1回間が空きましたが、過去3回にわたって「ルーカス批判」に関するエントリを書いてきました。それぞれ「インセンティブ」「期待」「合理性」をテーマに扱い、最終回では自分のちょっとした研究アイデアもお話しました。どのようなアイデアだったかと言うと

(1)家計には合理的な意思決定を行うタイプと、そうではない限定合理的なタイプが両方いる
(2)時間を通じて非合理なタイプの意思決定の仕方が合理的なものへと変わっていく


というものでした。実際のブログ記事では減税というマクロ経済学の文脈でお話ししましたが、今回はこの研究アイデアについてマクロの特定の文脈に沿ってではなく、もう少し一般的に説明していきます。具体的には、以前はあまり触れることのできなかった上記の(1)と(2)それぞれのポイントの重要性や面白さについて、より突っ込んだ議論をしてみたいと思います。(この前以上に大風呂敷を広げることになりますが、暖かく見守っていただけると嬉しいですw)

では、まず初めに(1)について考えてみましょう。(1)で一番注目していただきたいのは、(A)「限定合理的な意思決定を行うタイプがいる」という点ではなくて

(B)「異なる意思決定を行う参加者がいる」

というポイントです。(A)に関しては、進化生物学の成果を取り入れ90年代にブームを巻き起こした「進化ゲーム理論」や、心理学の成果を取り入れ今まさに流行中の「行動経済学」など、いくつもの限定合理的アプローチが既に試みられています(古くは、サイモンの「満足化原理」なども有名です)。行動経済学に関しては、2002年にプリンストン大学のカーネマン教授がノーベル賞を受賞したことで、一般の方にも広く知れ渡っていることと思います。とかくその「合理的な経済主体を仮定する」というアプローチを批判されがちな経済学ですが、少なくともアカデミックなレベルでは代替的なアプローチである限定合理的な経済主体を基礎とする分析は精力的に行われているといえるでしょう。
ところが、(B)に関してはあまり経済学の中でも広まっているとはいえない状況だと思います。もちろん、私自身が紹介した「ノイズ・トレーダー」モデルや、「Long-run, Short-run player」モデルなどいくつかの既存研究があるにはありますが、そういったモデルは例外的で、共通の意思決定を行う参加者を想定する場合が圧倒的に多いです。これは、合理性を仮定したモデルのみならず、限定合理的なモデルでも言えることです。
ここでひとつ注意していただきたいのですが、(B)で述べた主張は一見すると似ている

(C)「異なる行動を取る参加者がいる」

とは根本的に違います。(C)が成り立つからと言って(B)を意味するとは限りませんし、逆もまた然りです。
例えば、「効用関数を最大化する」という形で意思決定を行っている参加者が2人いる場合を考えて下さい。彼らの意思決定の仕方は同じですが、もしも彼らの効用関数の形(パラメータ)が異なれば選択される行動は変わってきます。【註1】
分かり易く言い換えると

「2人の間でたとえ問題を処理する賢さが同じだったとしても、好みが違えば実際に取りうる行動は変わってくる」

となります。これは(C)だからと言って(B)であるとは限らない、ということを意味します。私がポイント(1)の中で強調したいのは

「好みの異なる参加者の分析だけでなく、そもそも参加者の間で賢さが異なるということを明示的に分析することも重要なのではないか?」

という点です。つまり、「同じモデルの中に賢い参加者とそうでない参加者が両方いる場合をもっと真剣に考えてあげてもよいのではないか?」というわけです。
もちろん、こういったことを主張したのは私が始めてでもなんでもないでしょうが、学会ではこの点がまだあまり意識されていない気がします。


さて、ポイント(1)についての議論が長くなってしまいましたが、ポイント(2)についても少し触れたいと思います。2番目のポイントを再掲すると

(2)時間を通じて非合理なタイプの意思決定の仕方が合理的なものへと変わっていく

というものでした。これを見て、「そんなもの既に進化ゲーム理論その他でたくさんやられているだろう!」と思われた方も多いかもしれませんが、(2)の主張は既存理論で行われているアプローチとはかなり異なります。ここでも重要なのは、時間を通じて変化するのが「行動」ではなくて「意思決定の仕方」である、という点です。
実際に、ある種の限定合理的な参加者の行動が合理的な参加者の行動と一致する例は広く知られています(「進化ゲーム理論」で、戦略分布がナッシュ均衡に収束する、「マクロの学習理論」で適応型学習によって合理的期待均衡に収束する、など)。しかし、そういったモデルで「限定合理的な参加者の意思決定の仕方が変わるか?」というと、全くそんなことはありません。初めから最後まで彼らの意思決定の行い方自体は首尾一貫しており、変わるのは行動だけです。【註2】

つまり、(2)で私が強調したいのは、

「時間を通じて参加者の行動(や好み)が変わっていく動学的なモデルだけでなく、賢さ自体が変わっていくようなモデルを分析することも重要なのではないか?」

という点です。そして(2)で述べた「参加者がじょじょに賢くなっていく」というストーリーは最も現実に近く面白いのではないかと思っています。



最後に
標準的な経済理論が用いる「合理的経済人」の仮定は以下の二つの問題点を抱えています。

・人々が非現実的なほど賢い
・人々が全く同じ賢さで意思決定を行っている


前者の問題点は古くから指摘され、その反動から経済学内部でもいくつもの代替的な「限定合理性(Bounded rationality)」モデルが生み出されました。しかし、後者を乗り越える「非対称合理性(Asymmetric rationality)」(yyasudaの造語です)モデルについてはあまり研究が進んでいるとはいえない状況です。

ということで、この「非対称合理性」に関して何か面白い論文が書ければ大化けするかもしれないなどと勝手に思っているのですが、今のところプロジェクトの実現は私より賢い研究者の方に手伝っていただかない限り無理そうです(苦笑)



【註1】
別の例として、ゲーム理論のように2人の間に戦略的な関係を考慮すると、効用関数の形(「好み」)が全く同じであっても2人が異なる行動を取る、という「非対称均衡」がしばしば発生します。また、これらの例とは逆に「2人の意思決定の仕方が異なっていてもたまたま実現される結果が一致する」ということも起こりえます。従って(B)と(C)の間にロジカルな包含関係はありません。

【註2】
マクロでお馴染みの「Hyperbolic discounting」の話はどうだ?と思われた方がいらっしゃるかもしれません。確かに一見すると「時間を通じて経済主体の意思決定の仕方が変わってくる」ように見えるかもしれませんが、実際に変わるのは効用関数のパラメータであって、意思決定の行い方ではありません。「時間を通じて好みは変わるが賢さ自体は変わらない」わけです。