ついにここまで来たのかぁ、という記事でした。
学術雑誌の価格が高騰して、大学が購入を取りやめる事態も起きている。図書館で論文が読めないなんて……。もう、それはすでに大学ではなくなっちゃってますね。
「大学や独立行政法人が悲鳴を上げている。重要な情報源が維持できない」。4月10日の総合科学技術会議で、金沢一郎・日本学術会議会長は福田首相に窮状を訴えた。
山口大の図書館は昨年末、雑誌を扱う出版社シュプリンガーとの購読契約を打ち切った。千数百万円の経費削減となったが、約1300の電子雑誌が読めなくなり、研究者の個人購読に切り替えた。理系、文系を問わず、過去の成果や最新の動向を知ることは研究の第一歩。学術雑誌が読めなくなれば、その基盤が損なわれかねない。丸本卓哉学長は「買いたくても買えない。研究の根幹にかかわる」と危機感を募らせる。
それが三流私立ならともかく、国公立にまでおよぶとなれば、本当にどうすればいいのかと…。
しかし、その昔の幻想では、これからは論文がペーパーレスになっていくから、出版流通のコストが探し、今後はどんどん雑誌が安くなり、数多くの雑誌が見れる!なんてなバラ色の未来があったのですが、そんな未来は透明なパイプの中を通る高速道路なみに夢の未来だったようです。
うーむ。
研究の根幹にかかわることなので、このあたりの予算はけちらないでほしいと思います。
が、少し気にかかるのは、論文雑誌の方も安直に増えすぎてはいないか?ということ。
上を見れば、Natureはラーメン屋がのれん分けするがごとく雑誌を増やし、
自分の分野を見ても、いつの間にやら知らない雑誌が増えている始末。
論文を発表する場が増えれば、業績が増える。
あっちでダメでも、こっちの雑誌。受け皿が増えれば救われる。
境界分野にあるならば、そこで雑誌を立ち上げてしまえ。
狭い分野では、第一人者で権威な雑誌になれるかも!
なんてなことがあったりしないかなぁ、と少し不安になります。
値上がりは、紙媒体と電子媒体の両方を発行することなどで出版社の製作コストが上昇しているのが原因。研究の分野が拡大して、雑誌の数も増え、現在では2000以上の出版社が2万以上の雑誌を発行する。夢の電子出版が足をひっぱっているというのも何とも悲しいところです。
しかし、20000以上も雑誌が必要なのかなぁ、と考えると……うーん。
同じ分野には、上中下の3段階あれば十分なんじゃないかなぁとか。
それでも分野が広がっているから仕方ないのかなぁ……うーん。
とにかく論文がのればいいから、どんな雑誌でもいいから出す。
雑誌は、内容がしょぼくたって、購読してくれる人がいれば出版する。
完全に妄想の域なのですが、なんとなくしょぼい研究者のさもしい性根が、がめつい出版社と結託し、「学術雑誌が読めなくなれば、その基盤がそこなわれる!」と錦の御旗をもって、金をせびりにきてるなんてことはないかなぁ、と。
もちろん、もちろん、大学の金をどんどん削減しようとして独立行政法人…じゃなくて国立大学法人(?)なんかにしようとする、政府や役人あたりのやりくちに問題があることは言うまでもないのですが、自分の側にもほころびがあるんじゃないかと思うと、大声も出しづらくなりますね。
そこで提案なのですが、ある程度の雑誌については、国が負担を保証するってのはどうでしょうね?
たとえばIF(インパクト・ファクター。関連エントリはここらへん)がいくつ以上の雑誌でないと国の予算を使った購入は認めない。悔しかったら、アクティブにしてみろ!なんてなきまりを作ったらいいんじゃないかと。(自分の雑誌からの引用はカウント数半分ぐらいにするとか?)
すると、泡沫な雑誌に図書館の大事な予算を使われることがなくなります。
ダメかな?
マイナーな学術分野はどうするんだ、というお叱りをうけそうですね。
しかし、資源が限られている以上、それぐらいの縛りはあっても仕方ないんじゃないかと……うーん。まとまらないなぁ。
本当は、こんなこと気にしないで、雑誌ぐらいザックザク買えたら嬉しいんですけどね。