August 2017

August 04, 2017

中高年期の調整力


『チャンスを自分のものにするには、事前の準備が必要。プロ野球の代打要員の選手は、試合が始まるとバックネット裏で入念に素振りを繰返す。試合の展開次第でいつ監督から代打の指名が来るかわからない。代打を頼まれて、『すいません、準備がまだなので後にして』とは絶対にいえない。チャンスがいつきても、その時に備え平時から準備しておく。

コーディネイター時代はいつでもどこでも誰とでも出かけしごとを片付ける、が職務だった。どこにチャンスがあるか自覚できぬことが頻発してもいた。出てゆけば誰それがアンタはアッチへゆけ、アンタはコレを遣れ、アンタはコレが出来る、だのといってくれるので自分で考える手間も省けた。準備が出来ていないから来月/来年にしてくれ、とはいえなかった。

人にいわれたとき、そのまま動いてみると可能性が開ける。ただし、人のいってくるコーしろアーしろの内容を吟味するのは自分の消化力にかかる。ソー動くことがためになるかを見極めつづけていた。見極めは結構疲れるからときどき、サボって考えないようにしながら動いたり。

いつ、乗るか、つづけるか、撤退するか、の時期を自分のつごうで決める。ためにならぬことは他人とのつき合いもソーで、つづけぬ方が自分のためになる場合もある。

数年前の愚父のグループ・ホームへの入居、そこが彼の終の住処となる、とは考えていなかった。当時居住していた施設から、もうすこし自由な高齢者住宅へふたたび戻ることも視野にいれている、といったら電話の話し相手がウッとつまった。その人の場合、親がグループ・ホームから療養型病院へ転居し亡くなった。ソレがふつうのコースだとおもっていたのかもしれないが、グループ・ホームから高齢者住宅つまり食事付き高齢者向け下宿へもどったってイーではないか。

硬直した人とは今後ますますつき合い細くなってゆく。老後は自由にもっと自由に、若いときよりもっと自由に、可能性を手繰ってゆきたい、死ぬ前日まで織ってトレーニングしていたいと望むこの、おバカさん加減に何人の人がつき合っていられるだろうか。

自分が将来、認知症になってタペストリーを自室で織りつづけるため、照明機具の調整や自然採光の位置から考えてベッドはここ、織り機はここと平面図を示したときホームの管理者が、それは無理ですと我が趣味(あるいはしごと)をとめるようであればソコへ入居すべきではない、退去すべきだとおもっている。

チャンスは貯金できない。またこのつぎ遣る、なぞという相手とはつき合っていられない。調整能力の低い人など相手にしている暇はない。結果、くだんの電話の相手へわたしのほうから連絡しなくなった。

先月、北大工学部へ講演しにきた安藤忠雄氏。日本の大学もやっとあんな講演会を一般公開しつつある。それなりに今風で入りやすそうな講堂が建ってきた。構内バスも走っている。自由、挑戦、の二文字を掲げていた。複数の癌に冒されながらその後も、活動しつづける様子に感服した。彼の気のもちようの高さといったら超高度で、グングン突き抜ける。自分の立ち位置における自由の維持、挑戦しつづける心の開放感は、これからも自分にとってなくてはならぬ要素だと感じた。縮こまっていてはダメなのである。何歳からでも始められますとジムの宣伝文句でも運動器具のコマーシャルでもなく、元気至上主義でもなく、必要以上に超元気というわけでない、いろいろあって当然だとする自由。そして自分の遣りつづけてきたことへの新たな挑戦を欠きたくない。




xgx417 at 19:22|Permalink お出かけ