2016年04月05日

「リップヴァンウィンクルの花嫁」は米国属国下の日本?

RVW映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」(岩井俊二原作・監督)を反芻して「リップヴァンウィンクルの花嫁」と朝霞市中学生誘拐事件を書いたがしつこくもう一度反芻したら、戦後日本とアメリカの関係が浮かび上がった。思えばなんでも代理業の安室(綾野剛)という人物、「アムロ」⇒「アメリカ」の語呂を踏んでいないか。
安室は裏で「リップヴァンウィンクルの花嫁」の主人公の臨時教員皆川七海(黒木華)を嵌めるようなことをしていながら、表ではきわめて“友好的”で親切でさえある。お金の清算もきっちりしている。
「安室行桝」というフルネームは「困ったときはアメリカ行きます」の語呂合わせなのかと思えて来る。七海の結婚式でもさくらを手配してお膳立し、挙句は七海の離婚劇も裏で操るのだけれど、これはアメリカが戦後行ってきた日本への色々な分野への“介入”と見ればいい。
「安室」は一方で「安保」のなぞりぽいところがある。「室」は部屋であり、「そこにいれば安全・安心な部屋」を提供しますだ。ラストでも安室は七海にそういう部屋を斡旋していた。安全保障部屋と言うか。
安室の俳優としての芸名は「市川RAIZO」。無論、名優・市川雷蔵のパロディなのだけれど、「市川」は歌舞伎の名跡。その下の名前がローマ字表記なのは日米合体を現わし、挙句は日米合体の茶番劇演出しますよ、なのだろう。
一方の七海は声が小さく、マイクロフォンを生徒から渡されてからかわれているのだけれど、日本が経済力で一等国でありながら(先生でありながら)国際社会(生徒≒元は日本が侵略した国々)では声が小さく、影響力が小さい。アメリカというマイクロフォンでマイクロフォンの都合のよい声を拡声して何とか存在感を保つ、間に合わせの存在なのだ。
思えば、アメリカは日本の防衛の代理業も同然。防衛はアメリカの意向抜きにできないから他国に向かって自主的に反撃できそうにない。というか、もし日本が独自に防衛出動しようものなら「国際社会」がどう反応するだろうかという問題が第一に懸念され、却って拙いことになりやしないか。一方で「日本って、あんな国にまで馬鹿にされている」と思われたりしないか、とか内心では自尊心を極端に気にしている。日本の中では「国際社会の反応」は常に自国にネガティブにしか働かないと思い込み、優柔不断で、自主的に何かを行えば悪化するという思いが半ば自動化されている。そのことが目に見えない檻を形成してしまい、結果、「顔の見えない日本」=お面を被った七海(写真↑)という塩梅になる。
「リップヴァンウィンクルの花嫁」と朝霞市中学生誘拐事件 で挙げたキーワード、「とりあえず」とか「同調圧力」、「世間を騒がせる」というのは日米関係基軸の日本の立場を語るキーワードでもある。憲法違反と言われながら、アメリカの意向でとりあえず自衛隊を創設し、とりあえず日米安保条約は違憲ではない、とりあえず個別的自衛権はある。そうしているうちにいつの間にか、やはりアメリカの意向で集団的自衛権も違憲ではないと言い張る。それでも、あくまでアメリカの意向に沿う形での集団的自衛権だ。なぜかアメリカの意向抜きの「自主憲法」はいまだ実現していないし、現政権も改憲はしても「アメリカの意向に沿う改憲」になるだろう。アメリカへの同調圧力は何も変わらない。決して、「世間を騒がせる」=「国際社会から非難を浴びる」ことも自主的にはしない。
そして、日本国民の大半は七海同様、「とりあえず、それでいいか」と内心二律背反的な反米感情を抱きながらもそれでとりあえず満足している。それが今の日本なのだろう。
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Posted by y0780121 at 17:29│Comments(0)TrackBack(0)clip!映画一般 

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