うちのダンナについて
2012年01月06日
ぜんぜんブランド・フリークじゃないんだけど・・・

私はブランドにこだわる人ではないのですが、
これ(写真)、なんとエルメスのアジェンダ(手帳)です。
大きさはB5ぐらいかしら。
けしてブランド・フリークではありませんが、なんでも本物は好きです。
独身時代(昔ね)はグリーンにこだわり、
ヴィトンの深いグリーンの皮のアジェンダを愛用してました。
外側が皮で、中身だけ毎年買い換えるわけです。
長年使っていたので、表に傷もついてますがしっかりした味わいが今でも好きです。
でも2006年から「もう普通で良いや」と、ただの手帳、といっても
2005年にずっと連載でお世話になった
メルマガの主催者、邱永漢さんの『実務手帳』というのを使ってました。
それが突然2010年の誕生日に、
パリの兄がビンテージの赤いエルメスの手帳の革表紙と、その年の中身をプレゼントしてくれたのでした!
ただ、写真にある銀のボールペンは「ちょっと高過ぎて・・・」となしでした。
そんなことはまったく気にならず、大人っぽい柔らかな赤い皮の感触がとてもうれしかった。
2011年の11月、オリヴィエがモロッコへ行くのにパリで時間を取ったため、
できれば2012年の手帳の中身をエルメスで買ってきてと頼んでみたら
「もうそんな贅沢品を持つときじゃないよ。まったくイアンらしいアイディアだよね。
イアンに頼めば」だって。
まあそんなことだろうと予想はしていたのと、まだ年末まで間があったので、
本当に12月に兄がここに来るときに、彼に中身を頼みました。
そうして兄が久し振りにここに来て、帰った数日後、
普通はオリヴィエにまかせっきりなのに、なぜか切れた電球の替えを探すのに
仕舞ってあるはずの引き出しを開けたら、
オレンジ色の細長いエルメスのマークの入った袋にリボンがかかった物を発見。
これまたなぜか分りませんが「私の!」という確信があり、開けてしまいました。
そうしたら手帳に欠けていたこの小さなボールペンが出てきたのです。
兄が黙って置いてってくれたのかと思い、オリヴィエに「これ?!」と言って見せたら、
「えっ、見つけちゃったの?ノエルにと思って僕が買ったんだよ」とひっくり返るような答え。
いや「ような」どころではなく、そういわれても正直すぐには信じられませんでした。
本当に冗談かと思うほど、今までそういうことがないからです。
プレゼントはしてくれます。でも私自身で選ぶとか、ブルコントで買ってきてくれるとか、桜の木とか、
リボンのかかったプレゼントといった雰囲気はまったくなくて・・・
もういつだって、そういうものだと思ってたんです。
2012年、この新しく完璧になった手帳にどんなことを記せるのか・・・
見るたびに家族の暖かさをうれしく抱きしめています。
ちなみに兄に電話をする用事があって、
思わず「本当にオリヴィエ?」と確認してしまいました。
それくらい珍しいことだったのです。
今年はいろいろ勝負年なのかなぁ。
そういう年周りってありますよね、本当は分らないけど。
5日しかたっていないので、もうしばらく去年からの話が続きます。
応援クリック、よろしくお願いしまーす


2011年12月28日
なんだか良いような、悪いような・・・
久々の家族旅行、といってもパリは兄のアパートでの寝泊りなので、
いつも家との延長で「旅」という気分ではないので、
純粋に旅気分だったのはたった1泊2日。でも十分に楽しんだ。
*ナンシーの報告はこの次に*
そうして帰ってきたわけだが、それからが結構忙しかったし、忙しい。
もちろん24日の夜と25日の昼のご馳走?の用意とその買い物
については例年のことなのだが、
オリヴィエが運転できない(免停中)ので、彼に出かける用事は頼めないし、
彼が出かけるときは私が運転手をしなければならず、忙しいのだ。
何しろ田舎なので、歩いていかれる距離には何もない。
普段は車がそれぞれにあるので、彼は一応どこへ行くか(自分の店とかどことか)のみ
私にいうが後は何時に帰るかから、それまでの過程は気分で決める人。
言ってみれば勝手に行動している。
ようはほとんど別行動というのが普通なのだ。
それが、ここ数ヶ月はそうはいかない。
息子のバイクを使えば大丈夫は大丈夫だが、少々年を食いすぎ、
いくら暖冬とは故、風を切って10キロあまりを走る勇気はない様なのだ。
つまり運転手がいないと駄目、ということになり、早々身勝手な行動もできないでいる。
昨日も少々遠出をする用事があり、当然私が運転してだった。
「まあ、散歩だと思えば楽しいじゃん」ということで、YUKIも連れて出かけた。
YUKIは車をぜんぜん嫌がらないが、1時間もたつと時たま表に出たいとせがむこともある。
用を足したいのかというと、けしてそういうことではないのだが、
オリヴィエにはちょっとそれが心配でうっとおしい。
「出かけるときは僕がいつも一緒なんだから
もうYUKIを連れて出なくていいんじゃない。うるさいから犬は家に置いていったほうが良い」だって。
確かに1人で遠出をするとき、相手先の事情もあるから絶対ではないけれど、
犬でもいたほうが道中なんか良いので連れて行っている。
夫がそんな風に言うのを聞いて、おかしくて思わず笑ってしまった。
自分と犬と同列?確かにそういうところもあるけれど・・・
いずれにしてもしばらくは良くも悪くも行動を共にする時間が多くなりそうだ。

ナンシーの報告は次になります。応援、よろしくお願いしますね
いつも家との延長で「旅」という気分ではないので、
純粋に旅気分だったのはたった1泊2日。でも十分に楽しんだ。
*ナンシーの報告はこの次に*
そうして帰ってきたわけだが、それからが結構忙しかったし、忙しい。
もちろん24日の夜と25日の昼のご馳走?の用意とその買い物
については例年のことなのだが、
オリヴィエが運転できない(免停中)ので、彼に出かける用事は頼めないし、
彼が出かけるときは私が運転手をしなければならず、忙しいのだ。
何しろ田舎なので、歩いていかれる距離には何もない。
普段は車がそれぞれにあるので、彼は一応どこへ行くか(自分の店とかどことか)のみ
私にいうが後は何時に帰るかから、それまでの過程は気分で決める人。
言ってみれば勝手に行動している。
ようはほとんど別行動というのが普通なのだ。
それが、ここ数ヶ月はそうはいかない。
息子のバイクを使えば大丈夫は大丈夫だが、少々年を食いすぎ、
いくら暖冬とは故、風を切って10キロあまりを走る勇気はない様なのだ。
つまり運転手がいないと駄目、ということになり、早々身勝手な行動もできないでいる。
昨日も少々遠出をする用事があり、当然私が運転してだった。
「まあ、散歩だと思えば楽しいじゃん」ということで、YUKIも連れて出かけた。
YUKIは車をぜんぜん嫌がらないが、1時間もたつと時たま表に出たいとせがむこともある。
用を足したいのかというと、けしてそういうことではないのだが、
オリヴィエにはちょっとそれが心配でうっとおしい。
「出かけるときは僕がいつも一緒なんだから
もうYUKIを連れて出なくていいんじゃない。うるさいから犬は家に置いていったほうが良い」だって。
確かに1人で遠出をするとき、相手先の事情もあるから絶対ではないけれど、
犬でもいたほうが道中なんか良いので連れて行っている。
夫がそんな風に言うのを聞いて、おかしくて思わず笑ってしまった。
自分と犬と同列?確かにそういうところもあるけれど・・・
いずれにしてもしばらくは良くも悪くも行動を共にする時間が多くなりそうだ。


2011年12月18日
外も内も台風一過でホッ!(4)
それにしても11月に夫がパリの兄とモロッコへ出かけてから、
息子のこと、私自身のこと、そしてオリヴィエのこと、YUKI のことと、
普段とはちょっと違ったことが立て続けに起こっていた。
とはゆえ、義父も言っていたが、息子にしてもオリヴィエにしても
病院に、いやもっと最悪なことで迎えに行くようなことではなし、
私のことも多分早いのでそれほど大事にはならないだろうと思っているし、
YUKIも単によくあるアレルギーに過ぎなかったし、
タヒチ行きは自然消滅したし、結果はすべてまずまずといったところ。
いずれもひどいことにならず、始めのところでストップがかかったようなものだ。
起こるべき事は起こるわけで、
その結果がまずまずだったらありがたいことと思うべきなんだろう、と思った。
と同時に、オリヴィエが祖国に向かったポーランドの人の消息を聞いてきたときにはハッとした。
彼らは車で自分の国へ向かったわけだが、パリで何か事故にあったか起こしたか、
とにかく600ユーロという修理代を払わなければならなかったらしい。
彼らにとってその金額は、ほとんどここで働いた全額とは言わないまでも、
最低半分には相当する大金だったのではなかろうか。
オリヴィエもさすがにこれはなんかおかしい、普通じゃない、と感じたようだ。
彼はアルコールで免停。彼らは事故で大金を失う。
家族の元へ持って帰る大切なお金だったのに。
だいたい外は1週間以上大荒れの天気が続いている。
先週の金曜(9日)に、息子たちはイギリス領のジャージー島へ行くはずだったが、
悪天候で船が出なくなり延期。この15日に変更になったが、
再度同様の理由で中止。強風と雨でブルターニュ沿岸部ではずいぶん被害も出ている。
それに普段ほど寒くはなく、とにかくちょっとおかしい。
しかも14日の夕方、ジャンダームからオリヴィエのサインが必要と言うことで、
また2人、当然彼は運転できないから仕方がない、で出かけた。
実はそんなんで私は運転手と化していて、普段よりずっと忙しい。
これが数ヶ月続くことになるのだが・・・
その帰り道、彼が懲りずにビールを買うというので、
たまたまちょっとの間横断歩道にかかるように車を止めて、彼が買うのを待っていた。
そうしたら誰かが窓を叩くので、何事かと見たら怖い顔をしたジャンダーム!
びっくりして窓を開け、丁度店から出てきたオリヴィエを指差し、ちょっと止めていただけ・・・
「マダム、ここに止めてはいけないことは知っているでしょう、云々」
といわれている間にオリヴィエが車に乗ってきたら、その人、彼に名前を聞いて・・・
と、なんとオリヴィエを捕まえた人で、サインをしに来いと言った人だったのだ。
「今お宅へ行ってサインをしてきた帰りだよ」と夫。
あっちもなんだか拍子抜けというか、私の免許証を確認して、もうさっさと行けって感じで放免。
助かったけど、なんと間の悪いことか。
止めてからすべて5分ぐらいのことだったろう。やっぱりなんかおかしい!
私は絶対に何か悪いエスプリが充満しているに違いない!と感じた。
帰ってから、夕食の支度の間に、畑のセージを乾燥させていた一枝を切り、
息子に灰皿を持ってこさせて、そこで一枝のセージの葉を全部燃やして煙にし、
その煙で家族全員と家中を清めた。
最初息子は酷く怪訝な顔をしたが、夫が「マモンのやっていることは正しいかも」と
言ったので少し驚きながらもおとなしくされるがままになっていた。
これは日本の友人が教えてくれた方法だった。
何か悪いものを感じたら、セージの葉を焚いて清めると良い、と。
セージを調べてみると、昔からそういう魔よけに使われていたらしい。
とっても感覚的なことなので、
馬鹿なこと、と思う方もいらっしゃるだろうけれど、絶対にないとは言い切れないと思っている。
外は今夜も大荒れだけど、セージで清めてからみんな少し落ち着いたような気がする。
これで内はようやく台風一過、といった感じで、
19日からの旅行が楽しめそうだ。
それでも全体に何かに守られていたからこそ、こんな程度で済んでいたのかもしれない。
いつも「ありがとう」を忘れず、良い面を見て感謝しなければいけないと肝に銘じている。

悪霊よ去れ!と、うまく行ってくれるよう願っています。
そして来年に向け、もうちょっとまともに順位が上がると良いのですが・・・クリックよろしくお願いします
息子のこと、私自身のこと、そしてオリヴィエのこと、YUKI のことと、
普段とはちょっと違ったことが立て続けに起こっていた。
とはゆえ、義父も言っていたが、息子にしてもオリヴィエにしても
病院に、いやもっと最悪なことで迎えに行くようなことではなし、
私のことも多分早いのでそれほど大事にはならないだろうと思っているし、
YUKIも単によくあるアレルギーに過ぎなかったし、
タヒチ行きは自然消滅したし、結果はすべてまずまずといったところ。
いずれもひどいことにならず、始めのところでストップがかかったようなものだ。
起こるべき事は起こるわけで、
その結果がまずまずだったらありがたいことと思うべきなんだろう、と思った。
と同時に、オリヴィエが祖国に向かったポーランドの人の消息を聞いてきたときにはハッとした。
彼らは車で自分の国へ向かったわけだが、パリで何か事故にあったか起こしたか、
とにかく600ユーロという修理代を払わなければならなかったらしい。
彼らにとってその金額は、ほとんどここで働いた全額とは言わないまでも、
最低半分には相当する大金だったのではなかろうか。
オリヴィエもさすがにこれはなんかおかしい、普通じゃない、と感じたようだ。
彼はアルコールで免停。彼らは事故で大金を失う。
家族の元へ持って帰る大切なお金だったのに。
だいたい外は1週間以上大荒れの天気が続いている。
先週の金曜(9日)に、息子たちはイギリス領のジャージー島へ行くはずだったが、
悪天候で船が出なくなり延期。この15日に変更になったが、
再度同様の理由で中止。強風と雨でブルターニュ沿岸部ではずいぶん被害も出ている。
それに普段ほど寒くはなく、とにかくちょっとおかしい。
しかも14日の夕方、ジャンダームからオリヴィエのサインが必要と言うことで、
また2人、当然彼は運転できないから仕方がない、で出かけた。
実はそんなんで私は運転手と化していて、普段よりずっと忙しい。
これが数ヶ月続くことになるのだが・・・
その帰り道、彼が懲りずにビールを買うというので、
たまたまちょっとの間横断歩道にかかるように車を止めて、彼が買うのを待っていた。
そうしたら誰かが窓を叩くので、何事かと見たら怖い顔をしたジャンダーム!
びっくりして窓を開け、丁度店から出てきたオリヴィエを指差し、ちょっと止めていただけ・・・
「マダム、ここに止めてはいけないことは知っているでしょう、云々」
といわれている間にオリヴィエが車に乗ってきたら、その人、彼に名前を聞いて・・・
と、なんとオリヴィエを捕まえた人で、サインをしに来いと言った人だったのだ。
「今お宅へ行ってサインをしてきた帰りだよ」と夫。
あっちもなんだか拍子抜けというか、私の免許証を確認して、もうさっさと行けって感じで放免。
助かったけど、なんと間の悪いことか。
止めてからすべて5分ぐらいのことだったろう。やっぱりなんかおかしい!
私は絶対に何か悪いエスプリが充満しているに違いない!と感じた。
帰ってから、夕食の支度の間に、畑のセージを乾燥させていた一枝を切り、
息子に灰皿を持ってこさせて、そこで一枝のセージの葉を全部燃やして煙にし、
その煙で家族全員と家中を清めた。
最初息子は酷く怪訝な顔をしたが、夫が「マモンのやっていることは正しいかも」と
言ったので少し驚きながらもおとなしくされるがままになっていた。
これは日本の友人が教えてくれた方法だった。
何か悪いものを感じたら、セージの葉を焚いて清めると良い、と。
セージを調べてみると、昔からそういう魔よけに使われていたらしい。
とっても感覚的なことなので、
馬鹿なこと、と思う方もいらっしゃるだろうけれど、絶対にないとは言い切れないと思っている。
外は今夜も大荒れだけど、セージで清めてからみんな少し落ち着いたような気がする。
これで内はようやく台風一過、といった感じで、
19日からの旅行が楽しめそうだ。
それでも全体に何かに守られていたからこそ、こんな程度で済んでいたのかもしれない。
いつも「ありがとう」を忘れず、良い面を見て感謝しなければいけないと肝に銘じている。
悪霊よ去れ!と、うまく行ってくれるよう願っています。
そして来年に向け、もうちょっとまともに順位が上がると良いのですが・・・クリックよろしくお願いします

2011年12月17日
外も内も台風一過でホッ!(3)
夫をジャンダームに引き取りに行った日の夜、パリから兄がやってきた。
遊びに来るというか、義父に顔を見せるためにやってくるわけで、
オリヴィエなどは最低1ヶ月に1回は来なければ・・・というほどなのだが、
モロッコへの旅行をはさんで3ヶ月近く今回は期間が開いていた。
パリの兄はとても楽しい人で、彼がやってくるとなぜか雰囲気がお祭り的になる。
それに久々だったこともあり、今回も普段よりアルコールの量が増え勝ちになった。
オリヴィエにとっては自分のやった馬鹿さ加減に落ち込むのを紛らわすのに丁度良く、
兄が滞在していた3日間は、大いにたしなんだ。
それが兄が帰ったあとの13日にも引き続いてしまった。
まあ、その勢いというか、息子といろいろ話していたのは良いのだが、
突然息子が生まれたタヒチに来週(ノエルの休みに入る)3人で行くんだ!と宣言。
私は冗談として相手にしていなかったら、息子がコンピュータで予約を始めた。
ちょっと、ちょっと待ってよ。
いったいいくらかかると思っているの!?それにどのくらいの日程のつもりなわけ?
来年1月4日はもう学校が始まるのよ。
それにパスポート。
私と久のパスポートは最新のものに書き換えたばかりだけど、オリヴィエのは古い。
タヒチへはアメリカ西海岸のロスで、ただの乗り継ぎなのだが、
れいの9.11以来システムが変わり、いったんアメリカの入国審査をしてまた出国といった
酷くおかしくて面倒なことになっているのだ。
だからすべてアメリカ入国対応にしないといけないけれど、古いので大丈夫?
知り合いに電話をして確認をしてみたものの、大丈夫だろうといわれた。
「気にするな。大丈夫だよ。Hisashi予約、予約」と、もう大興奮状態。
何を言っても聞く耳持たず。
予約はどんどん進み、とうとうクレジットカードの番号まで入れて、
12月19日出発、12月28日帰国(実際帰りのフライトは26日発)というスケジュールで
飛行機代だけでひっくり返るような値段で最後のクリックが行われてしまった。
私も長年連れ添っているだけに、もうこうなったら行くしかないとほとんど諦め状態。
帰ってきてお金がすっからかんでも、一度は息子を連れて行かなければならない場所だし、
腹をくくるしかないと覚悟を決めた。
とはいうものの、やはり心から納得はできなかったけど・・・
そうしたら知り合いから再び電話があって、彼らはフランスとタヒチをしょっ中行き来している、
こんな値段で見つけたけど、どうした?と聞かれた。
そこで事情を説明し、自分のコンピュータを開いてコンファームのメールを探した。
入っていた。
そこで読んでいたら、もう1通そのサイトからメールが届いた。
開いてみたら????えっ、これって支払いが不能ってこと?
後1時間以内に手当てをしないと予約がキャンセル?えっ、えっ、なんてラッキー!!!!
知り合いは今パリに帰ってきていて、自分たちがいるときにきてくれたほうが良いし、
たった10日、実質1週間のタヒチなんて高いのにもったいないといっていた。
オリヴィエはそんな理屈はどうでも良くて、とにかく「行く」という行為にこだわっていたわけだが、
これでは誰にもどうにもならない。予約はキャンセルだもの。
私がどんなに胸をなでおろしたことか。
一銭も損をすることなくキャンセルできたことに狂喜乱舞したのは言うまでもない。
でも不思議。残高に問題はなかったし、カード番号を入れるときは私も確認したし、なんで?
翌日多少正気を取り戻した夫いわく、11月に新しい銀行カードに更新になり、
ネットでの支払いをするにはなにやら銀行にその登録をしなければならず、
それをずっとしていないので支払いができなかったのだとわかった。
「ネットで銀行の残高を確認するとき、いつも最初のページに出てくるだろう。
読んで分っていただろう?
それをしないとネット上での支払いができないシステムになったらしいよ」と。
私もその文面は見ていたけれど、ぜんぜん真面目に読んだことがなかったのだ。
正直邪魔なものが出てくるなぁ、ぐらいにしか思ってなかった。
そういわれてから改めてよく読んでみたら、確かにそうだったが、本当に幸運だった。
フランス語がすいすい読めて、コンピュータに強くて全部わかっていたら
とっくにやっていただろう。
でもそうじゃなかったし、夫はコンピュータ音痴だからやらなかったわけだ。
あー何が幸いに働くか、まったく分らない。
経済的な悲劇を招くことなく、誰の落ち度でもなく、とりあえず一件落着。
と、それでも彼にしてみれば「行動」することに意味を見出していたので、
タヒチは正直無理と認めたが、どうしても何かしたい、出かけようという。
すべては私に一任するから決めてくれ、とも。
そこで19日から4日間3人でパリへ行き、
その間前から行きたかったアール・ヌーボーの都市ナンシーで1泊する計画を立て、
列車もすべて手配した。ノエルの前には家に帰り、後は義父と一緒にノエルを過ごす。
これでどうやらみんなハッピーになれそうだった。(つづく)
馬鹿でしょう、やってること。誰かが守ってくれなかったら、
本当に行くことになって大後悔、なんて笑えませんからね。まだ続きます。
クリックよろしくお願いします

遊びに来るというか、義父に顔を見せるためにやってくるわけで、
オリヴィエなどは最低1ヶ月に1回は来なければ・・・というほどなのだが、
モロッコへの旅行をはさんで3ヶ月近く今回は期間が開いていた。
パリの兄はとても楽しい人で、彼がやってくるとなぜか雰囲気がお祭り的になる。
それに久々だったこともあり、今回も普段よりアルコールの量が増え勝ちになった。
オリヴィエにとっては自分のやった馬鹿さ加減に落ち込むのを紛らわすのに丁度良く、
兄が滞在していた3日間は、大いにたしなんだ。
それが兄が帰ったあとの13日にも引き続いてしまった。
まあ、その勢いというか、息子といろいろ話していたのは良いのだが、
突然息子が生まれたタヒチに来週(ノエルの休みに入る)3人で行くんだ!と宣言。
私は冗談として相手にしていなかったら、息子がコンピュータで予約を始めた。
ちょっと、ちょっと待ってよ。
いったいいくらかかると思っているの!?それにどのくらいの日程のつもりなわけ?
来年1月4日はもう学校が始まるのよ。
それにパスポート。
私と久のパスポートは最新のものに書き換えたばかりだけど、オリヴィエのは古い。
タヒチへはアメリカ西海岸のロスで、ただの乗り継ぎなのだが、
れいの9.11以来システムが変わり、いったんアメリカの入国審査をしてまた出国といった
酷くおかしくて面倒なことになっているのだ。
だからすべてアメリカ入国対応にしないといけないけれど、古いので大丈夫?
知り合いに電話をして確認をしてみたものの、大丈夫だろうといわれた。
「気にするな。大丈夫だよ。Hisashi予約、予約」と、もう大興奮状態。
何を言っても聞く耳持たず。
予約はどんどん進み、とうとうクレジットカードの番号まで入れて、
12月19日出発、12月28日帰国(実際帰りのフライトは26日発)というスケジュールで
飛行機代だけでひっくり返るような値段で最後のクリックが行われてしまった。
私も長年連れ添っているだけに、もうこうなったら行くしかないとほとんど諦め状態。
帰ってきてお金がすっからかんでも、一度は息子を連れて行かなければならない場所だし、
腹をくくるしかないと覚悟を決めた。
とはいうものの、やはり心から納得はできなかったけど・・・
そうしたら知り合いから再び電話があって、彼らはフランスとタヒチをしょっ中行き来している、
こんな値段で見つけたけど、どうした?と聞かれた。
そこで事情を説明し、自分のコンピュータを開いてコンファームのメールを探した。
入っていた。
そこで読んでいたら、もう1通そのサイトからメールが届いた。
開いてみたら????えっ、これって支払いが不能ってこと?
後1時間以内に手当てをしないと予約がキャンセル?えっ、えっ、なんてラッキー!!!!
知り合いは今パリに帰ってきていて、自分たちがいるときにきてくれたほうが良いし、
たった10日、実質1週間のタヒチなんて高いのにもったいないといっていた。
オリヴィエはそんな理屈はどうでも良くて、とにかく「行く」という行為にこだわっていたわけだが、
これでは誰にもどうにもならない。予約はキャンセルだもの。
私がどんなに胸をなでおろしたことか。
一銭も損をすることなくキャンセルできたことに狂喜乱舞したのは言うまでもない。
でも不思議。残高に問題はなかったし、カード番号を入れるときは私も確認したし、なんで?
翌日多少正気を取り戻した夫いわく、11月に新しい銀行カードに更新になり、
ネットでの支払いをするにはなにやら銀行にその登録をしなければならず、
それをずっとしていないので支払いができなかったのだとわかった。
「ネットで銀行の残高を確認するとき、いつも最初のページに出てくるだろう。
読んで分っていただろう?
それをしないとネット上での支払いができないシステムになったらしいよ」と。
私もその文面は見ていたけれど、ぜんぜん真面目に読んだことがなかったのだ。
正直邪魔なものが出てくるなぁ、ぐらいにしか思ってなかった。
そういわれてから改めてよく読んでみたら、確かにそうだったが、本当に幸運だった。
フランス語がすいすい読めて、コンピュータに強くて全部わかっていたら
とっくにやっていただろう。
でもそうじゃなかったし、夫はコンピュータ音痴だからやらなかったわけだ。
あー何が幸いに働くか、まったく分らない。
経済的な悲劇を招くことなく、誰の落ち度でもなく、とりあえず一件落着。
と、それでも彼にしてみれば「行動」することに意味を見出していたので、
タヒチは正直無理と認めたが、どうしても何かしたい、出かけようという。
すべては私に一任するから決めてくれ、とも。
そこで19日から4日間3人でパリへ行き、
その間前から行きたかったアール・ヌーボーの都市ナンシーで1泊する計画を立て、
列車もすべて手配した。ノエルの前には家に帰り、後は義父と一緒にノエルを過ごす。
これでどうやらみんなハッピーになれそうだった。(つづく)
本当に行くことになって大後悔、なんて笑えませんからね。まだ続きます。
クリックよろしくお願いします


2011年12月16日
外も内も台風一過でホッ!(2)
夫いわく「実についてない!」。
確かに11月中旬まで、ほぼ6ヶ月あまり一滴もアルコールを口にしていなかったのだ。
こんなことはかつてないことで、それは凄い意志の力で、
食事のときに義父と私がワインを飲んでも、彼は水を飲んでいた。
「あの間、何度コントロールがあっても大丈夫だと自慢したいくらいだったのに、
とうとう1回もそういうことはなかった」のだ。
それがちょっと呑み始めて1ヶ月もしないうちに捕まってしまった。
確かについてないとも言えるが、実は本人が馬鹿だったのだ。
土曜日の午後、いったん家に帰ってからまた出かけたらしい。
今度新しく店となる物件の地下室の工事の進展を見に行き、
そこで働いていた出稼ぎのポーランド人2人が、ようやく一区切りつけて
クリスマスまでに家族の元へお金を持って帰れるというので、振舞ったらしい。
呑んでるから危険だと思い、店から我が家までは小さい道をずっと取って来たという。
ところがほとんど家の前にさしかかったとき、ふと再びジョスラン(店のあるところ)に行かねば
と思い、右に曲がれば家なのに、そのまま真っ直ぐ行ったところで捕まったのだ。
自分でもなぜジョスランにまた行こうとしたのか、理由は今考えても分らないらしい。
結局自分で蒔いた種なのだ。息子と同じ!
別にアルコールの検問に引っかかったわけではなく、実際はただのコントロールだったのが、
私だって迎えに行って感じたけど、車の窓を開ければすぐにアルコールが臭ったに違いない。
ジャンダームにしてみれば、飛んで火にいる夏の虫。
アルコール量の検査にプロエルメルのオフィスまで引っ張られた、というわけ。
この日私は息子とセネ(ヴァンヌのすぐ隣)の獣医さんのところにYUKIを連れて行き、
そっちで昼を済ませて午後に戻った。帰ったときオリヴィエはいなかった。
そのYUKIといえば、結果はノミのアレルギーだったのだが、
以前からよく尻尾の付け根を自分でかむというか、まあ口でかきむしるわけだけど、
良く赤くしては人間用の塗り薬をつけて治していた。
それでもあまりしばしばのことなので、一度ちゃんと診てもらわなければと思っていて、
ようやく電話をしたら、翌日すぐに予約が取れた。
それから何気にYUKIを見たら、なんと右の後ろ足の付け根の胴体に丸い大きな真っ赤な禿を発見。
どうやら自分でやったらしいが、いったいどうしたことかと驚いた。
翌日診て貰うのだからここであわてて薬をつけてもと思い、とりあえず静観することに。
原因は尻尾の付け根と同じで、まあ酷いことではなくてほっとしたが、
彼は再びあのエリザベスを首に付けなければならなくなった。
と、こうして帰ってきた夕方の出来事。
嵐は実は今も外で荒れ狂っているが、我が家の嵐もこれで収まったわけじゃあない。
これはその始まりだったに過ぎない。(つづく)

パリの兄が10日から12日まで来て、このお菓子を買ってきてくれた。
ベル・ヴィルの小さなお菓子屋さんで、チュニジア人が作っていたとのこと。
そのかわいさにびっくり!

何しろファミー・ド・フーune famille de fous(クレイジーな家族)なので仕方がありません。
今に始まったことではなく、結婚した時からそうでしたから。
これでもずいぶんまともになったと思っています。応援よろしく
確かに11月中旬まで、ほぼ6ヶ月あまり一滴もアルコールを口にしていなかったのだ。
こんなことはかつてないことで、それは凄い意志の力で、
食事のときに義父と私がワインを飲んでも、彼は水を飲んでいた。
「あの間、何度コントロールがあっても大丈夫だと自慢したいくらいだったのに、
とうとう1回もそういうことはなかった」のだ。
それがちょっと呑み始めて1ヶ月もしないうちに捕まってしまった。
確かについてないとも言えるが、実は本人が馬鹿だったのだ。
土曜日の午後、いったん家に帰ってからまた出かけたらしい。
今度新しく店となる物件の地下室の工事の進展を見に行き、
そこで働いていた出稼ぎのポーランド人2人が、ようやく一区切りつけて
クリスマスまでに家族の元へお金を持って帰れるというので、振舞ったらしい。
呑んでるから危険だと思い、店から我が家までは小さい道をずっと取って来たという。
ところがほとんど家の前にさしかかったとき、ふと再びジョスラン(店のあるところ)に行かねば
と思い、右に曲がれば家なのに、そのまま真っ直ぐ行ったところで捕まったのだ。
自分でもなぜジョスランにまた行こうとしたのか、理由は今考えても分らないらしい。
結局自分で蒔いた種なのだ。息子と同じ!
別にアルコールの検問に引っかかったわけではなく、実際はただのコントロールだったのが、
私だって迎えに行って感じたけど、車の窓を開ければすぐにアルコールが臭ったに違いない。
ジャンダームにしてみれば、飛んで火にいる夏の虫。
アルコール量の検査にプロエルメルのオフィスまで引っ張られた、というわけ。
この日私は息子とセネ(ヴァンヌのすぐ隣)の獣医さんのところにYUKIを連れて行き、
そっちで昼を済ませて午後に戻った。帰ったときオリヴィエはいなかった。
そのYUKIといえば、結果はノミのアレルギーだったのだが、
以前からよく尻尾の付け根を自分でかむというか、まあ口でかきむしるわけだけど、
良く赤くしては人間用の塗り薬をつけて治していた。
それでもあまりしばしばのことなので、一度ちゃんと診てもらわなければと思っていて、
ようやく電話をしたら、翌日すぐに予約が取れた。
それから何気にYUKIを見たら、なんと右の後ろ足の付け根の胴体に丸い大きな真っ赤な禿を発見。
どうやら自分でやったらしいが、いったいどうしたことかと驚いた。
翌日診て貰うのだからここであわてて薬をつけてもと思い、とりあえず静観することに。
原因は尻尾の付け根と同じで、まあ酷いことではなくてほっとしたが、
彼は再びあのエリザベスを首に付けなければならなくなった。
と、こうして帰ってきた夕方の出来事。
嵐は実は今も外で荒れ狂っているが、我が家の嵐もこれで収まったわけじゃあない。
これはその始まりだったに過ぎない。(つづく)

パリの兄が10日から12日まで来て、このお菓子を買ってきてくれた。
ベル・ヴィルの小さなお菓子屋さんで、チュニジア人が作っていたとのこと。
そのかわいさにびっくり!
何しろファミー・ド・フーune famille de fous(クレイジーな家族)なので仕方がありません。
今に始まったことではなく、結婚した時からそうでしたから。
これでもずいぶんまともになったと思っています。応援よろしく

2011年12月14日
外も内も台風一過でホッ!(1)
12月12日の月曜日は夜半から酷い雨と風で、
ようは台風のようなものだけど、こちらではトムペットune tompeteという。
10日の土曜日は、満月がこうこうと輝き、美しかったが、
どこかちょっと不気味な感じがしないでもないほどだったのを思い出す。
だいたいその10日の夕方からちょっと調子が狂いだしたのかもしれない。
帰ってくるはずのオリヴィエがなかなか帰ってこない。
パリの兄が来るはずなのに何時に着くのかも分らないままだった(いつものことだけど)
ので彼に電話をした。
「イアンからはまだ何にも連絡がない(もう17時だというのに?と私は思う)。
今ジャンダーム(警察のようなもの)にとめられてるんだよ」
「何それ?もうそんな馬鹿みたいなこと。イアンのことがわからないなら切るわ」
と、冗談というか、事情が分らず馬鹿馬鹿しくって電話を切った。
それから10分ぐらい過ぎて私の携帯が鳴った。オリヴィエからだった。
「今ジャンダームの車でプロエルメルのジャンダームに向かってるとこ。
アルコールでひっかかったんだよ」「?????」と私。
えっ、冗談じゃなかったんだ。やれやれ。
それからさらに10分ぐらいして、パリの兄から何時につくからと連絡があった。
オリヴィエに電話をしたけど、ジャンダームにいるから私に電話してといわれたらしい。
1時間半後、夫を引取りにジャンダームに出向いた。
当然彼は免許証を預かられているから運転ができない。
自分の車はとめられた場所に置きっぱなしになっているのだから迎えに行くしかないのだ。
日本の飲酒運転は歩行者や他の車を巻き込む事故が多く、悲劇的な結末になる。
ここでも飲酒による事故が増えているので、近年かなり厳しくなっている。
が、日本と多少事情が違うのは、自損事故が多いこと。
大人は結構アルコールに強く、少々のことでは乱れないのだが、
特に18歳から20代の若い子が週末ディスコなどで飲酒をし、その帰りに死傷事故を起こす。
自業自得といえばそれまでだが、親にしたらそこまで育てたのに・・・たまらないことだろう。
と、いずれにしても飲んで運転していた彼に非があるのは当然だからしかたがない。
こうして私はこの1ヶ月ほどの間に、なんと夫と息子をジャンダームに迎えに行くはめに陥り、
まったく恥ずかしかった。
いったいどんな顔をしていけば良いのかと、頭がくらくらした。
幸い18時も過ぎていてオフィスは閑散としていたのと、係りが違っていたのだろう。
会ったことのない人の対応でちょっと胸をなでおろした。
あー満月の夜は何かちょっと違う興奮があるけど、こういうのはねぇ、願い下げだわ。
(つづく)
応援クリック、よろしくお願いします
ようは台風のようなものだけど、こちらではトムペットune tompeteという。
10日の土曜日は、満月がこうこうと輝き、美しかったが、
どこかちょっと不気味な感じがしないでもないほどだったのを思い出す。
だいたいその10日の夕方からちょっと調子が狂いだしたのかもしれない。
帰ってくるはずのオリヴィエがなかなか帰ってこない。
パリの兄が来るはずなのに何時に着くのかも分らないままだった(いつものことだけど)
ので彼に電話をした。
「イアンからはまだ何にも連絡がない(もう17時だというのに?と私は思う)。
今ジャンダーム(警察のようなもの)にとめられてるんだよ」
「何それ?もうそんな馬鹿みたいなこと。イアンのことがわからないなら切るわ」
と、冗談というか、事情が分らず馬鹿馬鹿しくって電話を切った。
それから10分ぐらい過ぎて私の携帯が鳴った。オリヴィエからだった。
「今ジャンダームの車でプロエルメルのジャンダームに向かってるとこ。
アルコールでひっかかったんだよ」「?????」と私。
えっ、冗談じゃなかったんだ。やれやれ。
それからさらに10分ぐらいして、パリの兄から何時につくからと連絡があった。
オリヴィエに電話をしたけど、ジャンダームにいるから私に電話してといわれたらしい。
1時間半後、夫を引取りにジャンダームに出向いた。
当然彼は免許証を預かられているから運転ができない。
自分の車はとめられた場所に置きっぱなしになっているのだから迎えに行くしかないのだ。
日本の飲酒運転は歩行者や他の車を巻き込む事故が多く、悲劇的な結末になる。
ここでも飲酒による事故が増えているので、近年かなり厳しくなっている。
が、日本と多少事情が違うのは、自損事故が多いこと。
大人は結構アルコールに強く、少々のことでは乱れないのだが、
特に18歳から20代の若い子が週末ディスコなどで飲酒をし、その帰りに死傷事故を起こす。
自業自得といえばそれまでだが、親にしたらそこまで育てたのに・・・たまらないことだろう。
と、いずれにしても飲んで運転していた彼に非があるのは当然だからしかたがない。
こうして私はこの1ヶ月ほどの間に、なんと夫と息子をジャンダームに迎えに行くはめに陥り、
まったく恥ずかしかった。
いったいどんな顔をしていけば良いのかと、頭がくらくらした。
幸い18時も過ぎていてオフィスは閑散としていたのと、係りが違っていたのだろう。
会ったことのない人の対応でちょっと胸をなでおろした。
あー満月の夜は何かちょっと違う興奮があるけど、こういうのはねぇ、願い下げだわ。
(つづく)

2011年11月22日
我が家のバカンスも終わり
オリヴィエが出かけてから、なんだかんだと日が過ぎてしまい、
今日の夕方、無事に家に帰ってくる。
モロッコからはすでに昨日発って無事にパリに着き、パリで1泊して今日というわけだ。
いろいろやりたいし、できるような気がしていたけれど、
過ぎてみればなんと言うことはない、普段の日々と変わらぬ日々だったろうか。
いや、普段にはないあれこれが発生したかも。
息子は最初の週末が金曜日からずっと休みであまり家にいなかったので、
先週の初めはなんだかとても良い子だった。
夕食は彼の好物をメインにしていたが、驚いたのが後片付けの時。
何しろ二人しかいないのと、昼は私だけだからそれほど汚れた食器が出るわけではない。
だから月、火曜日は手洗いにしていた。
私は何も言わないのに「それじゃこれは洗うよ」と始めるではないか。
「エッ!?」と声が出そうになるのをぐっと抑えて黙っていた。
2日間とも彼がきれいに洗ってくれた。
それから2人で犬、猫ともにサロンでテレビ映画を見た。
水曜日の昼はいつものように食堂となり、午後は遊びに。
夜の食器と翌日のは食器洗い機に入れたので、彼に後片付けの必要はなかった。
18日の金曜日、ちょっとした事件が勃発。
少々心配もし、同情もしてくれた義父が昼レストランに誘ってくれた。
息子は学校から戻ってから、
今日ぐらいは家にいなさいという私を振り切り友達のところへ出かけていった。
が、さすがに私の言うことが正しいと思い直したそうで、すぐに戻ってきた。
その夜、いろいろ彼と正面から話すことができた。
週末は比較的言うことを良く聞き、日中はもちろん友達と会っていたが、
食事はきちんと家で取るようになり、
日曜日の昼食はきちんと義父の話を聞きながら相手をしてくれた。
まあ「ちょっとした事件」についてはいつか書くこともあるかもしれないが、
最初は父親が不在の時に!と思ったが、結局それで良かったと思っている。
そうでなければ息子とゆっくり本音で語り合うことはなかったかもしれない。
やはり話してみなければ不安とか、気持ちの揺れとか、分らなかった。
子どもには子どもなりの親に対する強がりってあるんだなぁ、と。
私自身にも先週「ちょっとしたこと」が発生したが、
その時点では単に心配させるだけだったので黙っていた。
この機会にどうしても同時に説明が必要だったのと、私自身も落ち着いたので話した。
少しずつ大人になってるのかなぁ、なんて感じたりもした。
そんなわけであっという間に過ぎてしまった2週間弱だった。
バカンスの二人も無事に戻ってきたし、我が家のほうも「ちょっと」ぐらいで過ぎているし、
まずは良かった、というところ。
後は息子と2人で夫を迎えに行けば、私たちのバカンスも終わる。

開いたらまたポッチリお願いします
今日の夕方、無事に家に帰ってくる。
モロッコからはすでに昨日発って無事にパリに着き、パリで1泊して今日というわけだ。
いろいろやりたいし、できるような気がしていたけれど、
過ぎてみればなんと言うことはない、普段の日々と変わらぬ日々だったろうか。
いや、普段にはないあれこれが発生したかも。
息子は最初の週末が金曜日からずっと休みであまり家にいなかったので、
先週の初めはなんだかとても良い子だった。
夕食は彼の好物をメインにしていたが、驚いたのが後片付けの時。
何しろ二人しかいないのと、昼は私だけだからそれほど汚れた食器が出るわけではない。
だから月、火曜日は手洗いにしていた。
私は何も言わないのに「それじゃこれは洗うよ」と始めるではないか。
「エッ!?」と声が出そうになるのをぐっと抑えて黙っていた。
2日間とも彼がきれいに洗ってくれた。
それから2人で犬、猫ともにサロンでテレビ映画を見た。
水曜日の昼はいつものように食堂となり、午後は遊びに。
夜の食器と翌日のは食器洗い機に入れたので、彼に後片付けの必要はなかった。
18日の金曜日、ちょっとした事件が勃発。
少々心配もし、同情もしてくれた義父が昼レストランに誘ってくれた。
息子は学校から戻ってから、
今日ぐらいは家にいなさいという私を振り切り友達のところへ出かけていった。
が、さすがに私の言うことが正しいと思い直したそうで、すぐに戻ってきた。
その夜、いろいろ彼と正面から話すことができた。
週末は比較的言うことを良く聞き、日中はもちろん友達と会っていたが、
食事はきちんと家で取るようになり、
日曜日の昼食はきちんと義父の話を聞きながら相手をしてくれた。
まあ「ちょっとした事件」についてはいつか書くこともあるかもしれないが、
最初は父親が不在の時に!と思ったが、結局それで良かったと思っている。
そうでなければ息子とゆっくり本音で語り合うことはなかったかもしれない。
やはり話してみなければ不安とか、気持ちの揺れとか、分らなかった。
子どもには子どもなりの親に対する強がりってあるんだなぁ、と。
私自身にも先週「ちょっとしたこと」が発生したが、
その時点では単に心配させるだけだったので黙っていた。
この機会にどうしても同時に説明が必要だったのと、私自身も落ち着いたので話した。
少しずつ大人になってるのかなぁ、なんて感じたりもした。
そんなわけであっという間に過ぎてしまった2週間弱だった。
バカンスの二人も無事に戻ってきたし、我が家のほうも「ちょっと」ぐらいで過ぎているし、
まずは良かった、というところ。
後は息子と2人で夫を迎えに行けば、私たちのバカンスも終わる。


2011年11月13日
たまには1人の時間もとっても楽しい!

今週の水曜日から、夫はパリへ行き、
2泊した後、兄と一緒へ恒例のモロッコへバカンス。
だから私は彼が戻る22日の午後まで、心置きなく自分勝手を楽しむつもりだ。
息子はこの11日が休日で、再びグロン・ウィークエンドなので、
家にはほとんど寝に帰るだけ。
学校が始まっても、夕食さえしっかり考えておいてやれば良い。
義父については朝夕どうしているか言葉を交わし、
いつものように毎日の食事について多少気を遣うぐらい。
タンタンとYUKIについては気分が紛れて良いくらい。
だから基本的に丸1日を自分の好きなように使える。
何時に起きて何をしようと、いつ掃除をしようと食器洗い機をかけようと、だ。
何しろオリヴィエがうちにいると(ってこれが普通なんだけど)、
朝から気を使う・・・って、彼はそういう風に要求しているわけではないのだが、
結果的に私としてはそうなる。
なぜかというと、寝起きの悪い彼は、朝、超機嫌が悪い。
低血圧でもないのに、本当に「触らぬ神にたたりなし」って感じなのだ。
本人曰く、昔からのことで、若いときは友人から何が気に入らないのか言ってほしい、
なんて言われたこともあるとか。
つまりそれほど何かに怒ってるようにすら見えるのだ。
ゆえに口は利かないで欲しい。音は立てないでほしい。
とにかく静かに放っておいてほしい、というわけ。
できるだけ朝食は別々に取るようにするので、起きる時間をずらすことから始まり、
私はそのタイミングを上手に計らなければならない。
それでもついそういう彼の状況を忘れて話しかけてしまったり、
食器洗い機の中の食器を片付け始めたりして、結局けんかになる。
が、本人も自分が悪い(当たり前!)のを十分にわかっているので、
昼ごろ一度戻ってきて、なんとなく機嫌をとる風にしてみたりする。
腹は立ってもいつものことなので、こういう時点で「けんか」は終わりにしている。
こうした「朝」の緊張がないのは非常にリラックスできる。
自分だけの朝の気分で何の気兼ねもなく1日を始めることができるのは、いい!
多分あと10日後には、その煩わしさが懐かしくもなるのだが、
とにかく今は1人のんきな毎日を謳歌している。
「亭主は元気で留守が良い」、これは名言だと思う。
夫婦も15年以上やっているとこうなる?
お気に召したら応援クリックよろしくお願いします


2011年09月06日
今日、16歳になったやんちゃ坊主
9月6日は息子の誕生日。
今日で彼はようやく16歳になった。
まだまだ先は長いのだから「ようやく」というのも変だが、
親としては「えー、もう16歳になってしまったのか」という感慨がある。

オリヴィエは結婚もしないし子供も作らない、という主義でずっと来た人だが、
全部私に騙されたと、時あるごとに吹聴している。
子どもを産んだのは41歳のときだから、あの頃は相当の高年齢出産だった。
しかもみんな素足か良くてゴムぞうりで病院へやってくるような、
南太平洋に浮かぶライアテア島(一応タヒチ本島に次ぐ大きな島だったが)
で出産をした。
東京の実家へ帰ることも考えてはみたものの、
ずっとライアテアの病院で見てもらっていたし、実家には父しかいなかった。
こういう時父を頼っても向こうも困るだろう。
結局オリヴィエは自分がいるし、友達もいるし、
病院の人たちだって良く知っているここで産むほうが良いとの意見だった。
飛行機に乗れるギリギリの7ヶ月目だったか、とにかく一度仕事を調整しに東京へ行ったが、
帰ったら早産の危険もあるから絶対安静と言われた。
おとなしくできなければ入院だとも。
1ヶ月ほどおとなしくしていたが、8月に入ってからはなるべく動くようにした。
当日は、なんだか少しいつもと違うなぁ程度だったが、
隣の看護婦をしている友人が、とりあえず一度病院へ行ってみればと言うので、
帰ってくるつもりで何も持たずにオリヴィエと出かけた。
そしたらすぐに分娩室に入れられて・・・
そのまま彼が付き添ってくれ、後から彼女も駆けつけてくれた。
日本やフランスの病院だったらこれほど簡単には付き添えないだろう。
やっぱり島で良かった。
11時ごろ入って15時過ぎに生まれた。体重は4100グラム。
日本じゃ巨大児らしいが、シャルバーグ家はみな大きく生まれてくるようだ。
こうして生まれた赤ん坊をすぐお腹の上において見せてくれ、
それから脇の新生児用ベッドに入れてくれ、後は片づけを済ませてみんな出て行った。
残ったのはオリヴィエと息子だが、だんだん何も見えなくなって・・・
実際は出血が止まらず、貧血で気が遠くなったのだが、
生まれて初めて気を失ったので、どうして暗くするの?みたいな事を口走っていた気がする。
傍に彼がいてくれたから、すぐその異変に気付き医者を呼んでくれた。
幸い輸血までしなくてすんだが、もしオリヴィエがいなかったらどうなっていたか分らない。
みんな昼を食べに出ていったので、すぐには戻って来なかったらしい。
なんて、そんなこともあったなぁ、という話。
いまや遠い遠い思い出、かな。
16年、いろいろあったけどたってみればあっという間。
これからも1年1年、息子が歳を重ねるごとに思うことなのだろう。
それだけ自分も歳を取るということなんだけど。
今日の夕飯は、義父も交えてお祝いのディナー。
ベシュレルの村の更なる報告、思ったけど、
息子の誕生日当日だったので、ちょっと思い出話。
今週から真面目に週3回に戻しますね。
クリック応援、いったいどこにいるのかも分りませんが、お願いします
2日のタグ、リンク忘れたみたい・・・すみません!
今日で彼はようやく16歳になった。
まだまだ先は長いのだから「ようやく」というのも変だが、
親としては「えー、もう16歳になってしまったのか」という感慨がある。

オリヴィエは結婚もしないし子供も作らない、という主義でずっと来た人だが、
全部私に騙されたと、時あるごとに吹聴している。
子どもを産んだのは41歳のときだから、あの頃は相当の高年齢出産だった。
しかもみんな素足か良くてゴムぞうりで病院へやってくるような、
南太平洋に浮かぶライアテア島(一応タヒチ本島に次ぐ大きな島だったが)
で出産をした。
東京の実家へ帰ることも考えてはみたものの、
ずっとライアテアの病院で見てもらっていたし、実家には父しかいなかった。
こういう時父を頼っても向こうも困るだろう。
結局オリヴィエは自分がいるし、友達もいるし、
病院の人たちだって良く知っているここで産むほうが良いとの意見だった。
飛行機に乗れるギリギリの7ヶ月目だったか、とにかく一度仕事を調整しに東京へ行ったが、
帰ったら早産の危険もあるから絶対安静と言われた。
おとなしくできなければ入院だとも。
1ヶ月ほどおとなしくしていたが、8月に入ってからはなるべく動くようにした。
当日は、なんだか少しいつもと違うなぁ程度だったが、
隣の看護婦をしている友人が、とりあえず一度病院へ行ってみればと言うので、
帰ってくるつもりで何も持たずにオリヴィエと出かけた。
そしたらすぐに分娩室に入れられて・・・
そのまま彼が付き添ってくれ、後から彼女も駆けつけてくれた。
日本やフランスの病院だったらこれほど簡単には付き添えないだろう。
やっぱり島で良かった。
11時ごろ入って15時過ぎに生まれた。体重は4100グラム。
日本じゃ巨大児らしいが、シャルバーグ家はみな大きく生まれてくるようだ。
こうして生まれた赤ん坊をすぐお腹の上において見せてくれ、
それから脇の新生児用ベッドに入れてくれ、後は片づけを済ませてみんな出て行った。
残ったのはオリヴィエと息子だが、だんだん何も見えなくなって・・・
実際は出血が止まらず、貧血で気が遠くなったのだが、
生まれて初めて気を失ったので、どうして暗くするの?みたいな事を口走っていた気がする。
傍に彼がいてくれたから、すぐその異変に気付き医者を呼んでくれた。
幸い輸血までしなくてすんだが、もしオリヴィエがいなかったらどうなっていたか分らない。
みんな昼を食べに出ていったので、すぐには戻って来なかったらしい。
なんて、そんなこともあったなぁ、という話。
いまや遠い遠い思い出、かな。
16年、いろいろあったけどたってみればあっという間。
これからも1年1年、息子が歳を重ねるごとに思うことなのだろう。
それだけ自分も歳を取るということなんだけど。
今日の夕飯は、義父も交えてお祝いのディナー。
息子の誕生日当日だったので、ちょっと思い出話。
今週から真面目に週3回に戻しますね。
クリック応援、いったいどこにいるのかも分りませんが、お願いします

2日のタグ、リンク忘れたみたい・・・すみません!
2011年07月07日
贅沢に思い切り「杏abricot」を使った日々

先々週だったか、
ス−パーマーケットでジャム用のアブリコabricot(杏)を買った。
その時、以前にオリヴィエがそういうアブリコを買わないのかと私に聞いたのを思い出し、
よくダブって買ってしまうことがあるので、電話で確かめた。
それがかえって間違いだった。
夕方オリヴィエが帰ってきたら、なんと杏の箱を抱えていたのだ。
「私が買うって言ったじゃない」
「じゃあ何で電話なんてして来るんだよ。
電話なんかするから買って来いってことかと思った」って。
まあ、私もしばしばくだらないことで電話をするものだから、
だいたい何を言っているかなんて聞きもしないで生返事をしつつ切られてしまう。
そのおかげで、なんと5キロずつ、計10キロもの杏を何とかしなければならなくなってしまった。
ジャムにするといっても、10キロもどうする?っていう感じで頭を抱えた。
結局、最初は2回に分けて保存用のジャムを作り、
次に熟れているものを選んで、すぐに食べるコンポートを作った。
さらにかねてから一度試してみたいと思っていた杏のタルトを作った。
レシピはフランス語版のインターネットで探し、5点満点の5点というのを見つけて、
それを試してみた。
義父にも分けたが、大部分はオリヴィエが食べてしまった。
生でも食べなかったの?という疑問があるかもしれない。
私が買ったのはジャム用と表示され、5キロ単位で安く売られていたものだった。
少々器量が悪いものもあったが、ジャム用だし値段も安いから当然のこと。
オリヴィエは普通の箱(5キロ)を、あまり注意もせず買ってきた。
生食用だから、値段は私が買ったものより500円ほども高かった。
どちらも熟せば当然生で食べて美味しい。だからしばしばみんなつまんで食べていた。
が、それでもまだあったので、今日の夕飯に去年見つけておいたレシピで使ってみた。
モロッコ料理で羊肉を一晩マリネしたものを1時間以上煮て、最後に杏を入れるのだ。
作る1日前からちゃんと準備をしなければならないし、
ここでは普通手に入らないコリアンダー(我が菜園にあるのでOK)が必須だったり、
なかなか面倒なレシピではあったが、大成功でホッとした。
普通は保存用のジャムだけで終わってしまうところ、
今年は10キロを消費するためいろいろなレシピを試してみる結果となった。
杏の季節、いずれも1年に1回作れば良いものばかりだったけど、
はからずも楽しいチャレンジだった。
でも、生ものは長く置けないから気がきじゃなかった。
これでもう無駄にすることもないのでやすらかにいられる・・・けど、
今度は畑の鞘インゲンが毎日結構な量で採れるので、またこれも気が抜けない。

ジャムだったかコンポートだったか・・・
同じようなものだけど、
作り方は少々違う。
杏の形を残しているので、
多分これはコンポート?
いや、2度目に作った
最初とは違うレシピのジャムだ。
コンポートはもっとソースが
少なく透き通っている。

いきなりこれだけ切ったのは誰?
もちろんお菓子大好きの夫。
彼が最初に食べた量がこれ。
しばしばリンクをし忘れてます、御免なさい。これは大丈夫。
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