2006年11月27日

クラインのドツボ

山形浩生さんのエントリーを読んで、あの懐かしい浅田彰さんのクラインの壷対する山形さんの批判を思い出す。
Wikipediaクラインの壺を覗くと、

浅田彰のベストセラー『構造と力 記号論を超えて』には、表紙にたくさんのクラインの壷が描かれている。これは、浅田がポストモダン社会のメタファーとして、クラインの壷を使用したことに由来する。
このメタファーの有効性は、山形浩生らによって批判されたが、あるトポロジストから有力な批判を受け(浅田彰『構造と力』の《クラインの壺》モデルは間違っていない )、クラインの壺を完全に誤解していたのは、山形浩生であることが後に判明する。


とある。おやおや、「判明する」って初めから自明に誤解だったのじゃなかったのかや?
でも、山形さんはこの批判も乗り越えてまだ「浅田式にはめぐらないのだ」と言い張っていたのを知る。「眉に唾はつけなくてよろしい。つけても半分くらいでいいよ」という譲歩つきなのだけれど。
で、まだ残っていた原典を読むと、

本当にこのクラインの壺は、浅田彰の思っていたような無限の循環運動をするだろうか。

不思議な問いだ。「このクラインの壷」ってどの壷なのか定かでないが、一般的に四次元の、本来のクラインの壷は循環して初めて成立するものだ。循環しないクラインの壷など有り得ない。もし、循環しないのなら、原典の中でも紹介されていたホースを単純につないだただのワッカだ。これは絶対に循環しないから、こんなものを使って浅田を批判した連中は完全にペケ。なぜクラインの壷なら循環するかといえば、壷そのものが動態だからだ。

これは壺なんだよ。つぼをひっくり返せば、中身は外に出る。それだけ。

つぼをひっくり返せば? クラインの壷にはそもそも上も下もないからひっくり返そうにもひっくり返らないし、外に出ようにもクラインの壷には内も外がないのに、どうやって外に出るんだろう?

同様、

点線だからといって、そこに面がないわけじゃない。そこは通り抜けられないのだ。ところが、この図では点線になってるもんで、なんかそこを貨幣なり価値なりがすっと通り抜けて上のほうの細い部分に回収されちゃうような印象がある。

も、何言っているのだかさっぱり分からない。もちろん、点線で示されたチューブは面など通り抜けない。そのまま連続してつながっているのだから何で面を通り抜ける必要あるんだろう?

それから、

クラインのつぼってたて切りにすると、しなびたチンコみたいなのね

さて四次元のクラインの壷を切ると、えええ、切断面が出てくるのではなく、切断体、つまり切断された立体が出てくる筈だが。
それはメビウスの帯だって同じ。メビウスの帯を切断すれば、メビウスの帯自体、三次元で成り立っているので、切断すれば、切断面が出て来る。なぜなら、メビウスの帯は二次元的には動態で、その面はどこも歪んでいるので切断線にはならない。鋏で切れば、切断線になるじゃないかという向きもあるかもしれないが、それはメビウスの帯の模型の話であって、模型のメビウスの帯を切断すれば、もはやメビウスの帯ではなくただの帯になっている。同様、ここに描かれたものはクラインの壷の模型の切断面であり、本来のクラインの壷とは何の関係もない。
眉に唾を付ける必要なんてない。完全な誤解なんだから。
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Posted by y0780121 at 17:22│Comments(7)TrackBack(1)clip!文化 | 動画

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リサ・ランドールを読んでいると、一次元である線を切断すると「切断面」は0次元だ。二次元である紙を切断すると切断面は線なので一次元だ。三次元である立方体を切断すると、ようやく文字通りの二次元の切断面が現れる。では四次元の「存在」を切断すると、切断面ならぬ「切...
ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く(2)【佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン】at 2007年11月24日 00:07
この記事へのコメント
『構造と力』のクラインの壷論争の原因は、浅田氏の「クラインの壷」の誤った使い方と、山形氏の「クラインの壷」への誤解から生じています。

だから浅田氏も山形氏も両方、試験では不合格です。

山形氏は、4次元のクラインの壷を3次元と解釈しているから、的ハズレな批判になるのです(これは佐藤秀さんの指摘する通りです)。

浅田氏は、3次元と4次元を混ぜているので不合格です。

『構造の力』では、3次元のピラミッド型モデルが提示されて、ピラミッドの底と天辺に「4次元のホース」が装着されます。
これはクラインの壷ではありません。
クラインの壷には、「命懸けの跳躍」や「パラドキシカル・ジャンプ」など存在しないんですから。
Posted by おおくぼ at 2008年08月04日 10:04
えらい古いエントリー見つけましたね。

>浅田氏は、3次元と4次元を混ぜているので不合格です。

混ぜるというのがよく分かりません。4次元は、3次元を包摂しているから混ぜるまでもなく3次元を含んでいると思いますけど。3次元のピラミッドの底と天辺に「4次元のホース」を結べば、ピラミッドは4次元に取り込まれるだけだと思いますが。
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月04日 13:26
理論上は混ぜることはできません。
でも浅田氏の説明を理解すると、混ぜているとしか解釈できません。
他に「命懸けの跳躍」や「パラドキシカル・ジャンプ」をどう解釈すればいいのでしょうか?
Posted by おおくぼ at 2008年08月04日 16:32
>「命懸けの跳躍」

多分、これヒエラルキーの構造からディコンストラクションするやけっぱちの脱出という意味じゃ?
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月04日 21:30
だから、それってクラインの壷と関係あるの?という話です。
浅田彰の『構造と力』は、クラインの壷と関係ないし、必要もないじゃんという話です。
Posted by おおくぼ at 2008年08月05日 06:46
浅田彰にとって、資本主義社会とは、「ヒエラルキーの構造からディコンストラクションするやけっぱちの脱出」をする世界になんでしょう。
Posted by おおくぼ at 2008年08月05日 16:21
ま、そこらへんは浅田さんに聞くしかないと思うけど。
Posted by 佐藤秀 at 2008年08月05日 21:18