以前『命を救う経済学』にて僭越ながら

巷のいわゆる人気ブロガーや人気エコノミストさん達の中には、「教科書レベルの経済学」について少々ご執心が過ぎるのではないか?と思わずにはいられないような方々もいらっしゃいますが


と述べさせて頂きましたが、やはり教科書ばかり読んでいると

「学界の新しい流れがなかなか見えてこない」

のではないか?と思わせずにはいられない記事を発見しましたのでご報告をさせて頂きます。

以下は、人気エコノミスト田中先生によるブログ「Economics Lovers Live」の『未来の経済学』で取り上げられていた記事に関する私の意見です。田中先生は、北米トップ10大学の経済学部に在籍する若手研究者の専攻分野を調べた「Some Evidence on the Future of Economics」という興味深い論文の内容を紹介しながら以下のように述べられています。

日本ではなんか人気有り気に喧伝??されている産業組織論、ゲーム理論、契約理論、ファイナンスは少数派みたいですね。そもそも日本のネットでは「マクロ経済学というものはない以上」という大胆な人がブームを起こし(笑)、それに呼応したかのような日本銀行出身・IMFエコノミストの加藤涼氏の『現代マクロ経済学講義』にも「マクロ経済学というものはない」観が展開されてましたが、そんなないはずの分野の研究を米国の若手が一番取り組んでいる、と表明しているわけなんですね。おかしいですね(笑)。


まず第一文に関してですが、田中先生が少数派と言われている分野にどれ位人が集まっているのかを確認するために元データを見てみましょう。若手研究者達の専攻分野を上から並べるとトップ10は以下のようになっています:

マクロ経済学:33人
計量経済学:28人
労働経済学:25人
産業組織論:15人
ゲーム理論:14人
成長・開発経済学:13人
国際経済学:11人
応用ミクロ経済学:11人
契約理論等:7人
ファイナンス:7人

まず一見して分かるのは産業組織論は応用分野では労働経済学に次ぐ2位(全体でも4位)であるという点です。アメリカでは古くから人種差別や移民の問題が高い関心を集めてきた、という固有の事情があるため労働経済学に関する研究が盛んであることを考慮すると、この2位というのはかなり高いパフォーマンスである気がします。少なくとも私には決して少数派には見えません。
さらに、産業組織論とファイナンスのデータの解釈には十分な注意が必要です。なぜなら実際にはこの両分野を専攻する研究者の多くが

「経済学部ではなくビジネススクールに在籍する」

という特徴を持っているからです。【註1】
こういったデータからもれた人数も含めて集計すれば、かなり数値は上昇するはずです。(個人的には、労働経済学とほぼ同等の人数にまで増えても不思議ではないと予想しています)
ゲーム理論に関しても(上述した2分野ほどではありませんが)多くの研究者がビジネススクールに在籍しています。一例を挙げると、田中先生自身が以前ブログで紹介されていた『MBAのためのミクロ経済学入門』の著者クレプスはスタンフォードのビジネススクールですし、若手の研究者憧れの地であるノースウェスタン・ケロッグ校のThe Managerial Economics and Decision Sciences Department(通称「MEDS」) には相当数の若手ゲーム理論家が在籍しています。



そして、ビジネススクールの数え漏れ以上に強調しておくべき重要な点は

「現在の若手研究者の間ではゲーム理論(や契約理論)といったツールは必ずしも専門的に研究するものではなく、もはやその知識無しには研究を進められないような共通言語となっている」

という学界の動向でしょう。実際に応用分野を専攻する研究者の多くが、シンプルなゲーム理論のモデルを用いたり、ゲーム理論モデルから導かれるの結果についての実証分析を行っています。
上述のデータは個々の研究者のCV(履歴書)の「専攻分野」を集計したものであるため、「ゲーム理論」や「契約理論」に関する比較的ハードコアな研究をしている研究者しか敢えてその分野名を記していません。そのため、こういった動向が一見すると伝わりにくいですが、実際には(直接・間接的に)ゲーム理論の研究に携わっている研究者の数は相当数に上ります。
このへんの事情に一切触れることなく影響力のある人気エコノミストが「ゲーム理論は少数派」なる趣旨の発言されると、誤解される読者が多いのではないかと懸念します。【註2】

蛇足ですが、興味深いことに田中先生の発言の後半部分で引用されている加藤涼氏の『現代マクロ経済学講義』においては

結局のところ、過去10年間、経済学の理論分野というのは、ゲーム理論によって発展してきたことに異論の余地はないだろう。(序章より抜粋)


とゲーム理論が経済学へもたらした貢献がきちんと述べられています。



さて、後半パートの「マクロ経済学」に関する田中先生の発言に移りたいと思いますが、ここも個人的には?マークが付く内容でした。田中先生が言及されている「マクロ経済学というものはない」という見方は、あくまで「マクロ経済学固有の分析ツールや方法論はもはや存在しない」という意味合いで語られている台詞でしょう。実際に学界においても加藤氏と同じように

「(現代の)マクロ経済学とは一般均衡理論(より正確にはDSGE)を用いる応用分野にすぎない」

と考える人は少数派でもなんでもありません。【註3】
しかし、当然ですが固有の分析ツールがないからといって、その分野について研究する学者がいないことは意味しません。分析対象としてマクロ経済現象は存在する(しかも極めて重要)のですから、CVに自分の研究分野として「マクロ経済学」と書く研究者が多いのは当たり前でしょう。私の研究分野である産業組織論も、理論的にはゲーム理論やミクロ経済理論の応用に過ぎませんがきちんと分野として存在し続けています。

最後に、実証研究に関して。田中先生が

実証経済学Empirical Economicsの重視(ヘイ(編)『フューチャー・オブ・エコノミックス―21世紀への展望』での懸念ー経験科学としての経済学の衰退と抽象的な数理的経済学が台頭しすぎる懸念ーはもはや妥当ではない)


なる素晴らしい紹介をされていますが、私も以前この経済学における実証研究への傾斜に関しては『経済学の未来』で取り上げさせて頂きました。この傾向も学界では常識となりつつありますが、ベストセラー・テキストの著者の大半が理論家であるため、学部レベルのテキストにはまだ十分に反映されていないかもしれません。興味のある方は是非ご参考に!


【註1】典型的には、産業組織論はStrategyEconomicsというセクションに、ファイナンスはFinanceセクションに集まっています。産業組織論を専攻していた私の兄弟子二人も揃ってビジネススクールへ就職していますし、ファイナンス分野の売れっ子はほぼ間違いなくビジネススク−ルへ行きます。

【註2】このゲーム理論に関する状況は大学院1年目のコースワークにおいてミクロ経済学のほぼ半分がゲーム理論や契約理論にあてられているという現状を目の当たりにしている若手研究者にとっては馴染み深いものですが、上の世代の方々には正確には伝わっていないのかもしれません。後述するDSGEモデルへの慣れに関しても同じことが指摘できるかもしれません。

【註3】こういった解釈はきちんと前掲の加藤本(序章)で触れられているため、内容を理解していれば田中先生のような誤解のしようがないのですが・・・以下の発言をなされているご本人とは思えないお粗末なコメントなような気がします。(もっとも、加藤さんのテキストは啓蒙書ではないから1行だけ取り出しても構わない、とお考えなのかもしれませんが)

例えば何百ページある中からたった1、2行だけを取り出して感想書く人がいたら、たぶん読んでない人が誤誘導されちゃってへんなことになっちゃう人がいるんですが、やはり啓蒙書やそれの感想を書くのも技やセンスなんでしょうかね。



オマケ
ところで、今回取り上げられた新進気鋭の若手経済学者112人の中には誰一人として「経済学史」や「マルクス経済学」を専攻としている研究者はいません。
この事実も学界では常識でしょうが、必ずしも日本の一般読者層や、いわゆる知識人層には伝わっていないのではないかと思われます。田中先生を初めとした人気エコノミストの方々には、是非その影響力を生かしてこういった重要な事実に関する啓蒙活動も行って頂きたいと思うのですが、、、それは望みすぎでしょうか?(笑)