平凡助教授さんのサイトで紹介されていた三原先生の論文
H. Reiju Mihara[2006] "The Second-price Auction Solves King Solomon's Dilemma"
を読んでみました。

遂行理論(Implementation Theory)の古典的な問題である「ソロモン王のジレンマ」の解決方法を提示した簡潔な論文で

『参加費を導入したセカンド・プライスオークションという極めて単純なメカニズムを用いることにより、(均衡において)金銭的なトランスファー無しで望ましい結果が達成できる』

ことが示されています。これまでにもソロモン王のジレンマに関する論文はいくつか書かれていますが、既存研究と比べて単純かつ自然なメカニズムを使っている点が強調されています。


yyasudaのコメント
この論文でも引用されている、Moore[1992]によるサーベイ論文のp.192-195で、三原先生のメカニズムと非常に似たメカニズムが提示されています。両者の違いは、Mihara[2006]では「オークションを行う/行わない」の決定、および「実際のオークションでのビッド」が同時手番ゲームであるのに対して、Moore[1992]ではそれぞれが2段階ゲームになっている点ですが、本質的に両者は同じメカニズムのように思われます(間違っていたらスイマセン)。
Mihara[2006]では、このMoore[1992]のメカニズムは「Complete Informationに依存している」とされていますが、Mihara[2006]のセットアップでもMoore[1992]のメカニズムはそのままの形で機能する気がします。実際にMoore[1992]のp.195の4番目のコメントで、このメカニズムが不完備情報下でも機能する旨が記述されています↓

Fourth, the mechanism works even in the more general case where the women do not know each other's valuations precisely. All that matters is that the true mother's valuation is strictly greater than the other women's valuation with probability one.

もちろん、Mihara[2006]では1財だけでなく複数の財の分配問題を扱っている点でMoore[1992]よりも一般的ではありますが、既にMoore[1992]で非常に似たアイデアが提示されている以上、メカニズム自体の新しさ=オリジナリティーをどこまで主張できるかがやや心配です。


もう一つのコメントは4節のDiscussionにおけるOlzewski[2003]との比較に関するものです。ここでの議論のポイントは
・Mihara[2006]のメカニズムの方がOlzewski[2003]よりも単純かつ自然である
・Olzewski[2003]はオフパスにおいてプランナーが金銭を支払う必要がある一方、Mihara[2006]ではオフパスにおいてもプランナーは支出を行わない
の二つです。

1番目のポイントがMihara[2006]の大きなウリの一つである点は間違いないでしょう。
2番目のポイントは「Mihara[2006]のメカニズムはたとえプランナーに支払い能力がなくても遂行できる一方でOlzewski[2003]は支払い能力がない場合にはうまくメカニズムが機能しない」ことを意味します。この点で確かにMihara[2006]は優れているような気がしますが、この長所は以下の欠点と表裏一体であることに注意が必要です。

『Mihara[2006]はオフパスにおいてプレイヤーが金銭を支払う必要がある』

実際には均衡パスにおいてどのプレイヤーにも支出が生じないため、この欠点は問題がないと思われるかもしれません。しかし、これは

『均衡において望ましい結果が達成されるためには、どちらのプレイヤーも十分な支払い能力があることが必要である』

ことを意味します。例えば、真の母親が資金制約に直面していて十分な額が支払えない場合にMihara[2006](あるいはMoore[1992])は機能しなくなる危険性があります。その点、Olzewski[2003]は各プレイヤーのオフパスでの支払い額をいくらでも小さくすることができるため、たとえ各プレイヤーがほとんど金銭を持っていなくても望ましい結果を遂行することができます。

私は遂行理論の専門家ではないためハッキリしたことは言えませんが、おそらくこの「プレイヤーの資金制約の問題」は、前述の「プランナーの支払い能力の問題」と比べて遥かに重要な問題ではないかと思います。プランナーは「政府」であったり「ソロモン王」であったりいろいろですが、支払い能力は個々のプレイヤーよりも大きいと考えるのが自然でしょう。なぜなら、こうしたプランナーは徴税能力や権力を通じてその気になればお金を集めることができる一方、個々のプレイヤーが金銭的な制約に直面していることは多々あるからです。

また、そもそもプレーヤー達に十分な資金があるのであれば(倫理的な問題を別とすれば)、初めから複雑なメカニズムなど考えずにオークションで財を分配すれば済む話です。このように考えると、ソロモン王のジレンマにおいて「金銭的なトランスファーが生じない」メカニズムを考える一つの重要な意義は

『たとえ各プレイヤーに資金制約があっても望ましい結果が遂行できる』

という点ではないかと思われます。もしもこのような立場に立つのであれば、プランナーの支払い能力に依存しないMihara[2006]よりもプレイヤーの資金制約に依存しないOlzewski[2003]の方が優れている、と言えるかもしれません。
(Mihara[2006]やMoore[1992]は本質的にはオークションを用いているので、資金制約などが存在してオークション自体がうまく機能しない場合には彼らのメカニズムもうまく機能しません。一方のOlzewski[2003]はメカニズム自体はトリッキーで複雑ですが、プレイヤーが金銭的な制約に直面していても望ましい結果が実現できます。)


と、やや批判的なコメントになってしまった気がしますが、論文自体は簡潔で非常に読みやすく大変勉強になりました。本稿のように大きいテーマについて書かれた論文は読んでいても楽しいですね♪いいジャーナルで活字になることを祈っております!



【以下「資金制約」に関する追記↓】

ふっひーとさんのコメント

参考までに、標準的とされる考えというのがもしあれば、知っている方教えていただけたら嬉しいです。


標準的な扱い方はChe and Galeの、「評価額は資金制約と独立に与えられている」というものだと思う。資金制約の入れ方に関しては2通りあって、ある水準(資金の上限=Lとおきます)を超えると

1.支払いが不可能になる
2.資金調達コストが高くなる


のどちらかが仮定されます。1は2の特殊ケース(Lを超えると調達コストが無限大になる)と解釈することもできます。

ソロモン王のケースでいうと、例えば真の母親の子供に対する評価額が100、偽者の母親の子供に対する評価額が50、そしてこれらの評価額とは独立にそれぞれの女性の資金制約(L1、L2)が与えられる、といった感じになります。
もし仮に、女性の資金制約がL1=15、L2=10で、それ以上の支払いが不可能だとしましょう(上の1を仮定します)。この場合、セカンド・プライス(あるいはイングリッシュ)オークションがプレイされると、どちらのプレイヤーにとっても自分の資金制約限界までビッドするのが支配戦略になります。結果として、真の母親がどちらであるかに関わらず常にプレイヤー1がオークションの勝者となります。Mihara[2006]のメカニズムでは、プレイヤー達がこのことを織り込むため、第一段階でプレイヤー1のみが名乗りを上げてゲームは終了します。よって、仮に真の母親がプレイヤー2であっても、子供はプレイヤー1に渡ってしまうため、メカニズムはうまく機能しません。別の言い方をすると、

『真の母親が貧乏人の場合には、オークションに依存したメカニズムはうまく機能しない』

となります。
(Miharaメカニズムがうまく機能するためには、L1、L2がともに50よりも大きくなる必要があります。)


三原先生のコメント1

子供なしで現在保有資金をゼロに正規化した組合せを (0, 0) とする.子供ありで支払い金額 v の組合せを (1, -v) とする.(0,0) と(1,-v) が無差別になるような v を評価額とみなします.子供を得るために v を支払うことによって,現状より悪い状態になるなら,その v は過大評価という理解です.


この三原先生の考え方は上で紹介したChe and Galeの考えとは異なり、「評価額」と「資金制約」を分けるのではなく

『資金制約の影響を考慮した評価額を「評価額=v」と定義しよう』

ということをおっしゃっています。この定義の仕方自体は全く問題はありませんが、もしもこのような定義を行うのであれば、もともとの「ソロモン王のジレンマ」における

『真の母親の子供に対する評価額が偽者の評価額よりも高い』

という仮定の解釈が変わってくる点に注意が必要です。Che and Galeの解釈に立てば「評価額」は資金制約とは独立に与えられるので、真の母親の評価額が偽者よりも高いという仮定は至極もっともな気がしますが、三原先生の定義だと、資金制約の影響を考慮しても前者が後者よりも大きくないとこの仮定は満たされなくなります。上で私が提示した簡単な例のように、真の母親が貧乏人で偽者がお金持ちの場合にこの仮定が満たされなくなるケースは簡単に見つかります。


三原先生のコメント2
《もし》ソロモンといった「外部」の人が存在しない場合,ふたりはお金を捨てることはできるけど,もらうことはできません.これは実現可能性 (feasibility) として知られているきわめて基本的な条件です.「外部」のひとがいると考えればたしかに実現可能性を要求する必要はないけど,「ホントにそんなひとを見つけられるか?」という心配がつきまとうわけです.


もしもプレイヤー達に十分な資金があり金銭のトランスファーが可能であれば、そもそも「外部」が存在しなくてもプレイヤー間の交渉によって望ましい配分が実現する可能性が高いのではないでしょうか?「ソロモン王のジレンマ」では、プレイヤーの間で「誰が真の母親であるか(どのプレイヤーの評価額が一番高いか)」が共有知識となっているため、非効率性は発生しにくいように思われます。「じゃあ、具体的なメカニズムを提示してみろ!」と言われてしまいそうですが、何かご存知の方いらっしゃいますか??
(Bilateral tradeによる非効率性としてはMyerson and Satterthwaite[1983]が有名ですが、彼らのモデルではプレイヤー間の評価額はもちろん、その大小関係までも不確実である点が「ソロモン王のジレンマ」と大きく異なります。評価額の大小関係、つまり最終的な望ましい財の配分に対して不確実性がなければ、うまいことメカニズムが作れる気がするのですが・・・)