2010年07月

2010年07月12日

(メモ)変容していく僕のマゾビズム4

 そんな欲望を安価に解消してくれる場所があった、それは、所謂「ハッテン場」として有名な「ホモ向け映画館」で、駅をすぐのところにそれはあった。

 最近、専ら、その映画館に足を運んでは、何とも、異様な形での僕の性欲動の解消を行っていたのだった。「男に抱かれる」、そしてそれは、「女として男に抱かれる」というのではなく、明らかに、「男として男に抱かれる」そんな感じ、といっても、この僕は「ホモ」なのかというと、けっしてそんな自覚はないのだった。

 それは不思議な感覚だった、女装して女性として男に犯されることで快楽を得るということではなく、男として男に甚振られたり、或いは、男のものを握らされたりすることで何とも言えない快楽を得ているのだった。そこでも、やはり、マゾヒズムが健在で、男に乳首や男性器を弄られて快楽の声をあげ、男から、その声を「もっといらやしく」上げるように強要され、次第にエスカレートして映画館の中で上半身裸にされ、下半身までもズボンを足のくるぶしまで男に下ろされ、男に身を預け、男の手で逝かされることに快楽を求めているのでした。時には男の固く漲ったものを口に咥えさせられそうになりますが、病気を恐れ(ご主人様に病気をうつすわけにはいかない)、そのときはゴムを嵌めてもらったうえで、男のものを口にし咥え舐めあげるのでした、その場限りの男のものを。

 そしてそれは回を重ねるごとに、どんどん、淫乱になっていくのだった。

 こうして、僕は自らの性欲動を解消しマゾヒズムを解消したのだ。

 しかし、ご主人様に対して、例え相手が男であったとしても性欲動を求め解消して快楽を得ていることに対して、やはり、どこかで、自分の二面性を恥じ申し訳ない気持ちでいるのでした。だからこの性欲動の解消方法はご主人様に対して常に後ろめたさを伴う。それでも僕は肉欲のために映画館に通ったのだった。



ya20063 at 10:33コメント(2)トラックバック(0)考 察 

2010年07月08日

(メモ)変容していく僕のマゾビズム3

 ところが冒頭にも触れたとおり、この僕の自らの中で肉体的な性欲動は、いまなお健在なのだ。

そのことは、本当に道徳的に正しいことなのであろうか、間違った欲望なのではなかろうか。自分に問いただして見る。しかし、やはり、この僕の身体の中に悶々とした性欲動は存在しているのである。

ただ、既に肉体的なマゾヒズムを経験してしまった以上、普通の性欲動ではないことは確かだった。普通にセックスがしたいのかというと全くそうではないのだ。女性と性交をしてその中で快感を得ようとは一向に思えないのである。

 そしてそれは実に歪んだ性欲動に違いないのであった。

 女性とのセックスを介することはなく、また、ご主人様以外の女王様とプレイすることはない、この僕の性欲動の解消を解決する方法が唯一あった。それはこの僕の性欲動の対象を男性に向けることにあったのだった。男性だと、女性ではないということでご主人様を裏切っているような自責の念に余り駆られることなく、ただただ、自らの肉体的な性欲動を解消するのには都合がいいのだった。



ya20063 at 16:30コメント(0)トラックバック(0)考 察 

2010年07月07日

(メモ)変容していく僕のマゾビズム2

 ご主人様と初めて出会ったとき、それは僕にとって初めての肉体的マゾヒズムの連続であった。雑誌などでは見たことがあるけれど初めての鞭打ち(バラ鞭)から始まって、蝋燭、縛り、アナルバイブ、浣腸、そしてお聖水と、段階的に調教して頂いたのだった。

 一本鞭に至っては、200本くらいは受けられる身体に調教されていた、あの、苦痛から逃れようと泣き叫び嗚咽し、身体一杯に鞭痕が残る、あのなんともいえない喜び。。。

そして、緊縛された状態での吊りの拘束感と無重力感。。。それはいまでも受けらけれれば喜んで身体を差し出すであろう。

 ところが、僕のご主人様はおひとりである以上、他の女王様からそういった調教を受ける気にはならないのだ、というより、そういった考えも及ばない。僕にとってご主人様以外に女王様はいないのだから。そのご主人様からはそういった肉体的なマゾヒズムを享受するなぞ、失礼なことであり滅相もないことなのでした。

そうなると、この僕の肉体的性欲動は、どう、解消すべきなのだろうか、否、そもそも、信頼関係に基づいた主従関係が構築され、精神的マゾヒズムが自らの中で醸成されているのにも関わらず肉体的な性欲動が本当に必要なのだろうか、必要とすること自体、おかしくはないか。もし、存在するとなるとそれはどう解消すべきなのか、解消することはできるのだろうか。



ya20063 at 15:24コメント(0)トラックバック(0)考 察 

2010年07月06日

(メモ)変容していく僕のマゾビズム1

 

いつからだろう、そう、ご主人様からこの僕のことを執事や爺やと呼ばれるようになってから、全く、ブレイらしいブレイをしなくなった、というよりも皆無だ。

ご主人様からのほうから求めるわけではなく、この僕自身もプレイを希望すること自体恥ずかしいそんな気持ちになっている。もうプレイっていう段階ではない、そんな気持ちが手伝っている。

それはこの僕が一番望んでいた信頼関係に裏打された主従の関係としてのご主人様と奴隷の関係に近づいたせいだからだと思う、精神的な深い絆を拠り所にしている主従関係である。

 精神的な快楽というよりはそれは精神的な安堵、安らぎといったものだ。そこには性欲動の発露はない。むしろ、性欲動とは相容れない類のものである。しかし、その精神的な安らぎは何者にも変えられない充足感を伴う一過性でないもの、正確ではないけれど、人として生まれて初めて経験できるもの、そんなもののような気がする。

 ただ、その精神的充足感ですべてが満足されうるかというと、これは悲しいかな、そういうわけにはいかない。

 やはり、どこかで肉欲的な性の欲動の解消を求めている。

 それは一体どういうことなのだろうか。。。振り返ってみたい、そう思うのです。



ya20063 at 13:05コメント(0)トラックバック(0)考 察 
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