吉川由香里のブログ

世の中には、たくさん、変なことがある。が、大変なことは変えていかなければならないと思う。

民主主義

ドゥルーズによって考えること ――2.

 ドゥルーズは、一方で、哲学を、「力をもつのは宗教や国家、資本主義や科学や法、そして世論やテレビであって、哲学はけっして力をもたない。」*2と、隣接して位置づけようとします。ドゥルーズは、〈事件〉を特視し、歴史より地理学を特権視する時、同一性の罠から離れ、すなわちあのハイデガーの存在論的差異から離れ*3、このもう一つの哲学のあり方に驚きを示していると言えるのです。

 戦後日本でも広く紹介された、アメリカのプラグマティズムの哲学者であるジョン・デュウイは、次のことを、言っている。「人間は共通の点あるが故に共同生活をなし、交通の手段によりて共通の物を獲得するのである。」*4

 民主主義とは、共通の観点や判断をそれぞれの個人が持つということであるが、デュウイは、それ以前の共同生活の段階において、それを認めている。

 しかし、ドゥルーズ=ガタリ流に言えば、国家だけでなく民主主義も、欲望機械の内在のことだと言うことはできるかもしれない。反省を伴い、われわれの欲望機械の内実と質とについて、論じなければならない。もう、民主主義は、ドゥルーズによって、欲望機械にしか、見えなくなってしまったからです。

 たとえば、共通して、コミュニティに内在している問題を確認することは大事なことだと考えます。共通の問題ではありますが、その共通の問題を、率先して、論じていくことが求められているのです。

 差別の問題でも、政治の問題でも、共通の問題として、まず、自らの国で、率先して、論じていくことが必要なのです。より良い共通認識は、コミュニティの垣根を取り払い、コミュニティの広域性を達成するからです。そして、今回の地震でこそ、共同体のことを、論じるべきではないかとも考えますが、それは、今回の震災で考えることは、こうした広域性の文脈を示していると思うからです。

 そして、こうした広域性の問題は、民族主義を乗り越え、最終的には、国家の枠組みを乗り越えていくものですし、同時に、ひとつの前進を意味するものだと考えます。


*2ジル・ドゥルーズ 『記号と事件1972―1990年の対話』訳者宮林寛 1992.4.30

*3ジル・ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳 河出書房新社 1992 P.13原著Diff rence et r p tition 1968

*4ジョン・デュウイ『民主主義と教育』原典出版年1916年

民主主義と自由主義の違い

 開国が国家の構築の時期に生まれたように、歴史とは、とりもなおさず、一回性のことであり、前進のことである。

 気がついてみると、民主主義とは、戦後期に、アメリカから譲り渡された概念として君臨している。未だに、民主主義を追い回し過ぎると、偏った自由主義の道を、脈絡なく歩むことになる。

 丸山は、天皇制批判をしたことで、結局、建国の一回性を論じたことになる。

 その一回性的な出来事が、様々な可能性として存在することは、天皇制批判という、丸山がライフワークとして選んだ研究を支えることになったわけではあるが。

 そして、丸山がこだわったのは、こうした一回性であったような気がする。

 日本における民主主義も、敗戦時の一回性のものと考えることはできる。これは、ヘーゲルの一回性から、考えるということである。すなわち、民主主義への適合は、段階的なものとして捉えなければならないということがある。しかし、日本人は、民主主義を、段階的なものと考えず、便利な政体のようなものとして、考えてきたと言える。まさに、普遍的な、ヘーゲルの一回的な歴史の成果として考えてきたのだった。

 やはり、政治とは、アクチュアリティーのことではないか。

 でも、文学研究は、プルースト的な主観やスピノザ的な視野に脱出する、その時代時代の人間の条件を、常に模索してやまないところがある。

 しかし、たとえば、心のやましさは、一人では解決できることではないので、常に文学は政治に向かう、そんなふうにも、考えます。だから、文学は政治の礎とも考えます。志ある人と話すのは、楽しいですね。そう考えさせられるのは、自然なふうに感じる。

 丸山は、戦後、天皇制の一回性を論じたが、肝心な民主主義を問題にはしなかった。

 しかし、民主主義こそが、議論する上での、根幹なのです。民主主義は、脱構築を含む何かのような気がする。

 日本のポストモダンの騎手たちは、これまで、自分たちが、何を、やってきたのか、提示すべきである気がするのだが、どうだろうか。

 そうした提示のなかにこそ、本当の民主主義、あるいは民主主義の成果があるのではないだろうか。

 そういうわけで、民主主義は、民主主義以上のものを、意味している。

 一方で、民主主義は、停滞を意味することがあるということである。

 こうした国際的に幅を持った考えのなかで、あるいは、場のゆらぎのなかにおいて、ネグリの帝国論などの議論が始まっているのだろう。

 しかし、帝国論などの、このような、新しい議論に、決定的に欠落しているのは、本当の民主主義である。

 なぜなら、現代においては、既知の概念を確認し、広く視野を持つというより、前進していることが必要とされているからである。帝国論のような議論は、自由主義を、助長させるだけである。
 
 だが、歴史を振り返ると、戦中の左翼思想研究のアクチュアリティーは、後鳥羽上皇の歌のごときに、文学研究として、拝見されるのは、事実です。現代の市民主義も、国家の縛りをうけている。かつての左翼のようで、前進と言えるのかと考えますが、帝国論は、左翼思想が叶わぬ夢だった帝国主義の時代のコンプレックスを、現代の自由な思想の中において、リバイバルし脱構築し、超剋するものなのかもしれませんね。

 そして、帝国論も、ヘーゲルの歴史の一回性の中にいることには、変わりません。

 冷戦、フランシス・フクシマの歴史の終わり、冷戦後のパワーヘゲモニーも、その実、このヘーゲルの歴史の一回性の中にあるのですが。

エジプトにおける正統性の問題  レヴィナス的なものからフーコー的なものへ

 革命の枠を越えて、民主主義政治の施策を取り、国民を納得させる必要があるのは当然だし、宗派やエスニックの対立ではないのだから、政治の対策をしっかりと打ち立てるべきである。正常化しつつあるエジプトに、安堵しつつ、施策を願う。

 だからと言って、中国のように、情報規制にまわってしまうのは、政治の後退だし、対策を立てれないと、開かれない政治になる悪循環を、早々に止めなければならない。

 ナハル以来の終身制という革命の伝統を維持するのも大切だが、大衆化が民主主義に進んだ良質の国民を打つのは、政治の傲慢。大衆化が進んでいるのは、アラブ諸国だけではない。エジプト暴動が終息しないとどうなるのかと思う。大衆化の政治形態を、いち早く考え、進む道を見つけてほしい。

 ムスリム同胞団も、移譲後の政権に参加をするということ。新しい政治が始まるといいですね。

 今回のエジプトのデモをについて、いろいろなことを考えてしまったのだった。

 たとえば、民主主義は、如何にして、可能かとか。また、結束の自由、運動の自由について、このことに関わっている、フーコーの認識論的問題について。つまり、革命と類似するスクラム、人の輪、団結、結束について。

 様々な形の運動を考えると、それぞれの正統性の証明は、他者を内包している。こうした正統性にこそ、他者に反映する真実、エッセンスは宿るので、明証性は、これまで問題にされてきたが、明証性は他者を措定してあるのに、こうした主体性を無視しているのは、一つの欠落と感じる。

 他者においては、明証性になり意味を持つものが、主体性においては、正統性としてはじめて意味を持つという事象なのであるが、この正統性こそ、エッセンスの源であり、それ故に、真理であり得るということである。

 この運動の場を、様々なレベルの運動を前提する、自由でなく、様々な運動の外面を対象にする正統性の問題として考えると、レヴィナスのような過ちは、決して犯さないだろうし、他者の問題も解決できる。

 エジプトの動乱においても、求められているのは、他者の不在である。 他者の不在とは、ナチズムの独裁政治に象徴されるものから、様々な運動自体における正統性の承認の問題へと、場を、変えるべきだと考える。

 勿論、正統性の問題に移行するとき、他者とは、無に解消されるなにものかであり、解消されるべきなにものかであるのだけれど。

 つまり、われわれは、他者の不在を要求されているのだと、感じるのである。

 このことは、フーコーとは逆に、人間性の復活を意味するだろうし、文字通り各々の主体性の回復を意味するだろう。 こうしたことを考えるとき、レヴィナスの外在性は、まだ、他者を肯定するような、主体性なき、思想であると感じる。

 そして、このレヴィナスの外在性の問題について同様のことは、ハイデガー、サルトル、デリダにおいて、感じることでもあるのであった。

民主主義の「形」二.デリダが民主主義の進歩を意味する時、レヴィナスは民主主義の真なる定着=構築を意味するということ。


レヴィナスは、未だ、デリダのような、構築性を掴み得ていないので、ハイデガーの時間による存在論よりは、一歩、後退するのではないかと思う。

それは、ネグリやフランシス・フクヤマが示す、欧米型民主主義の制覇から一歩`引く'というような側面を、確かに持っている。しかし、現象学自体の後退と、現象学自体の正統性の問題は、また、別の問題であり、レヴィナスは、前者ではないかというように、考えられる。

レヴィナス自身は、存在論に行着かない現象学を、一段劣ると批判しているのであるが。基本的には、だからと言って、存在論からの後退は、現象学的後退だろう。

レヴィナスが、それ故に、民主主義へ移行するのではなく、孤独へ移行するのは、一つの後退だと思う。だが、そのことは、「他者」という概念の考慮によって、行われている。あるいは、このことは、民主主義へ安易に移行していくのではなくて、プラスの意味で、「孤独」に留まるということだろうか。

結局は、デリダとレヴィナスは、批判を媒介とするように、自身の態度を示しているが、未だ、思想的にも、対立していると思う。デリダは、レヴィナスの断然を拒絶している。レヴィナスは、デリダの安易な構築性に、拒絶反応を示している。

レヴィナスは、なぜ、構築性に至らないかの原因を受け止めようとする。それに対し、そのレヴィナスの反省の自意識が、反省のまま放置されることを嫌うのが、デリダである。

デリダが、民主主義の進歩を意味するとすれば、レヴィナスは、民主主義の真なる定着=構築を意味するのかもしれない。デリダが、悪しき民主主義の急進性を意味するとすれば、レヴィナスは、民主主義の成熟を意味するのかもしれない。

デリダが、民主主義の真の模索=構築を意味するとすれば、レヴィナスは、民主主義の停滞を意味するのかもしれない。そして、レヴィナスの民主主義の形が、9.11以後、グローバル・スタンダードとして見直されつつあり、、認められつつあるという実態がある。

フランシス・フクヤマによれば、民主主義でない政体は、民主主義でないことにおいて、存在している。「住民の大部分から激しく憎悪され、なおかつ数十年にわたって権力の座に座ることのできた少数独裁の例は、現代でも数多い。たとえばシリアのアラウィ派政権や、イラクにおけるサダム・フセインのバース党政権がそうだ。また、ラテンアメリカのさまざまな軍事政権や寡頭政権が国民の広い支持もなしに支配を続けていることはいうまでもない。」P.54『歴史の終わり【上】』

政治においては、民主主義とは違うレベルで、「正統性」の問題はある。しかし、「正統性」の問題とは、裏を返せば、全体主義の意味になる。イデオロギーや、国民的合意の話になる。やはり 、「正統性」の形を承認することが、民主主義であろうし、常に、この同意に、新たな視点、論点を加えるものが、議論であり、議論を構築へと向かわせるものが、「熟議」であろうと考える。

フクヤマの「正統性」の概念によるなら、リベラルな民主主義でも、右翼や左翼の独裁政権でも、権利を反対方向に国家で補完してきた強国は、「正統性」において機能している。強国の崩壊とは、「正統性の消滅──つまり国家理想というレベルでの危機」である。P.53「正統性とは、純粋な意味での公正や正義とは違う。それは人々の主観的な認識のなかに存在する相対的な概念である。有効に機能し得る政権はすべて、なんらかの正統性をその土台としているはずだ。」『【上】』P.53

民主主義の「熟議」とは、常に、「正統性」の問題に向かうものであることがわかる。そして、レヴィナスの問題は、一つの「正統性」の問題を投げかけるものである。


現代の理念を巡って ~政治を考える。~  

 理念とは何だろう。非常に抽象的で解りやすいものではない。理念について考える時に、理念が具体的に何であるかを考えなくてはならない。
 理念が、具体的で、地道で、たゆまずに組み立てられる筈の概念でなければ、すべてが、夢物語に終わってしまう。
 しかし、理念とは、具体的に、次のように、語られる種類のものだった筈である。

「建国直後のアメリカは、ヨーロッパの啓蒙主義者にとって希望の星であった。ヨーロッパは絶望的だが、アメリカは「理性と人間性がどこよりも急速に発展する」地域になりうるとみられていたのだ。この時期のアメリカの外交政策は、実際の行動に一貫性があったかどうかはともかく、主張の面で、啓蒙主義の原則を色濃く反映していた。十八世紀後半のアメリカの政治家は、現在のヨーロッパの政治家に似て、国際紛争を和らげる手段として通商の利点を高く評価し、武力よりも国際法と国際世論で問題を解決しようとした。建国間もない時期のアメリカは、北米大陸内の弱い民族に対しては力を行使したが、ヨーロッパの列強との関係では武力を放棄するよう主張する主張し、十八世紀、十九世紀にヨーロッパの帝国が取り組んだ〔権力政治〕(ルビ:パワー・ポリティクス)を、野蛮な時代への逆戻りだと非難した。
 歴史家のなかにはこの事実から、アメリカ建国の世代が現実離れした理想主義者で、権力政治を「自国には無縁で嫌悪すべきもの」だと本気で考えていて、「国際関係での力の重要性を理解する」能力が欠けていたとする間違った見方を導き出したものもいる。だが、ジョージ・ワシントン、アレクサンダー・ハミルトン、ジョン・アダムズは、そしてトマス・ジェファーソンすら、現実離れした理想主義者ではなかった。国際的な権力政治の現実を十分に認識していた。」※1

 なので、資本主義の勝利の後、理念がまったくないとは、言うことはできないのである。マルクス主義だけに、理念がある訳ではない。
 日本においてもだが、政治というものは、過去の外圧や左翼の歴史に左右されるだけではなく、新たなる構築を歩まなければならなかった筈である。そういったなかで、理念無き政治は敗れるのである。
 パワーポリティックスの現実に注目することも大切だが、かつて、「武力よりも国際法と国際世論で問題を解決しようとした」アメリカに注目し、世界史的理念を目指すことも、もっともっと、大切なことである。
 戦後の日本は、戦後のヨーロッパ※2に似ている。パワーポリティックスに、あまりに固執することは、間違いである。日本とヨーロッパの違いは、日本がパワーポリティックスに固執するあまり、何も思考をしていないということだ。ヨーロッパが固執していないとは言わないが、何も思考をしていない代わりに、EUていう新たなる共同体を再編成できている。日本のリーダーシップが、どれだけ通用するかわからないが、構築的な考えを持つことが重要であるかと思われるのである。



※1ロバート・ケーガン『ネオコンの論理 アメリカ新保守主義の世界戦略』訳者 山岡洋一 光文社 2003年5月25日 P.14~15
※2同上 P.26~27
「一九四七年になるとイギリス政府高官は、アメリカがすぐに「われわれの凍えた手から世界の主導権の聖火を奪っていく」とみるようになった。ヨーロッパは自国の防衛と世界の安全保障をアメリカに依存するようになったのだ。フランスとイギリスは、ヨーロッパが「第三勢力」として独立したブロックになるとの考え方すら嫌っていた。アメリカがヨーロッパから撤退する口実になり、ふたたび独力でドイツに対応しなければならなくなるうえ、ソ連にも対応しなければならなくなるのを恐れたのだ。」

「 こうして、第二次世界大戦が終わってから五十年にわたって、ヨーロッパはアメリカに戦略面で依存する状態に陥った。かつては世界各地に進出していたヨーロッパ列強の力が、ヨーロッパ大陸以外には及ばなくなった。冷戦の時期、ヨーロッパが戦略面で担った任務は、ソ連軍が侵攻してきたときに、アメリカ軍が到着するまでの間、自国を防衛することだけであった(決定的な任務ではあったが)。そしてこの任務すら、ヨーロッパにとって重荷であった。」

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