四年ぶりの大陸となったが、その間どう変化しているのかも楽しみだった。
と言っても、今回は中国特別行政区である香港・マカオであり特に香港はイギリス領であったことから政治的民主を経験し共産主義の中国とは少し異なる。
今ではマカオにも民主の波が押し寄せていると聞く。
それでも、久しぶりに中華雰囲気が味わえるのでワクワクしていた。
渡航する前にこれまでの大陸(特に街並み)を振り返ってみた。
2010年の厦門(アモイ)である。 ↑
近代的なビルが立ち並びインフラ事業はあちこちで見られ、まさに急速な発展の途中であった。
商店街は個性的な店もあり、銀座ホコ天のような通りもあった。 ↑
2008年の長春である。 ↑
いわゆる満州の首都 新京として日本による近代整備が押し進められ、今でも当時の建造物が多く残っている。
この時は初の一人旅であった。
2004年の大連 ↑
この頃の中国が一番面白かった。
住民の数は別として、小さな町並みは昭和30~40年代の日本を垣間見るようであった。
2007年の大連 ↑
勿論、撮影場所(町)は異なるものの三年も過ぎれば街並みがすっかり変わるのが中国。
だから行く度に新鮮な感じがした。
2006年の桂林 ↑
桂林と言えば、詩画のような漓江が有名である。
2006年の陽朔 西街 ↑
漓江下りのあと必ず訪れる小さな町である。
いろんな店が立ち並び観光客でごった返していた。
2012年の哈爾浜 ↑
哈爾浜は長春よりも北、北海道稚内とほぼ緯度は変わらない。
帰国後まもなく、完成後一年足らずの高架橋が崩落するという事故が発生、8人が死傷するニュースが飛び込んできた。
まさに吾輩が乗ったバスが走ったルート上であった。
↑ 哈爾浜の朝は、露店で買って食べるのが地元民の日常生活
見ていると、家から鍋を持参し買って行く者もいる。
吾輩も長春一人旅の時、民家の玄関先で売っていた油条(揚げパン)と豆乳を買って食べた事があったが、大して美味しくはなかった。
2012年の瀋陽駅 ↑
現地時間で午前7時頃の光景である。
駅前には労働者やズタ袋を担いだ農民らしき人間がわんさかおり、目つきは鋭く身の危険を感じるほっだった。
瀋陽駅は南満州鉄道の重要な中心駅であり、駅舎は東京駅に似てる。
それもそのはず、東京駅を設計した辰野金吾博士の学生であった太田毅と吉田宗太郎が設計したものだった。
2009年の中国福建省西部の山岳地域にある客家土楼 ↑
これも一つの町と言っても良い。
2008年にユネスコ世界遺産に登録されたので早速行ってみた。
外部からの攻撃から守るための巨大な建造物であるが、隔離されたその内部を歩けば住民の生活が強く印象に残る。
これらのほかに北京や上海、西安など10年以上に渡りほぼ全土を歩いてきたが、それでもまだまだ未踏の街や町村が沢山ある。
しかし昨今の中国軍艦による頻繁な領海侵入や反日行動には目に余るものがあり、いささか気分が悪いので今回が最後となるだろう。
明日帰国予定である。
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