Life in Hanoi  ハノイでの生活

2008年03月25日



ベトナム人カウンターパートと仏人ボスの間に立たされ

うぉぉぉぉ!ちっきしょぉぉぉ!

とストレスもたまる今日この頃。はぁ。

中間管理職の辛さが分かるっつうもんですよ。はぁ。あ、管理はしてないから、単なる「中間・・・?」だけどさ。。。








AIT後輩かつ現大学仲間のバオバオの結婚式へ出席しました。

わたしがこれまでに経験したベトナム結婚式(っつっても、数えるほどしかないけど)の中で、もっとも豪華でありました。

おっきな結婚式ホールで(日本の結婚式場のイメージ)

巨大なケーキカットがあって

上からしゃわしゃわシャンペン(らしきもの)をワイングラスのタワーにかけたりして(といっても、それでシャンペンが滝のように流れるわけではなく、一番上のグラスに入っているドライアイスからもこもこ煙がでるだけ)

式場専属と思われる歌手がすごい音声でステージで歌い続け、周りの人の声がちっとも聞き取れず


わーお


で、やっぱりベトナム結婚式だと思ったことは・・・



お客様がみんな、ひたすら食事に没頭し、食べ終わった人から帰っていく・・・。


でも、お嫁さん、きれいだったっす。

さすがはエバ航空フライトアテンダントっす。バオバオの幸せものぉ!

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そんな結婚式でAITの後輩に会い、そんな彼はホーチミンの電力公社にお勤めだけど丁度ハノイに出張中ってことだったので、一緒にハノイの日曜日をぶらぶらしました。


ココナッツアイスを食べたりね

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ボートに乗ってみたりね


最初はこれを試みたけれど、誰が試してもちっとも前に進まず(泣)

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アヒルボートに変えてもらったら快適で

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ボートの中でちゅーちゅーしてるカップルに手を振ったりして(→目障り)。ぷかぷか。




あぁ、バスじゃなくて、アヒルボートで通勤したい・・・なんちて。




夜にはブリティッシュカウンシルの『Climate change and global warming in Vietnam』なるパーティに行ってみたのですが


全部スピーチがベトナム語で、30分で撃沈しました( -д-)ノ


(21:44)

2008年03月10日



土曜日、某コンサル会社から森林専門家としてハノイにいらしてるSさんとお昼ご飯をたべていたとき


Sさんは本八幡在住だ、ということがわかり


そんな私も小学校5年生の途中から7年くらい本八幡に住んでいて


「本八幡のどこですか?」


と言ってお互いに突き止めていくうちに(インド料理屋のテーブルにこしょうとか塩並べて地図を描きながら)、なんと




駅から20分くらい歩いたところにあるライオンズマンションに私は住んでいたのであるが


Sさんはその隣の隣のアパートにお住まいで






しかも、そのアパートは、ちょうどうちのおとんが学生時代に下宿していたアパートと場所がかぶった



「おとんのアパートは、あざみ荘という、築何十年かも分からないぼろぼろアパートで、私の小学校時代(15年くらい前?)にはまだあったんですよ」


「おれのアパートは☆★☆★☆★☆★(お洒落な横文字)っていうんだけど、おれが越してきた11年前にちょうど築2年くらいだったんだよね」





もしや、あざみ荘がさすがにぼろぼろすぎて立て直して、そこにSさんが入ったって気がして仕方ない私たち・・・(。・ω・)ノ゙


そして、大家さんは同じに違いない、ということで。

山田さんがそのあたり一体の地主さんらしいですよ。






こんな偶然ってあるんでしょうか。



最近いろんな偶然があって、世の中すべてが繋がっているような、自分の周りに起こることはすべて、起こるべくして起こっている、ということを確信するようなことが多いのです(*゚∀゚)っ















解析すべきデータが多すぎて、いっぱいいっぱいで、夢にまで出てきそうなくらい・・・






そんな日曜日、Chiさんがお散歩に連れ出してくれた。



Chiさんは私と同じ大学で都市計画を勉強していて、東京4年目。
大学でよくベトナム語を教わってた。


大学の階段に座り込んで、二人で大声で発音練習して、周りの人をびびらせたり。

Chiさんも今、研究データの収集のためにハノイに一時帰国中。






サモサのようなHa Cau。といっても中身は揚げ春巻きと同じで、皮が違うだけ。パパイヤ入りの甘酸っぱいスープに生野菜と一緒に漬けて食べるのです。

Ha Cau















いろんなフルーツの漬物を買って

Pickles shop












湖のほとりの神社で食べる。

With Chi san












湖のそばで中国将棋を戦うおじちゃんたち。

Playing-chinese-chess













そんな和やかなハノイの日曜日。


(23:39)

2008年03月08日



ベトナムで生活していると、そりゃあもちろん文句言いたくなることは山ほどあるけれど、はまたま心温まるエピソードも結構あるわけで。




バスに乗ると、こちらでは必ず100%若者は年上の人に席を譲ります。

別に相手がお年寄りである必要はなく、「年上は無条件に敬う」儒教的精神に従い、自然と席も譲るわけです。妊婦さんは言うまでもありませぬ。

若者同士でも、男の子が女の子に譲ってあげる、という場面がよくあります。荷物が重かったら、持ってくれる人もいます。



東京ではもう見かけなくなった光景です(泣)。

お年寄りや妊婦さんが電車に乗ってきても、ゲームや本に没頭してるふりしたり、寝たふりしてる人、そして、席が開いたら率先して座る若者男性は毎日見ますけれども・・・。




でも、そんな一方で、ハノイの道を右へ左へと揺れながら狂気の運転をして、バスの乗客を振り回す運転手もいたりして、とっても疲れるのも現実・・・(。・ω・)ノ゙







昨日は朝から晩まで、昼ごはんとトイレ以外はずっと、PCのスクリーンを見つめて、データの解析をしていたら

夜8時ごろ突然、目も開けていられないほどの疲れに襲われ

夕飯も軽く部屋で食べて9時には就寝してしまった・・・

これを眼精疲労というのでしょうか。

肉体疲労とは明らかに違うのだ。






で、翌朝起きて、朝ごはんを食べに下りたら、朝食が普段の2倍で食パン4枚・・・

「こんなに食べれないよー

とスタッフの男の子にいったら

「Chi(年上の女性に対する敬称)は今日はDoi(お腹すいてる)だから」

昨夜私が疲れて帰り、夕飯食べに外にも出ず、早く寝たことを知っているのでした。あんがぽ。








そして今日は1日マラリアセンターで、昨日の続きをやって宿に戻ると

知らぬ間にナムオ母が大量の果物や牛乳やビタミン剤を受付に託けて帰って行ったのでした。

sasiire












おやつの菓子パン。砂糖の塊と干した豚肉入り。「これに更に砂糖をかけて食べなさい」と砂糖の瓶にメッセージが添えられておりました。「超低血圧の人は砂糖をたくさん取れ」というセオリーがこちらにはあるようです。

kashipan











感謝感謝の毎日であります







そして今夜は

「米をくれ!米を!!!」

と脳みそが騒ぐので、宿のそばの定食屋さん(Com Binh Dan)へ行って、ごはんと好きなおかずを弁当箱にテイクアウト。安くて美味いのです。

きゃべつ炒め + たけのこ炒め + 淡水魚のソテー

gohan-2









週末だぃ!

(01:06)

2008年03月06日



先週金曜から、IPOS仲間のKoheiくんがハノイに出張中



Koheiくんのお勤めする(株)地球の芽のドラゴン社長には、以前ハノイでお会いしてから、懇意にしていただいております。


地球の芽と2007











今回もそんな地球の芽のみなさんのハノイでのお役に多少でも立つべく

というよりも、むしろ自分が遊んでもらうべく

仲間にいれてもらっておりました(^∀^)





そもそも地球の芽は

「わたしたちは、持続可能な社会を実現するためのソーシャルビジネスをつくっています。」

というCompany policyの通り

日本や海外でエコビレッジを開発したり、環境教育プロジェクトを実施したり、まさに持続可能な社会を実現するための可能性を、若手のスタッフさんたちが手探りで試行錯誤しながら、しかし着実に形にしていっている、そんな会社です








この度、地球の芽がハノイのコンベンションセンターで実施されたインターナショナル・エコ・プロダクトフェアに出展したのだが


こちらの方々には「エコ」という言葉の意味が理解できないのか


ベトナムの会社やカンボジア水産庁が 普通に干し魚とか米とかゴールドのお土産を売っているのであった・・・

ま、そもそもベトナム人の日常生活は、十分にエコですから。








地球の芽のプロジェクトに関わっておられる方は所属も様々で

企業の社員さんだったり、大学の先生だったりするんだけど


みなさん自分と考えや方向性が似ているせいか、はたまたドラゴン社長の魔力で集まった人々ばかりだからなのか

刺激的で、なおかつ一緒にいて本当に居心地がよく、はたまた熱く人生について語り合え、尊敬しあえるような方々ばかりで

とても充実なここ数日でありました






そんな地球の芽のプロジェクトのパンフレットは

将来のアジア(っていうかベトナム?)のエコ・コミュニティのイメージ画がとっても可愛いんだけれども

Eco-Community for Asia















よく見ると、ベトナムのハノイのイメージ図は、まさにドラゴン社長が去年10月にハノイに現れた際に見たハノイのイメージそのままだそうで・・・

ベトナム人 人相悪すぎでしょう

道で人が言い合いしてるし。

空気の悪さは現実に忠実で・・・全体的にグレーな町なのである。

ハノイのイメージ?










ついでにみんなでハノイの町を散策中に出会ったベトナム版湯沸かし器。
これは新鮮であるよ(と、日本人のみなさんに言われて、その新鮮さに気づいたわたくし。感性がなまってます。)。

ベトナム版Kettle













ハノイでは本当に多くの出会いがあるのだ。


特に今回は、もともとお互いに知ってはいる、という程度だった、ベトナムの便所に絡んだ衛生問題について研究をしている仲間と仲良しこよしになれて

日々便所とぶつについて熱く語らうのであった( ´∀`)つ

(02:23)

2008年02月29日




その知らせは突然やってきた。





ナムオ@京都がメールで

「Tatsa教授が今ハノイに学会で来てるらしい!」

という。





Tatsa教授というのは、AIT(タイ)で土木建築工学を教えていらしたイスラエル人の教授。


実は私自身は一度もTatsa教授の講義を受けたことはないのだけれど、当初はナムさんがTatsa教授に可愛がってもらっていた。



そして5年ほど前のある日



ナムオとAITからバンコクまで遊びに出かけようとしていた朝7時ごろ、AITのベーカリーでパンとコーヒーの朝食をとっていると、Tatsa教授が同じテーブルにやってきて、ナムオから紹介された。


Tatsa教授は毎朝7時ごろ、ベーカリーのテーブルで朝食をとっていた。


私が日本人であることがわかると、彼はとても喜び、

「昔、イスラエルのわが町にね、イスラエル人と結婚したある日本人女性がいてね、彼女が毎日巻き寿司を作っては、町の市場へ売りに来ていたんだ。
僕と妻はその巻き寿司が大好きで、いつも市場で買って帰っていたんだよ。」

という思い出話をしてくれた。






それ以来、私とTatsa教授はしばしばお茶を共にし


私の卒業後も、タイの行く機会がある度にAITまで足を伸ばし、Tatsa教授に会いに行き

その数年後、Tatsa教授も退官して、イスラエルに戻られたんだけれど

AIT時代に一緒にとった写真を、イスラエルからわざわざ日本まで郵送してくれたり。



そんなTatsa教授、もしハノイにおられるなら、どうしても会いたい(′∀`)!



しかしTatsa教授のメルアドがわかりませぬ。。。


そして、ハノイでの連絡先もわかりませぬ・・・・。








とりあえず、GoogleでTatsa教授を検索し、出てきた2つのメルアドにメール。

しかし、どちらのメルアドも機能しておらず(泣)。


そしてナムオにお願い。

「その学会関係者に、Tatsa教授の泊まってるホテルを聞いてちょうらい」


しかし、ナムオは学会関係者を知らず、とりあえず、学会の参画になっている建築会社のディレクターが知り合いってことで、その方にメール。

しかし、Tatsa教授の宿泊先は分からない、ということで、別の2人のベトナム人の携帯電話番号を渡される。


そして私がその番号に電話。



英語のやや怪しいベトナム人女性が出る。




自分がTatsa教授の元学生であり、Tatsa教授の宿泊先を探していることを伝えると、快く


「Pham Ngoc Lao通り、33Aのアーミーホテルよ。」

と教えてくれる。





そして今度はアーミーホテルの電話番号をGoogleで検索し、電話。


「もしもし、Elisha Tatsaというイスラエル人のゲストを探してるんだけど」


「イスラエル人のゲストは生憎おりません。」


「え。。。でもそちらに泊まってるはずなんだけど・・・


「名前でも検索したけど、そういう名前のゲストもおりません。似た名前のスペイン人は二人いるけど。。。

本当にうちのホテル?

ここには、同じ住所に3つのホテルがあるのよ?」


「え・・?____通りの33Aって言われたんだけど。」


「あー、それはうちじゃないわ。うちは33Cよ。123−4567に電話して。」




違うホテルだったらしい。

そしてもらった番号に電話。




「もしもし、アーミーホテルですか?」


「いえいえ、こちら、Ministry of Defenseなんとか(最後聞き取れず)です。」


「え?Ministry of Defense??」


「そう、Ministry of Defenseなんとかです!(苛立ち気味に)」


「あ、間違えました・・・



間違い電話とはいえ、防衛庁に電話がいったのかと思うと、ちょっと嬉しいオイラ。



でも、Tatsa教授がみつからなーい!!!


あとは、「33C Pham Ngoc Lao通り」でGoogle検索してみる。

別のオフィスばっかり検索に引っかかる中、しつこくしつこく、引っかかったページを1つ1つ確認していくと・・・

ついに!

33C Pham Ngoc Lao通りM.O.D. Palaceというホテルが。

M.O.D.・・・? Ministry of Defense・・・Palace?


おおおおおおおおおおおおおお



さっきのは防衛庁じゃなくて、防衛庁パレスというホテルだったんかい!




そして、さっきの番号に再び電話。


「もしもし、Elisha Tatsaというイスラエル人のゲストを探してるんだけど」

「はいはい、今電話を繋ぎます。」はやっ!


そしてTatsa教授が


「ハロー?」

「おおおお、AITにいた日本人学生のAYAだけど・・・」

「うおおおおおお!!!!AYA!!! どこにいるんだ? どうしてここが分かったんだ?!」


そして再び感動の嵐でありました



んで、翌日の今日。




感動の再会でランチをお供させていただきました


With Prof Tatsa











すでに今年70歳のTatsa教授は、もちろん大学はリタイアされ、今は建設コンサルタントとしてお仕事されていて、これから世銀のファンドを得て、ビッグな建築プロジェクトをベトナムではじめるそう。まだまだ現役ですぞ。


なんでも、ベトナム中部の沿岸地帯の、常に台風に襲われている地域の何十万世帯を移転しちゃうそうな。ビッグプロジェクトです。大丈夫かいな。


そんなわけで、ハノイにすでに合弁会社をつくり、これからはハノイとイスラエルの往復生活となる模様。嬉しいニュースであります





うおぉぉぉぉぉぉ!おいらもイスラエルにきっといったる (。・ω・)ノ゙









世界中を飛び回ってるTatsa教授ですが、タイに15年間も住んでいながら、1カ国だけ東南アジアで足を踏み入れていない国が・・・それは・・・




マレーシア



知らなんだ、イスラエル人はマレーシアに入国できないんだって (*´Д`*)

(22:47)

2008年02月28日




おととい無事ハノイに戻りました。

直行便は早いのー( -д-)ノ

空いてたから、横になって寝ちゃったり、めずらしく空港で購入した雑誌なんか読んじゃったり、ちょっとお仕事しちゃったり、快適、快適。





この度、Hoa宅からゲストハウスに移りました。

といいますのも、Hoa一家はたいそう親切に、家族の一員として私を扱ってくれているのですが、どうにもこうにも、やっぱり気をつかってしまうオイラ。





実はハノイではこれまでいつも居候生活であったため、初めてのホテル生活であります。

ついにひとり立ちであります。

私がハノイに戻る前に、ナムオ父がいくつかセレクトされたホテル&ゲストハウスをバイクで回り、値段&部屋の清潔度&インターネット&温水シャワーを確認してお墨付きをいただいたゲストハウスでございます。


到着すると、らせん階段をずんずん6階でございます。

ここまでくれば、なかなか蚊も上がってまいりません。


私の後に来た巨大欧米人のバックパッカーおばちゃんは、5階の部屋を紹介されると、鼻息も荒く、

「おおお、のー!のー!こんなに高いところまで上ってくる部屋はだめあるよー!」

と帰っていきました。

・ ・・いやー、あなたは毎日5階まで数回往復したほうがいいと思うよ・・・

なんて腹黒なことは胸の奥にしまって・・・。


部屋は清潔で、シーツも真っ白できれいだし、問題なし!

しかも部屋で衛星TV見られるしー。映画みまくりよぉ。

しかもしかーも、ホアンキエム湖まで徒歩3分。スーパーまで徒歩5分。ナイトマーケットまで徒歩3分。

WHOオフィスまでも歩いていけるんるん。

これはやべーです。

夕方、ホアンキエム湖、ジョギングしちゃう?

朝ごはんもついてるし、いうことなし。

これで一泊15法いいんでない?

ただインターネットの調子がちょっとね。初日は部屋でワイヤレス使えたんだけど、2日目からだめ・・・。これが唯一の問題かね。


Hotel room












チェックインの後、知らぬ間に、ナムオ母がホテルに電話して

「そちらに泊まってる○○って子はうちの知り合いの子だから、ちゃんとよろしく頼むよ」

ってレセプションにお願いしてくれていた模様。感謝。





さて、これからは、毎晩夕飯は外食だぜ。

みなさま、誘ってやってください♪♪










初日はゲストハウスで一息つくと、そのまま荷物をとり、お土産渡すためにバスではるばるHoa宅へ。

19時到着。

おー、偶然夕飯の時間あるねー (*゚∀゚)っ


というわけで、Hoa一家プラス仲良しHienでわいわい夕飯。








で、翌朝ブレックファーストをいただきながら、これを書いてるんですが


こうしてホテルの1階で欧米人の観光客さんたちと、トーストにジャムの朝ごはん食べてると、それはまさにイギリスのBed & Breakfastという感じで、うれしくなっちゃうね。


そして、仕事復帰です。徒歩でオフィスへ。めっちゃ早くついちゃうよん。るんるん。






下は成田空港で自分用に買っちまった京都「ようじや」のぬか袋なるもの。

なんでもこの袋の中に「ぬか」が詰まっていて、これを水に浸してお顔をつるつるマッサージするといいらしいのです。

こういうことを一人優雅に部屋でやってしまう賞味290円の幸せなり。


ぬか袋

(16:52)

2008年01月20日



ベトナム旧正月の間、日本に一時帰国することになりました。




今年の旧正月は2月3日で、その大晦日である2月2日からこちらは休みに入ります。


その後1週間は、ベトナム人がオフィスに顔を出すことはなく(みな、田舎に帰る)、店やレストランは閉まり、あたかも欧米のクリスマス状態となるらしい。

さらにその後1週間は、みなオフィスに出ては来るものの、知り合いの部署に挨拶めぐりをし、お茶を飲み、帰っていくのみという。




そういうことで、「どうせ仕事できん!」と、ベトナムに住む外国人の海外脱出が旧正月前に始まるせいか、1月25日以降満席とのことで、やむなく24日の飛行機に乗ることになりました。大韓航空。

したがって、賞味3週間ほどは日本にいる模様です。

京都いけるかな。万一そちら方面にいく時間ができたら、大阪らへんの方、連絡します。



Namlong1













ハノイを発つまであと4日。



風邪気味です。



そして、同居人Hoaが病に倒れています。

5日前に、朝は普通に元気だったのに、夜突然40度の高熱。その後4日間高熱は一向に引かず。悪寒に振るえ、食べては吐く、の繰り返し。
私も心配で心配で、思わず夜、WHOで可愛がってもらっているDai先生(マラリアの大家。ハノイの某有名病院の元部長?)の携帯にTELし、アドバイスを乞う。
とりあえず、ハノイから一歩も出ていないHoaに限って、マラリア&デング熱はないとのこと。その後も熱はひかず、昨日ついに入院となりました。
なんのウイルスだ?姉さんは心配です。



自分もあと4日で風邪を治さねば・・・成田空港で捕まってしまう (;´Д`)







ハノイを発つまであと4日。



仕事がつまってます。明日はまたHoa Binh。その後ひたすらサンプル分析。



しかも、パスカルが「みみず返せ」ってうるさい(まだ私の部屋に同居中。完全放置で、しばらく見てもいない)。
別に好きでみみずを預かってるわけじゃございません。

取りにきてくれ〜。

といいながら、きっといい人ぶって「みみず」運んじゃう私(泣)。



さらに、前の会社から翻訳作業を請負中。





でも、遊びのお誘いはWelcome(´∀`*)


では、お土産の買い物にいってまいります。


(12:30)

2008年01月15日

土曜日から3日ほど、ハノイのお隣のBac Ninh省のナムオ宅へいっておりました。

あちらにある水産研究所で数日実験する予定があったもので。

でも実際には実験できなかったんですけども。

なぜなら、ハノイに忘れ物をしまして。

というか、実は最初(冷蔵庫の中に)忘れ物に気づいたときには、片道バスで2時間の道のりを一度戻ってきまして、再度Bac Ninhについて、別の忘れ物に気づいたわけでございます。


しかもハノイ−Bac Ninh間だけでなく、ナムオ宅−水産研究所間も、自転車で何度も往復しました。もちろん忘れ物で。


若年性アルツハイマーでしょうかね。これはやばいですよー(´−д−;`)



日曜の昼は鍋。

Bac Ninhで鍋

















ところでナムオ宅には、デジタルテレビの設備(?)がありまして、何十種類もの海外番組をテレビで見ることができるはずなので、


「今夜はHBOで映画見ちゃうぞぉぉぉ (●´ω`●)」


と意気込んでいたのですが、配線が繋がっておらず、それを唯一つなげられる父が田舎に帰っていておらず、とりあえず、なぜか唯一繋がった海外番組を見てました。


それが、BCC風の英語ニュースだったわけなのですが、それを見はじめてしばらくたって気づいたこと。




これ、アルジャジーラじゃんっ (((( ;゚д゚)))


アルジャジーラ









もちろん、アルジャジーラといえば、かの有名なアラブ系メディアです。かつて、オサマン・ビンラディンからのテロを正当化するメッセージをそのまま放送して以来、アメリカから問題視されている例のメディアです。


でもこれが、なかなかお洒落ですよ。
アナウンサーのみなさん、きれいなクイーンズイングリッシュですしね。

それで、ちょっとウィキペディアを読んでみると、アルジャジーラってのは、カタール首長から1億5000万USドルの支援を受けて設立されたらしく、放送機材はソニーが全て請け負ったとのこと。やるなー。


さらに、BCCやらCNNやらの一流海外メディアから積極的に記者を引き抜いていて、情報の素早さと正確さに定評があるとのこと。


やっぱり?
「絶対この人昔、BBCでしゃべってたよ!」っていうアナウンサーを見たよ、あたしは。




っていっても、このウィキペディアの記事は、アルジャジーラ東京支部のスタッフが書いている可能性もありますけどね。


それでも、非常に気になるアルジャジーラ。

これからは、BBCでもCNNでもNew York Timesでもなく、ついついアルジャジーラをチェックしてしまいそうだよ。

(23:21)

2008年01月07日



今週末は完全なる休暇ということで。


土曜日は、夢のお家にお住まいのKさん宅にて、日本のカレーをランチにいただき(日本のカレー最高)、そのまま夜はそちらに日本人が集まって、新年会という名の鍋パーティでした。


味噌きのこ鍋


味噌仕立て、具にはきのこの類とマロニーちゃん、にんじん、じゃがいも、豚肉、ウィンナー(´∀`)

ウィンナーと味噌の組み合わせや如何に・・・と思いきや、これが美味いっ 肉汁が出まくりで、七味をかけたら、まるで懐かしの豚汁。自分でも絶対次ウィンナーと味噌やっちゃる



写真撮るの、忘れたぁ



夜中まで話題は尽きず、あぁ海外で持つべきものは日本人。







日曜は、朝からTruc宅へ。

Trucがスペシャルランチを作ってくれた。その名もBun Bo Nam Bo。


Bun Bo Nam Bo











Nam Bo=南部。南部からきたBo(牛)のBun(米麺)。米麺に、もやしやきゅうり、牛肉炒めを入れて、甘いヌックマムベースのたれと絡めていただく。日本の冷やし中華風?個人的に、こちらのほうが100倍好きですが


ちなみに、Bun Bo Nam Boを自分でつくるのは人生で2度目という友。朝ネットで作り方を検索してましたけども、十分おいしゅうございました。


その後はTrucの同居人である従妹も交えて、DVDみたり、おしゃべりしたり、従妹お手製のプリン食べたり、だらだらだらだらだらだら・・・。


ラブコメDVDだったのですが、キスシーンがでてくるたびに、恥ずかしそうに目をそらす初心な従妹21歳。可愛いねぇ、とその横でオヤジ二人(我々)。


あぁ、海外で持つべきものは古い友。

(00:31)

2008年01月03日


(Sorry, English version is coming soon)



あけましておめでとうございます。

今年も1年よろしくお願いいたします。




2008年です。
先日友にきいたところ、今年は前厄らしいんです。
そして来年は本厄らしいんです。
本厄に学位取得の予定なんっすけど・・・。
でも、厄年で出産すると、厄が落ちるから、厄除けしなくていいらしいですよ...


まぁそもそもですね、「30才で青春期を過ぎ、中高年期への過渡期に当たる事から、人生のうちでも曲がり角でもあり、特に女性は子育てあるいは主婦として非常に多忙な時期でもあり、体調や精神的に不安定になりやすい」ということから、この年齢が「厄年」とされるようになったらしいんですね(by wikipedia)。すなわち、神の祟りでは決してないのです。


そういうわけで、前厄2008年は、ちょっと気をつけつつ、マイペースに日々精進してまいろうと思います。


えーっと、今年の抱負


でっかい人間
身軽
存在感
筆不精を改善
自分は自分、人は人


誰かさんへの小言を減らす...



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今年の年越しはハノイでした。


AITの大仲間である妊娠7ヶ月のTrucが、タイでの任期を追えてハノイに戻ってきたので(来月には出産のため、田舎に帰ってしまうけど)、Truc宅へ。

なんだかお互いお疲れだったため、9時にはベッドに入るも、夜中まで馬鹿話に花が咲きみだれ、その後私の携帯に「あけおめ」電話がかかりまくって、Truc眠れず、その後、Trucのいびきが激しすぎて(毎度のことなので予期してたけれど)、私眠れず。

そしたら、突然Trucのお腹の中の赤ちゃんの一部らしきものがモコっとでてきて、二人で触っては「これはなんだ?!」「頭?」「足?」と興奮。


翌朝は、お呼び出しを受けてバスでナムオ宅へ。

すると、ナムオの田舎の親戚のおっさん方が集まっており、そのまま拉致られ、いつもナムオの弟子と化している甥っ子の結婚式へ。


そのままBac Ninhに泊まって帰ろうとハノイ宅へ連絡すると、HoaとDienが

「今日はお正月パーティの準備してるよ!」
(→確実に、正月を日本から離れて送る私のための心遣い)

とのことで、お泊りはあきらめて、バスで再びハノイへダッシュ。

そんな移動移動の元日でありました






Bac Ninhの餅







Bac Ninh名物の餅





結婚式の供え物







結婚式の貢物。婿宅から嫁宅へ。







Bac Ninhの花嫁







花嫁とその姪っ子。姪っ子のつぶらな瞳が・・・








Bac Ninhからは、いつも山のような土産を抱えてハノイに戻ってくるわけですが(卵とか、みかんとか、「ハノイにもあるっちゅうねん!」とはいわずに、有難くいただきます。)、本日は変圧器をゲットしまして、これまで長い間寝かせておいた日本製電気毛布を、昨夜からご使用。幸せ。ますます朝ベッドから出られないのぉ。




そして、ベトナム人らしく、本日2日から仕事開始でした。
今年も論文書いたるでぇぇぇ(はい、そこの研究室の人、引かないように)。

(00:01)