大正時代の総合商社、鈴木商店は、製糖、製粉、製鋼、タバコ、ビール、保険、海運、造船などを手掛けた。全盛期には三井、三菱を上回り、1915年(大正4)年の年商は国家予算の2倍、1917(大正6)年には当時のGNPの1割を1社で稼ぎ出したが、資金繰りに行き詰まり1928(昭和3)年に清算された。店主鈴木よねを助け、この会社を指揮し世界を相手に商いを展開したのが大番頭、金子直吉だった。私利私欲なく無心の境地で商いの道を究めたといわれる。次回10月号「新改善改革探訪記」は、金子直吉翁の生涯をたどる。
写真上から、神戸市中央区栄町通の鈴木商店跡地記念碑、神戸市灘区祥隆寺の鈴木よね像、同所金子直吉の碑。「金子直吉翁ハ土佐の産、資性高潔識見高邁、奇策縦横ノ士也…」とある。8月14日撮影。