歌人の荻原裕幸さんは恩人だ。それまで月刊ペースでしか文章を書いたことがなかったわたしが、こうして短くでも毎週書くきっかけを作ってくれたのが荻原さんだ。休刊した短歌誌「短歌ヴァーサス」のインターネットサイトが始まったとき、週一度エッセイを書きませんかと誘ってくれた。そのときに水曜日の担当だったことが、このブログのタイトルの由来だ。とるに足りないことでも毎週何かを書くという習慣は、現在わたしの生活の芯のようなものになっている。その前には、これも休刊した川柳誌「WE ARE!」に第一句集『矢島家 yajimaya』について忘れがたい文章を書いてくれた。
恩人と思っているわりには、お歳暮やお中元を送るでもなく、遠くからありがとうございましたと思い、時々荻原さんのブログを覗くだけだ。先日こんなことが書いてあった。
琴欧洲関のオフィシャルブログを読んでいると、写真に添えられた、見事なまでにたどたどしくすきだらけな日本語の文章のなかに、気は優しくて力持ちといった感じが浮かんで来て、何かこころが和む。大関の人柄に加えて、制作スタッフの助力によるところも大きいのだろう。多用される平仮名、不規則に紛れこんでいる漢字、助詞の欠落、促音の欠落、形容語の語尾の欠落、等々、どの一つを考えてみても、一般的な文章にあらわれた場合は気になりそうなのだが、それらがまとめて押し寄せると、安定した文体に見えるから不思議なものである。(2008年8月26日付より)
まるで文学を語っているかのようだ。気になったので早速見てみた。そしてすぐに「お気に入り」に入れた。
「けっこんしき」「うま」「モンゴルじゅんぎょう」「新幹線のった」
タイトルだけでもうほのぼのする。愛らしいとでもいえばいいか。
しかし、彼が母国語を話すのを直訳したらどういう口調になるのだろう。すごく論理的だったりして。いや、力士といっても若者だ。DAIGOみたいなしゃべり方だったらどうしよう。ブルガリア語には熟語がないのだそうだ。どんな言葉なのだろう。
スポーツ全般に無関心なわたしは、相撲中継をまともに見たことがないけれど、そして昨今なにかと悪い話ばかりの相撲界だけれど、これから見るな。たぶん。
少し触れる大きいことのさみしさに 峯 裕見子
(2008年4月 現代川柳 点鐘の会刊『点鐘散歩会』)
恩人と思っているわりには、お歳暮やお中元を送るでもなく、遠くからありがとうございましたと思い、時々荻原さんのブログを覗くだけだ。先日こんなことが書いてあった。
琴欧洲関のオフィシャルブログを読んでいると、写真に添えられた、見事なまでにたどたどしくすきだらけな日本語の文章のなかに、気は優しくて力持ちといった感じが浮かんで来て、何かこころが和む。大関の人柄に加えて、制作スタッフの助力によるところも大きいのだろう。多用される平仮名、不規則に紛れこんでいる漢字、助詞の欠落、促音の欠落、形容語の語尾の欠落、等々、どの一つを考えてみても、一般的な文章にあらわれた場合は気になりそうなのだが、それらがまとめて押し寄せると、安定した文体に見えるから不思議なものである。(2008年8月26日付より)
まるで文学を語っているかのようだ。気になったので早速見てみた。そしてすぐに「お気に入り」に入れた。
「けっこんしき」「うま」「モンゴルじゅんぎょう」「新幹線のった」
タイトルだけでもうほのぼのする。愛らしいとでもいえばいいか。
しかし、彼が母国語を話すのを直訳したらどういう口調になるのだろう。すごく論理的だったりして。いや、力士といっても若者だ。DAIGOみたいなしゃべり方だったらどうしよう。ブルガリア語には熟語がないのだそうだ。どんな言葉なのだろう。
スポーツ全般に無関心なわたしは、相撲中継をまともに見たことがないけれど、そして昨今なにかと悪い話ばかりの相撲界だけれど、これから見るな。たぶん。
少し触れる大きいことのさみしさに 峯 裕見子
(2008年4月 現代川柳 点鐘の会刊『点鐘散歩会』)
