まず、日本とアメリカの関係を、安保を中心にして考える。
 日高義樹は、アメリカの戦略から、安保を分析する。「もともと日米安保条約は冷戦の時代、日本がアメリカの勢力の下から脱落して共産陣営の手に落ちてしまうことを防ぐとともに、経済的にも弱体であった一九五〇年代の日本を、国防力強化によって苦しめるべきではないというアメリカ政府の考え方に基づいてつくられた。」とし、「日米安保条約の時代の終りは、冷戦体制がいまや完全に終ったことを意味している。」とする。※1
 だが、安保においては、時間の経過を経験して、他の役割、意味合いなんかも生まれてきていると思う。また、熟慮考慮をして、発展性のある事柄を考えていかなければならないということだろう。
 冷戦の終結で変わったのは、アメリカだけではなく、ヨーロッパも同じである。
 ヨーロッパ諸国が、EUへの参加可能な状況が生み出されたのである。「冷戦状況のみが主要な障害であったオーストリア(89年)、スウェーデン(91年)、フィンランド(92年)、さらには、ノルウェー(92年)も時期を同じくしてEUへの加盟申請を行なったのである。また、四方をEUに囲まれているスイスも、ポスト冷戦期における新たな国際関係の中での自国の置かれた状況を再検討し、EUへの加盟を申請した。」。※2
 EUは、この冷戦後の変化のために、地道な、持続的成長を続けてきた。
 山本吉宣※3が詳しく書いているが、ロバート・クーパーは、世界を、ポストモダン・モダン・プレモダンという、カテゴリーで捉えて、アメリカが、ヨーロッパのような、高い秩序に向かうポストモダンの世界に慎重であり、モダンの世界にあるとする。
 さて、日米安全保障条約の役割が終わったかどうかは別にしても、冷戦が終わったという状況においては、どこの国も同じである。
 高い秩序を目指すポストモダンに乗れていないことは、アメリカだけでなく、日本の選択肢においても、そうであった筈である。確かに、戦後の天皇による、謝罪外交は、協調主義を導き出しはしたが、アメリカの属国主義と取られても仕方がない。
 ヨーロッパでは、トインビーが著した『歴史の研究』、ポストモダニズムの系統で、西欧文明の、西欧中心主義が批判された。日本で、これにあたるのは、「戦後」思想である。
 しかし、アジアにおいて、構築性のある発言ができなかったことは、戦後主義の賜物でもある。
 また、戦後日本の和平条約関係の構築は、一方で、実のあるものだが、モダンなアメリカ型の政治の一典型でもある。
 また、社会主義への失望感を経験した後、世界市民主義がクローズアップされるのだが、成熟を伴わなければ混沌を伴い、弱いアイデンティティーしか保てず、これまでの古き悪しき構造を引き摺ることにもなりかねない。
 超国家論的、あるいは、国家間的構想において、日本が、冷戦後の国際状況に向け、55年体制の中で、何もリーダーシップを取れず、何も思考してこなかったのは、アメリカと日進月歩の道を歩んできたとは言え、冷戦が開けてみて、明白であり、鳩山論文の東アジア構想の発言も、遅れ馳せである。
 その意味で、アメリカだけに、冷戦後構想を任せ切ってはいけないのだろうし、何らかのリーダーシップを担うべきである。
 


※1日高義樹『アメリカの世界戦略を知らない日本人 「イラク戦」後、時代はこう動く』PHP研究所 2003年2月5日 P.40~41
 また、日高は、本書で、アメリカは、冷戦後の戦略において、「NATOをも必要とせず、日米軍事同盟をもこれまでのようには大切に思わなくなったのである。」と開示している。
※2鷲江義勝「第三章 マーストリヒト条約以後」『EU 欧州統合の現在』編者 辰巳浅嗣 創元社 2004年4月30日 P.35
※3山本吉宣『「帝国」の国際政治学――冷戦後の国際システムとアメリカ』東信堂 2006年10月30日 P.114~117