2004年04月05日

リストカットについて

 少し前に、進学校の教師だったかがDJを勤めるラジオ番組を聞いていました。進学とか青春についての悩み相談にアドバイスするような番組だったと思いますが、番組の最後に彼はこのようなことを言っていました。「みんなからたくさんのお便り募集してるけどさあ、リストカットしたなんてこと書いて送ってくるんじゃねえぞ」。かなりうろ覚えですが、正確な内容はどうであれ「そういう意味」の言葉を聞いたことは確かです。
 私はリストカットする人とかその理由とかにそれほど関心がなかったのですが、このDJの言葉を聞いて「現代はなんて暴力と差別に満ちた時代なんだ」と、今の時代のいびつさをあらためて認識しました。だからリストカットについて今のうちに理解しておかないと、このDJみたいに無意識のうちに暴力と差別に満ちた時代に飲み込まれてしまうような気がしたので、私はリストカットについて理解するため考えてみることにしました。

 人間は、本当の自分を持っていますが、たいていの場合、うまく自分をごまかして社会生活に適応させています。あるいは適応しているかのように他者に思わせるふるまいをします。そういうふるまいが出来ない人は、いわゆる「ひきこもり」になりますが、リストカットする人は「ひきこもり」でないからこそリストカットするのだと思います。つまり、ふだんはうまく自分をごまかして社会生活に自分を適応させているのです。

 リストカットしない人は、ごまかした自分と本当の自分を区別する概念を持ち得ません。だからリストカットをしなくても生きれるのです。じゃあ、ごまかした自分と本当の自分を区別する人がリストカットするのかといえば、それも違う気がします。

 リストカットする人がなぜリストカットするのかといえば、その人はごまかした自分と本来の自分の落差が大きすぎるがゆえに、本当の自分が嫌いだからだと思います。本当の自分が許せないから、本当の自分が現れてしまったことをリセットするために、リストカットするのではないかと思います。リストカットしない人は、そういう概念を持ちません。だから理解できないのです。

 しかしリストカットしない人でも、実は無意識にリストカットと同じようなことをすることで、本当の自分をリセットしている人もいると思います。そういう人は、リストカットと同じことをして自分を肯定してるくせに、リストカットを否定している人かもしれません。そういう問題もあると思います。

 たとえば、リセット方法がリストカットではなく風俗に行くことである場合があるとします。その人が、友人などに「昨日イメクラ行ってきてさあ、面白かったよ〜」と言える人だったらいいのですが、それが出来なくてそのことを隠す人だとします。隠すということは、そういう自分が嫌いだということです。それはべつに風俗でなくても構いません。何による方法であれ、そのことを隠すことが不健全であると私は思います。それが酒を飲むこと、タバコを吸うこと、趣味に没頭すること、本を読むこと、考えること、文章を書くこと・・・その方法が何であれ(あるいは方法を持たない人間が最も危うい不健全なのかもしれない。もしかしたらリストカットは嗜好の一種なのかもしれない)。

 不健全がいいことであるかといえば、そうではありません。なぜなら不健全な状態は、いずれその不健全を過度にエスカレートさせる原因となるからです。リストカットする人は、切り方をまちがって取り返しのつかないことになるかもしれません。風俗に行く人は、風俗だけでは満足できずに犯罪に走るかもしれません。

 では不健全を健全に変えるにはどうしたらいいでしょう。それは、隠すことにより不健全になってるのだから、隠さなければいいのです。そういう当人の意識変化がまず求められます。しかし当人が意識変化したからそれは解決に向かうかといえば、まだ足りない要素があります。それは世の中の意識変化です。

 当人が意識変化を遂げたからといって、世の中が変わっていないのであれば、そこには対立しか生まれません。それが今の状態です。対立することや、あるいは対立さえも面倒だから無視することではリストカットする人は不健全な状態から脱することはできないのです。むしろ世の中が、対立や無視によって「それをないものとする」で問題が解決すると考えているならば、「隠す」という点で、世の中さえも不健全の仲間入りをすることになります。状況は悪化することになっても、良くなることはありません。それは「霊は存在する」という霊能者に対して「霊は科学的に存在しない」という科学者という構図があるようなものです。

 世の中に、無視するとか徹底的にたたき潰すことでしか問題を解決する方法がないという考えが蔓延しているならば、その方法では根本的な問題はいっこうに解決するはずもなく、それはむしろ問題を人間の手に負えないものに育てていく行為になっていくことに気付くべきだと思います。ここまで書いた時点で気付くことといえば、今の時代に問題とされているものの多くが、こういった構図を根っこに持っているということです。

追記:ファッションでリストカットをしている人について
コストの面から言えば、麻薬を買うよりもリストカットのほうが安価です。少し昔には、コストパフォーマンスに優れるという理由でシンナーが用いられていました。つまり、ファッションでリストカットする行為が実存するとすれば、それは昔でいうシンナーを吸うという行為と同義だと思います。シンナーは古臭くてカッコ悪くて、リストカットは今っぽくてカッコいい。そういう価値観でやってるなら、その行為はファッションではなくて、ただカッコ悪いだけです。もしかしたらDJの教師の言葉は、そういう人を対象にしたものだったのかもしれません。しかしファッションでないリストカットに対しては、ファッションとは別な問題として扱っていくべきだと私は思います。

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