2018年08月15日

ジョスランJosselinでのある出来事から

7月から、ほぼ毎日午後はジョスランJosselinでうちの店の店番をしています。
アンティークショップというほど高価なものはありませんが、
古道具屋とは絶対違う、オリヴィエ、主人の趣味で一定レベルのものを揃えています。
と言ってサンドイッチや安い土産物を売っているわけではないので、
実際に買うお客さんは稀。
だから店番も超暇で、結構集中してブログが書けたり、本が読めます。

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で、店の前は大きなショーウィンドーになっていて、道行く人がよく見えます。
夏休みなので親子連れも多く、そんな中で結構親子の肌の色が違うとか、
西洋人の親にアジア系の子供とか、少々違う組み合わせを見掛けるのも珍しくありません。
フランスでは、子供のいないカップルが、他の国から養子を迎えることはよくあります。

そんな先週の日曜日。
市庁舎の前の駐車場に車を止めようとしたら、とびっきりお洒落をした人々、
それもアフリカ系?とにかく黒人系の人が何人もいました。
あら、結婚式だわ、と思いながら店に行きました。
1時間ぐらいたったでしょうか。教会のほうがいやに賑やかだと思ったら、
市庁舎での正式な婚姻を終え、今度は教会での宗教的な結婚式のようでした。
どんな花嫁さんと花婿さんなのかとちょっと興味がわき、みんなが出てきた頃覗いてみたら、
白人のお婿さんと、素敵なウェディングドレスに包まれたぽっちゃりした黒人女性でした。
どちらもフランス人かもしれません。
フランスにはカリブ海のマルティニークやインド洋のレユニオンとマイヨット島、
南米のフランス領グィヤンヌ、南太平洋にもフランス領があります。
みんなフランス人ですから、容姿だけで国籍をうんぬんするのは非常にリスキーなのです。
はた目からも和気あいあいとした、楽しそうな結婚式のように見受けられました。
いつもお葬式ばかりに遭遇する教会だったので、お祝いの鐘もどこか華やいで聞こえました。

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人が大勢いた時に撮ればよかったのですが、少々気後れしました。
みんなが去った後、普段の静けさに戻ったジョスランの教会です。

そういえば肌の色や人種の違う親子ばかりでなく、そんなカップルもよく見かけます。
また一組そんなカップルが生まれたのかと思うと、なんだか未来に希望が持てるような。
フランスは「愛の国」です。
肌の色や宗教の違い、年齢の差、同性もなんのその。何かが違っても当たり前。
愛があればいいじゃないのといった肯定感に、どこか救われるような気持になります。
私だってその中の違うカップルの一組だし、息子もダブル・カルチャーですからね。

*混血を「ダブル」というのは五木寛之さんの著書の中にあった言葉です。
彼曰く、ハーフ、半分というからネガティブになる。ダブルといえば2倍の魅力を持つ
強みになるはずだというように書いてらして、大いに納得。以後そう使おうと決めました。


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2018年08月11日

夏のシンプル定番メニュー

今夏は暑さに恵まれ、といえるのはブルターニュだけかもしれませんが、
菜園の夏野菜が元気に実を提供してくれます。
今買うのはナスと、時々畑のが間に合わないサラダ菜ぐらいです。
マルシェの八百屋さんが言っていました。
この時期は自分の家で野菜を育てている人が多くて、
パセリとバジルのサービスも、無料で一掴みくれます、家にあるからと断られてしまう、と。
確かにここいらの人はみんな大きいか小さいかは別として、たいてい菜園をやっています。

で、シンプル定番メニューの一番は、何と言ってもラタトゥイユ。
大きめの厚手鍋にオリーブオイルを入れ、ニンニク、ロリエの葉と唐辛子を好みで加え、炒めます。
ニンニクの香りが立った所に厚めの半月切りにした玉ねぎを入れ良く炒めます。
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玉ねぎがしんなりしたら、そこにザクザクといちょう切りにしたクルジェット、ナス、
角切りにしたピーマンを入れて油をよくなじませ、弱火でゆっくり煮ます。
クルジェットとナスは切ったら塩をふってしばらくおいて水を出してから入れます。
最後にトマトをザクザク切って鍋に加え、足りなそうならオリーブオイルを少し足して、
弱火で最低1時間半から2時間ほど煮れば出来上がり。
途中焦げ付かないように何度か鍋底からよくかき回すことと、
最後の方で味を見て塩、胡椒を足して調整します。
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要は野菜を全部ザクザク切って炒めて煮るだけ。
付け合せでもいいし、これに卵を落とせば一品にもなります。

そしてキュウリ。
酢の物にしたり、ギリシャ風のサラダ、ザジキにします。
ザジキはパンにつけたり、肉や魚料理のソースとしても重宝します。
作り方は簡単。うちのキュウリの皮は少々硬すぎるので、全部剥きますが、普通はそのまま
さいの目に切り、塩をまぶして良く水気を絞ってボールに入れます。
そこにヨーグルト、ニンニクを潰して加え、塩、胡椒で味を見て、クミンを少々足すだけ。
好みでシブレットやバジル、あるいはミントの葉を加えてもいいでしょう。
時々オリーブオイルを入れることもあります。
冷蔵庫で冷やしてから食べた方がいいですが、長く置くと水っぽくなるので注意です。

クルジェットは次から次へとどんどん実ができるのと、
一雨来ようものならあっという間に大きくなってしまいます。
ただカボチャと同種で、熟れてから収穫すれば結構持つのが幸いです。
ラタトゥイユに欠かせませんが、そう多くを使わないので、スープにしたりガレットにします。
ブルターニュではガレットとはそば粉のガレットだけでなく、
丸い厚めのビスケットのことも指します。
クルジェットを平たく小判のような形にして揚げるので、ガレットと称しています。
作り方は、クルジェットを細く削って塩をまぶして水分をよく絞ります。
ボールに入れて卵と小麦粉と混ぜて、スープスプーンに山盛り一杯ずつ油に入れ、
平たくして揚げるだけです。小麦粉が少ないと種がまとまらないので注意です。
そしてこれを作る時に欠かせないもう一つの注意点があります。
揚油は必ずオリーブオイルを使うこと。これ以外では油っこくて食べられなくなります。
1年にこの季節しか作らないので、何だったか忘れて別の油でやって大失敗したので、
これは証明済みです。
暑い時はスープの人気がないので、ガレットにするのが一番クルジェットの消費量が多いのと、
出来上がりはつまみにもなり、とても美味しく食べられます。



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2018年08月08日

戦争にはならなかったけれど・・・

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ここは小鳥やキジバトもやってくる、彼らのプールです。

先にもご報告しましたが、私たちと息子の間で戦争は起こりませんでしたが、
結果的に何か変わったのかというとクエスチョンマークが限りなく続く状況です。

もともと仕事を探すといってもパーマネントではなく、
日本でいう、要はアルバイト的なものでした。
いくつか電話があり面接に行きましたが、最終的に成立していません。
9月からしばらくまたロンドンに行こうと思っているといいますが、
滞在先を探しながら「マモン、やっぱりロンドンは高い」。
そんなことは以前と変わるはずがなく、十分承知のはずでしょう。
「高いからなんだっていうの?」と、ついこちらもイライラ。

今はちょうど夫の仕事があり、それを手伝う約束をしています。
庭で教会の大きな照明器具をばらし、一度薬品につけてから後磨く仕事です。
初めてではないので、息子はその要領を良くわかっています。
ただ今夏はこちらもいつもよりは暑いので、外の水道に近いところが影になっている時間帯、
つまり割と朝早くからせいぜい11時前しか働けません。
だから夫は彼に9時から毎日できる範囲で良いと言いました。
言い換えると1時間から2時間ほどやってくれればいいということです。

最初の朝、9時になっても起きてくる様子がなく、夫が匙を投げる前にと起こしに行きました。
「パパが起こしてくれると言ったよ」
「あなた、小さな子供じゃないんだからそれはないでしょう。
いくらオリヴィエがそういったって、自分でその時間に目覚ましぐらいかけるのが本当でしょう。
何も変えてないじゃない」と。
少々言い争いになりましたが、私が正論なのは本人も承知。
次の日は一応目覚ましの音は聞こえましたが、結局夫が彼の部屋に犬*を連れて行き、
私がさらに念を押して、9時半ごろからやっていました。

いれば家のこと、庭や畑の草刈りなど、やってくれるので便利ですが、
お昼はやっぱり「何食べるの?」という調子。
あー再びいつまでこれが続くのか、といった感じです。
パリでもロンドンでもどこでもいいから、早く決めて出かけて欲しい!
私たちの正直な思いです。

*犬のYUKIを連れて行くのは、YUKIがベッドに飛び乗って起こすからです。



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2018年08月04日

暑中お見舞い申し上げます

北半球は例年になく暑い夏のようですが、
暑中お見舞い申し上げます。

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ここブルターニュも好天続きの夏らしい夏に恵まれています。
ただパリも含め、フランス南部や東部、中部のリヨンなどでは2003年に匹敵する猛暑です。

私は鮮明に覚えていますが、少しその2003年の説明をしましょう。
この年の7から8月にかけて、西ヨーロッパは1540年以来という記録的な暑さに襲われました。
特にフランスで被害が大きく、75歳以上の高齢者を中心に14800人ほどが
その影響で死亡したという、大変な事態になりました。
バカンスの時期と重なったうえ、パリを中心に北部地域の夏は通常それほど暑くならないので、
異常な暑さへの対応が全くできていなかったことが被害を大きくしたといわれています。
確かにこの年、政府や行政への対応不備批判が噴出していたのをよく覚えています。
これをきっかけにメゾン・ド・ロットレットmaison de retaraite(養老院)や病院、
公共の場に冷房を設置したり、一人暮らしのお年寄りへのケアーを強化したり、
熱波への対策が取られ、全国熱中症警戒情報システム(SACS)などの開発がなされました。
その後何回か今夏のような暑さ、いや今夏は長いです、がありましたが、
2003年のようなひどいことにはならずに済んでいます。
テレビやラジオのスポットやニュース内で、連日十分な水分補給、日中の運動は避けるなど、
特に高齢者への注意も様々に喚起しています。
特にバカンス中なのでアルコールへの注意も促されているのがいかにもフランスです。

とは故、ここブルターニュは本当にそこまで酷い暑さではありません。
日中30度近くになりますが、夕方、といっても19時過ぎです、から翌朝にかけての気温は
だいたい15度前後なので、寝るときは軽い毛布が必携という涼しさ。
ところがパリや東、南フランスでは夜になっても20度を上回ることが多く、それが普段と違います。
といっても日本の熱帯夜の辛さとは比べ物にならないでしょうけれど。
フランスは冬が長いのでアパートや新しい住宅でも寒さ対策が中心で
暑さについては基本的に想定外なのと慣れていないため、意外につらいようです。
それでも我が家のような築300年の石の家は例外で、日光を遮れば日中ひんやり過ごせます。

フランスではエアコンでなく扇風機がどんどん売れて品薄なのと、
夏は催しが多いので業務用の氷とバカンス客がアルコールよりミネラルウォーターを買うので、
凄い売れ行きだそうです。

いずれにしろ熱中症に気を付けて、十分に栄養を取りながら、
良い夏をお過ごしください。
と一言余計ですが、2020年の東京オリンピックって8月ですよね。
アスリートに死ねといっているような信じられない会期設定に開いた口がふさがりません。
冷夏になるといいですね。



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2018年08月02日

ついに息子とは戦争か?!(2)

手紙に何を書いたかというと、簡潔に言うなら、とにかく行動しろ!
時は待ってくれない。やるなら今しかないよ。
あなた自身の人生、一回しかないのだから、今踏み出さなかったらきっと後悔するし、
将来の希望も見つけられないと思う。だから頑張って!!
と、そんなことでした。
そしてドアをバタンと閉めた後、その日中彼と私たちは口を利きませんでした。

が、翌朝。
彼が私に言いました。
「わかった。確かに言う通りだと思う。明日から(ここが彼のうまいところ)仕事を探しに
ヴァンヌとレンヌへ行くから」と。
そして実際に履歴書(セーヴェCV=Curriculum vitaeと言います)を持って、
2日に渡ってそれぞれレンヌとヴァンヌへ出かけて行きました。
さらに数日してそのうちの1件、ヴァンヌから面接の連絡がありました。
結局そこは8月1日に最終的な返事が来るというのですが、
31日にまた別のところが1ヶ月半だけの募集をかけているからと、そこにCVを持って行きました。

つまり全く「戦争」にはなりませんでした。
テレビとプレイステイションに関しては1週間ぐらいは全く口にしませんでしたが、
面接に出かけた後、おもむろに主人に「テレビはどこにあるのか」と切り出しました。
彼は「お母さんに聞け」と言ったそうです。またこちらにお鉢が回ってきました。
どこにやったかは言いましたが、今すぐそれを戻すことはできないと伝えました。
何しろ口がうまいのと、私たちを懐柔する知恵に長けているのです。
いつもそれでやられてしまうので、今回は非常に用心深く対処しています。

実際何か具体的な結果を出すまでは、そう簡単に折り合いをつけられない、
それが私たちのスタンスですが、実際にはなんだかいつもの調子に戻っているような・・・
私たちも不甲斐ないのですが、彼は本当に上手なのです。
フランス語には、マランmalinという単語があります。
良い意味では、「目端の利く」とか「利口な」「気の利いた」というのがありますが、
そればかりでなく、「抜け目のない」という意味もあります。
彼は、いうなら非常に人受けがよく要領がいいわけです。
でも、なにはともあれ今度こそ何か実際の行動に移してほしいものだと願っています。

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のどかな夏のジョスランの風景です




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2018年07月28日

ついに息子とは戦争か?!(1)

夫の中には息子に対しての不満が鬱積していました。
私も帰ってから彼の様子を見るにつけ、それが十分正当な感情であり、
これ以上このまま放っておいていいのかと日を追うごとに不安になっていました。

去年の秋、ロンドンから帰ってから、すぐに年末年始の休暇、
私たちのバカンスの留守番が必要だったりで、あっという間に時が過ぎて行きました。
さすがに5月ごろ、夏の間は働くつもりだとほんの少し行動を起こしましたが、
結局気がついてみれば口だけのこと。
必死に仕事を探すといった感じではなく、またあっという間に夏が来てしまいました。
こちらが頼めば頼んだことはきちんとやってくれますが、
積極的に父親を手伝うわけでもなく、自分の部屋で毎日何をするでもなく、
ただコンピューターゲームに、友達とはイヤホーンで繋がって、興じるだけ。

7月15日のサッカーW杯の決勝でフランス優勝が決まり、翌日のパレード中継を見て数日後、
夫から「もうこのままでは我慢できない。自分が言うと最終宣告になるし、
絶対に大喧嘩になるから言いたくない。君の息子なんだからなんとかしてくれ。
君は何も言わずに食事の用意をしてやったり、洗濯したり、奴隷じゃないんだよ」と。
そう、不満で手に負えないと「君の息子」となります。
つまり暗に「自分のことより息子のことをかまっている」というわけなのですが、
それは大いなる言いがかりです。

とは言え、私も本当にこのままでいいとは思っていなかったので、
そんなに言うならと提案しました。
彼の部屋にある自分のテレビとプレイステイションを取り払う。
怒り心頭に達したときはそれを窓から投げ捨てると息巻く夫ですが、本当に?
という顔で私を見るので、別に捨てるわけじゃなくどこか別のところに持っていくのよ、と。
で、息子がいない間に実行しました。
夫の友人のところに預かって、そこはテレビがないし、もらうことにしました。

帰ってきた息子は一言も発しませんでした。
私たちも一言も口をきかず、説明もしませんでした。
翌日、私は彼に手紙を渡しました。
日本語でならきちんと説得する自信はあっても、
フランス語でやべっても滅茶苦茶になりそうだったので、書いたのです。
それを読んだ彼はバタンと部屋の扉を閉めました。(つづく)



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2018年07月25日

黙って聞いているのも骨が折れます

3週間近い留守の間、留守番の主人と息子はいろいろな場面で限界だったようです。
私は東京で忙しかったと言っても、そのほとんどが楽しい友人たちとの再会。
言ってみればバカンス、と言えなくもありません。
その点留守番は日常とそこに発生する様々なトラブル解決に直面していました。
いや、息子はまったくお気楽ですが、オリヴィエはそれを一人で引き受けていたわけです。

東京から戻り、今回レンヌの駅に迎えに来てくれたのは夫でした。
が、ホームからエスカレーターで上がっても、オリヴィエの顔が見当たりません。
時間はちゃんと伝えてあるし、特に遅れるとの連絡もないし。
少し待っても現れる気配がないので息子に電話をしたら、多分もう着く頃だと言われました。
その数分後、やっと彼の姿が見えました。

なぜ時間通りに来られなかったかというと、駐車場の入口がわからず時間を取られたとのこと。
そうなんです。今レンヌ駅は工事中で、いろいろなことが変わっています。
出来上がって変わったのではなく、工事の途中で、その工事の都合でいろいろ変わるため、
4ヶ月前と2ヶ月前とまた今ではどこかが違ったりして、説明のしようもないのです。
時折駅を使う人にとっては、突然何かが変わっているので完全に迷ってしまいます。

と、話を元へ戻しますが、やはり顔を見た途端、遅れたのは置いておいてホッとしました。
まずは無事に帰り着いたことを互いに喜び合って車に。
最初は再度直接SNCFのストのお陰でキャンセルになった列車とその顛末を話してから、
おもむろに留守の様子を聞きました。
待ってましたとばかりに留守中の様々なことの報告が始まりました。
貸しているアパートのこと、店と仕事のこと、息子のこと、などなど。
一気に話し続ける彼の横で、まずは黙って聞くことになりました。
たとへ口を挟んだところで状況がややこしくなるだけなので、
こういう場合はとにかくこちらの口はつぐんで聞くこと。それに尽きます。
意見が聞きたいわけではなく、思い切り吐き出したいだけなのですから、
聞き役に徹するのが一番です。

この日は運転もあるから素面でしたが、家で少々アルコールのキャパを超えると
同じことを数回繰り返すし、それを指摘したり話の腰を折ろうものならたいへん。
すごい勢いで「どうでもいいと思っている」「話を聞いていない」とあらぬ嫌疑をかけられます。
だから「どう思う?」と聞かれるまでは真摯な聴き手を演じるに越したことはないのです。

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朝顔!去年もらった種から、今年は勝手にさらに見事に咲き誇っています。

*実はレンヌの長距離バスターミナルも工事中です。
しばらく使っていないので知りませんでしたが、今は駅と少し離れたところで、
屋根もないそうです。以前は5分もあれば十分に駅構内に行けたのに、そうはいかないそうです。
TGVでレンヌに行ってモン・サンミッシェル行きのバスを使う方、またその反対もありですが、
乗り継ぎ時間がギリギリにならないようご用心。


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2018年07月20日

帰ってすぐしたことは・・・

東京から戻った翌日は土曜日だったので、普段通りジョスランのマルシェに行きました。
いつも買うお店の人たちは、みんな私が日本へ行っていたのを知っています。
挨拶はまず「日本のバカンスはどうだった?」というもの。
久しぶりの顔なじみとの会話は、なんとなく楽しかったです。

それから家に戻って着手したのが、ぬか床作り!
去年、東京で糠の素を買ってきたのですが、足すための糠を買いませんでした。
作ろうとしましたが、水分が多くなってしまったら補充のしようがないので諦めました。
今年は友人がそれを聞いて、補充用の糠を持たせてくれたので即挑戦!

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美味しくできました。日を経るごとに味に丸みが出てきています。
ただしうちの住人たちにこの匂いの良さは全くわかりません。「臭い」と拒否反応です。

で、突然ですがキュウリの話です。
こちらのキュウリは直径が3、4センチもある長くて太いのが普通です。
それがうちの畑で作ると、結構日本のキュウリに近い、細くて短い美味しいものになります。
だから漬物用にと5月にキュウリの苗を3本も植えました。
帰ったらオリヴィエに「大変なんだよ。コーニッション(酢漬け用のキュウリ)が
こんなに大きくなってしまった上、こんなにできちゃって困っている」と見せられました。
え、今回コーニッションは植えてないけど、なぜ?
キュウリの苗と言って買ったのに、それがコーニッションの苗だったってこと?
確かに太くて丸みを帯びて、トゲトゲまであるではないですか。
確かにコーニッションのようだし、これをどうやって始末すべきかと、目の前が真っ暗に。
土曜日の午後、大きいのも小さいのも、とりあえず目に付いたできている実を全部取りました。

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一番下のは皮を少し剥いています。結構皮がしっかりしているのです。
取り立てはチクチク棘が痛いくらい。ずんぐりむっくりですが美味しいです。

なにしろキュウリとコーニッションは似て非なる、全く別ものです。
前者は生で食べて美味しいのですが、後者は酢漬けにするか塩漬けのどちらかになります。
しかもコーニッションを大きくしてしまうと、シャキシャキで食べるためには工夫がいり、
ここのところ成功率が低いため、漬けるのをしばらく止めているくらいなのです。
せっかくぬか漬け用にとキュウリの苗を植えたはずだったのに、なんたること。

こうして数日考えあぐねていたのですが、とにかく放っておいても駄目になってしまうので、
大きなのを切ってみました。あれ、やっぱりこれキュウリ?
そう、私が思っていた日本的なキュウリの種類ではなく、
かといってスーパーで売っている巨大なキュウリでもないマルシェで時折見ていたものでした。
そういえば、いつも苗を買っていたところとは別の場所で買ったのを思い出しました。
結局、3本の苗は正真正銘のキュウリでしたが、品種が違ったようです。
コーニッションだと思って取ってしまった小さいのは、まだ十分に熟してないものでしたが、
ぬか床の最初の捨て漬けにしました。
取らずにそのまま大きくしてやればよかったと、早とちりを少し後悔しています。



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2018年07月16日

フランスが勝ってしまいました!

まあ、パリはものすごい騒ぎになっていたようです。
そうです。
20年ぶりにフランスがサッカーのワールドカップで優勝したからです。
もちろんテレビで観戦していました。

最初の2点は少し欲求不満ではありましたが、
相手のミスを引き出すのもある意味そうした力があるのでは、と思います。
それだけ対戦相手はプレッシャーをかけられている証拠?
とは、もちろん単なる素人の直感的感想ですが。
でも、その後の2点はしっかり、さすがと思わせる素晴らしいシュートでした。
始まる前、クロアチアは決して侮れない強いチームだし、
結果はどちらに転んでもおかしくないから結構心配でした。
やはりその通りの展開で、どれだけ冷や冷やしたことか。
とにかく十分ハラハラ楽しめた試合で、結果 Vive la France!!で決着がつき、ホッ。

で、ものすごくホッとしたのは観戦していたマクロン大統領だったのではないでしょうか。
1998年の開催国でのフランスチーム優勝の時も、
当時大統領だったシラク氏の株は急上昇しました。
実際それは一時的なことだったにせよ、大方のフランス人が大喜びで、
どことなく楽観的になるのは間違いありません。
9月からはまた年金を始めいろいろな改革案が待っています。

16日はシャンゼリゼ通りで優勝パレードが行われ、どれくらいの人が押し掛けるやら。
月曜日ですが、この日ばかりは仕事どころではなく、
ここに駆け付けようという人も少なからずいるような感じです。
14日の革命記念日では、シャンゼリゼのパレードに日本とシンガポールが招待されていて、
日本からは7人の自衛官が参加と後で知りました。
実はテレビで見ていて日本の国旗を見たとき、それを知らなかったので驚きました。
でも自衛隊の参加は2008年と14年もあって、3回目だというのは意外でした。

そんな軍事パレードの翌々日はサッカー・ワールドカップ優勝パレード。
フランス人の愛国心をくすぐるには十分な状況です。
フランス代表チームの面々を見ても、様々な顔と肌の色で構成されています。
移民2世、3世が多い国で、そのすべてが国に溶け込んでいるかと言われれば、
理想と現実がかけ離れているのは否めません。
新しく難民としてくる人や、経済難民、つまり不法滞在の人も今は増えています。
サッカーでの優勝は、バックの違う俺、俺のチームが一つのまとまりを持ったゆえに
もたらされたのではないかと思います。

余談ですが、東京で五木寛之氏の「デラシネの時代」という本を買い、帰ってきて読みました。
作家はフランス語の「デラシネderacine(祖国喪失者、根無し草)」を肯定的に考えるべき
という持論を展開していました。とても納得でした。
中でフランスにも言及しており、テロの後の「私はシャルリー」の標語を挙げた
大デモの中に『そのデモの背後には、フランス国民の一体性を阻害する異邦人、移民への
反感、そして微妙に隠された半セム意識(ユダヤ人への嫌悪感)が感じられました。
フランス国民のナショナリズムの熱い波動が目覚めたように見えたのです。』とありました。
作家のデモに対する前提が『本来、体制側に批判的な市民、労働者、学生たちが行う
示威行動です。』というのだから、そう感じるのも不思議ではないかもしれません。
でも、私の友人のご主人、もちろんフランス人、は、報道の自由を阻害するテロ行為は
絶対に許せないと、家族で初めてヴァンヌ、小さな地方都市です、のデモに参加していました。
すぐ「シャルリーではない」という標語も出てきたり、多様性はあったと感じています。
今回の優勝騒ぎを作家はどう見るのか、単なるお祭り騒ぎに過ぎないのか、少々興味があります。

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2018年07月14日

ケア・ウェラのお客様

7月5,6日の1泊でしたが、
静岡にお住いのご一家が、ここケア・ウェラを訪ねてくれました。

ご一家と知り合うことになったのは、もともとY君との出会いが始まりでした。

彼はほぼ10年ほど前、プロエルメルのパン屋さんでも少しの間修業をしていました。
その頃よくここにパンを買いに行っていたので、ご主人とは顔見知りでした。
ある日ご主人からこんな申し出を受けました。
「あなたは日本人だったよね。実はうちで一人日本人の男の子が働いているんだけど、
フランス語があまりできないので、もしよかったら時々話してやってくれる」
と紹介されたのがY君でした。
それから午前中買い物に行けば、時々話すようになりました。
数か月たったころだったでしょうか。
今度は彼から「実はもうすぐここでの仕事が終わるけど、
代わりに来るのが日本人の女の子で、しばらく今のところで一緒に暮らさなくてはならない。
それはちょっと窮屈なので困っている」と。
オリヴィエとも相談し、それなら家にしばらく来ればと言って、ここでの最後の日々、
朝は4時にオリヴィエが仕事に送っていき、昼に私が迎えに行くという、
どのくらいだったでしょう、1週間もなかったと思いますが、過ごしたというわけです。
その後彼はしばらくパリにいて帰国したのだと思います。
時を置いても忘れずにハガキのやり取りがぽつりぽつりと続いていました。
今、彼はパリで修行中に知り合った同業の奥様と2人でパティセリーを営んでいます。
初志貫徹。偉いです。うれしいです。
そんな彼が、自分の家族とご両親も一緒にここに足を延ばしてくれたのでした。

夜便で早朝パリ到着後、パリのホテルに大きな荷物は置いて、
レンヌに出てモンサンミッシェルへ行き、モンで一泊した後再びレンヌに戻り、
そこからバスでプロエルメルに。
彼は家族にプロエルメルの思い出の場所を案内し、その後私が迎えに行きました。
少々強行軍だった?さすがに皆さん少しお疲れの様子でしたが、
ケア・ウェラの前にスーパーに寄ったり、あとは夕食までゆっくり休んでいただきました。
翌日は16時にプロエルメルからバスでレンヌだったので、
のんびり朝食を取っていただき、昼前に運河やジョスランの町を散策。
ケア・ウェラに戻って昼食。のんびりしてから一路パリへ、という行程でした。

それにしても本当に短い間のことだったのに忘れずにいてくれた義理堅さ。
みんなに会えて、本当にうれしく、楽しかった。
これからもずっとお付き合いしていかれたら幸せだし、いつかお店を訪ねてみたい!
数日前には皆さん無事に帰国された旨のメールが届きました。
良かったです。ありがとう。

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Y君がうちに来たのは息子の久がまだ中学に上がったばかりだったかと思います。
きっと次に会うときは彼の息子さんも大きくなっていることでしょう。

ラ・ポルトドールLa Porte d`Or/〒410-0312 静岡県沼津市原77−2 Tel 055-967-8700
               営業時間 10:30 - 18:30 水曜日、第2第4木曜日定休



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