2009年11月

2009年11月30日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身『第四十二章 女神を求めて』」3

二通目の手紙はこういった書き出しではじまります。

「何人よりも恋しい、愛しい、美しくきびしい女主人様。心の中で常に貴女のお足元にすわっている貴女の奴隷は、10時15分に細い藤の笞をもって女主人のところへ来いとのご命令を守ります。女主人様のご命令は奴隷には神聖であります。これを守って命ぜられた時間にきっと参ります。唯一人なる恋しい美しい女主人様。ああ、私が常に貴女の愛と威力のうちに在って貴女の奴隷とされ、貴女が好き勝手に、暇つぶしに、いろいろなやり方で虐めてもかまわぬ、意思というものを持たぬあなたの道具とされてしまいますように。(中略)奴隷をどんなに扱おうかと女主人がもくろんでいらっしゃることのすべてを恐懼して期待しつつ、女主人様の御足に心の中で接吻いたします」

 おお、何て素敵なのでしょう、マゾヒズムの喜びを知ってしまった僕は、彼のこの告白が痛いほど、肌で感じるほど、よくわかるのでした。


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2009年11月28日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身『第四十二章 女神を求めて』」2

「私は或る女流彫刻家と知り合い、はじめ私たちは心から愛し合いました」(引用)、ところがある日、彼女が打ち明けます、「何か物足りない、男たちから跪いて崇拝されたい、男たちへの命令や支配、それを喜ぶ性向が自分にはある、自分の思いどおりに料理できるような奴隷を持ってみたい」(引用)と。
「はじめはそうでなかった私も、やがて鞭をうけることを幸福と感じ始めたのです。いきなり私は手足を括られてしまい、口には汚いハンケチとか靴下とかを詰めこまれます。そして釣り下げられ叩かれ、鞭で劈かれた後、おろされ床に置かれ踏みにじられるのでした。(中略)そして奇妙なことに、いじめられ、仕込まれるほど、私の彼女への愛は深まってゆきました。彼女は私を全く意のままにするところまで私を訓練してしまったのです」(引用)

 ところが彼女はスケート中に危険な区域まですべっていったため、溺死してしまいます。

 「私はこの上なく悲しみました、こんな奴隷として愛されたことがなかったからです」(引用)そうして経緯を綴った後、女主人に対して続けます、「私は(この間)貴女から奴隷としてのお取扱いを受けてほんとうに幸せでした」(引用)と。
そうしてお会いする日の調整が女主人との間で交わされ、二通目の手紙へと続くのでした。


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2009年11月27日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身『第四十二章 女神を求めて』」1

女神を求めて1 

 










 



  この「ある夢想家の手帖から」にはしばしばマゾヒストの手紙が紹介されていて、この章「女神を求めて」でも同じ筆者の職業女主人に宛てた二通の手紙が紹介されています。


 一通目は「美しい女主人の圧制下に奴隷として訓練されることを幸福と感じるような人間に、私はどうしてなったのか」(引用)の詳細が語られ、その一週間後の二通目には女主人の奴隷としてどんなことでもついていくといった切々とした想いが綴られています(ただそれは本人の暗に職業女主人に求める願望の示唆でもあるのですが...)。


 ます、一通目からご紹介します。

「私は貴女を憧れています、恋い焦がれています、尊び敬っています、(中略)私は貴女を女神として崇拝したいのです」(引用)で始まり、「美しい女主人の圧制下に奴隷として訓練されることを幸福と感じるような人間に、私はどうしてなったのか」という事情が明かされます。



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2009年11月26日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身」『第三十六章 手を踏まれて』5/5

 「石段を降りようとして片足を上げた彼女の姿は、『奴隷よ、この足もう一度踏んでもらいたいの?ここへ来るがいいわ、この石段の下へ。私は毎日この石段を踏んでいるのよ。お前はこの石段がうらやましくはないの?』と話しかけているようであった。『そうだ、あの時私の肉体の一部は彼女の靴の下でこの石段と同じ状態にあったのだった』と私は写真の中の靴先にそっと接吻をしつつ、あの十分間をしのんだ。今後も、おそらく一生、私は彼女の消息を知ることを怠らないだろう。それがマゾヒストからドミナへの愛情の一方通行(片思いのマゾ的傾倒感)なのである。」(抜粋)
 そうして「最後にマゾヒストの夢想家的性格が、微視的マゾヒズムで修練されると、こういう即席のドミナ性付与の段階にまで到達するのである、人生に楽しみが増えるだけ、そのほうがよいではないか」(抜粋)と締めくくっているのでした。


 一生彼女への一途な想いを抱き続けるということになんて素晴らしいマゾ魂なんだろうとひとり感心したのでした。


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2009年11月25日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身」『第三十六章 手を踏まれて』4

手を踏まれて2






















やがて満員電車は渋谷に着き、わずか十分間のうちに心裏に女主人の位置を占めた令嬢は、手を踏んだことを全く気づかないまま席を降り下車していったのでした。


 ところがこのお話はこれで終わらなかったです。

 そのことがあった次の年のことです、なんとある婦人雑誌の巻頭にあの令嬢の写真が掲載されていたのです。彼女は田園調布在住の大会社重役の令嬢だとわかったのでした。
 その写真の「高台になった住宅の玄関から道路に降りる石段の中途で微笑んでいる彼女の服装はあのときと同じ服装です。段の下から写してあるので片足は口底が見えた。それは痛めつけまた喜ばせたあの靴…」(抜粋)

 そうして再び沼先生のマゾ妄想が再燃です、次回本文をご紹介します。


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2009年11月24日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身」『第三十六章 手を踏まれて』3

そうして沼先生のマゾ的妄想爆走、ここは全文ご紹介します。


 「その手が令嬢の靴の底の泥にまみれて踏まれているということは、私の気持ちからは、全身が彼女の靴のしたにあって、床となったに等しかった。私は全身の感覚を右手に集中し、体全体に靴の重みを受け、体中の皮膚に靴の泥を感じ、ザラザラした靴底を感じた。それと共に私は口の穿き主にマゾヒスティックな恋慕を覚えずにいられなかった。
 私は全身全霊をもってこの靴…私を苦しめるこの小さな靴…を愛しそれを穿いている令嬢の足を、下肢を、全身を感じ取り愛した。マゾヒストたる読者諸君は、この時の私の宿命的な心の動きを同情をもって理解して下さるであろう。靴底から受ける肉体的苦痛が痛ければ痛いほど、私はそれを『虐げられている』と感じ、令嬢は万事承知なのだと空想した。彼女は靴が醜い男の手の上にあることを知っているのであった。彼女はどける必要を認めないからどけないでいるだけであった。彼女の目にはこの醜い私の体などは彼女の靴が踏む床や座席と同じ値打ちにしか写っていないのであった。痛い。だがいったい奴隷の痛みが主人の心に影響するものだろうか。すべきものだろうか…私は空想の中に令嬢を女主人として仰ぎ、この恐るべき隷属の時間の少しでも長く続くようにと念じた。」(抜粋)


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2009年11月23日

未知へのまなざし展ーシュルレアリスムとその波紋ー

パンフ



















 先日、行ってまいりました、『未知へのまなざし展ーシュルレアリスムとその波紋』。
 ともかく、何が一番感心したかというと、この展示会にいくまで僕の頭の中では「シュルレアリスム」は(恥ずかしいお話ですが)ずっと「シュールリアリズム」だったのです。このことが一番の大発見でした、余談はさておき内容は、ブルトンのシュルレアレスム宣以来数々の作品をいろんな作者が世に送り出したのですが、そのほんの一部の紹介と特に影響を受けた大阪の作家の紹介でした。

エルンスト


















キリコ















ダリ




















 エルンストやキリコ、ダリに混じってお気に入りのルネ・マグリットの作品もあってそれだけでもうれしい展示会だったのですが、何よりも見入っていたのが、ジャコメッティの「鼻」です。
                                                                          ジャコメッティ

















 この画像は左側から見た様子なのですが、正面に位置すると、この「鼻」が僕の顔を突き抜けていくそんな感覚にとらわれ、何分もその場を離れることができず、また、何回か見直したのでした。ジャコメッティのこの作品はシュルレアレスムから少し離れた作品でありますがこの作品をシュルレアレスムの展示会で展示する大阪のパワーに感服した展示会でありました。

ya20063 at 08:21コメント(0)トラックバック(0)絵画 

2009年11月22日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身」『第三十六章 手を踏まれて』2

ひとこと沼先生が注意すれば女性は恐縮して謝罪するでしょうが、沼先生はこう考えます。「何も知らず愉快に連れと談笑している彼女の話の腰を折ること自体が僭越だ…私さえ黙って我慢していればいいのではないか」(抜粋)「令嬢は自分の靴の底に男の片手を踏み敷きながら何も知らずに話すのに夢中だ。私の手の痛み、それは彼女の無駄話をやめさせるだけの価値もない」(抜粋)そうして沼先生の手の甲は彼女の足に重心がかかっていないときでもざらざらの靴底に擦れ合い靴底についた砂が皮膚にめり込んで足が回転するときに皮膚を破り痛めつけられます。

 そうして沼先生のマゾ的妄想、暴走です。


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2009年11月21日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身」『第三十六章 手を踏まれて』1

手を踏まれて1











この章「手を踏まれて」は前章「微視的マゾヒズム」の実践編です。

少し長いので数回に分けてご紹介します。

終戦後昭和21年の暮れ、当時のラッシュ時の電車は今では想像も出来ませんが、混み合ってくると座席の上にも土足のまま立つのが当たり前だったそうです、そんな朝の田園調布駅始発渋谷行の電車に沼先生が乗り込んだときのお話です。

 何とか素早く乗り込んで一番端に座ることができた沼先生の後に、遅れて乗り込んできた二人連れの若い女性が沼先生の横に立って話を始めたのでした。なんとその中のひとりがはっとするほどの日本人離れした印象の美人だったそうです。

 そうして電車が次の駅についた時です、すでに満員状態のうえに人が押し込まれると、「立て、立て」という声が上がり、腰掛けていた客が次々と座席の上に立っていったのです。沼先生の前に立っていた二人の女性も同じように座席にあがったのでした。沼先生も回りが立ちるので、仕方なく立ち上がろうと両手を座席において踏ん張ろうとしたときです。
 前に立っていたその美人女性がもうひとりの女性と話易いよう足の位置を踏み変えようとした拍子に偶然片足が沼先生の右手の甲の上に乗り、女性の靴の爪先でグイと踏みつけられたのです。ところが、座席の上はクッションになっているため踏んでいると気がつかないでいるのです。


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2009年11月20日

沼 正三「ある夢想家の手帖から」第二巻「家畜への変身『第三十五章 微視的マゾヒズム』」2/2

 沼先生は「芭蕉」や「一茶」を例にとりながら、ご自身の「微視的マゾヒズム」を「蟻」の姿に投影しながら展開していきます、それは「蟻地獄に蟻の世界に牢固たる奴隷制度の在るを知って神の摂理の不思議を覚え、蟻の世界の雄の地位に皮肉な意味を感じとる」(抜粋)のです。そこまで感じることができないのは想像的マゾヒズムタイプじゃないというのではなく、「レファイン」されていないだけなのだと言い放ちます、「レファイン」=洗練されていないだけなのだと。それは一般的な教養的要素ではなくマゾ的教養であり常にそのマゾ的教養を高める努力によって「レファイン」=洗練されるのだというのです。

 最後に沼先生は「現実的マゾヒズムすなわちマゾプレイその他の実行行動に完全に代置しうるものとは考えない」(抜粋)が、ただ、「現実的マゾヒズムのみから、刺激の増量の不可避を必然視するのは誤りであって、観念的マゾヒズムにおける微視的境地を開拓することによってマゾヒストはいくらでも至るところに性的快感を与える刺激を、夢想の種を見いだすことができる」ということでこの章は締め括られています。
微視的マゾビスム














そうして、この「模型飛行機とエア・ホステス」画像をもって「微視的マゾヒズム」へのマゾ的教養を高めるテストとしてアップされていたのでした。「どうです?感じます??」

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