2006年明けましておめでとうございます。今年はアカデミックな話題にほぼ終始した去年のブログから一歩進んで、一般向けの本や論説に対してもできるだけコメントして行こうと思っています。その試みの第一弾として、今回は『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書・山田真哉著)を取り上げてみたいと思います。皆様もよくご存知の通り、本書は2005年最も売れた新書本でなんと120万部も出版されているらしいです。新書で100万部を超えるというのはかなりの異常事態だと言えますが、一読してこれだけ売れた理由としてパっと僕の頭に思い浮かんだのは以下のものでした。
・タイトルがとにかくイイ!
・専門知識なしでスラスラと読める
・現実の身近な疑問に答える形式になっているため読者の興味を引き付け易い
なるほど、同業者としても参考になるポイントです。が、しかし、ベストセラー本の常と言いますか、その内容となるとかなりお粗末な点も散見されます。以下はまず全体を通じて感じた突っ込み所を列挙してみます。
1)副題が「身近な疑問からはじめる会計学」となっているが、内容が会計学とはほとんど関係ない
2)当たり前のことを大ゲサに言い立てている
3)著者の経済学に対する無知が露呈している
4)一番読者が知りたいであろう「さおだけ屋がなぜ潰れないのか?」という疑問への答えが不十分
次に各項目に関してもう少し細かく分析していきたいと思います。

(1)会計学ではなく実は経済学の啓蒙書
本書の中には「キャッシュ・フロー」や「連結経営」といった会計でよく用いられる単語が登場しますが、会計学に関する記述はほとんど見受けられません。むしろ彼の分析の大半は経済学のロジックに基づいています。例えば、「キャッシュ・フロー」の出てくるエピソード6では割引現在価値、「連結経営」のエピソード2では異なる仕事の間の正の外部性(シナジー効果)といった経済学でお馴染みの概念を基にした説明を行っています。経済を勉強された方が本書をご覧になれば一目瞭然でしょうが、本書は会計学の啓蒙書というよりも経済学の啓蒙書といったほうが明らかに相応しい内容です。これをあたかも「会計学」の本であるかのように宣伝するのはかなりセコいやり方ではないでしょうか?もっとも、後述するように彼の理解している経済学は非常にお粗末なものなので、この本が経済学の啓蒙書だと認識されない方が経済学にとっても幸せかもしれませんが。

(2)定義は説明にはならない
本書の中には、極めて当たり前の事実を自分が発見した新事実であるかのように述べている箇所が数多く見受けられます。具体例を挙げると、著者はさおだけ屋の分析において、以下のように述べています。(p.35~36)

利益を出すためには
・売り上げを増やす
・費用を減らす
のふたつの方法しかない。しつこいようだが、知っていると得する知識である。


呆れて開いた口がふさがらないとはこのことです。利益の定義が「売り上げ−費用」である以上、利益を増やすには売り上げを上げるか費用を削るかしかないのは当たり前です。この当たり前のことをさも偉大な発見であるかのように述べることを著者は恥ずかしいとは思わないのでしょうか?著者がここで言っていることがどれだけ馬鹿げているかを理解するために、くどいですが一つ例を挙げて説明されていただきます。例えば、皆さんは以下のように言われたらどう思うでしょうか?

走行距離を増やすためには
・平均時速を上げる
・走行時間を増やす
のふたつの方法しかない。しつこいようだが、知っていると得する知識である。


ふざけるな、といいたくなるでしょう。「走行距離=(平均の)スピード×走行時間」という関係は誰もが知っているものです。他人に教えてもらう必要など何もない知識をエラそうに語られるのは不愉快極まりないものです。
著者は上述の引用記事の直後に、既存のいわゆる「金儲け本」のベストセラーは彼が分類した二つの方法のうちどちらかに分類できると続けています。二つしか方法がないのですから分類できて当たり前なのですが、一体何を考えて著者はこのような無意味な記述をしているのか理解に苦しみます。

(3)「ローリスク・ハイリターン」?
(1)で触れたように、本書は経済学の考え方に基づいた分析がなされていますが、その中にはかなり怪しいものが見られます。例えば、著者はエピソード2において経済学の基本の一つである「ハイリスク・ハイリターン」「ローリスク・ローリターン」に触れた後、以下のように続けています。

しかし、現実世界は不条理なので、「ローリスク・ハイリターン」「ハイリスク・ローリターン」というものも存在する。(中略)どういうことかというと、たとえば企業が自社の得意分野の応用であったり隣接分野への参入を目指す場合、当然それなりのハイリターンを狙っているが、ローリスクも同時に実現するために、予算の上限を決めたうえで資金を投入しているのである。

この記述のどこがおかしいかお分かりでしょうか?著者が挙げた企業が、もしも予算の上限を上げれば成功した時のリターンが増えると共に失敗した時の損失も増えます。逆に予算の上限を下げればリターンが減ると共にリスクも減らすことが出来る。つまり「ハイリスク・ハイリターン」「ローリスク・ローリターン」は当該企業の投資戦略の中では依然として成り立っているのです。実際に企業は「ハイリスク・ハイリターン」と「ローリスク・ローリターン」というトレード・オフに直面する中で最適だと思う投資戦略を取るでしょう。企業間ではその実力が違うので、最終的に個々の企業において選ばれた投資戦略を比較した時に、片方の企業の投資戦略がもう一方と比べてリスクにおいてもリターンにおいても優れているという可能性はありますが、それをもって「ハイリスク・ローリターン」が存在すると主張するのは経済学の概念の誤用と言わざるを得ません。
著者の経済学に対する怪しい理解としては、他にも経済学でもっとも重要な基本概念のひとつである「機会費用」の欠如などがありますが、これについては次の(4)で詳しくお話したいと思います。

(4)副業はタダか?なぜさおだけ屋なのか?
さて、本書をベストセラーに押し上げた勝因のうち最も大きいであろう、インパクトのあるタイトル「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」。おそらく、読者の多くはこの答えが気になって本書の購入を決意したことでしょう。しかし、エピソード1で述べられるこのさおだけ屋の謎に対する答えが著しく不十分なのです。著者の答えは大きく分けて以下の二つです。

結論 Г気だけ屋は単価を上げて売り上げを増やしていた!
結論◆Г気だけ屋は仕入れの費用がほとんどゼロの副業だった!


結論,蓮△気だけを売る際にうまいことを言って高いさおだけを買わせたり、さお台の修理を抱き合わせて売ってしまう事により単価を上げている、というもの。しかし、これはさおだけ屋に限らず訪問販売や客引きなどに代表される相対取引ではしばしば行われていることなので特に説得力のある説明にはなっていません。読者としても、「多少単価を上げたところでそれが謎の答えにはなっていないだろう」と思うでしょう。そこで満を持して登場する著者の答えのメインパートが結論△良業説です。簡単に言うと「さおだけ屋」は金物屋が副業として行っているもので、極めて費用が少なくて済むので売り上げが伸びなくても商売としてペイしている、という説明です。
この説明は結論,箸楼曚覆蠅覆なか説得力があると言えるでしょう。しかし、著者の説明でやや気になる点もあります。具体的に言うと、p.35において彼は

本業ではない副業なのだから、たとえまったく売れなかったとしてもそれはそれでいいわけだし、もし売れたとしたらラッキーというわけである。

と述べていますが、本当にそうでしょうか?「た〜けや〜」と流しながらトラックを運転する代わりにビラを配って本業の宣伝をしたり、本業とは関係ない別のパートタイムの仕事でもしていた方が儲かるかもしれない、とは考えられないでしょうか。そうすれば、トラックのガス代も浮くしトラックの老朽化のスピードも遅いかもしれない。この点を勘案した上でも、さおだけ屋としての副業が他の(潜在的な)副業よりも儲かることまで主張しなければ十分な説明にはなっていません。
このお粗末な分析から明らかにされる著者の議論の本質的かつ致命的な欠陥は金物屋のオヤジさんの労働に関する機会費用という考え方の欠如です。さおだけ屋をやっている時の金物屋のオヤジさんの労働は(会計的にはタダかもしれませんが)経済学的な意味ではタダではありません。彼が他の仕事をすれば得られたであろうリターンは犠牲になっているのです。(同様にトラックの使用も、他のことへ使えば得られたかもしれないリターンを犠牲にしているという意味ではタダでありません)
副業説に対するもう一つの不満点は「なぜさおだけ屋なのか」という点です。さおだけ屋(金物屋)以外にもトラックで街中を回っていてもおかしくない副業はあるかもしれません。なぜ金物屋だけが副業で街中を回っているのでしょうか?(例えば、布団や畳などはトラックで売られるのを見たことがありません)著者はこの点に関しては一切考察していません。著者が理由として挙げた二つの理由である、単価がある程度期待できて・副業として低い費用で売ることができるものであれば、さおだけ屋以外の業種でもペイするものが沢山ある気がしますが、現実には焼き芋屋や新聞回収などを除くとこの手のトラックによる商法はほとんどお目にかかりません。もちろん、本来の謎は「なぜさおだけ屋は潰れないのか?」ということなので、さおだけ屋が実はワリのいい副業であることが明らかにされれば満足の行く答えにはなっています。その点で著者に落ち度はありません。しかし、読者が次に気になる自然な疑問は「どうして他の売り物ではなくさおだけが売られているのだろう?」でしょう。彼自身の説明の説得力をますためにも、この点にはもっと突っ込んだ議論をして欲しかったです。