太秦商店街3月に京都へ行ったとき、20年ぶりに住んでいたところを訪ねて驚いたことがありました。それは、嵐山電鉄の帷子ノ辻駅(乗換の主要な駅)を降りて、商店が閉まっていたことです。更にはそこから続く太秦商店街も私がいた頃の活気と違います。
シャッターが閉まったまんまの建物が増えているのです。それと、若い人年老いた人など様々な人があふれていた昔と比べると、なんというか狭い同質的な人々という印象があったのです。
これは八女にも共通して言えることなのですが、子どもが風景の中にいないのです。
まさしくこれは今の社会を反映しているのだと思い知らされます。
日本は世界でも類を見ない高齢化社会へと突入していっています。これからもスクラップだらけの風景は変わらない、逆に増えていくだろうと思います。
昨年行った銀座ですら、次に入るテナントがおらず、そのままというところもありました。
それをして、社会が荒廃しているような論もあります。
「ファスト風土化する日本」です。
でも、ちょっと違うと思います。
今までは建物をつくれば、そこに住む人もしくは使う人がいるという時代で、空きが出来ても、すぐに入るという時代だったのでした。もちろん、寒村では減少傾向が続いていたのですが、あまり人目に付くことはありませんでした。20年前に行った長野県飯田市の大平は集落全部で移転したというところでした。しかし私のような変わり者でなければ、訪ねていくことはありませんし、ものすごい山奥なので世間に知れ渡ることもありません。
しかし、今はそれが寒村から都市部へと変わってきているため、人目に付いてしまうのだと思います。また、そのままにしておいても利用価値を生む施設になれないという事情もあって、とりあえず、そのままになっているのだとも推測できます。
それに郊外型のショッピングセンターも更地にして建て直すよりは、新たに作った方がコストが安く済むという事情もあります。更に言えば、4キロから20キロと人々の行動範囲が広がったことも旧市街地の再開発が遅れ、郊外型の店舗の進出を加速させたのだとわかります。
やはり、「ファスト風土化する日本」というセンセーショナルなタイトルで物事をラベリングしているだけで、深い洞察はなかったのではないかと、私ごときからも看破されてしまいます。もちろん、この本は問題提起としては、考える機会を与えいて頂いており、私も購入して読んだ上で述べています。どちらが上だとか下だとかはないのが今の時代です。

今は社会がちょっと一休みしている時期で、もう少しすれば、変わると。
季節が移ろうごとく、終わらない冬はありません。
長く見える終わらない夜にも朝日が差し込んできます。
気持ちの持ちようでいかようにも変わってきます。
夕日を見て朝日だと思う、そんな余裕が必要になってきたのかもしれません。


大平宿について書いてあるページ


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