木材屋さんのブログ

100年以上の歴史ある木材屋さんの「木」にかかわる日々を紹介します。

この2日で一斉に桜が咲き出しました。いよいよ春の到来です。そしてウッドデッキの季節になります。
当社ではエクステリアの製造部門があり、日本で最初にキット式のウッドデッキを発売し、現在も主要な販売商品になっています。
当社では先代社長の時代から、絶えず業界で初めての試みを行い商品として世に出していましたが、売れるようになるのと同業他社や大手が進出してきて、当社の売り上げが落ちてしまい、その分野から撤退してしまいます。何度もこのような経験をしていましたので、キット式のウッドデッキは、将来のことを考え、商標登録と特許取得を考えました。
商標登録は25年ほど前に「ウッドデッキ」を申請しましたが、却下されました。「ウッド」と「デッキ」が普通名詞だったからです。それで「キットデッキ」を申請しましたら、これは通りました。
またその後特許を申請し2件取得してします。これは手すり柱の固定方法と床板の水平を簡単に出せるものです。
どちらも、すばらしいアイデアで、現在でもこれらに代わる装置や機工は同業他社でもでてきていません。
購入者の立場になって考えると、「失敗しないウッドデッキ」や「出来上がりはプロ以上のもの」というものです。
施工されたからからの感激やお礼の手紙メールがとどきます。それぞれ複数の写真とともに、これからウツドデッキを作ろうとする人へのアドバイスなども書かれています。もうすでに1000人の方から頂いています。
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新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年も当社の商品PRや会社の話をさせていただきます。
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このブログ担当の私は大阪市立大学の非常勤講師もしており、今年で10年になります。ちょうど週初めに講義をする日です。
市大は今年の4月から大阪府大と合併して大阪公立大学になります。
年に2~3回杉本キャンパスに行っています。テーマは「変化への対応--蝋燭からウッドデッキ製造まで」というものです。
江戸時代、当社の祖先は千葉いましたが、どのようなわけがあったのかわかりませんが、和歌山に移住して和蝋燭(わろうそく)の製造を始めました。蝋燭の需要がなくなると林業をはじめました。おそらく蝋燭はハゼの木の実から作るので、樹木の扱いになれていたのでしょう。
私の祖父は分家して林業を続け、そして財を成しました。父の代では大阪に店を出し、杭丸太の仕事を始めました。戦後の時代でしたので、人に騙されたり、過大な税金をかけられたり、非常に苦労しましたが、経済の成長期でもあり、公共工事も多く、順調に会社は伸びました。土木材全般と木材業者さんへの木材卸販売をしました。私が入社した時から住宅産業に進出し、大手生命保険会社、不動産会社などの指定を受けて、住宅団地への大量納入をするようになりました。しかし、時代の流れ的な外部要因があり、木製エクステリアのメーカーとなるべく計画しました。つまり住宅用木材の仕事を10年間で撤退し、その間にウッドデッキやフェンスのメーカーとなるように考えたのです。それまで西日本のフィールドアスレチックは約80%ほど施工していましたし、間伐材利用のエクステリアも経験していましたし、当時デッキに注目する企業はなかったので、順調に計画は進みました。関西にできた大型テーマパークの仕事もそのほとんどをすることができ、木製エクステリアの地位を不動のものにできました。
ただ木材流通の会社から製造メーカーになるには、自社だけでは不可能であったと思います。OEM供給をしていた最大手のメーカーが当社の教育をしてくれたのです。
月に1度、品質、材料、マニュアル、梱包、輸送、クレーム対策、その他のことを1年間無料で指導してくれたのです。当社がISOを取得できたのもこのメーカーの指導の賜物です。
このようにして現在の当社があります。
講義では様々な変化にどのように対処して会社を経営してきたか、どのような志をもってやってきたかを話しています。当社のキットデッキの特許の考え方なども話をしています。
また、最近、木材が見直されたきたこと、木造の中高層ビルや木造の人工衛星などの話もします。
ということで駆け足でしたが、当社の歴史を述べさせていただきました。

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