンス‐パイをそのチーズといっしょに食べてみた。これはイケル!

ついでに、スポッテッド‐ディック「Spotted Dick」というのも食べてみようと考えた。なんといかがわしい名称ではないか。お城の案内役のひとりにどういうものか訊いてみる。まあ現物を食べてみな、となりにたしかカスタードが売っているはずだからいっしょに食べなよ、とおしえられさっそく買って帰った。

もうひとりの案内役に、あなたのいちばん好きなクリスマスの食べ物をあげよ、と訊いてみた。「Brussel Pateをオーツ‐クラッカーにのせて食べるのが大好きだ!」ときた。「でもボクの姉は、薫製のサーモンが大好きでそれだけをガブガブ食べてしまうよ!」という。コイツもわたしと同じように季節感に関わりなく暮らしている部類だ。

12月25日は、同僚のスウェーデン人織り作家の家へ招待された。北欧式のクリスマス‐ディナーを食べた。そういえばトナカイもサンタも北欧在住のはずだ。酢漬けのニシンや赤いキャベツをたくさん食べた。

その同僚とこのまえ職場で、世界でいちばん臭い発酵食品といわれるニシンの缶詰の話しをした。イヤ〜盛り上がった! 茹でたジャガイモのスライス、タマネギのスライス、そしてこの発酵ニシンをいっしょに食すという。気がむいた人はサワー‐クリームを足してもイー。実に美味そう!

そんなある朝、お城の事務所に日本からわたし宛の小包がとどいた。自分の田圃で収穫した新米、小豆、黒大豆、その他がいろいろ工夫されて詰っていた。おなじ田圃で昨年までいっしょにお米を造っていた友人からだ。ああことしは田植えも稲刈りも手伝えなかったなあ申し訳ないなあ、と感じていた矢先だったので、彼の心遣いが身にしみた。

クリスマス前後と年末年始は、自宅でこの新米を食べようと思う。




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December 26, 2006

ウィスキーの表現


12 easily - applied dimensions to aroma and taste -

1)body
2)sweetness
3)smokey
4)medicinal
5)tobacco
6)honey
7)spicy
8)winey
9)nutty
10)maltly
11)fruity
12)floral

と記してあるスコットランドの地元雑誌を、グラスゴー行き電車に乗るとき買い車内で読んでみた。いまのところわたしが確認できるのは、2)のスィートネスと3)のスモーキーくらいのものだ。

現在の我が雇用契約者である「The Edward James Foundation」から、クリスマスのプレゼントが事務所にとどいた。上司の予告どおりマークス&スペンサーの商品券だった。11ポンド分ある。なにか形にのこるものを買うべきかとも思ったがまあ自分のためのプレゼントだから、大好きなウィスキーを買おうと決めた。

退社後、店へ直行。ワインの棚には時節柄、シャンパンやポート‐ワインやらがいっぱいに並んでいるのにウィスキーの上等銘柄の棚にはたった2種類しか並んでいない。サビシいなあ。けどもらったばかりの商品券にあと10ポンド足せば、高級シングル‐モルト瓶が買える。ハイランド地方スペイサイド産のを買ってみた。

氷で飲んでみる。ウーン、やはり美味い!まったく口当たりがイー。スーット喉へ流れてしまうのだ。年にいちどくらいこんな贅沢をしよう。ましてや職場からのプレゼントなのだから日頃の、我々の仕事ぶりに対する報いとしてパーッと(大げさ!)飲んでしまおうと思う。

クリスマス休暇直前の12月18日から、入会したばかりのジムが閉まっている。これはいただけない。日本でいえば年末年始に1週間ジムが閉まってしまうのに似ている。その間、施設ではプールやその他設備のメンテナンスをしているらしい。ことしのクリスマス休暇中はそこのサウナとジャクージに1日中はいることを楽しみにしていたのに、がっかりだ。これじゃあ、食べて、テレビみて寝て、呑んで、の繰り返しで太ってしまうだけではないか。プンプン!(怒っている)

12月24日のきょうは出勤日だった。はげしい霧につつまれた暗闇のなかのお城で、同僚といっしょにキャッキャッと戯れながらスタジオを後にした。霧のなかで写真撮りだ。午後にはいってから周囲の風景がまったく見えないほど、深い霧にかわり夕刻になってさらに深さをました。グラスゴーやエディンバラ空港ではクリスマス休暇で移動する客らが足止めされているであろう。ロンドンのヒースローがいちばんの難儀だとか。

居間の暖炉に火をいれて、ぬくぬくと今夜はテレビ観ながら編み物だなあさえない気分。あすは同僚の家へディナー招待されている。はじめてのスェーデン式クリスマス‐ディナーとなろう。楽しみだ。街中のお気に入りデリ「Peckham」で、このまえシャブリを1本買っておいた。これをあすは持っていくつもり。





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December 20, 2006

忘れ物



クリスマス前の大忙しの郵便局窓口に、もっていったバッグを置き忘れてしまった。

スコットランドのお城での仕事をゲットするためわたしは、応募先からまだ頼まれてもいない推薦状をあらかじめ書いてくれるよう古い友人たちへ依頼した。昨年10月のことだ。書類選考を通過し電話インタビューもすませ一息した、その夜のことである。

夜11時すぎであったが酔った勢いに助けられ、オーストラリアのシドニー在住の著作家/ラジオ番組プロデューサーに電話をいれた。もうすでにベッドのなかでヌクヌクと安眠中であった相手をたたき起し、推薦状を書いてくれと依頼したのだ。もう7、8年連絡をとり合っていない相手だったが、彼はわたしをすぐに思い出してくれ眠そうな声で快諾してくれた。

カナダのふたりの友人らへはメールをしたためた。計3通のメール推薦状が現在の我が雇用主へおくられたのは数日後のことである。3人が3人とも非常に多忙な人物で、そのくせ仕事がすこぶる早いから予想どおりのスピードだった。思ったとおりだ。

その、頼みもしない推薦状を受けとった雇用主はどう感じただろうか。知るよしはあった。わたしはタペストリーばかり織ってきた職人/作家ではない。生活を支えるためほかの仕事を手当たりしだい遣ってきた。バイリンガル‐セクレタリー、アシスタント、コーディネーター、その他。稼げそうなありとあらゆる仕事をした。

東京時代は英語をつかう要するにバイリンガルであることは、おおいに稼がせてくれた。稼いだお金をよくつかわせてもくれた。時期的にバブルでもあったし、自分自身の働き盛りでもあった。あのような時代を通過できたことが、今ふりかえるとアレはアレでよかったと思わせてくれる。皆が夢を描ける時代だったからだ。

夢はいつまでもつづくものではない。併しその時代に、いろいろな世界で働きイロイロなことを経験できた。実現可能なことが何なのかを、思い知らされた。現在、スコットランドのお城で平穏にタペストリーを織っているだけの暮らしをしているのはそうした過去の経験にもとづくので、アレがなかったら到底実現してなかっただろうと思う。

働きながらときどきタペストリーを織っていた、というのが正確な表現だ。がむしゃらに織ってばかりいたわけではない自分のような人間が、現在かかわっているプロジェクトに雇われるのは想定外の出来事だった。第一線で活躍するプロの写真家と売れない写真家との違いは、だいたいがアプローチまたは作戦によるちがいであろう。腕の善し悪しや実力ではほとんど違いのないプロが、何が決め手になって面白い仕事を手に入れるか、というそれは方法論のちがいによるのではないだろうか。

この仕事に応募したタペストリー作家らに技術上の落差はほぼない、とわたしは踏んだ。決め手が何になるかの予想がつけられたのは、過去に遣ってきた仕事の経験だった。つまり織りばかり遣ってきた人々の生態を知っていたので予想がある程度つけられた。何の業種であれオフィス(一般的にはデスク‐ワークや営業)で実務の経験をつむというのは、さまざまな面から社会を観察する機会になる。私的感情抑制を迫られまた、チームワークの有効性を知ることができる。だが先手を打つタイミングはある。

わたしはずっとフリーランスを通してきたので、個別交渉が仕事の一部だった。いや、むしろそれがすべてだった。誰の後ろ盾もない狼として森を渡り歩いた。単独行動のそんな狼には、ソフトなアプローチと攻撃の際の果敢な瞬発力が必須だった。

誰とでもどこでもおなじように働くを信条に、ふひつようと思われる個人的低次元の諍いを極力さけ、平然と仕事をこなすをヨシとし、毀誉褒貶をひつようとしない。どの仕事も平等にこなしていくだけだ。職務上のまたは個人的なしがらみを持たぬ主義ゆえ、ひつようであれば誰とでもすぐにケンカができるというのは、まったく清々しい立場だった。そのためには貧乏も強いられた。

そんな森を歩いてきた狼に、昔の友人らはそろって快い対応をしてくれた。それは彼らが書いた推薦状を読めばすぐに了解できた。3枚ともまったく素晴らしい文章だった。読みながら、飲んでいたビールをもつ手に涙がポトンと落ちた。

その3人の推薦者たちへ、クリスマスにひっかけ年末の贈り物をすることにし、お城の現在制作中タペストリーを印刷した小物を送ったのが郵便局だ。包んだ小型包装物を出すことに一点集中してしまい床の足元においたバッグのほうをそのまま、窓口の下に置き忘れてきてしまったのである。

しばらく街で買い物し、帰宅してからそれに気づき大慌て。飲んでいたウィスキーを放りなげ玄関ドアからダッシュした。郵便局へもどるとまだ営業している。窓口のガラスをノックして開いてもらい事情を説明する。あった我がバッグ!! 誰かが届けてくれていた。なんて幸運! パスポートのコピーもそのバッグのなかの手帳にはさんであった。紛失していたらたいへんだったが、そのコピーが身分証明になってくれた。

届けてくれた知らない誰かに、そして保管しておいてくれた郵便局員に感謝した。「You and somebody saved my life!」といいのこして郵便局を出たとき、一寸だけスコットランドを好きになったような気がした。




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December 17, 2006

五十肩とのつきあい


「五十肩」らしい症状が右肩へやって来たのは、50歳を出たちょうどそのころだ。まったく教科書どおりだと思った。標準身長に標準体重で育ってきたので、もし旧共産圏に住んでいれば国民的体操選手候補に選ばれていたのではないかと、周囲からいわれ続けてきた。造りが標準的なのだ。

九州時代の5年間は耕作的田舎暮らしをしていたから、ちょっとした肉体労働のとき肩が思うようにまわってくれず困った瞬間はあったものの、無理せず気長に回復するのを待っていた。そして毎日、温泉にはいっていた。

昨年の今ごろ、ここスコットランドでのタペストリーの仕事に応募したはいいが、五十肩のせいで途中から織れなくなってしまったらどうしようと考えただろうか。おぼえていない。そうなったそのときに考えればイーさ、くらいに考えたんだと思う。前進するときはそれ一点に集中するから、問題点を洗い出してなんかいられない。

2月から始めたこの仕事について10ヶ月経つがタペストリーを織っている職務中、じつはなにも支障がない。夜になって帰宅してから痛むわけでもなく、寝転んで右腕を自分の首の後ろへまわし腕枕を組むという姿勢ができなかっただけだ。

11月にジムに入会して肩や上腕、背中の筋力トレーニングを始めたら、肩はものの見事に動いてくれるようになった。症状が続いたのは2年ほどか。このくらいの期間なら別にどうということもなく、加齢シグナルを実感させられただけだ。が併し右肩/右腕の筋力はたしかに衰えていた。ダンベルをもち上げる力が左よりやや劣っていたのだ。

九州で農家のおばさんたちと雑談しているとき、意外な事実をうちあけられた。女性は40代50代がいちばん元気な時期だという。若いときはまだ、農作業で筋肉が充分ついているとはいえず慣れてきた、中高年になってやっとほんとうの持久力がつくという。同感したし実感でもあった。肉体労働派でしかわからぬ事実でもある。東京のオフィスで働く40、50代の人たちのどこかくたびれて姿勢も悪く、スーツやパンプスなぞという格好ばかりイーものを身につけている人たちから、思想も形態もずいぶん乖離してしまったなあと思った。

肉体的老化はまず腰まわりと脚、そして肩にくるのだと感じる。そして歳をとってからは、腹筋をつけたいと思う。胴まわりに筋力のある体感には、フニュフニャ‐ウェストに比較すると格段に快調感がある。自分のからだを支えている感じがお腹いっぱい四方に感じられる。腹筋は基本的に、背筋と側腹筋も伴わねばその力を発揮しない。背筋にはお尻の筋肉がつながっていて、その下にはアキレス腱へとつづく脚の裏側の筋肉がついている。からだの裏側全部を鍛えないと、背筋はついてくれないし背筋がつかなければ腹筋もその実力を発揮しない。女性はだいたい裏側に筋力がつきにくい。腕も裏側がフニャフニャしやすい。

通っているジムには、五十肩にまったく縁のなさそうな若い、スコットランド女性たちがやって来る。ブロンドで色白で美しいのだが、なんで揃いも揃って胴まわりがブヨブヨなのだろう。ときどき参加するエアロビ教室の講師3人のうち、ふたりがブヨブヨだ。レオタードやTシャツ姿が信じられぬほどカッコわるい講師たち。職業的にその体型は恥ずかしいのじゃないか。北米の基準にくらべると、どうしても4半世紀は遅れているように見える。

古着屋で買った、脚にピタッとすいつく彪柄ズボンを履いて職場へ行っている。タペストリー‐スタジオ内はお城の一般客に公開中ゆえ、格好わるくしていられない。五十肩はともかく、体型だけでも美しくありたいと思う。それなりに。見学客が我々職人に織っていて背中が痛くならないかと訊いてくる。「I lift weights」と答えるだけでわかってくれる。職人も、ケージツ家も、もの書きも、学者も、体力が勝負だと思う。



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December 13, 2006

クリスマス‐パーティ


大分県の田舎へひっこしてからの5年間、クリスマス‐パーティとは縁がなくなった。自宅でロースト‐チキンを焼いてひとり、食べた記憶がある。昨年はたまたま、国東半島のしりあいの職場の寄り合いに参加した。自分のしらない人ばかりの集まりで、顔見知りのメンバーというのとは違って久しぶりに新鮮な感じのするパーティだった。

アメリカ時代は毎年、人から招待されていた。そのなかでひときわ美味しかったロースト‐ターキーが忘れられない。2番目のホスト‐ファミリーだったジョアン(当時彼女は5歳の男の子づれ独身だった)の両親宅へ招かれた年のことだ。その家のクリスマス‐ディナーのテーブルにのった食べ物すべてが、それはもうすばらしく美味しかった。ターキーの赤いのと白いのと肉を2種類とってもらったお皿のうえには、クランベリー‐ソースやビーツやアーティ‐チョークやらがのっている。5歳だったその子は現在、ニューヨークで高校の数学教師をしているという。

その後の東京時代は当時、属していた企業主催のパーティ。会場は赤坂プリンスホテルであったり、帝国ホテルであったり、青山のスパイラル‐ホールであったりだ。友人だけのパーティのときは六本木や恵比寿へくり出た。ピアノ屋を遣っている友人の店でパーティというのもあった。銭湯のとなりにその店があったので湯につかってからゆっくり出席し、行きも帰りも自転車だった。

オーストラリアのシドニーでのクリスマス。日本からシドニーへむかう飛行機のなかでしりあった人のお兄さん宅へ、いっしょに招待された。まったく愉快なパーティだった。そのとき自分のこしかけたテーブルのお皿のうえにあった、クリスマス‐クラッカーをひっぱって「ポン!」と飛び出したのが今、お城でタペストリーを織りながらつけているピアスだ。真っ赤なちいさな右足のかたちをした根付サイズのプラスティック製おもちゃだった。それをわたしは「これはまるで映画の『My Left Foot』のようだ」といい、日本へもちかえってからピアスに仕上げ自分のおまもりにした。真っ赤なアリストテレスの足。

さてことしのクリスマス‐パーティである。お城の従業員らの主催するパブでの集い。会費は£10。上司は生まれ故郷の両親のいえへ帰ってしまうし、もうひとりの同僚は行かないというし、わたしひとりだけの参加になろう。でもイー。お酒とおいしいごちそうの夕べを、皆といっしょに食べたとてイーではないか。断る理由を考えつかぬままきょう、タペストリーを織っている手元が返事をどうするか考えていた。誘われたときはほかに確固とした事情がないかぎり、流れに身を任すのをうけいれられる年齢になったとしよう。単独行動派ゆえ、誘われるときもひとり、断るときもひとり、出席するときもひとり、である。しがらみをもたない主義だからそのとき、其の時に決めればイー。

パブからの帰りは当然酔っぱらっているであろうから、交通機関のバスに乗るのは気が重い。飛行機をチャーターするか馬車か籠を手配するかだ、とパーティの幹事にもちかけると相乗りバスを用意するつもりだという。スコットランドでまだタクシーに乗ったことがないゆえ、初乗りしても別にイーなと思った。



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December 08, 2006

つくってみた、カレン‐スキンク

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スコットランド産の薫製魚を使ったスープの調理法を、お城の案内役が持ってきてくれた。カレン‐スキンク(Cullen Skink)。

わたしの勘違いで、リークは使用していなかった。古くからある調理方法ともうひとつ現代風の調理法をくれたので、どちらがイーか読みくらべてみた。現代風のにはブーケ‐ガルニだかが使われていた。古典ので行ってみることにする。今回は薫製の鱈(haddockではなくcodの方)を使った。調理法に記されていた表現”It is hearty and utterly delicious.”というのも気に入った。

ブロス(だし)を取るためにはまず、タマネギとコショウをバターで炒め、薫製魚をくわえてから水炊きすること1時間。じっくり煮込むまえに鱈はとり出しておく。そうしないと魚の身が硬くなってしまう。魚の皮と骨だけを、ブロスの中へ戻して煮込むかたちとなる。併し背骨付きの薫製魚は近所の、テスコでは売っておらず残念。

鱈は、道産子には馴染みぶかい魚である。子どものころから鱈といえばタラチリか三平汁だ。北海道では、ホッケや秋刀魚とおなじくらい安価で手に入るのだが、九州では高価でとても買える値段ではなかった。毎日のようにタラチリを夕食に食べていた時代、親が共働きだったゆえ鍋物がいちばん簡単だからという理由で、もあった。

漁師は一般的に、汁物をよく食べるというのを漁師だった祖父母それに両親からおそわった。両親は漁師の家に生まれ大人になってサラリーマンとなったが当然、汁物が大好きである。利尻では、刺身で食べるのがいちばんとされるウニでさえ、汁物に仕立てる。タマネギとウニのすまし汁は、小学校の夏休みに行ったとき食べて「コレはすごい!」と思った。もったいない気がするがウニは海に行けばタダで穫れるから、どうにでもして好きなだけ食べてイーわけだ。

我が家は島から陸(札幌近郊)へ上がったあとも毎日、魚ばかり食べて暮らしていた。夕方、母親と買い物に行くとまず魚屋を物色する。「活きがイーよ、買ってって!」という魚屋のおやじに「活きなんか良くないんでしょ」といって悪口をいう。しようがない、陸の魚屋にほんとうに活きのイー魚があるわけがない。タラチリ用の鱈を半身買うにしても、骨付き側の半身、プラス切りとった頭もただでもらってくる。いちばん美味しいのが頭だ。

だから、スコットランドの汁物にわたしはいたく興味を持ちそして、材料を仕入れ真面目に造ってみようと考えたのである。今流行の「命のスープ」並みに。

やはり真面目に造ってみるものだ。実に上品な味の、魚のスープが出来上がった。薫製の風味も、魚の風味もちゃんと出ている。大成功だ。塩を振った薫製ゆえしっかり、ブロスのなかへ魚の塩味が滲みでてくれてもいた。日本の鱈の三平汁とは似ても似つかぬ、牛乳とマッシュ‐ポテトをたくさん加えたスープだ。もちろんジャガイモも茹でてからバターを入れてつぶした。

このような、家庭で手造りできるスープのようなアイテムを、わたしは外食として食べようとは思わない。なにせ家庭の味がいちばんと思っているので事情の許すかぎり、蕎麦屋、寿司屋、ラーメン屋、天丼屋、あるいはタコス屋のような専門店で自分では上手く造れないアイテムしか、積極的に外食はしない。

次回グラスゴーへ出たついでに、魚屋で背骨付きの魚を物色してみようと思った。鱈でも鯛でもイー、背骨や頭からブロスを取ってみたいのだ。するともうひとりのお城の案内役が「『fishmonger』がもうスターリングにはなくなったからね」とおしえてくれた。魚の行商人という意味で、魚専門店ということだ。



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December 03, 2006

ゴム長靴、買う



テスコで買い物ついでに地元のタブロイド版を買ってみた。というもの、2007年1月末にサンフランシスコからやって来る、新しい同僚織り職人Rudiのための住まい探しのためだ。空室あり、売家あり、の広告が出ていると聞いたから。

お昼ごはんを食べながら、パラパラめくっていると今週の映画上映スケジュールが目にはいった。アッ!きょう街の映画館で「The Queen」を上映している。これは観たい。主演女優と、トニー‐ブレア役の男優、を観たいと思っていた。

雨のなか傘さして走って観にいったけどなかなか始まらず、観客は約10名。革靴からしみてきた雨が、靴下をとおし足元が冷たかった。

観おわってからプラプラ呑気に、街中の店のウィンドウを覗いていた。入ってみたいとずっと思いっていた店がある。釣り具屋。アウトドア用品を扱っているから普段着として着られるアイテムも多い。ウィンドウにはゴム長靴が飾ってあったのだ。

スコットランドといえば「HUNTERS」のゴム長靴。買おう、カオーと思っていてタイミングを外していた。もう初冬なのだし、午後には毎日雨降りだ。皮のブーツは来年3月、スペインへ行ったときに買おうと思っているのでスコットランドでは買わない。ゴム長はエディンバラやグラスゴーへ買いに行ってもよいのだが、長靴ゆえ箱がバカでかくて荷物になる。バックパックにも詰められない。

そうだ、もうこの辺で買ってしまおうかと思いながら店へ入って、釣り道具や部品を眺めながら考えていた。黒いナイロン製の縫い糸を90ペニーで買うことにした。はっきりいって手芸店より安いしまた、丈夫そうで実用的。

「HUNTERRESS」と綴っていたかどうは忘れたが、男性名詞の「HUNTERS」に対する女性特別仕様のゴム長の、甲のところに記されているブランド名のゴム長靴があった。これには違和感、大ありだった。膝下くらいまで丈があるのでフクラハギの部分を女性用に細くデザインしてあるという。その女性用のを履いてみた。「ああ履き心地イーなあ」と予想どおりだ。

すると店員がもう1組のちがうのも試しに履いてみるか、と訊くので履いてみた。エエッ!さっきのよりもっと履き心地がイーぞ。何だ、コレ?

イギリスにしては、というよりスコットランドにしては、流石プロだなと唸らせるものがその店員にあったので、驚いた。もの静かで出しゃばらず、話しかけられればイヤな顔ひとつせず応対し、客の要望を読みとれる、英国サービス業界としては珍しいタイプの店員。

「そうでしょ。比べてみるとすぐにわかるでしょ。そのブーツはいったん履いてみると履き心地のちがいがよくわかる逸品で、フランス製です」という。地元ならスコットランドの製品を売りにすればイーのに、イー製品を公平に評価する姿勢がうかがわれた。このゴム長靴を見逃したらもう、わたしの冬は悲惨なものになろう。なんて暖かいんだろう。おしゃれなチェック綿の布地が裏打ちしてある。両方のアンヨをそのゴム長から出す気にはならず、履いたまま値札を切りとってもらい、カードですぐ買った。日本円換算で1万円強になろうかわたしとしては、一寸贅沢な買い物だったがまあイー。こんな勧め上手な店員のいる釣具屋ならば、また来ようと思った。

買った糸の材質も表示がなかったので問うと、たぶんナイロンかポリエステルの強撚だといいながら、指で引っ張ってみせてくれた。釣り竿に装着する部品を縫い付けるための糸だから強くなければならないので、といって釣り竿のその部分を見せてもくれた。丁寧な対応。履いていった、雨に濡れた皮靴をゴム長のブランド名の記された箱に入れてもらい、かかえて店を出た。

店を出てウキウキ雨のなかを歩いて帰宅した。さっき観た映画のことをすっかり忘れてしまって。映画はまあまあだった。女王の夫役の俳優が意地悪そうでよかったのと、衣装が素晴らしかった。プレア婦人が下品な女優で、身をナヨナヨさせているのと口紅の色が赤すぎるのが、嫌らしかった。女王の川釣りしている風景(実際は彼女のピクニック風景の、背景として釣っている人々が映っていただけだが)がいかにも英国らしくて、気に入った。

スコットランドに来てから映画館で観る映画はきょうが2本目だ。前回は4、5ヶ月まえになる。スペインから大家が来ているときで、散歩に出るとき職場の鍵をもって出てしまい家のほうのをなかへ忘れてしまったときだ。外から電話を数回いれたが誰も出ない。しようがない。いちばん簡単解決法としては、同僚のフラットへ行ってテレビでも観させてもらえばよかったのだがそうせず、映画館へ入って時間をつぶすことにしたのだ。そうでもせねば入ってみることのない空間だった。

「ダビンチ‐コード」の途中から入った。アメリカ映画かあ、と諦め気分で時間をつぶす。10時すぎに映画館を出たときに、夏時間だったからまだ明るかったのを覚えている。

帰宅してブザーを鳴らすと大家が応えた。わたしが電話したとき2階の自室で、何かに没頭していたため電話の音が聞こえなかった、申し訳ないという。まあイー、スコットランドで初めて映画を観られたからと伝えると気楽に、笑っていた。

きょうは散財したなあと考えながら夜パソコンで、来年3月に予定しているスペイン行きの航空券を手配した。ゴム長とたいして変わらぬ値段だった。やれやれ。

つぎの日、買ったばかりのゴム長を履いてお城に出勤した。周囲から「ウェリーズを買ったのかい?!イーねえ!」と冷やかされた。いわゆる「ウェリントン‐ブーツ」といわれるゴム長だ。黒いのと緑のがあって、緑の方が粋な(posh)のだそうだ。わたしの買ったのは緑色だった。



xgx417 at 03:43|PermalinkTrackBack(0) 暮らし