2006年01月10日

【第15回】大自然を体験させよう

時には、子どもの大自然を体験させましょう。自然の荘厳さ、大宇宙の神秘を感じ取らせましょう。

人間は、自然の中で生かされているのです。太陽がなくても、空気がなくても、水がなくても一日として生きてゆくことはできません。しかし、多くの人々は、そのことにすら、気づかず、忘れて、自分のことばかりを考えて毎日を過ごしがちです。

子どもには、そうした大自然の中における人間の存在を、感覚として学ばせるべきです。感性として、学んだ自然の荘厳さと畏怖は、のちに知性と結びつきます。つまり、「まだまだ、分からないことがたくさんある。知りたいことがたくさんある。解き明かしたいことがたくさんある」という気持ちを芽生えさせるのです。

そこで、こうした自然のガイド役を親や大人が務めることを、ぜひお勧めします。

実は、自然はあたりにあふれています。皆様もお探しになってみてはいかがでしょうか。

日の出の時の朝焼けの美しさ、荘厳さは言葉を失うはずです。そのとき、全くの静寂ではないのです。実は野鳥たちは、日の出の時間に合わせて活動を始めます。日の出時刻のどれだけ前から鳴き始めるかは、鳥によって異なります。

満天の星空のもとで宇宙を感じることもできます。彼方からの光は、何十、何百光年かけて、この地球に届いているのだと知れば、人間がいかにちっぽけな存在かが分かるでしょう。

岩場のほんのわずかな裂け目に生える高山植物は、寒さと風に耐えながらも必死に生き延び、可憐な花を咲かせます。そんな姿を見ると、人に「もう少し頑張ってみよう」という勇気を与えます。

このように大自然は、悟性をも磨くことができるのです。

知性、感性、悟性、これらがバランスよく整ってこそ、丸く落ち着いた、深みのある人間が育つのです。

机に向かう学習以外にも、学ぶべきことがらは無限にあります。

xsaburo at 17:38|この記事のURLComments(0)

2006年01月08日

【第14回】嫌みが出るのは…

「また、同じところで間違えてる…。ホント誰に似たのか、頭悪いわね…」
「これじゃ、試験間に間に合わなくなって、受からないわよ。いいのそれで! 困るでしょ!」

親が子どもの勉強を見ているとき、こんな言葉が口をついて出てしまうことがないでしょうか。我が子だと、つい、けなしたり、バカにしたり、嫌み言ったりしてしまいがちです。それは、大人の側に余裕がないからなのです。

子どもは、大人が考えているよりもさらに、繰り返し、繰り返し、間違いを克服しながら学んでゆくのです。もちろん、すぐに理解してしまう子どものいるのでしょうが、『分かった』ということと、『間違えずに正確に早く解ける』ことは、別のことです。分かっても、訓練をしなければ、ミスをします。訓練をしなければ、早く解けるようにもなりません。

ですから、まずは親(大人)が、「子どもは、繰り返しの学習が必要不可欠なのだ」ということを強く認識しておく必要があります。

「昨日やったことことなのに、もう忘れている!」
当たり前です。子どもはすぐに忘れるのです。だから繰り返し学習することが必要なのです。

「さっき間違えたところで、また間違えている!」
当たり前です。定着するには、時間がかかります。定着すれば、もう間違えませんが。しかし、まったく新しいことを学んでいるのですから、時間をかけて練習させなければなりません。

本当は、試験に間に合わなくなって受からないと困るのは、子どもではなくて、親(大人)の方なのではありませんか。受験するといった手前、合格しないと、世間体が悪いから、困るのではありませんか。

大人側の論理を、子どもの学習環境にねじ込んではいけません。自らの心の余裕のなさが、言葉として出て、子どもに要らぬ毒素を振りまいているのです。

「繰り返し練習すれば、必ずできるようになるから、間違えてもやり直そうよ。あなたは絶対にできるようになるから、一緒に解いてゆこうよ。次は同じミスをしないように気をつけようね…」

こうした暖かい言葉は、子どもを安心させ、子どもの心を落ち着かせます。

「同じ間違えを繰り返すなんて悔しい」
と、子どもが自分自身で思うようになるのは、大人の嫌みの言葉からでは決してないのです。

2005年11月12日

【第13回】 モノで釣る?

「100点とったら買ってあげるよ…」
こんな風に、安易に子どもと約束していませんか? 勉強のみならず、様々な場面で、子どもの所有欲をくすぐり、利用しようとしていませんか?

いわゆる「モノで釣る」という方法は、子どもにやる気を出させる方法として、即効性はありますが、実は子どもにはいろいろな悪影響があります。

まず第一に、こうしたモノで釣るという方法は、『習慣化する』ということです。つまり、子どもはいつでもモノを要求し、また大人側からではなく、子ども側から交渉を持ち出すようになりやすいのです。そして、それが続けば、さらには何にでも対価を求めるようになります。

「洗濯物取り込んでおいてちょうだい!」
「いくらくれる?」

「お風呂のお掃除お願いね」
「じゃあ、今度新しい靴買ってよ…」

という具合です。これは、家庭の外でも行われます。例えば学校でも、
「黒板消してくれる?」
「次の成績、上げてくれますか?」

「ノート見せてよ」
「ジュースおごれよ…」

一時が万事こんな具合です。時に「モノで釣る」ことも必要な場面があるかも知れませんが、これが度重なると、ギブ・アンド・テイク、あるいは、いかに余計にもらうか…に終始するようになるのです。

第二に、『奉仕の精神、努力の美徳が損なわれる』ということです。人は、ギブ・アンド・テイクだけで生きているのではありません。時に、奉仕し、相手に喜ばれることが、自分へのご褒美と考える場面はたくさんあります。また、努力して、努力して一つの成果を上げることで、達成感や幸福感を得られることもあります。しかし、「モノで釣る」方法は、こうした人間にとって大切なことがらを、希薄にさせ、そしてまた失わせる危険性を持っているのです。

親や大人は、「どうせ子ども相手だから…」とか、「めんどくさい」という気持ちもあって、安易に「モノで釣る」ことをしようとします。しかし、一歩踏みとどまってください。

以前にもそうした場面がなかったでしょうか?
この先も、ずっとモノで釣り続けるのでしょうか?
今後、どのようにモノで釣らない方法で育てていこうと考えているのでしょうか?

努力の大切さを知らないで、勉強ができるようになった人はいません。

2005年11月11日

【第12回】 伝記を読ませる

「子どもに『本を読ませろ』ということは分かったが、どんな本を与えたらよいのか…」という質問をよく受けます。

本にもいろいろなジャンルがありますが、まずは『伝記』です。多少良い方に脚色されてはいますが、「伝記」は偉人の生涯を知ることができます。

たとえ神童と呼ばれ、並々ならぬ才能を持っていたとしても、たいていは、人生のどこかで刻苦勉励していたり、通常では堪えられたないような、逆境を乗り越えているはずです。子どもはそうした「伝記」を通して、生き方を学びます。自分の生活と照らし合わせます。そして自己反省を始めるのです。将来の夢を描くこともあるでしょう。目標に向かって進むやる気がみなぎってくるかも知れません。

そして、努力の大切さを知ったり、決してあきらめない粘り強さを学んだり、人のために尽くす美徳を学ぶのです。こうした経験が、勉強に対するモチベーションを高め、さらには子どもの人間性を向上させることになります。

小学校低学年くらいならば、親や大人が「読み聞かせる」という方法もあるでしょうし、静かな場所で、落ち着いた雰囲気の中で、「話して聞かせる」こともできます。もちろん、子どもが自ら進んで、いろいろな偉人の伝記に手を伸ばすように仕向けられれば最高です。

また、誰の伝記を読ませるかは、大人側が判断してもよいことです。子どもに読ませたり、勧めたりする前提は、すでに大人がそれを読み、咀嚼していることが前提となりますので、一度図書館で探してみられることをお勧めします。きっと、新たな発見があるはずです。大人でも、そうした気づきを得るのですから、子どもならばなおさらです。

ちなみに、大人が伝記を楽しむならば、『大人のための偉人伝』という良書があります。これにより、人物を選ぶこともできますが、表題のとおり、大人が楽しめる偉人伝です。

年齢が上がると、どうしても「伝記なんて…」という気持ちになりがちになりますので、できるだけ学齢の小さい時期がよいでしょう。伝記を一通り読み終えたら、「歴史書」なり、優れた「小説」に移行するとよいでしょう。

偉人の人生を知り、考え方を学ぶことは、子どもに大変良い影響を与えます。

2005年11月05日

【第11回】 テレビ番組の影響

テレビ番組が子どもに与える影響は非常に大きいものがあります。当然のことながら、視聴率ばかりを気にする低俗番組も数多くありますが、子ども向け番組だからといって、必ずしもよい番組であるとは限りません。制作者には申し訳ないのですが、子ども向け番組にも良し悪しがあります。ですから、子どもに見せる前に、それを親や大人は判断しなければならないのです。

人気のアニメ番組だからといって、必ずしも「良い」とは限りません。例えば、主人公の言葉遣いが悪かったり、いじめや、嫌がらせを喜ぶ性格であったり、というそうした番組もあります。ですが、子どもは当然そうした主人公と自分を同一視しますので、いつしか同じような言葉遣いや性格が身についてしまうのです。ですから、子どもにテレビを見せる際には、「この番組を見せても良いかどうか…」ということを親や大人が判断しなくてはならないのです。

子どもが勉強できるようになるためには、相応の環境が必要です。その一つがテレビ環境です。家庭がいつでも見る見ないに関わりなくテレビがつきっぱなしのなかで、勉強するのは大変困難なことです。子どもは、いろいろものに興味を持ち、集中力をそがれますので、テレビで番組が流れている中での勉強は困難です。

一方、先ほど述べたように、番組が子どもに与える影響も大きいですから、良い番組を見せることで、子どもをうまく導くこともできるはずです。

皆様方も、一度子ども向け番組を、そうした視点チェックしてみたらいかがでしょうか。

以下にいくつかのチェック項目を述べますので参考にしてください。
・正しい言葉遣いをしているか。
・過度な暴力、攻撃性はないか。
・いじめや、極度の陰湿性はないか。
・発展的に、前向きにものごとを考えられるように導いているか。
・新たな知識を習得するなかで、喜びを感じるようになっているか。

最近では、各局で「放送番組審議会」を設置し、自主規制をしているので、一度その報告内容もご覧になってみるとよいでしょう。

2005年10月26日

【第10回】 焦らない、焦らせない

さぁ、子どもに勉強させようよ机に向かわせたはいいが、なかなか勉強が始まらない。筆箱を開けて、「どの鉛筆を使おうか」、と迷っている。「消しゴムはどれがいいかな」、などと長い時間かけて選んでいる…。

そんな姿を見ると、たいていの親や大人は、イライラして、
「早く始めなさい! どれだっていいじゃない!」

でも、大人にとってはどうでもよいことでも、子どもにとってはとても大事な問題なのです。「鉛筆を選ぶ」という、子どもなりの喜びの時間に浸っているからです。大人は、時間がかかるとついついいらつき、焦ってしまいます。しかし、そんな時こそ、落ち着いてじっくりと子どもに接して下さい。でも、
「今日はこれにしたら?」
なんて、声をかけても、「こっちがいい…」と意見は合わないでしょう。こんなときこそ何かしらの会話をして、子どもとのスキンシップをはかるのもいいでしょう。
「今度からは勉強始める前に、選んでおこうね…」
そんなひと言でも子どもは、優しさを感じるものです。

問題を解きはじめてみると、大人が間違いに気づきました。大人はたいていせっかちですから、ついつい責めたてます。
「違うよ。これ…。違うでしょ。直して。ほら、直して! 早く早く…」
こんな感じで責め立てます。そんなとき、子どもは訳がわからなくなっているのです。

子どもは、一瞬、何が起こったのかすら分からないときもあります。予期せぬ事態に、対応できなくなっているのです。こうなったら、親や大人が何を言っても、話は通じません。

大人は、「この答えは間違っているから、もう一度消してやり直させなければいけない…」と思っていますが、子どもは、「えっ、なに? 何が起こったの?」といううろたえてしまっているのです。大人は焦ってはいけません。落ち着いて、ゆったりとした気持ちで、子どもの勉強を見守ってみましょう。

大人や親の焦りの気持ちは、子どもにも伝わってゆきます。状況を把握した子どもは、ただただ焦るようになるのです。焦った状態では勉強はできません。集中できません。理解もできなければ、やり直しすることすらできないのです。

原因は親が焦ったことにあります。

たった一つ、「なぜ、こんな問題で間違えてしまうの…」という思いのために。
たった一つ、「こんなのんびりやっていたら、何時間かかっても宿題が終わらない」という思いのために。
たった一つ、「どうしてこんなにだらだらしているの…」という思いのために…。

子どもに勉強させる際に、焦りは禁物です…。

2005年10月10日

【第9回】 伸びている実感を持たせる

「何でこんな簡単な計算ができないの…」
「こんな汚い字で書いて、読めないじゃないの。全部消して書き直しなさい!」
こうした母親のヒステリックな言葉に、泣きながら勉強をしている子どもは、さすがに最近は少なくなっていると思います。

しかし、『勉強は、我慢するもの、つらいもの、嫌なことで、大変なこと』というイメージは、いつの時代の子どもたちの心の中にもあるようです。

逆に、子どもに『勉強は、面白い、楽しい、分かるととても嬉しい』と思わせることができれば、あっという間に成績は伸びていきます。

同じ学年の学習能力の差は、本当はとても小さいのです。同じくらいの子どもたちの中で比べているから、成績の高下が目立ちますが、実はほんの少しの差です。しかし、学年間ではかなりの差が生まれます。例えば、小学6年生が、小学3年生の授業を受けたとしたら、難なくトップの成績となるでしょう。

さて、勉強を楽しくするための一つの秘訣に、『自分が伸びている実感を体験させる』という方法があります。人間は、他の人と競争するときに、勝つことは難しいのです。究極的には勝てない、と思ってよいかも知れません。おそらく、世の成功している、勝利していると思われている人であっても、自分自身で勝利した、という自覚を持っている人はほとんどいないであろうと思います。しかし、自分の成長を確認することはできます。意識的に考えないと分からないことが多いことですが、「以前の自分と比べるとずいぶん成長したな…」という感覚は、誰もが持てることであり、原動力になります。これを勉強に当てはめ、成長感覚を子どもに自覚させるのです。

子どもたちは、自分が成長してしていることを確認できれば勉強が楽しくなります。あたかも、ゲームをしているときに、どんどん面をクリアして、新しいステージにチャレンジするような、そんな感覚を持つことができます。

これを上手に使った方法の一つが、陰山英男氏らが提唱している『百ます計算』です。皆さん方の中にも、「一度はやらせてみたけれど、うまくいかなかった…」という方も多いかも知れません。しかし、どんなに優れた教材であっても、やり方次第で、その効果は変わります。『百ます計算』は、他人とスピードを競うのではなく、自分自身のスピードアップを自覚することで、楽しくそして、続けられるものなのです。

自分自身が成長を確認し、伸びている実感を持たせることで、子どもはとても大きな力を発揮します。もちろん、周囲の賞賛も忘れてはいけませんが…。

2005年10月09日

【第8回】 人のせいにしない

子どもが勉強できないことを人や環境のせいにしてしまうことがあります。しかし、それでは本質的には、何も解決しません。そういう親や大人の態度は、子どもにも影響を与え、言い訳ばかりの子どもが育ちます。

少し前の時代なら、言い訳をしようものなら、父親が烈火の如く怒り、鉄拳制裁があった家庭も多かったのです。それはまた、子どもの心をゆがめてしまう、悪しき慣習でした。しかし昨今では、逆の振り戻しが起こっています。

「だって先生の教え方が悪いんだもん」
そんな子ども責任転嫁を聞くやいなや、すぐさま学校や教師に抗議したり、訴えたりするような風潮です。子どもが先生の悪口を言えば、それをたしなめ諭さなければならないところを、親子して一緒になって、先生の悪口を言います。確かにいろいろな先生がいますし、教え方が悪いという点においては、その通りかも知れません。しかし、先生のせいにしたところで、勉強はできるようになりませんし、ますます先生との信頼関係は失われしまいます。しかし、そういう状況においても、自分できちんと勉強している子どもはいるのです。確かに影響力は大きいですが、先生は絶対ではありません。

学校が悪い、環境が悪い、友だちが悪い、先生が悪い…というように、できない原因を探そうとすれば、いくらでもあります。しかし、そんな時、ふと思いとどまってください。

「本当はどうなりたいのですか? 子どもをどう育てたいのですか。子どもにどうなって欲しいのですか?」

子どもができないことの言い訳をしたならば、それをやめさせなければなりません。子どもが安易に人のせいにしたならば、子どもの努力不足を叱らなければなりません。

母親が教師の批判を始めたら、父親はたしなめなければなりません。家庭で、学校や先生の批判を子どもに聞かせてはいけません。

大人が人のせいにしたならば、必ずや子どもは真似をします。自分が努力しないことのへの言い訳にします。人間は、時に、どうしても怠け心が芽生えるからです。

「先生が宿題を出さないから、うちの子どもが勉強しないんです」
「せっかく宿題をやったのだから、ちゃんとコメントを入れてください。子どものやる気がなくなります」
「持ち物一覧表を書いて印刷して配ってくれないから、うちの子は忘れ物をするんです」
「教科書が学校でなくなったんだから、新しいものを準備してください」

勉強は自分でするのです。まわりがどんな状況であれ、人がどうであれ、自分自身が研鑽を積んでゆくものなのです。それを忘れてはいけませんし、そのように子どもに教えてゆかねばなりません。

2005年10月08日

【第7回】 音読と暗唱

よく、『子どものころ覚えたことは忘れない』と言われますが、本当にその通りで、小学生、中学生くらいに丸暗記した内容は、大人になってもかなり覚えています。それが、高校生、大学生くらいになってからの暗記したことは、不思議とけっこう忘れているものです。大人になってからの記憶は、さらに忘れやすくなるようです。

また、子どものころは、意味が分からなくても音で覚えることができます。実は、学齢が上がるにつれ、意味の分からないものは覚えられなくなるので、名文や古典の暗記には、頭が柔軟な小、中学生のときに覚えてしまうのがいいのです。

学校はもちろん家庭でも、できるだけ名文を一緒に音読し、覚えてしまうのがよいと思います。こうして覚えたことは、たとえそのとき、意味が分からなくても、いずれその内容、鑑賞がじわじわと理解できるようになるからです。つまり、難しい文章でも、親や大人がだいたいの意味を教えればよいことですし、場合にとっては意味は教えなくても構いません。

ですから、ご両親が座右の銘としている言葉。古典文学、その他これは覚えさせておこうという名文は、ぜひ子どもと一緒に声を出して毎日読むことをお勧めします。最近は、『声に出して読みたい日本語』などの良書も出版されています。

よくお風呂の中で数を数えますが、このときに暗唱するのも一つの方法でしょう。また、
そのご家庭の宗教的信条により、聖書の一節や経文を暗唱するのもよいでしょう。

こうした音読、暗唱は脳を刺激し、活発にします。暗記は集中力を要しますから、集中力を養う訓練にもなります。さらに音読は、日本語の言葉のリズムを知り、文章感覚を磨くという効果もあります。

黙読ではなく、音読が優れているのは、自分で声を出した文章を、再度、自分の耳で聞くことになるからです。実際一回音読することで、二度繰り返していることになるのです。当然記憶を助けます。

また、声に出して読むことで、側にいる大人が、その出来具合を容易に確認することができます。つまり、途中でつかえてしまったり、止まってしまうところは、覚えていないところですから、すらすら読めなければ、まだ練習不足ということなのです。

すべての学校で、音読、暗唱の宿題が出されわけではありません。ですから是非、ご家庭でお試しください。ゲーム感覚で親子で競争するのもいい方法です。

2005年10月07日

【第6回】 勉強しない、と嘆く前に…

『子どもに「勉強しなさい」と言わない方がいい。自然にそうし向けるべきだ』と紹介している人もいます。

確かに、いつもいつも口うるさく、「勉強しなさい」と言われたら、子どもは嫌になってしまうでしょう。また、口に出さなくても、テレビを見ているだけで、咳払いでもしようものならば、神経質な子どもは、「テレビばかり見ていないで、勉強しなさいっていいたいんだな。口で言えばいいのに…やだなぁ」などと感じることもあります。「そんなつもりじゃなかったのに…」と親は思いますが、こうした誤解の積み重ねが、「勉強しなさい」というひと言に、異様に嫌悪感を抱くようになってしまうのです。それならば、言わない方がいい…という理論になるのは当然です。

それはさておき、この目に見えない「誤解」が問題を複雑にしているように思うのです。子どもが「勉強しなさい」と言われた時に、どう感じるか、ということです。

「お父さん、お母さんだって子ども時はそんなに勉強しなかったって言っていたじゃないか…」

「勉強してもこのくらいの大人か…」

思っている以上に、子どもたちは残酷なことを考えています。

また、「勉強しなさい」と言いながら、自分たちはテレビを見ながらケラケラ笑っていたり、カラオケに夢中になっている親の姿は、とうてい子どもたちには、納得のいく姿ではないはずです。

ならば、一緒に勉強してはどうでしょう。
「勉強しなさい。私もやるから…」
と、そばで静かに一緒に勉強してみてはいかがでしょうか。

「お母さんも勉強するんだ…」
と、子どもたちには、新鮮な発見があると思います。そんなときこそ、子どもの質問にも真剣に答えられるはずです。もちろん、本を読むのでもかまいません。実用書を読みながら、要点をまとめてみるだけでも、子どもからは勉強しているように見えます。

『勉強することは、当たり前のことなのだ。自然のことなのだ。楽しいこと、嬉しいことなのだ』と思わせる工夫が大切です。

自分が休んだり、遊んでいるように見えるときに、「勉強しなさい」と言うから、子どもは反発したくなるのです。なんだか、仕事で一休みしたときに、上司ににらまれる様と似ていますね。