2008年11月27日

ブロークン The Broken3

The Broken公式サイト。ショーン・エリス監督、レナ・へディ、リチャード・ジェンキンス、ミシェル・ダンカン、アシエル・ニューマン、メルヴィル・プポー、ダレン・エリオット・ホームズ、ウルリク・トムセン、スタン・エリス。全てはけたたましいガシャーーン!で始まる。この映画の仕掛けを考えてみると、ロンドンで暮らすX線技師のジーナ(レナ・へディ)は事故前に自分の分身を見たと信じ込んでいるようだが、分身(ドッペルゲンガー)が現れるのは事故後だろう。
実際は許婚のステファン(メルヴィル・プポー)とデートするために車を走らせるジーナが交通事故に遭い、瀕死の重傷を負うということだろう。実は車の衝突の時間のガシャーンと父親(リチャード・ジェンキンス)の家での誕生日パーティーで突然大鏡が割れるガシャーンとはシンクロしているようだ。ということは、パーティーは実はなかったのだ。
自宅の浴室の鏡を壊して土足で現れる分身は事故前後の記憶を失ったジーナが脳内で見るジーナということになる。忍び込んだ分身のアパートは実は自分の部屋で、ジーナはそれに気付かない。自分の住所すら記憶から飛んでいる訳で、それを教えるのは弟のダニエル(アシエル・ニューマン)だ。撮った覚えのない父親とのツーショット写真は、実は父親の誕生日パーティーで撮られた筈の物なのだ。
ジーナのみならず、父親、ステファン、ダニエル、ダニエルの恋人ケイト(ミシェル・ダンカン)まで分身が登場するに至っては全てジーナの脳内妄想ということになってしまう。
しかも、父親だけは名前がない。実は父親はもうとっくに死んでいる遠い思い出の人なのだろう。他の分身は一応リアルに描かれているが、父親が父親の分身に襲われる際の分身だけは亡霊のような映像になっている。事故車の中から見つけたツーショット写真も父親の顔は潰れている。
よく見ると、父親がジーナを病院に見舞うシーンも2人きりだった。他の家族、友人とは別々だ。ジーナの死んだ父親への追慕の現われだろう。
映画では1000人に1人という内臓逆位の右胸心臓のX線写真をジーナが見るシーンがある。ジーナは職業柄、いつのまにかシンメトリーな夢を見るようになったのだ。カプグラ症候群という病名が疑われているが、これもジーナの持つ医学的知識が脳内で現れたものと思われる。
ジーナには、むしろ結婚前に陥りやすい心理的不安であるマリッジブルーに近い心理がうかがえる。しかも父親を失っていることからのファザコンの気配も感じられる。
医師たちが心配そうにジーナが帰宅するために車に乗り込むのを見下ろす場面がある。そもそも交通事故なのにいきなり精神分析医が出て来るあたり、この映画の裏面を暗示しているようだ。脳内でジーナがぶつけた車の相手はジーナの分身だ。
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Posted by y0780121 at 17:56│Comments(5)TrackBack(4)clip!洋画ブーボ | ★3

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スタイリッシュなサスペンスで、構図の美しさが光る。パステル調だった「フローズン・タイム」とは全く異なり、全編暗い色調で不安を煽る作品だ。ジーナら5人は食事中に、突然大鏡が激しく割れ落ちる事態に遭遇。それ以来、不可解な出来事が起こり始め、一人ずつ命を落とし....
ブロークン【映画通信シネマッシモ☆プロの映画ライターが贈る映画評】at 2008年11月27日 23:52
今年の2月公開になった『フローズン・タイム』の監督、ショーン・エリスの最新作{/kaminari/} 『フリーズン・タイム』が面白かったので、その監督が撮るミステリーチックなサスペンスってコトで ちょっと期待してました、来月の公開を前にちょっとだけ早く試写で鑑賞{/hik...
ブロークン/The Broken【我想一個人映画美的女人blog】at 2008年11月28日 00:49
映像の美しさ以外全てにおいて中途半端。鑑賞後にはそういう感想しか出てきませんでした。『フローズン・タイム』のショーン・エリス監督の新作ということで期待はしていたのですが、う〜ん残念。この監督も映像だけに走る監督に成り下がってしまうのでしょうか? 鏡を一....
『ブロークン』【めでぃあみっくす】at 2008年12月18日 18:05
鏡よ鏡 もうひとりの そこに自分  ファッション・フォトグラファーとして活躍するショーン・エリスが2004年に手掛けてその年のアカデミー賞にもノミネートされた短編作品を長編化した異色のロマンティック・ストーリー、それが「フローズン・タイム」。原題「CASHBACK...
ブロークン【空想俳人日記】at 2009年02月01日 09:59
この記事へのコメント
部分部分は。でも、
>パーティーは実はなかったのだ

>撮った覚えのない父親とのツーショット写真は、実は父親の誕生日パーティーで撮られた筈の物なのだ
って、整合がとれてないですね。
Posted by 面白い解釈だけど at 2008年11月29日 04:30
>整合がとれてないですね。

意味がよく分からないです。パーティも写真も何もかも存在しないんですから。
Posted by 佐藤秀 at 2008年11月30日 09:43
多分監督の頭の中では巧く整理されていたのだと思いますが、それが映画としては巧く整理されてませんでしたね。

レビューで書かれている解釈は非常に面白いです。でも映画を見ている方がここまで解釈しないと分からないようでは、ショーン・エリス監督の次回作に期待できないような気がします。
Posted by にゃむばなな at 2008年12月19日 17:02
こんばんは。
んーどうでしょう、「主人公の妄想系」ですと、何でもアリになってしまうので、そういう解釈は自分は一番最後にしたいんですよね。
『ファイト・クラブ』だけは認めますけど★
Posted by とらねこ at 2008年12月19日 18:53
にゃむばなな&とらねこさん、今晩は。

確かショーン・エリスはインタビューで説明過多の映画にはウンザリだなんてこと言っていました。
そういう意味、どうぞ自由に解釈してくださいということでしょうから、もう人それぞれでOKなんでしょうね。エリスのやったことは想像を膨らませるための仕掛け作りで、それはしっかりちりばめているように思えました。
Posted by 佐藤秀 at 2008年12月19日 19:17