こないだ、映画「ブレードランナー2049」という映画を見た。SF映画の古典、「ブレードランナー」の続編に位置する作品だ。
 
この作品に、ジョイというキャラクターが登場する。彼女は人工知能だ。人間ではない。

しかも、実体はホログラムであり、ボディすら持たない。しかし、主人公の恋人役として登場する。
 
生身の人間ではなく、人工知能の、しかもホログラムの女性がヒロインとして登場する。これは現代社会の感覚に照らし合わせれば、奇異に映るだろう。しかし、のちのちこういう現象は確実に起こるだろうし、もしかしたらもう起きつつあるかもしれない。人工知能がこのまま発達していったら、やがて人間と区別がつかなくなるだろう。
 
だが、恋人が人工知能だったとき、その恋人を本当に愛することはできるのだろうか。

人工知能であれば、ネットワークに自らの意識を接続することができて、メモリもすべてデジタルだから、記憶を「同期」することができる。つまり、人工知能の持っているデータを、別の場所に保存することができる。

もしこれが恋人ではなく、汎用的な、「知能としての」人工知能だったら、知能の強化のために記憶のバックアップを取り、他の端末と同期させることだろう。ここにいる端末と、別の離れたところにいる端末の記憶は同期し、共有される。

もしそういうことになれば、目の前の端末を「愛する」ことはできるだろうか?


人格とは「記憶」そのものだ、というのをある脳科学の本で読んだ。記憶が人格に影響を与えるのではなく、記憶が人格そのものだというのだ。どういう意味だろう、と思ったが、過去の自分の記憶によって、自分の性格が決定されているというのは、じつは真実なのかもしれない。
 
恋人とはじめて会った時は、互いが共有する記憶は何もないわけだから、お互い、過去の記憶をベースとした人格同士で会話がはじまることになる。

だが、時を経て、同じ時を共有すれば、それが思い出になっていく、やがて、二人だけしか持っていない記憶が多くなり、それが二人に特別な感情をもたらすだろう。

もし、そうした記憶が失われたり、別な記憶に置き換わったとしたら。その人は、「以前と同じ人だ」と言えるだろうか?
 

人工知能はこれから間違いなく発達する。人間と同じように思考し、同じように市民権を得る日が来るかもしれない。

しかし、もしそういう時がやってきたときに、その人工知能の「記憶」が、他の端末と同期していたとしたら、その人工知能は「人」として扱われるだろうか? アメリカで育った人工知能と、日本で育った人工知能、ともに記憶が同期したら、「彼」は、どういうバックグラウンドをもった「人」として扱われるのだろうか?


つまり、人工知能が市民権を得る為には、意図的に「非同期」にすることが求められるのではないかと思う。人工知能であれ、最終的に行き着くのは、人間と似たような知性になるのではないか。

もしかすると、知性を強化した人間と、記憶を非同期させた人工知能は、本質的に同じものになるのかもしれない。