2004年03月31日

教科書よりも大切な

 「あたらしい教科書」が、その時その時の子供の教育のされ方を決めているらしい。昭和50年代前半、自分が子供の頃もそうだったのだろうか。
 当時の教科書がどういうつくられ方をしてたかは知らないが、私の小学生時代の思い出には、教科書の内容とか担任教師の授業の仕方とかはほとんど記憶になくて、そのかわりに印象に残ってることといえば、皮肉にもそれ以外のことばかりだ。

 放課後の「帰りの会」で「ある生徒が廊下を走って規則をやぶった」という告発があってちょっとした討論になった。走ったとされる生徒は「あれは早歩きだった」と言い、目撃したという生徒は「あれは明らかに走っていた」と言う。走ったとされる生徒が、当時どんな走り方(歩き方)をしていたかを再現すると、目撃した生徒は「こんな走り方だった」と再現した。そして生徒たちが二分して収集がつかなくなった頃、担任教師は言った。

 「そもそも廊下を走ることは、なぜいけないのですか?」

 すべての生徒が言葉を失い、そして走り方(歩き方)を再現している二人の生徒も、走り方(歩き方)を再現したまま動きを失い、言葉も失った。それまでの討論がまるで無意味になった。あれはちょっとした裁判だった。

 もうひとつ印象に残る出来事がある。「6年1組」と「6年2組」で、体育館を半分境にして掃除していた。私は「1組」だったのだが「2組」の生徒が「1組の境界内」に埃をホウキで侵入させてきた。こっちも反撃して「2組の境界内」に埃をホウキで侵入させ、そして大喧嘩になった。その様子を見た担任教師が怒った。「なぜそんなに怒るのか?」と思うほど怒った。涙を流しそうなほどのものすごい表情で怒った。あれはちょっとした「戦争の再現」だったのだ。担任教師は戦争体験者だった。今になって考えてみれば、なぜ彼があんなに怒ったかがわかる。

 彼は「ものごとの正しい見方」を教えてくれた。教科書の内容に関係なく、文部省の方針にも関係なく、その時その時の生徒の状況に彼は「教える機会」を常に見い出し、それを生徒に教えていた。

 当時のことを思い出すと、先生にとても会いたくなる。教科書の内容がどうだったとか、教え方がどうだったとか、生徒が担任を自由に選べないとか、そういうことはどうでもよくて、ただただあの先生に会いたくなるのだ。

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