2005年09月21日

大学の区分け

「大学かくあるべし」という文章や、理想の大学についての話を読むとき、どうしても肌に合わない文章が多くて仕方ありません。

また、レポート丸写しに関する反応でも、「なるほど」と納得のできるものから、まったく意味のわからないものまで様々でした。そこでも、まったく前提の違う話が混在しているようにしか思えません。

その単純明解な理由としては

「理系大学」と「文系大学」
「一流大学」と「二流大学」

を、一緒くたにしているからだと考えます。

例えば、永井俊哉ドットコムの書評「大学教授は虚業家か?」というエントリを見れば、大学の悲惨な実状が明らかになっているようですが、研究については「文系大学」に特化した話で、理系の大学ではちょっと考えにくい内容となっています(営業やベビーシッターは「二流大学」ならではですね)。

また、柳田充弘の休憩時間にある「ポスドク問題」についての記述も「理系大学」に特化した内容です。個々の内容について「理系大学」の「一流大学」であれば、「そうだそうだ!」と思えるのですが、任期制に関しての記述などは「文系大学」「二流大学」では受けいれがたい内容なんじゃないかと思います。

どの書籍やエントリも一面的には真実を語っているので、それぞれの立場で都合のいいことを選んでしまうわけですが、実際にはもっと区分けして語られるべき問題なのではないかと思うのです。
さらに区別するならば

「理系大学」「文系大学」には、特殊性から「医療系大学」という区切りを、
「一流大学」「二流大学」の下には、破綻している「三流大学」の区切りが必要になると考えます。

フラスコの考える大学ランク

「一流大学」
学生が集まり、倍率も上がり、優秀な学生が集まっている
古き良き大学のように「俺の背中を見て学べ!」ということが可能
教育よりも研究に力を入れることができる

「二流大学」
定員割れはしないが、学生の質が着々と衰えている
研究よりも教育に力を入れないと卒業した学生の能力が保証できない

「三流大学」
定員割れを起こしている
教育内容が、地域や学生の要求を満たしていないためと考えられるので
必然的に淘汰されるべき大学(?)

これらを一緒くたにしない大学論って必要だと思いません?

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 例のコピペレポートの話題で知った「大学教員の日常・非日常」というブログが、大学論を語る時には自分がどの領域の大学について語っているのかを明示すべきという提起を
大学ビジネスのポジショニング【R30::マーケティング社会時評】at 2005年09月22日 15:52
今日,アメ妻さんのページから,「大学教員の日常・非日常」のページにつながった.「大学かくあるべき」論と,Y氏のポスドク論における,発言内容とその適用範囲に関する問題が論じてあったので,非常に興味深く拝読した.この問題は,「ほりえもん語録」が登場するや,意見
大学の区分けからポスドク論へ...【上田次郎のポスドクな日々】at 2005年09月23日 02:54
この記事へのコメント
必要だと思いますが、このすべてを経験される先生はあまりいないから(経験したい先生もあまりいないと思うけど・・)、客観的に比較して論ずることができないんじゃないかな・・・と思います。

たしかにY先生の話はあまりapplicabilityやgeneralityがないですな。とてもいいことをかかれていらっしゃるときもありますが。
Posted by アメ妻(箸棒族) at 2005年09月21日 22:59
客観的に比較できなくても、文系の先生と理系の先生でお互いに話しあう努力ってのはできないもんかと思います。
フラスコの周辺では、理系文系は同じ大学の中にいても、まったく異質の生き物って感じで、理解しようともしてません。それが同じ問題を解決しようとしたって、無理なんじゃないかなぁと思うわけです。

Y先生は…、すごい成功者だなぁと。
ホリエモンが「なぜみんな投資をしないのか?」と言ってるのと同じような感覚を受けます。
Posted by フラスコ at 2005年09月22日 10:13
ホリえもんのたとえ、言い得て妙!ですね。

決して虚実ではなく、素晴らしい功績を残されているけれど、同じ立場でそこまで成功していない大多数の人にとっては素直に賛同し難いものがあるかも。

この違いは、個人の能力、または運に帰するべきか、環境やシステムが整っていないとするべきか・・・・難しいところですね。たぶん両方とも関係するのでしょうけど。
Posted by アメ妻(笑) at 2005年09月22日 13:47
「柳田充弘の休憩時間」は、おかしいですね。任期制にしたら、2流・3流大学の先生で移れる人はどんどん他に移ってしまうでしょう。残ったカス教員だけでどんどん状況は悪化するだけです。それに教育が中心の2流大というものの存在意義もあると思います。1流大以外は不要なんですかね?
2流大の学生だって、鍛えれば、遊んでいた1流大の学生並にしっかりしてくる人もいます。
 そもそもこの教員は、自分がパーマネントな職を得ているのに、他人には任期制という痛みを強いるあたり、人格的には劣等だと思います。研究業績と人格は無関係、才能と人格は無関係だということが論証された感じですね。こういう人は政府の委員とかをやらないで欲しいです。
Posted by 文系教員(地方私立2流大) at 2005年09月22日 13:55
なんかすごいところからトラックバックいただいてますな(苦笑)

>アメ妻さん
成功した人は個人の努力であるとし、失敗した人は環境のせいであると言いそうですよね。客観的に、成功者を増やすにはどうしたらいいか、と対策を考えないといかんわけで。
Y先生の方策は「一将功なりて万骨かる」式でたくさんの犠牲者の出る方策なんじゃないかなと。理系の研究スキーは、犠牲と思ってないからいいのかもしれませんけどね。

>文系教員さん
研究バリバリの分野の話としては、それほどおかしくはないと思いますよ。
それと1流大学云々はフラスコの弁でして、柳田先生は(心の中で思っていたとしても)明言されていませんので念の為。
Posted by フラスコ at 2005年09月22日 17:45
http://kozo.biophys.kyoto-u.ac.jp/Dr.yanagida_interview/index_qt5.html

インタビューあります
人格についてどうこう言う前にどぞ
Posted by とおりすがり at 2005年09月22日 18:12
 私は父が理系、自分が文系、家内が医療系の教員ですが、それでもまだまだ大学全部について語れる自信はないですね。おっしゃる通りだと思います。
 逆に言えば、「頑張れ論」とでもいいますか、自分や我が社の現状から出発しない一般的な議論が我が社の行く末の相談に混入してきて、困ったなと思うこともあります。
Posted by 並河 at 2005年09月22日 19:40
Y氏の「ポスドク論」も大学論場合分けも,元は同じ所にあるような気がしますね.大学論やポスドク論を語るときに,語る対象を区別して論じるのは必須かと思います.
では,どこまでclassifyすれば良いのかというのが次の問題ですが,理系文系,1流〜3流だけでも実は不十分ではないかと思います.そこにY氏のポスドク問題に対する賛否の根源も潜むかと思います.

(以下続きを書きましたが,コメントが蹴られてしまいました.トラックバックをご参照ください)

Posted by じろう at 2005年09月23日 02:50
>並河さん
コメントありがとうございます。
その環境でもダメですか(笑)

現状を把握していない状態で、問題解決のための議論があがってきても、どうしようもないですよね。理系、文系、医療系の現状の差違というものを、お互いに把握せずに好きなこと言ってもなぁ、と思うわけです。

>じろうさん
コメントありがとうございます。
Y先生の「儲からなくて良し!不安定な職でよし!」という主張には、似た分野(儲からなくていい分野)にいるものとしても、違和感あるんですよね。
安定した職なんて甘えたこと言ってんじゃない!と言われてしまうかもしれませんが…。

「自分がどうしたい」「自分はこれでもいい」という気持ちを、いきなり一般論にまで拡張してしまうための違和感ですね。
個人の感情を安直に一般化する前に、周囲の人の立ち位置も考えてみようと思います。
Posted by フラスコ at 2005年09月23日 08:01
Y先生のご意見をいろいろと考えていました.偉い先生のご意見に反論するのも気が引けますが,地方駅弁大学工学系の立場から,自分の感情を安直に書き込みします.
研究者自身のこころがけとしては立派だと思いますが,国策としてやれることでしょうか?たとえば,某放送局のプロジェクト○で,技術者がぎりぎりの環境でいい製品を作って会社を助けたのが美談になりますが,これに似ていると思います.わたしに言わせれば,会社の経営陣が無能だということをいっているようなものだと思います.国策としては,いい環境を与えることが大事だと思いますが・・・
Posted by papa at 2005年09月25日 21:37
>papaさん
国策として冷静に考えるなら、非生産的な領域をどこまで保護するか…ということも問題になるかと思います。量から質という方策を、量の受け皿なしにおこなうことも無責任だと思いますが、かといって、ぶっちゃけ質の低い研究者がジャンジャン要望するのも、おかしな話だと思います。

環境がないから質が低くなるという訴えは、半分本当で半分は嘘だと思います。いい環境にいても結果が出せない人もいるわけですから。となれば、人材が流動した方がいいというY先生の方策は、それほど間違ってはいないんじゃないかと。

ただし、環境が悪い場所にしかいれない人の敗者復活について、まったく意見がないのが違和感と感じるところです。
Posted by フラスコ at 2005年09月27日 10:30