2017年04月19日

フランス、大統領選挙はいかに

今週末4月23日はフランスの大統領選挙の第一回投票日です。
「第一回」というのは、この投票で半分以上の得票がない限り、
上位2名での決選投票、つまり二回目の投票が行われる決まりになっているからです。
毎回1回目で半数以上を獲得する人はいないため、ほぼ必ず二回目の決選投票になります。

この2017年の大統領選には11人が立候補しています。
メジャー候補は、国民戦線FNのマリーヌ・ルペン女史、中道系独立候補のマクロン氏、
社会党系のアモン氏、キリスト教右派のフィヨン氏、急進左派のメランション氏の5人。
あと6名はいずれもそれぞれ数パーセントの支持を得られるだろうという方々ですが、
みなさん手弁当で頑張っています。

はっきりした日にちは忘れてしまいましたが、私がコーラスの練習だったか、
とにかく23時近くにうちに帰ったら、なんといつもならとっくに寝てしまっている夫が、
かなり一生懸命テレビを見ていたので驚きました。
大統領選のメジャー候補とみなされている5人の初公開討論会でした。
確かTF1、プライベートの人気局、でした。
が、立候補者は11人なのになぜ5人だけなのといった疑義が実際に出たと思います。
その後公共のFrance2では11人全員が一堂に会した同じような番組が作られました。
今はFrance2の夜のニュースのあと、候補者11人全員の広報宣伝ビデオが平等に流れています。

が、実際の調査でもそうですが、一体誰に入れればいいのか・・・と、
投票候補を決めかねている人が多いような気がします。
かくいう我が家もそうですが、一般にルペン女史は論外。
アモン氏は力不足。フィヨン氏は右すぎ。
メランション氏は左すぎ。マクロン氏は若すぎ。消去法では誰も残らないのが本音?

ところが夫は最初5名の討論会を見た後、メランション氏の態度が一番大統領にふさわしく、
あとの候補はみな優秀な大臣程度がお似合いだと評しました。
えーそんな見方で、政策重視じゃないの?といったところ、大統領はフランスの顔。
内政については彼が一人で決めたり、するわけではなく、主に首相と議員が担う仕事。
だから大統領には人として世界に出して恥ずかしくない態度、知性、見識が求められる、と。
それから2週間後です。
5人の中ではかなり泡沫候補とみなされていたメランション氏への注目度が俄然違ってきたのです。
夫と同じように感じた人が結構多かったのかとびっくりでした。

とはゆえ、この段階でも結果が混沌としているのは確かです。
万が一ルペン女史とメランション氏の一騎打ちにでもなったら一体どうなるのか。
マクロン氏なら今までの路線継承的な感じではあるものの、一部の不満は膨らむばかり。
何れにしても政治がきちんと正常に機能することが国の安定には欠かせません。
フランスも内外に多くの問題を抱えているとは言え、
まだまだ国としての豊かさを享受しているのは間違いありません。
100%誰もが満足する世の中なんて初めからあり得ないわけで、
その枠の中で「足るを知る」、どんな選択がなされていくのか、
フランスの良識を信じるしかありませんが、この場合、一体どんな「良識」なのか、
今回ばかりは私自身おおいに予測をつけかねています。

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桜ですが、花だけでなく実をつける、サクランボの木です。
ソメイヨシノのような派手さはありませんが、きれいです。



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2017年04月15日

フランスの癌治療は保険で無料の幸運

ここフランスでの癌治療は、なんと全て無料です。
近年高額の薬代のみ何割かの自己負担にしてはどうかといった議論も出ましたが、
未だそうなったという話は聞いていません。
さらに仕事を長期で休まなくてはならない場合、お医者さんにその証明を申請して貰えば、
お給料の半分以上の額が保険で降りるという恵まれた体制です。
うちの場合は自家営業ですが、3ヶ月申請して貰いました。
私たちもそれ以上は望みたくもありませんでしたし・・・
国の赤字とか税金が高いと言われるフランスですが、本当に恵まれた環境だと感謝しています。

しかし病院が3箇所、近くのプロエルメルとヴァンヌで2箇所、
に治療や検査に応じて行かねばならず、そのたびに違う先生だったりしました。
だから一体誰が主治医で全てを把握しているのかさっぱりわからないままでした。
いろいろ相談しても検査の結果が届いてなくてその場で探したりということも常態で、
患者個人を見ているのか単に検査結果をデータで判断しているのか・・・
みなプロフェッショナルなお医者さんですが、今一歩信頼しきれなかったのは確かです。
さらに本人は1ヶ月近くの入院が我慢ならなかったのと、
手術をしたらその前と同様の体に戻るとは考えられず、拒否に至ったのでした。

こうしてお医者さんにこちらの気持ちを理解してもらい、手術に抵抗するのは大変でした。
日本の治療院の友人の助けがなかったら、私も「手術」でもいいと思ったことでしょう。
何しろどの医者からも「切らなければ必ず再発するし、転移も考えられる」
「切れば治るが、そうでなければリスクは非常に大きい」と言われ続けました。
日本の友人たちからも、マッサージでリンパの流れを良くするのは反対に危ないのではないか、
手術してみな回復しているし、切ったほうが安心ではないかと心配してくれました。

治療院の友人からは、何をするにしても信じて、笑って過ごすことが大切だと言われました。
実際「笑う」「笑顔」でいることがとても難しかった時もありました。
彼自身色々迷うこともあったし、実際死と向き合っていることもよくわかったからです。
「でもね、人間いつかは死ぬのよ。癌という病気は時間をもらえてるの。
残された時間をどう生きるかを考えられるでしょう」とも言われました。
「頭の血管が切れたり心臓だったら考えたり迷う間もなく逝ってしまうでしょう。
癌という変調は、そうなる前にこのままでいいのか、という体からの警告でもある」と。
だから私たちは「癌」との共生を選び、体自体の免疫力を上げ、それを信じることにしたのです。

ただここで言いたいのは私たちの選択は、私たちが考えた、私たちにとっての最善で、
誰にでも当てはまるオールマイティの方法だと言いたいわけではありません。
どんな治療を信じて、つまり信頼して選択するかはその人の生き方の延長だと思います。
何を信じるかはそれぞれの「心の問題」なのかもしれないと思うのです。
そう、その人それぞれの心の奥にある哲学?信念?信条?に関わるような。

なんだか話が難しくなってしまいましたが、もう一つ。
単純に「思い」はとても大切だということ。
特に身近な人の「強い思い」は患っている人に直接働く気がします。
「病は気から」と言うし、「一念岩をも通す」とも言いますよね。
だから「笑う」努力の日々に無駄はないと思います。

そうは言ってもいつか思い通りにならない結果も受け入れなければならないでしょう。
実際にそうなるまで、それがもう少し先であるよう願いつつ、
できる限り精一杯に生き、楽しみ、納得して逝ければどんなに幸せでしょう。
それを忘れず、夫の中だけでなく、誰にでも病の可能性があることも念頭に、
これからも続けていかなければ、と二人共に決めています。
こんな話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
そして些細なことですが、少しでも誰かの参考になればと思っています。

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今庭ではリンゴの木が花盛りです。
彼は毎朝人参とリンゴを混ぜた生ジュースを、私の分も作ってくれるので飲んでいます。



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2017年04月11日

7月の病理検査までの長かった道のり

こうして兎にも角にも自分たちにできることを必死に続け、
5月末、実際は手術のための確認検査でしたが、予約が入っていたので受けました。

検査の結果は良好で、腫瘍の大きさは半分になっていました。
一旦は手術を拒否したわけですが、検査後6月初旬に放射線の先生から電話があり、
このままだと必ずまた大きくなったり転移する可能性もある。切れば完治すると言われました。
とにかく手術か、今ならまだ後2週間の放射線と抗がん剤治療も間に合うから続けるべきだと。
後者の治療はすでにぎりぎりなので、早く結論を出すよう促されました。

本人、大いに揺れました。
体調も少し回復してきたせいもあり、飲めなかったアルコールも気分を紛らわすためか復活。
一旦全て断ったとはゆえ、医者から直接電話まで貰えば誰だって迷います。
私たちはどうするのが一番かをその後いろいろ話し合い、と言っても私は主に聞き役でした。
話を聞いているだけで毎日気持ちが変わるのが良くわかりました。
それでセカンドオピニオンに行き着きましたが、私には言われることの予測はついていました。
レンヌの癌専科の病院でしたが、もちろん手術を勧められました。
このままでなんとかなる人もいることはいるが、それは数パーセントに過ぎないとも。

夫は、手術か後2週間の抗がん剤、放射線治療の間を行ったり来たりしつつ、
今の体力なら手術より後2週間ぐらいの治療なら耐えられるのではと考えました。
ところが6月中旬を過ぎていたので後者の治療は期限切れ。
選択肢は一つしか残りませんでした。
それでも彼自身手術に対する抵抗感が非常に強く、私たち家族もそうでした、
私たちの最後の結論として、このまま自分たちにできることを続け、
切らずに定期的に検査を受けて監視してもらいたい。
様子を見ながら少しでも悪い兆候があったらしのごの言わずに切るという決心を持って、
主治医と思しき、電話までくれた放射線の先生に会いに行きました。
当然手術ありきでしたが、最後にしぶしぶでしたが今までのプログラムを組んだ
抗がん剤の先生に会って話し合ってみる手もあると言われ、6月22日の約束を入れてくれました。
こうしてなんとか7月4日に再度内視鏡での病理検査をしてもらえることになったのです。

なんとその結果、癌の反応はなくなっていたのです。
腫瘍自体はさらに小さくなったとは言え、まだちゃんと存在はしていました。
でも、癌ではない!本当に驚きました。そこまでは考えも期待もしていなかったからです。(つづく)



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2017年04月09日

癌とは戦わず、共生の道を選ぶ

抗がん剤と放射線治療も、最初の2週間ぐらいは大した体の変化はありませんでした。
副作用は人によるとも聞いていたし、案外大丈夫かと楽観していましたが、
4週間目に入ったころからがぜん様子が違ってきました。
もともと以前のようには食事はとれませんでしたが、だんだん固形物が呑み込めなくなり、
5週間目は液体もやっとの状態でした。
当然体力はどんどん落ち、痩せたし、髪も抜け始めました。
ベッドに寝ている時など、あまりにぺちゃんこで本当に人がいるのか訝るほどでした。
当然仕事どころではなく、この頃やっと何とか息子が最低限店を開けたりしていたわけです。

とにもかくにも何とか5週間は乗り切りました。
でも、これ以上続けたら癌ではなく、この治療で死んでしまうのではないかと思ったほどです。

そうしたら、なんとこの5週間の治療は、
1か月後に以前から検査と外科医との約束が入っていたのですが、
すべて手術のための準備だったのです。
彼自身全くそんなことは考えていなくて、病院での医者の説明に驚かされました。
以上の治療で腫瘍を半分ぐらいになったことを確認後、取り除く、という手順だったのです。
手術はそう簡単なものではなく、最低1か月近い入院ともいわれました。
主人はすっかり考え込み、出した結論が「手術はしたくない」。
これには私はもちろん、義父もみな賛成でした。
ところが手術をしないのなら、さらに2週間今までの治療を続けなければ、
癌を叩けないと言われました。
でも、私はこれ以上この治療を続けたら、先にも書きましたがそれでまいってしまうと思い、
1か月後の検査まで待とうということにしました。

だからと言って、このまま何もせずに放っておいていいとは思いませんでした。
私にできることはないかと、必死で自然治療院を営んでいる日本の古い友人に相談しました。
でもそこまで放射線や抗がん剤でダメージを受けていると回復するかどうかわからないけど、
と言われつつも、いくつかのことを教えてもらいました。
第一に彼は甘いものやお酒が好きだったのですが、砂糖を断つこと。
第二に気、血、水、体の中のものの流れを良くするために太ももを踏むマッサージ。
第三に患部、肝、腎、脾を中心に温める温熱療法、でした。
主人に、いきなり「腿を踏む」なんて言ったら、びっくりして拒否されるかと心配し、
最初は足の先から脹脛、そして最後に腿をマッサージし、3日ぐらい後に腿を踏み始めました。
マッサージは朝と夕方、2回。その間、午後に温熱療法。これを毎日欠かさず続けました。

実際夫自身、手術はしたくないがあと2週間ぐらい今までの治療を続けても、
といった気持ちもありました。
私も専門家ではないし、どこまでできるか不安でした。
でも、相談した彼女から「そんなに参っているのにさらに今までの治療を続けるなんて、
気が知れない」と言われた時、はっきり覚悟が決まりました。
彼には、信じてこの方法でやってみようと言い、彼もそれを受け入れたのです。
そして「癌とは戦わない」と決めました。
単に気持ちの問題ではありますが、叩くとか戦うという戦闘的な言葉は使わず、
これ以上酷くならないよう、おとなしくしていてもらえるよう、
共に生きていかれる道を探ろう、探ってみたいと思ったのでした。
そうして毎日欠かさず必死で三つのことを続けました。(つづく)

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2017年04月07日

1年前の4月が嘘のようです

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4月6日は、夫の3ヶ月毎に受けている検査の日でした。
スキャナーだけで、来週その結果についてお医者さんとの面談の約束が入っています。
もちろん特別な変化は何もなく、無事過ぎています。
本当にこうした日々に感謝が絶えません。

去年の4月は、周りの美しい春景色を愛でる余裕なんてありませんでした。
本当に1年前のことかと疑いたくなりますが、実は去年の3月中に、
夫に食道癌があることが発覚したのです。
青天の霹靂とはこういうことを言うのかと、本人は当然ですが、
「癌」と言われただけで私たちもかなりな衝撃を受けました。
幸い転移はありませんでしたが、ステージで言えば2か3だったのだろうと思います。
3月中の検査後、すぐ週5日の放射線と、週1回の抗がん剤治療を受けるよう、
全てアレヨアレヨという間に病院から予約済みの連絡が来ました。
良いのか悪いのか、私たちには考える余裕もなく、取り敢えずそれを受けるしかない状況でした。

3月末からその治療は始まりましたが、まず最初に抗がん剤を入れるため、
胸のところにプラスチック容器を埋め込む外科的な手術がなされました。
時間的には2時間ほど病院に行っただけでしたが、傷口の処置には1週間以上かかりました。
毎朝訪問看護婦さんがうちに来て、消毒の上絆創膏を変えるという生活でした。
さらに実際の治療を始める前、治療で食道が狭まり物が食べられなくなることがあるから、
先に鼻から管を通しておけば、液体で栄養を摂ることができるからと言われました。
でも、本人、そんな変なことはしたくないと、それを断りました。
こうして去年の4月。
日曜を除いて、週のうち5日ヴァンヌの病院まで放射線治療に通い、
水曜日の午前中はプロエルメルの病院で抗がん剤治療を受けました。
ヴァンヌでの治療自体は20分ぐらいでしたが、片道車で50分ぐらいかかります。
プロエルメルは車で15分も見れば十分ですが、治療自体は午前中いっぱいかかりました。

そんな往復が1ヶ月続きました。(つづく)

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今、我が家の周りは黄色いじゅうたんを敷き詰めたような感じです。
去年の今頃もそうだったのですが、今年のほうが鮮やかに目に映ります。



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このことは書こうかどうかずっと迷っていたのですが、少しは役に立つこともあるかと思い直し、
本当に思い切って公開することにしました。
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2017年03月30日

庭はすっかり春です

すっかりご無沙汰している間に、当然ですが時間がたってしまい、
庭はどんどんカラフルになっています。

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菫は勝手に毎年出てきてくれます。
花に囲まれて猫とハトが仲良く同居しています。

こちらの今日、3月30日はまるで夏のような陽気でびっくりです。
と言って絶対にこのままであるはずはなく油断は禁物。
4月に入って急に寒い日が続いたりすると、せっかく実のなる木の花が咲いても、
虫たちの活動が鈍って、最終的には不作になってしまうことも。
1,2日ぐらい寒い日があっても大丈夫ですが、絶対1週間も続くことのないよう祈るばかりです。

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これは今年の3月中旬ごろに切り花にしたものです。
例年になくたくさん庭のあちこちに水仙が咲いてくれたので、ちょっと切りました。

春、真っ先に咲いてくれるのは、ここでは黄色い花が多いです。
水仙やクロッカス、クロッカスは紫や白も多いですが、レンギョウやハリエニシダ。
そして忘れてならないのがミモザです。
でも家のミモザは。結局完全に枯れてしまい切るしかありませんでした。
それからここでは3月3日のひな祭りには間に合わないのですが、
桃の花など、ピンク系の木の花も咲きだします。
今年の庭の桃ノ木はたくさんかわいい花をつけてくれました。

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実のことを考えて、だいぶ遅くなってしまったのですが無駄な枝を切りました。
それらの枝はすでに花芽を付けていて、捨てるにはかわいそうだったので花瓶にさしておいたら、
そこでちゃんと桃の花を咲かせてくれました。黄色はレンギョウの枝です。

週末はもう4月。
プラムの白い花やサクランボの薄ピンクの花がそろそろ満開です。
八重桜もだいぶつぼみが膨らんできましたが、
咲くまでにはまだ少し時間がかかりそうです。
リンゴの木の花も、これもまだ時間が必要ですが、4月中旬頃には見られるでしょう。

どこもそうだと思いますが、フランスの田舎の春は本当に豊かできれいです。
いつもの買い物へ行く途中でも、あちこちの家の庭先の花々や実のなる木の花、
道路脇の木々の変化に心が浮き立ちます。
人生本当にいろいろなことがありますが、こうして普通に季節の変化を楽しめることに
心から感謝しています。
義父も義母と一緒にどこかからこの美しい春の景色をめでていることでしょう。
来週からはまた気持ちを新たに、少しずつレギュラーな更新を目指します!
またよろしくお願いします。


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2017年03月17日

アデュー、ジャン・クロード Adieu, Jean Claude

どうやって書き出そうか、ずっと考えていました。
3月2日に「介護」についての危惧を書きましたが、それは杞憂に終わってしまいました。

義父はその日に退院できる見込みだと2日前に言われたのですが、
我が家の受け入れ態勢を整えるのに日数が短すぎて間に合わなかったので、
翌週6日の月曜日まで伸ばしてもらえないかと病院に頼んだわけです。
それから大慌てで以前にアップした記事のようなアレンジをし、
医療用の電動式のベッドもレンタルのものが3日の金曜日には届きました。
シーツなど諸々はもちろんこちらで整えなければなりませんでしたが、
6日の午前中、O2から来る専門家の意見を聞いて整えるつもりでした。

ところが1日の夕方、病院の先生から直接夫に電話がありました。
急に調子を崩してしまったので、このまま退院させるわけにはいかないので、
さらに数日様子を見ると言われましたが、あまり楽観的ではありませんでした。
翌日の午後、いつものようにオリヴィエが病院に行きましたが、
ほとんどしゃべれないし、どうなるかわからない、と彼。
次の3日と4日、彼はとても会う勇気がないからと私が病院へ行きました。
まさかそんなことはないだろうと思って行きましたが、確かに危ないというのが実感でした。

3月2日以降、電話が鳴るたびにドキドキする日々でしたが、
4日の午後11時頃、ついに彼は旅立ったというわけです。
95歳になって3週間ぐらいでした。

私たちとケア・ウェラで暮らすようになってもう8年近い年月が経っていました。
ここ半年ぐらい前からさすがに年を感じさせられるようになりましたが、
本当にいつもしゃっきりと元気で、車の運転もしていました。
本人、以前から延命治療はしないでくれという書類にサインをしていて、状況が急変した時、
夫はそれをコピーし、主治医にも病院の医師や看護婦さんにも渡しました。
それが実際どう役に立ったかはわかりませんが、
4日の午後、私が会った時に点滴も入れてなかったような、ごく普通の姿でした。
もちろん息は荒かったし、しゃべることはできませんでしたが、目を少し開けてくれました。
思ってもいませんでしたが、この面会が最後になってしまいました。

今まで本当にありがとうございました。今までお世話になりました。
これから私たちはあなたに頼ることなしに、私たちの新しい生活を築いていきます。
ゆっくり、安らかに眠ってください。アデュー!Adieu!
そして、これでようやく義母に頼まれた「義父を一人にしないで」ということ、
なんとか果たせたかなと少しほっとしています。


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順番通りに見送れることは、ある意味幸せなことだと思います。
私たちも十分生きたと言えるように、これからの時間を大切にしたいと思っています。
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2017年03月10日

6日はここもひどい嵐でした

2月初旬、そう、ちょうどコーラス最初のコンサートの日ぐらいでした。
天気予報ではひどい嵐になりそうだから警戒が必要だとしきりに言っていました。
コンサート当日だし、いったいどうなることかと心配しましたが、
結局この辺りは時間にしたら30分ぐらいでしょうか、一瞬強い風雨に襲われただけで、
午後には青空が見えるほどで終わりました。

今回6日月曜日の嵐、前日の天気予報ではフランス西部の北から南の一帯、
かなり広い範囲でオレンジ色の強風と雨の警報が出ましたが、赤はありませんでした。
前回あんまり言い過ぎてたからちょっと抑えてるのかしら、と思うほどの注意喚起でした。

それでもこういう時は一応警戒するに越したことはありません。
我が家は高台にあるのでまず水害の心配はないのと、
300年前に建てられた家ですから、いろいろな状況を乗り越えて今に至って、
といっても日本のような地震がないからですが、いるわけで、
多分ひどい自然災害には襲われていない土地なのだろうと想像しています。
常にたとえ水道が止まっても、とりあえずミネラルウォーターの買い置きがあります。
2日ぐらいの飲料には困らないでしょう。
その他、庭には井戸もあるし、雨水を貯めている大きな容器もあります。
煮炊きはプロパンなので大丈夫だし、いざとなればキャンピングガスもあります。
停電でもろうそくを常備しているし、暖房は暖炉で間に合います。
つまり最低限何とかなる用意をしています。

6日は明け方から相当の雨風に襲われました。
朝衛星テレビをつけていたのですが、一瞬画面が消えました。
つまりパラボラアンテナが風を受けたのだと思ったのと、たぶん停電もあるかなと思いました。
予想は当たりました。
10時ごろキューンと言って、全部の電気が消えました。
普通の停電なら、遅くとも夕方以前にほぼ復旧するのですが、
この嵐ではこのあたりだけではないし、ある程度収まってからでないと始められないでしょう。
思った通り、復旧は翌朝の9時ごろでした。

本当にそこまでかかるとは思っていませんでしたが、
暗くなる前にろうそくの予備を確認し、懐中電灯も用意し、薪も十分な量を家に入れました。
夕食はできるだけ簡単に、ソースを作ってスパゲティーを茹でるだけにしました。
お陰様で何の不便もなく・・・と言いたいところですが、
現代の脆弱さを痛感したのがインターネットと携帯電話です。
我が家の電話はインターネットを通しているのですべてアウト。
携帯電話も使っているうちには充電をしなければなりませんが、停電ではできません。
外の情報は当然テレビもダメ。ラジオは電池を失念していて使えませんでした。

6日の9時過ぎに、夫はどうしてもジョスランまで行かなければなりませんでした。
心配でしたがしかたがありません。
風を怖いと思ったのは、この時が初めてです。
2時間ほどで帰ってきた夫は、あちこち木が倒れて交通止めになっていて、
倒れた木をよけたり、回り道を余儀なくされたと言っていました。
無事に帰ってきてくれてほっとしました。
幸いにも嵐は昼過ぎにはかなり落ち着き、その日の夕方、予定通りパリの兄も着きました。
ただし一晩中ろうそくの灯で、テレビ、インターネットは使えなかったのと、
パラボラアンテナが強風で動いてしまい、
木曜日にやっと修理に来てもらえるまで日本語テレビはお預けでした。

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庭の木や花に被害はありませんでしたが、温室のガラスが外れて数枚壊れました


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2017年03月02日

介護事情はどこも似たり寄ったり?

右往左往ありましたが、お陰様で義父は来週の月曜日に退院できます。
肺に水が溜まって息が酷くしにくかったのと、
腎臓がほとんど機能していなかったということが分かりました。
でも腎臓が痛んでいたのは病気ではなく、以前からお医者さんにもらっていた薬、
腰が痛いと飲んでいたようですが、その取り過ぎだったと言われました。
他にもいろいろ弱っている部分があるそうですが、何分にも95歳という年齢。
どうやらそれは仕方のないこと…というような具合です。
ですからほぼ2週間近い入院で落ち着いているので、退院という運びに。

ただオリヴィエが火曜日に病院に行ったとき「木曜日に退院」と言われたのでした。
それを聞いたとき、私は2日で準備するのは無理だと思いましたが、
ある意味ほっとしている夫は超楽観的でした。
ところが一晩たち、彼もさすがに現実に思い至り、
何とか来週の月曜日に退院できないものかと頼んだわけです。

最初オリヴィエは病院の先生がどう準備をするか、いろいろ紹介すると言っていた、
と帰ってきたのですが、結局病院の方からは何の助言も手助けもありませんでした。
病院付きのアシスタントソーシャルという、いろいろ公的な援助について
相談に乗ってくれるはずの人もほとんど役に立つような助言はくれませんでした。
結局それぞれの家族が右往左往しながら手立てを見つける他ないことを夫は悟りました。

半年ぐらい前から、すでに週4日昼を挟んで2時間、
義父の住居部分の掃除や昼食の世話もしてくれる人を頼んでいました。
それはフランス全国にフランチャイズのような形態で展開している、
介護だけでなく、ベビーシッターなど様々な人的サービスを提供しているO2という会社でした。
特に介護は、いろいろな段階に合わせた専門職の人がいます。
結局そこに相談して、毎日朝と夕に1時間、起きたり寝たり、シャワー、着替えなどの介護。
夕方は夕食の世話も含みます。さらに昼も1時間。主に食事や話をできる人を頼みました。
さらに役に立ちそうな公的窓口も含め、その他の情報もそこが提供してくれました。
ただここのスタッフは医療業務はできないので、別に訪問看護婦さんに1日2回、
午前と夕方に薬などの世話に来てもらうようにしました。

訪問看護婦さんについては病院の処方箋があるので、保険が適用になります。
しかも父の場合は100%カバーなので、公的な介護システムを使えばほぼ無料ですみますが、
いろいろな不都合や大変な面もあるようです。
一方O2はプライベートなので保険はききませんが、税金の控除が受けられます。
今回1日3時間、31日として試算したところ、日本円にすると月30万円弱にもなります。
その費用は相当な負担ですが、幸いにも義父にはその経済力があります。
高い税金を払っているので、それが半額になればその分で半分ほど賄えるようです。
とは言え、実際には家族の負担は決して少なくないと思います。
自宅介護となると、やはり国が違っても事情は日本とそう変わりないようです。
ただ一つ決定的な違いは、必ずしも家族が全部引き受けるというのではなく、
可能な部分は外の人に頼むのが当たり前。
さらに介護をする家族がたまに息抜きのバカンスに出るとしても、
むしろそれは当然という社会的なコンセンサスがあることかもしれません。
日本ほど家族だから当然というプレッシャーがないぶん、気が楽なのは確かです。
とはゆえ、これからは少々大変かもしれませんけどね。

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庭はだんだんに春めいてきています。




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2017年02月27日

2週間前から始まったこと

もう2週間前になりますが、2月13日は義父の95歳の誕生日でした。
その2日後、ずっと迷っていた夫がモロッコ行きを決め出かけて行きました。
月曜日の夕方に来た兄もオリヴィエと同じ日に帰りました。
二人をナントの空港まで送って戻ると、義父は昼も食べなかったと息も絶え絶えに。
その様子を見たとき、ちょっとびっくりしましたが、
いきなり息子たちが去ってしまったショックかと思いました。
夕方にはだいぶ落ち着きましたが、本人が薬もないから一度医者に行きたいと言いました。
それで翌朝一番にかかりつけのお医者様に電話を入れ、
予約を取るのに1週間ぐらい先になることもあるので年齢と状況を言ったら、
その日は担当医が不在だったので、一番早い翌日の午前中に予約を入れてくれました。
助かりました。

しばらく前から、自分のところから我が家に歩いてくる、
つまり平らなところを数メートル歩くだけなのに、ずいぶん息苦しそうだったのです。
でも年齢が年齢だから心臓が弱っているのかなぁと思っていました。
それ以外は全く普通だったので夫も私もあまり気にはしていませんでした。

翌日お医者に行き、少しのことでも息が上がってしまうので、
説明をしなくても様子で一目瞭然でしたが、触診後、すぐ病院で検査をと言われました。
本人は週明けにと主張しましたが、お医者さんに諭され、やっと受け入れました。
一旦家に戻り、一休みした後言われた通り救急窓口に行きました。
手続きをして車椅子で本人が中に入ってから後、3時間近くは待ったでしょうか。
結局一緒に帰ることは叶わず、彼は入院することになり、
私は翌日の土曜日の午後2時に再度病院に来れば、病室などすべて整ってわかるからと言われました。

それから夫とはまた毎日電話でした。もちろん彼は直接父親にも毎日電話を入れました。
入院したのが金曜日で週明けから本格的な検査なので、すぐに帰る必要はなかったのですが、
結局月、火曜日はナントへの便がなく、水曜日に帰ってきました。
私はもちろん、義父もほっとしたのは言うまでもありません。
彼がいない間、息子もよく助けてくれました。
が、とにかく夫が帰るまで、さすがに責任が重かったかもしれません。(つづく)



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