2006年04月02日

村上春樹と三島由紀夫

mshimahauki村上春樹と三島由紀夫を比べるのが流行り出しているのだろうか。確かにノーベル賞を取る前に逝った作家とノーベル賞取るまで生き延びそうな作家の二大巨頭をタイトルに並べれば「新書はストックなのかフローなのか」的には売れそうな気がする。
以前にも三島由紀夫と麻原彰晃の類似性を論考した「ミシマ」から「オウム」へというのもあったし、9・11同時テロ事件にかこつけて実行犯グループと楯の会を論じたものもあった。そのうち「青の時代 」絡みで「ホリエモンと三島由紀夫」なんて本も出るのだろうか。そういう当ブログでも「エルビスと三島由紀夫」なんてこと書いているのだから他人様のことをどうこう言えた義理じゃないのだけど。
NAGIの小箱さんは「『ピンボールは三島由紀夫の表象』という箇所を読んで、思わず本を落っことし」そうになったという。私はといえば、「なるほど」と感心してしまった。「春の雪」の松枝清顕だってビリヤードに興じていたのだから。それに、ピンボール盤に描かれた人工的な装飾美は三島を思わせるものがある。それはディズニーランドにもつながっているらしいし。これぐらいで本を落っことしていられない。
ちなみに私は「1973年のピンボール」は村上作品の中で今も一番好きだ。「世界の終り・・・」は二極分解し過ぎて退屈だったけれど。
ともあれ本書の主張する基本的類比は「生と死」なのだけれど、別に文学に限らず全ての人間は生まれてから死ぬまで「生と死」をテーマにして生きているのだから、そりゃあ共通項はあるだろう。人間とサンドイッチ、人間とビールだって比べれば何がしかの共通項を見出せるに違いない。
羊をめぐる冒険」と「夏子の冒険」の冒険絡みってグーグル的だけども、やっぱり羊男は「ホテル・ニューハンプシャー」あたりじゃないかと。
ノルウェイの森」と「春の雪」ねえ。確かに恋愛小説という共通項がある。
大体、著者の佐藤幹夫さん自身、内心無理を承知しておられるらしく、あちこち言い訳がましいことばかり書いている。
これも最初にタイトルありきからだろうか。
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Posted by y0780121 at 21:52│Comments(8)TrackBack(0)clip!三島由紀夫 | 

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この記事へのコメント
TBありがとうございました。
(全く同じのが重複していたので、一つ消させていただきました。ご了承ください)。

本を落っことしている場合ではないのかもしれませんね。
春樹作品では、「1973年のピンボール」は、私は正直言って位置づけがよくわからないのです。佐藤秀さんが「二極分解して退屈」とおっしゃる「世界の終わり」の方に力を感じました。
また色々とご教示ください。
Posted by NAGI at 2006年04月02日 22:07
こんちわー☆面白いですね!お手本にさせてもらいます(>_<;)
Posted by AZU at 2006年04月02日 22:44
NAGIさん、さっきとちょっと書き換えました。「ピンボール」はややこしく考えずに読んだ方が素晴らしい文章と感じられる傑作と思いました。
「重複」すみません。システムエラーだと思います。
Posted by 佐藤秀 at 2006年04月02日 23:15
文学的位置付け論って難しいですねぇ。
思いつきですが

風:デビュー作なのでアイデア何でもてんこ盛り
  土地に対する個人的記憶が骨子のひとつになっている
ピ:文章のケレン味(過剰な比喩等)が増す。たぶんわざと。
  東京を舞台とすることで”舞台”の一般化が行われる
  初めて双子という”ファンタジー要素”が盛り込まれる
羊:文章的にはケレン味が減り、初期村上節が完成
  ファンタジー要素が強化され、独自世界の構築に成功
  個人的記憶(舞台としての芦屋)と作品世界との決別

ということで、ピンボールは、手持ちの材料なら何でも使い尽くすデビューしたての作家から、より汎用的な材料のみで小説を組み立てていくプロ作家への転換点にある実験作、ってのはどうでしょ?
Posted by xxx at 2006年04月03日 13:28
xxxさん。
もし村上春樹が自殺していたとしたらピンボール書いた後だったと思うんです。
羊は自殺を追い出すための小説のような。冒頭で三島事件が描かれ、「どうでもいいこと」というのはその決意のようで。
Posted by 佐藤秀 at 2006年04月03日 19:49
どうも恐縮です。テクニカルな点にしか目が行かないのが悪い癖でして。

個人的には、彼は作品世界と自らを重ね合わせちゃうタイプではないと思うんですよね。その辺はビジネスライクというか、作家と個人の立場を峻別できるタイプというか・・・。

むしろ「羊」は、戦前から70年安保くらいまで日本を取り巻いていた様々な思想とか時代的空気とかを仮託した存在だと思うんです。それが、80年代にはエアポケットのように消え去って虚無感だけが残っていたから「どうでもいいこと」という反語的表現でわざわざ特筆したんじゃないでしょうか。

後に彼がオウムやノモンハンを扱ったのは、そういった思想や空気に対する作家的関心を長年抱いていたからじゃないかと思います。
Posted by xxx at 2006年04月04日 13:40
いやあ、やっぱり虚無感というより退屈さが春樹さんの大テーマかなあ。
Posted by 佐藤秀 at 2006年04月04日 22:15
鼠君健在なり、ですかな。ブルジョア退屈男とでも申しましょうか。
Posted by xxx at 2006年04月05日 08:58