IMG_3033 (2)倉敷紡績の建物を利用したホテルアイビースクエア

大原孫三郎翁(1880-1943)は倉敷の大原家の相続人として、倉敷紡績、倉敷銀行を相続し、その上に倉敷電燈会社、倉敷絹織を起こし、さらに有為の青年たちに奨学金を提供、孤児院を運営する石井十次を支援、「女工哀史」そのままの女工たちの待遇を改善、農民たちの自作農化を支援、世の中から困窮者をなくす方法研究するなど、人々を幸福にするための方策を追求し続けました。

8月14日、この人の生涯をまとめたいと思って倉敷の大原本邸に取材を申し込みましたが、直後に岡山県に緊急事態宣言が発令され、結局、こちらで原稿をまとめ、それを監修していただくことになりました。日本監督士協会刊「リーダーシップ」10月号で詳述の予定です。

写真は原稿執筆に当たって参考にした兼田麗子著「大原孫三郎」(中公新書)と阿部武司著「日本の企業家10・大原孫三郎」(PHP)、倉敷紡績工場跡でホテルに改装された「アイビースクエア」。



③本田宗一郎ものづくり伝承館④F型エンジンとスーパーカブ
■8月4日、浜松市天竜区二俣町の「本田宗一郎ものづくり伝承館」を取材しました。ここは世界のホンダの創業者、本田宗一郎が少年時代をすごしたところ。小さいときからものづくりが好きだった宗一郎少年は、村に自動車が来たと聞くとすっ飛んでそれを見にいき、浜松に飛行機がやってくるときくと、20キロの道のりを自転車を三角乗りして見に行ったといわれます。
■郷土の偉人を顕彰する施設を…という地元の要望で、2005年に天竜市が浜松市に編入されたのち、2010年に浜松市によって建てられた施設で、施設を運営するNPO法人「本田宗一郎夢未来想像倶楽部」の三室正夫理事長に、宗一郎の人と仕事を解説していただきました。
■日本監督士協会刊「リーダーシップ」9月号で詳述予定。写真は本田宗一郎ものづくり伝承館の外観、自転車にとりつけたF型エンジンと世界中でヒットしたスーパーカブ。


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土佐藩の士族には藩主、山内氏の家臣の上士と、旧藩主長宗我部氏の家臣の郷士という身分があった。岩崎弥太郎は父の代で郷士の身分さえ売り払った地下浪人だったが、学問に熱心で、海外事情にも関心を寄せ、吉田東洋、後藤象二郎によって見出され、坂本龍馬が興し、その後土佐藩が引き継いだ亀山社中の会計担当となった。やがて、長崎のグラバーら海外商人との交流を通じて海外取引を担うようになり、九十九商会の海運事業を引き受け、これが三菱商会となり、明治新政府の軍事輸送を独占するようになる。

6月26日、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の生家(高知県安芸市)を訪問。ボランティアガイドの小松さんと、岩崎弥太郎生家の管理人、弘田夫妻から、弥太郎という人物の生い立ち、人となり、その生涯を解説していただいた。日本監督士協会刊の「リーダーシップ8月号」で商法の予定です。写真は岩崎弥太郎生家と昭和61年に生家の前に建てられた岩崎弥太郎の銅像。


http://www.souisha.com/tanbouki/tanbouki242.html


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