サクラダリセット 後篇〜超能力はPCの隠喩?
公式サイト。河野裕原作、深川栄洋監督。野村周平、黒島結菜、平祐奈、及川光博、健太郎、玉城ティナ、恒松祐里、岡本玲、岩井拳士朗、矢野優花、奥仲麻琴、吉沢悠、丸山智己、中島亜梨沙、八木亜希子。「
サクラダリセット 前篇〜PC的世界観」の後編。前編で
キリストの幼年期の家族、聖母マリア、ヨセフの聖家族“Sagrada Familia”から採られているようだ。
と書いていたが、本当に聖家族のような家族が出てきた。
その家族は一気に51年前まで遡る。原作が2010年前後として、その時点から51年前って、思い当たるのは1960年の日米安保闘争あたりだろうか。その頃に聖家族ってどういう意味合いがあるのかイマイチ、どころかサッパリ分からん。
とにもかくにも当時は超能力者は3人しかいなかった、それが
聖家族ということらしい。「キリスト教→超能力」に変換せよ、ということなのかどうか。そもそも浅井ケイ(野村周平)という名前、語呂的にイエス・キリストと何だか似ている。昔、イエスは「ヤソ」とも発音されていたし。キリスト教で言うところの「奇跡」に相当するのが超能力ということになりはしないか。
だとすると、その後に生まれた超能力者は浅井ケイの使徒ということになるのか。そうすると使徒の一人、超能力をなくそうとした浦地正宗(及川光博)などは差し詰めユダなのか、それとも「宗教はアヘンである」と言ったカール・マルクスなのか←なんでこんな大袈裟な話になるのやら。浅井ケイが「適切に超能力を管理する」とは民衆の安寧のために超能力を管理しようぜ、ということか。
ちなみに咲良田市から離れると超能力がなくなるのに浅井ケイの記憶保持能力だけは維持されるのは聖書という文物があるからという意味なのかも。文物によってキリスト教は世界に広がったのだろうから。「リセット」はコンピュータ用語で再起動の意味だが「キリストの復活(Resurrection)」も重ねられてはしまいか。
今は世界に広げるのはコンピュータ、スマホを含めたパソコンの時代。「
サクラダリセット 前篇〜PC的世界観」にあった通り、本作はコンピュータ世界の隠喩ぽい。コンピュータの中で宗教は広がり、パソコンによる拡張現実そのものが「奇跡」=「超能力」と言える。
Clickで救えるblogがある⇒
Posted by y0780121 at 20:50│
Comments(0)│
TrackBack(4)│
clip!
│
邦画サ |
★3
この記事へのトラックバックURL
サクラダリセット 後篇@時事通信ホール
サクラダリセット 後篇【あーうぃ だにぇっと】at 2017年05月13日 21:21
咲良田に「未来予知」能力を持つ「二代目の魔女」が現れた。 一方、平穏を保っていた街の至る所で“能力の暴発事件”が起こり始める。 管理局の対策室室長・浦地政宗は、密かにある計画を実行に移しつつあった。 浅井ケイは、咲良田がどのようにして能力者の街になったの
サクラダリセット 後篇【象のロケット】at 2017年05月15日 16:34
JUGEMテーマ:映画館で観た映画
サクラダリセット シリーズ
『サクラダリセット 前篇』も観客が少なかったけど
映画 『サクラダリセット 後篇』【こみち】at 2017年05月23日 21:19
「サクラダリセット 後篇」はサクラダリセット 前篇の続きとなり特殊能力を持つ者たちが集まる咲良田で相麻すみれが復活した事で新たなる予言者を排除しようとする者たちと浅井ケ ...