野営人

カテゴリ: 乗り換えで消えてしまった過去記事 2008~2013ダイジェスト版

(予約投稿だが)実は今、吾輩は中華人民共和国にいる。
四年ぶりの大陸となったが、その間どう変化しているのかも楽しみだった。
と言っても、今回は中国特別行政区である香港・マカオであり特に香港はイギリス領であったことから政治的民主を経験し共産主義の中国とは少し異なる。
今ではマカオにも民主の波が押し寄せていると聞く。

それでも、久しぶりに中華雰囲気が味わえるのでワクワクしていた。
渡航する前にこれまでの大陸(特に街並み)を振り返ってみた。

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2010年の厦門(アモイ)である。 ↑
近代的なビルが立ち並びインフラ事業はあちこちで見られ、まさに急速な発展の途中であった。

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商店街は個性的な店もあり、銀座ホコ天のような通りもあった。 ↑

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2008年の長春である。 ↑
いわゆる満州の首都 新京として日本による近代整備が押し進められ、今でも当時の建造物が多く残っている。
この時は初の一人旅であった。

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2004年の大連 ↑
この頃の中国が一番面白かった。
住民の数は別として、小さな町並みは昭和30~40年代の日本を垣間見るようであった。

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2007年の大連 ↑
勿論、撮影場所(町)は異なるものの三年も過ぎれば街並みがすっかり変わるのが中国。
だから行く度に新鮮な感じがした。

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2006年の桂林 ↑
桂林と言えば、詩画のような漓江が有名である。

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2006年の陽朔 西街 ↑
漓江下りのあと必ず訪れる小さな町である。
いろんな店が立ち並び観光客でごった返していた。

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2012年の哈爾浜 ↑
哈爾浜は長春よりも北、北海道稚内とほぼ緯度は変わらない。
帰国後まもなく、完成後一年足らずの高架橋が崩落するという事故が発生、8人が死傷するニュースが飛び込んできた。

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まさに吾輩が乗ったバスが走ったルート上であった。

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 ↑ 哈爾浜の朝は、露店で買って食べるのが地元民の日常生活
見ていると、家から鍋を持参し買って行く者もいる。
吾輩も長春一人旅の時、民家の玄関先で売っていた油条(揚げパン)と豆乳を買って食べた事があったが、大して美味しくはなかった。

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2012年の瀋陽駅 ↑
現地時間で午前7時頃の光景である。
駅前には労働者やズタ袋を担いだ農民らしき人間がわんさかおり、目つきは鋭く身の危険を感じるほっだった。
瀋陽駅は南満州鉄道の重要な中心駅であり、駅舎は東京駅に似てる。
それもそのはず、東京駅を設計した辰野金吾博士の学生であった太田毅と吉田宗太郎が設計したものだった。

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2009年の中国福建省西部の山岳地域にある客家土楼 ↑
これも一つの町と言っても良い。
2008年にユネスコ世界遺産に登録されたので早速行ってみた。

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外部からの攻撃から守るための巨大な建造物であるが、隔離されたその内部を歩けば住民の生活が強く印象に残る。

これらのほかに北京や上海、西安など10年以上に渡りほぼ全土を歩いてきたが、それでもまだまだ未踏の街や町村が沢山ある。
しかし昨今の中国軍艦による頻繁な領海侵入や反日行動には目に余るものがあり、いささか気分が悪いので今回が最後となるだろう。

明日帰国予定である。


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まえおき・・・
備忘録としても思い出をいつでも振り返ることができるので、ブログと言うものは便利なものである。
しかし三回も乗り換えた結果、2008年から2013年の記事と共に数々の写真も消してしまった。
そこで過去の写真を思い出と共にダイジェストで載せることにした。



今回は、明日香村

これまで古代の日本を振り返ることなど無かったが、古墳好きの友人の誘いがあり今回その機会が訪れた。

前日に会議と懇親会があった神戸から電車を乗り継いで、目的地の近くの駅まで向かった。


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列車は比較的空いており、車窓を眺めながら友人との会話を暫し楽しんだ。


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約1時間30分、列車に揺られ近鉄南大阪線の橿原神宮前駅に到着


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ここからは徒歩

いろんな旧跡を訪ねながら一日がかりで約20キロをゆっくり歩く。

そのダイジェスト版のルートがこちら ↓


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まず、中大兄皇子が作ったとされる漏刻()(水時計)の遺構を復元した飛鳥水落遺跡を回りながら飛鳥寺へと歩いた。


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日本最古の本格的寺院と云われるのが法興寺であるが、その後身がこの飛鳥寺


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ここには日本最古の大仏である 「飛鳥大仏」 が鎮座されている。


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しかし扉が閉まっていた。 ((+_+))

次は、「岡の酒船石」と呼ばれる謎の石造物がある酒船石遺跡


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これが何の目的で作ったのかは定かでないが、製薬や酒・油作り、何かの儀式や中には人身供養の生贄台など様々な諸説がある。


そして、蘇我馬子の墓と伝えられる 「石舞台古墳」


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一番大きい天井石は77トンというから驚きだ。


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墓の中に入ってみた。


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中には何もなく、ただ石に囲まれた空間

今にも地震が来て崩れないかと不安になる。


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次は、聖徳太子の出生地(寺伝では)と伝えられる橘寺


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誕生所を標す礎石もあった。


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橘寺の創建時は巨大な寺院だったらしいが、失火や落雷、後には放火などで当時の面影は無い。

   二面石  ↓


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二面石は読んで字の如くで、顔が背中(性格には後頭部)合わせになった石で、それぞれ善と悪を現わしているのだそうである。

外を見学していると、突然の雷と共に激しいわか雨が降って来たので、「往生院」 と呼ばれる多目的道場の中に避難させてもらった。


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天井画が素晴らしかった。

誰もいなかったので行儀が悪いが、畳の上で仰向けになって観賞させてもらった。

雨が止み雷も一旦小康状態となったので、再び歩く。

道すがら、川原寺跡と弘福寺を眺める。 ↓


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このあと、亀石を見て 「鬼の 俎(まな板) 、鬼の 雪隠」 へと向かう。

これが、鬼の俎(まな板) ↓


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鬼はここで何を切っていたのだろうか・・・誰でもそう考えるはず

当然、人を切ったとしか言いようがない。

そして、これが 鬼の雪隠 ↓


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雪隠だから言うまでもなくトイレ

しかし、ふたつとも元々は一緒で崩壊した横口式石槨と言うのが実体らしい。

明日香村には謎の石造物が沢山ある。

これは、吉備姫王のお墓の前にある 「猿石」 ↓


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途中で雷雨による緊急避難が二度ほどあり、暗くなる前に近鉄吉備線の飛鳥駅に着いた。

この日の宿は京都にとっておいたので、友人と京都先斗町の料理店で酒を酌み交わした。

明日香村の散策は初めてであったが、興味深く良い一日を過ごさせてもらった。



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今回は、北朝鮮

と言っても渡航したのではなく 「板門店ツアー」 に参加した時のことである。

韓国に初めて訪れた時に鼇頭山(オドゥサン)統一展望台を見学し、二回目は臨津閣(イムジンガク)の自由の橋をそれぞれ見学したことがあった。

そして三回目は板門店となったが、四回目は都羅展望台(トラジョンマンデ)と第3トンネルを予定していたのだが、李明博前大統領が反日を強めた頃からこちらも嫌韓になりパスポートに韓国のスタンプが二度と押されることはなくなった。

しかし、今から思えば貴重な体験をした。


ソウルから西北へ62km、北朝鮮のケソン(開城)から10kmにある板門店へは、事前予約が必要である。

集合場所はトラベルセンターがあるロッテホテル

そこまではホテルからタクシーで向かった。

地下鉄やタクシーの乗り降り、レストランでの注文などの韓国語くらいは独学で覚えた。

ツアーバスに揺られて現地に着くと、まずJSA安保見学館でビデオを見たり説明を受ける。

そして、万一の戦闘に巻き込まれ死んでも文句は言わない旨の宣言書にサインする。


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パスカードを受け取り、専用のバスに乗り換えていよいよ軍事境界線(休戦ライン)へと向かう。


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現場に到着すると、テレビで何度も見た水色の建物があった。

「来た!」 という実感がここで湧く。

その建物の向う側(北朝鮮側)にはコンクリート色の立派な建物があり、ベランダには人影が見えた。

北朝鮮の観光客なのであろうか・・・


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この建物の右側に視線をずらすと北朝鮮側の監視舎がある。

屋上に数台の監視カメラが確認される。


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窓には双眼鏡でこちらを覗く人影や、微動だにしない外に立つ兵士の姿が見てとれる。

ある種の緊張が走る。


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水色の建物の中には入ることができるが、韓国軍の兵士が常駐

勝手な動きは決してできない。

建物の外を歩く北朝鮮軍の兵士が建物から窓越しに見える。

北朝鮮軍の兵士と目が合うは、この時である。


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場所を移し監視塔へ向かう。

そこから北朝鮮を一望することができる。


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高くそびえる鉄塔には、畳260帖分ほどの国旗が掲げられ、その向こうにはケソンの工業地帯

鉄塔の周囲にはRC造のマンションらしき建物が確認できる。


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但し、ガイドの言うことにはこれらは見せかけで窓にはサッシもガラスも無いそうである。

鼇頭山(オドゥサン)統一展望台に行った時、北側から音楽が聞こえていたがここでは妙な静けさを感じた。

北朝鮮の山々 ↓


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民家らしきものや立派な建物が見える。 ↓

これらも、張りぼてなのであろうか。


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ひと通りここでの見学を終えると再びバスに乗り、今度は帰らざる橋へと向かう。

先ほどの監視塔からみたロータリー ↓


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バスは、このロータリーをゆっくり回るが降りることはできない。

立つ見学者も現れる。


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このマナーの悪い見学者たちは韓国語を発していた。

このバスには、日本人と韓国人が半分ずつ乗車していたが日本人は大人しかった。


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これが、その帰らざる橋 ↓


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Wikipediaから

帰らざる橋(かえらざるはし)とは、朝鮮半島中部・板門店の共同警備区域西端に位置する橋である。

軍事境界線となっている沙川江に架かっている。本来の名は沙川橋(サチョンギョ、사천교)。

1953年の朝鮮戦争停戦後の捕虜交換が、この橋で行われた。捕虜達が、この橋の上で南北いずれかの方向を選択すると、二度と後戻りすることが出来無いことから、「帰らざる橋」(돌아올 수 없는 다리、逐語訳的には「帰って来ることのできない橋」)と呼ばれるようになった。以来、南北分断の象徴となっている。

北朝鮮側に村があり、国連軍側の警備所の近くには『ポプラ事件の現場』がある。また、2000年に公開された韓国映画『JSA』の舞台となった。 (引用ここまで)


臨津閣(イムジンガク)の自由の橋とは違い、どこか異質な寂しさがそこにはあった。

帰りにお土産ショップで、JSAのキャップを買って来た。


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この帽子は未だに被ったためしはないが、今度キャンプ場で 「チュゴウォー(楽しいー)」 とでも言いながら被ってみるか・・・(冗談)

でも、意外と良質な帽子なのである。



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2011年9月 ある団体の全国大会があり業務PRの出展のために長崎まで出かけた。

その仕事のことはさておき、久しぶりの長崎に胸を躍らせた。

朝早く起きて観光がてら散策をした。

長崎と言えば坂が多く、オランダ坂が有名である。


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坂を上り脇道に反れエスカレーターやエレベーターを利用してグラバー邸へと向かった。

途中の坂の上から市内が一望できる。

朝焼けの長崎

ロマンチックである。


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早朝ゆえグラバー邸は閉門されていたが何度も見学していたので雰囲気だけで充分だった。


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そこから、まるで地元人のように裏路地のマニアックな坂を下り大浦天主堂の方向へと向かう。


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建物の影から天主堂が見えた。


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朝の散歩はひとまず終えて、今度は仕事の合間に 「長崎 孔子廟」 を見学


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もう殆ど中国


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儀門を潜ると、賢人石像がずらりと並んでいる。

一つ一つ顔や容姿、ポーズが違う。

見る角度と光の塩梅から、まるで生きている人間のように見える。


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この時、宿泊したホテルは 「ホテルモントレ長崎」


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オランダ通りに面しグラバー園や軍艦島クルーズ船乗場も徒歩圏内と便利なホテルである。

異国情緒満タンの外観

そして内装


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外国のホテルに泊まったかのような雰囲気がある。

調度品も凝っている。


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さて、長崎と言えば世界遺産に登録された軍艦島(端島)がある。

この機会を逃さず予約しておいた。

海が荒れると欠航となるが、天候にも恵まれ予定通りのクルーズとなり見学することができた。


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島内の構造物がとにかく凄い

こんな町並みは初めて見た。


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最盛期にはこの狭い島内は東京の9倍という人口密度だったらしい。


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この日は気温がぐんぐん上がり参加者は汗を拭きながら歩いていた。


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寺院巡りは、聖壽山 崇福寺


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ここも孔子廟と同じく中華情緒


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長崎と言えば、食文化も面白い。

和(日本)、華(中国)、 蘭(オランダ・ポルトガル)のコラボレーション

しかし何と言ってもチャンポンだろう。


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当然、長崎新地中華街

ここへ来れば有名で人気の 「中国菜館 江山楼」


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そうなると、なんってたって ちゃんぽん

何が何でも ちゃんぽんと言うことになる。


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フカヒレ入り特上ちゃんぽん ↑

そして、皿うどん ↓


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あまりの旨さに二日連続で訪問してしまった。

二泊三日の長崎を満喫し、腹も五感も大満足


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何度も来ている長崎だったが、何度もまた来たい。


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バイバイ長崎、また来る日まで

おわり




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まえおき

ブログを三回も乗り換え、過去の思い出の記事が無くなったことに気付いた。
2008年から2013年の間の膨大な写真も全て消えてしまった。
訪問閲覧して下さる皆様にとっても旅先などの情報収集はもちろん、僕自身の旅の思い出としてすぐにいつでも振り返ることができるので、ブログと言うものは便利なものである。
ネタ切れ症候群に陥った時の回復剤としても都合が良いので、過去を振り返りダイジェストで載せることにした。
尚、その時の気分でテーマを選ぶので、時系列ではないことはご了承願いたい。



2012年12月

いよいよ東北には本格的な冬がやってくる頃、知人を訪ねて奄美大島に向かった。

寒い地域から暖かい島へ行くわけだから身支度に悩んだのは言うまでもない。

フライトが正午を挟むので空港で空弁を手に入れ乗り込む。


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安定飛行になり早速腹ごしらえ


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窓の景色は青い空と白い雲


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このコントラストは実に見事だ。

地球万歳である。

空腹が満たされ、ひと眠りすると奄美空港に到着


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知人が向かいに来てくれて握手で挨拶を交わし、島内の観光に出発

まず向かったのは、奄美大島紬村


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南国亜熱帯植物庭園に囲まれた施設は初めて見る物ばかり

そして見事な職人技に感動


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次に向かったのは名瀬鳩浜町にある西郷南洲謫居跡


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残念ながら修復工事中で敷地の中には入ることができなかった。

2010年10月20日から奄美大島で死者三名を出した記録的な豪雨の爪跡に放し身を覚え、やがて知人のクルマはホテルに到着


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当ホテルは、野口みずきさんや福士加代子さんらアスリートの冬季練習時の常宿になっていて、ロビーには沢山のサイン色紙が飾られていた。

部屋からは海上保安庁の巡視艇が停泊するマリンが一望。


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奄美群島にまでも中国籍の船が近くまで頻繁に現われていると知人が言っていた。

本土の人間はそんな現状を知る由もない。

日本の報道は、国民が知る権利などと言いながら現実は無視しているのだと知人は憤慨していた。

その話は、夜の宴会でも熱くなったのである。


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奄美大島の地鶏料理で焼酎を浴びる。


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実に旨い!

料理のトリも最後まで鶏だった。


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翌日一番に向かったのは、もちろん大島紬が目的のココ


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僕の好きなジャーナリストの桜井よしこさんも時々訪れ購入されると言う。

彼女が買われたと同じ柄も見せてもらった。


(上述と下の画像は関係ない)
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大島紬

着物の中の着物

知人はその織物屋さんが生業


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奄美大島と言えば黒糖焼酎

知人の案内で工場見学をする。


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地元の女性達が作業をしていた。

我々に気がつくと手を振ってくれた。

なんと気さくな・・・心が温かくなった。


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ここで数種類の黒糖焼酎をお土産に買い求めた。

今度は、島の北の 「あやまる岬」 に向かった。

その途中でランチタイム


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ばしゃ山村 レストランAMAネシア

鶏飯と海鮮料理の店である。

海の見えるバルコニーで食事なんて贅沢


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食べたのはもちろん鶏飯


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具材を白飯の上に載せ熱々のスープを注いでざくざくと食べる。

これはたまらない。

食後の運動に奄美の海と戯れる。


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本当に海がきれいだ。

次に、奄美の郷なんかを見学


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「海の道」 「テーマウォール」 「シマの道」 「森の道」の4つのゾーンで構成され、豊かな奄美の文化が見てとれる。

観光の一コースには必ず加えたいところである。


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あやまる岬は、奄美十景にも数えられる景勝地

眺望が素晴らしく、海の彼方を見ると地球は丸いのだとここではっきりわかる。

一泊二日の滞在だったが、初訪のわりには知人のおかげで十分堪能できた。

空港でチェックインを済ませ出発ロビーへ行くと、どうやら飛行機は満席らしいことが待ち人でわかった。


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奄美最後のビールで名残惜しさが出てくる。


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搭乗案内のアナウンスで機内へ進む。


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帰りは、物まね芸人の松村くんに出会った。

あの体格だから当然彼もクラスJ

笑顔で挨拶でもしてやろうかと思ったが、サングラスをかけた僕をヤクザかと思ったのだろう目が合った瞬間に目を逸らされてしまった。(笑)


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もし願いが叶うなら老後は奄美で暮らしたいと思った。

奄美群島を見下ろしながら、奄美とおさらば また会う日まで

東京駅から帰りの新幹線に乗る頃は、すっかり夕げ時

そうなると、こうなる ↓


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さて次回は、どこにしましょうかねー




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