京都・三条大橋から西へ5分も歩けば、和紙の便箋(びんせん)や封筒、西陣織の小物を扱う天保年間創業の京土産店「さくら井屋」がある。

 今は、年配の女性や、ジャポニスム(日本趣味)から欧米の観光客らでにぎわうが、大正・昭和の初めごろには女学生で店内はあふれていた。当時、最も人気のあったのが、手のひらにおさまるほど小さな木版刷りの絵封筒だった。

 作家、織田作之助(1913~47年)の小説『二十歳』(昭和16年、萬里閣)にもそのころのにぎわいぶりが描かれている。

 ≪赤井は豹一をひつ張つて、「此処を通らう」とわざわざ三条通の入口からさくら井屋のなかへはひり、狭い店の中で封筒や便箋を買つてゐる修学旅行の女学生の群をおしのけて、京極の方の入口へ通り抜けてしまつた≫

 この小説は、作之助20代後半のときの自叙伝的な青春小説。主人公、毛利豹一の三高(現在の京都大学)時代の無頼な学生生活、中退後の新聞記者生活などを恋やユニークな人物たちとの交流を織り交ぜながら描いている。

 「さくら井屋」以外にも、実在する老舗和菓子店「鎰(かぎ)屋」や名物居酒屋「正宗ホール」などが登場し、作之助の得意な“駆け足的描写”でうまく古都・京都の町を切り取っている。

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 この文章は、さらに続き、豹一の悪友、赤井が妹のお金を巻き上げたことを吐露する場面になる。

 ≪実は此の間僕の妹も修学旅行に京都へ来たんだよ。ところが、妹の奴さくら井屋の封筒が買へなくなつたといつて、泣き出しやがるんだ≫

 それにしても、買うチャンスを逃して涙するほど女学生たちをとりこにした絵封筒とはどんなものだったのだろうか。さくら井屋の店内には現在、その一部が展示されているが、見ると10センチあるかないかの小さな封筒ばかり。赤、黄、青など鮮烈な色彩を背景に、ハートやスズラン、トランプ、ベネチアのゴンドラ、十字架などがあしらわれているが、今でもかなり前衛的とおもえるデザインだ。

 オーナーの鳥居民枝さんは「画学生たちがデート代やお酒代を欲しさに、たくさんの絵を持ち込んできました。それを買い取って、木版で絵にしたんですよ。小さな版木に彫ったり、色を載せたりする技術が必要で、当時の職人だからこそできた神業」と話す。確かに、近づいてみると、糸のような細い線描だ。とても木版画とは思えない。

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 最近、この小さな絵封筒を描いた画家の一人、小林かいち(1896~1968年)の全貌(ぜんぼう)が明らかになり、美術史的な評価が急速に高まっている。「小林かいちの世界 まぼろしの京都アール・デコ」(国書刊行会)の著者でもある帝塚山学院大学文学部の山田俊幸教授は「かわいらしさだけが女学生たちを魅了したのではなく、メランコリックで退廃的な美を備えていることが思春期の女学生たちにはたまらなかったのだろう。中には『死』をも感じさせるイメージもあり、小さな封筒という世界によくこれだけ繊細な表現ができたものだ」と説明する。

 こうした絵封筒は、戦後には制作されなくなる。多くの職人たちが戦地に赴き、帰ってくることがなかったからだ。技の伝承がとぎれたのだ。

 こんな絵封筒が残っていたなら、どんなに携帯やメールが便利でも、ここまで手紙文化は衰退しなかったかもしれない。(丸橋茂幸)

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 【さくら井屋】 天保年間に堀川一条(上京区)に、桜井屋治兵衛が木版の役者絵の店として創業。大正時代に、現在の三条新京極角に移る。大正・昭和初期には、モダンなデザインの絵封筒、便箋などを数百種類扱い始める。竹久夢二が自作の絵封筒や版画を販売した「港屋」(東京)と肩を並べるほど全国区的な人気となる。

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 歌舞伎や小説、音楽…。さまざまな作品に登場する舞台の“今”を訪ねます。

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