本来ならピアツーの展覧会の続きを書かなければならないのだけど、香港のぱんちょ先生の「みんなでブログを書こう」プロジェクトに参加するため、予定を変更して「私が日本語教師になったわけ」というタイトルでエントリを書くことにする。

私が日本語教師になったのは、西夏語の研究を続けるためである。

普通の人には何を言ってるのかわからないだろうから、順を追って説明しよう。

私は、某大学の言語学専攻に籍を置いていた。そこで、卒業論文から博士論文まで一貫して西夏語を研究していた(西夏語についてはこちらをどうぞ)。卒業後も研究を続けようと私は思っていた。

しかし、西夏語は死語である。現在西夏語を話す人は世界のどこにもいない。「西夏語通訳」という職業には就けない。さらに、西夏語は専門家が世界でも10人くらいしかいないマイナーな言語だ。ということは西夏語を読みたいと思う人は世界でもそれぐらいしかいないということだ。英会話学校のように「西夏語教室」を開いても、絶対に学生は来ない。博士を修了してからも研究を続けるためには、なんとかして大学の先生になるのがベストの選択だった。

博士課程に入ってからは、諸先輩に紹介されて短大(台湾で言う二専)の日本語学・高専(台湾で言う五専)の英語・大学の留学生相手の日本語教育と非常勤講師を勤めた。そして、これも先輩の紹介で今の職場に拾ってもらった。晴れて大学の先生になれたわけだ。おかげで年に一本程度だが西夏語の論文を書き続けてこられたし、運が良ければ国から科研費がもらえる身分になった。

今私の授業を受けている学生諸君は、私のことをマンガ概論のオタク教師とかディベートで学生をいじめる鬼教師とか思っていることだろう。けれども、私の根っこのところにあるのは西夏語であり言語学なんだ。日本語の文法を説明する時に「この動詞の結合価は~」とか「有生名詞の場合は~」とかやたら嬉しそうなのは、そういうわけだ。