2004年05月07日

人間関係について

 「依存」とは「他者に自分への理解を求めること」である。だから「恋」とは「依存しあうこと」だと私は考える。そして「恋」は「特定の他者に対する過剰な理解」からはじまる。
 「ルックス重視の女」には「特定の他者の顔や容姿に過剰な理解を示す段階」に達した時点で「特定の他者」を「イケメン」と認めることにより「恋心」が生まれる。しかし「過剰な理解に達していない理解」の場合は「恋人にしてもいいけど、別にそうしなくてもいい」という程度の「理解」であり、また「特定の他者」の「顔や容姿が理解できない」という場合は「その他者はブ男である」と彼女は認識し、だからこそ「その他者とは関わりたくない」になる。よってそこに「恋心」は生まれない。なぜなら彼女は「ルックス重視の女」だからである。

 しかし彼女が「ブ男である」と認識した男性から「恋心」を抱かれる場合もある。そういうケースは実に多いことだろう。しかしその男性の「恋」は成就することはない。なぜなら彼女の恋の対象の条件に「ルックスを重視するから」があるからである。その一点で、彼女は「その男性が理解できない」のである。

 もうひとつ考えられるのは「恋の相手にルックスを重視してる」くせに、彼女自身が「ブ女である」というケースで、その「ブ女」である彼女は「イケメンに、ことごとくフラレている」というケースである。

 状況を整理しよう。「イケメンにしか恋する気がないブ女」に恋する「ブ男」は「そのブ女に恋して」いる。そして「ブ女じゃない女にしか恋する気がないイケメン」に恋する「そのブ女」は「ブ男に恋して」いない。そういう関係があって、そこには「延々と恋は生まれない状況」があるだけである。

 「恋の成就以降にすべきこと」は「互いに依存しあうこと」あるいは「互いに理解しあうこと」を「続けること」であり、それが「成就した恋を継続すること」であり、それこそ「恋そのものの実態」である。「延々と恋が生まれない状況」とは、常に「恋の成就以前」であり「恋の成就以前」という状態とは「近代を達成してない前近代」のようであり「近代以降に歩めない近代」のような状態である。

 「ひとつの価値観しか理解できない前近代」においては「それ以外を理解すること」つまり「個人が理解されるべき存在になること」は「タブー」だったからこそ「それが実現される」のが「近代」である。また、それは逆に言えば「個人が、それぞれ前近代的な存在になってもいいよ」ということでもある。

 「前近代」が「全体が個人を理解しない、絶対的な価値観だったから、個人という単位が理解されなかった」に対して「近代」は「個人それぞれが、個人(=他人)を理解しない、前近代的(=絶対的)な存在(=価値観)になっているから、全体という単位が理解されない」ということである。

 つまり「全体の支配」=「前近代」で「個人の支配」=「近代」である。だから「全体の支配の時代」は「国どうしの戦争」が多かったが「個人の支配の時代」には「個人どうしの争い」つまり「犯罪」が多くなるというわけである。だから、現代における「近代」とは「前近代」で解決してもいなかった「全体の問題」を「個人の問題」に「安易に移行しただけ」なのである。「全体の問題」が解決してなかったのに、それを「個人にすり変えれば解決するだろう」と考えたのが「近代」だからこそ、現代は、そのぶん「非常にわかりにくい時代」になっているのは当然である。

 だから「現代が、保守傾向に移行しているように感じられる状態」は「もう一度、全体の問題を認識して、根本的な問題の解決をしよう」という「個人主義ではどうしようもなくなってしまった個人の意志」により成り立っているのである。

 私が「脱近代」=「ポストモダン」という言葉でなく「近代以降」という言葉を使う理由は「前近代の問題解決なしには、近代の実現もないし、脱近代もないだろう」と思うからである。だから今「近代」どころか「前近代」まで遡って「根本的な解決」をしとかないと、そもそも「近代」もないし、なおさら「脱近代」だってないだろうということに「個人主義の個人が気付いた」ということである。「前近代の問題」が解決されれば「近代の問題」も解決し、それは同時に「近代の達成」であり、さらに同時に「脱近代への移行」となるのである。それは「脱近代を求めて脱近代を獲得した」というよりも「なるべくしてなった近代以降」なのである。

 「失恋を育てる」とは「他人との不合意を育てる」ということである。「他人との不合意を育てる」とは「理解できない他人を理解する」ということである。だからそこには「不合意」はもちろん「失恋」という概念だってない。「恋を育てる」とか「合意を育てる」が「わかりやすい概念」である理由は「理解できる他人だけを理解すればいいという概念」が、現代の我々にとって「わかりやすい」からである。

 先に話した「イケメン」と「ブ女」と「ブ男」の間に「延々と接点が生まれない」のは、彼らに「恋愛関係によってでしか人間関係を結べない」という「幻想」があるからである。「恋愛関係によってでしか人間関係を結べない状態」と「自分が理解できる他人だけを理解すればいいという価値観」を「自らひたすら貫いている」ということである。それは国でいうところの「イデオロギー」である。とてもつまらないことである。

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