昨日の日経新聞「経済教室」をご覧下さったみなさま、どうもありがとうございました。多くの方からメールを頂いたのですが、明日に迫った国際ワークショップの準備で立て込んでおりましてお返事が遅れております。何卒ご容赦下さい。
以下は最初に日経新聞へ提出した初稿(オリジナル・バージョン)です。中身はほぼ掲載バージョンと同じですが、一部強調点や言葉遣いが変更されています。既に紙面を読まれた方も、そうでない方もご参考にして頂ければ幸いです。


【市場を創る経済学:マーケット・デザインが切り開く新地平】

安田洋祐(やすだようすけ)
政策研究大学院大学助教授


昨年のノーベル経済学賞受賞で注目を集めたメカニズム・デザイン理論は、既に現実の市場設計(マーケット・デザイン)に応用されている。米国での成功例や最新の研究動向を紹介すると共に、マーケット・デザインの将来性について考えたい。


『マーケット・デザインとは何か?』

 二〇〇七年のノーベル経済学賞がメカニズム・デザイン理論の確立に対してレオニード・ハーヴィッツ米ミネソタ大名誉教授、エリック・マスキン米プリンストン高等研究所教授、ロジャー・マイヤーソン米シカゴ大教授の三氏に授与されたことは記憶に新しい。現在、このメカニズム・デザイン理論の現実への実践である「マーケット・デザイン」という新しい分野が注目を集めている。
 伝統的な経済学は、経済制度を与えられたものとして捉え、その機能や帰結の分析に力を注いできた。分析対象の中心となったのは、完全競争市場と呼ばれる理想的な市場だ。完全競争市場においては、弱い技術的な制約のもとで効率的な資源配分が達成されることが知られており、これが「市場に委ねればうまくいく」という消極的な姿勢を生み出してきた。完全競争市場を離れると様々な市場の失敗が起こるが、それらを克服して市場の質を改善するための統一的な分析手法は知られていなかった。長きにわたり経済学は受身の学問であったのである。
 一方のマーケット・デザインでは、経済制度は与えられるものではなくイチから設計するものとして捉える。その理論的な背景であるメカニズム・デザイン理論は、(想像上のものまで含む)ありとあらゆる経済制度を統一的な視点で分析する方法を提供した。これにより、完全競争市場を離れた制度の設計が可能になったのだ。現実には完全競争市場は存在しないし、どの二つとして同じ市場も存在しない。現実の市場をうまく機能させるためには、個々の市場の特性に応じたルールの整備や微調整といったマーケット・デザインが必要なのである。
 経済学研究の本場米国では、既にマーケット・デザインが様々な市場において実践されている。その代表的な成功例が電波周波数帯市場の制度設計である。一九九四年よりスタートしたFCC(連邦通信委員会)による電波周波数帯オークションでは、米スタンフォード大学のポール・ミルグロム、ロバート・ウィルソン両教授らが考案した「同時競り上げ式オークション」という方式が用いられている。オークションでは、個々の入札者が自分の評価額に応じた適切な入札を行うことで効率的な配分が達成される。複数の周波数帯を同時に売りに出す電波周波数帯オークションではこの評価額の計算が難しく、適切な入札行動をいかにして導き出すかが課題であった。マーケット・デザインは、この問題を解決する現実的な手段を提供することに成功し、効率的な電波の配分と莫大な収益という果実をもたらしたのである。
 マーケット・デザインが扱うのは、電波周波数帯のように価格が中心的な役割を果たす伝統的な市場だけにとどまらない。驚くべきことに、臓器移植や学校選択制といった、金銭の授受が法律的・倫理的に禁止されている市場においてもその成果が活かされているのだ。価格メカニズムの働かないこういった市場で、マーケット・デザインはどのようにして需要と供給をマッチさせるのだろうか?そこで価格に変わって中心的な役割を果たすのは、各参加者の選好や性質に関するデータを集計して機械的にマッチングを行う、中央集権的な「マッチング・メカニズム」の運用である。

『経済学が命を救う!教育を変える!』

 米ハーヴァード大学のアルヴィン・ロス教授、米ボストン大学のタイフン・ソンメズ教授、米ピッツバーヅ大学のウツク・ユンベル教授が二〇〇四年に提案した腎臓交換メカニズムもそのようなマッチング・メカニズムの一つである。米国では七万人を超える患者が腎臓移植を希望しているものの、実際に移植を受けることができる患者は年間一万強に過ぎない。毎年数千人もの患者が移植の願いが叶わず命を落としているのである。腎臓移植を難しくしている最大の要因は血液型に代表される適合条件である。腎臓は胃や心臓といった臓器とは異なり各人二つずつ持っており、一つを他人に提供しても生きていく上で問題は生じない。そのため、患者の家族や恋人がドナーとなって移植を希望する場合が多い。ロス達のメカニズムは、適合条件が揃わなかった不幸な患者―ドナーのペアを集めて新たにペアを組みなおすことにより、できるだけ多くの患者の適合条件が揃う―つまり多くの患者の命を救う―最も望ましいマッチングの達成を可能にした。この腎臓交換メカニズムは現在、米国東部で実際に導入され始めており腎臓移植の可能性を劇的に広げている。マーケット・デザインが人命を救っているのだ!
 臓器移植と並んで近年大きな注目を集めているのが学校選択制である。学生が自分の学区域に縛られることなく幅広い選択肢の中から公立学校を選ぶことができるこの制度は、米国のみならず日本においても二〇〇〇年の品川区(小学校)を皮切りに広がりを見せている。米コロンビア大学(現デューク大学)のアッティラ・アブドゥルカディログル助教授は二〇〇三年にソンメズ教授との共同研究においてメカニズム・デザイン理論がこの学校選択においても有用であることを初めて指摘した。そして、当時実際に用いられていた代表的な学校選択制(これを「ボストン・メカニズム」と呼ぶ)に代わる代替案を提示したのである。彼らのアイデアに基づき、ボストン市とニューヨーク市では実際にボストン・メカニズムに変わる新しいメカニズムへと学校選択制を変更した。新メカニズムの元では各学生は自分の希望する学校のランキングを正直に申告することが最善となるため戦略的に嘘をつく必要がない。この戦略的な虚偽表明はボストン・メカニズムの抱える大きな問題と考えられていたため、制度変更の決め手となったのである。
 著者はアブドゥルカディログル助教授と米コロンビア大学のヨンクー・チェ教授と共にこの問題を更に検討する中で、望ましいと思われていた新メカニズムにも欠陥があることを発見した。「学校に対する相対的な好みを偽ることが得にならない」という新メカニズムの利点は、裏を返せば「どんなに絶対的な好みが違う学生も相対的な好みに応じたランキングを提出せざるを得ない」という制約を意味する。例えば、学校Aの方が学校Bよりも圧倒的に望ましい学生も、学校Aが学校Bよりもほんの少しだけ望ましい学生も、同じようにAをBの上にランクするしかない。この選好表明に対する制約は、学生と学校の効率的なマッチングを妨げる危険性があるのである。我々は、新メカニズムに関するこの否定的な結果を受けて、新メカニズムを修正・改良した第三のメカニズムを考案した。我々のメカニズムは理論およびシミュレーションテストの両面から新メカニズムを凌ぐ高いパフーマンスを示しており、現実の学校選択性への応用が期待される。
 
『日本でも実践を!』

 以上、駆け足でマーケット・デザインの現状を展望してきた。マーケット・デザイン研究はまだ日が浅くその本格的な実践は米国においても始まったばかりだが、急ピッチで研究成果が蓄積されている。そこで得られた知見は是非とも日本の市場制度改革にも活かすべきである。上述した学校選択制は既に日本でも始まっているし、医学部研修医の病院への配属には、米国をはじめ各国で成功を収めたマッチング・メカニズムが実際に用いられている。これらの市場以外にも、ゼミや研究室の割り当て、企業内での人事配属、空港の発着枠の販売など、マーケット・デザインが応用できる分野は幅広い。
 電波周波数帯に代表されるいわゆるライセンス使用に関しても、現行の政府主導による不透明な認可制からオークションに切り替えるという発想が重要だろう。実際に、欧州においても、二〇〇〇年および二〇〇一年に行われた第三世代携帯電話の電波割り当ての際には、多くの国でオークションが採用された。そして英国やドイツといった成功国では、国民一人当たり七、八万円にも及ぶ収益を国庫にもたらしたのである。単純にこの結果を日本の人口に当てはめると、なんと約十兆円という莫大な金額になる。もちろん日本において同様の結果が得られる確証はないが、財政再建が急務である現状を鑑みれば、十分に検討に値するのではないだろうか?

オマケ
卒業式にギリシャ人クラスメートのフィリポスと↓(来週にでもまた別途式の様子等をご報告させて頂きたいと思います)
卒業式