前回のエントリでは「ルーカス批判」で指摘された「期待」の役割を考えるために、減税の例を用いてケインズ経済学とバロー・モデルの解説を行いました。そこで強調された(期待に関する)両者の違いをかいつまんで言うと

ケインズ経済学
家計は将来の増税を予想せずにナイーブに増えた所得(の一部)を消費に回す

バロー・モデル
家計は将来の増税を予想して将来の支払いに備えるため増えた所得を貯蓄に回す

となります。ここで便宜的に、前者のタイプを「ナイーブ」な家計、後者を「バロー」タイプと呼ぶことにします。ケインズ経済学では、全ての家計が「ナイーブ」であるのに対し、バロー・モデルでは家計はみんな「バロー」のように賢いと仮定されるわけですw

こうして整理してみると、どちらもかなり極端なストーリーを考えているような気がしますね。もちろん、理論は単純であることが非常に重要ですので、仮定が極端であるという点だけで両者を批判することはできません。
余談ですが、「ルーカス批判」とそれに伴うマクロ経済理論の転換に際してケインズ学派の多くが示した拒絶反応は「仮定が極端・非現実的」というものだったようです。たしかに、ルーカスを中心としてサージェント、バローなどが出した一連の研究成果は非常に極端で、当時としては(現在でも?)受け入れがたい結論だったかもしれませんが、それに対して「モデルの仮定の非現実性」で一蹴しようとする態度は生産的でないばかりか、経済学自体を危機に陥れる危険すらあります。実際、経済学批判の多くは「人々は効用なんて計算しない」「経済学者が考えるほど人間は賢くない」「そんな怪しい土台に基づいた経済学は役に立たない」といった「仮定に対する拒絶反応」です。当時のケインズ学派がとった態度はこれとまさに同じで、自らが「ルーカス批判」を乗り越える代替案を出す代わりに、アプローチの違い自体を超越的な視点から議論する方法論論争へと突っ込んでいってしまったのはマクロ経済学の不幸だったと言えるかも知れません。その結果、世間一般でのマクロ経済学の信頼が低下し、オールドファッションなケインズ経済学が学界で影響力を失っていったのも当然かもしれません。【註1】

さて、脱線してしまいましたが話を元に戻しましょう。ケインズ経済学もバロー・モデルもそれぞれ家計行動の一側面を捉えているもののかなり極端である、というところまでお話しました。現実には、全ての家計が「ナイーブ」あるいは「バロー」であることはなく、どちらのタイプの家計もいると考えるのが自然な気がします。よって、減税効果をきちんと予測するためには、どれくらいの家計が「ナイーブ」(or「バロー」)なのかを調べる必要があるでしょう。(この点について実証論文が書かれているはずですが、私はあまり詳しくないのでご存知の方がいらっしゃいましたらフォローしていただけると助かります)

理論的には、将来の政策変化を考慮に入れずに行動を決定する「ナイーブ」な家計と、将来の政策変化を全て考慮に入れつつ動学的な最適化を行う「バロー」タイプが共存するモデルが考えられます。バロー・モデルの枠組みでこういった試みがなされているかどうかは知りませんが、例えばファイナンス理論の「ノイズ・トレーダー・モデル」はこの考え方に非常に近く、利益最大化を行う「合理的な投資家」と短期的な資金需要で取引を行う「ノイズ・トレーダー」の2種類の参加者を想定します。この理論の面白い点は

「ノイズ・トレーダー」の投資行動はあらかじめ機械的に仮定されているものの、「合理的な投資家」の投資戦略はこの「ノイズ・トレーダー」の行動によって大きく変化する可能性がある

という点です。【註2】
減税の例に即してお話しすると、全ての家計が「バロー」タイプである時は「減税を行っても彼らの消費は増えない」という結論が導かれましたが、「ナイーブ」な家計がいる場合には彼らが消費を増やすため、物価やバロー・タイプの家計の所得に影響を与えます。この影響を考慮に入れると、「バロー」の消費行動、そして家計全体の消費やGDPも変化する可能性があるわけです。

ここで、私自身のちょっとしたアイデアをご紹介したいのですが、それはこの「ナイーブ」と「バロー」の2タイプの割合が時間を通じて変化する、というものです。例えば、減税などの政策の変化が初期(t=0)に起こったとしましょう。上記のノイズ・トレーダー・モデルでは、ノイズ・トレーダーの割合は時間を通じて一定だと仮定されますが、ここでは時間を通じて「バロー」タイプが増えていく、と仮定します。具体的には、t期における「バロー」の割合をB(t)としして以下の仮定をおきます。(「ナイーブ」な家計の割合は1-B(t)となります)

B(t)はtに関して非減少
B(0)=0
B(∞)=1

このB(t)の関数の形自体は外生的に与えられるとします。B(t)に関する上記の仮定の解釈としては

「減税が起きた直後はほとんどの家計が将来の増税に備えたりしないが、だんだんと将来の増税を意識する家計が増えていき、十分長い時間が経つと全員が増税の効果を織り込む」

というものが考えられます。消費計画を立てる際に素早く将来の予想を取り込む家計もいれば、そういった計算に時間がとてもかかる家計もいる、といったイメージですね。マスコミ等の報道を通じて、普段はナイーブに行動する家計も増税の危機が目前に迫ってくると消費行動を変える、というストーリーも考えられます。
いずれにせよ

「バロー・タイプの割合が一定ではなく時間を通じて増加する」

というのが私のアイデアのポイントです。私自身、どこまでこのアイデアが面白いか自信がありませんが、ひとつ強調できる点として以下が挙げられます。

「減税の起きた直後はケインズ経済学モデルがあてはまるが、十分長い時間が経つとバロー・モデルに移行する」

つまり、単一のモデルで両者を自然な形で融合することができるかもしれない、というわけです。また、ここから先は実際にモデルを解いてみないとなんとも言えませんが

「ある程度の時間が経ってすべての家計がバロー・タイプになった状態と、最初からすべての家計がバローである(B(0)=1)場合を比較すると、消費やGDPの水準に違いが出てくる可能性がある」

ということも言えるかも知れません。最終的にバロー・モデルに行き着くとしても、そこに到達する前の過程が影響を与えると、到達した先がバロー的な世界かどうかは分からないわけです。
また、別の論点として、外生的に与えられるG(t)に関しては、実験経済学で明らかにされつつあるプレイヤーの学習スピードに関する成果を応用することができるかもしれません。実証的には、データを元にG(t)を推計する、という研究も考えられます。

と、やや大風呂敷を広げすぎた気がしますが、私自身はマクロ経済学の専門家ではないので、非常に的外れなアイデアである危険性は十分に感じています。門外漢が思いつくアイデアなど、多くの場合は「勘違い」か「既に誰かにやられている」ものですし(苦笑)。ということで、専門家の方からのご意見や参考文献のご紹介などをいただけるとありがたいです。

最後に、上記の研究アイデアを発展させる際に、プリンストンでマクロ・金融を研究するJ君との議論が非常に参考になりました。私の能力と字数の問題で、この記事に反映することができたのは彼の有益なコメントの本当に一部でしかありませんが、彼との議論がなければそもそも「ルーカス批判」について書いていなかったかもしれません。この場を借りて改めて感謝します!


【註1】主流派のアプローチを批判する際に、代替案をきちんと提示することの重要性はマクロ経済学のみならず他の分野でも当てはまります。例えば、そこまで賢くない人間像を考える「限定合理性」の分野では、「進化ゲーム理論」や近年流行している「行動経済学」など、代替案の提示をきちんと行っている分野が成功を収めている一方で、「複雑系」や「経済物理学」などはっきりしたアプローチの姿が見えてこない分野は未だに市民権を得ているとは言いがたい状況です。マクロ経済学では、「ルーカス批判」を乗り越え代替案を提示した「ニュー・ケインジアン」と呼ばれる学派は生き残りましたが、IS−LM分析に代表されるような古いケインズ経済学は完全に(学界での)主役の座を追われています。

【註2】ゲーム理論においても動学的な問題を考える際に、短期利潤を最大化する「Short-run Player」と長期利潤を最大化する「Long-run Player」の共存を考えると、どちらか片方のケースとは結論が大きく変わることが知られています。今回紹介した減税の例のように、マクロ経済学の問題を考える際にも、このアプローチは使えるかもしれません。