体験記

気づけば蝉が鳴き、うだるような暑い夏になっていた。
夢のような大学生活を終え、心機一転、転んで起き上がった春は社会人という自分から遥か遠いものに感じていた場所にいた。
桜の花を見る暇もなく、あっという間にGWを迎えた。
新しい環境、そして社会人という立場。
慣れないからか、物凄く居心地の悪さを感じ、中々意識を変えていくところに苦労していた。
そして一生長い休みも取れず、毎日長時間働かなくてはいけない、そんな緊迫感と絶望感というもので満たされていた。
しかしそんなことを忘れてくれる瞬間を忘れさせてくれ、私に学生時代に想いを戻してくれる人たちの存在がいた。
それは海外から来た留学生たちである。
彼らとの付き合いは昨年から続いている。
未だに自分を連れ出してくれ、まだすこし学生でいさせてくれる彼らに感謝している。
現在、社会人というものにも慣れ、仕事は徐々に本格化していく。ハードだがやりがいを見出せそうである。
そうなったとき、留学生の彼らはここ、日本を去る。
この一年間、彼らとの思い出が沢山ある。
それをすこしずつここに残していけたらと私は思う。


ここベネチアでもブライトンであった友人にあった。


こっちは相変わらずであり、マイペースではあるが、忙しい日々を過ごしていた。

ここ水の都ベネチアの風景は感動してしまう。
しかしテレビや写真には映らない部分をここでは伝えたい。
まず臭いである。海の磯臭さや一部汚染等により、この美しさに反し、不快な臭いを放っている。私が感じた悪い部分はここだけである。
そして中心は車が通る場所がなく、警察や消防は全てボートである。
まず全体の道の路地が狭く、車など入る隙がない。典型的なベネチアのイメージではあるが、運河のように家と家の間をボートですり抜けていく様子がよく見える。
住むには観光客が多すぎてストレスがたまるかもしれない。
しかし夜になると街は顔を変え、人が少なくなり、ひっそりと落ち着いた、本当に美しい街に様変わりする。
そしてなにより他の年寄り安全であると言える。夜のベネチアを歩くことをお勧めする。

そして友人の話に戻る。
彼女はアクティブであり、イギリスのあと、ポーランドに渡り、インターンシップをしていた。
そのインターンシップの倍率はとてつもないものであり、通る確率は0コンマいくつというものであった。
周りから無理無理といわれながらも、己を信じ、ベストを尽くした結果、彼女は選ばれし者となった。
そんなポーランドの生活は、仕事仕事で、ハードであったが、私がここベネチアに来る前日に帰国した。

そんな彼女のモットーはnever give upである。

ただときに人は諦めなくてはいけない時がある。
そのときはどうするのか?と私の問いに彼女が言った。

認めることと諦めることは別であると。

次に行くために認める。でもそれは諦めるためではない。むしろ逆である。

どこかで聞いたことのあるようなセリフではあるが、改めて感化された。

自分を信じる念の強さが、奇跡を起こすときがくるかもしれない。

楽しかった。またこんな話をしよう。

続く。


さて、今私はベネチアにいる。その前はローマにいた。

昨年の夏にイギリスであったイタリア人の友達が住んでいる街である。

昨年の8月、ブライトンという街で語学学校に通っていた。
そのときに彼らと出会った。
彼らはまるで家族のように、通っていた語学学校で唯一の日本人である私を迎え入れてくれた。
そして忘れられない一夏を過ごし、もう半年が経った。

シチリアのカターニア空港を飛び立ち、ローマに到着。
バスに乗り待ち合わせの駅に向かった。

再会とはなんとも複雑で、気まずい気持ちと嬉しい気持ちが入り混じる。
そして、そこにいたのは少し様子が変わっていたが、あの時の彼らがいた。

初めての都市、落ち着かないんだろうなと思っていたけど、むしろ落ち着きすぎて怖いほどであった。

ローマの都市は意外とシンプルであった。
地下鉄は3つの線が通っていた。

その理由は掘れば掘るほど何かがでてくるということであった。
よって迂闊に建物も建てられないそうだ。

なるほど、近代化が都市の奥深さを示すわけではない。
この大都市の特徴はその歴史の厚みであるのであろう。

そして久しぶりに再会した友人たちだが、正直あまり話すことはなかった。何を話したらいいのかもわからない。でも言葉なんていらなかった。
その瞬間を共有していることがただ不思議だった。

この都市も、こういう友情も、1日して簡単にはできない。

積み重ねることの大切さをなんとなく感じさせられる瞬間であった。

また次、いつ会えるのかわからないけど、きっと会えると信じてそれまで頑張ろう。

そう決めてローマを去った。


続く

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