2017年03月17日

アデュー、ジャン・クロード Adieu, Jean Claude

どうやって書き出そうか、ずっと考えていました。
3月2日に「介護」についての危惧を書きましたが、それは杞憂に終わってしまいました。

義父はその日に退院できる見込みだと2日前に言われたのですが、
我が家の受け入れ態勢を整えるのに日数が短すぎて間に合わなかったので、
翌週6日の月曜日まで伸ばしてもらえないかと病院に頼んだわけです。
それから大慌てで以前にアップした記事のようなアレンジをし、
医療用の電動式のベッドもレンタルのものが3日の金曜日には届きました。
シーツなど諸々はもちろんこちらで整えなければなりませんでしたが、
6日の午前中、O2から来る専門家の意見を聞いて整えるつもりでした。

ところが1日の夕方、病院の先生から直接夫に電話がありました。
急に調子を崩してしまったので、このまま退院させるわけにはいかないので、
さらに数日様子を見ると言われましたが、あまり楽観的ではありませんでした。
翌日の午後、いつものようにオリヴィエが病院に行きましたが、
ほとんどしゃべれないし、どうなるかわからない、と彼。
次の3日と4日、彼はとても会う勇気がないからと私が病院へ行きました。
まさかそんなことはないだろうと思って行きましたが、確かに危ないというのが実感でした。

3月2日以降、電話が鳴るたびにドキドキする日々でしたが、
4日の午後11時頃、ついに彼は旅立ったというわけです。
95歳になって3週間ぐらいでした。

私たちとケア・ウェラで暮らすようになってもう8年近い年月が経っていました。
ここ半年ぐらい前からさすがに年を感じさせられるようになりましたが、
本当にいつもしゃっきりと元気で、車の運転もしていました。
本人、以前から延命治療はしないでくれという書類にサインをしていて、状況が急変した時、
夫はそれをコピーし、主治医にも病院の医師や看護婦さんにも渡しました。
それが実際どう役に立ったかはわかりませんが、
4日の午後、私が会った時に点滴も入れてなかったような、ごく普通の姿でした。
もちろん息は荒かったし、しゃべることはできませんでしたが、目を少し開けてくれました。
思ってもいませんでしたが、この面会が最後になってしまいました。

今まで本当にありがとうございました。今までお世話になりました。
これから私たちはあなたに頼ることなしに、私たちの新しい生活を築いていきます。
ゆっくり、安らかに眠ってください。アデュー!Adieu!
そして、これでようやく義母に頼まれた「義父を一人にしないで」ということ、
なんとか果たせたかなと少しほっとしています。


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2017年03月10日

6日はここもひどい嵐でした

2月初旬、そう、ちょうどコーラス最初のコンサートの日ぐらいでした。
天気予報ではひどい嵐になりそうだから警戒が必要だとしきりに言っていました。
コンサート当日だし、いったいどうなることかと心配しましたが、
結局この辺りは時間にしたら30分ぐらいでしょうか、一瞬強い風雨に襲われただけで、
午後には青空が見えるほどで終わりました。

今回6日月曜日の嵐、前日の天気予報ではフランス西部の北から南の一帯、
かなり広い範囲でオレンジ色の強風と雨の警報が出ましたが、赤はありませんでした。
前回あんまり言い過ぎてたからちょっと抑えてるのかしら、と思うほどの注意喚起でした。

それでもこういう時は一応警戒するに越したことはありません。
我が家は高台にあるのでまず水害の心配はないのと、
300年前に建てられた家ですから、いろいろな状況を乗り越えて今に至って、
といっても日本のような地震がないからですが、いるわけで、
多分ひどい自然災害には襲われていない土地なのだろうと想像しています。
常にたとえ水道が止まっても、とりあえずミネラルウォーターの買い置きがあります。
2日ぐらいの飲料には困らないでしょう。
その他、庭には井戸もあるし、雨水を貯めている大きな容器もあります。
煮炊きはプロパンなので大丈夫だし、いざとなればキャンピングガスもあります。
停電でもろうそくを常備しているし、暖房は暖炉で間に合います。
つまり最低限何とかなる用意をしています。

6日は明け方から相当の雨風に襲われました。
朝衛星テレビをつけていたのですが、一瞬画面が消えました。
つまりパラボラアンテナが風を受けたのだと思ったのと、たぶん停電もあるかなと思いました。
予想は当たりました。
10時ごろキューンと言って、全部の電気が消えました。
普通の停電なら、遅くとも夕方以前にほぼ復旧するのですが、
この嵐ではこのあたりだけではないし、ある程度収まってからでないと始められないでしょう。
思った通り、復旧は翌朝の9時ごろでした。

本当にそこまでかかるとは思っていませんでしたが、
暗くなる前にろうそくの予備を確認し、懐中電灯も用意し、薪も十分な量を家に入れました。
夕食はできるだけ簡単に、ソースを作ってスパゲティーを茹でるだけにしました。
お陰様で何の不便もなく・・・と言いたいところですが、
現代の脆弱さを痛感したのがインターネットと携帯電話です。
我が家の電話はインターネットを通しているのですべてアウト。
携帯電話も使っているうちには充電をしなければなりませんが、停電ではできません。
外の情報は当然テレビもダメ。ラジオは電池を失念していて使えませんでした。

6日の9時過ぎに、夫はどうしてもジョスランまで行かなければなりませんでした。
心配でしたがしかたがありません。
風を怖いと思ったのは、この時が初めてです。
2時間ほどで帰ってきた夫は、あちこち木が倒れて交通止めになっていて、
倒れた木をよけたり、回り道を余儀なくされたと言っていました。
無事に帰ってきてくれてほっとしました。
幸いにも嵐は昼過ぎにはかなり落ち着き、その日の夕方、予定通りパリの兄も着きました。
ただし一晩中ろうそくの灯で、テレビ、インターネットは使えなかったのと、
パラボラアンテナが強風で動いてしまい、
木曜日にやっと修理に来てもらえるまで日本語テレビはお預けでした。

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庭の木や花に被害はありませんでしたが、温室のガラスが外れて数枚壊れました


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2017年03月02日

介護事情はどこも似たり寄ったり?

右往左往ありましたが、お陰様で義父は来週の月曜日に退院できます。
肺に水が溜まって息が酷くしにくかったのと、
腎臓がほとんど機能していなかったということが分かりました。
でも腎臓が痛んでいたのは病気ではなく、以前からお医者さんにもらっていた薬、
腰が痛いと飲んでいたようですが、その取り過ぎだったと言われました。
他にもいろいろ弱っている部分があるそうですが、何分にも95歳という年齢。
どうやらそれは仕方のないこと…というような具合です。
ですからほぼ2週間近い入院で落ち着いているので、退院という運びに。

ただオリヴィエが火曜日に病院に行ったとき「木曜日に退院」と言われたのでした。
それを聞いたとき、私は2日で準備するのは無理だと思いましたが、
ある意味ほっとしている夫は超楽観的でした。
ところが一晩たち、彼もさすがに現実に思い至り、
何とか来週の月曜日に退院できないものかと頼んだわけです。

最初オリヴィエは病院の先生がどう準備をするか、いろいろ紹介すると言っていた、
と帰ってきたのですが、結局病院の方からは何の助言も手助けもありませんでした。
病院付きのアシスタントソーシャルという、いろいろ公的な援助について
相談に乗ってくれるはずの人もほとんど役に立つような助言はくれませんでした。
結局それぞれの家族が右往左往しながら手立てを見つける他ないことを夫は悟りました。

半年ぐらい前から、すでに週4日昼を挟んで2時間、
義父の住居部分の掃除や昼食の世話もしてくれる人を頼んでいました。
それはフランス全国にフランチャイズのような形態で展開している、
介護だけでなく、ベビーシッターなど様々な人的サービスを提供しているO2という会社でした。
特に介護は、いろいろな段階に合わせた専門職の人がいます。
結局そこに相談して、毎日朝と夕に1時間、起きたり寝たり、シャワー、着替えなどの介護。
夕方は夕食の世話も含みます。さらに昼も1時間。主に食事や話をできる人を頼みました。
さらに役に立ちそうな公的窓口も含め、その他の情報もそこが提供してくれました。
ただここのスタッフは医療業務はできないので、別に訪問看護婦さんに1日2回、
午前と夕方に薬などの世話に来てもらうようにしました。

訪問看護婦さんについては病院の処方箋があるので、保険が適用になります。
しかも父の場合は100%カバーなので、公的な介護システムを使えばほぼ無料ですみますが、
いろいろな不都合や大変な面もあるようです。
一方O2はプライベートなので保険はききませんが、税金の控除が受けられます。
今回1日3時間、31日として試算したところ、日本円にすると月30万円弱にもなります。
その費用は相当な負担ですが、幸いにも義父にはその経済力があります。
高い税金を払っているので、それが半額になればその分で半分ほど賄えるようです。
とは言え、実際には家族の負担は決して少なくないと思います。
自宅介護となると、やはり国が違っても事情は日本とそう変わりないようです。
ただ一つ決定的な違いは、必ずしも家族が全部引き受けるというのではなく、
可能な部分は外の人に頼むのが当たり前。
さらに介護をする家族がたまに息抜きのバカンスに出るとしても、
むしろそれは当然という社会的なコンセンサスがあることかもしれません。
日本ほど家族だから当然というプレッシャーがないぶん、気が楽なのは確かです。
とはゆえ、これからは少々大変かもしれませんけどね。

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庭はだんだんに春めいてきています。




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2017年02月27日

2週間前から始まったこと

もう2週間前になりますが、2月13日は義父の95歳の誕生日でした。
その2日後、ずっと迷っていた夫がモロッコ行きを決め出かけて行きました。
月曜日の夕方に来た兄もオリヴィエと同じ日に帰りました。
二人をナントの空港まで送って戻ると、義父は昼も食べなかったと息も絶え絶えに。
その様子を見たとき、ちょっとびっくりしましたが、
いきなり息子たちが去ってしまったショックかと思いました。
夕方にはだいぶ落ち着きましたが、本人が薬もないから一度医者に行きたいと言いました。
それで翌朝一番にかかりつけのお医者様に電話を入れ、
予約を取るのに1週間ぐらい先になることもあるので年齢と状況を言ったら、
その日は担当医が不在だったので、一番早い翌日の午前中に予約を入れてくれました。
助かりました。

しばらく前から、自分のところから我が家に歩いてくる、
つまり平らなところを数メートル歩くだけなのに、ずいぶん息苦しそうだったのです。
でも年齢が年齢だから心臓が弱っているのかなぁと思っていました。
それ以外は全く普通だったので夫も私もあまり気にはしていませんでした。

翌日お医者に行き、少しのことでも息が上がってしまうので、
説明をしなくても様子で一目瞭然でしたが、触診後、すぐ病院で検査をと言われました。
本人は週明けにと主張しましたが、お医者さんに諭され、やっと受け入れました。
一旦家に戻り、一休みした後言われた通り救急窓口に行きました。
手続きをして車椅子で本人が中に入ってから後、3時間近くは待ったでしょうか。
結局一緒に帰ることは叶わず、彼は入院することになり、
私は翌日の土曜日の午後2時に再度病院に来れば、病室などすべて整ってわかるからと言われました。

それから夫とはまた毎日電話でした。もちろん彼は直接父親にも毎日電話を入れました。
入院したのが金曜日で週明けから本格的な検査なので、すぐに帰る必要はなかったのですが、
結局月、火曜日はナントへの便がなく、水曜日に帰ってきました。
私はもちろん、義父もほっとしたのは言うまでもありません。
彼がいない間、息子もよく助けてくれました。
が、とにかく夫が帰るまで、さすがに責任が重かったかもしれません。(つづく)



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2017年02月22日

アロエ・ベラはお腹にいいようです

先週はすっかりさぼってしまいましたが、それにはいろいろ理由がありました。
が、それはまた次回にして、今回はアロエベラのジュースのお話。

ほぼ1年前、夫のオリヴィエの健康問題が発覚してから、4月の1ヶ月、
ずっと治療が続きました。
その間に火傷に効くし、多少は食べ物の通りを助けてくれると勧められ、
彼はアロエベラのジュースを飲むようになったのです。

最初「アロエベラ」のジュースと聞いたときはいったいどこに売っているのかと思いましたが、
プロエルメルPloermelにもあるビオコープBiocoop、
自然食品のみを扱っているフランス全国にある協同組合、と言われました。
その後わかったことでしたが、薬局でも違うメーカーのものがありました。
つまり手に入れようと思ったら、結構簡単に見つけられるという感じです。

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これはビオコープに売っているもので、我が家で飲んでいるものです。
ジュースとジェルと2種類あって、ジェルの方が少しとろりとしているだけの違いです。
ちなみにお値段はこの1リットル瓶で、日本円にすると2000円ぐらいでしょうか。
ここでは結構高価な部類です。

調べたら、アロエベラは西インド諸島が原産で、今はアメリカや中国が主産地とありました。
日本ではキダチアロエと言う種類が一般的で、アロエベラは西洋でよく用いられているそうです。
アロエはなんと500種類とか300種類、とにかく種類が多いのですが、
実際に薬効が期待されるのはこの2種が群を抜いているため、使われています。
アロエはアラビア語で「苦い」という意味で、ベラはラテン語で「真実」という意味とありました。
ただアロエベラはこの苦味が少ないので、飲み物にも加工されているようです。

どういいかというと、オリヴィエが半年以上一人で飲んでいたのですが、
今年に入ってから、どうもお腹にもとてもいいので私も飲んだらどうかと勧めてきました。
特に腸の具合に不都合はなかったのですが、そういうのなら、という感じでお付き合いすることに。
写真のように本当に小さなグラスに半分ぐらい、毎朝飲むようにしました。
最初の1週間ほどは特に変化も感じませんでしたが、だんだん「いいかも」というふうに。
もともと便秘ではありませんでしたが、全体の体調バランスが良い感じ。
それでちゃんと毎朝続けています。

アロエベラで調べると「健胃作用、便秘改善の効果がある」と必ず出てきます。
最近腸を綺麗にすると健康になるというようなことが盛んに言われているようですが、
どうやらそれに最適な感じがしますが、いかがでしょう。
ただし人によって合う合わないもあるし、強い下痢効果もあるようなので、
いっぺんに多量に摂取したり、体にいいからと無理やり飲むのは逆効果。
少量を、実際自分に合うのかどうかを見極めながら飲んでみて、
その後いいようなら続ける、というぐらいがちょうど良いのかと思います。
もしこうしたお悩みのある方はお試しになったらいかがでしょう。


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2017年02月10日

猫ばあちゃんに使われている?

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最近の我が家のタンタン。
いくら箱や袋が好きでも、こんなガサガサしたところに寝る?
なぜかわかりませんが、最近はここがお気に入りで、薪がない時は、
いやあっても、このように寝られる隙間があれば気持ちよさそうに寝ます。
この時は写真を撮ったので起こしてしまいました。

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タンタンは今年16歳になるばあちゃん猫です。
犬のYUKIは後から来たので、当然彼女には遠慮があります。
たとえ彼女が彼の餌をぽりぽりと食べていても、絶対に怒ったり追うことはありません。
猫は自分の優位を当然と思っているところがあり、時々犬の餌を食べたりするのがおかしいです。
しかもソファーで寝ているところを、YUKIが尻尾をバサバサさせながら歩いたりすると、
「まったくうるさい奴だわ」とでも言うように、彼の尻尾に猫パンチを入れたりします。
でも尻尾は毛がふさふさしているので、犬としてはほとんど感じないわけですが、
鼻先をバシッとやられそうになると慌てて避けてます。
まあ普段は互いに鼻を近づけて親愛の情を示したり、なんとなく距離も取りながら共存しています。

犬がまだ小さかった時はドアに取り付けた猫用出入り口で間に合っていたのですが、
それはYUKIがうちに来て2ヶ月ぐらいのことで、
仕方なくドアから変えて大型犬用の出入り口(イギリス製)をつけました。
最初はタンタンもそこを使っていたはずなのに、いつの頃からか自分で出入りせずに、
キッチンの窓、餌や水も置いているところ、から出入りするようになっていました。
つまり私たちに「外に行きたい」「入りたい」と言うようになったわけです。
トイレのことがありますから、ちゃんと出たいといえば出してやらなければならないし、
寒い日に窓の外にいればすぐ入れてやりますが、気がつかないこともあります。
そう言う時は二本足で立ってガラスをトントンしたり、命令口調で「ミャーオ」と鋭く一声。
まったく使われている?としか思えません!とは言え「ばあちゃん」なのでつい使われています。

で、真実絶対に犬のドアを使わないかというと、そうではないのです。
犬用のドアから出入りしなくなってからは、
朝4時から6時頃に起こされて外へ出たいと催促されることが続いたのと、
たまにそれに気がつかないと、何度かわざととしか思えないような粗相があったので、
夜は寝る前に必ず外に出すことにしました。
冬は寒いからちょっとかわいそうだとは思いましたが、リスクを考えると・・・
すごく寒い日の朝、ばあちゃん、ちゃんと暖かい私たちのベッドでクークー寝ていました。
オリヴィエに入れたのかと聞くと、彼は何もしていないと言いました。
???
何日かそういうことが続いて気がついたのです。
すごく寒いと、ちゃんと自分で犬用のドアからうちに帰ってきてたんです!

不思議ですが雨がじゃんじゃん降っても、びっしょ濡れで帰ってきたことなんてありません。
ネズミを咥えてくると家で大騒ぎで追い回されるので、今はドアの外まで。
なぜそれがわかるかは、尻尾や臓物が証拠として入り口や庭に残っているからです。
それが小鳥の場合もありますが、とにかく家で褒められることはないので、
今は中に持ってくることはほぼありません。
もう部位に関してはそのまま放っておきますが、丸ごとの始末はオリヴィエの担当。
この「野生」がばあちゃんではあっても彼女を元気にしてくれているのかもしれません。



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2017年02月07日

満席でまずまず成功に終わりました

やっと2月5日が終わりました。
待っていたともいえますが、その心は「終われば後は気楽な日々が戻って来る」から。

前日の午後は2度のリハーサルをしましたが、まだまだ動きがはっきりしなかったり、
歌によっては不確実だったりで、さすがにリーダーの顔色は冴えませんでした。
18時に終わるはずだったのが、結局19時ごろまでかかりました。

当日も11時からすぐに残った確認をし、昼食。
後は着替えや化粧など。
誰かが「アーティストの生活は楽じゃないね」と言ってましたが、実感でした。
開演は15時の予定が、その20分前に5分ほど舞台上での確認をしたせいもあり、
当然少し遅れました。

みんな驚いたのは、すでに満席で入れない人もいると聞かされたからです。
我が家はオリヴィエが初めて来てくれることになっていました。
いつもは絶対に来ないのですが、今度ばかりは私が強力に頼んだのです。
予約をしていなかったので実際入れたのかどうか心配でした。
ヴァンヌ近郊からも一人日本人のお友達がわざわざ来てくれると言っていて、
こちらも当然予約はしていなかったのでどうなったかと気になりました。
でもこの時点ではどうしようもなく、なんとか入れることを願うのみでした。

1時間ちょっと。もちろん細かい部分ではまだまだのところはあったものの、
大きなポカもなく、満席の聴衆の方々からは大きな拍手をいただき、無事に終わりました。
なにしろ多少でも入場料(5ユーロ)を払って聞きに来てくれた方たちです。
250席ほどありました。
家族や友人、招待者で半分弱は埋まったと思いますが、それだけでは間に合わない座席数です。
少なくとも払っても良かったと感じていただけたものだったと、
みんなアンコールの拍手を聞きながらホッと胸をなでおろしたのは言うまでもありません。

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「赤とんぼ」をみんな日本語で歌いました。
最初にソロで歌わせてもらい、そのあと3部合唱になります。
これは私を含めたメロディー・パートの人たち。後ろの女神は手話で歌詞を翻訳してます。

そんなアマチュア・アーティストですが、今後もこのプログラムで3月、4月に
それぞれ1回ずつコンサートの予定が入っています。
後は細かい点と歌のハーモニーをさらに磨いて臨まなければなりませんが、
最初のコンサートが無事に終わったことは本当に息災なことであります。
そして普段は絶対に褒めないオリヴィエが「なかなか良かった」と認めてくれたのは、
私にとってとても嬉しいことでした。

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ちょっとぼけ気味ですが、これはジョージアの歌の最後。
前に出ている数人は、そう、踊っているんです。



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2017年02月01日

ミモザの木をどうするかが問題

先週まで2週間近く続いたさむーい日々が去り、
普段のなんとなくどんより雨模様の、それほど寒くない日々が戻ってきました。

ここでも毎朝夕は氷点下、それもマイナス7、8度にまで下がり、
何もかも凍りついていました。
ただこれだけ寒いと空気はキンキンに乾いて冷たく、空は真っ青。
日が照っているのでガラス越しの部屋の中はまるで温室のように暖かくなり、
一歩外に出ると、午後も氷が溶けることなく、外の水道は凍りついたままでした。
こんな時、ぬくぬくした家がある幸せを心からありがたく思います。

庭も空気中の水分が凍りつき、木々は霧氷で日の光でキラキラ輝き、
雪でもないのにそこいらじゅう真っ白。
気持ちもしゃっきりする綺麗な日々でした。
ただその美しさ?が仇となり、大きく茂ったミモザの木がすっかり面変わりしてしまったのです。
小さな鈴なりの蕾がカナリア色に膨らんでいたのに、今は見るも影もなし。
すべての枝、つまり花はほぼ残らず茶褐色に変色してしまいました。
普通なら3月には優雅な香りを辺りに漂わせながら、見事に咲き誇るでしょうに。

あるお家の庭のミモザが傾いてほぼ倒れそうになっていたのを見たり、
我が家のミモザの惨憺たる姿に、夫のオリヴィエもがっかり。
それで言い出したのが「ブルターニュにミモザの木は無理」「もう切ってしまうしかない」と。
えっ、それはないと、私はすぐさま反論したものの、
確かに思ったより早く大きくなっていて、前から植えてあるバラが影になりそうな勢い。
このまますくすく育つままにするのもなぁとは思っていたのです。
でも、全部切ってしまうのは・・・
一つ一つはポンポン玉のようなに可憐な花で、全体で見るとゴージャスなミモザを
庭で見られないのはどう考えても寂しいです。

岸恵子さんの「わりなき恋」の中でも、ミモザの木が大風で根こそぎ倒れた描写がありました。
本来ミモザはアカシア科で、南の乾燥した土地に合うものです。
雨の多いブルターニュでは根を深く張らなくても充分水分が取れるのかもしれません。
それにすぐ大きくなり、根の張り具合に比べて上に張った枝枝が重過ぎる?
だから倒れやすいとも言えそうで、我が家も別に綱をかけて支えているのが実情です。
とは言ってもやはりあの満開の姿を諦めるのは・・・
とにかくもう少しコンパクトに刈り込んだら、と私は思っています。
彼曰く「盆栽にできたらいいのに」ですと。

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この華やかな花たちを、この春庭で見ルことはかないませんが、
この先もずっと見られないのはやはりたまらなく寂しく、納得いきません。
「盆栽」は無理ですが、コンパクトに枝を刈り込むよう夫に頼むつもりです。


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2017年01月27日

ブルターニュとブレグジットのこれから

「ブレグジット」とタイトルに入れましたが、
ここでヨーロッパや世界に及ぼす影響をどうこう言いたいわけではありません。

実はブルターニュと英国連邦の人々はかなり特別な関係にあります。
たとえばジョスラン地域に限っても、なんと住民全体の割合に占める
連邦からの移住者はなんと40%にも登ります。
働き盛りの年齢で学校へ通う子供のいる家族から、リタイアーした夫婦など、
様々な年齢の人たちが住んでいます。
またブルターニュのロスコフやサン・マロからは英仏間を結ぶフェリーもあり、
観光はもちろん、仕事などで人々は頻繁に行き来をしています。
この問題は遠い政治経済の問題と見過ごせない、かなり身近なことなのです。

ジョスランに住んでいた、すでに年金生活のイギリス人の女友達がいました。
彼女は1年以上前から今の家を売って、また新しい生活を始める計画を立てていましたが、
その後どこに住むかを迷っていました。
そうこうしている間に、彼女に言わせると「狂気のブレグジット」が決まってしまい、
結局新居をイギリスに求めることにし、南西部へと戻って行きました。
戻ることに決めた要素の一つに年金額の問題がありました。
年金は国内、つまりEU内の居住者は物価状況に応じて多少の増額があるとか。
でも外国に居住していたら社会福祉も違うし、年金も定額だと言っていました。
今後はEUも「外国」です。
さらにポンドの価値がユーロに対して下がっていることも不安材料だったと思います。

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去年の12月6日のウエスト・フランスの記事です。
図はブルターニュのどこにどの割合で英国連邦からの移住者が住んでいるかを示したものです。
過疎に悩んでいたブルターニュ中部の救世主が彼らだったのです。

最近のブレグジットに関連したどこかの記事で見たのですが
「EUに居住する英国市民は約200万人。英国に居住するEU市民は約300万人」とありました。
100万人も超過であの島国に移住しているわけです。
いろいろな摩擦もあるかもしれないと想像はつきますが、
すでにそれぞれの場所で生活基盤を築いている人々を互いに追い出すようなことは、
絶対にあってはならないと無力ながら願うのみです。
特にブルターニュはいろいろな分野で英国連邦とのつながりが深く、
EUとは別に独自の特別な条件交渉をする用意をしているようです。
うまくいって欲しいです。



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2017年01月25日

フランス語でピクニックはお弁当

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2月5日に行うコーラスの演奏会のポスターです。
テーマは”旅 ボワヤージュ Voyage”。歌で世界の色々なところを巡ります。

本番があと2週間余りと迫り、先週末の土曜、日曜は実際の会場でリハーサルをしました。
土曜日は10時から準備で、昼食を挟んで、14時には全員が集合して19時30分まで。
翌日曜日は9時半開始で、再度昼食を挟んで16時30分まで。
それからあと片付けをして私が家に着いたのは18時過ぎ。さすがにちょっと疲れました。

なにしろ単に歌うだけでなく、それぞれの歌でフォーメーションが変わるし、
当然各パートも歌によって混じる場合があり、音程を互いに頼るわけにはいきません。
歌の順番に合わせ、動きと流れを頭に入れ、もちろん歌詞は暗記。
小さな紙に書いてそっと見ることも可能かもしれませんが、老眼の私には無理!
文字が小さいと眼鏡なしでは読めないし、盗み見ている間に歌は先へ進んでしまうでしょう。
だから最低限他の人についていけるくらいには覚えていないとまずいのです。
と言う具合ですが、みなそれぞれ大変な思いをしつつもモチベーションは上がっています。

で、その量と賑やかさにいつも驚かされることがあります。
この2日間に限らない、フランス語で「ピクニック」と表現される昼のお弁当時間。
遠い昔、小学生の時、遠足のお弁当時間を彷彿とさせられます。
あちこちからお稲荷さんや海苔巻きが回ってきておすそ分けし合っていたように、
食べ物の種類は全く違いますが、同じような光景が毎回ここでも繰り広げられるからです。
昨今流行りのキャラクター弁当風の凝った個人的なお弁当ではなく、
なんか食べる楽しみを諦めないなぁと思わせられる大量の手作り品のおすそ分け合戦。

土曜日、私は昼時に一度帰宅したので、みんなのお昼には参加しませんでしたが、
控え室には美味しそうな匂いがいろいろ漂っていました。
いつもパイ類、サラダ、パテ、パン、デザート類、冷めても美味しいものがずらりと出そろいます。
みんなナイフ、フォークはもちろん、お皿、マグカップも持参。
また余分にこうした道具をちゃんと用意してきてくれる人も少なくありません。
リーダー及び数人は忙しくて昼の用意ができないし、男性陣には独身の人もいます。
つまり昼食を持参できない人もいるので、分け合うことが前提になっているわけです。
私は前日の夜作ることも可能でしたが、とてもその気力なし。
日曜日は早起きをしてデザートのチョコレートケーキを大急ぎで焼いて、
食事はサンドウィッチを自分の分だけ持参しました。
そうそう、デザートにチーズの盛り合わせの大皿が回ってきました。
さすがフランスです。

そういえば数年前、20代後半か30そこそこの若い男性がメンバーに加わったことがあります。
その彼がこうした昼食時「凄いなぁ。僕らの年代ではとてもこうはいかない。
やっぱり50歳以上の人たちが作る食事は本当に美味しい」と感激していました。
今フランスの30、40代の女性は、仕事を持っている人がほとんどです。
だから1時間も2時間も煮込むなんて料理の時間はありません。
冷凍食品や電子レンジなど、時間をかけずに調理ができるものも今は十分に普及しています。
そんな時代の違いを象徴するような言葉でした。
ちなみに公演当日も10時から入って15時に本番ですから、
やっはりピクニック、お弁当時間は必須。はて何を作って持って行きましょうか。


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