June 2014

June 30, 2014

今夜は眠れない




6月中旬の札幌管区気象台によると大雨予報がつづき、太平洋岸なぞの町では冠水もしている。どこかおかしくなっている気象変化。近所のスーパーでは夏野菜すら安く出ていない。末30日ふきんでやっと6月の札幌らしくなってきた。

サッカーのワールド・カップが始まってライブ中継時刻をみると夜中ばかりなので初日から、眠れぬ夜がつづくと覚悟。4年前の南アフリカ大会はスコットランドで観ていたが時間差はあまりなく毎日、出社しヘーキでタペストリーを織っていた。

消費税があがって生活困窮者とその予備軍が多発しつつあるからと「臨時福祉給付金」というのを暫定的にひとり1万円出すといってひとり頭1万円の小遣いでももたせれば増税への抵抗感なく即、消費してくれるとでもおもっているのか小手先措置をとっているようにみえるが昨年度の愚父と自分はたまたま課税世帯だったので、もらえぬとしってガッカリした。

サッカーのワールド・カップでも観て気分転換してくれといったような各局の特別番組が、がっかりするようなコメンテイター予想ばかりで、どのチャンネルでも同じでつまらぬとおもっていたところ土日の午後ドアをピンポン鳴らすのに応えると天下の、公共放送の受信料集金人でドアを開けずにウチにはテレビはない、よってインタネットでBBCの番組を観ているというと、それでも受信料がかかるので6、7月分でナニナニ円になりますといった。呆れて、電波受信してないのになぜ受信料を払わねばならぬと訊くと無言でたたずみ、ではインタネットでも観ないようにしますからといって追払った。彼ははたしてまたやって来るだろうか?

6月第2週目あたりから相場の動きに変化が見られる。海外勢や仕手筋が参加してきたような日本政府による官製相場ではないかともいわれる活発な動きとなり、板の動きがおもしろくなっている。ことし後半この調子でゆけば、ただし9月までという説もあるが、欠伸の数が減るかもしれない。

日本チームが初戦に負けたのは日本人選手らしい戦い方をしたからだと感じた。コート・ジボアール戦後半の彼らの脚の動きが緩慢でちっとも攻めていなかった。対戦相手に1点返された直後パチッと糸が切れたように、選手たちの脚が止まった。敗戦後彼らは自分たちらしいプレーができなかったというが、ソレは真逆だろう。日本人チームらしかったからああなった、とりちがえているとおもった次第。2度目の対戦相手ギリシャだって弱いチームではない。ひょっとしてブロック最下位かもしれぬと予想したのが当たってしまった。4年後の大会とてあまり期待はしていない。

イングランド対イタリー戦とスペイン対オランダ戦にはいつもの激しさがあってかなり楽しめた。スコットランドのテレビ画面で常連選手だった彼らの顔を見ていると懐かしい。オランダはああいうギリギリの汚い戦い方をする。ドイツもけっこう汚い。フランス戦スイス戦アルゼンチン戦ブラジル戦チリ戦もワクワクした。

日本チームには別に観ていて楽しめるプレーはなく、応援するしないの次元でない、二の次のチームだとおもっている。

ウィンブルドンも始まって同時間帯の観戦にチャンネルをカチカチ変えながら忙しい。ブラジル対チリ戦は見応えがあって大満足。

明け方寝入って翌10時ころ起床しきょうは自分の誕生日のプレゼントとして三角山に登ろうとおもいたち、地下鉄琴似駅11時55分のバスに乗って登山口、さんざん歩いて2時には下山。バス〜地下鉄と乗り継いで帰宅したのが3時すぎ。

札幌は遊びにはすこぶる便利な地方都市だ。ドニチカ切符を買い、すいた交通機関でゆっくり移動し、山歩きし、買い物し、たった4時間内でそれができてしまう。疲労感が残らない。東京ではこうはゆかない。




xgx417 at 18:49|Permalink 暮らし 

June 12, 2014

世の中とのつながり





卒業してからほぼ、フリーランス/自由契約で働いてきたので世の中とのつながりはしごとのはいったとき以外ないのがふつうで、老後もつづけていっこうにかまわない。若いときからニートか尼的タケノコ生活をしてきた。

還暦以降、市内の高齢者ボランティアに登録したって自分みたいに、好き勝手に働いてきた人間つまりタペストリーなんて織れたって英語ができたって、植木や剪定や配管や建設やリサイクルや教育や介護や金融やコンサルタントの、現場で役立てない。殊に札幌では扱いにこまるとおもわれるらしい。ドー扱ってイーのかしる人はすくない。

従姉妹の娘がことし新卒で就職した先が年金機構というのを聞いたとき、若い彼女の今後の人生が想像できた。この札幌の就職難(事務系ではまだソーで、外食や農業では人手不足)によくストレートでしごとを見つけてくれたものだと自慢気に話す叔母だがコチラの、感動の少なさと落胆を想像できないだろうなと感じた。年金機構なぞまるで敵のような存在である。安定を優先選択するその思想が問題だとおもった。

忘れていたころ2年半まえ登録したロンドンの派遣会社からメールがきたのはしごとの引合いだった。グラスゴーの企業での産休カバーだった。期間は8月〜来年秋まで。札幌の派遣会社でさえこういう引合いがこぬというのに、いつも情報は海のむこうからやってくる。

べつに世の中とつながりたくて働きたいのではない、お金を稼ぎたいだけだ。

老人になってもフリーで生きたい。だから世の中とのつながりを実感できなくておおいに結構。ひつような情報だけ入手し、ひつようなだけの体力をつけ、ひつようなだけの有労/不労所得があれば、モンクはない。といったら不遜だといわれるだろうか。

「挫折経験や弱点がなさそうだから、つき合いにくそうで仕方ない」と道民からおもわれているらしく若いころの、家族員からの説教や2年まえ帰国したときからいわれつづけている「そんなんじゃコレから生きていけないよ」という余計な説教/批判は、ちっとも役にたっていない。

ことし6月の札幌は低温プラス梅雨プラス台風の影響で、まるで4月にもどったような寒さである。ベランダの野菜とイチゴが育ってくれず、2日間だけの真夏日に30度強で照られた鉢植え葉っぱたちは、熱で煮えてしまい全滅状態だ。






xgx417 at 19:12|Permalink 暮らし 

June 08, 2014

苗穂駅




最近JR苗穂駅まで歩いている。愚父の病院施設へJR(北)をつかうとき、札幌駅より徒歩5分近いことがわかった。

JR苗穂駅まえには大型温泉施設ができて1度はつかりにゆかねばとおもっていたが見ると、外観がまったく現代風で個人的な好みとしての、1)汚い、2)狭い、3)何もない、の3拍子揃ってないのが気にいらなくまた、湯を出てから我が家へもどる交通機関の接続が悪いとあってはたぶん将来もつかりにゆかないだろう。別府駅前高等温泉並みのシブイ施設でない。

JR苗穂駅自体は昭和風の木造駅舎なのが気にいっているしとにかく、家から歩きはじめ札幌ビール園の横手をとおり、陸橋をわたってご到着という道筋がグーである。その苗穂駅、2018年に現在渡っている陸橋寄りへ移転し今より近くなり、徒歩15分圏内となるプロジェクトが進行中らしいのを聞いてよろこんだ。

苗穂駅の喫煙所が庇つきで駅舎よこの外に設置され、札幌駅のように6畳間の息づまるような空間でないことも気にいっている。たばこを喫わなくても立寄りたくなるエリアだ。

「サッポロ・ファクトリー」というショッピング・センターへ、より近く苗穂駅を移転することで駅周辺地域を再開発するのが札幌市の計画である。近隣マンションの値上げに貢献もしよう。現在の駅周辺の商店といえばその温泉場、蕎麦屋、パチンコ屋、スナック、酒屋、コンビニ、くらいしかない。2018年までにどのくらい商圏として地代が挙がってゆくだろう。市内では忘れられてきた都心の東側地区である。

子どものころ、苗穂駅からちょい札幌駅寄りに知合いの歯科医があった。孫の代となっても現存し看板をあげている。札幌駅まえから路面電車に乗換え歯医者へ遊びにいった。父方の祖父母の知合い夫妻が遣っている歯科医だった。母と手をつないでゆくと母の姪(アタシの従姉妹にあたる)が住込みで働きながら夜間高校へ通っていた。昔はそんな縁故関係で住込み書生や見習いを雇っていた。

母の姪は優秀な女性で夜間部卒業後、見合い結婚した。そこで第一子として産んだのが現在オヤジになっていて、映画業界で美術監督を生業にしているのをロンドンに居たときにユーチューブで観た映画でしるところとなる。

もっと店を探してみようと駅から歩くと、パブと絨毯屋を遣っている店主と出会った。スコットランドに住んでいたと告げると、「アイラ!」と彼は叫んだ。生きているうちに行ってみたそうでもある。来年のスコットランド来訪計画へ参加を促してみたら彼の、顔色が変わった。

JR苗穂駅はスコットランドに現存するそこらの古い駅舎に似ている。外観、待合室、廊下、階段、ホームへ渡る陸橋、そしてホーム、その風情を失うのは寂しい。英国人ならそのまんまとっておくであろう。




xgx417 at 19:17|Permalink お出かけ 

June 05, 2014

おやつ食べる




相変わらず「腹減った病」のつづく愚父の介護施設へ、おやつや飲み物を大量に持ちこんでいたのは5月までで現在、彼は物忘れ病棟入院中ゆえ食事制限ができた。「腹減った」というのへ「はい、ではこれでも食べていてください」と手渡されるおやつがなくなってしまった。過去2年間に費やした愚父のおやつ代はバカにならぬ額である。自分の人生でこれほど毎月、ひとりの人間のおやつ代にお金を費やしたことがないから、ものすごい喰いまくり量だとおもっていた。

生命力旺盛な愚父は食事のほかにも気がむくといつも、食べていなければ気が済まぬ認知症である。消化器が丈夫にできている、少量をなんども食べる習慣をつけてしまい早朝夜中をとわず、「腹減った」という。食べなければ不安なのだろう。

5月まで居た介護施設へ出むき散歩用にコートをはおらせ帽子をかぶせると「ナンカ喰いにゆこう!」といった。車椅子に乗せて出ると蕎麦かうどんか親子丼でも食べたいとおもうらしかった。午後3時に施設から出されるおやつをすっかり食べているはずである。それでも外へ出かけると食べ物屋へゆきたがった。

認知症高齢者の母親をグループ・ホームで看ている男性と札幌市内の地域密着型居宅介護センターにショート・ステイしていたとき毎月の、懇親会でなんどか会った。母親は食べ続け肥満となり困っているというが、愚父のほうはちっとも太らない。体質なのだろう。

知恵をしぼってアレコレ違ったおやつを買い貯めては愚父の施設へむかっていたが、北海道特産のカステラ1本にしぼってみようかと考えたりだ。施設のおやつ以外をすべてこの銘柄にそろえれば彼は、「なんだコンナ同じもんしかないのか……」とモンクをいいある程度、諦めてくれるのではないかとおもったからだ。

居宅介護センターで出るおやつは自家製水ようかん/ヨーグルト・プディング/ゼリーなど、手作り感ある食物で、自分ですら憧れるアイテムがおおかった。北海道らしいジャガイモ餅があったりもした。手作り品を毎日、愚父は食していたのである。羨ましかった。

「認知症の人を支える家族の会」で出してくれるお茶とおやつをわたしは毎回楽しみにしている。おやつを持参してれる出席者もいて、アリガタヤ、ありがたや、と感謝はするがだからといって自分も持参せねばならぬかというとそれは別問題だ。他参加者さまほど可処分所得がない自分には買ってゆけない。

若いころ散々おやつやケーキ(現代では「北海道スィーツ」という総称になっている)を食べてきて今となっては、消化能力も老化し35年まえほど食べたいとおもわぬ。今これだけ食べたらどれだけ消化されないかを実感できる。若い消化能力とのちがいはおおきい。

北海道は今、「スィーツ王国」を自負している。地元の特産品例えば牛乳が最たる食品だが、カボチャその他の野菜をつかったりして小さめサイズのケーキやタルト、スコーン、などの販売にちからをいれている。併しサイズが……、スコーンなぞスコットランドの半分ほどの大きさなのであるから食べてみたいとはおもわない。お城で焼きたてのショート・ブレッドやスコーンを食べてきたから、イギリスやフランスで食べればイーようなアイテムばかりだ。

スィーツにあまり詳しくないとおもわれる道民がどんなに絵に描いても、本格洋風スィーツ職人にはなれないような気がする。生クリームやカスタード・クリームの味がなんとも日本人向けの味で国内在住の今、洋風ものは避けてしまい塩大福や饅頭、串団子のほうが美味いと感じる。

愚父の入居していた施設から退去時に持ちかえったおやつを今、自宅で食べている。賞味期限なぞ気にするものか。おやつの最たる北海道ブランド代表格が「ミルクカステラ」である。北海道産小麦粉100%使用、島川製菓株式会社製である。このアイテムはかの、日本の誇るマン盆栽作家でもあられる道産子飛行機マイラー、サンタクロース・山元氏の著作に取沙汰されたアイテムで、愚父の施設から持帰ったとはいえ賞味期限が2ヶ月と長く重宝している。我が家の非常食にもなりえる。

島川製菓のミルクカステーラ(30g)は4本入りで125円。1本の栄養価は、エネルギー110キロカロリー、たんぱく質2.7g、脂質1.5g、炭水化物21g、ナトリウム174g、カルシウム68g、糖質21g、とジムへゆくまえ食べるには最適である。これ1本を牛乳と食してからワーク・アウトするとちょうどイー。




xgx417 at 18:40|Permalink 食べ物 

June 02, 2014

プライド




「認知症の人を支える家族の会」でよく聞かされるのは、出席者家族のあいだの「認知症でもプライドだけは高いから……」というコメントだ。

プライドの高い低い、それは相対基準の表現である。今まで遣ってきたしごとや現在も織りつづけているタペストリーに関して自分は、相当高いプライドをもっているとおもう。それは他者がしりえないほど高く、自分だけの問題でもあるから誰がなんといおうといつまでも、維持するつもりである。

愚父が、彼自身のなかに抱くプライドもおなじように高いはずなので、敬意を払いたい。時系列的記憶がアチコチなくなるとはいえ、認知症の人のプライドのもちようにはその本人の独自性と歴史がある。本人のもってきたそのままのプライドを持続し、ゼロになることはないのである。

記憶力や認知機能が衰えるからといってプライドまで失う、と勘ちがいする家族のおおいのに驚かされる。記憶とプライド、別次元の問題なのに。

プライドが高い人間とはどういうのをいうのだろうか。逆にプライドの低い人というのが存在するのだろうか。未だかつてプライドの低い人と会ったことがないとおもうのは皆がそれぞれに、高いプライドを個別に抱きながら生きているとおもうからだ。プライドは実は高い低いではない。プライドの持ちようがちがうだけなのだ、その人の文化なのだ、とおもう。気がちいさい、おおきい、と同じように。

「家族の会」事務局から、某大学の教材として会の集まり風景の動画を撮りたいと要請があり、出席してもらえるか打診された。認知症の人を家族にもつ身として、使用目的の限定された教材とはいえ媒体に露出したいかというと率直にいってイヤである。出てもイーヨという会員だけ集めたらよさそうなわけだが、当大学と会には過去すでに利害関係があるようなのを耳にしてイヤーな感触をもった。お金を寄付されていたのである。

事務局の人々は、その財源によっておおいに会の運営が助かり、できるだけ当大学へ協力をおしまないという姿勢を見せたいきもちが電話のむこうから伝わってきた。ロケーション・コーディネイター時代の経験をふまえたうえで、動画は、撮る側が現場で要求をエスカレートしやすいし将来、ふたたび大学側から会が同じような要求をされる可能性も高く、撮られる側はよほど注意せねば、と応えたがわかってもらえたかどうかは不明である。

自分がメディア露出するときそれは、タペストリーその他の自分の遣ってきたしごとに関する題材だなあ、と考えるきっかけになった。それに日本人の動画撮影隊なんて大学で学ぶ学生とはいえ人権意識が低く、自分たちの経験や能力のなさを、撮られる側の人間にしわ寄せをくらわせる結果になりがちであろうことも容易に予想される。

じゃあ撮影に、出てくれるんですか、出てくれないんですか、と二者択一を会がせまってきたらコレはもう、会を貶めるような行為をその人が遣っているのだからそうしたときのことも考え、つき合わねばならぬとおもった。そこにあるのがアタシのプライドなのだと感じた。




xgx417 at 18:12|Permalink 介護