ピアノ音楽研究ときどき日記

ピアノ音楽の歴史を研究している上田泰史のブログ。19世紀のピアノ教育、ピアノ文化を専門に研究したり、演奏会を企画したりしています。たまにに記事を更新します。研究者としての情報はコチラ(Researchmap)をご参照ください。

国際音楽学会@東京でバタバタしているうちにはじめての書籍が発売になりました。ピアノ教則本「チェルニー30番」をめぐる練習曲の歴史がテーマです。

本が出来上がってまず思うのは、一冊の本は、著者ひとりの力では産声すら上げることができない、ということでした。内容に魅力的な形を与え、読み手に相応しい体裁に整える。そのためにどれだけ多くの方が時間を割いてくれたことでしょう!

まず、チェルニーを研究されていた編集者の中川航さん強力なバックアップなしには、ここまで詳しくチェルニー像を描き出すことはできませんした。

そして、原稿を何度も読み直してくれた仲間。お蔭様で、いくつもの読み手の視点を取り込むことができ、今後の執筆の糧となりました。

そして、装丁を手掛けてくださったの福井大学准教授の湊七雄先生。幼いころから見守ってくださった湊さんに書籍の美しい顔を描いて頂き、本がすばらしい「作品」になったことは、とても感動的でした。

加えて、春秋社編集部、書籍出版のきっかけを作ってくださったPTNA連載担当の皆さまをはじめ、本書の刊行に携わられたすべての方々に厚く、そして熱く!御礼申し上げます。

まことに、この本は応援してくださる皆様の善き意志の賜物です。

内容については、春秋社やAmazonのサイトの概要説明をご覧くださいまし。http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-93794-5/

いろいろ不行き届きもあるかもしれませんが、また折に触れてご指導ご鞭撻を頂ければ幸いです。
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お話をさせて頂く演奏会のお知らせです。

『19世紀のJ. S. バッハとピアノ ―バッハをめぐる創造的編曲の世界』
 2017.1月25日(水) 19:00 開演(18:30開場)

2009年ころから続けてきた公開録音コンサート、今年は19世紀のに書かれたバッハ作品のピアノ編曲を取り上げることになりました。題して《19世紀のJ. S. バッハとピアノ―バッハをめぐる創造的編曲の世界》。1850年のバッハ協会設立前後に拡がていったバッハ像が、ピアニスト兼作曲家たちの趣味やセンスに応じて、色とりどりに描き出されます。

演奏は作曲家・ピアニストの林川崇さん、東京芸大でソルフェージュ科の博士課程を修了されたピアニストの中村純子さんです。

ご予約はこちらからできます。 (全日本ピアノ指導者協会のサイトに飛びます)
お誘い合わせの上、足をお運び頂けましたら幸いです。 


Program
・ベルティーニ編曲:平均律クラヴィーア曲集第1巻第4番(4手)
・ダムケ:バッハへのオマージュ(4手)
・サン=サーンス編曲:カンタータ第29番より 序曲
・リスト:バッハの「泣き、嘆き、憂い、おののき」による前奏曲S.179
・グノー:バッハの第1前奏曲による瞑想曲(〈アヴェ・マリア〉)
J.シュルホフ編曲:管弦楽組曲第3番より エールとガヴォット(「G線上のアリア」)
アルカン編曲:フルート・ソナタBWV1031より シチリアーノ
ル・クーペ編曲:聖霊降臨祭のカンタータ(BWV68)より アリア
サン=サーンス編曲:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より ガヴォット
ライネッケ編曲:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より シャコンヌ(4手)

明けましておめでとうございます。昨年は帰国して住環境や活動場所が大きく変わり、新たなステージで始まりを迎えました。応援して下さった皆様方に、心より御礼申し上げます。

今年は、これまでの成果を発表していけるよう、楽しく研究、執筆に取り組みたいと思います。そして、社会的に役に立つ情報をさまざまな媒体で公開し、情報、知識を多くの方と共有できる一年にします。

新年早々、さっそく告知で恐縮ですが、春秋社の月刊情報誌『春秋』にエッセイを寄稿しました。タイトルは「音楽家の遺品がくれる夢」という文章です。パリであちこち古書店を巡って出会った貴重コレクションとその散逸について悲喜こもごもに書いています。

この機関誌は定期購読用で書店にはないみたいですが、春秋社に問い合わせればバックナンバーを購入できるそうです。巻頭エッセー「宗教改革五〇〇年と日本語版《ロ短調ミサ曲》」(大村健二著)、「モーツァルトの青春 断想」(塩山千仭著)はじめ、音楽、宗教関連でも面白いエッセイが掲載されています。

手にする機会があれば手に取って頂けますと幸いです。私の知り合いの方には、ご連絡頂ければ、直接お渡しいたします(あと40部くらいあります)。

それでは、2017年が皆様にとって、そしてこの世界にとって幸多き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

上田泰史

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フランスの大学で博士課程が終わったところで、少し、日本とフランスの博士課程に在籍して気づいた違いなどをメモしておこうと思います(フランス語のアクサンが表示されないので、その点はどうかご容赦を)。

1.博士論文とThese
日本で「博士論文」と呼ばれているものは、英語では(doctoral)thesis、フランス語ではthese、ドイツ語では(辞書を繰ると)Doktorarbeitといいます。 単純に比較すれば、日本語の「博士論文」はドイツ語からの直訳なのだろう、と想像されます。

しかし、「博士論文/Doktorarbeit」と「thesis/these」に間には、書く側にとっては、以外と大きな「意識の差」があります。

まず、「博士論文」という用語から、どんな性格の文書をイメージするでしょうか?私にとって、はじめ、日本で博士論文を書いたとき、博士論文は、博士課程を終えるために書く大規模な論文、というイメージでした。もっと具体的には、「一人前の」研究者として認めてもらうために、専門的力量を遺憾なく発揮する学術的成果、というイメージです。

ところが、フランスで「博士論文」≒「these」を書いていると、そのイメージがもっとはっきりとした輪郭をもつようになりました。

ある時、私のフランスの指導教授のところに書いた一章を見せに言ったところ、論証が不十分な箇所を指摘され、こんなことを言われました。

「これはまだhypotheseです、きっちり裏をとってtheseにしなければいけません」

そのとき、初めて博士論文が「thesis/these」と呼ばれていることが腑に落ちました。要するに、theseとは「博士論文」以前に、まず「命題」であって、「独自の命題を立て、論証せよ」という、既にその名称からして学生に向けられた問いなのだ、ということをはっきりと意識するようになりました。

こんな当たり前のことですが、日本の大学から来た留学生である自分は、「these」=「博士論文」という頭が抜けないので、「命題を立てて論証する」という意識が希薄になっていたようです。

もちろん、日本の博士論文でも、「命題を立てて論証する」ということは不可欠なのですが、書き手としては、「博士論文」より「these/thesis」のほうが、その名を持って体を表そう、という意識が働くような気がします。

ちなみに、フランスでは、「修士論文」はmemoire(男性名詞)です。これは、辞書を繰るとほぼ”dissertation”とほぼ同義で、学術団体に提出する論理展開のある文書、とされています。要するに、命題を論証するための訓練、という位置づけなわけです。

2.博論審査会とSoutenance(Defense)
博士論文を提出すると、その道のエキスパート4、5名による審査員が召還され、口頭試問が行われます。これ自体もやはり、どこの国も変わらないことだと思います。しかし、これまた名称と内実の関係が日本とフランスでは少し異なっているようです。

まず、博士論文の審査会は、日本では「博論審査会」などと通称されますが、フランスでは"soutenance"、英米では"defense"、ベルギーではフランスと英米の折衷で"defense"といいます(ドイツでは何と言うのでしょう?)

"soutenance"は、動詞"soutenir(下から支える)"が名詞化された語なので、直訳は「下支え」です(音楽用語(イタリア語)では”sostenere"の過去分詞、おなじみ"sostenuto"です)。

つまり、"soutenance"は、論証したtheseを「下支えする」機会であり、審査員からの批判にもビクつかないものだ、ということを試される審査ということです。英米の"defense"もほぼこれと同じ意味ですが、もっと好戦的というか、審査員からの攻撃から命題を防御するという、「攻防」のイメージが強い気がします。

もう一つ、名称の相違に由来する大きな違いは、日本の「博論審査会」が審査員目線であるのに対し、"soutenance"や"defense"は審査を受ける学生目線だ、ということです。つまり、"soutenance"や"defense"には、学生が何をすべき機会なのか、がはっきりと示されているわけです。実用や慣習の問題を度外視すれば、教育的観点から優れているのは、"soutenance"や"defense"といった名称ではないでしょうか?審査員が毎年こなす事務ではなく、学生の研究者としての自立が認められる重要な教育的機会だ、というニュアンスが、こうした表現の背後にあるように思います。

実際、日本では(大学にもよると思いますが)、審査会のあとに懇親会を行うことはありませんが、欧米では懇親会に審査員を招待するところまでが学生の役割であり、楽しみでもあります。soutenance/defense後、シャンパンやお菓子を片手に審査員と冗談交じりに語り合い、写真を撮ったりして、やっと「一人の研究者として迎え入れられた」という実感が沸いてくるものです。これは私に限らず、欧米で博士号を取得した方なら誰もが感じることだと思います。

3.まとめ
こうして見てくると、学位や課程の名称において、それが意味するものの明白さ、という点で、フランスの方が目的がはっきりしていることは明らかです。

日本の場合、修士以降の学位授与までの流れは、

修士論文⇒修士論文審査会⇒博士論文⇒博士論文審査会⇒学位授与

という流れです。

フランスも基本的に同じですが、上に見てきたように、名称が異なります。

Memoire de Master⇒Soutenance de memoire de Master(かつてはmaitriseと呼ばれました)⇒These⇒Soutenance de these

二つの流れを比較すると、前者(日本)の名称が客観的・事務的であるのに対して、後者(フランス)は学生が各課程で到達すべき目標のプロセスを、意味的にもよく表しているように思います。たしかに、学士、修士、博士という名称もある種の発展を示しているように思えますが、「学ぶ」「修める」「博(ひろ)く学を修める」という表現は漠としていて、各課程の具体的な目標が見えません。

一方、フランスの課程は論証の訓練(memoire)⇒訓練成果の下支え⇒論証による命題の確立⇒命題の下支えという、はっきりとした課程が見えるように思います。

私は現代の大学教育制度のことは詳しくないので、表面的に、名称の意味を見ながら上のように解釈しましたが、概ね間違っていないのではないかと思います。

大学制度は、いま、徐々に変わりつつあります。博士課程は3年で終わることが推奨され(私は2年で終わったので後続の学生にはプレッシャーを与える前例になってしまったかも)、噂では、今年度から、soutenanceには指導教授が審査員として参加できなくなるとか、評価が可か不可の二通りのみになるとか、そんな話をききます。そんな中でも、課程の名に相応しいtheseが生まれていくことを願うばかりです。 

人生を節目づけ、華やかに彩る美しい時が誰もに用意されているとすれば、9月16日は、まさしくそんな一日でした。午後2時から3時間に及んだ博士論文審査会は、心地よい緊張と共感に満ちた雰囲気の中で進められ、審査員満場一致の最高成績(mention tres honorable avec felicitations du jury)でパリ=ソルボンヌ大学の博士号を得ました。
 
これまで書籍を通して、あるいは直接的に親しんできたフランスの教授方と忌憚なく議論し、共に研究を進め、そして仲間として迎えられたことをとても嬉しく、誇りに思います。
 
・指導教授
ジャン=ピエール・バルトリ教授(パリ=ソルボンヌ大学)
ロール・シュナッペール教授(社会科学高等研究院)
・審査員
ブリジット・フランソワ=サペ名誉教授(パリ国立音楽・舞踊院)
フレデリック・ド・ラ・グランヴィル氏(ランス大学)
イヴァン・ノミック教授(モンペリエ第三大学)
 
審査会の後は、19時まで近所のカフェで懇親会を催しました。折にふれ手を貸してくれたフランスの学生、研究者、音楽家、日本の友人、先生方、美味しいお菓子とシャンパンに囲まれ、2時間があっという間に過ぎました。
3月に日本で博士課程を終えたばかりで、切迫した研究スケジュールの中、ソルボンヌの博士課程を終えるために、かなりのプレッシャーに耐えなければなりませんでしたが、最短の2年でソルボンヌの博論を終えたことで、この大学の博論史にちょっとした「記録」を刻むことができました。

この高い峰を踏破するために支えて下さった方々に報いるべく、また、これからいっそう高い山への登攀を目指す方々をのお手伝いをするために、研究、教育、音楽普及活動に尽力したいと思います。

思い出せば、審査会の前日は中秋の名月でした。あの日の月のように、留学当初の願いが満たされ満願成就で留学を終えられることに感謝し、次のステージに進みたいと思います。

帰国は来月半ば過ぎの予定です。新たなスタートとなりますが、音楽、教育関係でお仕事のお誘いなどありましたら、どうぞ、お声をおかけ下さい。 今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。
 
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